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準強制わいせつに問われた乳腺外科医は、どうして逆転有罪判決になったのか。【女性患者側弁護士が解説】(2020年7月22日配信『ハフポスト』)

泉谷由梨子

準強制わいせつ罪に問われた乳腺外科医の控訴審で、7月13日、東京高裁は医師に対して逆転有罪(懲役2年)の判決を出した。

この裁判は、東京都足立区の病院で2016年、手術後の女性患者の胸を舐めるなどのわいせつ行為をしたとして医師が罪に問われたことをめぐって争われ、一審は無罪、次の高裁では有罪という反対の結果が出た。医師による診察の際のルールづくりや、医療行為と「冤罪」の関係など、裁判が投げかけている問いは多い。

そんな中、控訴審から女性患者側の弁護士として参加している川本瑞紀弁護士がハフポスト日本版に寄稿した。男性医師側の主張を紹介しながら裁判を振り返るとともに、川本弁護士の寄稿を紹介したい。

そもそも、どのような裁判なのか

男性医師は2016年5月、働いていた東京都足立区の病院で、女性の手術を行った。執刀後、全身麻酔からめざめた女性の乳房をなめるなどしたとして、準強制わいせつ罪で起訴された。

だが2019年2月の一審の東京地裁は、女性患者の証言の信用性を疑問視し、DNA型鑑定の証明力も「十分とはいえない」として無罪判決を言い渡した。

具体的には、▽被害を訴えた女性患者は手術時の麻酔の影響により、現実と幻覚の区別がつかない、せん妄の疑いが排除できないこと▽物的証拠となったDNA、アミラーゼ鑑定の手法に問題があることなどから「事件があったとするには合理的な疑いを差し挟む余地がある」――などの理由だった。

ところが、次の東京高裁では逆の結果の有罪判決がでた。手術のあとに女性の状態が「覚醒良好」とされていたことや、知り合いに助けを求めるLINEを送っていたことなどから、女性にせん妄に伴う幻覚はなかったと判断。科学鑑定も証言の信用性を補強する証明力があるとしたからだ。

男性医師側の弁護団は「非科学的な裁判」であり、冤罪だと訴える。

高裁の逆転有罪判決を受けて、医師側の弁護団は判決後に記者会見を開き「あまりに非常識で非科学的な裁判」であり、冤罪だと訴えた。

医師の立場からも同情する声が多数上がり、日本医師会の中川俊男会長も7月15日の定例記者会見で「震えるほどの怒りを覚えた」とし、医師会として「全力で支援」すると表明している。麻酔科医でもある今村聡副会長は、せん妄などによって、患者が現実と幻覚の区別がつかなくなることは起こりえるなどと説明し、「もし、このような判決が確定すれば、全身麻酔下での手術を安心して実施するのが困難となり、医療機関の運営、勤務医の就労環境、患者の健康にも悪影響を及ぼすことになる」と指摘した。

一方、女性患者側の川本弁護士は「長引く裁判や被害者へのバッシングが起きていることで、被害者はつらい日々を過ごしている」とし、ハフポスト日本版に文章を寄せた。以下に全文をそのまま紹介する。


【はじめに】

乳腺外科医が、手術後、術後の診察を受けるものと思ってベッドに横たわっている女性患者の服をめくって、左胸を舐めたか否かが争われている準強制わいせつ事件について、7月13日、高裁で、懲役2年の有罪判決が出た。

一審は無罪判決だったので、驚いた人も多かろう。「被害者の供述だけで有罪になるなんて、怖くて診療することができない!」という医師の悲鳴も散見された。

高裁判決後、弁護団は記者会見を開いて、自分たちの主張の正当性を述べている。被告人・弁護人の立場からの意見が知りたい方は、ネットニュースや、弁護人のブログをご覧いただきたい。

私は、被害者の立場から、地裁と高裁で判決が分かれた理由を述べる。

【刑事裁判の事実認定のルール】


検察官は、公訴事実につき、合理的な疑いを入れない程度に立証しなければならない。他方、弁護人は、検察官の立証を崩せば無罪となる。

手術後に執刀医が病室に入ってくれば、術後の診察をするのが普通であり、患者は抵抗しようとは思わない。この件では「抗拒不能」は争点ではない。

争点は、ただひとつ、当該医師が、被害者の左胸を舐めたか否かである。

この件は、14時55分に看護師が病室に入ってきており、15時12分には、被害者が上司に「たすけあつ」「て」「いますぐきて」とLINEメッセージを打っている。検察官と弁護人は、この17分の間にあった出来事をについて争っているのである。

【一審での攻防】

検察官の主張


この事件で、検察官は、被害者が麻酔の影響で意識が朦朧としていたことを「抗拒不能」としているのではない。医師の診察だと思っていたことを「抗拒不能」だとしているのである。

つまり、検察官は、起訴段階から、事件当時、被害者には意識があったと認識している。被害者に意識があったことを前提とすると、被害者の供述を立証の柱の中核とするのが普通である。

人の供述を立証の中核にする場合、客観的証拠で可能な限り裏付けをするのが、セオリーだ。供述証拠は、犯罪の一部始終をつなげるストーリーとなるが、「認識できなかった」「忘れた」「言い方に癖がある」などのデメリットもある。このデメリットを、客観証拠で裏打ちしていく必要があるのだ。

この事件では、検察官は、被告人の唾液が被害者の左胸に多量に付着したと主張し、被害者供述の裏付けにしようとした。そして、「唾液が多量に付着した」ことの証拠として、被害者の左胸を拭いたガーゼから、被告人のDNAとアミラーゼが検出されたことと、それらの量が多かったことを用いようとした。

検察官の立証構造を整理すると(1)信用性ある被害者供述と、それを支えるための(2)被告人の唾液が被害者の左胸に多量に付着したことの2要素となる。

(2)は、付着物から、被告人だけのDNAが検出されたこと、DNA定量検査結果が1.612ng/μlと多量であったこと、アミラーゼ活性が高かったことの3要素に分解される。

弁護人(男性医師側)の主張

これに対し、弁護人は、被害者が、術後覚醒時せん妄の状態あり、幻覚をみた可能性があることを主張して(1)被害者供述の信用性を崩そうとした。

(2)につき、弁護人は、DNAの定量検査を行った科捜研の研究員が、検査後の試料を捨てたこと、検査過程を鉛筆書きで記録していたことを挙げ、研究員による改ざん・ねつ造の可能性があると主張した。

また、被告人が手術前の説明時にマスクをしなかったこと、手を洗わずに触診をしたことを主張し、触診などから、「舐める」以外の理由で、左胸に唾液などの体液が付いた可能性を主張した。そして、弁護人は、その主張を裏付けるために、触診実験・飛沫実験を行った。

地裁の結論

17分間に起こったことを巡り、一審では、被害者・被告人を除いて、実に23人の証人尋問が行われた。その中には、せん妄に関する専門家証人として、麻酔科医、精神神経専門医などが含まれていた。

地裁は、被害者が、麻酔覚醒時のせん妄の影響を受けていた可能性があるとして(1)事件に関する被害者供述の信用性を低いと判断した。

他方で、(2)のうち、DNAの定量検査の信用性を肯定し、DNA型鑑定・アミラーゼ鑑定の結果として、被告人の唾液が付着した可能性があることも、認定した。

しかしながら、「舐める」以外の理由で、左胸に唾液が付いた可能性があるということを理由に無罪判決をした。

【時系列】

地裁の判決までに行われた証人尋問や、カルテ、LINEメッセージなどの客観証拠により、麻酔薬投与からの時系列も明らかになったので、高裁判決の検討をする前に整理しておこう。

13:37 麻酔薬投与開始

14:00ころから14:32ころ 右乳腺腫瘍切開手術

14:42ころ 麻酔薬投与終了

(被害者が「ふざけんな。ぶっころしてやる」と言ったと、看護師が証言)

14:45 被害者が病室に入った。

14:55 「術後覚醒良好だが、創部痛強く、14:55ロビオン投与」というカルテの記載

(被害者がナースコール)看護師が入室。被告人が退室。

15:12 被害者が「たすけあつ」「て」「いますぐきて」と上司にLINEメッセージを送信

(被害者の胸に唾がべっとり付いていて気持ち悪かったと、被害者が証言)

(15:15 「ここはどこ」「お母さんどこ」と被害者が言ったと、看護師が証言)

15:22 「先生にいたずらされた」「麻酔が切れた直後だったけどぜっいそう」「オカン信じてくれないた」「たすけて」と被害者がLINEメッセージを送信

15:30 被害者は、看護師に対し、被害を訴えた。看護師が清拭を提案したが被害者が拒否

17:30 医師が被害者の退院を指示 → 被害者退院。

※被害者は、14時55分から15時12分の間に、2度わいせつ行為を受けたと証言している。

※被告人が二度病室に出入りしたことについては、被告人・被害者・看護師ら複数の証人の供述が一致している。

※カルテを書いた看護師は、地裁の証人尋問で「覚醒良好というのは意思の伝達ができて目が開いていることです。」と証言した。

※ カルテを書いた看護師は、地裁の証人尋問で「14:55『術後覚醒良好だが、創部痛強く、14:55ロビオン投与』というカルテの記載は、手術当日の18時から19時ころに書いた」旨を証言した。

※()内は、証言に裏付けがなく、言った言わないの争いがある部分である。

【高裁での専門家証人】

二審では、せん妄に関し、検察官側・弁護人側それぞれから専門家証人が出廷した。

検察側証人となった精神科医の井原裕医師は、昔は、せん妄の概念は狭かったが、現在は、低活動型せん妄も、せん妄の概念に含んでいる。被害者が、事件当時せん妄であったとしても、幻覚を伴う型ではないと、証言した。

井原医師は、被害者が15時12分にLINEメッセージを送信したことにつき、スマートフォンを探し、LINEアプリを開いて、宛先を探し、文を打つという複雑な過程をたどること、合理的・合目的的行為であることを理由に、幻覚に基づくものではないと述べた。

この井原医師は、獨協医大埼玉医療センターこころの診療科の診療部長であり、精神科医として麻酔の影響によるせん妄の臨床経験を豊富に持っている。

そして、井原医師は、一審無罪の根拠となった小川鑑定の根拠となる研究は、ホスピスや癌患者に対して行われており、既往症のある、高齢の患者が中心である。既往症があること・高齢であることは、せん妄の準備因子である。しかしながら、この件は、既往症はなく、年齢も当時31歳と若いので、小川鑑定の基礎となる研究が妥当しないと証言した。

二審で弁護側(男性医師側)の専門家証人となった大西医師は、せん妄による幻覚が、どれほどリアルであるかを証言したが、まさに、既往歴のある、高齢の患者の診療経験を基にする証言であった。

そして、大西証人は、せん妄の途中に電話をかけた患者の例を挙げ、被害者がLINEメッセージを打った行為は、自転車に乗るのと同じ、手続記憶であるから、幻覚の最中にすることができると述べた。

【せん妄に関する高裁の判断】

一審で明らかになった事実では、「術後覚醒良好だが、創部痛強く、14:55ロビオン投与」との記載がカルテにあり、このカルテを書いた看護師の証言によれば、「覚醒良好というのは意思の伝達ができて目が開いていること」である。弁護人は、判決後の記者会見において、このカルテの記載は、被害者退院後にまとめて書いたものだと、信用性を否定している。たしかに「退院後」なのは事実であるが、被害者は手術当日に退院し、看護師がカルテを記載したのも手術当日であることは、記者会見では触れられていない。

14時55分から15時12分の間に、被告人が2度病室に出入りしたことについては、被告人・被害者・看護師ら複数の証人の供述が一致している。

この間に、被害者は、2度わいせつ行為を受けたと証言している。

高裁は、この時系列を基に、被害者が受けた2回のわいせつ被害がせん妄であるとすると、被害者は17分のうちに、「被告人がベッド脇に来た時には覚醒していたが、その後、せん妄に陥って性的幻覚を見、被告人が退出する際に再び覚醒する」ことを、2回繰り返したことになる。被害者が、15時12分にLINEメッセージを送信することができたことに照らすと、このような短時間のうちに、覚醒と幻覚が交替して出現することは、にわかに考えがたいと判断した。

確かに、一審二審を通じ、検察官側・弁護人側から出廷した専門家証人のいずれの証言をとっても、これだけの短時間のうちに、覚醒と幻覚が交替して出現する可能性について証言した者はいなかった。

井原証言は、被害者が事件当時せん妄による幻覚に陥っていなかったとしており、この証言が最も客観的事実に整合することになる。

高裁は、井原証言の信用性を高く評価し、結論として、被害者が、事件当時せん妄に陥っていたことはないか、仮にせん妄に陥っていたとしても、せん妄に伴う幻覚は生じていなかったと認定した。これにより、(1)被害者供述は、信用性あるものとなった。

なお、弁護人は、せん妄について研究している大西証人の証言を高裁が排斥したことをもって、専門家への冒涜だとまで非難している。しかしながら、大西証人も、せん妄が1日の中で重症度が変化することを証言するに留まり、わずか17分のうちに覚醒と幻覚が交替する例には言及していない。高裁は、わずか17分のうちに被害者が二度覚醒したことは間違いないという客観的事実に整合することを証言した証人を評価したまでのことである。

【DNA定量検査に対する高裁の判断】


DNA定量検査によれば、被害者の左乳首付近から採取された付着物から、検出された被告人のDNAの量は、1.612ng/μlと多量であった。

弁護人は、科捜研の研究員が、検査後に試料を廃棄したこと、検査の過程を鉛筆で記録し、消しゴムの跡があることなどから、改ざん・ねつ造の可能性があると主張した。

しかしながら、STAP細胞の発見ならともかく、科捜研の研究員に検査結果を改ざん・ねつ造する理由はない。この研究員は、年間800検体のDNA型鑑定を行っており、DNA型研究者の資格も持っている。この事件の鑑定も他のDNA型検査と同様の手順で行っており、消しゴムの跡がある部分も結論に影響がないとして、地裁ですら既に、検査結果に信用性を認めている。

なお、報道では、研究員が、保管物を廃棄してしまったことから、再検査が不可能であるかのように書かれたものもあった。しかしながら、この研究員は、警察から提出されたガーゼ片の2分の1を鑑定に用い、残る2分の1は返却した。

そして、2分の1のガーゼ片から50μlの抽出液を作り、うち0.6μlを用いて2回検査をして、1.2μlを使用し、鑑定後に、残量48.8μlを廃棄した。弁護人は、これにより再検査が不可能であると主張している。

しかしながら、ガーゼ片そのものの2分の1は、まだこの世に存在している。これは、研究員の証人尋問の際、公開法廷で述べられていることである。この研究員の名誉のためにも、今一度明らかにしておきたい。

【「舐める」以外の方法で、被告人の唾液が被害者の左胸に付着するのか】

では、地裁で無罪となった最大の理由。「舐める」以外の方法で、被告人の唾液が被害者の左胸に付着するのかを検討する。

アミラーゼは、汗など他の体液にも含まれるが、唾液に最も多く含まれている。付着物のアミラーゼ活性が、他の体液の付着では説明がつかないほど高いことから、地裁も高裁も、被告人の唾液が被害者の左胸に付着していたことは認定している。

被告人は、ほかの医師と2人で、手術前の説明と、触診を行った。しかし、被害者の左胸から検出されたDNAは、被告人1人のものであった。被害者の胸を拭いたガーゼなのに、被害者のDNAすら検出されなかったのである。

弁護人は、地裁段階で、触診実験・飛沫実験の結果を出し、「舐める」以外の方法で唾液が付着する可能性を立証した。しかし、触診実験で付着したDNA量は、左胸から採取したDNA量の18.5分の1にすぎなかった。また、飛沫実験で採取されたDNA量と、左胸から採取したDNA量には、約642倍の差がある。

高裁は、これを、被害者証言の裏付けをするのに十分な差と捉えた。

そして、懲役2年の有罪判決を言い渡した。

【結論】

つまり、地裁では、「舐める」以外の理由で、左胸に唾液が付いた可能性があるから無罪となったのに対し、高裁では、「舐める」以外の理由で、これほど多量の唾液が付着する可能性が低いと判断したから有罪となった。

唾液の「量」に着目したか否かが、地裁と高裁の判断を分けたのである。

決して被害者の証言だけで有罪となったのではない。

カルテの記載、23人もの証人尋問の結果、検出されたDNAとアミラーゼの量に裏打ちされて、被害者の証言が信用されたのである。

【裁判が問いかけているもの】

この判決に対し「被害者証言だけで有罪になるなら医師は怖くて診療できない」という意見を多数みた。

しかし、検察庁も裁判所も「医師が診療行為に際して、わいせつ行為などしないであろう」という感覚はもっている。この件でも、もしも、被害者の左胸から、被告人のDNAが検出されなければ、起訴されることも危うかった。

被告人は、ニキビを潰したあと手を洗わなかった、手術前にマスクをつけずに手術の説明をしたなどと、被害者の胸に「舐める」以外の方法でDNAが付着した可能性を主張している。

この件がなお、被害者のせん妄により無実の医師が有罪となったと危惧される医師は、厚生労働省医政局が平成17年2月1日に出したを遵守していただければよい。院内感染を予防するための標準的な予防策をとれば、通常ならば、証拠になりうるほどの医師のDNAは検出されないのである。

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川本瑞紀弁護士

早稲田大学卒業
2006年司法試験合格。2008年弁護士登録。第一東京弁護士会所属。
第一東京弁護士会犯罪被害者に関する委員会・委員
犯罪被害者支援弁護士フォーラム(略称VSフォーラム)会員
性暴力救援センター東京(SARC東京)理事
一般社団法人Spring法律家チーム

著書(共著)
「ケーススタディ 被害者参加制度 損害賠償命令制度」 東京法令出版
「犯罪被害者支援実務ハンドブック」東京法令出版
「死刑賛成弁護士」文春新書

論文(犯罪被害者関連)
「強姦神話という迷信」捜査研究2018年8月号




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Author:gogotamu2019
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