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記事一覧

昭和天皇訪欧の旅 青年期の素顔20点 立川で写真展 「庶民的な人柄伝わる」(2020年10月31日配信『東京新聞』)

昭和天皇の訪欧の旅を振り返る写真展=東京都立川市で 来年は、昭和天皇が皇太子時代の大正期と、昭和時代に香淳皇后と訪れた二つの欧州歴訪の旅からそれぞれ100年と50年の節目を迎える。その足跡を写真で振り返る展覧会の第1弾として、「昭和天皇とヨーロッパの旅−天皇への学びの旅と国際親善」が「昭和天皇記念館」(東京都立川市)で開かれている。同記念館開館15周年の特別展示で、若かりし昭和天皇の親しみやすい写...

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昭和天皇の沖縄観(2019年8月29日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 若者の会話で「内地」という言葉が今でも頻繁に出てくる。もちろん、自分たちは「外地」に住んでいるのだと意識しているわけではない。「内地」の対義語として念頭に置いているのは「沖縄」である▼内地人を指す「ないちゃー」という言葉もよく聞く。やはり自分を「外地人」だと思っているわけではない。では「うちなーんちゅは日本人か」との問いに若者はどう答えるか。返答はさまざまだろう▼「内地」という言葉はいつから日本人...

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昭和天皇拝謁記 「大元帥の反省」を教訓に(2019年8月26日配信『徳島新聞』ー「社説」)

 敗戦から7年、日本の独立回復を祝う式典で、昭和天皇は戦争への後悔と反省を述べようと決心した。しかし、吉田茂首相の反対に遭い「不満だけれども仕方がない」と断念した。 天皇が「反省」を口にすれば「戦争を始めた責任があると言われる危険がある」との理由だったという。 初代宮内庁長官、田島道治氏が昭和天皇の肉声を記録した「拝謁記」が公表された。新憲法によって「君主」から「象徴」へと立場が変わり、政治的な発...

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昭和天皇と戦争 反省と再軍備に矛盾ない(2019年8月26日配信『産経新聞』-「主張」)

 終戦後の昭和24年から28年にかけて、昭和天皇と田島道治(みちじ)初代宮内庁長官が交わしていたやり取りの詳細な記録が明らかになった。 田島長官が18冊の手帳やノートに個人的に書き残していた「拝謁(はいえつ)記」である。拝謁は600回以上にもわたる。 先の大戦などを経て、戦後の連合国による占領を体験されていた当時の、昭和天皇の「肉声」だ。激動の時代の一級史料といえる。遺族から提供を受けたNHKが、...

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昭和天皇「拝謁記」 「教訓」を語り継ぎたい(2019年8月23日配信『岩手日報』ー「論説」)

 先ごろ公開された初代宮内庁長官田島道治による昭和天皇の「拝謁(はいえつ)記」は、敗戦に至る日本の激動期に翻弄される「人間天皇」の戸惑いや苦悩を浮き彫りにする。 戦勝国による7年間の占領政策の後、1952年5月に開かれた独立回復を祝う式典で、昭和天皇は戦争への後悔と反省を表明したいと願ったが、当時の吉田茂首相の反対に遭ってかなわなかった。歴史に「もしも」はないと言われるが、戦後日本の歩みを左右する...

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昭和天皇拝謁記 平和希求へ新たな教訓に(2019年8月22日配信『西日本新聞』ー「社説」)

 あの無謀な戦いとは何だったのか。天皇であっても止めることはできなかったのか。 昭和の戦争と平和を再考する上で、貴重な一次史料が見つかった。初代宮内庁長官だった田島道治が書き残した昭和天皇との詳細な会話記録である。 「拝謁(はいえつ)記」と題された1949年から53年までの手帳やノート計18冊だ。新憲法で「象徴」となった天皇による戦争の総括と、それを基に国民に発しようとした「お言葉」を巡る生々しいやりとり...

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昭和天皇「拝謁記」公開 戦争責任 国民的議論を(2019年8月22日配信『しんぶん赤旗』)

 1952年1月11日付の「拝謁記」。「お言葉」に「反省といふ字」を入れる意向が語られたとする部分 NHKがこのほど一部公表した田島道治初代宮内庁長官が昭和天皇とのやりとりを記録した手記(「拝謁記」)には、侵略戦争の責任をめぐる昭和天皇の極めて矛盾した心情がつづられています。「反省」表明望む 田島氏の手記で注目されたのは、昭和天皇がサンフランシスコ平和条約発効後の日本の独立を祝う式典で戦争への「反省...

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「一部の犠牲」はやむを得ないか(2019年8月22日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 他人の真意を把握するのは容易ではない。仕事場や私生活でもミスコミュニケーションによる問題は誰しも経験があるだろう。それが雲上人ともなれば、なおさらだ▼昭和天皇が1953年に初代宮内庁長官に語っていた言葉が公になった。戦争への反省を表明しようとしたが吉田茂首相の判断で削除されたことは以前から知られていたが、基地問題を巡る発言もあり、身内を前にしたためか、かなり冗舌な印象だ▼基地から派生する問題を犠牲...

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昭和天皇「肉声」(2019年8月22日配信『宮崎日日新聞』ー「社説」)

◆戦争巡る歴史解明の糸口だ◆ 初代宮内庁長官の故田島道治が昭和天皇とのやりとりや、その時の様子をつぶさに書き留めたノートや手帳が見つかった。昭和天皇がサンフランシスコ講和条約発効と独立回復を祝う1952年5月の式典で国民に向け、戦争への深い悔恨や反省を表明したいという意向を長官に伝え、「お言葉」の内容を検討させていた詳細な経緯が明らかになった。 結局、当時の吉田茂首相に反対され、式典のお言葉から戦争...

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困難にぶつかったら過去を勉強しなさい。未来は過去の中にあるからです(2019年8月22日配信『神戸新聞』ー「正平調」)

 なんでも、割り箸を使って決断しようとしたらしい。立ててみて、倒れるのが右か左か。酒の席とはいえ、割り箸の倒れ方で歴史を動かそうとした◆半藤(はんどう)一利さんの「昭和史」にある一こまだ。陸軍中枢が反対する作戦をめぐり、満州に駐屯する関東軍司令部は意見が割れた。そこで割り箸が登場するのだが、国の未来を左右する重大事をこんな風に決めようとしたおごりに背筋がぞくりとする◆初代の宮内庁長官が昭和天皇とのや...

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昭和天皇の言葉 歴史の実相解く糸口に(2019年8月22日配信『東京新聞』-「社説」)

 昭和天皇が独立回復式典で戦争への「反省」を表明しようとした。初代宮内庁長官が残した記録で判明した。当時の吉田茂首相の反対で削除された。昭和史の重要資料で、全文公開を求めたい。 「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」(1953年1月11日)。初代宮内庁長官を務めた故田島道治が記録した「拝謁記」にある言葉だ。手帳やノートで計18冊にのぼり、遺族から提供を受けたNHKが一部を公表した...

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拝謁記(2019年8月22日配信『愛媛新聞』ー「地軸」)

 昭和天皇の好角家ぶりは、よく知られる。ひいきの力士は明らかにしなかったものの、その1人が初の外国人関取だった高見山であることは周知の事実だ▲引退の際、当時の森喜朗文相が昭和天皇に質問したそうだ。「陛下は高見山がお好きなのではありませんか」「うん? うん。大変に関心を持っておるんじゃ」(岩見隆夫「陛下の御質問」)▲「好きだ」とは言えないが、「違う」とごまかしもしない。独特の言い回しは、自身の一言がど...

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【昭和天皇拝謁記】政治的「肉声」の検証を(2019年8月21日配信『高知新聞』ー「社説」)

 昭和天皇の「肉声」が伝わる一級の資料に違いない。 終戦後、初代宮内庁長官を務めた故田島道治が、昭和天皇との詳細なやりとりを記した「拝謁(はいえつ)記」の一部が公開された。 戦争への後悔や退位について繰り返し言及しており、一人の人間として苦悩する姿が生々しく浮かび上がってくる。 拝謁記によると、昭和天皇はサンフランシスコ講和条約の発効を祝う1952年5月の式典で、戦争への後悔と反省を表明しようとし...

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[ 昭和天皇「拝謁記」] 今に続く「捨て石」発想(2019年8月21日配信『沖縄タイムス』-「社説」)

 戦後、初代宮内庁長官を務めた故田島道治が昭和天皇の言葉や、やりとりの様子を克明に記した「拝謁(はいえつ)記」が見つかり、内容の一部が公開された。 昭和天皇が戦争への反省を表明しようとしていたことや、改憲による再軍備の必要を主張していたことが明らかになった。 拝謁記は田島が、宮内庁(当時は宮内府)長官に任命された翌年の1949年2月から退官した53年12月の間に昭和天皇とのやりとりを書き留めたもの...

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昭和天皇「拝謁記」 戦後責任も検証が必要だ(2019年8月21日配信『琉球新報』-「社説」)

 初代宮内庁長官の故田島道治氏が昭和天皇とのやりとりを詳細に記録した「拝謁(はいえつ)記」の一部が公開された。それによると、本土で米軍基地反対闘争が起きていた1953年、昭和天皇は「全体の為(ため)ニ之がいいと分れば一部の犠牲は已(や)むを得ぬと考へる…」「誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ」(引用部は一部原文のまま)などと述べていた。 昭和天皇が47年、米軍による沖縄の長期占領を望むと米...

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侵略戦争 昭和天皇 自己弁護と「反省」(2019年8月21日配信『しんぶん赤旗』)

初代宮内庁長官の手記 公開首相の反対で「封印」 戦後約5年半にわたり初代宮内庁長官などを務めた田島道治氏が、昭和天皇とのやりとりを記録した手記が公開されました。計18冊の手帳やノートに書き込まれた文書の中には、昭和天皇が戦争への「反省」の気持ちを表明したいとの意向を明らかにしていたことや、再軍備の必要性を繰り返し発言していたことなどがつづられています。 田島氏は1948年から宮内庁の前身の宮内府や...

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平和の土壌があってこそ木は育つ(2019年8月21日配信『信濃毎日新聞』ー「斜面」)

 人材の育成に並々ならぬ情熱を傾けていた。戦後、初代の宮内庁長官を務めた田島道治(みちじ)である。1937(昭和12)年、銀行の頭取を退任した後に私財を投じ、都内の自宅の隣に学生寮を建設。10人の学生をわずかな寮費で住まわせた   ◆ 月1回、政官界のトップを講師に招いて夕食会を開いた。自らも「論語」を教えた。<生涯中で一番快心なこと>と振り返る学生との生活は、45年4月の空襲で自宅と学生寮が焼失...

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昭和天皇記録 歴史検証に貴重な肉声(2019年8月21日配信『北海道新聞』ー「社説」) 

 初代宮内庁長官を務めた故田島道治が、昭和天皇との詳細なやりとりを記録した手帳やノートが見つかった。 日本の独立回復を祝う1952年5月の式典で、昭和天皇が自らの言葉で戦争への反省を表明しようとしたが、当時の吉田茂首相らの反対で当初の文案から削除された経緯が分かる。 昭和天皇が戦争を後悔し、反省の思いを強く持っていたことを示すものといえるだろう。 「拝謁(はいえつ)記」と題された資料には、昭和天皇...

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宮内庁長官資料 さらなる解明と議論を(2019年8月21日配信『茨城・佐賀新聞』ー「論説」)

 初代宮内庁長官が昭和天皇とのやりとりや、その時の様子をつぶさに書き留めたノートや手帳が見つかった。昭和天皇がサンフランシスコ講和条約発効と独立回復を祝う1952年5月の式典で国民に向け、戦争への深い悔恨や反省を表明したいという意向を長官に伝え、「お言葉」の内容を検討させていた詳細な経緯が明らかになった。 結局、当時の吉田茂首相に反対され、式典のお言葉から戦争を悔やむ一節は削除された。お言葉変更の事実...

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昭和天皇の言葉 改めて大戦考える機に(2019年8月21日配信『朝日新聞』ー「社説」)

 その「おことば」が実現していたら、先の大戦を巡る天皇の責任論や国民の意識、そして近隣諸国との関係も違うものになっていたかもしれない。そう思わせる史料が明らかになった。 終戦後の宮内庁長官だった田島道治(みちじ)が、昭和天皇とのやり取りを克明に記した文書を残していた。遺族の提供を受けたNHKがその一部を公開した。 注目されるのは、サンフランシスコ講和条約の発効を祝う1952年5月3日の式典のおこと...

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昭和天皇の「肉声」記録 軍部増長に「反省」の重み(2019年8月20日配信『毎日新聞』-「社説」)

 終戦後、昭和天皇が田島道治初代宮内庁長官と交わしていた約5年間のやり取りが明らかになった。 田島元長官が個人的に記録していたもので、昭和天皇は1952年5月の独立回復式典に際し、自らのお言葉で「反省」を表明する意向を示していたが、宮内庁幹部や当時の吉田茂首相が反対し、当初の文案から削除された経緯などが分かる。 「反省」の中身について、同年2月、昭和天皇は「軍も政府も国民もすべて下剋上(げこくじょ...

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Author:gogotamu2019
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