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記事一覧

川崎大空襲から76年 「要は精神だ」服は簡素に、賃金は債券に・・・ 生活に潜んだプロパガンダ 市平和館で記録展(2021年4月14日配信『東京新聞』)

 川崎市の中心部が焼け野原となった「川崎大空襲」から15日で76年になる。毎年この時期に空襲の「記録展」を開いている市平和館(中原区木月住吉町)は今回、戦時下の市民生活にもスポットを当てた。「草の根」からもこの戦争に動員されていった仕組みをパネルなどで紹介している。(山本哲正)六郷橋付近から写した川崎区の当時(左)と現在の写真。手前が焼け野原になったことが分かる=中原区の市平和館で◆仕組まれた戦意...

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東京大空襲の実態を伝える展示会 王貞治さんの被災体験も紹介(2021年3月28日配信『NHKニュース』)

およそ10万人が犠牲になった、76年前の東京大空襲の被害の実態を資料や証言で伝える展示会が、東京・墨田区で開かれています。墨田区の資料館で開かれている、この展示会では、東京大空襲の状況を記した地図や当時の証言の資料など合わせて42点が展示されています。この中では、当時4歳で、墨田区に住んでいた王貞治さんが空襲にあったときの状況などが、パネルで紹介されています。母親に背負われて、姉と一緒に避難したときの経...

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“空襲被害者に給付金支給”法案まとめる 超党派議連(2021年3月14日配信『NHKニュース』)

太平洋戦争中の空襲などで心身に障害が残り、長年にわたって苦痛を受けている人たちを救済する必要があるとして、超党派の議員連盟は、1人当たり50万円を支給するとした法案をまとめました。戦時中に空襲などに巻き込まれた民間人の戦争被害者は国による補償の対象になっておらず、自民党や立憲民主党など、超党派の国会議員で作る議員連盟は、戦後75年以上が経過し被害者の高齢化が進む中で、早急に救済する必要があるとして法案...

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大阪大空襲から76年 91歳「最後の語り」活動半世紀で区切り(2021年3月12日配信『毎日新聞』)

スマートフォンでビデオ会議システムを使い、中学生に大阪大空襲の体験を語る久保三也子さん=大阪市福島区の自宅で2021年3月8日午後3時8分、園部仁史撮影 約4000人の命が奪われ、約50万人が家を失った第1次大阪大空襲から13日で76年。大阪市福島区の久保三也子さん(91)はこれまで小中学校などで600回以上、体験を語ってきた。しかし、高齢になり、病気もあって続けることが難しくなった。今年は、自身が代表を務めた「大阪大空...

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【動画あり】東京大空襲76年で法要、小池知事ら参列 新型コロナの影響で規模縮小(2021年3月10日配信『東京新聞』)

新型コロナウイルス感染拡大防止のため慰霊堂に入れず、外から法要を見る人たち 東京大空襲から76年となった10日、東京都墨田区の都慰霊堂で春季慰霊大法要が営まれ、参列した遺族ら約30人が平和を願う思いを新たにした。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、昨年に続き規模を縮小して行われた。 小池百合子知事は追悼の辞で「私たちには、戦争や災害の記憶を決して風化させることなく、次の世代へ語り継いでいく責任...

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東京大空襲の証言ビデオ 20年以上放置 300人超の証言が封印の恐れ 都平和祈念館計画凍結で(2021年3月10日配信『東京新聞』)

 東京都が記録した東京大空襲など戦争体験の証言ビデオ300本以上が倉庫に放置され、活用されない状態が20年以上続いている。当初展示予定だった「都平和祈念館(仮称)」の建設計画は凍結。都は別の方法での公開には「本人同意が必要」とする一方、意向確認は進めていない。10日で大空襲から76年。証言者が高齢化する中、「無責任」と批判の声が上がる。(岡本太)東京大空襲などの証言ビデオが保管されている都内の倉庫...

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「地獄なんだ空襲」(2021年3月10日配信『東京新聞』-「筆洗」)

 先日亡くなったテレビプロデューサーの鴨下信一さんが著書『昭和のことば』で、紹介していた曲を聴いてみる。覚えやすくて朗らかな曲調にかえって恐ろしくなる。曲は「なんだ空襲」(作詞・大木惇夫、作曲・山田耕筰)という▼1941(昭和16)年、戦意高揚を目的に作られた。後の歴史を思えばあまりに残酷な歌詞だろう。<警報だ、空襲だ それがなんだよ備へはできてるぞ><敵機何台来ようと平気だよ><持ち場持ち場にか...

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1人1人の人生想像してほしい…東京大空襲の犠牲者400人の名前、集会で読み上げへ(2021年3月6日配信『東京新聞』)

 一夜にして約10万人が死亡したとされる1945年3月10日の東京大空襲から76年を前に、空襲犠牲者1人1人の名前を読み上げる追悼集会が8日、東京都内で初めて開かれる。「一くくりにはできない、それぞれの人生を想像してほしい」と遺族らが企画した。(井上靖史) 集会の実行委員会は、空襲犠牲者の遺族らが国に謝罪と補償を求めた東京大空襲訴訟の元原告団と、その支援者たちで結成。当日は訴訟で公表された犠牲者名...

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恒久平和を誓う日としたい(2021年3月3日配信『秋田魁新報』-「北斗星」)

 東京都文京区と台東区にまたがる谷中、根津、千駄木エリアは古い建造物や街並みが残ることで知られる。通称「谷根千(やねせん)」。そぞろ歩きにはもってこいの場所だ▼ここに住んだ文豪夏目漱石らの足跡をたどったり、NHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」の主人公渋沢栄一の墓を探したり、古刹(こさつ)を巡ったり。何度訪ねても飽きることがない。古き良き下町風情は「東京の原風景」そのもの。谷根千にそうした雰囲気が残...

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空襲被害者援護法案が成立しないワケ 説得力に乏しい政府の言い分(2020年12月14日配信『毎日新聞』)

 東京大空襲訴訟で、敗訴を確定させた最高裁判所の前で抗議活動をする原告団。「死ぬまで闘い抜くぞ」と拳を突き上げた=東京都千代田区で2013年5月10日、栗原俊雄撮影 戦後75年の2020年が終わろうとしている。一方で、戦争で被害に遭った人たちの苦しみや闘いは続いている。たとえば、民間人の空襲被害者たちだ。75年間、政府に救済を拒まれてきた人たちは、立法による解決を求めて活動している。国会議員の有志が法案づくりを...

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うちに来る?「駅の子」育てたママの記録 びっしり245人、よみがえる戦争孤児(2020年12月7日配信『毎日新聞』)

1950年代前半に「愛児の家」の庭で子どもたちと遊び、笑みを浮かべる石綿貞代さん(中央)。「ママ」と慕われた=愛児の家提供「愛児の家」に保管されていた資料の一部=椋田佳代撮影 終戦から間もない東京で戦争孤児を引き取る活動を始めた女性がいた。上野駅に足を運び、地下道などに寝泊まりする「駅の子」と呼ばれた孤児に声をかけた。厳しい生活を送る子どもたちの母代わりとなり、いつしか「ママ」と慕われたという。一時期...

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空襲被害者補償、議連が法案要綱決定 特別給付金手続きの詳細など盛り込む(2020年10月27日配信『毎日新聞』)

民間人空襲被害者らへの補償問題について「戦後に残された大きな問題」などと話す元官房長官の河村建夫・空襲議連会長=東京・永田町の衆議院第2議員会館で2020年10月27日、栗原俊雄撮影 第二次世界大戦の空襲などで被害を受けた民間人らへの補償問題解決を目指す超党派の「空襲議連」(会長=河村建夫元官房長官)が27日、国会内で総会を開いた。特別給付金の認定方法や申請手続きなど事務手続きの詳細を新たに盛り込んだ法案要...

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「友よ安らかに」 空襲で犠牲の女学生 佐賀の高校生が27年ぶりの追悼式(2020年10月16日配信『毎日新聞』)

慰霊碑に手を添える川崎花笑さん(手前)と追悼式の開催を応援する生徒=佐賀県鹿島市で2020年9月30日午後1時3分、竹林静撮影 太平洋戦争中、学徒動員先で空襲の犠牲になった佐賀県立鹿島高等女学校(鹿島市、現・鹿島高)の学生たちを追悼する式典が24日、鹿島高で開かれる。学校に残る資料で当時のことを知った鹿島高2年の川崎花笑(はなえ)さん(16)らが戦争の記憶を継承しようと企画した。「亡くなった学生やその家族、同級...

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横浜大空襲、生存者が証言 「真っ暗な空、焼夷弾の雨」(2020年10月11日配信『共同通信』)

 太平洋戦争末期に米軍が大量の焼夷弾を投下し、3千人以上が死亡した横浜大空襲を生き延びた80代の男性2人が11日、横浜市内で開かれた会合で、「晴れていた空が真っ暗になり、焼夷弾が雨のように降った」などと体験を語った。 空襲は1945年5月29日、午前9時すぎに発生。7歳だった柳下寿雄さんは、横浜市の自宅の庭に掘った防空壕に避難すると、外から「ここにいたら危ないぞ」と怒鳴る声がした。熱風の中を逃げ、空襲が終わって...

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[10・10空襲から76年]記憶継承へ多くの課題(2020年10月10日配信『沖縄タイムス』-「社説」)

 沖縄本島や宮古、石垣、奄美大島など広範囲にわたって米軍の猛烈な攻撃を受けた「10・10空襲」からきょうで76年となる。 激しい空襲は早朝から午後まで波状的に続いた。 出撃した米軍機は延べ1396機。「晴天の空が曇るくらいの米軍機が空を覆った」と生存者は振り返る。 総量540トン超の爆弾が日本軍の飛行場や港湾施設にとどまらず民家や学校、病院にまで降り注ぎ、多くの住民の命が奪われた。国内で初めての大...

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PTSDを給付金対象に 超党派空襲議連総会 法案成立早く(2020年9月9日配信『しんぶん赤旗』)

与野党国会議員や空襲被害者が集まった空襲議連総会=8日、衆院第2議員会館 超党派の国会議員でつくる空襲議員連盟(会長=河村建夫自民党衆院議員)は8日、衆院第2議員会館で総会を開きました。空襲被害者特別給付金の対象として新たに、空襲等で心身の健康に影響を受け「精神疾患を有する者」を「空襲被害者特別給付金法」の法案骨子に加えることを確認しました。 空襲議連は2017年4月、空襲等で身体障害を負った被害...

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絵本『かわいそうなぞう』の深層意識 「猛獣処分」考(3)(2020年8月26日配信『共同通信』)

敵機に「戦争をやめろ」と叫ぶ荒唐無稽京都市動物園のアジアゾウ(2017年、筆者撮影) 戦時下の動物園における動物殺害、いわゆる猛獣処分では、上野動物園で飼育されていた3頭のゾウが殺された。上野動物園への動物殺害命令は1943年8月16日。翌日から9月にかけて14種27頭が殺されている。 殺害動物たちの慰霊法要が動物園で催されたのは9月4日だったが、リストアップされた殺害対象のゾウ3頭のうち、ワンリ...

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<つなぐ 戦後75年>空襲記録する会 50回大会 初のオンライン交流 発表やトークセッションなど(2020年8月26日配信『東京新聞』)

1971年8月、東京・新宿で開かれた第1回空襲・戦災を記録する会全国連絡会議=東京大空襲・戦災資料センター提供 太平洋戦争中の爆撃の資料や証言を集めてきた「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」の第50回大会が28〜30日に開かれる。新型コロナウイルスの感染拡大で、初のオンライン開催となる。 (橋本誠) 1945年3月の東京大空襲を体験した作家の早乙女勝元さんらが70年に「東京空襲を記録する会」を設...

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絵本『かわいそうなぞう』の空白 「猛獣処分」考(2)(2020年8月25日配信『共同通信』)

ゾウ殺害を命じた初代都長官とは記者団に語る大達茂雄。当時文相=1953(昭和28)年5月21日  戦時下の動物園におけるいわゆる猛獣処分のうち、上野動物園におけるゾウ殺しを扱ったロングセラー絵本『かわいそうなぞう』は、殺害の決定・命令者に一切言及せず、空白にしている。作者は、戦時下では動物殺害は不可避だったと考え、免責したのだろうか。それとも、子どもの絵本に、責任という観念を持ち込むのはそぐわない...

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絵本『かわいそうなぞう』の真実 「猛獣処分」考(1)((2020年8月24日配信『共同通信』)

絵本『かわいそうなぞう』の真実 「猛獣処分」考(1)戦争中、上野動物園で三頭のゾウが殺されました。これは本当にあった悲しいお話です。毎年終戦記念日に評論家の秋山ちえ子氏が平和への願いをこめてラジオで朗読し、テレビでも紹介された名作空襲はなかった。なぜゾウは殺されたのか東京・上野動物園で戦時中に殺害されたライオンの雌雄のはく製やゾウの牙(右)。東京の江戸東京博物館で2006年に展示された 太平洋戦争...

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「空からの災難」の責任は(2020年8月20日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 作家の野坂昭如さんは、地震避難に「火の始末身軽さと足もとの用心が第一」と書いた。関東大震災の教訓らしい。げた履きの鼻緒が切れると「硝子(ガラス)片(へん)などの散乱する道を歩けたものではない」と予備の必要性を説く▼焼跡闇市派の野坂さんは、当時の空襲の受け止めは「天変地異」で「空からの災難」と書いた。もちろん空襲は地震とは違う。「被害を少くするためのコツなんてものは、伝承しにくい」▼東京大空襲・戦災...

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「山の手空襲」で両親ら亡くし、差別にも苦しんだ87歳男性 国提訴し敗訴「戦死と何が違うのか」(2020年8月18日配信『東京新聞』)

疎開先で撮った父との最後の写真を手にする三宅駿一さん=東京都青梅市で(林朋実撮影) 忘れられない光景がある。太平洋戦争末期のある夜のことだ。三宅駿一さん(87)=東京都青梅市=は、疎開先の埼玉県児玉町(現本庄市)の寺で、戦時中の供出で鐘が外された鐘楼のはるか向こうに、赤い山のようなものを見た。一緒に疎開していた友人たちと「きれいだな」「あれ、東京が燃えているんじゃないか」と言い合った。(林朋実) ...

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大村の空襲調査 犠牲者数、火災戸数を冊子に(2020年8月17日配信『長崎新聞』)

空襲で被害を受けた柿の木を示す上野さん=大村市陰平町 戦時中、長崎県大村市にあった第21海軍航空廠(しょう)以外の大村の空襲被害について、福重郷土史同好会の上野盛夫さん(68)=野田町=が調査し、地区別にまとめた冊子「大村空襲の犠牲者数と火災戸数」(A4判、14ページ)を製作した。上野さんは「大村では21航空廠の空襲が注目されがち。ただ、空襲による被害は自分たちが住む地区でもあったことを、地域の子どもたちに...

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忘れられる空襲犠牲者 国の無策に批判(2020年8月15日配信『毎日新聞』)

福岡市社会福祉協議会に保管されている福岡市戦災死没者慰霊塔合祀者調査表=福岡市中央区で2020年8月11日午後2時35分、田鍋公也撮影 太平洋戦争末期に大規模空襲があった107自治体への調査で、空襲による死者のうち氏名を公的記録で確認できるのは6割にとどまった。戦後75年が経過して遺族の高齢化や資料の散逸が進み、戦争被害の全容解明は年々難しくなっている。死者の生きた証しを残そうと地道な調査に取り組む市民グループや...

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なぜ米軍は執拗に地方を空襲したのか 伊勢崎、名古屋に出撃した元米兵が振り返る75年前(2020年8月15日配信『東京新聞』)

オンラインでのインタビューで名古屋空襲などについて回顧するデービッド・フィッシャーさん 15日は終戦の日。75年前のこの日未明にかけてあった最後の空襲の1つとされる「伊勢崎空襲」(群馬県)や、その3カ月前、当時、国宝だった「名古屋城天守」を焼失させた名古屋空襲で出撃した米戦略爆撃機B29の元搭乗兵デービッド・フィッシャーさん(94)=米南部ルイジアナ州在住=が、本紙のインタビューに応じた。原爆投下...

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よみがえるあの日の戦慄…米爆撃機乗員親族から写真入手 「加治木空襲」後世に(2020年8月14日配信『毎日新聞』)

空襲を受ける鹿児島県旧加治木町(現姶良市)=今吉孝夫さん提供今吉孝夫さん=本人提供 太平洋戦争末期の1945年8月、鹿児島県旧加治木町(かじきちょう。現姶良市=あいらし)で28人が亡くなったとされる「加治木空襲」に巻き込まれ、旧制中学の同級生らを亡くしたさいたま市の元会社役員、今吉孝夫さん(88)が当時の空襲の瞬間をとらえた写真を入手した。空襲被害を後世に伝えようと記録や関係者を探し、ようやくたどり着いた...

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終戦前日「京橋大空襲」生き延びた96歳 孫、ひ孫に「語り続ける」(2020年8月14日配信『毎日新聞』)

空襲被災者慰霊祭で手を合わせる人たち=JR京橋駅南口で2020年8月14日午前11時23分、菱田諭士撮影 75年前の終戦前日、大阪市で500人以上が命を奪われたとみられる「京橋大空襲」。21歳の時に空襲に遭い生き延びた大阪府四條畷市の山本マスヱさん(96)は14日、JR京橋駅(城東区)で開かれた慰霊祭に孫や2人のひ孫と参列した。もし1日でも早く戦争が終わっていたら……。「戦争で亡くなった人のことを思うと、生き残ったのはつらい。...

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1万5000人が死亡した大阪空襲 語られてこなかった朝鮮人の被害体験(2020年8月13日配信『yahooニュース』)

太平洋戦争の末期、米軍が繰り返した大阪空襲。市街地は焼け野原になり、死者は約1万5000人に達した。当時、多くの朝鮮人も犠牲になったが、被災体験の記録はほとんど残っていない。なぜなのか――。空襲下を「日本人」として生き抜いた朝鮮人たちの「語られなかった戦争」に耳を傾けた。(文・写真:鈴木祐太/Yahoo!ニュース 特集編集部)“東洋のマンチェスター”だった大都市で大阪市北区中崎は、レトロな雰囲気の残る街として若者...

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空襲後、日本軍の高射砲の音 初めて「これでは負けると思った」(2020年8月12日配信『神戸新聞』)

女学校時代の記憶をたどる松本ヤスさん。「1、2年生は勤労奉仕の日々だった」=明石市■勤労作業と明石空襲を体験 兵庫県明石市の松本ヤスさん(88) 1931(昭和6)年、明石市に生まれました。教員だった両親の影響で明石女子師範学校付属小学校、そして44年に明石高等女学校(現明石南高校)へ進んだ。勉強したいと入った学校は、授業ではなく勤労奉仕の毎日でした。 戦時中の労働力不足を解消するため、43年に「学徒戦時動員体...

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「父亡くした悲しみ消えぬ」 鳥栖空襲時4歳の原武さん 慰霊祭継続を(2020年8月12日配信『西日本新聞』)

 終戦のわずか4日前に爆撃を受けた「鳥栖空襲」から75年を迎えた11日、佐賀県鳥栖市のJR鳥栖駅近くにある頌魂碑(しょうこんひ)前で犠牲者を追悼する慰霊祭が営まれた。幼少期に空襲を体験し、国鉄職員だった父を亡くした原武宏康さん(79)=同市弥生が丘=は毎年参列。過去には遺族の高齢化などで中止する話もあったが、「空襲を忘れないために、慰霊祭は続けてほしい」と訴えている。 宏康さんは、4歳の時に空襲に遭った。鳥...

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空襲被害者 救済の法整備急がれる(2020年8月9日配信『北海道新聞』-「社説」)

 先の大戦では戦場の兵士だけでなく、民間人にも多数の犠牲者が出た。中でも米軍の空襲で亡くなった人は50万人とも言われ、1945年7月の北海道空襲での死者は2900人以上を数える。 重い障害に悩まされたり、親を失い戦災孤児となったりして苦難の人生を歩んだ生存者も多い。 だが国は元軍人・軍属や遺族には恩給などを支給してきたが、民間の空襲被害者は置き去りにされた。被害者は長年、国に補償を求め裁判を闘った...

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「あの戦争」が過去へ過去へと遠ざかっていく(2020年8月4日配信『神戸新聞』-「正平調」)

 昨年亡くなったイラストレーター、和田誠さんに国民学校の回想記がある。戦中、昼食時の校内放送で「ブーン」という飛行機の音を聞かされた。続けて「ボーイングB17、高度3千メートル」との説明。それがずっと繰り返された◆空襲に備えて、敵機の音を聞き分ける訓練という。音を覚えてどうなるものでなし、全く意味がなかったと和田さんは振り返りつつ「恐ろしい」とも述べている。いつもこうやって「戦争」がたたき込まれた...

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舞鶴空襲と氷川丸(2020年8月3日配信『京都新聞』-「凡語」)

 戦前に建造された大型貨客船で、4年前に国の重要文化財となった船をご存じだろうか。日本郵船「氷川丸」。横浜市の山下公園桟橋に係留され、一般公開されている▼1930年に米国シアトル航路に就航し、喜劇俳優チャプリンも乗船している。太平洋戦争が始まると、海軍の病院船として南方戦線を往復。戦後は外地からの引き揚げ船に転じ、最後は北米航路に戻って60年に引退した▼今では横浜のシンボルとして親しまれるが、戦争末期に舞...

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「(焼夷弾が)直撃して即死」「(避難した)防空壕(ごう)で焼死」「一家全滅」…(2020年8月2日配信『山陽新聞』-「滴一滴」)

 戦後75年の夏、戦災資料を残していく大切さを考えさせられた。岡山市立中央図書館で今月30日まで「岡山市町別戦災調査資料」が展示されている▼岡山空襲(1945年6月29日)の翌年10月から5カ月間にわたり、市内各地の町内会長に聞き取り調査した記録である。被災の全体像を最も生々しく記したものだが、実際に目にした人は少ないのではないか▼大半が焦土と化した市街地で、320以上の町内会を訪ね歩いたのは1人の...

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水戸空襲から75年 過去への内省深めよう(2020年8月2日配信『茨城新聞』-「論説」)

 第2次世界大戦時に水戸市が米軍による大規模な空襲に遭ってから75回目の夏を迎えた。街が焼き尽くされ、多くの犠牲者を出した空襲の悲劇は水戸の歴史に深く刻まれている。 水戸市史によれば水戸空襲は8月2日午前0時31分に始まり、同2時16分に終わった。1時間45分の間に投下された爆弾は、市民1人当たりにすると約17キロ。罹災(りさい)戸数は全市戸数の約90%、罹災人数は全市人口の約80%に当たり、「水戸市はそのほとんどが焦土...

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長岡空襲75年 戦火の記憶語り継がねば(2020年8月1日配信『新潟日報』-「社説」)

 きょう1日は、長岡空襲から75年の節目だ。ウイルス禍により花火大会の開催は見送られたが、毎年花火に込めてきた慰霊と追悼の思いを胸に、悲劇の記憶を伝え、平和の大切さを改めて語り継ぐ日としたい。 1945年8月1日午後10時30分から2日午前0時10分にかけて、米軍のB29爆撃機125機が襲来し、16万発以上の焼夷(しょうい)弾が投下された。 市街地の8割が焼き尽くされ市中心部の平潟神社や神明神社の...

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繰り返してはならぬ時代(2020年7月23日配信『山陽新聞』-「滴一滴」)

 春ごろ、テレビから流れてきた街頭インタビューにハッとした。声の主は高齢の女性。「コロナ禍で大変ですけど、私は戦争を経験していますから。いいじゃないですか。家は残るのだから」▼ああ、そうだと75年前の戦時下の暮らしを思った。生活の全てが制約され、しかも家にこもっているだけでは済まない。敵機に家を焼かれ、目の前で家族や友人の命が奪われた▼岡山市中心部が焼失した岡山空襲(1945年6月29日)は本欄でも...

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空襲被害論じぬ国会 水江浩文(2020年7月9日配信『西日本新聞』-「オピニオン」)

 「民間被害者がなぜ放置され続けるのか。どうしても納得できない。(犠牲者は)B29が落とした焼夷(しょうい)弾だけでなく、国策を誤った日本政府にも殺されたと思っている」    ◇   ◇  通常国会が閉会した6月17日、太平洋戦争中の空襲被害者らでつくる「全国空襲被害者連絡協議会(空襲連)」が東京都内で記者会見した。 旧軍人・軍属には恩給や年金が支払われているのに対し、民間人は「国との雇用関係がない」など...

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岡山空襲75年 時代に応じた継承模索を(2020年6月30日配信『山陽新聞』-「社説」)

 岡山空襲からきのうで75年となった。太平洋戦争末期の1945年6月29日未明、岡山市を襲った138機の米軍のB29爆撃機が投下した焼夷(しょうい)弾により市街地の6割以上が焼失し、少なくとも1737人が亡くなったとされる。 冥福を祈り、不戦の誓いを新たにする機会としたい。そのために悲劇を語り継いでいかねばならない。 岡山市北区の岡山シティミュージアムでは、同市主催の「第43回岡山戦災の記録と写真...

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熊本大空襲から75年 91歳元教員ら証言集出版「次の世代に語り継ぎたい」(2020年6月30日配信『毎日新聞』)

発行する本を手に思いを語る上村さん=熊本市北区で2020年6月27日午後5時26分 熊本市で400人近くが犠牲になった1945年7月の熊本大空襲から75年の7月1日、同市の元教員、上村文男さん(91)らが証言集「戦後75年 熊本空襲の実相を後世へ」を自費出版する。自身も空襲で友人と自宅を失った上村さんは市民の被害や戦争体験を伝え続けてきた。「10年後は私も生きているか分からない。次の世代に語り継ぎたい」と話し、今回の出版を集...

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御真影(2020年6月22日配信『神戸新聞』-「正平調」)

 ずっと心に引っ掛かっている悲劇がある。1945年7月3日深夜の姫路空襲による大西要校長の死だ。城陽国民学校から天皇皇后陛下の写真「御真影(ごしんえい)」を避難させる途中に、焼夷(しょうい)弾の直撃を受けた◆兵庫県教育史は部下の手記を引用する形で状況を伝える。「ふるえる手に御真影をかき抱き、ひしと握られる。この手は死すともはなさじと思えるなり。恐れ多くも御真影を包みし白布はために真紅(しんく)にそ...

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岡山空襲の日(6月29日)に合…(2020年6月21日配信『山陽新聞』-「滴一滴」)

 岡山空襲の日(6月29日)に合わせ岡山市のシティミュージアムで「岡山戦災の記録と写真展」が開かれている(7月5日まで)。空襲による惨状や戦時下の生活を伝える展示品の中に大原美術館(倉敷市)の業務日誌がある▼空襲当日の1945年6月29日「雨 疎開荷を出す予定なりしが雨天の為止む」、同30日「晴時々曇 午後三時五〇分より疎開の絵を送り出す」―。名画を館外へ搬出した記載だ▼選ばれたのはエル・グレコの「...

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「祖父は無念だったと思う」福岡大空襲から75年…老舗店主が継ぐ遺志(2020年6月19日配信『西日本新聞』)

宗玖寺に安置されている洲崎地蔵尊(石村萬盛堂提供) 死者902人、行方不明者244人に上った福岡大空襲から19日で75年。犠牲者を追悼しようと、115年の歴史を誇る福岡市の老舗和菓子店「石村萬盛堂」の社長らが毎年この日に同市東区の宗玖寺(そうきゅうじ)を訪れ、「洲崎地蔵尊」に手を合わせている。地蔵を建立したのは、空襲で焦土と化した街を見た2代目社長石村善右(ぜんゆう)さん(享年71)。善右さんから息子へ、そして孫...

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「生きている限り恐ろしさ伝えたい」 福岡大空襲75年、寺院で慰霊祭 遺族ら焼香(2020年6月14日配信『毎日新聞』)

 慰霊祭で犠牲者の冥福を祈る参列者ら=福岡市中央区大手門3の円応寺で2020年6月14日午後2時30分 太平洋戦争末期の1945年6月、福岡市中心部で1000人以上の死者・行方不明者が出た福岡大空襲から75年になるのを前に、同市中央区の円応寺で14日、戦災死者慰霊祭が営まれた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で各地の戦災追悼行事が中止される中、地域の痛ましい記憶を後世に伝えようと空襲体験者ら約20人が参列。犠牲者の冥福を祈...

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現代っ子に「戦争」伝わる展示に 東京大空襲・戦災資料センター、若手研究者らでリニューアル(2020年5月8日配信『東京新聞』)

被災地図は2倍近い大きさになり、対象地区も広くなった=いずれも江東区で 軍国主義ってどういう意味?高射砲(こうしゃほう)って何?戦後75年の現代を生きる子どもたちが口にした素朴な疑問をヒントに、東京大空襲・戦災資料センター(江東区)が大規模なリニューアルを進めている。戦争の体験者が減っていく中、これからのセンターに求められる役割とは―。◆ピンとこない「学童疎開」焼夷弾の重さを体感できる展示について話...

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東京大空襲 「あの日」証言伝える 江東など新たな形の取り組み(2020年3月15日配信『東京新聞』)

空襲を知るための外国人向けツアーで、体験者の男性(右)と平和を祈り、折り紙を折るルーマニア人男性。中央は伊藤薫さん=江東区で 東京大空襲の被害が甚大だった江東区を中心に、高齢化する体験者の証言を聞き取り、発信する取り組みが続いている。「空襲を過去のことにせず、私たちの今の暮らしにもつながっていると知ってほしい」。紙芝居や町歩きなど新しい形で伝えるのが特徴だ。 「髪の毛が燃える、服が燃える、すべての...

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東京大空襲75年 各地で追悼集会 下町の惨状 忘れない(2020年3月11日配信『東京新聞』)

犠牲者追悼碑の前で、大空襲の体験を語る麻山貞枝さん(左)=台東区で 10万人の命が奪われた東京大空襲から75年となる10日、犠牲者を追悼する集会などが下町地域の各地で開催された。新型コロナウイルス感染拡大の影響で規模が縮小されたほか、あいにくの雨となったが、参加者らはあの日の東京の惨状に思いをはせ、平和への誓いを新たにしていた。 ◆台東・隅田公園 体験者が証言「最初に犠牲になるのは市民」 遺体が仮...

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東京大空襲に関する社説・論説集(2020年3月10日)

東京大空襲(2020年3月10日配信『北海道新聞』-「卓上四季」) 米国のケネディ、ジョンソン両政権で国防長官を務めたマクナマラはベトナム戦争に本格介入し、後に回顧録で「大きな誤りだった」と告白した。この悔恨の書には、ベトナム以外のことがほとんど触れられていない▼記録映画「フォッグ・オブ・ウォー」で、マクナマラは1945年3月、日本空爆作戦を指揮した司令官ルメイの下で働いたことを振り返っている。統...

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東京大空襲 きょう75年 体験の2人 船尾美津子さん(91)/足立原貫さん(89) /富山(2020年3月10日配信『毎日新聞』)

船尾美津子さん=東京都文京区で 死者10万人以上、約100万人もの被災者を出した東京大空襲から10日で75年。本紙富山面の連載「続・山の暮らしの中で」の筆者、船尾美津子さん(91)=東京都文京区小石川=と、2007~17年の10年間、本紙北陸ブロック面の連載「身の始末ノート」(計96回)で自らの半生をつづった「草刈り十字軍」運動の創始者、足立原貫(あだちはらとおる)さん(89)=富山市小羽=の2人...

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きょう、東京大空襲75年 「記憶ないが、傷痕はある」 70代「若年遺族」被害語る 浅草(2020年3月10日配信『毎日新聞』) 

空襲で亡くなった父と祖父の氏名を示しながら語る森田千恵子さん=台東区で 10万人が犠牲となった東京大空襲は10日で75年を迎える。幼いころに空襲で肉親を失い、当時の記憶がほとんどない「若年遺族」のトークイベントが8日、台東区の浅草公会堂であった。当事者の高齢化が進む中、空襲体験の後世への継承に向けた新たな取り組みだ。これに合わせ、東京空襲犠牲者遺族会(榎本喜久治会長)は、都が非公表としている犠牲者...

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Author:gogotamu2019
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