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長い闘いの成果崩す杉田水脈議員(2020年10月7日配信『47ニュース』)

女性の地位向上に尽くした市川房枝に学べ

江刺昭子 
女性史研究者

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市川房枝(前列右から2人目)87歳の誕生日=1980年5月15日、東京・代々木の婦選会館

 今年は女性参政権が実現して75年。敗戦の年の11月に治安警察法が廃止され、女性の政治活動が自由になった。今では考えられないことだが、この法律は女性から結社の自由を剥奪していたのである。12月には衆議院議員法改正が公布され、国政選挙での選挙権と被選挙権がようやく認められた。翌46年の第1回総選挙で女性議員39人が当選している。

 それから74年、現在の衆議院の女性議員は46人で、わずか7人増えただけだ。現内閣の女性大臣は2人である。といっても、女性なら誰でも議員や大臣が増えればいいわけではない。

 性暴力被害をめぐって「女性はいくらでもうそをつけますから」と発言した杉田水脈議員のように、女性自身を貶めるようであってはならない。先に歩いた女性たちが、長い闘いの末に得た権利の上に、議員自身の今があるということに思いを致してもらいたい。

 大正時代から女性の参政権獲得運動の先頭に立ってきた市川房枝は1953年4月、参議院議員に初当選し、81年2月に現職で亡くなるまで、途中落選した3年間を除き、5期25年間議員を務めた。その国会活動の記録『市川房枝の国会全発言集 参議院会議録より採録』を読んだ。A4判688ページ、5段組の大冊で、市川の生誕100年を記念して、92年に市川房枝記念会出版部から発行されたものだ。

 本会議及び各委員会における232回の発言が記録されている。1890年の国会開設以来あまたの国会議員がいるが、全発言が一冊になっているのは稀有なことと思われる。

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参院本会議で代表質問する市川房枝=1979年1月31日

 市川は無所属で小会派だったため、希望する委員会に属することができず、質問割り当て時間も短かかった。その少ない持ち時間のなかで、短く核心をついた質問をして相手から答えを引き出すため、綿密にデータを集め、万全の準備をして会議に臨んでいる。

 議員活動は多岐にわたり、1950年代には党派を超えて衆参女性議員の懇談会を組織し、売春防止法を成立させた。その後も女性の地位向上と政治の浄化・理想選挙の実現に執念を燃やした。公営ギャンブルに反対する立場からの発言も多いが、ここでは女性の地位向上に関する発言をみる。

 59年4月7日の参院予算委員会。当時の岸信介内閣には、女性大臣どころか女性の政務次官もいなかった。国家公務員の上級試験の女性合格者が増えているのに、官庁がその半数ぐらいしか採用していない。公立の小中学校の女性校長は終戦直後より少なくなっている。女性を軽く見ているのではないかと追及した。

 こののちも繰り返し、中央省庁の局長や課長、大公使、政府関連の審議会に女性を起用せよ、口約束ではなくて目に見える施策をと、ときの内閣に迫っている。組織の意志を決定する地位に就く女性を増やすことこそ、女性問題の解決への近道だという強い信念を持ち、その発言が実現に結びついていく。

 60年、池田内閣で中山マサが厚生大臣になった。初の女性大臣である。しかし、中山と彼女を起用した内閣に対する市川の評価は厳しい。60年12月13日の本会議ではこう追及した。

 中山は大臣として役所にいるよりも、「看板娘として、同僚議員及び党の選挙運動に引っ張り回されることが多く」、大臣として勉強し、その職務を果たすことがおろそかになった。これは内閣や党の責任だ。しかも総選挙を経た第2次池田内閣ではクビになった。「選挙が済んで用がなくなったからなのか」。

 国際婦人年の75年6月、市川は国会で全党派参議院女性議員を代表して「国際婦人年にあたり、婦人の社会的地位の向上をはかる決議」の趣旨説明をして、全会一致で採択させた(75年6月18日・本会議)。女性の地位向上を求める決議は国会史上、初めてのことだった。

 政策を実現するには予算の裏付けが必要であることも熟知していた。政府が3249万2259円も使って国際婦人年の新聞広告をだしたが、どれだけ効果があるのか。婦人年の行事を担当する労働省婦人少年局の事業費予算は2200万円。これと比べ、多額の広告費はもったいないと指摘している(75年3月25日・予算委)。

 政府も国際婦人年国内行動計画を策定し、9月に総理府内に婦人問題企画推進本部を設置した。しかし、本部長の首相以下、本部員は全員男性という体制だった。市川は、婦人問題を語るのに婦人が一人も入っていない矛盾を繰り返し突いている(76年4月30日・予算委など)。

 長年要求してきた女性大使が実現したのは80年。高橋展子(のぶこ)がデンマーク大使になり、同年コペンハーゲンで開かれた第2回国連世界女性会議で女性差別撤廃条約に署名する。以後、この条約の批准に向けて国内の女性政策が進展した。

 内閣が交代するたびに、市川は首相の女性観を聞き、大平正芳総理との応答は話題になった。

 大平の娘が女性誌に、父は昔から口癖のように「おなごは勉強せんでいい、可愛い女になれ、そして早くお嫁に行きなさい」と言っていたと書いた。79年1月31日の本会議で、それを取り上げた。

 総理は今もその考えなのか。「もしそうだとしたら、総理にはもう一つ、婦人問題企画推進本部長という職がおありになりますが、その方の資格は足りない、落第だ。(中略)現在の婦人観、あるいは本部長としての決意を伺いたい」と迫った。

 大平は娘の証言を認め、私は女性を尊敬している、男女平等の確保に努力すると答弁したが、女性観の古さは明らかだった。

 市川の最後の国会発言は、80年12月18日の法務委員会。のちに富士茂子のえん罪が確定する「徳島ラジオ商殺し事件」の再審問題を取り上げた。5日前に出されたばかりの徳島地裁の再審開始決定を評価し、その努力と勇気に対して敬意を表しつつ、この決定にあらがう地検の即時抗告は納得できないと述べた。

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冨士茂子を励ます市川房枝=1979年10月22日、徳島市の病院

 膨大な発言集をまとめた元国会図書館職員の山口美代子は「解説 国会質疑にみる市川房枝の国会活動」で、「(売春防止法という)人権問題から出発した市川の国会活動は、人権問題でしめくくられた」と総括している。

 政治の基礎には何があるべきか。男女を問わず、政治学を学ぶ学生や政治家を志す人たち、格差や差別の解消を願う人たちに、読んでほしい1冊である。そして杉田議員も是非、市川の歩みに学んでほしい。(女性史研究者・江刺昭子)



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