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「女性はいくらでもうそをつく」という発言の原因を考える(2020年10月8日配信『毎日新聞』)

青木理・ジャーナリスト

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青木理氏=長谷川直亮撮影

 「女性はいくらでもうそをつく」。そう発言した自民党の杉田水脈衆院議員が批判を浴びているが、誤解を恐れずに言えば、私は杉田氏に若干の同情めいた思いというか、一種の哀れみに似た感情を覚えている。

 もちろん、以前杉田氏が寄稿して月刊誌が休刊する引き金となった、性的少数者(LGBTなど)について「生産性がない」といった言説と同様、今回も論外の発言である。ただ、「こう言えば喜んでくれる人たちがいる」と思い込み、杉田氏なりに「良かれと考え」て一連の言説を発しているようにも思われて仕方ない。

 つまり、いずれも政権や与党内に漂っている価値観を直截(ちょくせつ)な形で表現しただけのことであり、さらに言うなら、昨今の日本社会にもうっすらと共有されている認識が杉田氏を通じて表出されているということではないのか。

 私は杉田氏と一度だけ、あるテレビ番組で共演したことがある。番組前の打ち合わせから同席し、そこには番組の司会者や他の共演者、スタッフらも大勢いたが、初見の人が姿を見せると杉田氏はすぐに立ちあがり、丁寧なあいさつを繰り返していた。一介の物書きにすぎず、政治的立ち位置も杉田氏とは正反対の私に対しても――ひょっとすると杉田氏は私のことを知らなかった可能性もあるが――、いそいそと駆け寄ってきて両手で名刺を差し出し、深々と腰を折った。

 その時の印象だけで杉田氏のすべてを評価するつもりなど毛頭ないが、とにかく礼儀正しく、とても一生懸命に見えた。

 そんな杉田氏を取り立てたのが安倍晋三前首相だったことはよく知られている。もともとは日本維新の会から出馬し、比例復活当選で一度は衆院議員となっていた杉田氏は、その後の選挙で惨敗を喫して浪人中だった。ジャーナリストの桜井よしこ氏がネットテレビで明かしたところによれば、その杉田氏を知った安倍前首相が「彼女は素晴らしい」と絶賛し、自民党は2017年10月の衆院選で比例中国ブロックの比例単独候補の最上位に据え、再び杉田氏を衆院議員に返り咲かせたのだった。

 礼儀正しく、一生懸命な杉田氏がそのことに恩義を感じ、前首相の思いに応えようと考えるのはむしろ自然だろう。問題化した発言の数々も、前政権の姿勢や目指す方向と異なるようには思えない。

 実際のところ前政権は古色蒼然(そうぜん)とした「伝統的家族観」なるものを重視し、個々人のライフスタイルや性的指向の多様性などからは目を背け、同性婚どころか選択的夫妻別姓制すら認めてこなかった。一方で昨今の政権や与党、そして日本社会には人の価値を「生産性」なるものではかる新自由主義的な風潮が相当蔓延(まんえん)していて、この両者を直線的に連結させた果てに杉田氏の発言もある。

 そういえば杉田氏は以前、国会で選択的夫妻別姓制の導入を求めた野党議員の発言中、「だったら結婚しなくていい」とやじを飛ばしたと指摘されている。夫妻別姓制の導入や性的少数者などへの支援の動きについては「日本を崩壊させようとコミンテルンが仕掛けた」などと口にして物議を醸したこともある。まったく荒唐無稽(むけい)で、笑い飛ばしたくなるが、これも別に杉田氏独自の発想ではなく、似たような主張は古くからあった。

 たとえば、前政権のコアな支持層である右派組織「日本会議」について取材した際、事務局長として同会議の組織運営を統括している人物が次のような文章を書いているのを知ってあぜんとしたことがある。

 「旧ソ連が何故家族制度の廃止に取り組んだのか」「それはソ連政府が家族を革命遂行の最大の敵の一つと見なしたからである」「旧社会党を中心とする夫婦別姓制導入勢力は、日本の家族関係の大変革を実行に移そうとしている。しかしその主張の陥穽(かんせい)を見抜き、旧ソ連の悲劇を日本に再現させないことこそ、歴史の教訓に学ぶ保守政治家の使命と言うべきではなかろうか」(『祖国と青年』誌、1996年3月号)

 要するに、杉田氏の考えが「特異」なのではない。前政権のコアな支持層にはそうした「特異」な考えがかなり共有されていて、杉田氏はその「特異」な考えを直截に発したにすぎない。

 今回問題化した「女性はいくらでもうそをつく」という発言にも同じようなことが言える。

 報道によれば、杉田氏の当該発言は韓国の元慰安婦支援団体で起きた資金流用事件などに触れる形で出たという。ならば、この発言の背後に元慰安婦問題をはじめとする戦中の日本の加害責任を矮小化したり否定したりしてきた、前政権のコアな支持層に目立つ歴史修正主義的な思想へのおもねりがあったのは想像に難くない。

 また、前政権に近いことで知られた元民放記者から性的暴行を受けたとジャーナリストの伊藤詩織氏が訴えている件もおそらく念頭にあったろう。杉田氏はこれまでも伊藤氏について「女として落ち度があった」などと言い、伊藤氏を誹謗(ひぼう)中傷するツイッターなどに繰り返し賛意を示してきたという。

 ただ、こうした認識も杉田氏独自のものではない。たとえば麻生太郎副総理兼財務相は、女性記者に対する財務省高官のセクシュアルハラスメントが問題化した際、「セクハラ罪という罪はない」「(女性記者に)はめられて訴えられているんじゃないか」などと言いたい放題だった。他にも数々の暴言、放言を吐きつづける副総理兼財務相を「またか」とばかりに見過ごし、杉田氏ばかりが声高に批判されるのはいささか公平性に欠けるのではないか、などと私は考えたりもする。

 振り返ってみれば安倍前首相も、杉田氏が性的少数者(LGBTなど)について「生産性がない」と書いて批判を浴びた際、「まだ若いですから。しっかり注意しながら仕事をしてもらいたい」と擁護した。これは杉田氏にとって「考えは間違っていないのだから、言葉遣いに注意してがんばりなさい」と励まされたに等しかったのではないか。

 いずれにせよ圧倒的な男性優位社会の日本政界にあって、意識的か無意識的かは別としても、数少ない女性議員である杉田氏がその“前衛”を担わされ、女性やマイノリティーをおとしめる言説を繰り返しているのはあまりに痛々しい。だからといって杉田氏の言説は免責されないし、免責すべきでもないが、杉田氏の発言の奥に深く広く横たわる問題の根源にも目を向ける必要がある。




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