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望郷の八十八夜(2020年5月1日配信『北海道新聞』-「卓上四季」)

 初夏を感じさせる薫風の5月だ。きょうは立春から数えて88日目に当たる八十八夜。「八十八夜の別れ霜」は遅い霜を警告すると同時に、これを過ぎれば気候も安定してくることを教える

▼一年で最も気持ちの良い季節のはずが、新型コロナウイルスの影響で、多くの人が晴れ晴れしない日々を強いられている。外出自粛で帰省できない人、故郷で子や孫との再会を待ち望む人、双方にとって我慢の連休となった

▼唱歌にも歌われた茶摘みの最盛期を特別な思いで過ごした俳人がいる。「望郷の目覚(めざ)む八十八夜かな」と詠んだ村越化石さんだ。静岡県の茶どころで生まれた村越さんは16歳でハンセン病と診断され、古里を離れた。強制隔離で追われるように去った故郷を慕う心が切々と伝わる一句である

▼79歳の時、この「望郷」の句碑の除幕式に出席するため故郷を訪れる。実に、60年ぶりの帰郷だった

▼ハンセン病は戦後、特効薬が開発され、完治する病気となったのに、その後も誤った隔離政策が半世紀近く続き、元患者と家族は激しい差別にさらされた。感染症が差別や偏見と結びつきやすい典型的な例と言えよう

▼誰もが新型コロナウイルスの感染者となり得るにもかかわらず、ネットなどで感染者への誹謗(ひぼう)中傷がやまない。感染者への攻撃は、行動履歴調査への協力をためらわせ、感染を助長するだけでなく、社会に癒え難い傷痕を残す。




キャプチャ
「望郷に目覚む八十八夜かな」玉露の里にある村越化石句碑(藤枝市岡部町新舟)

村越化石 (俳人) 〈1922-2014〉

 村越化石(本名・村越英彦)は、大正11年(1922)12月17日、静岡県志太郡朝比奈村(現・藤枝市)新舟(にゅうぶね)に生まれました。16歳の時、ハンセン病罹患が発覚し、旧制志太中(現・藤枝東高校)を中退、離郷します。昭和16年、群馬県草津町の国立療養所栗生楽泉園(くりゅうらくせんえん)に妻と共に入園。死と隣り合わせの時期を過ごし、戦後、特効薬プロミンにより病が完治した後も、後遺症を抱えることになった化石の心のよりどころとなったのが俳句でした。

 昭和18年、ホトトギス同人の本田一杉(ほんだいっさん)に指導を仰ぎ、俳誌『鴫野(しぎの)』に入会、「栗の花句会」(現・高原俳句会)の浅香甲陽(あさかこうよう)の影響を受けます。昭和24年、大野林火(おおのりんか)の『冬雁』に感銘を受け、林火に手紙を送り「濱」に入会。以降、林火の教えを自身の魂に刻み続け、光を失った眼、自由のきかない身体にもかかわらず、魂の俳句を詠み続けました。その句作からいつしか「魂の俳人」と呼ばれるようになりました。平成14年、60年ぶりに故郷岡部町新舟に帰郷。実家に近い「玉露の里」に建てられた村越化石句碑除幕式に立ち会いました。

 化石の師・林火は、ハンセン病文学の三本柱として、「小説の北条民雄(ほうじょうたみお)、短歌の明石海人(あかしかいじん)、俳句の村越化石」をあげました。

「北条民雄や明石海人がハンセン氏病の悲惨さ、怖しさの中に命を終わったのに対し、化石にはその後の長い歳月があった。化石の特色はそこにある。いえば、民雄・海人の知らなかった無菌になってからの生きざまである」(大野林火「松虫草」より)

 群馬県草津の大自然の中で己の生を見つめながら句作に努めた化石は、蛇笏(だこつ)賞、詩歌文学館賞、山本健吉賞、紫綬褒章など多くの栄誉を受けました。

郷土博物館・文学館(藤枝市)➡ここをクリック

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特集「魂の俳人村越化石」広報ふじえだ2010年7月5日号 (PDF: 2.1MB)➡ここをクリック




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