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繰り返してはならぬ時代(2020年7月23日配信『山陽新聞』-「滴一滴」)

 春ごろ、テレビから流れてきた街頭インタビューにハッとした。声の主は高齢の女性。「コロナ禍で大変ですけど、私は戦争を経験していますから。いいじゃないですか。家は残るのだから」

▼ああ、そうだと75年前の戦時下の暮らしを思った。生活の全てが制約され、しかも家にこもっているだけでは済まない。敵機に家を焼かれ、目の前で家族や友人の命が奪われた

▼岡山市中心部が焼失した岡山空襲(1945年6月29日)は本欄でもしばしば取り上げているが、知人の言葉に不明を恥じた。「7月24日にも岡山で空襲があったことを知っていますか」

▼県南一帯で通学中の生徒らを乗せた列車をはじめ、船舶、工場などが機銃掃射や爆弾を受けた。襲来したのは米国と英国の空母から飛び立った艦載機だった。県内の死者は44人。約2千人とされる岡山空襲に次ぐ犠牲者を出した

▼「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」事務局長で米軍資料を分析している工藤洋三さんによると、「7・24」空襲は日本本土への侵攻を前に行われた。残る輸送施設などの破壊が目的だった

▼日本の敗戦は必至の状況だったが、当時の合同新聞(山陽新聞の前身)には冷静な戦況分析などあるはずもなく、国民を鼓舞する見出しが並ぶ。「負けるものか」「来るなら来い」。繰り返してはならぬ時代である。



原爆に「ピカ」と振る東京の追悼碑(2020年7月23日配信『中国新聞』-「天風録」)

 8時15分と11時2分。朝、広島と長崎の原爆投下時刻に水がそばから噴き出し、ぬれる石碑が東京にある。江戸川区の滝野公園に立つ原爆犠牲者追悼碑。水を求めつつ息絶えた犠牲者を思ってのことだという

▲約2メートル四方の自然石には花をくわえたハトと母子の姿。区内の被爆者でつくる親江(しんこう)会が「原爆の図」を描いた丸木位里(いり)、俊(とし)夫妻に下絵を頼むと、思わぬ条件が付く。「皆で彫りなさい」と。のみで代わる代わる彫った約40年前の跡から思いが伝わる

▲コロナ禍を受け、都内では小中学生の被爆地派遣が相次いで中止となり、追悼行事も縮小を迫られている。被爆75年の節目だというのに、もどかしくてならない

▲親江会会長の山本宏さんには被爆70年が転機だった。被爆体験は、戦後生まれの弟で「ミスター赤ヘル」の浩二さんにも隠していた。70年ぶりで広島を訪ねた時、その様変わりに「いま話しておかねば、記憶が消えてしまう」と焦りが募ったらしい

▲滝野公園で先ごろ営まれた追悼式で、山本さんは漢詩「原爆少女の像」を吟じた。石碑の向こうにある広島や長崎に向かって。碑文にはこんな一節も見える。〈原爆(ピカ)は人が落とさなければ落ちてきません〉

キャプチャ
絵は丸木位里・俊夫妻が下絵を描き、40日をかけ、子供から大人まで多数の参加者がひとノミずつ彫っていった。

キャプチャ2
追悼碑のまわりには広島・長崎両市から寄贈された「原爆瓦の碑」があったり、広島市の「クスノキ」、長崎の「ナンキンハゼ」が植えられていたりと、被爆地とのつながりを強く感じられる場ともなっている。

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Author:gogotamu2019
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