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終戦前日「京橋大空襲」生き延びた96歳 孫、ひ孫に「語り続ける」(2020年8月14日配信『毎日新聞』)

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空襲被災者慰霊祭で手を合わせる人たち=JR京橋駅南口で2020年8月14日午前11時23分、菱田諭士撮影

 75年前の終戦前日、大阪市で500人以上が命を奪われたとみられる「京橋大空襲」。21歳の時に空襲に遭い生き延びた大阪府四條畷市の山本マスヱさん(96)は14日、JR京橋駅(城東区)で開かれた慰霊祭に孫や2人のひ孫と参列した。もし1日でも早く戦争が終わっていたら……。「戦争で亡くなった人のことを思うと、生き残ったのはつらい。だからこそ語り続けなければ」。慰霊碑の前で誓った。

 僧侶の読経が続く中、山本さんは孫の坂本久美子さん(44)とともに焼香し、手を合わせた。久美子さんにだっこされたひ孫の空海(そらみ)ちゃん(5カ月)、ベビーカーに乗った隆文ちゃん(3)も一緒だ。

 1945年8月14日の昼ごろ、山本さんが京橋駅から約1キロ離れた郵便局で仕事をしていると空襲警報のサイレンが鳴り響いた。爆撃機の飛ぶ音が聞こえ、机の下に慌てて隠れた。「ドーン」という轟音(ごうおん)が何度も続いた。黒煙に包まれたのだろう。局内は真っ暗になった。

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孫の坂本久美子さん(中央)やひ孫らと慰霊祭に参列した山本マスヱさん(左端)。「生きている限り足を運ぶ」と話す=JR京橋駅南口で2020年8月14日午前11時20分、菱田諭士撮影

 鉄筋コンクリート造りの郵便局は被害を免れたが、辺りは一面焼け野原だった。黒焦げの遺体が転がる中、約10キロ離れた四條畷の自宅へと線路沿いを歩いた。「よく帰ってきた」。最寄り駅の近くで両親と再会し、泣きながら抱き合った。大阪城の東側にあり、空襲の標的になった大阪砲兵工廠(こうしょう)で、高等小学校の同級生10人近くが亡くなったと後で知った。

 インドネシアから復員した増太郎さん(2007年に86歳で死去)と47年に結婚。お好み焼き屋や駄菓子屋を営みながら2男1女を育て、8人の孫と9人のひ孫に恵まれた。「二度と戦争を起こしてはいけない」と、子や孫には空襲などの体験を話してきた。増太郎さんが引き揚げてきた和歌山の港に孫とひ孫を連れて行ったこともある。5年ほど前からは、ひ孫が通う小学校で語り部もしてきた。

 最近、孫の久美子さんは祖母の話をノートに書き留めるようになった。「祖母のように戦争を知る人もいずれいなくなる。息子たちにいつか話をするために、記録しておいた方がいいと思って」。平和を願う気持ちは、次の世代へ確かに受け継がれている。



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以上米軍による「京橋大空襲」から14日で75年を迎えた。空襲被災者慰霊祭で手を合わせる参列者ら=JR京橋駅南口で2020年8月14日午前11時







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Author:gogotamu2019
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