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なぜ米軍は執拗に地方を空襲したのか 伊勢崎、名古屋に出撃した元米兵が振り返る75年前(2020年8月15日配信『東京新聞』)

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オンラインでのインタビューで名古屋空襲などについて回顧するデービッド・フィッシャーさん

 15日は終戦の日。75年前のこの日未明にかけてあった最後の空襲の1つとされる「伊勢崎空襲」(群馬県)や、その3カ月前、当時、国宝だった「名古屋城天守」を焼失させた名古屋空襲で出撃した米戦略爆撃機B29の元搭乗兵デービッド・フィッシャーさん(94)=米南部ルイジアナ州在住=が、本紙のインタビューに応じた。原爆投下後の地方都市への執拗な空襲は、敗戦を受け入れさせるための「メッセージ」だったと推測した。(丸田稔之)

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1945年5月14日にB29から撮影された名古屋空襲。投下された焼夷弾(中央上)で名古屋城(同下)が炎上している

 フィッシャーさんは当時、搭乗機と外部の連絡をモールス信号で行う通信兵。グアム島の基地に駐屯し、最初に出撃したのが、1945年5月14日の名古屋空襲だった。

 グアムを出撃したのが夜間だったため、編隊を組まず、各爆撃機は単独で名古屋に向けて飛行。目的地の上空に到着した順に空襲を始めた。「標的がどのような工業施設か、知らされなかった。標的の地点がどこかだけを示され、そこに焼夷弾を落とした」と振り返った。
 本土空襲では市街地が焼き払われ、多数の民間人が犠牲になった。「私たちは皆、爆弾を落とし、それが地上で当たり、燃えていることは知っていた。もちろん、何が起きているか承知していた。でも、それが仲間内で話題になることはなかった」と回顧した。

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戦時中のデービッド・フィッシャーさん

 フィッシャーさんは8月14日夜~15日未明にかけての伊勢崎空襲にも出撃した。日本は降伏間近との情報が広まっており、降伏した場合は「任務を中止するよう事前に指令を受けていた」と証言。「降伏すれば、決められた暗号が機内に届くことになっていた。来なかったので爆弾を投下した」と明らかにした。

 米軍は同じ日、大都市ではなく、埼玉県熊谷市なども標的に定め、爆撃した。フィッシャーさんは「広島、長崎への原爆投下後、降伏を待っていた。戦争を続けるのなら、(地方都市に)爆撃を拡大すると日本国民にメッセージを送ったのではないか」と推測した。

 戦後は高校のアメリカンフットボールチームのコーチを務めたり、妻が設立した私立校の運営を手伝ったりした。2018年、硫黄島で開かれた「硫黄島の戦い」の慰霊式に出席した。この時が唯一の日本訪問だという。

 戦後の日米関係について「戦争はよくないことばかりで、いいことなど1つもない。過去に起きた惨劇を振り返ると、現在のような強固な関係が築かれたことは信じられないくらいだ」と評価した。

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 (インタビューは在名古屋米国領事館でゲーリー・シェイファー首席領事らが同席し、オンライン上で行った)






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