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「生きている限り恐ろしさ伝えたい」 福岡大空襲75年、寺院で慰霊祭 遺族ら焼香(2020年6月14日配信『毎日新聞』)

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慰霊祭で犠牲者の冥福を祈る参列者ら=福岡市中央区大手門3の円応寺で2020年6月14日午後2時30分

 太平洋戦争末期の1945年6月、福岡市中心部で1000人以上の死者・行方不明者が出た福岡大空襲から75年になるのを前に、同市中央区の円応寺で14日、戦災死者慰霊祭が営まれた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で各地の戦災追悼行事が中止される中、地域の痛ましい記憶を後世に伝えようと空襲体験者ら約20人が参列。犠牲者の冥福を祈り、非戦を誓った。

 福岡大空襲は45年6月19日午後11時ごろから約2時間、米軍のB29爆撃機の編隊が福岡市中心部に焼夷(しょうい)弾を投下。死者・行方不明者は1146人に上った。円応寺のある簀子(すのこ)地区は特に被害が大きく、176人が犠牲になったとされる。

 円応寺の住職、三木和信さん(81)は空襲当時6歳。そのころ住職を務めていた父が出征していたため、母と命からがら近くの防空壕(ごう)に逃げ込んだ。本堂や仏像が焼け落ちた寺の境内に遺体が並べられていたのを今もはっきり覚えているという。地蔵の下には引き取り手のなかった遺体や、遺族が残した骨の一部が今も埋葬されている。

 父の後を継いだ三木さんらは毎年6月、空襲犠牲者の遺族らを招いて慰霊祭を開いてきた。今年は戦後75年の節目にもかかわらず、新型コロナウイルス感染拡大の影響で福岡市などが主催する追悼式が中止に。しかし三木さんは「遺骨を預かっている寺の使命」と方針を変えず、参列者の検温や手指のアルコール消毒などを徹底して執り行った。本堂であった法要では参列者が焼香し、手を合わせて犠牲者を悼んだ。

 空襲当時、実家が博多漁港近くで材木店を営んでいた井上禮子さん(90)=福岡市城南区=は周りの家や船が焼け落ちるのを目の当たりにした。例年、空襲体験を語っていた小中学校の平和学習に今年はコロナの影響で行けないが「生きている限り、あの恐ろしさを伝えていきたい」。家族の大半を亡くした樋口泰助さん(81)=同市南区=は「若い世代に私たちのような経験をさせてはならない」と話した。

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焼けた奈良屋国民学校(現・博多小学校)
 博多小学校は、冷泉(れいぜん)・奈良屋(ならや)・御供所(ごくしょ)・大浜の4つの小学校を統合して1998(平成10)年4月に開校した。
 当初は旧冷泉小学校の校舎・校地をそのまま利用し、この地(現:冷泉校舎)で開校したが、2001(平成13)年4月に旧奈良屋小学校の校舎・校地を全面改装して新築竣工した現在の新校舎へ移転した。新校舎にはメモリアルホールとして4つの小学校の記憶を残すコーナーを特別に設けている。






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