fc2ブログ

記事一覧

異なる終戦日、戦後秩序映す 各国思惑で「9月派」も((2020年8月14日配信『日本経済新聞』))

日本は15日、戦後75回目の終戦記念日を迎える。第2次世界大戦に関わった国には日本が降伏文書に署名した9月2日前後を終戦の日と定めた国も多く、関連行事を実施する日は異なる。そこには戦後の秩序形成や歴史認識をめぐる各国の思惑が映し出されている。

キャプチャ3
終戦を告げるラジオ放送を聴く人々。この8月15日が日本の終戦記念日となった=共同

日本は1945年8月14日、米英中3カ国が連名で降伏を求めたポツダム宣言を受諾した。翌15日、昭和天皇がラジオ放送で「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」と終戦を告げた。

米国は当時のトルーマン大統領が「日本が降伏文書に正式署名した日を対日戦勝記念日(VJ=Victory over Japanデー)に指定する」と表明した。

日本の重光葵外相らが戦艦ミズーリ号で降伏文書に署名したのはそれから半月あまり後の9月2日で、この日が米国のVJデーとなった。

キャプチャ4
米軍艦ミズーリ号で降伏文書に署名する重光葵外相。米国はこの9月2日をVJデーとした=共同

■米英で異なる日付

英国の終戦の日は異なる。45年8月15日は臨時の休日となり、国王ジョージ6世はラジオ演説で兵士や国民をねぎらった。これにちなんで英国の在郷軍人会が毎年8月15日、バーミンガム郊外にある植物園で追悼式を開くようになった。

ジョンソン首相は5日、式典に先立って「英兵士が大戦を終わらせ、歴史の軌道をよい方向に変えた」との談話を発表した。

同じ連合国軍として戦った米英で終戦の日が異なるのはなぜか。ミズーリ号での降伏文書調印式には英国代表も出席していた。

京都女子大の本田毅彦教授(英近現代史)は「英国は調印式で米国の脇役に甘んじ、英メディアも大して取り上げなかった」と指摘する。

戦後の国際秩序形成に向けて、戦争で国力が低下した英国が米国に取って代わられたような場面をあえて重視することはなかったという。

キャプチャ5

■中ロは「貢献」強調

中国は2014年、9月3日を「抗日戦争勝利記念日」として法律に定めた。ポツダム宣言に加わっていたのは国民党政府で、降伏文書調印の翌日であるこの日を1946年から記念日にした。

共産党による新中国が成立した後の一時期は8月15日を記念日にしたものの、再び9月3日に戻った。

習近平(シー・ジンピン)指導部は9月3日を単なる対日戦争ではなく世界の反ファシズム戦争に勝利した日と位置づけた。世界への中国の貢献を強調し、愛国心を高める狙いが込められた。

中国の一般社会で8月15日はあまり意識されていない。むしろ日中戦争のきっかけとなった盧溝橋事件が勃発した7月7日や満州事変の発端である柳条湖事件が起きた9月18日、南京事件の12月13日などへの関心が高い。日本と中国で戦争の記憶を呼び起こす日は異なる。

ロシアのプーチン大統領は20年4月、第2次世界大戦終結日を9月2日から同月3日にずらす法案に署名した。

もともと旧ソ連時代には3日を対日戦勝記念日としていた。ロシアに変わってメドベージェフ大統領時代の2010年に2日を第2次世界大戦の終結日として定めた経緯があった。3日に戻したのは旧ソ連の戦勝国としての記憶を強調するためだとされる。

中国と同じ日になったことについて、東大の池田嘉郎准教授(ロシア近現代史)は「ロシアが米国中心の秩序から距離を置いて中国との連携を目指すというメッセージになった」と説明する。

韓国が終戦の節目とするのは日本と同じ8月15日である。植民地支配からの解放を記念して「光復節」と呼ぶ。光復とは主権の取り戻しを意味する。韓国は1948年の8月15日に建国を宣言した。

歴代の大統領は光復節に合わせて演説し、過去の歴史を巡る問題や日韓関係について見解を述べる。北朝鮮も韓国と同じく8月15日を解放記念日と定めている。

台湾は10月25日を「光復節」と規定する。日本の植民地支配が終了した日という位置付けである。国民党政権では「抗日勝利」を祝う記念行事が実施された。

独立志向の民主進歩党(民進党)が2000年に初めて政権を握ると平日扱いになった。民進党の現・蔡英文(ツァイ・インウェン)政権で、大規模な記念行事は催されていない。

戦時中に日本と同盟関係にあったタイはどうだろうか。42年に米英へ宣戦布告した経緯がある。日本がポツダム宣言受諾を公表した翌日、手続きの不備を理由に宣戦布告の無効を主張した。敗戦国として扱われることを回避し、8月16日を「タイ平和の日」と定めた。

■「対独戦勝」は一致

各国でばらつきがある「対日戦勝」の日に比べて、「対独戦勝」は5月8日でほぼ一致する。ドイツは45年5月7日、首都ベルリンの陥落を受けて降伏文書に署名した。

米英をはじめとする連合国は文書が発効した翌8日を欧州戦争終結の日(VE=Victory in Europeデー)と決めた。ソ連は時差の関係で9日を戦勝記念日とし、現在のロシアも踏襲する。

日本は8月15日にポツダム宣言の受諾を公表してから降伏文書に調印するまで2週間以上かかったことが、戦争の終わりをめぐる認識が国内外で食い違う一因となった。日本と周辺国の間で異なる歴史観を持つことにつながり、戦争に関する対話を難しくしている面もある。

■〈記者の目〉記憶の風化、防ぐ手立てを

終戦から75年が経過し、戦争の体験者は少なくなってきた。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で戦争に関する追悼行事も縮小し、語り部から直接、話を聞く機会は減った。惨禍が繰り返されないよう、記憶を風化させないための取り組みが必要になる。

終戦記念日に関する著書がある京大の佐藤卓己教授は「祈りの8月15日」とは別に「考える9月2日」を設けようと提案する。「弔いつつ討議するのは難しい。感情の8月と理性の9月に分けたほうがいい」との主張である。

国ごとに異なる終戦記念日の設定には、その時々の国際情勢や指導者の思惑が反映されている。そうした背景を含めて歴史を考えてみることも、風化を防ぐ一つの方法になり得る。(溝呂木拓也)






スポンサーサイト



プロフィール

gogotamu2019

Author:gogotamu2019
障害福祉・政治・平和問題の最新ニュース・論説紹介

最新記事

カテゴリ