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黒い雨訴訟判決に関する論説(2020年7月30日

「黒い雨」判決 援護行政改め救済急げ(2020年7月30日配信『北海道新聞』-「社説」)

 広島の原爆投下直後に降った放射性物質を含む「黒い雨」をめぐる訴訟で、広島地裁は、雨が激しく降ったとされる区域の外にいた人たちも新たに援護の対象とする判決を言い渡した。

 原告たちは区域内にいた被爆者と同様の健康被害に苦しみながらも、国が引いた線で分断され、医療費が無料になる被爆者健康手帳の交付を受けられずにいた。

 不平等な扱いを受けてきた原告に救済の道を開く妥当な判決だ。

 国は判決を真摯(しんし)に受け止め、援護行政を全面的に見直し、被爆者の幅広い救済を急ぐべきだ。

 国は1976年、原爆投下後の気象台の調査に基づき、黒い雨が降った地域を「大雨地域」とその周辺の「小雨地域」に分け、大雨地域だけを援護対象とした。

 これに対し、対象区域外にいた住民らが、黒い雨を浴びたり、汚染された水や作物を摂取して内部被ばくしたりし、がんや白内障などを発症したとして提訴した。

 判決は、区域外でも黒い雨を浴びた場合は放射線の影響があったとするのが相当だとして、原爆による特定の病気にかかったと判断した。内部被ばくの可能性も認め、手帳の交付を命じた。

 原爆投下による健康被害は他の戦争被害とは異なる特殊被害と位置づけ、被爆者への総合的な援護対策を講じると定めた被爆者援護法の理念に沿った判断と言える。

 判決が確定すれば、被爆者認定の大幅な拡大につながる可能性があるだろう。

 訴訟の背景には、対象区域見直しを求める長年の運動がある。

 より広範囲に雨が降った可能性は研究者からも指摘された。県と市は2008年、原爆体験者らに行ったアンケートに基づいて国に対象区域の拡大を要望した。

 だが国は、アンケートの正確性を疑問視し、応じなかった。援護対象を機械的に選別してきた国の姿勢が厳しく問われよう。

 被爆者救済に関してはこれまで、画一的な基準にこだわる国に対し、司法が救済拡大を促す例が繰り返されてきた。

 それでも、原爆症認定を巡って最高裁が今年2月、国の厳格な審査を認める判断を示すなど、救済はなお道半ばだ。

 被爆者は高齢化が進んでいる。黒い雨訴訟でも、提訴後に亡くなった原告が10人を超える。

 直接の被告は手帳交付などを審査する県と市だが、控訴はせずに、長く苦しんできた原爆被害者の救済に専念すべきだ。



重松日記の願い(2020年7月30日配信『北海道新聞』-「卓上四季」)

 軍医・岩竹博の「岩竹手記」とともに、小説「黒い雨」の基になった「重松日記」の提供を申し出たのは他ならぬ重松静馬自身であった。日記の挿話を拝借し執筆することをためらう井伏鱒二の書簡に対し、随意に利用して構わないし、調査の必要があれば申しつけてほしいと返信した(「重松日記」筑摩書房)

▼広島で被爆した重松が合わせて4冊分の日記を残したのは当初、子孫世代に伝えるためだった。井伏に預けたのは、原水爆禁止世界大会に出席した際に「余りにも事実の認識無きにがっかりした」ことがきっかけだった

▼被爆の実相を巡る当事者と周囲の認識の溝は、投下から75年を経て埋まったのだろうか。広島地裁できのう言い渡された「黒い雨」を巡る訴訟の判決のことである

▼広島県の男女84人が、国が定めた区域外であることを理由に被爆者健康手帳の交付申請を却下されたのは、不当だと訴えていた。判決は、放射性物質を含む黒い雨でがんなどを発症したという原告の主張を認めて、全員救済の判断をした

▼支援の対象を狭めることは、「他の戦争被害とは異なる特殊な被害」と位置付けた被爆者援護法の趣旨にも反するということだろう

▼被爆者が奪われたのは、命や健康だけではない。苛烈な差別や不当な扱いに苦しめられたことを忘れてはなるまい。それこそが小説「黒い雨」に重松が託した願いではないだろうか。

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黒い雨訴訟で原告勝訴 国は広く被害者の救済を(2020年7月30日配信『毎日新聞』-「社説」)
 
 広島への原爆投下直後に降った「黒い雨」で健康被害を受けたにもかかわらず、被爆者として援護対象にならなかったのは不当との住民の訴えが、司法の場で初めて認められた。

 爆心地から約8~29キロの地点にいた住民84人が訴えていた。被爆者援護法に基づき国が定めた援護対象区域から外れていたため、被爆者と認められていなかった。

 広島地裁は、原告全員を被爆者と認め、広島市などに被爆者健康手帳などの交付を命じた。原告の全面勝訴といえる。

 判決はこれまでの調査結果から黒い雨は援護対象区域にとどまらず、広範囲で降ったと認定した。その上で原告らの証言に不自然さはなく、黒い雨に遭ったことを認めた。

 被害地域を極めて狭く定めた国の線引きの不適切さを指摘したもので、国は今回の司法判断を重く受け止めなければならない。

 健康被害が原爆による放射能の影響かどうかも争点だった。

 判決は、黒い雨には放射能による健康被害が生じる可能性があると指摘した。

 さらに影響は直接浴びただけでなく、混入した水を飲むなどして体内に入った放射性物質による「内部被ばく」も想定できると踏み込んだ。

 黒い雨の影響は科学的には未解明な部分が多いとされるが、判決は被害救済を優先した形だ。

 裁判の被告は形式的には手帳交付などを審査する広島市などだったが、実際に問われたのは国の援護行政のあり方だった。

 84人は原爆投下時、生後4カ月~21歳だった。「被爆者と認めてほしい」という思いで提訴に踏み切ったが、5年近くの裁判の間に12人が亡くなった。経済的な理由などから訴訟に参加できなかった人もいた。

 広島に原爆が投下されて今年で75年となる。救済に残された時間は少ない。

 被爆者援護法は「他の戦争被害とは異なる特殊の被害」を受けた人々を救済するために制定された。国はその趣旨に立ち返り被害の実態に目を向ける必要がある。

 裁判でこれ以上争いを続けるのではなく、救済の道を早急に広げるべきだ。



幅広い救済迫る「黒い雨」判決(2020年7月30日配信『日本経済新聞』ー「社説」)

 広島市に原爆が投下された直後、放射性物質を含んだ雨が降り注いだ。この「黒い雨」がもたらした健康被害の認定をめぐり、初の司法判断が示された。

 国は降雨量が多かったと推定される区域を定め、この区域の中で雨を浴びた人を援護の対象としている。このため「区域外」を理由に被爆者と認められず、被爆者健康手帳の交付を受けられなかった84人が裁判を起こしていた。

 広島地裁は判決で「黒い雨は対象区域以外にも広範囲に降った」として、この線引きの妥当性を明確に否定した。そのうえで原告が雨を浴びた状況や、原爆との関連が想定される病気にかかったことなどを個別に検討し、全員を援護対象と認めて広島県と市に手帳の交付を命じた。

「川一本で被爆者と認定されるかどうかが分かれてきた」。原告の間からはそんな声も聞かれた。聞き取り調査などによる地理的、画一的な線引きではなく、原告一人ひとりの被害実態にもとづく認定にはより説得力があり、納得のいく判決といえる。

 何より、被害の認定をめぐる裁判がいまなお続き、新たな判断が示されているという現状が残念でならない。

 原爆被害の認定をめぐっては、2000年に最高裁が被爆者側の訴えを認めて救済を広げる判決を出した。その後、各地で起こされた集団訴訟では、従来の判断より認定を緩和する判決が続き、それを受けるかたちで認定の基準が見直されてきた。

 間もなく被爆75年の原爆の日を迎える。司法で一つ一つ基準を争い、確定し、行政に反映させる――を繰り返す。そんな時期はとっくに過ぎているのではないか。

 かつて政治の場で、「政治主導で一括解決を図るべきだ」との意見が提起されたこともある。多くの被爆者が高齢化し、亡くなっているなかで、この先さらに時間をかけるというのであろうか。原爆被害を広く、全面的に救済する動きを期待したい。



黒いい雨にも毒があったいうことじゃし(2020年7月30日配信『中日新聞』-「中日春秋」)

 広島の港に向かう船の上で、大粒の雨にあった。顔や服が黒ずむ。井伏鱒二の小説を今村昌平監督が映画化した『黒い雨』は原爆投下後の雨を浴びた若い女性が、次第に悪くなる体調に悩み、恐怖し、世間からの目にも苦しむ姿を描いた

▼田中好子さん演じる主人公が発症前に、縁談の辞退を申し出る場面が切ない。<黒い雨にも毒があったいうことじゃし、いろいろありがとうございました>

▼「黒い雨」を浴びたのに、国の対象区域の外であったために援護が受けられなかったなどとして、広島県の人たちが、県などに処分取り消しを求めた訴訟は、原告の全面勝訴となった

▼大雨と小雨に分け、大雨のみを援護の対象とした国に、判決は、地域を単純に当てはめるべきではないなどと指摘している。原告らが、黒い雨の影響を受けたことも認めた

▼原告には喜びが広がっているが、原爆投下からは、75年が過ぎる。原告の高齢化が進んでいて、判決を前に亡くなった方もいる。「毒」に恐怖を抱き、悩んだ長い時間の苦しみは、簡単に癒やせるものではないだろう。国の援護の在り方が問われたようである

▼<わしらは、国家のない国に生(うま)れたかったのう>。小説の『黒い雨』にある言葉である。矛盾した言い方ではあるが、同じ思いにとらわれた方もいるのではないだろうか。被告側は、控訴すべきでないように思える。



「黒い雨」原告全面勝訴 幅広い救済策、国は急げ(2020年7月30日配信『中国新聞』-「社説」)

 広島への原爆投下後に降った放射性物質を含む「黒い雨」を巡る全国初の訴訟で、広島地裁はきのう、原告全面勝訴の判決を出した。

 黒い雨の対象区域として国が定めた線引きを否定。区域外で黒い雨を浴び、放射線による影響が疑われる病気になった原告に、被爆者健康手帳を交付するよう広島市と広島県に命じた。

 黒い雨にさらされ、健康被害を訴える人々の声に耳を貸そうとしない国の不誠実さを突いた司法判断と言えよう。国は、これまでの姿勢を改めて、救済を急がなければならない。

 原告は、広島市や広島県安芸太田町などの70~90代の男女84人。黒い雨を浴び健康被害が生じたのに国の区域外だったことを理由に、手帳の交付申請を却下したのは違法などとして、市と県に処分取り消しや手帳交付を求め、2015年以降順次提訴していた。

 最大の争点は、国の線引きは妥当かどうかだった。区域は、終戦直後に広島地方気象台の技師らが100人余りの住民に実施した聞き取り調査を基に、1976年に定められた。

 区域内で黒い雨を浴びた人たちは「健康診断受診者証」をもらえ、一定の病気になれば手帳が交付された。しかし区域外の住民は救済されなかった。同じような境遇にありながら道や川を隔てただけで被爆者としては扱われないままだった。国の線引きには当初から批判が強く、住民は長く苦しみ続けてきた。

 判決は、この調査について「被爆直後の混乱期に限られた人手で実施された」「調査範囲やデータには限界がある」と指摘。「特に外縁部については非常に乏しい資料しか入手できていない」とまで述べている。これほど厳しく批判される調査に、国はこれ以上あぐらをかき続けることは許されまい。

 88年には、気象庁気象研究所の元研究室長が、黒い雨の降雨地域は従来の4倍の範囲とする調査結果を発表。2010年には、住民アンケートなども交え、国指定区域のほぼ6倍も広いエリアで黒い雨が降ったとの調査結果を市と県がまとめ、国に線引き拡大を求めた。

 にもかかわらず国の腰は重く、線引き見直しの好機を自ら何度も逸してしまった。

 もう一つの争点は、原告は被爆者援護法で定める「被爆者」に当たるかどうかだった。国側は、内部被曝(ひばく)の影響を軽んじた上で、原告が健康に影響が出るほど被曝したことを裏付ける科学的根拠はないと主張した。

 判決は、内部被曝の影響について、外部被曝とは異なる特徴があり得るという知見の存在を念頭に置く必要性を強調。さらに、区域外で黒い雨にさらされた人も、がんや心疾患といった放射線の影響が疑われると国が認める疾病になったことを要件として、被爆者に当たると考えるのが相当とした。原告は実際に、がんや心疾患などを発症している。実態に即し、幅広い救済につながる判断である。

 提訴に踏み切ってから5年。原告の老いは進み、既に16人が亡くなった。残された時間は少ない。国は、黒い雨を巡る初の司法判断の重みを受け止め、控訴しないよう県、市に働き掛けるべきだ。放射線の影響が疑われれば可能な限り救済できる方策を早急に探る必要がある。



「マルレ」の少年兵たち(2020年7月30日配信『中国新聞』-「天風録」)

 これが私の終(つい)の命を託する兵器なのか―。島尾敏雄の自伝的小説「魚雷艇学生」の一節。南海の奄美で海軍特攻艇の隊長だった戦争末期、ペンキの緑も色あせた小舟の揺れる姿を、後の作家は嘆いた

▲同じ特攻艇を海軍は「震洋」、陸軍は敵を欺く符丁で「マルレ」と呼んだ。ともに爆雷を積んで敵艦船に迫り、投下して反転する作戦を編み出す。かつての少年兵たちに聞いたことがある。必ずしも死ぬわけではない―と訓練で告げられたが、それを信じる者はいなかったという

▲きのうの本紙お悔やみ欄に、マルレの文字を見つけた。広島市の理容師和田功(いさお)さん、94歳を一期として

▲75年前、江田島の幸ノ浦(こうのうら)で訓練に従う少年兵だった。あの日、広島へ出動命令が下り、上陸するや、地獄を見る。「これが本当の戦争なのだ/ただ、残酷、むごいの一言である」と手記に。その体験を文章に残し、晩年まで証言した志に頭が下がる

▲島尾は出撃せず終戦を迎えた。「本土決戦」に投じられるはずだった、和田さんのようなマルレの兵も復員する。だが、家族を原爆や空襲に奪われた少年が少なからずいた。その負い目を抱えて生きた戦後に、思いを巡らせる夏でもある。



【「黒い雨」訴訟】援護区域を広げるべきだ(2020年7月30日配信『高知新聞』-「社説」)

 広島市への原爆投下直後に「黒い雨」を浴びたのに、国の援護対象区域外だったことを理由に被爆者健康手帳の交付を却下したのは違法との初の司法判断が示された。

 広島県内の男女や遺族計84人が市と県に「却下」の取り消しを求めた訴訟で、広島地裁が原告全員の請求を認めた。

 原爆投下から75年。援護の外に置き去りにされてきた人たちの思いに寄り添う、妥当な判決である。

 国が援護対象とする「特例区域」は、爆心地から北西に長さ約19キロ、幅約11キロのエリア。投下の数カ月後、当時の広島管区気象台の技師らの調査で、1時間以上雨が降った「大雨域」に当たる。

 原告らは大雨域周辺の「小雨域」か、その外側に住んでいた。後にがんや白内障など、原爆症と認定され得る病気を発症している。訴訟では大雨域の範囲の妥当性や、原告らが黒い雨により健康被害が出る程度の被ばくをしたかどうかが争われた。

 広島地裁は国が定めた大雨域の外側であっても、放射性物質を含んだ黒い雨を浴びた場合は放射線の影響があったと指摘した。原告の全面勝訴といえる。

 原告の中には、大雨域との境界から数十メートル離れていたため手帳を交付されなかった人もいる。「同じ健康被害を受けているのになぜ…」。判決は納得できない思いに応えるものだろう。

 汚染された水や作物を通して放射性物質を体内に取り込む内部被ばくについても、健康への影響は今も分かっていないことが多い。75年前の大雨域の線引きに固執して、援護対象を絞るのには無理があろう。

 実際、広島市は市民らが黒い雨を体験した場所や時間をアンケートや面接で調査。その結果、大雨域は国が援護対象とする区域の約5倍となった。このため市と県は、国に区域を拡大するよう求めてきた。

 市が担う被爆者健康手帳の審査、交付は、国からの法定受託事務である。市と県は今回訴訟の「被告」だが、そこには区域拡大を否定する国の見解に従わざるを得ない事情があるのだろう。国はそうした地元の「ジレンマ」も理解し、援護区域の拡大を望む声に耳を傾けなければならない。

 原爆症の認定を巡っても、国は当初、爆心地からの距離で被ばく線量を推定する計算方式で認定の可否を判断してきた。しかし、それでは救済から漏れる人が出てくる。

 このため数々の原爆症の認定訴訟を通して司法は国に対し、機械的に判定するのではなく被爆者個別の状況を総合的に考慮して判断するよう促してきた経緯がある。黒い雨訴訟の判決も、被爆者救済の道を広げてきた一連の司法判断の流れの中にあろう。

 援護区域の拡大を求める運動が始まってからでも40年以上がたつ。被爆者の高齢化は進み、残された時間は少ない。一人でも多く救済されるよう、国は歩み寄るべきだ。



黒い雨(2020年7月30日配信『愛媛新聞』-「地軸」)

 主人公のめいは被爆したとうわさが立ち、縁談がまとまらない。彼女はあの日、放射性物質を含んだ雨に打たれており、やがて体に変調をきたす。井伏鱒二の「黒い雨」である。被爆者の日記などを基に書かれた

▲原爆投下から数年後の広島の小さな村が舞台。原爆は瞬く間に多くの命を奪ったが、悲劇はそれだけで終わらなかった。時間とともに後遺症にむしばまれ、底知れぬ恐怖や悲しみが襲う。作品は被爆の実相を強く訴えた

▲黒い雨で被害を受けたのに被爆者健康手帳の交付申請を却下されたのは不当だ―。そんな訴えを起こしていた広島の84人に対し、地裁はきのう、原告全員の請求を認める判決を言い渡した

▲救済か置き去りか。その線引きは紙一重というべきものだ。国は投下直後に行われた気象調査を基に当時の大雨地域を推定。そこにいた住民は援護対象とするが、小雨や曇りとされた地域は救済の外に置かれた

▲40年余り続く理不尽な線引きだが、見直す機会はあった。県と市は10年前、雨が降った地域は、より広範囲だった可能性があるとして救済範囲拡大を求めていた。判決は被害者を率先して救済してこなかった被爆国の姿勢に対する非難にほかならない

▲「わしらは、国家のない国に生まれたかったのう」。井伏は登場人物にそう語らせている。国に長年失望させられてきた原告の胸中と重ねてしまう。彼らの苦難に寄り添う道を国が選ぶことを望む。



「黒い雨」判決(2020年7月30日配信『高知新聞』-「小社会」)

 井伏鱒二の小説「黒い雨」を原作にした今村昌平監督の同名のモノクロ映画は、1989年に公開された。原爆が投下された直後の広島の惨状や、原爆症に苦しむ人々の恐怖、怒り、嘆きを丹念に、そして静かに描く。

 公開の年に井伏、今村両氏は対談している。今村監督は60代だった。〈原爆やら放射能の問題が風化していくのは、戦争を背負って生きざるを得ない世代としたら、忘れっぽいのもいいかげんにしてくれという気持ち〉(筑摩書房刊「井伏鱒二全対談」)。映画に託した強い思いを監督はそう語る。

 「黒い雨」などの放射性降下物は原爆投下の数十分後から数時間、爆心地やその周辺に降ったとされる。だが、正確な降雨範囲は分かっていない。

 その「黒い雨」を浴びたとして、80人を超す住民らが広島県などに被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟の初めての判決が、広島地裁できょう言い渡される。

 住民らは、国が援護の対象とする「特例区域」の外で雨を浴びて被ばくしたとする。以前から降雨範囲の拡大を求めてきた。新たな範囲が司法の場で示されるだろうか。

 戦後75年。時間の流れは早い。原告の最高齢は90歳を超し、亡くなった方もいる。健康問題を抱え、日々不安な人は少なくないだろう。そんな不安に加え、〈風化していく…〉といった思いを強くする原告もいるに違いない。今村監督がメガホンを取って30年以上がたつ。



「なぜ、国はこんな線引きをしたのか」(2020年7月30日配信『しんぶん赤旗』ー「潮流」)

 ねずみ色の雲がもくもく上がってきて、そのうち空が真っ暗になり、雨が降ってきた。外にいた私と弟が家に帰ると、白いシャツには黒い染みができていた

▼1945年8月6日の朝、当時5歳だった本毛(ほんけ)稔さんは、そのときの黒い跡が忘れられません。弟は日に日に具合が悪くなり1カ月後に肝硬変で死亡。自身も小さい頃から鼻血が止まらず、白内障や緑内障を患い3度も手術。いまも後遺症に悩まされています

▼本毛さんの自宅前には水内(みのち)川が流れています。その川が黒い雨指定地域の境にされました。本毛さんの集落は国の援護の対象外に。黒い雨を含んだ沢の水を飲み、畑の野菜も食べた。「なぜ、国はこんな線引きをしたのか」

▼被爆を認められない苦しみや怒りは数冊にもおよんだ証言集にも。その訴えに背を向けてきたやり方を覆す判決が広島地裁でありました。これまで対象外とされた原告を被爆者として認め、医療費が無料となる手帳の交付を県と市に命じました

▼被爆75年に至り、ようやく正された理不尽さ。判決までの5年の間に16人もの原告が亡くなっています。原爆被害にあい、さらに国から冷遇されて命を落としていった人たちの無念はいかばかりか

▼『黒い雨』の著者、井伏鱒二は後に語っています。取材を通じて「ぼくはことがらにたいしてまじめになった。作家としてではなく、社会的なまじめさに」。圧倒的な事実と真摯(しんし)にむきあったこうした姿勢が国にあれば、もっと早く多くの被爆者が救われただろうに。






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