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旧日本軍の無謀さ(2019年6月29日配信『西日本新聞』ー「春秋」)

 旧日本軍の無謀さを語るとき、筆頭に挙がるのが1944年のインパール作戦である。投入した将兵3万人以上が亡くなり、敗退路は力尽きた者たちが連なって「白骨街道」と呼ばれた

▼ビルマ(現ミャンマー)からインドへ、大河を渡り標高3千メートル級の山脈を越えて進む。膝まで没するぬかるみ。苦労して運んだ野砲は日露戦の遺物のような武器で、戦力差は歴然。補給は絶え、飢えと病気が襲った

▼行軍計画は地形を無視した無理な日程だった。作戦自体、敵の戦力分析もしないまま立案。科学でかなわないと「大和魂」の精神論で突撃を繰り返させた

▼九州出身者を含め野山には今も兵の遺骨が散る。一方で責を負うべき司令官は敗戦前に帰国し、戦後まで存命。「作戦失敗は部下の無能さのせい」と語ったそうだ

▼インパールに今月末、平和資料館が開館した。鉄兜(てつかぶと)や遺品など500点を展示。平和や和解のシンボルを目指すという。その地は当時、英国の植民地だった。「英軍と戦う日本兵は、敵ながら住民に民族意識や自主独立の機運を高めさせた」と聞いたことがある。日本兵が命と引き換えに植えた、貴重な“種”と言える

▼作家の伊藤桂一さんは「軍指導部は兵力の行動を図上戦術で考え(略)一人として現地を具体的に歩いた人はいなかった」と作戦が象徴する日本軍の体質を指摘する。日本人こそ忘れず、向き合わねばならない地であろう。



激戦地の丘に平和資料館開館 インパール作戦75年、遺族ら訪問(2019年6月22日配信『産経新聞』)

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インパール近郊の激戦地「レッドヒル」の麓に完成したインパール平和資料館=22日午後、インド北東部・インパール

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1966(平成8)年に亡くなった帰還兵の父、土谷伝吉さんが描いた「インパールへの道」と題された絵を見つめる仁志さん

 先の大戦時に多くの犠牲者を出し、最も無謀な作戦といわれた「インパール作戦」から75年となるのに合わせ、インド北東部のインパールに22日、惨禍の記憶を後世に伝える平和資料館がオープンした。インパール近郊にある日英両軍の激戦地「レッドヒル」の麓に完成。極限の戦闘から生還した帰還兵の手記や写真などを展示している。

 地元マニプール州の観光協会から協力要請を受け、建設費を支援した日本財団(東京)の笹川陽平会長は、開館式典で「悲しい戦争の記憶を深く心に留めると同時に、平和な世の中を次世代につないでいくための架け橋となるだろう」とあいさつ。在インド英国高等弁務官のドミニク・アスクイス氏は「若者たちの未来を担う意味を持っている」と述べ、在インド日本大使館の平松賢司大使は「過去から学び、未来に生かしていくことが重要だ」と強調した。

 式典には日英印の関係者約250人が参加。旧日本兵の遺族5人も出席した。作戦から生還した元兵士の稲葉茂さんの孫、英一郎さん(41)=茨城県守谷市=は、「祖父の思いを受け継ぎ、インパールまで来た」とし、「祖父は生前多くのことを語らなかったが、戦友への強い思いは伝わってきた。私たち孫の世代が、歴史の伝え方や慰霊のあり方を考えなければならない」と訴えた。

 激戦地に眠る旧日本兵の遺骨収集を進めてきた阿部信夫さん(77)=栃木県栃木市=は、父の荘一さんをインパール作戦で亡くした。阿部さんは「遺族にとっても、インパールに平和資料館ができたことは本当にありがたい。歴史を正しく、後世に伝えていってほしい」と話した。

 土谷仁志さん(65)=静岡市=は、作戦から生還し、平成8年に亡くなった父の伝吉さんが描いた「インパールへの道」と題された絵を資料館に寄贈。展示されている絵を前に「平和のありがたさを感じてもらえればうれしい」と語った。

 資料館には、戦後の復興や現地の文化などを紹介する展示のほか、安倍晋三首相が揮毫(きごう)した「平和」の書も飾られている。

 インパール作戦は1944(昭和19)年3~7月、英軍の拠点だったインパールの攻略を目的に行われた作戦で、約10万人が投入された。補給を軽視し、飢えやマラリアなどで約3万人が命を落とした。敗走した道には多くの遺体が残され「白骨街道」と呼ばれた。

 生還した旧日本兵や遺族の高齢化が進む中、連合国側に比べ旧日本軍側の史料は少ないといい、資料館の建設を支援した日本財団が手記や写真などの提供を呼びかけている。開館後も引き続き収集する。問い合わせは日本財団03・6229・5111。




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