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鷗外忌 7月9日

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 軍医・小説家・評論家。1862‐1922(文久2‐大正11)。石見国津和野(現・島根県)生れ。名は林太郎、別号に鴎外漁史・千朶山房主人・観潮楼主人等。1881年に最年少で東大医学部を卒業。陸軍軍医としてドイツに留学、衛生学等を学ぶ傍ら文学・美術に親しむ。

 帰国後は公務の一方で評論・翻訳に力を注ぎ、また小説家としても活躍した。代表作に『舞姫』『山椒大夫』『高瀬舟』等がある。陸軍軍医総監・帝室博物館総長・帝国美術院院長。

 東京・千駄木団子坂上にあった「観潮楼」には家族とともに30年間、1922(大正11)年7月9日、60歳で亡くなるまで暮らした。

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鴎外の生家(津和野)



鷗外忌(2020年7月9日配信『南日本新聞』-「くろしお」)

 明治・大正期の文豪にしてエリート官僚。陸軍軍医総監にまで上り詰めた森鷗外。詩人の木下杢太郎(もくたろう)は彼を「百門の大都」と表現した。幅広く奥深い鷗外の文業を100もの門を持つ都市にたとえたという。

 きょうは鷗外忌。亡くなったのは1922年だ。鷗外と海軍軍医総監だった高木兼寛(宮崎市高岡町出身)が、将兵の脚気(かっけ)の原因をめぐり対立したのは有名な話。だが、2人の間にはもう一つ対立があった。衛生面からみた東京の都市改造計画をめぐってだった。

 白崎昭一郎著「森鷗外―もう一つの実像」によると、1886年ごろ日本に数多くあった長屋が衛生上よろしくないとなった。兼寛は3、4階建ての高層建築を増やせば必然的に地価は上がり、長屋住まいの者は郊外に出て行くと主張。これに異を唱えたのが鷗外だった。

 鷗外は、ドイツで「日本家屋論」と題した講演を開催。そこで「東京で一戸に住む人の数はロンドンのそれの半分である」とした上で、死亡率(一定期間中に亡くなった人の総人口に対する割合)は東京の方が低いと指摘。長屋自体が衛生上の問題ではないと述べ、暗に兼寛の論を批判したという。

 著者の白崎さんは「鷗外の論拠に疑問あり」としているが、この”論争”は図らずも今でいう「密」がテーマとなっている。今やその東京は、どこもかしこも密になり、その中で当時はなかった新型のウイルスが跋扈(ばっこ)している。鷗外が見たらどう思うだろう。



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森鷗外記念館(津和野)






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