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映画「ドキュメンタリー沖縄戦」ナレーターの宝田明さん 自身の壮絶な戦争体験を重ね(2020年7月24日配信『産経新聞』) 

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自身の戦争体験や作品について語る宝田明さん(水沼啓子撮影)

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映画「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」の場面写真

 今年は戦後75年。昭和20年3月、米軍が沖縄に上陸して始まった「沖縄戦」を、生き残った住民の証言などで描いた映画「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」(太田隆文監督)が今月25日に公開。本編のナレーターを務める俳優の宝田明さん(86)は、自身も満州(現中国東北部)ハルビンで壮絶な戦争体験をしている。宝田さんに戦争や作品に対する思いを聞いた。(水沼啓子)

 宝田さんは、満州で終戦を迎えた。ほどなくしてソ連軍が侵攻。ハルビン駅近くに停車する列車に近づいたときソ連兵に突然、右腹をダムダム弾で撃たれた。2、3日すると鉛毒で傷口の化膿(かのう)がどんどんひどくなった。

 近くに住む元軍医が火にあぶった裁縫用ハサミで傷口をザクザクと十字に切り、麻酔なしで弾丸を取り出すという荒療法で命を取り留めた。「死ぬ思いでした。今でも雨期が近づくと傷口が痛むんですよ。腹に中央気象台の分室があるようなもの」と苦笑いする。

 また、同じ満鉄の社宅に住む日本女性が買い物帰りに2人のソ連兵に乱暴される現場を目撃したことも。「その奥さんはその後、半年ほどして日本に帰ることになったんですが、博多に上陸するまで精神状態は錯乱したままだった」という。

 「今もロシアの映画やバレエは、吐き気をもよおすほど許せない気持ちが湧き起こるので見たくない」と身体の傷だけなく、心に負った傷も決して癒えることはない。

そんな壮絶な戦争体験を、長い間「役者は右でも左でもなく、中庸でないといけない」と封印してきた。しかし「戦争がだんだと風化されていく」ことに危機感を募らせ、10年ほど前から積極的に語るようになったという。

 「戦争の話をすると『古い話だよ』と一笑に付されることがある。ぼくは『何を言っているんだ。長い人類の歴史の中でほんの半ページぐらい前の出来事ではないか』と憤慨するんですよ」と怒りを込めた。



 作品は日本軍=悪という紋切り型で描かれているものの、沖縄の人々を襲った悲劇を十分に伝える内容になっている。

 作品を見て、「締め付けられる感情を抑えることができなかった」と涙した。「僕自身、小学校6年生まで満州で暮らし、ソ連軍の占領下で多くの日本人が殺されたり、ソ連兵の銃撃を受けて死線をさまよったので、形こそ違え同じような苦労をした方々に対して、より感じるものがあった」と話す。

 作品に登場する生き残った12人の証言は、生々しく衝撃的だ。「フィクションで作られたものではなく、ドキュメンタリーですからね。悲しみをぐっとこらえながら語っている姿が痛々しかった」と心を締め付けられたという。

沖縄戦の悲惨さについては、自身が出演した作品の舞台挨拶(あいさつ)で沖縄を訪れたときに地元の人から話を聞いたり、慰霊碑を訪れたりして、以前から知っていたという。

 「『ひめゆりの塔』では喉を絞めつけられる思いがした。霊気が漂っているというか、御霊(みたま)がまだそこにいる。戦争のむごたらしさを感じた」と振り返る。

 太田監督から本編のナレーションをやってほしいと依頼されたとき、「戦争や沖縄に対する思いは、機会があるごとに講演などで話をしてきたので、二つ返事で『やらせていただきます』と引き受けた。よくぞ私に白羽の矢を立てていただいたという気持ちだった」と明かす。

 最後に、「この作品は若い人たちにぜひ見てほしい。中学や高校の映画鑑賞の時間としてカリキュラムの中に入れてほしいと思うぐらいだ。十代の彼らの心にどう響くのか。どう映るのか。それを期待したいですね。戦争というものを正しく見つめる目を養ってほしい」と語った。



 7月25日から東京・K’s cinemaで、8月1日から大阪・第七藝術劇場で全国順次公開。1時間45分。



 宝田明(たからだ・あきら)さん 昭和9年、日本統治下の朝鮮(現北朝鮮)で生まれ、南満州鉄道(満鉄)の社員となった父に伴い、少年時代を旧満州で過ごす。29年に俳優デビューし、「ゴジラ」に初主演。出演作はおよそ130本に上る。



反戦の思い、声震わせ 映画「ドキュメンタリー沖縄戦」 ナレーションの宝田明語る(2020年7月24日配信『東京新聞』)

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 第2次大戦末期の1945年、沖縄では壮絶な地上戦があった。死者は日米両軍、一般住民を含め約20万人。この凄惨(せいさん)な戦闘や住民の苦しみを、当時の映像や体験者らの証言などで構成する映画「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」(太田隆文監督)が25日から、東京・新宿ケイズシネマで公開される。ナレーションを務めたベテラン俳優の宝田明(86)は「戦争の悲惨さを知る自分が平和の大切さを伝えるのは使命」と語る。 (竹島勇)

 激しい空襲、集団自決の記憶を語る女性…。壮絶な戦闘を伝える映像に、それまで冷静だった宝田のナレーションは震え、トーンが高くなる。

 なぜ子どもたちが死なねばならなかったのか。なぜ親は愛する子どもを殺さなければならなかったのか。私たち大人は子どもたちに何を伝えればいいのだろうか。同じ悲しみを繰り返さないためにも−。

 宝田は「淡々と語るべきでしたが、ほとばしるように言葉が出た」と振り返る。それは自身の戦争体験と思いが直結するからだ。1934年生まれ。父親が満州(現中国東北部)の国策会社、南満州鉄道に勤務し、45年の終戦前後はハルビンにいた。

 45年8月9日、ソ連(当時)が日ソ中立条約を一方的に破棄して満州に侵攻。宝田は、1人で歩いていた日本人女性がソ連兵2人に性的暴行を受けるのを目撃し、自身も脇腹に銃撃を受けた。病院は機能停止状態で、知人の元軍医が裁ちバサミを焼いて消毒し、麻酔なしで銃弾を摘出。激痛で失神した。こうした想像を絶する苦しみを重ね「反戦の思いを形づくった」という。

 宝田の起用について、太田監督は「ナレーションも戦争体験がある人でないと」と語る。宝田が「太平洋の嵐」など、戦争を描いた映画に出演してきたことを挙げ、「それらの経験が沖縄戦をリアルに伝えてくれると考えた」と説明する。

 日本へ引き揚げ後、宝田は東宝ニューフェースに選ばれ「ゴジラ」などに出演。スターとして活躍した。56、58年には出演映画の宣伝で沖縄を訪れ、「ひめゆりの塔」で知られる少女たちの悲劇や、日本兵が民間人に壕(ごう)から出るよう迫ったという話などを聞きショックを受けた。「空襲も悲惨だが、日本兵によって命を落とした人がいるなんて」と唇を震わせる。

 60歳を過ぎた頃から戦争体験を語るようになった。近年は体験を朗読劇「宝田明物語」として上演。「年齢を重ねて伝えなくてはいけないと思うようになった」という。

 「日本には不戦を定めた宝のような憲法がある。その憲法を70年以上、樽(たる)の中で熟成させているのに、時の総理大臣が樽のタガを外そうとしているかのようだ。近年、平和が脅かされる不安を感じます」。口調こそ静かだが、厳しく批判する。

 「本作は若い世代に見てほしい。親と子で『沖縄の現実を知ろうよ』と足を運んでほしいなあ」

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「ドキュメンタリー沖縄戦」から



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Author:gogotamu2019
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