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沖縄戦終結75年 京都の女性が思い出す「恩人の兵隊さん」と甘いチョコ(2020年6月20日配信『毎日新聞』)

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戦時中の写真を前に沖縄戦の体験を語る小澤高子さん=京都市山科区で2020年6月9日

 沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で組織的戦闘が終結したとされる「沖縄慰霊の日」を迎える。8歳で沖縄戦を経験した京都市山科区の小澤高子さん(83)は、戦闘に巻き込まれた住民の死体が道にあふれ、負傷者がすがるように助けを求める中、家族で逃げた。捕虜収容所にも入れられた。あれから75年。思い出すのは、命を救ってくれた1人の日本兵と、投降時に米兵にもらったチョコレートの甘さという。

死体が無数に転がる道を…

 小澤さんは戦前に沖縄から多くの人が移り住んだサイパンで生まれた。戦況悪化を受けて5歳の時、祖父母と母、叔母と沖縄県兼城(かねぐすく)村(現・糸満市)へ引き揚げた。1945年春、米軍が沖縄に侵攻すると5人で自宅の防空壕(ごう)に避難した。艦砲射撃が激化し、大きなガマ(洞窟)に移った。

 300人が身を寄せ雑魚寝するガマは、じめじめして暗く、奥の方しか空いていなかった。日本軍が総攻撃に出る直前の5月3日、40度の熱で倒れた。薬は無い。母が頼ったのは、家に出入りしていた衛生兵の金野(こんの)英次さん(当時25歳、故人)だった。連絡を受けた金野さんは夜、「外出禁止」の軍紀を破って部隊を抜け出し、約2キロ離れたガマへ。将校を治療するための抗生物質を飲ませ、「生きて会おうね」と言葉をかけて戦列へ戻った。

 米軍が迫る中、一家はガマを出て、死体が無数に転がる道を南へと急いだ。「助けて」「水、水」。うめく人に足首をつかまれたが「ごめんね、ごめんね」とつぶやき、歩き続けた。

 「ナンニモシナイ、デテコイ」。ある日、ガマの外から米兵が叫ぶ声が聞こえた。母が一人外へ出て話をし、手投げ弾で自決しようとした親族たちを説得して投降した。米兵はチョコレートやガムを差し出した。「毒が入っている」。大人が疑うと米兵は食べてみせた。「ほっとした。あんなにおいしいチョコレートは、今も食べたことがない」

 結婚して3人の子に恵まれ、子育ても落ち着いた71年、金野さんの出身地、北海道の新聞に「探している」と投書した。金野さんは負傷したものの生き残り、大阪の私鉄に復職したと分かって26年ぶりに再会した。その後は何度も一緒に沖縄を慰霊のため訪れた。

 「私が知っている兵隊さんたちは優しくしてくれた。そんな兵隊さんたちを変え、殺し合いをさせるのが戦争なんです」




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