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<8月の窓>飛行機造る夢かなわず(2020年8月19日配信『東京新聞』)

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戦時中を振り返る藤原祥三さん=東京都目黒区で

 戦時中、飛行機を造りたいと夢見たが、爆弾開発に駆り出され、終戦後は別の道を選ばざるを得なかった。旧東京帝国大学で航空工学を専攻した東京都目黒区の藤原祥三さん(95)は、今も悔いを残す。

 1944年に大学に入り、戦後に「宇宙開発の父」として知られることになる糸川英夫助教授(当時、故人)の下で無人飛行爆弾の開発に携わった。航空機から投下し敵艦船が発する熱線を探知して命中させる構想で、旧陸軍が学者や民間企業に開発への協力を求めた。戦局は悪化の一途をたどり、特攻で命を落とす若者が増えていた。

 「糸川先生は『特攻だと、貴重な命が失われる。人が乗らないものを造るんだ』と話していた。優秀な人が無駄に死んでいったのは堪え難い」

 作業は時に徹夜となり、45年3月の東京大空襲では、駒場にあった研究所の屋上から、甚大な被害に遭った城東地区を見た。炎で真っ赤に染まった光景を今夏、「東方ひがしのかた紅蓮ぐれんの炎生命いのち尽き」と詠んだ。

 「戦史叢書そうしょ」によると、爆弾は静岡県の浜名湖上で投下実験が行われたが、成功には至らなかった。終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は日本の航空機開発を禁じた。東大の航空機体学科も廃止され、藤原さんは物理工学科に転じた。卒業後は三菱重工に務め、退職後は大学でコンピューターを教えた。
 青春時代に抱いた大空への夢はかなわなかった。

 「どうしようもないが、残念だった。戦争というばかなことは、2度としてはいけない」(荘加卓嗣)

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Author:gogotamu2019
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