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<つなぐ 戦後75年>終戦日の朝 20歳で戦死 飛行兵の最期たどる(2020年8月16日配信『東京新聞』)

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杉山光平さんの最期をたどる調査を振り返る久野さん=睦沢町立歴史民俗資料館で

 終戦の日の朝、茂原市(旧茂原町)にあった茂原海軍航空基地からゼロ戦で出撃し、20歳で命を落とした飛行兵がいた。第252海軍航空隊の上飛曹だった故杉山光平さん。これまで注目されてこなかったが、その最期の消息をたどる地元有志らの調査が、実を結び始めている。 (鈴木みのり)

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飛行兵時代の杉山光平さん

 厚生労働省の記録などによると、杉山さんは1945年8月15日午前5時21分に基地を飛び立ち、その約40分後に米軍機に撃墜され戦死した。ただ、墜落場所は特定されていない。遺族のもとに届いた戦死調査結果では現在の「睦沢町下之郷」とあるが、当時の地元住民でこの日に飛行機が墜落したと証言する人はいないという。

 墜落場所の特定へ動いたのが、睦沢町立歴史民俗資料館の学芸員の久野一郎さん(64)だった。杉山さんの出身地の静岡県掛川市に住む弟の栄作さん(91)が兄の最期を知りたがっていると聞き、2015年4月に調査に乗り出した。戦史研究仲間二人と墜落した可能性のある場所に足を運び、聞き取り調査を重ねるうちに、当時の情報を持つ人が現れ始めた。

 調査開始から2カ月後、候補地の一つである大多喜町で、地元住民が長年保管していたゼロ戦のものと思われるプラスチック片を手に入れた。先月末には、同町で墜落現場を目撃した人の日記をテレビ局が発見。8月15日の記述には、日本軍機が三つの田畑の境に墜落したことや、機体とともに焼失した搭乗員の様子がつづられ、「友軍機中島弐弐四八壱番」と製造番号も記されていた。いずれも、墜落したのが杉山さんの搭乗機である可能性を示す重要な手掛かりだ。

 久野さんの調査の原動力となったのは「杉山さんやその遺族の無念に応えたい」との思いだった。弟の栄作さんは「真面目な好青年。運動が得意で、野球、剣道、柔道、何でもこなした」と振り返る。

 杉山さんは10代半ばで海軍飛行予科練習生(予科練)となり、茨城県や大分県の航空隊などに所属した。栄作さん宛てに、きちょうめんな文字ではがきを送り続けた。「軍務に励んでいるから安心せよ」「寒くなってきたから体に気を付けてほしい」。終戦まで一年を切ったころに千葉に赴任。まもなく、はがきが途絶えた。栄作さんが兄の死亡を知ったのは、戦後しばらくたってからのことだった。
 ◇ 
 睦沢町立歴史民俗資料館は、初公開となる杉山さんの戦歴調書や墜落現場を目撃した人の日記など資料9点を展示した企画展「太平洋戦争最後の戦闘−昭和20年8月15日の房総半島−」を開いている。久野さんは「立派な青年が終戦間際で亡くなり、遺族はその死亡場所すら知らない。その無念さを感じてほしい」と語る。

 企画展は来月27日まで。月曜日は休館。午前9時〜午後4時半で入場無料。問い合わせは同館=電0475(44)0290=へ。



ミニ企画展ポスターVer02-01




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