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絵本『かわいそうなぞう』の空白 「猛獣処分」考(2)(2020年8月25日配信『共同通信』)

ゾウ殺害を命じた初代都長官とは

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記者団に語る大達茂雄。当時文相=1953(昭和28)年5月21日 

 戦時下の動物園におけるいわゆる猛獣処分のうち、上野動物園におけるゾウ殺しを扱ったロングセラー絵本『かわいそうなぞう』は、殺害の決定・命令者に一切言及せず、空白にしている。作者は、戦時下では動物殺害は不可避だったと考え、免責したのだろうか。それとも、子どもの絵本に、責任という観念を持ち込むのはそぐわないと思ったのだろうか。あるいは、ただ単に関心が及ばなかったのか。(本稿は4回続き、47NEWS編集部・共同通信=佐々木央)

 ■知的・気骨ある内務省エリート

 上野の動物殺害を命じたのは、初代の東京都長官(今の都知事)、大達茂雄(おおだち・しげお)だった。当時の東京は、東京府と東京市の二重行政が問題になっていたが、それを一本化する形で、1943年7月1日に東京都が発足する。同日、都長官に就いた大達は、わずか1カ月半後の8月16日、動物の殺害命令をくだす。

 経歴を確認しておく。

 1892年、島根県で生まれ、一高・東京帝大を経て内務省に入った。戦前の内務省は地方行政や警察、土木、衛生など国内行政の大半を掌握し「官庁の中の官庁」とも呼ばれた。大達は40歳で官選の福井県知事となり、満州国の法制局長や中華民国臨時政府の法制顧問、内務次官を歴任する。

 都長官の前は、初代の昭南特別市長だった。「昭南」はシンガポールのこと。1942年2月に日本軍が陥落させ、呼称を変更した。大達は占領下の民心によく配慮し、軍部の専横を抑制して「名市長」と評されたようだ。

 都知事の後は、44年9月から45年4月まで内務相を務め、終戦後、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘置された。不起訴となったが公職を追放される。解除後の53年に参院選に立候補し当選、文相に任命されて、日教組との対決姿勢を貫き、いわゆる教育二法を成立させた。55年、63歳で死去した。

 内務省エリート-傀儡国家の幹部―占領地の市長―戦犯容疑と並べれば、酷薄な官僚の顔を想起するが、同僚や関係者の証言からは、職務について知的に思考し、しかも気骨のある人柄が浮かぶ。経歴をたどっても、自らが正しいと信じることを主張して、上司と何度も衝突している。忖度とは無縁だったようだ。

 ■うそ垂れ流す軍部と政府を批判

 大達の没後1年、56年に刊行された伝記『大達茂雄』(大達茂雄伝記刊行会)から引用する。都長官になって間もなく開かれた知事のブロック代表の会議が開かれたとき、大達は政府に対して何を主張したか。

 ―戦局の真相をもっと国民に明らかにするべきだ。負けているのを勝った勝ったと放送していても、何時かは暴露する。現に、国民の間には「ほんとはこうなんだ」というようなことが小さな声でささやかれている。それが電波のように伝わるので、政府や軍部の公表を信用しない傾向がある。こんなことでは戦意は高揚されないばかりか、却って阻喪する。政府の善処を望みたいと言った―

 うそを垂れ流す政府を、大達は痛烈に批判していた。伝記だから割り引いて受け止める必要はあると思うが、彼は人々に正しい情報を伝え、民心を正しくつかむ必要性を自覚していた。正しいやり方かどうかは別にして、それが動物園の動物の殺害につながっていく。

 伝記は「動物園の猛獣を処分」の項を設ける。動機にかかわる部分を引く。

 ―政府や軍部は戦況の実相を、ひた隠しに隠しているので、国民はまだ敗戦必至、帝都が爆撃の為に灰燼になろうなどとは夢想もしていない。軍部自体が帝都には一機の敵機の侵入も許さないと威勢のよいことを言っているときだから、それほどの緊迫感は誰も持っていない。然し、大達はそうではなかった。彼の脳裡にはB29の大編隊が、東京の上空を乱舞する姿がありありと映っていたのだ―

 ■国民の様子に「これではいかん」と

 当時、応召して陸軍獣医学校教官だった上野動物園の園長・古賀忠道(こが・ただみち)は、1962年から65年まで、東京・上野の月刊タウン誌「うえの」に「動物とわたし」とエッセーを連載した。65年2月号で動物殺害に触れている。やや長いが、引用する。

 ―八月半ばのことでした。私は東京都の公園部長に呼ばれましたので、急遽行ってみると、当時園長代理をしていた福田三郎さんも一緒でした。そして今度、都長官の命令で猛獣を処分することに決定したから了承してくれとのことでした。


 私はその時、ああ、いよいよ来るものが来たと感じました。このことに至るまでに、都の主脳部(原文のママ)としては、相当議論もされたようでした。私たちは、その決定に対して、ただうなだれるよりほかはありませんでした。これは後に聞いたことでしたが、その頃はまだ国民は、みんな戦争には勝っていると思っていたのです。しかし、都長官になる前に、シンガポール、つまり昭南市長をやっていた大達さんには、もうほんとうの戦況がわかっていたのでしょう。

 東京都長官になって内地に帰って国民の様子を見てこれではいかん、戦争はそんななまやさしいものではないのだ、ということを、国民に自覚させねばならないということを痛感したのでしょう。そして大達さんは、それを言葉で言い表わすのではなくて、動物園の猛獣を処分するということにより、国民に警告を発するという方法を取ったのでした。

 それだから、草食獣であるゾウなどは、田舎に疎開させたら菜や草で生きられるのだからという意見もあったようですが、動物を処分するのが目的ではなかった大達さんは頑としてそれを許さなかったとのことでした―

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古賀忠道。当時上野動物園園長=1950年12月

 ■動物殺害による危機の先取り

 古賀は「後に聞いたこと」と断り、しかも「大達さんには…わかっていたのでしょう」「痛感したのでしょう」と推量形を重ねるが、大達本人に聞いた可能性が高い。

 大達が昭南市長のとき、古賀も昭南に配属されていた。古賀は戦前戦後を通じ、日本の動物園界のリーダーである。2人とも囲碁が好きで、特に大達は非常に強かった。誰彼となく碁盤を囲み、相手の打ちぶりで人物月旦までしていた。

 そのような関係から、古賀はなにかの折りに大達から直接、真意を明かされたのではないか。でなければ、ここまで踏み込んで“推量”を書き記すことはできなかったと思う。

 都の公式資料『都政十年史』(1954年刊)も次のように記述する。

 ―猛獣を殺してしまえという結論に至るには、空襲の際の危険ということのほかに、都民に一種のショックを与えて防空態勢に本腰を入れさせようという意図も相当大きく動いていたことを見逃すことができない―

 古賀は「国民への警告を発する」といい『都政十年史』は「都民に一種のショックを与え」と表現するが、意味するところは同じであろう。動物殺害によるいわば“危機の先取り”である。

 43年9月4日、殺害動物たちの慰霊法要が動物園で営まれた。平和であるべき動物園で血なまぐさい殺戮が行われたことは、広く人々の知るところとなる。それは大達の筋書き通りであった。



絵本『かわいそうなぞう』の深層意識 「猛獣処分」考(3)➡ここをクリック

絵本『かわいそうなぞう』の真実 「猛獣処分」考(1)➡ここをクリック





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