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「身を隠すこともできない残酷さ」 琉球大生が調査した沖縄戦、変わる学び(2020年8月13日配信『毎日新聞』)

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沖縄戦の上陸地点・渡具知ビーチ(読谷村)を訪ねる琉球大の学生ら=琉球大・山本ゼミ提供

 沖縄戦での旧日本軍の組織的戦闘が終結したとされる6月23日の「慰霊の日」に合わせ、琉球大学(沖縄県)の学生たちが太平洋戦争の主な戦争被害を比較し、沖縄戦はどのような戦争だったのかを分析した。詳しい調査結果をウェブサイトで公開している。【宮城裕也】

 調査したのは琉球大人文社会学部の山本章子准教授(日米外交史)ゼミの3年生11人。5月上旬から沖縄戦の激戦地となった場所を訪ねた。さらに沖縄県史や行政機関などがまとめた文献を参考に、サイパン・テニアン島などの南洋諸島の戦い(1944年夏)▽東京大空襲(45年3月)▽沖縄戦(45年3~6月)▽広島・長崎の原爆投下(45年8月)▽旧満州へのソ連侵攻(45年8月)――の犠牲者数などを比較した。

 太平洋戦争末期の45年3月末に始まった沖縄戦は、約3カ月に及ぶ地上戦で住民約9万4000人が犠牲になったほか、沖縄出身者を含む日本軍約9万4000人、米軍約1万2500人の計約20万人が死亡。沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる。

 調査は、沖縄戦では犠牲者の出なかった市町村がなかったことを特徴に挙げた。当時の市町村別の人口に占める犠牲者の割合は、沖縄本島中部西海岸から上陸した米軍の侵攻ラインだった場所ほど高く、特に旧日本軍の司令部が置かれた首里城での戦闘があった首里市(現在は那覇市)では42%が、日米両軍の最後の激戦地となった沖縄本島南部の摩文仁(まぶに)村(現在は糸満市)では5人に3人が死亡した。

 北海道出身の河端千尋さん(20)は、沖縄戦は小学校の授業で少し習った程度で「『悲惨だった』という言葉だけ浮いていた」。だが、激戦地の一つである嘉数高台公園(宜野湾市)を訪ねて考えが変わった。

 公園内にある戦跡となった民家の外壁に撃ち込まれた無数の弾痕と自分の体を重ねると、足や胸の位置に弾痕が一致した。「考えられないほどの数の砲弾が撃ち込まれた痕に触れ…




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