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大村の空襲調査 犠牲者数、火災戸数を冊子に(2020年8月17日配信『長崎新聞』)

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空襲で被害を受けた柿の木を示す上野さん=大村市陰平町

 戦時中、長崎県大村市にあった第21海軍航空廠(しょう)以外の大村の空襲被害について、福重郷土史同好会の上野盛夫さん(68)=野田町=が調査し、地区別にまとめた冊子「大村空襲の犠牲者数と火災戸数」(A4判、14ページ)を製作した。上野さんは「大村では21航空廠の空襲が注目されがち。ただ、空襲による被害は自分たちが住む地区でもあったことを、地域の子どもたちに知ってほしい」と話す。

 上野さんによると、21航空廠以外の被害状況について大村市史(1961~62年刊)は、死者数59人、家屋全焼などの被害は634件としている。ただ、地区別の被害状況の詳細は分からなかった。

 上野さんは戦後の第一復員省がまとめた町別の建物被害に関する資料や、各地の慰霊碑、当時を知る住民への聞き取りなどを通じ、市内死者数や被害戸数を調査。その結果、全8地区のうち、死者は「鈴田」「竹松」「福重」の3地区で計21人、被害戸数はこの3地区に「大村」「西大村」「萱瀬」を加えた6地区で計600件を確認できた。特に「西大村」は423件と最も多かった。8地区のうち、「松原」「三浦」両地区は人的も含め被害が確認できなかった。「大村」「西大村」両地区の死者数は「不明」という。

 45年7月5日の空襲で、2戸が被害に遭い、女性1人が機銃の犠牲になった鈴田地区。陰平町の山口綾子さん(83)宅の柿の木は、この空襲による火災で家と一緒に燃えながらも生き残った。山口さんによると、夫哲男さん(故人)は生前、終戦記念日が近くなると、空襲で家や柿の木が燃え、着の身着のまま逃げ出したことを話していたという。柿の木は幹回り約1メートル、高さ約5メートル。幹の中央は黒ずんで溝のようになっているが、現在でも若い枝や実をつけるという。

 上野さんは「当時を知る人が高齢化する中、この冊子をきっかけに情報を寄せてもらい、より正確な被害状況を資料として残したい」としている。冊子は市内の市立小中学校に寄贈したほか、内容を自身のサイト「福重ホームページ」で連載予定という。
 問い合わせは上野さん(電0957.55.9540)。

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上野さんがまとめた「大村空襲の犠牲者数と火災戸数」





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