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終戦2日前の空襲で生徒犠牲 都留高女「学校葬儀」の弔辞展示 大月市郷土資料館(2020年9月1日配信『毎日新聞』)

 終戦2日前にあった米軍による大月空襲の実態を知ってもらおうと、大月市郷土資料館(大月市猿橋町猿橋)は特別展「戦後75年大月空襲」を9月30日まで開いている。山に囲まれた地方の小都市が米艦載機の標的となった理由や空襲の実態、75年を経ても今なお市内に残る戦争の痕跡などを紹介している。【小田切敏雄】

 1945年8月13日にあった大月空襲は、旧制都留高等女学校で生徒や教員ら24人が、大月駅裏にあった興亜航空の防空壕(ごう)などで旧制都留中学(現県立都留高校)の生徒10人が死亡するなど、50人を超える犠牲者が確認されている。

 今回、資料館が所蔵する都留高女の学校葬儀(8月28日)での弔辞を初めて展示した。弔辞の中で当時の杉田勅男(ときお)校長は犠牲となった生徒を「諸子は本校防空要員として、又学校工場動員学徒として、その職責を果し、陛下の忠良なる赤子として、其の本分を、遺憾なく発揮して、その職に殉ぜられた」とたたえ、「私共一億は、承詔必謹、今後の新日本建設の大業に邁進(まいしん)しなければなりません」と述べた。

 生徒総代の渡辺栄子さんは「此の後は残れる者に課せられる最大の苦しみを忍び新日本を一日も早く建設する様邁進いたします。これが各霊位へのせめてもの捧(ささ)げものと存じます」と、決意をにじませた。

 展示されている米側の「航空機戦闘報告書」によると、大月空襲を実行した米艦載機編隊は当初、川崎市の東京芝浦電気を目標としていたが、雲に覆われ投弾できず、爆弾投下できる場所を求めて雲の上をさまよい、たまたま雲の隙間(すきま)から見えた工場群とダムを攻撃。その場所が大月で、この時間に大月が雲に覆われていたら空襲はなかったとの見方を示している。

 このほか、「十三日午前八時二十分頃敵小型十数機の編隊が山梨縣下に来襲、主として大月町を中心に爆弾を投下したが被害僅少」と報じた空襲翌日の全国紙の紙面や爆弾の着地点を示す市街地図、爆風で吹き上げられた1・5トンの巨石や市立中央病院裏の通称「むすび山」にあった敵機を発見するための「大月防空監視哨跡」の写真、米機が投下したとされる爆弾の破片や薬きょうなど資料約30点を展示している。

 資料館は「戦後75年の節目の年に身近な地域に戦争の被害があったことを思い、戦争の愚かさと平和の大切さを考える機会としたい」としている。

 資料館はJR猿橋駅から徒歩10分。午前9時~午後4時半、月曜と祝日の翌日は休館。入館料110円。

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