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(論)学術会議に関する論説(2020年10月15・16・17・20・22・28・30・31・11月1・2・3・4・5・6・7・8・10・11・12・15・21・23・24・30・12月1・4・5・7・8・10・11・15・17・18・19・20・21・22・23・27・28・29日・2021年4月10日・14・22・23・24・25・26・27・29・30日・5月2・10日)

学術会議の声明/首相は違法状態の解消を(2021年5月10日配信『神戸新聞』-「社説」)

 日本学術会議は、菅義偉首相が拒否した会員候補6人の即時任命を求める声明を総会でまとめた。

 6人はいずれも人文・社会科学分野の候補で、安倍前政権が成立させた安全保障関連法などを批判していた。だが、任命拒否が発覚した昨年10月以来、首相も政府もその理由を十分に説明していない。これでは時の政権に異を唱える研究者の排除を狙った、恣意(しい)的な人事と疑われても仕方がない。

 6人は内閣府への自己情報開示請求で、拒否理由を明らかにするよう求めている。理にかなう説明ができないなら、首相は拒否を撤回し、速やかに6人を任命するべきだ。

 日本を代表する学術団体である同会議は、国の「特別の機関」として「独立して職務を行う」と日本学術会議法で定めている。科学者が国家に追従し、戦禍に国民を巻き込んだ過去への深い反省からである。

 分野を超えた多くの学会が首相に任命拒否の撤回を求めている。元会員で97歳になる気象学者が募った撤回を求めるネット署名には6万1千人が名を連ねた。人事への政治介入を許せば、「学問の自由」が侵されるとの危機感の表れだろう。

 これに対し、任命拒否の法的根拠は乏しい。同会議法は会員定員を210人とし「会議の推薦に基づき首相が任命する」と定める。歴代政権は、首相の任命は形式にすぎない、とする国会答弁を踏襲してきた。

 ところが菅政権は「推薦通りに任命する義務はない」と法解釈を曲げ、拒否を押し通した。その結果生じた欠員を半年も放置するのは無責任というほかない。自ら招いた「違法状態」を解消するには、首相が法に従い、学術会議の推薦候補を任命するしかないのは明らかだ。

 一方、学術会議は政府が求めた組織改革の検討に応じた。公的地位、国からの独立、財政基盤などの要件を踏まえ、今の組織形態が役割を果たすのにふさわしいと結論づけた。

 政府機関からの「切り離し」を求める自民党は反発し、政府は新たに有識者会議を設置して学術会議の在り方を議論する方針を決めた。

 だが、内閣府の有識者会議は6年前に「現在の形態が望ましい」との報告書をまとめており、短期間での再検討には首をかしげざるを得ない。任命拒否の違法性を曖昧にし、混乱を長期化させるだけではないか。


 コロナ禍で先が見通せない中、科学に裏付けられた政策は重要性を増す。政権が仕掛けた組織改革論に時間を割かれ、本来の活動に支障が出ているとすれば見過ごせない。

 学術会議の機能を今こそ発揮してもらわねばならない。政治にはそれが可能な環境を整える責任がある。





学術会議問題 声明を尊重して即時に任命せよ(2021年5月2日配信『愛媛新聞』-「社説」)

 日本学術会議は東京都内で総会を開き、菅義偉首相が拒否した会員候補6人を「即時に任命するよう要求する」とした声明をまとめた。政府に対して詳しい拒否理由の説明を求めていたが応じないため、総会の声明の形を取った。

 しかし政府側は要求を拒否する考えを改めて示すなど、問題が解決に向かうめどは立っていない。任命拒否により学術会議は法定会員数を満たさない異例の状態が続く。学問は政治からの独立が不可欠で声明は重い。首相は真摯(しんし)に受け止め、6人を一刻も早く任命すべきだ。

 学術会議は組織の在り方の見直しを巡り「役割を果たすには今の形態がふさわしい。形態変更の積極的理由を見いだすことは困難だ」との報告書をまとめた。公的地位、国からの独立、財政基盤などの要件が満たされるかどうかを検討した結果とする。今後も検討を続けるというが、現時点では違和感のない結論である。

 学術会議は、政策を提言する行政機関で、独立性が特徴とされる。新会員候補105人を推薦したが6人が拒否された。6人は、過去に共謀罪の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法に反対意見を表明するなど政府方針を批判している。

 首相は拒否した理由を「総合的、俯瞰(ふかん)的な判断」とするが、批判を理由とする恣意(しい)的な拒否なら、学問の自由を阻害する人事介入にほかならない。現制度になった2004年度以降、推薦候補の任命見送りは初めてで特異なのは明らか。首相は6人もの欠員が出ている状態を正常化する責務がある。

 学術会議は任命拒否について「一般的な説明を超えた特段の理由を示す責任がある」と指摘する。拒否された学者らは、理由を明らかにするよう、官房副長官らが内部協議した際の文書を対象に内閣府に情報開示請求した。「任命拒否は違法で議会制民主主義を破壊する行為。会議の独立性を大きく踏みにじっている」として、不開示なら訴訟も辞さない構えだ。政府は誠実に応じなければならない。

 任命拒否の問題発覚から半年以上たつが、政府は学術会議側からの再三の要求に対し、かたくなな態度を貫くばかりか、逆に学術会議側に組織の見直しを求めて「改革」を迫っていた。政府は有識者議員懇談会で、組織形態など学術会議の在り方を議論すると決めた。

 14年にも有識者会議を設けて検討し、15年には「現在の形態が望ましい」との報告書をまとめている。6年ほどでの再検討は、合理的な必要性が感じられず「国の機関から切り離す」との結果ありきの要求としか考えられない。任命拒否問題を放置した中での改革要求は、論点のすり替え以外の何物でもない。

 衆参3選挙の自民全敗を受け菅首相は「正すべき点はしっかり正していきたい」と繰り返している。学術会議の任命拒否はその正すべき問題である。





【学術会議改革】政府の下請けにはできぬ(2021年4月30日配信『高知新聞』-「社説」)

 日本学術会議の会員への任命を菅義偉首相に拒否された学者たちが、理由を明らかにするよう内閣府に情報開示請求した。

 会員候補の6人は安全保障関連法や、沖縄県の米軍普天間飛行場の移設を巡る政府対応などを批判してきた。それを受けた恣意(しい)的な人事であるなら、学問の自由を脅かす不当な政治介入である。

 政府がだんまりを決め込むことは許されない。開示請求に応じるべきである。

 拒否の理由について菅首相は「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動を求める観点から」と述べたほか、会員の出身や大学に偏りがあるとするなど説明が二転三転した。一方で、6人が政府方針への反対運動を先導する事態を懸念したためだ、とする政府関係者の発言も報じられている。

 真実はどうなのか。核心部分の解明を脇に置いたまま、政府は学術会議の年間約10億円の予算などへの疑問をちらつかせ、組織のあり方の見直しを打ち出した。論点ずらしと言うほかない。自民党は独立行政法人などへの移行を求めているが、そうなると政府の関与が強まる恐れも指摘されている。

 学術会議側は国を代表する学術団体「ナショナルアカデミー」として、「公的地位」「活動面での政府からの独立」「財政基盤」などの要件を満たす必要性を指摘。現在はすべて満たしており、組織形態を変更する積極的な理由はないとする報告書をまとめた。

 自民党は「現状維持で改革に消極的」と批判するが的外れだろう。

 学術会議が国からの独立を重視するのは、科学者が太平洋戦争に協力したことへの強い反省からだ。政府方針に反することでも堂々と提言し、政府もそれに真摯(しんし)に向き合う。そうすることが社会の利益につながるのは言うまでもない。

 独立性と財政基盤の確立は科学の知見を社会に生かすために不可欠であり、学術会議がそれを求めるのは当然である。

 任命拒否問題が発覚して半年余り。ナショナルアカデミーと政府とのせめぎ合いが続くことは、国にとって有益ではない。学術会議の梶田隆章会長は「新型コロナウイルス対応をはじめ他の審議が滞っている」と、活動に影響が生じていることを認めている。

 感染症対策を進める上でも、現状の政治と科学の対立は百害あって一利なしだろう。

 学術会議は先ごろ開いた総会で、任命を拒否された6人の即時任命を求める声明を出した。拒否の撤回を求める6万1千人分の署名も内閣府に提出されている。

 事態を打開するにはこうした動きも踏まえて、政府がまず任命拒否の理由を説明し、拒否を撤回しなければならない。その上で、学術会議のあり方に見直しが必要な部分があるなら協議するべきであろう。

 学術会議が政府の「下請け機関」となるような改革は、決して認めることはできない。





学術会議の声明 即時任命で違法解消を(2021年4月29日配信『中国新聞』-「社説」)

 日本学術会議の会員候補6人の任命について、菅義偉首相が理由も挙げずに拒否してから半年以上がたつ。いつまで、こんな状態を続けるつもりだろう。

 学術会議は先週、6人の即時任命と拒否理由の説明を要求する声明を総会でまとめた。

 任命拒否が明るみに出た昨年10月以降、理由説明などを求める要望書や問題解決を望む幹事会声明を繰り返してきたものの、政府側はまともに取り合っていない。総会声明という、一段と強い調子で迫った覚悟を受け止めねばならない。

 ところが、声明を受け取った井上信治科学技術担当相は「権限がないので、なるべく早く首相に伝える」と述べるにとどまった。全ては、菅首相の胸三寸にあると言いたいのだろう。

 6人は、安全保障関連法などで政府方針に異を唱えた法学者らである。加藤勝信官房長官は「手続きは終了している」と、拒否理由の説明に応じようとしない。国民に納得のいく理由を示さぬ限り、恣意(しい)的な介入と疑われても仕方あるまい。

 元学術会議会員で97歳の気象学者、増田善信さんが任命拒否の撤回を求め、約6万人分の署名を内閣府に提出した動機も、その危機感からだった。「人事介入で組織が変質し、戦時中のように研究者を政治に従わせる動きが加速してしまう」

 岡田正則早稲田大教授ら6人は今週、拒否理由を明らかにするよう、内閣府に自己情報の開示請求をした。人事やプライバシーを理由に政府が開示を拒む言い逃れは通用しない。正面から向き合う必要がある。

 この問題で、首相が金科玉条としてきたのは、公務員の選定や罷免を「国民固有の権利」とする憲法15条だ。特別職の国家公務員である学術会議会員についても、国民を代表する政府には「任命しない権限」があるかのように言い繕ってきた。

 憲法を持ち出すなら、内閣の職務を定める73条についてはどう考えるのだろう。「法律の定める基準」に従い、公務員に関する事務を担うよう規定する。日本学術会議法で定める会員の定員を満たさぬ現状は、違法状態である。欠員の解消は政府の責務にほかならない。

 憲法上の権利は、政府の横暴を食い止めるため国民に保障されたものだ。憲法23条にうたう学問の自由を曲げ、政府の権限を強めるためにあるのではない。立憲主義への理解を欠く姿勢まで、前政権から引き継いでいるのだろうか。

 今日に至るまで事態がこじれた要因の一つは、政府・自民党による論点のすり替えだろう。問題発覚後に政府は、学術会議の年間予算約10億円に疑問を挟み、組織の在り方見直しを打ち出した。党も呼応し、プロジェクトチームの提言で政府機関から外す改革案を投げ掛けた。

 学術会議は今回の声明に併せ、組織改革の検討結果も報告書にまとめた。法律で独立性が保障された現行の形態を「変える積極的な理由は見いだしにくい」と結論付けた。今後、組織の設置形態についてさらに検討を深め、会員の多様性や会員選考プロセスの透明性を確保していく姿勢も示している。

 政府には、学術会議の独立性を尊重し、政治介入はやめてもらいたい。一刻も早く、まず任命拒否を撤回すべきである。



器量(2021年4月29日配信『高知新聞』-「小社会」)

 財政難に陥った米沢藩を立て直した名君、上杉鷹山(ようざん)はリーダー学のモデルとして名高い。作家、童門冬二さん著「『中興の祖』の研究」には、鷹山が家臣に糾弾される一幕が出てくる。
 
 家臣はある夜、読書にふける主君にいら立ち、足軽の苦しい生活を見せにいく。「これは若殿の責任ですぞ」。驚いた鷹山は内職に励む足軽たちやその家族を見つめ、財政再建の意を強くする。童門さんは、鷹山を「諫言(かんげん)を喜んで受け入れる器量があった」と書く。
 
 日本学術会議の会員への任命を菅首相に拒まれた学者たちが、理由を明らかにするよう内閣府に情報開示請求した。発覚から半年余り。問題は全く解決されていない。
 
 政府は逆に「改革」を迫る姿勢を崩さないが、原点はあくまで任命拒否の理由だ。安全保障関連法などで政府方針を批判してきたから―。首相らは「個別の人事なので差し控える」としか言わないため、そうとられても仕方あるまい。
 
 先ごろ憲法学者、木村草太さんの講演を聴く機会があった。憲法がいう「学問の自由」とは、学問の自律性の保障。たとえば国の出資で研究し、国に不都合な結果が出たとしても、国は学術機関に理不尽な圧力はかけられない。そう解釈されてきたという。
 
 要は、耳の痛い意見も政策に生かす器量が政治にあるかの話に見える。「反対するなら異動してもらう」。そんな官僚操縦術を公言してきた首相の器量はどうだろう。



[学術会議声明]首相は任命拒否撤回を(2021年4月29日配信『沖縄タイムス』-「社説」)

 日本学術会議の会員候補6人の任命を菅義偉首相が拒否した問題は、半年余り経過した今も解決していない。

 学術会議は先週開いた総会で、拒否された会員候補6人を「即時任命するよう要求する」との声明をまとめ、政府へ提出した。

 これまでも再三、6人の任命と拒否理由の詳しい説明を求めてきたが、政府は応じていない。今回、総会の声明という形を取ったのは「強い意思の表出」という。

 学術会議は法定会員数を満たせないままでいる。声明は、菅首相の説明が一切なく「会議の独立性を侵す可能性がある」との見解を示している。

 そもそも日本学術会議法は、会議の推薦に基づき首相が会員を任命すると定める。任命拒否には法律家団体から違法性が指摘されている。

 異常事態をこれ以上放置してはならない。菅首相は声明を重く受け止め、直ちに6人を任命すべきである。

 この問題に対する政府の姿勢は不誠実だ。

 当初、菅首相は「総合的、俯(ふ)瞰(かん)的」に判断した、と漠然とした釈明に終始した。その後は「多様性を念頭に判断した」と主張したが、6人の中には元々少ない女性も含まれており矛盾している。

 拒否された6人は、理由を明らかにするよう内閣府に情報開示請求した。杉田和博官房副長官らが内部で協議した際の文書を対象としている。

 自らの情報を請求する「自己情報開示請求」であり、個人情報は開示を拒む理由にならない。速やかに開示すべきだ。

■    ■

 総会では、学術会議の在り方についての報告書もまとめた。国の特別の機関である今の組織形態が役割を果たすのにふさわしく「変更する積極的理由を見いだすことは困難」とする内容だ。

 公的地位や安定した財政基盤、活動面での政府からの独立、会員選考の自主性・独立性など、国を代表するアカデミーの要件を検討した結果、導き出した結論だという。

 組織の在り方を巡っては、菅首相が突然見直しを打ち出し、自民党のプロジェクトチームは、政府から独立した法人格に移行させるのが望ましい、との提言をまとめた。

 今回の報告書に対して自民党から「改革に消極的」と批判の声がある。だが、報告書には今後も検討を続けると記され、情報発信力の強化など目指すべき方向性も示している。組織の改革は任命拒否問題と切り離して時間をかけて議論すべきだ。

■    ■

 学術会議は科学者が戦争に協力した過去を反省して設立された経緯がある。元会員の97歳の男性は、気象学者として自らも軍に協力した自責の念から、任命拒否の撤回を求める署名を募り、約6万1千人分を内閣府に提出した。

 国を代表するアカデミーは、政権への批判を含めて専門的な見地から見解を示す役割がある。社会が一丸となって感染拡大防止に取り組まなければならないコロナ禍の今こそ、学術会議の重要性は増している。

 政府には学術会議が役割を発揮しやすい環境づくりにこそ力を入れてもらいたい。





学術会議の声明 任命拒否放置許されぬ(2021年4月27日配信『北海道新聞』-「社説」)

 日本学術会議が菅義偉首相から任命を拒否された会員候補6人について、即時任命を求める声明を決定し、政府に提出した。

 すでに多くの学会などが会議側の推薦に沿った任命を要求しているが、科学者の代表機関である当の学術会議が総会声明という強い形で求めたことの意味は重い。

 先週には気象学者の元会員が、政府対応に抗議する約6万人の署名を内閣府に提出した。

 任命拒否は会議の独立性を明記した日本学術会議法に反する。歴代政権の対応とも異なる。

 政府は安倍晋三前政権以降、学術会議の人事や運営に明確な理由も示さずに介入してきた。

 憲法が保障する学問の自由を脅かし、科学者の研究活動を萎縮させかねない。

 任命拒否からすでに半年が過ぎた。これ以上、この問題を放置することは認められない。

 首相は一刻も早く6人を任命し、欠員が続く学術会議の運営を正常化させる責任がある。

 学術会議は先の大戦に科学者が協力したことへの反省に基づき設立され、軍事研究を否定してきた。

 それに対し、自民党は軍事研究の解禁など政権の意に沿う組織に変えようと、会員の人選や約10億円の予算の権限をちらつかせ、会議側に圧力をかけている。

 総会声明は、過った歴史を繰り返しかねないことへの、科学者たちの強い危機感の表れでもある。

 だが加藤勝信官房長官は「一連の手続きは終了している」と拒否した。看過することはできない。

 首相は国会で、拒否の理由について追及されると「個々の人事のプロセスは答えを差し控える」と繰り返してきた。

 任命を拒否された学者6人はきのう、理由を明らかにするよう内閣府に開示請求した。

 自らの情報を請求する「自己情報開示請求」により、政府が個人情報を理由に開示を拒むことを防ぐとしている。

 政府は任命拒否に関与した杉田和博官房副長官らの協議文書などをただちに開示するべきだ。

 菅政権はこの問題に乗じ、学術会議に国からの独立を検討するよう求めていた。

 会議側が声明とともに、国の特別の機関である現行の組織形態が望ましいとする報告書を提出したのは、当然の結論であろう。

 任命拒否を巡る一連の問題は、組織改革の報告書提出をもって当面、たなざらしになる恐れがある。問題の幕引きは許されない。



学術会議新声明 政府は欠員の解消急げ(2021年4月27日配信『秋田魁新報』-「社説」)

 日本学術会議の会員候補の任命を菅義偉首相が拒否した問題は、いまだ決着からはほど遠い。会議は、拒否された候補6人を「即時に任命するよう要求する」とする声明をあらためてまとめた。拒否された学者たちは、理由を明らかにするよう内閣府に情報開示請求した。

 菅首相をはじめ政府側は昨年10月に問題が表面化して以降、拒否理由の説明に応じず、任命手続きは終了したと主張している。しかし明確な説明がないままでは、恣意(しい)的な人事ではないかとの疑いが拭えない。直ちに情報を開示することが求められる。正当な理由を示すことができない限り、早急に6人を任命するべきだ。

 学術会議は内閣府に置かれた特別の機関。政府から独立して活動し、政府の諮問を受け答申するほか、独自の提言も行う。

 日本学術会議法は、会員について会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命するとしている。学術会議の独立性を守るための規定であり、菅首相以前の歴代首相は推薦された候補の任命を拒否したことはなかったとされる。

 会議の定員は210人。任期は6年で、3年ごとに半数の105人を任命する。定員が法で定められている以上、欠員が生じれば新たな会員を任命するのが政府の責務だ。半年余り欠員を放置しているのは無責任と言わざるを得ない。

 情報開示請求は、杉田和博官房副長官らが任命について内部で協議した際の文書が対象。任命拒否された本人が自らの情報を請求する「自己情報開示請求」だ。政府が個人情報であることを理由に開示を拒むのを防ぐ狙いがある。本人にも説明できないようなら任命拒否の正当性は信じることができなくなる。

 請求後、記者会見した学者たちは任命拒否について「会議の独立性を踏みにじる」などと厳しく指弾。不開示などの際には訴訟も視野に入れるとした。

 6人は過去に安全保障関連法などを巡り、政府方針を批判した経緯がある。このままでは、政府に批判的な学者を排除したとみられても仕方がない。批判的な意見も尊重し、政策に反映するのが民主主義だろう。

 識者からは学術職・学術機関の自律を保障する憲法23条の「学問の自由」に違反するとの批判が上がっている。政府は謙虚に耳を傾けるべきだ。

 学術会議は、政府が求める組織の在り方の見直しについても報告書をまとめた。今の組織形態は役割を果たすのにふさわしいとした上、形態を変更する積極的理由は見いだせないとした。これに対し、会議の独立行政法人化などを検討する自民党プロジェクトチームは見直しに消極的だなどと批判している。

 しかし、任命拒否との関連で何が問題なのかを明確に指摘せずに改革を迫るのは、議論として無理がある。まず任命拒否問題の解決を急ぐのが順番だ。



都合主義の裏の顔(2021年4月27日配信『熊本日日新聞』-「新生面」)

 表と[おもて]は、すなわち顔を表す面で[おもて]ある。日本人は面目を大切にするというが、それはあくまで「おもて向き」であって、実はそれ以上に裏が重視されている-と評論家の森本哲郎さんは説く

▼小切手は裏書きしなければ使えないし、証言にも裏付けが必要。そして、「裏には裏がある」とのことわざも。つまり目に見える表は建前で、隠れた裏にこそ本音、本質があるとの意識を持っていると(『日本語 表と裏』新潮文庫)

▼おととい投開票された衆参3選挙で、不戦敗を含め自民党が全敗した。菅政権にとって大きな痛手だが、そもそもうち二つは、同党前職議員の裏のカネが表ざたとなったことで実施された選挙である

▼中でも参院広島選挙区での公選法違反事件で、有罪が確定した河井案里前議員の場合は、自民党本部が投入した1億5千万円が買収の原資なのでは、と疑われている

▼今年の自民党への政党交付金配分額は、共同通信の試算によると約170億円に上るという。政治家への公助である同交付金が導入されたのは、政治資金規正法の改正によって、政治のカネの流れは全て表に出して透明化するという約束があったからだ

▼にもかかわらず、河井氏の事件では本人も自民党も説明責任を果たさず、裁判でも資金の出所はうやむやのままで終わってしまった。「自助」や「既得権益の打破」を掲げながら、自分たちには適用しない。今回の選挙結果は、菅政権のそんなご都合主義の裏の顔が、選挙民に見透かされたということではないか。





学術会議問題 決議に応え事態打開せよ(2021年4月26日配信『茨城新聞』-「論説」)

 日本学術会議の会員候補6人を菅義偉首相が任命しなかった問題は半年を過ぎても着地点を見いだせない。政府・自民党が同会議を政府機関から外す改革案を持ち出し、事態はさらにこじれた。

 拙速な改革はやめるべきだ。その有害性は、研究力低下を招いた国立大法人化などの大学改革で証明済みだ。首相が問題を解決したいのなら、ボタンの掛け違いを丁寧に直していく必要がある。

 学術会議は内閣府に置かれた特別の機関だ。設置法で人文・社会科学を含む日本の科学者の「内外に対する代表機関」とされ、科学の発展を図り、行政、産業、国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする。

 ユニークなのは政府から独立して職務を行う点だ。政府の諮問を受けて答申するだけでなく、独自に課題を設定して審議し政府に提言もする。今の問題の根っこは、設立から70年余りたってもそのシステムを成熟させられなかったことにある。答申や意見表明は、時の政府の意に沿わないことも当然ある。2017年には、防衛にも応用可能な基礎研究を助成する防衛装備庁の制度について「政府による介入が著しく、問題が多い」とする声明を出し、政府・自民党の不興を買った。

 制度への参加を禁じたわけではない。そんな権限は同会議にない。降って湧いた軍事研究への誘いを前に戸惑う大学や研究機関に対し、研究の目的や方法、応用の妥当性を技術的、倫理的に審査する仕組みをつくるよう勧めただけだ。

 科学者には「獲得した知識は科学者共同体の共有財産である」「科学者の作業に人種、国籍、文化、ジェンダーは一切関係ない」という世界共通の規範がある。学術会議も加盟する国際学術会議は「科学者の自由な交流を妨げてはならない」という基本原則を掲げる。

 大学など自由な交流の場に軍事研究を持ち込めば、こうした規範や原則は守りにくくなる。軍事研究が盛んな米国でさえ、多くの大学が機密を伴う研究を敷地内で行うのを原則禁止している。

 そこには、国境を越えて多様な才能が集まり、役立つかどうかは関係なく好奇心に駆られて研究することが基礎研究で優れた成果を生むのだ、という知恵がある。

 イノベーション創出をうたい巨額の政府資金を投じた日本の研究プロジェクトの成果がはかばかしくないのも、研究力低下を招いたのも、そうした科学の基本が日本ではあまり理解されていないことが根底にある。

 自民党の提言は、政府組織なのに政府から独立していることを矛盾だとする。だが独立した見地からの異なる意見も生かすことが政治の本質だろう。採用できない場合に理由を説明することも合意形成に役立つはずだ。

 政策を決める各府省の審議会には特定の分野の学者がいるだけだ。分野を超えた知見を基に政府に助言でき、かつ国際的に日本の科学者を代表するのは学術会議しかない。ただ、今の組織は国からの資金も少なくあまりにも弱体であり、機能を強化する必要がある。

 同会議は22日の総会で会員候補6人の即時任命を求める声明を決議し、機能強化の方向性も示した。首相はこれに応え、事態を打開すべきだ。感染症と闘う今こそ、政治と科学が互いに理解を深め、共同作業のシステムを築く好機ではないか。



日本学術会議 反省なき組織に未来ない(2021年4月26日配信『産経新聞』-「主張)

 日本学術会議が総会を開き、昨年秋に菅義偉首相が、学術会議推薦の候補のうち会員に任命することを見送った6人について、即時任命を要求する声明を出した。

 政府の要請で検討してきた組織改革をめぐっては、首相所轄の「特別の機関」である現行形態のままが望ましいとする報告書をまとめた。いずれも井上信治科学技術担当相に提出した。

 6人の任命ばかりに固執し、自らのありようにはきちんとした反省を示さない学術会議について、国民に尽くす未来を思い描くことは難しい。

 そのうえ、学術会議は、最も深刻な問題である「軍事忌避」体質を改めようという姿勢を示さなかった。このような組織を国民の税金で養う必要があるのかとさえ思ってしまう。

 学術会議は法律で設置され、税金で運営されている。会員は特別職国家公務員だ。国政選挙や国会の首相指名選挙を経て就任し、学術会議を所管する首相が任命権を行使するのは当然だ。学術会議の反発は民主主義的コントロールを拒むもので筋が通らない。

 6人の任命にこだわるべきではない。学術会議は、日本を繰り返し緊急事態宣言に追い込んだ新型コロナの問題を討議し、抜本的対策を提言していけばどうか。

 自民党のプロジェクトチームは学術会議を国の機関ではなく、独立した法人格を持つ組織へ改組するよう提言した。これに対し、学術会議の報告書は、特殊法人化も検討対象に含めたものの、今の形態を変更する積極的理由はないと記した。自己改革するつもりがないとしか思えない。

 学術会議が抱える根本問題は、国民を守る自衛隊の抑止力の向上を妨げてきたことだ。平成29年の声明で、軍事科学研究を「絶対に行わない」とした過去の声明の継承を宣言した。これにより、防衛省予算で軍民両用技術研究を助成する「安全保障技術研究推進制度」への大学、研究機関の応募が激減した。研究者の学問・研究の自由を脅かすものでもある。その異常性を自覚すべきだ。

 軍事忌避を学術会議が続ければ日本を侵略したり、威嚇したりしようという悪意を持つ国の政府、軍が喜ぶばかりだ。学術会議は長年にわたる軍事忌避という反国民的姿勢を猛省し、直ちに改めてほしい。



学術会議人事(2021年4月26日配信『しんぶん赤旗』ー「主張」)

政治介入を撤回し任命直ちに

 日本学術会議の会員候補6人を菅義偉首相が任命拒否してから半年以上たつ中で、同会議は総会(21~23日)で「即時任命」を政府に求める声明を決定しました。

 学術会議は、昨年10月の総会で、任命しない理由の説明と速やかな任命を求める要望書を採択し、梶田隆章会長が政府に対して8度にわたって要請してきました。菅首相はこれに正式の回答や説明を一切行っていません。声明に込められた同会議の総意を真摯(しんし)に受け止め、直ちに任命すべきです。

違法な状態の解決は当然

 声明は、日本学術会議法が210人の会員を同会議の推薦に基づき任命することを首相に義務づけていると指摘し、任命拒否は「本会議の独立性を侵す可能性がある」「任命行為は法的には終了したとは言えません」と断じています。違法な状態を解決するために、首相に責務を果たすよう強く求めたのは当然です。

 昨年来、1000を超える学会をはじめ多くの分野の団体から任命拒否の撤回を求める声が空前の規模で広がり、マスメディアも「学問の自由脅かす暴挙」(「朝日」社説)と批判するなど撤回を求めました。

 菅首相は、こうした国民の世論に真っ向から逆らい、NHKの番組で「説明できることとできないことがある」と開き直りました。「説明できない」のは自ら違法行為を犯しているからです。

 菅首相は理由を説明しないまま任命拒否を続ける一方で、「学術会議を行革の対象にし、そのあり方を見直す」と述べ、論点をすり替えました。自民党のプロジェクトチームは、同会議を独立行政法人など国から「独立した組織」に改編して政府の「シンクタンク」に変質させる「提言」を発表し、井上信治科学技術相が梶田会長に対して「設置形態の改変を含む改革」を繰り返し要請しました。

 前代未聞の暴挙に乗じて同会議を政府に従順な機関に変質させ、学術総動員体制をつくろうとする権力的な介入にほかなりません。

 学術会議は、政府の要請に対して自主的な検討を重ねたうえで、先の総会で報告書を決定し、現在の「国の機関」としての形態を「変更する積極的理由を見出(みいだ)すことは困難」と結論付けました。政府はこの決定を尊重すべきです。

 日本と世界の人びとが直面する感染症や気候変動、格差と貧困の拡大など、科学的知見によって俯瞰(ふかん)的な究明が求められる課題は山積しています。

 学術会議が、独立して審議を行い、政府や社会に発信することがますます期待されます。そうした時に、任命拒否や組織改革要請によって独立性を脅かし、活動を制約してはなりません。

幅広い批判を受け止めよ

 政府の暴挙に対して、批判の声が広がり続けています。幅広い学者、文化人、ジャーナリスト、法律家など125人が20日、「6名の速やかな任命と政府の権力介入の撤回」を求める声明を発表しました。任命拒否された6人は、個人情報保護法にもとづいて、自らを任命拒否した理由の情報開示請求を行うほか、法律家有志が行政文書開示を請求する準備をすすめています。

 菅首相がこうした批判にこたえ、任命拒否を直ちに撤回するよう強く求めます。





学術会議の声明 任命拒否 首相は撤回を(2021年4月25日配信『信濃毎日新聞』-「社説」)

 筋道を通した当然の主張である。日本学術会議が菅義偉首相に対し、任命を拒否した会員候補6人を即時に任命するよう要求する声明を出した。

 日本学術会議法は会員を210人と明記し、3年ごとに半数を学術会議の推薦に基づいて首相が任命すると定める。しかし、任命拒否によって既に半年余り、法定の会員数に満たない状態が続く。

 首相が最終判断し、一連の手続きは終了したとする政府の言い分は成り立たない。声明が述べるように、首相は法定数の通りに会員を任命する責務を負っている。

 会員の任命について首相に裁量の余地は本来ない。推薦された候補を拒むのは、法を逸脱する振る舞いだ。しかも、除外した理由を菅首相は明確にしていない。「説明できることとできないことがある」と居直りさえした。法の根拠を欠き、説明もできない権限の行使が許されるはずはない。

 学術会議は政府からの独立と自律が法で保障されている。任命拒否はその根幹を脅かす重大な問題だ。発覚直後の昨秋、学術会議は総会で、任命を求める要望書を決議し、以来再三にわたって政府に対応を求めてきた。

 にもかかわらず正式な回答や説明は一切ないため、あらためて総会の声明として一段と強い意思を示した。日本の科学者を内外に代表する機関の総意である。菅首相はその重みを受けとめ、任命拒否をただちに撤回すべきだ。

 政権側はこの間、学術会議の組織のあり方に問題の所在をすり替え、圧力を強めてきた。国の「特別の機関」と位置づけられた設置形態の見直しを検討するよう政府は学術会議に求めた。自民党は、独立した法人組織に改編することを提言している。

 学術会議は総会で報告書をまとめ、設置形態を変更する積極的な理由を見いだすのは困難と結論づけた。自民党からは、提言と全く違うと反発が出ている。だが、政権与党が組織のあり方を指図することがそもそも横紙破りだ。

 学問の自由を侵す政治権力のあからさまな介入は、言論や思想の統制につながる危うさをはらんでいる。学者の世界のことと横目に見てやり過ごせない。

 昨秋以降、学会をはじめ市民団体や労組、映画人らが出した抗議声明は千を超す。97歳になる気象学者の増田善信さんは先日、6万人余の署名を政府に提出した。学術会議が示した強い意思をあらためて受けとめ、自由の圧迫に社会が連帯して対抗していきたい。



任命拒否問題 学術会議声明に向き合え(2021年4月25日配信『新潟日報』-「社説」)

 問題を放置したままやり過ごし、事態の沈静化を待つような態度は許されない。政府は日本学術会議が会員候補の任命拒否撤回を求めて発した声明にきちんと向き合うべきだ。

 菅義偉首相が会員候補6人の任命を拒否した問題で学術会議が「即時任命するよう要求する」との声明を総会でまとめた。

 声明は任命権者(首相)から正式な回答や説明は一切行われていないと指摘。欠員6人という法の定めを満たさない状態を是正できるのは首相しかいない、と訴えた。

 その上で候補者を会員として適格でないとする特段の理由を示す責任があるとした。

 学術会議の梶田隆章会長は初めて総会の声明という形を取り「これまでより強い調子で発出した」と述べた。

 学術会議はこれまでも問題の解決を求め、幹事会声明や要望書を提出してきたが、菅政権は応じる姿勢を見せなかった。会員の総意で撤回を要求する意思を示すのは当然と言えよう。

 学術会議は日本の科学者を代表する組織で、戦後になって国の特別機関として設立された。政府から独立した立場で政策提言などを行ってきた。

 会員は学術会議の推薦を踏まえ首相が任命する仕組みだ。人選は任されてきた。「推薦していただいた者は拒否しない」とする国会での政府答弁もある。

 にもかかわらず菅政権が人事介入したことになる。任命拒否された6人は、安全保障関連法や共謀罪など政権が重視する政策に反対の立場を取っていた。

 首相は学者自身の思想、信条が任命判断に影響することは「ない」としたが、個別の理由は人事を盾に「答えを差し控える」と繰り返してきた。

 核心部分の説明はせず、学者団体などからの抗議にも取り合わない。一方で政権は職員数などで学術会議を行政改革の対象とする方針を打ち出し、けん制するかのような動きを見せた。

 政権の強権ぶりは際立つ。

 総会声明に対しても、加藤勝信官房長官は「首相が最終判断をしたもので、手続きは終了している」と改めて拒否の姿勢を見せた。あまりに不誠実だ。

 事態の打開へ、首相が説明を含め真摯(しんし)に対応するよう改めて求める。

 任命拒否問題は学問の自由を保障した憲法23条に違反するとの観点からも問題視されている。学術会議の独立の背景には、戦時中に科学者が戦争に協力したことへの反省がある。

 元学術会議会員で97歳の増田善信さんは、気象学者として戦争に協力した過去への悔恨から任命拒否撤回を求め、3月から署名サイトで募った6万1千人分を内閣府に提出した。

 「人事介入で組織が変質し、戦時中のように政治に従わせる動きが加速する」。増田さんはこう危機感を吐露する。

 学術会議問題は学問と政治の関係はどうあるべきか本質的部分を問うている。政権の「ゼロ回答」の理不尽さに目を向け国民側が関心を失わずにいたい。





学術会議改革 任命拒否撤回が先決だ(2021年4月24日配信『東京新聞』-「社説」)

 日本学術会議が、菅義偉首相が任命拒否した会員候補6人を「即時に任命するよう要求する」声明を発表した。任命拒否は法の趣旨を逸脱する。会議の在り方を見直すとしても拒否の撤回が先決だ。

 日本学術会議は日本の科学者を代表する機関で、独立して職務を行うと日本学術会議法で定められている。会員は同会議の「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」と定められ、首相の任命について政府は1983年、当時の中曽根康弘首相が「形式的にすぎない」と答弁するなど、首相の裁量を認めてこなかった。

 しかし菅首相は昨年9月の就任直後、会員候補のうち6人の任命を拒否し、その理由について「総合的、俯瞰(ふかん)的な観点から」としか説明していない。

 政府は、学術会議の「推薦通りに任命しなければならないわけではない」とする内部文書を2018年に作成して、こうした法解釈は1983年から「一貫した考え方」だ、とも主張する。

 ただ、この内部文書が過去に国会で説明され、審議された形跡はない。国会審議を経て成立した法律の解釈を、政府部内の一片の文書で変更することは到底許されない。菅内閣の説明は詭弁(きべん)だ。

 会議側は再三、6人の任命と詳しい理由の説明を求めてきたものの、菅内閣側は応じず、初めての総会の声明という形となった。
 加藤勝信官房長官は記者会見で「任命権者の菅首相が最終判断した」と任命拒否の考えを重ねて示したが、声明は「強い調子でわれわれの思いを発出した」(梶田隆章会長)ものだ。政府は声明の趣旨を重く受け止めるべきである。

 学術会議の総会は、組織の在り方に関する報告書もまとめた。学術会議が、国を代表する学術団体としての役割を果たすには、国の特別の機関である現行の組織形態を変更する積極的理由を見いだすことは困難だとしつつ、引き続き検討する、としている。

 そもそも組織見直しは菅内閣が求めたものだ。任命拒否を巡り対立する学術会議をけん制し、政府の政策に批判的な学者に圧力をかける意図があるのだろう。

 学術会議の組織は、時代の変化に応じて見直す必要があるとしても、それによって任命拒否が正当化されることはあり得ない。

 学術会議の在り方は、学問の自由と政治からの独立を担保するため、落ち着いた政治状況の下で論じる必要がある。首相の任命拒否撤回は、その第一歩である。



禁じ手(2021年4月24日配信『福井新聞』-「越山若水」)

 取引先の相手がおしゃべり好きで、仕事以外の余計な話を延々と続ける。時間を気にしろと言うつもりで「いい時計してますね」と褒めると、今度は時計自慢を始めてしまった

▼この話題は「ふだん使いの言語学」(川添愛著、新潮選書)から引用したもの。円滑なコミュニケーションには、空気を読んだり、相手の気持ちをくみ取ったりする必要がある。片方がいくら「察してほしい」と思っても、なかなか「言外の意味」までは伝わらない

▼なぜなら、話し手と聞き手の間に共通の取り決めがないからだ。一例を挙げると、京都の都市伝説とされる有名なひと言「ぶぶ漬けでもどうどす?」。京都のコミュニティー内では「そろそろお引き取りを」という合言葉に近いが、文化圏の外の人には全く通じない

▼ところで昨秋以来、くすぶり続ける日本学術会議の問題。菅義偉首相が会員候補6人の任命を拒否した件で、学術会議はついに即時任命を求める声明を決定した。いつまでも説明に応じない政府の姿勢には、国内外の学術団体からも不可解だと批判が寄せられていた

▼首相の任命権を盾に「総合的かつ俯瞰(ふかん)的に判断した」と言い募るばかりで、一向に理由を明かさない。ただ国民は「政権に批判的だから」とうすうす感づいている。政府の都合を「察してほしい」では済むはずがなく、説明責任の先送りも禁じ手である。である。



馬耳東風(2021年4月24日配信『熊本日日新聞』-「新生面」)

<馬耳東風>という四字熟語がある。出典は李白の詩だそうだ。「東風」とは春風のこと。馬が春風に関心を示さないように、人の意見や批判を気に留めず聞き流すことを言う

▼春風なら暖かそうだが、こちらは北風のような<馬耳冷風>か。「任命権者の菅義偉首相が最終判断した」。日本学術会議会員の任命拒否問題を巡って、候補6人の即時任命を求めた一昨日の同会議声明に対する加藤勝信官房長官の反応だ

▼木で鼻をくくったような話しぶりは相変わらず。理由についても「答えは差し控える」と繰り返す。昨年10月に問題が表面化して以来、学者や映画関係者、歌人ら多くの人が即時任命と理由の説明を求め続けているにもかかわらず、である

▼6人が安全保障関連法や特定秘密保護法など前政権の重要法案に反対したから、学術会議が軍事研究への反対声明を出したから、自分が任命権者と見せつけたいから…。さまざまな推測が飛び交ったが、首相は理由らしい理由を説明しない

▼その点について思想家の内田樹さんは、政府が手に入れたいのは「統治コストの最少化」だと言う。学術的発信力の向上より、政治権力と緊張関係を持つ可能性のある組織の独立性を奪いたいからだ、と(『学問の自由が危ない』晶文社)

▼その目的に向けて国内すべてを上意下達の組織に改変しようと熱中している、と内田さんはみる。ただ、あくまでそれも推測の一つではあろう。そうした疑念を拭うためにも、首相には理由を説明する責任があるはずだ。





森鷗外の憂鬱(2021年4月23日配信『北海道新聞』-「卓上四季」)

 大学は何のためにあるのか。「人類事業の光華たる学問の進歩を計るを以て其(その)目的とす」と書いたのは森鴎外である。陸軍軍医としての4年間のドイツ留学から帰国した明治21年(1888年)の翌年、「國民之友」に「大学の自由を論ず」を発表。大学の在り方を説いた

▼とりわけ重視したのが学問の自由だった。政府の保護を受けるとはいえ、ドイツの大学は内部の自由を維持していると評価。大学は交流や説教の場でもなく、ましてや「政党倶楽部に非(あら)ず」とし、政治思想と一線を画すべきであると説いた

▼会員候補6人の任命を菅義偉首相に拒否された日本学術会議はきのうの総会で、改めて即時任命を求める声明を決定。独立を侵す可能性があるとして政府の姿勢に抗議した

▼国は会議の組織の在り方に論点をすり替えているが、求められているのは、拒否した理由や経緯の説明だろう。会議が応じていない軍事研究の解禁を迫ろうというのであれば、論外である

▼鴎外が大学を論じたのは、当時の欧州には、単なる「官吏生育所」となった大学があったこともきっかけだったという。大学の理念を自由の精神の下で真理を探究することに求めた鴎外にとって、日本が同じ轍(てつ)を踏むことは耐えられなかったのだろう

▼「学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄えるはずがない」(「文芸の主義」)。文豪のため息は空耳だろうか。





学術会議任命拒否 組織問題にすり替えるな(2021年4月22日配信『琉球新報』-「社説」)

 日本学術会議の会員候補6人を菅義偉首相が任命拒否してから半年。学術会議は21日から始まった定例総会で「即時に任命するよう要求する」声明案を検討している。

 首相が任命拒否したため、日本学術会議法に定められた定員を満たさず違法状態にある。違法を放置すれば憲法に抵触する。違法状態を解消すため任命拒否を撤回し、直ちに6人を任命すべきだ。

 ところが、学問の自由をないがしろにする任命拒否問題を、政府・自民党は組織形態の問題にすり替え、幕引きしようとしている。学術会議を国の特別機関から切り離して済まされる問題ではない。論点ずらしは許されない。

 学術会議は昨年8月31日に新会員候補105人を推薦。首相は、安全保障関連法などに反対した法学者ら6人の任命を見送り、新会員99人が10月1日に任命された。

 会員任命拒否は憲法23条が保障する「学問の自由」を脅かすとの批判が相次いだ。これに対し政府は、憲法15条を持ち出して拒否を正当化しようとした。

 憲法15条は「公務員の選定」は「国民固有の権利」と定めている。内閣総理大臣は「国民固有の権利」を代行しているので、特別職の国家公務員である学術会議会員を選定できるというのだ。

 東京都立大の木村草太教授(憲法学)は、憲法73条から政府の憲法解釈の問題点を指摘している。

 憲法73条で内閣は「法律の定める基準に従って」公務員に関する事務を行うと定めている。日本学術会議法は会員の定員を210人と規定している。6人を任命拒否した結果、定数に満たない204人となり、違法状態になっている。違法状態を放置することは憲法73条に反する。

 首相が憲法や法を無視することはできない。立憲主義や、法治主義によって日本国は成り立っているからだ。

 さらに学術会議法7条2項で会員は学術会議の「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」と規定している。

 1983年に当時の中曽根康弘首相は「政府が行うのは形式的任命にすぎない。学問の自由独立はあくまで保障される」と国会答弁しており、学術会議が政府から独立した存在であることを認めている。内閣法制局も83年に任命は「形式的行為」と答弁している。首相が拒絶することは想定していない。

 一方、政府が学問の自由をないがしろにした問題が、いつの間にか組織の問題にすり替えられようとしている。

 自民党のプロジェクトチームは政府から独立した法人格の形態に移行するのが望ましいとする提言を大筋了承した。だが、学術会議側は今の組織形態を「変更する積極的理由を見いだすことは困難」とする報告書案をまとめた。

 国家による研究者と学術機関への介入を許さない、というのが本筋であるはずだ。





学術会議の改革 首相の任命拒否が核心(2021年4月13日配信『北海道新聞』-「社説」)

 国の特別機関である日本学術会議が組織形態の見直しについて、最終報告書案を公表した。

 菅義偉政権が学術会議に国からの独立を検討するよう求めていたことに対する回答である。

 国を代表する学術団体「アカデミー」が時の政権から独立性を保ちながら、科学的見地から諸問題の解決方法や社会の未来像を示す意義を強調した。

 その上で、国の機関である現行の形態が「その役割を果たすのにふさわしく、変更する積極的理由を見いだすことは困難」とした。

 学術は国の発展に不可欠な基盤だ。それを支えるのは政府の責務であり、当然の結論だろう。

 報告書案には会員選考の透明化なども盛り込まれた。

 学術会議は今月下旬の総会で最終決定する。政府はその内容を尊重しなくてはならない。

 どんな組織も不断に改革に取り組む必要がある。だが政府・自民党が主導した今回の改革論議はことの本質から目をそらすものだ。

 菅首相が会員任命にあたり、会議側が推薦した候補105人のうち6人の任命を一方的に拒否した問題の解決こそ最優先すべきだ。首相は任命拒否を撤回し、一連の経緯を明らかにする責任がある。

 日本学術会議法は会議の独立性を明記し、会員は会議の推薦に基づいて首相が任命すると定める。

 任命拒否は法の趣旨に反する。

 会員の人選に対する政府の介入は、菅氏が官房長官を務めた安倍晋三前政権時代から強まり、杉田和博官房副長官の関与も国会で明らかになっている。

 なのに、首相は過去の経緯も任命拒否の理由にも口を閉ざす。

 「総合的、俯瞰(ふかん)的な判断」を強調し、「説明できることとできないことがある」と開き直りと言える態度も見せた。

 任命拒否の理由は秘匿すべき国家機密でもあるまい。国政のトップとして、国民に説明できないようなことはするべきではない。

 任命拒否された6人は近く、情報開示請求をするという。政府は請求を待たず自ら説明すべきだ。

 問題の背景には、学術会議が軍事研究を否定していることがある。政府・自民党は任命拒否に合わせ、軍事研究を解禁するよう求める姿勢を強めている。

 学術会議は先の大戦に科学者が協力したことへの反省に基づいて設立された。人事と予算の権限をちらつかせて意に沿う組織に変えようとするような政権の姿勢は、認めることはできない。





学術会議の見直し案 任命拒否問題が未解決だ(2021年4月10日配信『毎日新聞』-「社説」)

 日本学術会議が、政府の要請を受けて進めていた組織改革の素案を公表した。

 政府と自民党は、政府機関から独立した形態を検討するよう求めていた。だが、国を代表する学術機関として現在の形が最も望ましいと結論付けた。政府はその内容を尊重すべきだ。

 政府が学術会議の改革を求めたのは、菅義偉首相が昨年秋に学術会議の会員候補6人を任命しなかったことが問題化した後だ。世論の批判をかわすための論点すり替えと指摘された。

 学術会議は任命を再三求めてきたが、半年たった今も首相は応じていない。

 人文・社会科学系の部会は約1割が空席のままだ。欠員が続けば、政策提言などをとりまとめる活動に影響が出かねない。

 このため、学術会議は6人のうち5人を、首相の任命が必要ない連携会員や特任連携会員とすることにした。

 会員への任命が見通せない中での苦肉の策だ。暫定的な措置であり、学術会議は引き続き6人の任命を求めていくという。

 根本的な問題は依然として解決されていない。

 任命を拒否された加藤陽子東京大教授は、その事実と経緯を「歴史に刻むために」、特任連携会員への就任を希望しなかった。連携会員として参加することになったメンバーも、任命拒否問題が置き去りにされていることに違和感を訴えているという。

 学術会議は政府の要請に応えた。次は首相が応える番だ。

 学術会議の設置法は、会員を「会議の推薦に基づいて首相が任命する」と定めている。6人もの欠員が出ている不正常な状態を解消する責任が首相にはある。

 首相は当初、任命拒否について「総合的、俯瞰(ふかん)的観点からの判断」と繰り返した。テレビ番組で追及されると「説明できることとできないことがある」と開き直った。そもそも国民に説明できないようなことはすべきではない。

 学術会議の活動を正常に戻さなければ、国の損失につながりかねない。任命を拒否した具体的な理由を示さず、異常な状態を放置し続けることは許されない。首相は直ちに6人を任命すべきだ。





学術会議改編 任命拒否問題が本筋だ(2020年12月29日配信『北海道新聞』-「社説」)

 政府は年内に一定の方向性を示すとしていた日本学術会議の在り方について、結論を来春以降に先送りした。

 政権支持率が急落する中、会議の改編を強引に進めてさらに批判が高まるのを避けたのだろう。

 しかし政府がなお会議側に、政府の特別機関からの独立を促していることは看過できない。

 先週の両者の協議では、現行形態にこだわらず独立した法人にすることを含めて検討し、来年4月までに改革案を示すよう求めた。

 すでに会議側は、現行形態が国を代表する学術団体の要件を全て満たしていると結論づけている。

 独立性の高い政府機関ゆえに提言や報告に重みが増し、政府に歯止めをかける役割を果たせよう。

 問題の本筋は別にある。学術会議が推薦した候補のうち6人の任命を、菅義偉首相が一方的に拒否したことこそ問われるべきだ。

 会議側は再三説明を求めているが回答はない。改革要求は問題のすり替えだ。任命拒否を撤回させ、真相解明を急がねばならない。

 政府・自民党は学術会議の会員構成にも矛先を向けている。

 現在は人文・社会科学、生命科学、理学・工学の3部各70人だ。

 自民党は、国内の科学者は理系が多く、構成が偏っていると問題視し、政府は先週、会議側に構成比率の再考を求めた。

 任命拒否された6人は人文・社会科学の研究者で、安倍前政権の下で成立した安全保障関連法や「共謀罪」法などに反対してきた。

 改革を求める政権の動きは、国の重要政策や任命拒否を批判する人文・社会科学の研究者たちをけん制する意図が色濃い。

 1983年に旧総理府が作成した国会想定問答では「首相は日本学術会議の職務に対し指揮監督権を持っていない」としていた。

 だが政府は任命拒否後、首相に学術会議の監督権があるとする内部文書を安倍政権下の2018年に作成していたと明らかにした。

 憲法が禁じた集団的自衛権の行使容認や、前例のない検察官の定年延長などと同様、過去の政府見解や、国会論議を通じて積み重ねた法解釈を、恣意(しい)的に変更するものだ。断じて認められない。

 杉田和博官房副長官が今回の任命拒否だけでなく、安倍政権下の2018年の会員人事にも関与しいたことが明らかになった。それを示す公文書もある。

 杉田氏を国会に招致し、首相とのやりとりを含め、すべてつまびらかにさせなければならない。



学術会議見直しは熟慮重ねよ(2020年12月1日配信『日本経済新聞』ー「社説」)

 日本学術会議の見直しについて、政府は国から切り離して独立させるかどうかの判断を年内はあきらめ、来年4月以降に先送りした。改革論議はあまりにも唐突で拙速だったといえる。

 そもそも事の発端を忘れてはならない。社会科学系の学者6人について現政権が任命を拒否した。この3カ月間、菅義偉首相は「人事の問題」を盾に説明責任を果たしてこなかった。正当な理由を公にできないのなら6人を任命するのが筋である。欠員という異常な状態を続けるのはおかしい。

 見直し議論も任命拒否に対し批判が高まるとふってわいた感が強い。学術会議について政府はこの十数年の間で2度、有識者会議などで改革を議論した経緯がある。菅政権にとって喫緊の課題だったとは思えない。

 一方で今回、学術会議の知名度が低く、社会から遠い存在であることが明らかになった。主要国のアカデミーと違って、位置付けが中途半端である点は否めない。

 ドイツや米国のアカデミーは疫病や戦争をきっかけとし、科学者たちの自発的な活動を時の為政者が支援する形で誕生した。もともと国家から独立した存在だった。

 歴史と実績から、社会からも政治からも一目置かれる存在になっている。毎年、ノーベル賞を授与するスウェーデン王立科学アカデミーのように著名な表彰制度をもつ機関も多い。

 学術会議の英語表記は「アカデミー」でなく「カウンシル」で、学者の集まりとなる。最近は生命科学や環境問題で重要な意見をまとめているが、社会への発信力が弱く「内に閉じた」体質がある。コロナ禍で科学的な知見の必要性は大いに増したが、政策提言機関として役割は果たせていない。

 設立の経緯や、科学研究の軍事利用を巡って保守政権とは「隔たり」もある。学問の自由と発展は国家の繁栄に資する。この視点に立ち、学術会議の在り方を政府与党と科学界、国民が一緒になって議論し、熟慮を重ねるべきだ。





学術会議問題 圧力押し返す踏ん張りを(2020年12月28日配信『信濃毎日新聞』-「社説」)

 日本学術会議の会員の任命を菅義偉首相が拒否した問題が発覚してからおよそ3カ月。学術会議は、理由の説明とともに、拒否された6人の速やかな任命を求めたが、なしのつぶてだ。

 一方で政府、自民党は学術会議に対する圧力を強め、組織改革の検討を迫っている。問題の所在を隠す、筋道が通らないやり方を受け入れるわけにいかない。

 井上信治・科学技術担当相は学術会議の梶田隆章会長と会談し、来年4月に予定する学術会議の総会後に検討結果の報告を求めた。年内としていた政府の判断は報告後に持ち越すという。

 国の機関から切り離すことを含め、あらゆる形態を平等に検討するよう要請している。人文・社会科学、生命科学、理学・工学の3部会各70人で構成する会員の比率の見直しも新たに求めた。

 どこまで無遠慮に口を挟むのかと思わされる。学術会議は、科学者の代表機関として「独立して職務を行う」ことが法に明記されている。どういう方向でいつまでに検討するかを政府に指示される筋合いはそもそもない。

 何よりも問われなければならないのは、任命を拒んだ菅首相の責任だ。明確な理由を示さず、任命権や監督権を振りかざして会員の人事に介入し、学術会議の根幹である独立性を脅かした。組織のあり方に見直すべき点があるとしても、任命拒否の問題を納得がいく形で決着させてからの話だ。

 政府は、憲法を持ち出して首相の任命権を正当化している。内閣府の文書は、公務員の選定・罷免を国民固有の権利と定めた15条を根拠に、学術会議の推薦通りに会員を任命する義務があるとは言えないとの解釈を示した。

 その理由づけは無理がある。公務員が国民主権の下にあることを宣言した理念規定を、首相による人事裁量の根拠にはできない。会員の任命は日本学術会議法に定めがある。政府からの独立を保障した法の趣旨を踏まえれば、本来、任命を拒める余地はない。

 政府が一方的な解釈で権力行使の枠を広げられるなら、国家権力を拘束して人権を守る「法の支配」が崩れ、憲法の根底が揺らぐ。学術会議は、任命拒否の撤回を繰り返し強く求めるべきだ。

 安倍前政権当時から続いた会員人事への干渉を押し返せなかったことが、あからさまな介入につながった面がある。今、組織改革をめぐる政府側の圧力に対して踏ん張り切れているか。学術会議の姿勢もまた問われている。





学術会議への攻撃(2020年12月27日配信『しんぶん赤旗』ー「主張」)

異論排除する強権政治許すな

 日本学術会議への人事介入は、菅義偉政権の素顔―強権政治をあらわにした大問題です。これに対し千数百もの団体が抗議声明を上げ、国会論戦を通じ任命拒否の論拠は総崩れになりました。異論を強権で排斥するのは安倍晋三前政権からの特徴ですが、その矛先がついに科学者に向けられた重大事態をこのままにできません。

自民の危険な見直し提言

 学術会議法は、科学者を代表する機関である学術会議が「優れた研究又は業績」を審査して選考した会員候補を推薦するとしています。その任命を首相が拒否することは、同法が定める学術会議の独立性の破壊であり、憲法23条の「学問の自由」の侵害です。

 菅首相は、公務員の選定・罷免が主権者である国民固有の権利であることを定めた憲法第15条1項を、首相が公務員を恣意(しい)的に任命できるかのようにねじ曲げ、任命拒否を合理化する根拠にしています。首相による独裁国家への道を開く暴論です。

 理由を示さず権力が異論を排除することは、社会を萎縮させ、分断をもたらしかねません。

 「学問の自由」だけでなく、表現や言論、思想・良心という国民の精神的自由の侵害にもつながる国民的な大問題です。学会から映画人、自然保護団体、宗教者まで幅広い人々から抗議の声が出されています。かつてない動きです。

 政府・自民党は、任命を拒否する一方で、「学術会議のあり方の見直し」を求めています。問題をすりかえるばかりか、学術会議を変質させ、独立性を奪う狙いがあることは明らかです。

 自民党が15日に発表した提言は、学術会議を「国の特別の機関」から「政府から独立した法人」に変えるとしています。国から切り離し、学術会議の地位を低め、権限を弱めようとするものです。

 提言は、学術会議に「政策のための科学」の機能強化を求め、今の専門別の分科会を廃止して、テーマ別のプロジェクトにもとづく委員会の設置まで提起しています。時の政府の「政策」を推進するための「シンクタンク」へと変質させるものです。

 人文・社会科学系の会員の比率を下げることも求めています。現在の人間と社会のあり方を相対化し、批判的に省察するという人文・社会科学の独自の役割を弱体化させることになります。

 科学が発展し、その成果を国民が享受するには、「学問の自由」と学術会議の独立性が不可欠です。それは、権力による学問への弾圧がくりかえされ、科学者が軍事研究に総動員された戦前・戦中の歴史の教訓です。

独立性を奪ってはならぬ

 学術会議の提言・報告は、今年だけで83件にのぼります。これまで新型コロナ等の感染症対策やジェンダー平等、東日本大震災の被災者救援と復興、気候変動、環境対策、原発、エネルギーなど社会が直面するさまざまな課題に科学的よりどころを与え、国民生活や権利の向上に貢献してきました。

 学術会議が独立性を失うなら、こうした役割を担えなくなります。学術会議への人事介入は、一部の科学者の問題ではなく、すべての国民にかかわる深刻な問題です。日本共産党は、党の存在意義をかけて、違憲・違法の任命拒否の撤回までたたかいぬく決意です。





学術会議の改革/任命拒否問題に立ち戻ろう(2020年12月23日配信『河北新報』-「社説」)

 自民党のプロジェクトチームは、日本学術会議を政府から独立させるよう求める提言を政府に提出した。

 菅義偉首相が6人の候補を任命しなかった理由について追及されているさなか、チーム発足からわずか2カ月で提言をまとめている。

 学術会議を巡る論議を年内で幕引きにしようと、党側から助け舟を出したとすれば、任命拒否を組織の見直し問題にすり替えたとの批判は免れまい。

 専門の立場から物申す学術会議には、特定の勢力から距離を置く独自性が求められる。組織運営に至らぬ点があるのなら、自己改革で襟を正せばいい。

 政治権力にとやかく言われる筋合いはなく、世界からは「学問への干渉」と冷ややかな視線を浴びるだろう。

 最初の論点を棚上げにせず、6人を外した理由と決定プロセスについて明らかにするよう改めて求めたい。

 提言は「独立した法人格として再出発すべきだ」と、自由度を認めたように見せつつ、「期待される機能を発揮しているとは言い難い」と注文を付けた。

 独立後の運営では、政府や民間からの調査研究委託、会費や寄付金集めによって、活動費を稼げると財源策を示している。

 当面は、国からの運営費交付金を続けると言うものの、金銭を受け取る委託研究や競争的資金が主流になると、中立性や公平性を保てなくなるのではないか。

 これを受け、学術会議は「いまの形態が国代表の要件を満たしている」と独立に慎重な中間報告をまとめている。

 菅首相は任命拒否に関し、「総合的、俯瞰(ふかん)的に判断した」「専門にとらわれない広い視野に立って、バランスが取れているか」と繰り返す。

 提言でも符節を合わせたように俯瞰的、学際的な役割を期待するとしている。

 学問の探究とは、事象の神髄に迫ろうと、誰も気付かないジャンルに足を踏み入れるものである。

 周りと均衡を保つとか、多様性を求めるのは、人付き合いには必要なことでも研究そのものとは切り離して考えるべきだ。

 無論、批判の自由も尊重されなければならない。政府には、軍事研究に否定的な学術会議に不満があるという。

 任命拒否した6人については、安全保障政策などを批判した経歴との関連が取り沙汰されている。

 この問題を巡っては、事務方トップの杉田和博官房副長官の関与を示す文書が国会に提出された。「外すべき者(副長官から)」と記され、6人除外をにおわせる新資料とされている。

 異論に耳を貸さない現政権には、失望の声も聞かれる。信頼を取り戻すには、まずこの点について納得の得られるまで説明するしかない。



学術会議任命拒否問題(2020年12月23日配信『宮崎日日新聞』-「社説」)

◆議論のすり替え許されない◆

 日本学術会議が推薦した新会員候補6人の任命を菅義偉首相が拒否した問題を巡り、自民党のプロジェクトチームは、学術会議を政府から独立した法人に移行させる提言を政府に提出した。菅政権は提言に沿って組織改革を検討する方針だ。

 しかし、この問題の最も重要な点は、学術会議の組織の在り方ではない。日本学術会議法に政府からの独立性が明記されている会議の会員任命に関与し、6人を拒否した理由を首相がいまだに説明していないことだ。

 人事への介入は研究を萎縮させ、憲法が保障する「学問の自由」の侵害につながると多くの学会が批判している。問題の原点に立ち返り、首相は任命拒否の理由を明確に説明すべきだ。組織改革への議論のすり替えは認められない。

 日本学術会議法は学術会議を「内閣総理大臣の所轄」する国の機関と位置付ける一方、「独立して職務を行う」として独立性を担保している。

 これに対して自民党の提言は「政府の内部機関にもかかわらず、独立した存在であろうとすることで生じる矛盾」があると主張し、独立行政法人や特殊法人などの「独立した法人格の組織」にすべきだと指摘。会員の次期改選期である2023年9月をめどに新組織に移行するのが望ましいとした。しかし、任命拒否問題は素通りしている。

 学術会議は第2次大戦の敗戦後、科学の振興を図るために国の特別機関として設置された。その上で、中立的な立場から政府に政策提言を行うために独立性を担保。だからこそ歴代内閣は首相の任命権は「形式的」にすぎないとしてきたのだろう。

 15年に学術会議の在り方を検討した内閣府の有識者会議も、組織形態を「変える積極的な理由は見いだしにくい」とした。自民党の提言はこうした歴史的経緯への考察を欠いたものだ。

 さらに問題なのは政治と科学の在り方への熟慮に欠ける点だ。科学的思考が現実の政策に批判的になることはあり得る。その緊張関係の上に、批判も考慮しながら政策を決定していくのが政治の役割だ。ところが提言は学術会議に「政治や行政が抱える課題認識を共有し、実現可能な質の高い政策提言を行う」よう求める。政府の意向をくむべきだという意味だろう。

 任命が拒否された6人は全て人文・社会科学系で、過去に安全保障関連法や特定秘密保護法などに反対の見解を示したことがある。首相は過去の発言と任命拒否は「関係ない」と否定するが、ではなぜ拒否したのか。首相の説明は変遷し、不明確なままだ。政治と科学の在り方という重要な課題に対し、議論のすり替えは許されない。





学術会議自民提言 問題の本質は任命拒否(2020年12月22日配信『秋田魁新報』-「社説」)

 日本学術会議の在り方を巡り、自民党のプロジェクトチームが提言をまとめた。独立した法人格を持つ新組織として「再出発すべきである」などとしている。一見すると、政府からの独立性を尊重するとも受け取れる内容だ。

 しかし、よく見ると狙いは別のところにあるようだ。政府のコントロール下に置き、学術会議の発言力をそぐ。それが本当の目的なのではないか。

 学術会議の会長は現在、会員が互選している。首相が所轄する行政機関とはいえ、学術会議法は組織としての「独立」を明記。政府はこれまで、その自主性を尊重してきた。

 ところが提言は、例示する新組織の筆頭に「独立行政法人」を挙げた。独立行政法人となれば、トップを任命するのは担当大臣だ。政府の意に沿う人物を据えることも可能となり、影響力を行使しやすくなる。

 内閣府の有識者委員会は6年ほど前、望ましい形態を議論。その際、「政府の関与が強まる」として独立行政法人化に反対する声が出ていた。学術会議法の保障する独立性については「政府や社会との関係で非常に重要な要素」と指摘していた。

 政府のコントロールは予算面でも強まる懸念が拭えない。独立行政法人は国の交付金で運営され、さじ加減一つで減額することも可能となるからだ。

 自民党のプロジェクトチームは「政治や行政が抱える課題認識を共有し、実現可能な質の高い政策提言を行う」ことも学術会議に求めている。政府の意向をくむことを要請しているに等しい内容だ。

 特に人文社会科学の分野では、学者の意見が政府と対立する場合が往々にしてある。批判があるからこそ政策の問題点が明らかになり、国会論議とは別に、より望ましい方向を探る手掛かりとなるのではないか。

 だが学者が政府の意向ばかりをうかがうようになれば、こうした機能を果たすことは難しい。学問研究のもたらす多様な視点が損われるような事態は、国民生活にとってマイナスだ。

 その一方で提言は、菅義偉首相による会員候補6人の任命拒否については素通りした。忘れてならないのは、この問題はそもそも任命拒否から始まったのであり、組織の在り方は全く別の問題だということだ。

 拒否理由について、菅首相は「人事に関すること」などと説明しようとしない。だが、問題の本質は任命拒否にある。学術会議法の規定に従えば、菅首相は6人を任命するのが筋だ。それができないとなれば、会員としてふさわしくない要因が6人にあったということになる。

 菅首相は「説明できることとできないことがある」と述べたが、選挙で選ばれた国会議員である一国の指導者が国民に「説明できない」行いをすること自体、看過できない。人事介入の真意を明確に説明すべきだ。





学術会議見直し/まず任命拒否を説明せよ(2020年12月21日配信『神戸新聞』-「社説」)

 日本学術会議が、組織の在り方に関する中間報告を井上信治科学技術担当相に提出した。

 法は学術会議を「国の特別機関」と定める。現行の組織形態は活動の独立性や会員選考の自主性、国の支出による安定した財政基盤など、国を代表する学術機関(ナショナルアカデミー)として国際社会が共有する要件を全て満たすと結論づけた。

 政府や自民党内で強まる学術会議の「切り離し論」への異議申し立てと言える。提言機能の強化と組織運営の透明性を自ら高めることで国民の信頼を得る決意も示している。

 議論の発端は、菅義偉首相による学術会議会員の任命拒否問題だった。杉田和博官房副長官が推薦や任命に介入したことを裏付ける内部文書なども明らかになっている。

 だが首相は、任命拒否の理由や法解釈の妥当性について「人事に関すること」として説明を避けており、疑問を抱く国民は少なくない。最近は、学術会議の問題点を「国民も分かってきた」などと語っているが、ずれがあると言わざるを得ない。

 ところが、首相の意向を受けて自民党のプロジェクトチームがまとめた提言は、任命拒否問題の経緯には触れず、2023年9月までに学術会議を国から切り離し、新組織に移行させることを柱とした。

 独立行政法人や特殊法人を例示しているが、そうなればトップ人事や財政支援を通じて、政府の関与がさらに強まる恐れがある。高い見識と科学的根拠に基づいて政府に提言し、時には苦言も呈する学術会議の役割にふさわしいとは思えない。

 問題の本質から国民の目をそらし、ついでに政権の意に沿う組織に変えてしまおうという安直な思惑があるのではないか。

 こうした動きに対し、学術会議側は中間報告で、法制度を変えてまで形態を変えようとするなら、明確な「立法事実」が必要だと反論した。

 安倍政権下の15年、内閣府がまとめた学術会議の在り方についての報告書は、国の機関でありつつ独立性が担保されている「現在の制度を変える積極的な理由を見いだしにくい」としている。これを踏まえたもっともな指摘だろう。

 学術会議は1949年の設立以来、科学者が戦争に加担した苦い経験を踏まえ、政治からの独立と、軍事研究への参加に批判的な方針を貫いてきた。こうした歴史的な経緯を考慮せず、人事とカネを握って強引に服従を迫るような手法を見過ごすことはできない。

 菅首相は提言を受けて、年内に学術会議の在り方について方向性を出すという。その前に、任命拒否の理由を自ら説明するのが筋だ。





「民主主義とは何か」(2020年12月20日配信『新潟日報』-「日報抄」)

「今年の一年を振り返るとき、政治に関しては間違いなく不毛な一年であった」。本紙連載の時事評論「論考」の書き出しである。筆者は東大教授の政治学者宇野重規さんだ

▼ただし、掲載は2008年。とはいえ、十二支が一巡したこの年末に読んでも違和感はない。12年前は福田康夫首相が政権を投げ出し、後を継いだ麻生太郎首相も相次ぐ失言で政治不信が増長した。今年は新型ウイルスへの場当たり対応に、国民の多くが失望した

▼08年と似たような出来事もあった。ウイルス禍による経済への打撃は、あの年のリーマン・ショック以来だ。米国ではオバマ旋風から12年を経て、民主党が政権を奪還した

▼この9月、宇野さんは日本学術会議の会員任命を拒まれた。拒否された6人は安倍政権の安全保障政策や秘密保護法などに反対していた。拒否の理由を菅義偉首相は語ろうとしない。逆に会議を組織改変し本来の独立性を骨抜きにしようとさえしている

▼政治とカネの不祥事も止まらなかった。「民主主義とは何か」。厄災にほんろうされる中、こう問われ続けた年でもあった。10月、宇野さんが同名の新書を発行するとベストセラーになった。拒否問題が浮上する前に書いた本だ

▼「民主主義はしばしば誤った決定を下しますが、それを自己修正し、状況を立て直す能力をもつのも民主主義です」と説いた。残念ながら、民主主義を巡っては今年も不毛な1年だったと言わざるを得ない。こんな状況がいつまで繰り返されるのか。



【学術会議改編】自民提言に説得力はない(2020年12月20日配信『高知新聞』-「社説」)

 日本学術会議の在り方を検討する自民党プロジェクトチーム(PT)が政府に提言を提出した。

 2023年をめどに、政府から独立した法人格を持つ新組織への移行などを求めている。しかし議論の発端となった、菅義偉首相による会員候補6人の任命拒否問題には触れていない。

 拒否の理由が明らかにならなければ、組織改編の必要性があるのかどうかさえ分からない。自民PTの提言に説得力はない。

 提言は「期待される機能が十分に発揮されているとは言い難い」と指摘。独立行政法人や公益法人などへの移行が望ましいとした。会員選出では、第三者機関による推薦など会員推薦以外の方法を求めた。

 学術会議の組織形態を巡っては、これまでも政府の有識者委員会で議論されている。その際、独立行政法人にするとトップが大臣に任命されたり、国からの交付金で運営されたりすることから「政府の関与が強まる」と反対の声が上がっている。

 自民PTの提言は、こうした議論の積み重ねを踏まえているのだろうか。

 提言は約2カ月でまとめられた。これを受けて政府は、年内に一定の改編の方向性を示すという。拒否の理由を棚上げしたまま、急ごしらえで提言を実行しても国民の理解は得られない。

 そもそも学術会議の組織改編には、「任命拒否問題からの論点ずらし」との批判が根強い。

 任命拒否の理由について、菅首相は「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動を求める観点」「多様性の確保」などと述べているが、要領を得ない。

 任命を拒否された6人は、安全保障関連法や沖縄県の米軍普天間飛行場移設を巡る政府対応などを批判してきた。政府方針に異を唱える学者は排除するのか。そうした懸念を裏付けるように複数の政府関係者は、6人が反対運動を先導する事態を懸念したと明かしている。

 事実なら学問の自由への不当な政治介入である。到底許されるものではない。

 学術会議側も政府からの要請に応じる形で、組織の在り方に関する中間報告をまとめた。

 報告は、政府からの独立性を認められた現行の組織形態が、国を代表する学術団体「ナショナルアカデミー」に必要な条件を全て満たしているとしている。組織改編は必要ないということだろう。

 ナショナルアカデミーと政府が互いに不信感を募らせる状態は、国にとって決して有益ではない。問題を解決するためには、まず政府が任命拒否の理由を説明し、拒否を撤回するしかない。

 この問題は各国を代表するアカデミーなどでつくる国際学術会議も注視しており、「政府に適切な助言をするためにも、科学者の自律性が担保されなければならない」と訴えている。
 政府は真摯(しんし)に耳を傾けるべきだ。





学術会議(2020年12月19日配信『高知新聞』-「小社会」)

 日本の原子力利用のいわば指針を記した原子力基本法。制定からきょうで65年になる。かつて衆院議員として、この法の作成に携わったのが、昨年亡くなった中曽根康弘元首相だ。

 サンフランシスコ講和条約をもって日本の原子力開発が解禁されると、予算確保や法整備を先頭に立って推進。原発が全国に拡大した。一方で2011年、福島第1原発事故が起きたことを考えると、中曽根氏の功罪は相半ばする。

 基本法は第2条で利用を平和目的に限定し、「民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開」すると定める。民主・自主・公開のいわゆる「原子力三原則」だ。原子力は武器にもなる。戦争被爆国として最低限の原則だろう。

 この三原則を提案したのは、実は当時の日本学術会議だ。中曽根氏は当初、「左翼系の学者に牛耳られた学術会議」に任せるより、「政治の責任で打開すべき」だと、偏った見方をしていたようだ。

 それでも最終的に学術会議の意見を反映させた法をつくり上げた。首相在任中の1983年には、政府による学術会議会員の任命権も「形式的にすぎない」とし、学術会議の独立性を尊重する答弁をしている。

 翻って現在の首相。任命拒否を巡る学術会議との対立は越年の気配だ。考え方の異なる人の意見は聞かず、排除しようとする姿勢が目立つ。泉下の中曽根氏にはどう映っているだろうか。





学術会議の改編 独立させる理由はない(2020年12月18日配信『北海道新聞』-「社説」)

 日本学術会議が政府から検討するよう求められていた組織の在り方について、中間報告を提出した。

 政府の特別機関となっている現行の組織形態が、国を代表する学術団体「ナショナルアカデミー」の要件をすべて満たしているとしたのは、当然の結論だろう。

 そもそも今回政府が促した論議は筋が違う。

 問題の核心は、会議側が推薦した105人の会員候補のうち6人の任命を菅義偉首相が一方的に拒否したことだ。

 日本学術会議法の趣旨に反している上、首相が国会でも記者会見でも具体的な理由を答えないことこそ、問われるべきである。

 政府・自民党が学術会議の組織改革の必要性を訴えるのは、批判の矛先をそらす意図があろう。

 最優先すべきは組織形態の論議ではなく、任命拒否を撤回し、一連の経緯を明らかにすることだ。

 中間報告では、ナショナルアカデミーとして備えるべき要件を五つ挙げた。

 《1》国を代表する機関としての地位《2》そのための公的資格付与《3》国家財政支出による安定した財政基盤《4》活動面での政府からの独立《5》会員選考における自主性・独立性―である。いずれも欠かせまい。

 会員選考を巡る情報開示や事務局の充実の必要性にも言及した。

 一方、自民党が提言した政府から独立した組織への移行については、要件を満たすかどうか引き続き検討が必要だとして、慎重な見方を示した。

 2015年の政府の有識者委員会の報告書では、現行の組織形態を変える積極的な理由はないとしている。任命拒否問題を脇に置いて、政府からの独立を急いで検討すべき状況とは言えまい。

 学術会議は先の大戦に科学者が協力したことへの反省から設立された。法律に基づく独立性が高い政府機関であるがゆえに、その提言は重みがあり、政府のブレーキ役ともなり得てきた。

 学術会議に軍事研究などを否定され、政権の意のままにならないからと言って、予算や人事権を持ち出して非政府組織化を求めるのは脅しにも等しく看過できない。

 国会では、任命拒否に杉田和博官房副長官が関与したことを示す文書の存在が明らかになった。そこには「外すべき者」との記述があったが、大半が黒塗りだった。

 政府は年内に組織改編の方向性を示すとしている。それ以前に、自らの姿勢を正し、真相をつまびらかにする必要があろう。



学術会議任命拒否問題 議論すり替えず説明せよ(2020年12月18日配信『茨城新聞』-「論説」)

 日本学術会議が推薦した新会員候補6人の任命を菅義偉首相が拒否した問題を巡り、自民党のプロジェクトチームは、学術会議を政府から独立した法人に移行させる提言を政府に提出した。菅政権は提言に沿って組織改革を検討する方針だ。

 しかし、この問題の最も重要な点は、学術会議の組織の在り方ではない。日本学術会議法に政府からの独立性が明記されている会議の会員任命に関与し、6人を拒否した理由を首相がいまだに説明していないことだ。

人事への介入は、研究を萎縮させ、憲法が保障する「学問の自由」の侵害につながると多くの学会が批判している。問題の原点 に立ち返り、首相は任命拒否の理由を明確に説明すべきだ。組織改革への議論のすり替えは認められない。

 日本学術会議法は学術会議を「内閣総理大臣の所轄」する国の機関と位置付ける一方、「独立して職務を行う」として独立性を担保している。これに対して自民党の提言は「政府の内部機関にもかかわらず、独立した存在であろうとすることで生じる矛盾」があると主張し、独立行政法人や特殊法人などの「独立した法人格の組織」にすべきだと指摘。会員の次期改選期である2023年9月をめどに新組織に移行するのが望ましいとした。しかし、任命拒否問題は素通りしている。

 提言は組織論としても問題点が多い。学術会議側も組織改革に関する「中間報告」を政府に提出。その中で、国を代表する「ナショナルアカデミー」に必要な要件として「国を代表する機関としての地位」や「政府からの独立」など五つの要件を挙げ、現行では全てを満たすが、独立行政法人などほかの組織形態では、要件を満たすか「精査が必要だ」と反論した。

 学術会議は第2次大戦の敗戦後、科学の振興を図るために国の特別機関として設置された。その上で、中立的な立場から政府に政策提言を行うために独立性が担保された。だからこそ歴代内閣は、首相の任命権は「形式的」にすぎないとしてきたのだろう。

 15年に学術会議の在り方を検討した内閣府の有識者会議も、組織形態を「変える積極的な理由は見いだしにくい」としている。自民党の提言はこうした歴史的経緯への考察を欠いたものだ。

 さらに問題なのは政治と科学の在り方への熟慮が見られないことだ。科学的思考が現実の政策に批判的になることはあり得る。その「緊張関係」の上に、批判も考慮しながら政策を決定していくのが政治の役割だろう。

 ところが提言は学術会議に「政治や行政が抱える課題認識を共有し、実現可能な質の高い政策提言を行う」よう求めている。政府の意向をくむべきだという意味だろう。任命が拒否された6人は全て人文・社会科学系で、過去に安全保障関連法や特定秘密保護法などに反対の見解を示したことがある。人選には警察官僚出身の杉田和博官房副長官が関わっている。

 首相は過去の発言と任命拒否は「関係ない」と否定するが、ではなぜ拒否したのか。

 首相の説明は「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動を求める観点から」「既得権益になっているから」などと変遷し、不明確なままだ。政治と科学の在り方という重要な課題に対し、口先の説明と議論のすり替えは許されない。



学術会議の報告 政府に疑義投げかける(2020年12月18日配信『信濃毎日新聞』-「社説」)

 日本学術会議を国の機関から切り離そうとする政府、自民党のやり方がいかに強引かを浮き彫りにしている。組織の見直しをめぐって、学術会議が政府に提出した中間報告である。

 現在の組織形態は、ナショナルアカデミー(国を代表する学術機関)が備えるべき要件を全て満たしている、としたことが眼目だ。法制度を改定してあえてそれを変えるのなら、根拠となる具体的な「立法事実」を明確にする必要があると指摘した。

 組織の見直しは、井上信治・科学技術担当相が先月下旬、学術会議の梶田隆章会長らと会談した際に検討を要請し、年内の報告を求めた。連動して自民党は、3年後をめどに国から独立した組織に改編する提言をまとめている。

 1949年の設立以来、政府の「特別の機関」と位置づけられてきた組織の改編をこれほど性急に進めようとするのは無理がある。そもそも、法で独立性を保障されている学術会議に対して政府や政権与党があからさまに圧力をかけることが間違いだ。

 中間報告はナショナルアカデミーの要件に、代表機関としての地位、活動の政府からの独立、国の支出による安定した財政基盤などを挙げた。その上で、独立法人化した場合に要件を全て満たす制度設計は可能なのか、と根本的な疑義を投げかけている。

 内閣府の有識者会議が2015年の報告書で、現在の制度を変える積極的な理由は見いだしにくいと結論づけたことも踏まえた、もっともな主張である。有識者会議の議論では、独立法人化することでかえって政府の関与が強まる懸念が出ていた。

 一つは組織トップの人事だ。独立行政法人の場合、主務大臣が任命するため、政治介入の余地が生まれる。財政面でも、交付金を差配する政府の意向に従わざるを得なくなる恐れが大きい。

 04年の国立大学の独立法人化でそれは現実になっている。交付金の総額が減らされた上、各大学の取り組みを評価して交付金を配分する仕組みによって、自主性が確保されるどころか、大学の自治の土台が掘り崩されてきた。

 学術会議のあり方は本来、政府が決めるべきことではない。国の機関として財政を支えつつ、独立性を保障した制度の意義をゆるがせにできない。政府は中間報告を踏まえて年内に一定の道筋を示すというが、菅義偉首相が会員の任命を拒否した問題を覆い隠す無理押しを認めるわけにいかない。



学術会議自民提言 任命拒否の説明どこへ(2020年12月18日配信『中国新聞』-「社説」)

 自民党のプロジェクトチームが「日本学術会議の改革に向けた提言」をまとめ、政府に提出した。2023年をめどに政府から独立した法人格を持つ新組織への移行を求めている。

 議論の発端は、菅義偉首相による会員の任命拒否問題だったはずである。ところが提言はこの問題に触れていない。学術会議の組織の在り方に議論をすり替え、批判から目をそらす狙いなのだろうか。与党といえども政府に物申さなければ「提言」とはいえまい。

 それにしてもなぜ新組織なのか。学術会議を政府から切り離し、任命拒否問題をうやむやにしたい意図が透ける。

 提言は学術会議が「政策のための科学」という機能を十分に果たしているとは言い難い―などと批判し「政治や行政が抱える課題や時間軸等を共有し、実現可能な質の高い政策提言を」と求める。政権の意向をくんだ研究をせよというのだろう。

 しかし学術会議は、日本学術会議法に基づき、政府の組織でありながら一定の独立性を持つ特別の機関だ。科学者が戦争に加担した反省から軍事研究はしないという方針を貫いてきた。

 1949年の発足以来、時には政府にとって耳の痛い提言もしてきた。2015年に防衛省が研究助成への公募を始めると「政府による介入が著しい」として、改めて軍事研究に反対する声明をまとめている。

 提言は軍事研究への言及を避けているものの、自民党内には意に沿わぬ学術会議に対する不満がくすぶっているのだろう。

 菅首相に任命拒否された会員候補6人はいずれも歴史など人文・社会科学系の研究者だ。過去の政府批判が拒否の理由ではないかと国会でも追及された。

 首相は「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動を求める観点」「多様性の確保」などと言葉を並べたが、理由になっていない。揚げ句に「人事の経緯は言えない」と、まともに答えないままである。

 そんな政権と歩調を合わせるように自民党は学術会議の組織改革の必要性を主張し始めた。2カ月足らずで急ごしらえの提言を見ると、最初から学術会議をつぶすことが狙いだったのではないかと疑いたくなる。

 これに対し、学術会議は在り方に関する中間報告をまとめ政府に提出した。現行の組織形態は国を代表する「ナショナルアカデミー」に必要な要件をすべて満たすと主張している。つまり新組織にする必要はないということだ。

 学術会議はすでに6人の任命を求める要望書も提出しているが、政府から回答はないという。梶田隆章会長が「いまだに進展がなく、大変遺憾」と述べるのももっともだろう。

 改革論議をするにしても、従来の政府見解を変えてまで6人を任命拒否した理由をまず明らかにする必要がある。できないのなら拒否を撤回すべきだ。

 15年に学術会議の在り方を検討した内閣府の有識者会議は「政策について批判的なものも含めて科学的エビデンスに基づき見解を打ち出していく機能が重要」とし、組織形態を変える「積極的な理由は見いだしにくい」としている。自民党の提言はこうした歴史的経緯への考察も欠く。国の特別機関として、独立を保障してきた意味を再確認せねばならない。





学術会議見直し 論点ずらしで介入強化か(2020年12月17日配信『熊本日日新聞』-「社説」)

 日本学術会議の在り方を検討していた自民党のプロジェクトチーム(PT)が政府への提言をまとめた。2023年9月までをめどに、政府から独立した法人格を持つ新組織に移行することが望ましいとし、具体的な制度設計と法改正を要請した。

 一方で、菅義偉首相による会員候補の任命拒否問題については言及しなかった。一連の論議の端緒にあえて触れない提言の意図は何か。説明責任を不問に付し、組織論への論点ずらしで批判をかわしながら、介入を強めようという狙いが透けて見える。

 提言では学術会議の独立性、中立性を担保するものとして、新たな組織への移行を主張。同時に財政支援の縮小も打ち出した。

 代わりの財源案として政府や民間からの競争的資金獲得を挙げているが、安定的な財政基盤を失うことで、かえって外部からの介入を招き、独立性、中立性が損なわれることが懸念される。

 また提言は、学術会議が「政策形成に有効な科学的助言を提供する」機能を十分には果たしていないとし、「実現可能な質の高い政策提言を行うことが求められる」と注文を付けた。

 これについては、学術会議が近年、政府に答申や勧告を出していないことを自民党は問題視していた。しかし、答申については政府の諮問に応じて出されるものである。諮問を経ずに出された提言は多数あり、それを十分に生かしてこなかった政府の姿勢を、まず問うべきではないか。最近のコロナ対策の迷走ぶりを見ても、菅政権も、専門家の「科学的助言」を重視しているとは、とても言えまい。

 そもそも15年に内閣府の有識者会議が出した学術会議についての報告書では、「国の機関でありつつ法律上独立性が担保され、政府に勧告する権限がある現在の制度は、期待される機能に照らしてふさわしく、これを変える積極的理由は見いだしにくい」としていた。その結論を覆さなければならないような理由が、今回の提言で示されたとは思えない。

 学術会議は16日、井上信治科学技術担当相に提出した中間報告で「現行の組織形態は、国を代表する学術団体に必要な要件を全て満たしている」と指摘したが、過去の論議の積み重ねを無視したPTの乱暴な提言内容への当然の反論だろう。

 首相による学術会議会員の任命についても、1983年の国会で当時の自民党政権は「形式的なものにすぎない」と繰り返し答弁していた。その審議に携わった船田元・元経済企画庁長官は、菅首相の任命拒否を「明らかに法解釈の変更」とし、事前に国会にも説明がなかったことを「闇討ち」と批判している。

 任命問題に触れないPTの提言は、こうした党内からの批判も無視したものだ。法解釈という立法の根幹部分を、国会議員自らが軽視している姿勢の表れと言わざるを得ない。





学術会議見直し 「任命拒否」は置き去りか(2020年12月15日配信『西日本新聞』-「社説」)

 一連の論議の発端であり、同時に核心でもある問題を意図的に無視しているのではないか。これでは、いくら組織改革論を振りかざしても客観的な説得力を持つわけがない。

 自民党のプロジェクトチームが「日本学術会議の改革に向けた提言」をまとめ、政府に提出した。次期改選期の2023年9月をめどに、政府から独立した法人格を持つ新組織に移行することが望ましい、と結論付けた。おおむね1年以内の具体的な制度設計と速やかな法改正を政府に求めている。

 なぜ「新組織への移行」が必要なのか。提言は、学術会議について「『政策のための科学』の機能を十分に果たしているとは言い難い」とした上で、「学術の総合力を発揮した俯瞰(ふかん)的・学際的な見解を示す『知の源泉』としての役割」を果たすよう要請している。

 会員の選出方法に関しても、現会員の推薦に基づいて選ぶ現状に「同質的な集団が再生産される傾向が生じる」と疑問を投げ掛け、「第三者機関の推薦など、会員推薦以外の道を確保すべきだ」と指摘している。

 この提言で最大の疑問は、学術会議が推薦した会員候補の任命を菅義偉首相が拒否した問題に一切触れていないことだ。まるで任命拒否などなかったかのような「黙殺」ぶりである。

 政府と与党の連携は必要だろうが、互いが無批判に一体化すれば政権は緊張感を失う。政府に「もの申す」姿勢を欠いた与党の提言にどれほどの意味があるのか、と問いたい。

 任命拒否された6人はいずれも人文・社会科学系の学者で、政府の方針や法案に批判的な言動でも知られていた。過去の政府批判が任命拒否の理由か、と問われると、首相は「それは違う」と否定する。「では何が理由か」と尋ねると「人事の経緯は言えない」の一点張りで、記者会見でも国会答弁でも、まともな説明ができないままだ。

 この問題を素通りして組織改革に手を付けるやり方は「論点ずらし」以外の何物でもない。

 学術会議の新たな組織形態について提言は「独立行政法人、特殊法人、公益法人」などを例示しながら、その判断は政府に委ねている。乱暴な議論と指摘せざるを得ない。とにかく学術会議を政府から切り離せ、そうすれば任命拒否問題などおのずから消滅する-と言わんばかりの提言ではなかろうか。

 学術会議も政府機関である以上、むろん改革論議はあっていい。ただ任命拒否問題の解決が前提だ。首相は国民が納得できる理由を説明する。説明できないのなら拒否を撤回する。それ以外に問題解決の道はない。





学術会議問題 任命拒否を覆い隠すな(2020年12月11日配信『信濃毎日新聞』-「社説」)

 政府、自民党は横紙破りをどこまで続けるつもりなのか。日本学術会議に対する政治の介入が一段と勢いを増しつつある。

 自民党が学術会議の組織改革について政府への提言をまとめた。2023年をめどに、政府から独立した組織に改めることを求めている。

 2カ月足らずで急ごしらえした提言は、菅義偉首相が会員の任命を拒否した問題に触れていない。学術会議のあり方に矛先を向け、政権の責任から目をそらす意図があらわに浮かぶ。

 学術会議は1949年の創設以来、政府の特別な機関と位置づけられている。70年余を経て組織のあり方を性急に組み替えれば、無理が生じるのは避けられない。それを顧みない強引さにも学術会議を揺さぶる意図がにじむ。

 もう一つは、これまでの議論を踏まえていないことだ。安倍前政権下の15年に内閣府の有識者会議が出した報告書は、国の機関でありつつ独立性を担保した現在の制度を変える積極的な理由は見いだしにくいと結論づけている。

 学術会議の現状について提言は、期待される機能が十分に発揮されていないとした。けれども、問われるべきはむしろ学術会議を軽んじてきた政府の姿勢だ。

 提言が求めた事務局体制の強化にしても、15年の報告書で「格段の増強が必要」と指摘されながら、なおざりにした。かつて60人を超えた事務局の正職員は50人に減り、専門職の学術調査員も7人が9人に増えただけだ。

 欧米の学術機関は独立した非政府組織であることが多い。日本の研究者にも、政府の干渉を排するには独立機関が望ましいという声はある。ただ、それがかえって学術会議の自主性を奪い、弱体化につながる懸念は拭えない。

 組織改編後の運営費について提言は、当面は基礎的な予算措置が必要としつつ、自主財源の強化を求めた。政府は一方で、行政改革を理由に年間10億円の予算と正職員の削減を検討している。

 学術機関としての成り立ちが欧米とは異なり、公的財源が細ると運営が成り立たなくなる恐れがある。企業や経済界に資金を頼れば、その意向によって自律性が揺らぐことにもなりかねない。

 国の機関と位置づけた上で独立を保障した意味を再確認したい。何より、任命拒否の問題を棚上げにして組織のあり方を議論するのは筋道が違う。学術会議は政治の介入に毅然(きぜん)とした姿勢で向き合わなくてはならない。



学術会議改革案 解体的出直しを図るとき(2020年12月11日配信『北国新聞』-「社説」)

 日本学術会議を抜本的に改革する提言案を自民党のプロジェクトチーム(PT)がまとめた。「政府から独立した新たな組織として再出発すべきだ」という提言の大筋は妥当であろう。

 学術会議推薦の一部会員候補を菅義偉首相が任命しなかったことに言及しておらず、野党側は「論点ずらし」と批判している。が、学術会議の改革はいま、急に出された問題ではない。

 内閣府の審議会である総合科学技術会議は2003年に、欧米主要国の学術団体と同様の「国から独立した法人格を有する組織が望ましい」との報告書を提出している。抜本改革を快く思わない学者や政治勢力のためか、報告書は日の目を見なかったが、会員任命問題を機に、学術会議は解体的出直しを図るのがよいだろう。

 菅首相が会員候補の任命を拒否したことに対し、学問の自由を侵害する政治介入といった批判がなされている。しかし、学術会議の独立性は法律上も尊重しなければならないが、国民の税金で運営される「国の機関」である以上、首相の人事権による相応の民主的統制も必要である。

 そうした国の関与から自由であろうとするなら、自民党PTや総合科学技術会議の提案を受け入れるほかあるまい。自民党PTは独立行政法人や特殊法人、公益法人を例示しているが、独立をさらに追求するなら、完全民営化が選択肢にあっても不思議はない。

 自民党PTは学術会議の課題について、「政策のための科学」の実現という機能が十分発揮されていないと指摘しているが、問題点は多々あろう。例えば、軍事研究に協力しないという学術会議声明は、軍民の技術に境がない現代では国際常識から外れ、政治的な偏向をもうかがわせる。学術会議の改革理由をもっと具体的に説明する必要があるのではないか。

 改革の前に、任命拒否の理由を明らかにすべきと菅首相を責める声も根強い。これまでの説明は抽象的で分かりにくいことは確かであろう。ただ、どのような組織であれ、人事の理由説明には限界があることも理解したい。



学術会議で提言 軍事研究妨害の撤回促せ(2020年12月10日配信『産経新聞』-「主張」)

 日本学術会議の在り方を検討する自民党のプロジェクトチームが、政府の機関である学術会議を独立した法人格を持つ組織へ改めるよう求める提言をまとめた。党内手続きを経て、近く政府へ提出する。

 提言は、令和5年9月までをめどに組織改編を行うことが望ましいとした。政策提言のためのシンクタンク機能強化や会員選考基準の見直しを求めた。改編後も政府による一定の運営費の支出があるべきだとした。

 いずれも妥当ではあるが、極めて物足りない。学術会議が日本の抑止力を高めるための軍事科学研究に反対してきた重大な問題に一切触れず、是正を求めていないからだ。プロジェクトチームの塩谷立座長は9日の会合で、軍事研究などの問題について「あえて今回は議論しない」などと述べたが逃げてはいけない。

 学術会議は平成29年3月の声明で、軍事科学研究を「絶対に行わない」とした過去の声明の継承を宣言した。法的拘束力がないから問題ないとは言えない。大学や研究機関に影響を及ぼしたのである。防衛省の予算で軍民両用技術の研究を助成する「安全保障技術研究推進制度」への応募は激減してしまった。

 27年度の大学からの応募は58件だったが、令和2年度は6分の1以下の9件に減った。日本の安全保障のために軍民両用技術を研究しようとする大学、研究者の「学問、研究の自由」を侵害したのではないか。

 学術会議の声明は、侵略を未然に防ぎ、万一の有事には敵を撃退する防衛力、抑止力を整える意義を否定するのと変わらない。

 その一方で学術会議は、科学技術の分野でも「軍民融合」路線を進める中国の科学技術協会と、協力促進の覚書を結んでいる。

 自国の防衛省との協力に反対し、中国人民解放軍の強化に取り組む同国の科学技術機関とは不用心に協力を進めていいものか。

 だが、学術会議に反省の色はない。菅義偉首相に権限がある一部会員候補の任命見送りにこだわっている。

 軍事研究を妨げる声明の撤回や棚上げが急務だ。それなしに税金から運営費を支出するのは理解できない。政府が今後まとめる改革案にはこれらの点が最優先で盛り込まれなくてはならない。





あなたなら、どうしますか(2020年12月8日配信『しんぶん赤旗』ー「潮流」)

 ナチ党が共産主義者を攻撃したとき、私は多少不安だったが何もしなかった。学校が、新聞が、ユダヤ人が攻撃されたとき、ずっと不安だったがまだ何もしなかった。ついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた

▼ナチスに弾圧され、強制収容所に入れられたマルティン・ニーメラー牧師の警句です。その言葉は米国記者ミルトン・マイヤーの著書『彼らは自由だと思っていた』の中で、ある学者が紹介しています

キャプチャ

▼著書はナチズムに共感したドイツ庶民の思想や行動を追ったもの。牧師の戒めを引用した学者自身も、すべてが起こってしまってから「発端に抵抗せよ」「終末を考慮せよ」という一対の格言を何度も考えたと悔やんでいます

▼彼らの教訓が時空をこえ、いまの日本によみがえっています。菅首相による学術会議への介入。学問や研究の自由が奪われ、戦争と一体化されていった過去の痛恨を思い起こさせるからです

▼日本野鳥の会の会長は本紙日曜版で牧師の警鐘をあげ、ひとごとではないと。「ここできちんと抗議しないと将来に禍根を残す」。同じ思いは、さまざまな学会や学生、市民にひろがり、任命拒否の撤回を求めています

▼この問題を会見で問われた首相が浮かべた薄笑い。あれは何を意味するのか。日本が太平洋に戦端を開き、破滅へと向かった日に改めて考えたい。権力が批判や反対を封じ込める動きを強めたそのとき、歴史が突きつけてきたことを。あなたなら、どうしますか





学術会議のあり方論議 すり替えだけ進んでいる(2020年12月7日配信『毎日新聞』-「社説」)

 日本学術会議のあり方を議論している自民党のプロジェクトチームが、3年後をめどに政府から独立させるよう求める提言をまとめた。政府内でも、非政府組織への移行が検討されている。

 見直し論議は、菅義偉首相が新会員候補6人を任命しなかったことが表面化した直後に提起された。任命拒否への批判をかわし、組織のあり方の問題にすり替える意図が明白だ。

 学術会議は拒否の理由を明らかにするよう求めている。だが首相は「総合的、俯瞰(ふかん)的観点からの判断」との説明を繰り返すばかりだ。

 プロジェクトチームは、会員がより自由な立場で活動するには、欧米のアカデミーのような非政府組織が望ましいと判断しているという。だが、日本と欧米とでは学術をめぐる歴史が異なる。

 日本は明治維新を機に欧州から近代科学を導入した。国家主導で大学を作り、学問体系を構築した。学術会議もこうした歴史を踏まえ、政府の特別機関として発足した。同時に、政府から独立して活動することが法律に明記された。

 今回の見直しは、このような事情を無視している。形だけをまねて非政府組織にしても、機能するとは限らない。

 政権内には、学術会議が2017年にまとめた軍事研究に関する声明への批判がある。声明は、防衛装備庁が新設した安全保障に関わる研究への助成制度を「政府の介入が著しい」と指摘した。

 これを受け、制度に応募しないとの決定をする大学が相次いだ。政府が、その方針に従わない学術会議に対し、任命権を振りかざして統制を強めようとするなら筋違いだ。

 国際的な信用にもかかわる。学術会議が加盟する国際学術会議の会長は公開書簡で、学問の自由に与える影響を「極めて深刻」と批判した。学術に関わる決定が政治的な統制や圧力の対象になってはいけない、とも指摘している。

 学術会議は新体制が始動したが、人文・社会科学系の第1部は、6人が任命を拒否されたことで約1割が空席のままだ。

 科学技術大国の地位を、政府自ら損ねている。首相にはまず、任命拒否した理由を説明する責任がある。





「控える」を控えさせる(2020年12月5日配信『熊本日日新聞』-「新生面」)

 先日発表された新語・流行語大賞は、「3密」「アベノマスク」といったコロナ禍関連の言葉がトップテンの多くを占めた。いかにコロナに振り回された1年だったかが分かる

▼そこで小欄も独自に今年の流行語を考えてみた。「不要不急の外出を控える」「感染急増地域との往来を控える」…。しばしば耳にしたのは「控える」という言葉。そのせいもあってか、世の中が縮こまった雰囲気に包まれたようでもある

▼「控える」が飛び交ったのは、コロナ絡みばかりではない。「人事に関することなので、答えを控える」「捜査に関わることであり、答弁は差し控える」…。使い勝手がいい言葉なのだろう。きのう事実上閉幕した臨時国会でも大流行した

▼菅義偉首相を筆頭に官房長官、財務相らが「控える」「差し控える」を連発。日本学術会議の会員任命拒否問題や「桜を見る会」の夕食会問題を追及されても、のらりくらりとかわし続けた。そのため国会質疑は何とも締まりのないものに

▼立法府である国会は「国権の最高機関」であり、憲法上、行政府や司法府に優越する地位を与えられている。その国会で政府が答弁を「控える」のは、立法府の軽視ではないのか。このままでは、国会の空洞化、形骸化が進むばかりだろう

▼作家の佐藤優氏は文芸春秋12月号で「安倍政権が長期化したことで、司法権や立法権に対して『行政権』が構造的に優位に立った」と指摘する。国会に緊張感を取り戻すには「控える」を控えさせるしかなさそうである。





学術会議問題 これで幕引き許されぬ(2020年12月4日配信『北海道新聞』-「社説」)

 国会の会期が実質あと1日となる中、菅義偉首相が日本学術会議の会員任命を一部拒否した問題は、一向に解明されない。

 首相は国会で秘書官が用意したペーパーを棒読みし、答えに窮すると「官房長官の答弁と一緒」と言い放ち、核心の質問には「人事に関することは答えを差し控える」と繰り返している。

 自ら招いた問題だという認識に欠ける。国会軽視も甚だしい。

 杉田和博官房副長官の関与や、事前協議の公文書の存在が明らかになったが、与党は杉田氏の国会招致を認めず、政府は公文書公開を拒んでいる。

 これでは国会審議が成り立たない。国権の最高機関として行政府をチェックする国会の権能をないがしろにする態度だ。このまま幕引きを図ることは許されない。

 任命を拒否された6人は、安全保障関連法や特定秘密保護法など安倍晋三前政権の重点政策に強く反対し、公の場でも積極的に発言していた。

 政府関係者によれば、任命拒否の背景には、対象の6人が学術会議内で政府方針への反対運動を先導するのではないかと首相官邸が懸念したことがあったという。

 学術会議は先の大戦に科学者が協力したことへの反省に基づいて設立された。政府方針と異なる意見を示すことには意義がある。

 首相官邸は歴史的な経緯を理解していないのではないか。

 会議側が推薦した会員候補105人のうち一部の任命を拒否したことは、会議の独立性を明記した日本学術会議法に反し、歴代政権の法解釈や対応とも食い違う。

 欠員で学術会議の活動はすでに支障が出ている。首相はただちに任命拒否を撤回すべきである。

 政府・自民党は学術会議を行革対象に挙げて、問題のすり替えを図ろうとしている。

 会員の人選の偏りなどを指摘しているが、どれも根拠を欠く。

 さらに政府は学術会議に、軍事研究の解禁や政府機関からの独立を検討することを求めている。

 会議は軍事研究を否定し、2017年には軍事応用可能な研究への防衛省の助成制度を批判する声明を出している。

 政府・自民党はこうした姿勢をかねて問題視してきた。

 政府の意に沿う組織になるか、民間組織となるかを迫るような姿勢は言語道断である。

 問題の核心に向き合わない態度を続ける限り、国民は納得しまい。野党は徹底追及を続けるべきだ。





学術会議問題 強引な介入組織にまで(2020年12月1日配信『信濃毎日新聞』-「社説」)

 日本学術会議の自主性、自律性を重ねて損なう、見過ごせない政治介入である。学術会議を国の機関から切り離す「非政府組織化論」が政府、自民党から公然と出ていることだ。

 井上信治・科学技術担当相は、学術会議の梶田隆章会長らと会談した際に検討を要請した。年内に報告を求め、政府として組織形態を検討するという。

 強引なやり方と言うほかない。表向き学術会議側にげたを預けた形だが、わずか1カ月で結論を出すのは無理な話だ。政府の意向を押しつけるに等しい。

 井上氏はまた、軍事転用が可能な技術の研究に否定的な姿勢を再考するよう学術会議に求めてもいる。菅義偉首相が会員の任命を拒否した問題を脇に押しやるように、活動のあり方にまで踏み込んで学術会議に非難の矛先を向け、圧力をかける姿勢があらわだ。

 学術会議は政府の「特別な機関」と位置づけられているが、日本の科学者を内外に代表する組織として、職務や運営の独立性、自律性が法で保障されている。その趣旨をないがしろにする政権、与党の振る舞いは認められない。

 学術会議の組織形態は安倍前政権下でも検討されたことがある。内閣府の有識者委員会が「現在の制度を変える積極的な理由は見いだしにくい」と報告したのは2015年だ。その経緯を踏まえても、政府の姿勢は理を欠く。

 報告書は同時に、事務局体制を拡充する必要性を指摘し、事務職だけでなく、データの収集や分析にあたる専門職の大幅な増員を求めた。それをなおざりにしたまま、ここへ来て政府は、行政改革を理由に事務職の官僚を大幅に減らす検討を始めてもいる。

 欧米各国のアカデミー(国を代表する学術機関)は政府から独立した組織であることが多い。日本の研究者の間にも、政府の機関であるために制約が避けられないなら、運営形態を見直すべきだとする意見はある。ただ、それはあくまで学術会議の自主的、自律的な検討に委ねるべきことだ。政治の介入は避けなければならない。

 学術会議を政府の機関と位置づけたのは、独立性を法で明確に担保し、国が運営の基盤を支えることで、学問研究の自由を制度的に保障するためだ。その根本をゆるがせにするわけにいかない。

 政府、自民党の動きには、学術会議を揺さぶって任命拒否の問題の所在を覆い隠す意図がにじむ。核心を見誤らず、政権の責任を追及していくことが欠かせない。





近頃のニュースで気になる言い方がある…(2020年12月1日配信『西日本新聞』-「春秋」)

 近頃のニュースで気になる言い方がある。「警察は慎重に捜査している」。以前は少年事件や人権に関わる問題、政治家の犯罪など特別な事案に「慎重に」を使っていた気がする

▼捜査が「慎重」なのは当たり前。いいかげんな捜査などあってはならない。深く考えずに「慎重に」を決まり文句にしていれば、使わないときは捜査が手抜きという印象を与えかねない。よって毎回、使わざるを得なくなる。思考停止がもたらす落とし穴だ

▼「法に基づいて適切に対応」。政治家や役所の常套(じょうとう)句だ。これもおかしい。法に反して不適切に行う公務はあり得ない。例えば、日本学術会議の会員任命を菅義偉首相が拒否した件。首相は「法に基づいて適切に対応した結果だ」と述べた

▼当たり前のことを繰り返すのは、何も説明するつもりがない、と言っているのと同じだ。日本学術会議法には「(同会議の)推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」とある

▼この場合の「推薦に基づいて」を無視することは、法に基づいているのだろうか。そもそも「適切」かどうかを判断するのは当事者ではなく第三者ではないか

▼「法に基づいて」「法令違反はない」として説明を拒む姿勢は、安倍晋三前政権が「もり・かけ・桜」問題で言い逃れを続けたあしき前例の踏襲だ。「当たり前」に納得せず、思考停止に陥ることなく、言葉の背後にあるものを「慎重に」見極めたい。





【日本学術会議問題】 平野啓一郎さん(2020年11月30日配信『西日本新聞』ー「オピニオン」)

◆民主主義維持の瀬戸際

 日本学術会議会員の任命拒否問題は、日本という「法の支配」下の国にあって、総理大臣が、就任早々、公然と法律に違反し、その後も違法状態が続いている、という前代未聞の出来事である。

 既に670もの学術団体が抗議し、野党が批判し、法律の専門家らが問題を指摘している通り、日本学術会議法は、総理が、学術会議の「推薦に基づいて」、その会員の任命を行うことを定めている。学問の自由を守る観点から、「任命」が形式的なものに過ぎないことは、創設時の公選制から学会推薦制に法改正がなされた1983年の国会でも、当時の中曽根総理らが明言しており、また、2004年に、現行の「コ・オプテーション方式」に再度、法改正がなされた時にも変更はなかった。総理に法的に拒否権はないのである。

    ◆   ◆ 

 菅総理は、18年に極秘に作られた「内部文書」で、推薦された人を総理が必ず任命する「義務があるとまでは言えない」と勝手に法解釈が変更されたことを根拠に適法を主張しているが、そんなことが罷(まか)り通るならば、どんな法律も骨抜きにされてしまう。第一、誰がどう見ても、これは1983年の国会答弁と矛盾しているが、現総理は、法解釈は一貫している、と強弁している。これは最早(もはや)、日本語そのものの破壊である。

 NHKのニュースウオッチ9に出演した菅総理は、キャスターから、6人の会員の任命を拒否した理由の説明を求められると、「説明出来ることと、出来ないことってあるんじゃないでしょうか」「105人の人を学術会議が推薦してきたのを、政府が今、追認しろ、と言われるわけですから!」などと、机を叩(たた)く身振(みぶ)りで怒りを露(あら)わにした。異様な光景だった。

 説明は当然、すべきであり、総理に追認せよと命じているのは法律である。従う以外に何があるのか?

 総理は、今回の一件について、「前例踏襲でいいのか」と再三、口にしているが、「前例踏襲」と「法律遵守(じゅんしゅ)」の区別さえつかないとすれば、総理大臣や国会議員の資質を欠くことはおろか、一国民としてもまったく非常識である。区別がついた上で、首相になったからには法律に違反しても構わないと考えているならば、立憲主義も法治主義も否定する、恐ろしい、独裁的な政治思想の持ち主である。

    ◆   ◆ 

 首相はその後、支離滅裂な学術会議批判を繰り返しているが、私たちは耳を傾けるべきではない。それは、DVやいじめの加害者が、自分の暴力を棚に上げて、被害者のどこがどう悪かったからだと論(あげつら)うのと同じであり、それを聞かされた者たちは、やはり被害者にも問題がある、などという話を始めてはならないのである。

 首相個人が、学術会議に対して思うところがあるというのは自由である。しかし、改革が必要であれば、国会で法改正をしなければならない。現に過去2回、そうしてきたはずであり、気に食わないからといって法を犯し、そのあとで、国民に追認しろ!などと迫るのは言語道断である。

 この学術会議問題の最中、首相は、「パンケーキ好きの親しみやすいオジサン」という見え透いたプロパガンダと、露骨なメディア懐柔策として、番記者との「オフレコ懇談会」を企画し、これに数多くのメディアが参加した。私は、学術会議問題を適切に批判している西日本新聞の社説を支持するが、だからこそ、西日本新聞がこのオフレコ懇談会に参加したことには、強い失望と不信感を抱いたことを言っておきたい。

 私たちは、日本の民主主義を維持できるかどうかの瀬戸際にいるのである。

 【略歴】1975年、愛知県蒲郡市生まれ。2歳から福岡県立東筑高卒業まで北九州市で暮らす。京都大在学中に「日蝕」で芥川賞。「マチネの終わりに」で渡辺淳一文学賞。「ある男」で読売文学賞。本紙で連載された「本心」は来年刊行。





学術会議への介入 軍事研究強いるためか(2020年11月24日配信『東京新聞』ー「社説」)

 軍事研究を強いるという真の狙いが明らかになってきた。日本学術会議が推薦した会員候補のうち6人の任命を菅義偉首相が拒否した問題。総合的、俯瞰(ふかん)的判断と言い、真の狙いを隠すのは国民を欺く。歴史の教訓を忘れたのか。

 うすうす感じてはいたが、ようやく地金がむき出しになったということだろう。国会が決めた法律の趣旨を、政府が勝手に変える違法性が問われているにもかかわらず、いつの間にか、学術会議の在り方の問題にすり替わっている。

 17日の参院内閣委員会ではこんな質疑があった。

◆組織改革へのすり替え

 山谷えり子自民党参院議員「学術会議は軍事科学研究を忌避する声明を出した。おかしな姿勢だ。現代は民生技術と安保技術の境界がなくなってきている。インターネット、カーナビゲーション、衛星利用測位システム(GPS)。皆、軍事・安全保障研究から始まっている。学術会議が学問の自由をむしろ阻んでいるのではという声もたくさん上がっている」

 井上信治科学技術担当相「デュアルユース(軍民両用)の問題は時代の変化に合わせて冷静に考えなければならない課題だ。このことも梶田(隆章学術会議)会長と話をしている。まずは学術会議自身がどういう検討をするかということだ」

 山谷氏は、学術会議による軍事研究忌避を問題視するのは、会員の任命拒否とは無関係と強弁するが、首相による任命拒否が明らかになった直後に自民党内で会議の組織改革を検討するプロジェクトチームが立ち上がったのは極めて不自然だ。

 政府・自民党は、会員拒否の違法性や学問の自由を脅かすとの批判を覆い隠すために学術会議の改革を持ち出したか、もしくは、人事権をちらつかせて、学術会議に軍事研究の解禁を迫ろうとする意図が透けて見える。

◆裁量認めぬ形式的任命

 学術会議の会員任命について、歴代内閣は首相の裁量を認めていないことを確認する必要がある。

 法律は「日本学術会議は、優れた研究又(また)は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、首相に推薦する」「会員は、推薦に基づいて、首相が任命する」と規定する。

 会員選出が、選挙から推薦に基づく首相の任命制に移行した1983年、当時の中曽根康弘首相は「政府が行うのは形式的任命にすぎない」と国会で答弁し、所管大臣も「自主的な選出結果を十分尊重し、推薦された者をそのまま会員として任命する」と述べた。

 当時も、会員人事に政府が関与すれば、会議の独立性や学問の自由が脅かされるとの懸念が強かった。一連の政府答弁は、こうした懸念に応え、政府が人事に介入しないことを誓った国会との約束であり、それが立法趣旨である。

 これをいとも簡単に破ったのが菅内閣であり、菅首相が継承すると明言した安倍前内閣だ。

 政府は、学術会議の「推薦通りに任命しなければならないわけではない」とする内部文書を2018年に作成して、こうした法解釈は1983年から「一貫した考え方」だと説明している。

 しかし、この文書が過去に国会で説明され、審議された形跡はない。国会審議を経て成立した法律の解釈を、政府の一片の内部文書で変更することは、三権分立の侵害である。許されざる暴挙だ。

 法解釈が83年から一貫することを示す記録があるのなら、国会に提出し、その妥当性を審議すべきだ。記録があったとしても有効とはいえないが、いまだ提出されていないところをみると、恐らく存在しないのだろう。

 学術会議は科学が戦争に利用されたことを教訓に生まれ、発足の翌50年と67年に「軍事目的の科学研究を行わない」とする声明を発表。2017年には防衛省による軍事応用可能な基礎研究への助成制度を念頭に、過去2回の声明を継承すると表明した。首相官邸による学術会議会員人事への介入が始まったのはその前後だ。

◆「歴史の教訓」忘れるな

 任命が拒否された6人はいずれも、安全保障関連法や「共謀罪」法など、安倍前内閣の政策に批判的な意見を表明している。菅首相は任命拒否の具体的理由を説明していないが、政府批判への意趣返しと勘繰られても仕方がない。

 政府と自民党は、人事や予算、組織改革を盾に、学術会議を意のままに操ろうとしているのではないか。それが軍事研究を強いるためだとしたら到底看過できない。

 日本の科学研究が軍事と距離を置くのは、平和国家として当然であり、歴史の教訓でもある。

 軍部とそれに迎合する政治家が学問や表現の自由を弾圧して破滅的な戦争に突き進み、国民に大きな犠牲を強いて、塗炭の苦しみを与えた。政治家はその重い事実を決して忘れてはならない。





学術会議への介入 自由の圧迫に抗さねば(2020年11月23日配信『信濃毎日新聞』-「社説」)

 日本学術会議の会員の任命を拒否した菅義偉首相は、政治権力が踏み込んではならない一線を越えた。国内の科学者を代表する機関の独立性、自律性を損なう手荒な介入は、学問の自由を脅かし、言論や思想の統制、弾圧に結びつく危うさをはらんでいる。

 説明がつかない恣意(しい)的な判断は、誰が標的になるか分からない疑心暗鬼を生んで学問の場をゆがめ、自由な議論や発言をためらわせる圧力になる。菅首相は、学問の自由とは「全く関係ない」と言うが、強い言葉で異論を封じる姿勢が際立つばかりだ。

<突き崩される防波堤>

 国会で政府は「個人として有している学問の自由への侵害になるとは考えていない」と答弁している。そこにもごまかしがある。個々の研究は妨げられなくても、任命拒否が学問の自由を侵害しないことにはならない。

 学問研究の自由を確保するには、外部からの圧力や介入に対抗できる制度的な枠組みが欠かせない。大学の自治や、学術機関の政治権力からの独立と自律を保障することはその柱だ。

 誰を会員に選ぶかは、学術会議の運営や活動の根幹に関わる。何より自律性が重んじられるべき事柄だ。任命拒否はそれをないがしろにした。学問の自由の防波堤が突き崩されようとしていることを見落としてはならない。

 大学の自治も浸食が著しい状況にある。自主性の拡大を掲げた大学改革の下で、むしろ進んだのは管理と統制だ。予算を差配する権限を握る政府に大学が従わざるを得ない構造が強まっている。

 1990年代以降の行政改革や構造改革の一環として、国立大は2004年に独立法人化された。運営に企業経営の手法が持ち込まれ、学長の権限が強化されるとともに導入されたのが、大学を競わせ、評価する制度だ。

<軍事に取り込む動き>

 各大学は教育研究や運営に関して6年間の中期目標と計画を立て、文部科学省の認可を受ける。目標を立てる項目は文科省が示し、達成度を評価して運営費交付金を配分する。各大学が担う役割を3類型に分けて取り組みを評価し、交付金の配分に反映する仕組みもその後加わった。

 自主性を枠にはめるお仕着せの改革によって、大学はがんじがらめにされている。中核にあった教授会の位置づけが、学長の権限強化に伴って脇に押しやられたことも大学のあり方を変えた。

 自治がやせ細って政府の介入や干渉をはね返せなくなれば、それがさらなる介入を招く事態に陥る。文科省が大学に入学式、卒業式で日の丸の掲揚と君が代の斉唱を要請したことはその表れだろう。実務経験がある教員の任用を促す圧力もあからさまだ。

 運営費交付金は総額の削減が続き、法人化後の10年でおよそ1割減額された。研究者は資金不足にあえいでいる。軍事応用できる基礎研究に助成する公募制度を防衛省が始めた15年度には、大学からの応募が相次いだ。軍事研究に科学者を取り込む動きは安倍政権下で目に見えて強まった。

 歯止めをかけたのが学術会議の17年の声明だ。学問の自由、大学の自治の観点から、防衛省の制度は「政府による介入が著しく、問題が多い」として大学や研究機関に慎重な対応を求めた。同時に、戦争を目的とする研究を絶対に行わない決意を掲げた50年と67年の声明を継承すると明記した。

 学術会議は、戦争に科学者が動員され、また自らすすんで協力したことへの深い反省に立って創設された。軍事と一線を画す決意は、ゆるがせにできない戦後日本の科学界の出発点である。

<歴史と重なり合う面>

 政府、自民党にはいら立ちがくすぶっていたのだろう。軍事研究に対する姿勢の見直しを学術会議に求める声がここへ来て公然と上がっている。任命拒否をめぐる問題の所在のすり替えと、強まる政治の介入に、学術会議は毅然(きぜん)と対峙(たいじ)しなくてはならない。

 現憲法は学問の自由を、あえて独立した条文を置いて保障した。かつて学問への圧迫が言論や思想の苛烈(かれつ)な弾圧に道を開いた歴史を踏まえてのことだ。

 刑法学者の滝川幸辰(ゆきとき)が京都大を追われた33年の滝川事件、憲法学者の美濃部達吉が排撃された35年の天皇機関説事件…。分岐点となった事件の当時、重大な問題として関心を向けた人は多くなかったという。その先に、思想の教化と統制が徹底され、人々は総力戦体制に組み込まれていった。

 滝川事件、機関説事件は、右翼思想家や陸軍出身の議員らによる激しい攻撃が事を大きくした。今回、自民党や政府が学術会議のあり方を問題視して非難の矛先を向けたことと重なる面はないか。

 会員には終身年金があるといった偽情報が飛び交ったことも、その構図の中にある。学術会議への政権の介入を、縁遠い学者の世界のことだと横目に見てやり過ごすわけにいかない。



「軍民両用」強要(2020年11月23日配信『しんぶん赤旗ー「主張」』)

日本学術会議の原点を壊すな

 井上信治科学技術担当相が参院内閣委員会(17日)で、日本学術会議に対して、研究成果が民生にも軍事にも使われる「デュアル・ユース」(軍民両用)について検討を求めていることを明らかにしました。自民党幹部も同様の発言を繰り返しています。これは、学術会議への軍事研究の押し付けであり、学術会議の在り方を真正面から否定するものです。

戦争協力の反省が出発点

 学術会議は1949年、科学者が戦争に動員された戦前の反省の上に、憲法がうたう「学問の自由」を確保し、人類の平和のために努力することを宣言して発足しました。翌50年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を、67年にも同様の声明を出しています。その背景には戦争協力への痛苦の反省と、再び同じ過ちが生じることへの懸念がありました。ここに学術会議の原点があります。

 これを揺るがす事態が安倍晋三前政権のもとで持ち込まれました。防衛省がデュアル・ユース技術の積極的活用のために2015年度に創設した安全保障技術研究推進制度です。

 各大学と学術会議は、この制度に応募するかどうかが問われるようになりました。学術会議は1年にわたる検討を経て、軍事的安全保障研究が「学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあること」を確認して、過去の2回の声明を「継承」する新しい声明を17年に採択しました。

 声明は、「軍民両用」に関しては「研究成果は、時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも使用されうる」として、「研究資金の出所」について「慎重な判断が求められる」としました。そして、大学等の研究機関に対して、軍事研究と見なされる研究について審査する制度の設置を求めました。

 防衛省の推進制度については、「将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って」いるとして、その目的が兵器開発にあることを見極め「政府による研究への介入が著しく、問題が多い」と厳しく指摘しました。

 同制度への大学の応募は、15年度は58件にのぼりましたが、一貫して減少し、20年度は8件にとどまっています。防衛省は17年度に予算を6億円から110億円へと18倍化して、札束で学術界の切り崩しを図ろうとしましたが、思い通りになりませんでした。

 自民党などは、学術会議が「学問の自由」を奪っていると攻撃していますが、各大学の見識にもとづいた判断を侮蔑するものです。

 井上担当相の答弁によって、菅政権と自民党の狙いは、学術会議を変質させ、科学者を軍事研究に動員する体制づくりにあることが浮き彫りになりました。これは、二度と戦争の惨禍を繰り返さないと誓って制定された憲法9条を変え、日本を「戦争する国」につくりかえようとする動きと軌を一にするものに他なりません。

任命拒否を撤回させよう

 違法違憲の任命拒否という暴挙を、学術会議の在り方に問題をすりかえ、軍事研究を押し付ける卑劣な企てを許してはなりません。

 任命拒否を撤回させ、「学問の自由」と人類の平和に努力する学術会議の原点を守ることは国民的な課題です。





学術会議に圧力 軍事研究解禁は論外だ(2020年11月21日配信『北海道新聞』-「社説」)

 政府が日本学術会議に対し、会議側が長く否定してきた軍事研究について、解禁するよう求める姿勢を強めている。

 井上信治科学技術担当相は国会で、研究成果を軍事、民生の両面で使う「デュアルユース」(軍民両用)について検討するよう会議側に伝えたことを明らかにした。

 そもそも学術会議を巡っては、菅義偉首相が日本学術会議法の解釈を事実上変更し、会議側が推薦した105人の会員候補のうち6人の任命を一方的に拒否したことが問題となっている。

 首相は組織見直しの必要性に言及する一方、任命拒否の具体的な理由には「答えを差し控える」と口をつぐみ続けている。

 不都合な指摘は無視し、逆に人事と約10億円の予算を握る権限をちらつかせて、軍事研究を認めさせようとするとは言語道断だ。

 憲法が保障する「学問の自由」と、学術会議法が定めた「会議の独立性」をどこまで脅かすつもりなのか。政府が会議を都合のいい存在にすることは法の趣旨に反する。不当な圧力はやめるべきだ。

 学術会議は先の大戦に科学者が協力したことへの反省に基づいて設立された。

 その経緯を踏まえれば、1950年と67年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」とする旨の声明を発表したのは当然の姿勢であろう。

 2017年には、防衛装備庁が創設した軍事応用可能な研究への助成制度に対し「政府による研究への介入が著しく、問題が多い」と批判する声明を出した。

 自民党は17年の声明にことさら反発し、経済界からも不満の声があり、今回の任命拒否の一因になったとの見方が根強い。

 だがITの進化で民生用の技術が軍事転用されることは少なくない。過ちを繰り返さないためにも、独立した科学者組織からの指摘は重く受け止めるべきだ。

 政府は任命拒否への批判が強まった後、学術会議を急きょ行革対象に挙げ、自民党からはデュアルユースの研究を改革項目とするよう求める声が出ている。

 政権の姿勢は筋違いも甚だしく、問題のすり替えに他ならない。

 首相は任命拒否に杉田和博官房副長官が関与したことを認め、杉田氏らが事前協議した公文書が存在することも明らかになった。

 25日には衆参の予算委員会で集中審議がある。杉田氏出席の下、政府は公文書を開示し、真相を明らかにしなくてはならない。





政治の健康診断(2020年11月15日配信『山陰中央新報』-「明窓」)

 若さや健康は失ってみて初めて、その大切さに気付く。いずれも直面してみないと分からない。時間を逆戻しできないように、若さは取り戻せないし、健康も症状が出始めてからでは手遅れになりかねない。健康診断をおろそかにしてはいけない

▼政治も同じだろう。定期的に健診をしてみないと、「甘い汁」のせいで血糖値が上がっていたり、中性脂肪や尿酸値が高くなったりしている恐れがある。子どもの頃に聞かされた訓示をもじれば「健全なる政治は健全なる組織に宿る」である

▼しかし日本学術会議会員への任命拒否を巡る国会審議を聞いていると、不安になる。健診に必要な問診票に正直に答えようとしていない。どこか気になる箇所があるからなのだろうか。おまけに前政権時代に、森友学園の問題で見つかった「忖度ウイルス」退治は不十分なまま。任命拒否が、第2波の新たな「クラスター(感染者集団)」になって、感染が他の分野にも広がらないか心配だ

▼指摘される「学問の自由」は、大半の人にとって、日々の生活には直接響かない検査項目の一つかもしれない。しかし、その「異変」を放置しておくと、この先、不健全な政治に陥る可能性が否定できない

▼「自由」もまた、失ってみないと、その大切さは分からない。だから、そうならないように政治をしっかり監視し、健診を行うのは、主権者である国民以外にいない。





学術会議任命拒否 首相は真相明らかにせよ(2020年11月12日配信『琉球新報』-「社説」)

 首相官邸が日本学術会議の会員候補6人の任命を拒否した問題で、安全保障政策を巡る政府方針への反対運動を先導する事態を懸念し、任命を見送ったことが分かった。

 これまでの政府の説明に疑念を抱いてきた国民の多くは「やはりそうだったのか」と受け止めたはずだ。菅義偉首相は直ちに自らの言葉で真相を明らかにすべきだ。よもや臨時国会の閉会をもって幕引きだと菅首相が考えているならば、国民は到底納得しない。

 それにしても驚くべき拒否理由である。官邸が任命を拒んだ6人は安全保障関連法や共謀罪、辺野古新基地建設に対し、政府方針とは異なる立場にあり、異論を唱えた人もいた。そのことをもって学術会議内で反対運動を主導しかねず「公務員としては適任ではない」と首相官邸は考えたのである。これは憲法で定められた言論の自由に対する重大な挑戦である。

 学識者や、その研究活動に対する冒瀆(ぼうとく)だと言わざるを得ない。知見に基づき、政府方針や施策に対して異議を申し立て、修正を求めることは学問の自由の範疇(はんちゅう)にあり、それが侵害されたのだ。任命を拒否された会員候補の一人で、新基地建設に異議を唱えた岡田正則早稲田大教授(行政法)は「思想信条に直接干渉しても良いという感覚が政府内でまん延しているのか。恐ろしい権力の行使だ」と語った。その懸念は当然だ。

 異論を廃し、政府方針に寛容な主張のみを受け入れ、施策を進めるような態度を貫くのならば、あしき全体主義を招くことになる。私たちは全体主義による悲惨な結末を75年前の敗戦で経験したのであり、その反省に立って日本学術会議が生まれたはずだ。

 そもそも首相官邸は日本学術会議の意義を認識していないのではないか。政府の諮問に対し、賛否を含めさまざまな観点から議論し、答申するのが学術会議の役割だ。

 政府方針に反対する研究者や論者を排除し、政府の意に沿う者だけで学術会議を構成するなら、諮問・答申の手続きは意味を失う。政府の任命拒否は日本学術会議の意義と歴史的背景を無化するものだ。

 菅首相はこの問題で何も語っていないに等しい。臨時国会で「総合的・俯瞰(ふかん)的な活動を求める観点から判断した」「多様性が大事」と説明するだけで、なぜ6人の任命を拒否したのか明確に答えていない。これまでの学術会議に「多様性」はなかったと言いたいのか、理解に苦しむ。

 日本学術会議事務局幹部は11日の衆院内閣委員会で、任命を拒否された6人について、再び政府に推薦することは排除されないとの認識を示した。しかし、拒否理由を明らかにすることが大前提だ。

 自民、立憲両党は菅首相が出席する予算委員会の集中審議を月内に実施する方針で一致した。菅首相はこの場で任命権者としての説明責任を果たすべきだ。



大義なき成果なきギリギリの「2月選挙」(2020年11月12日配信『日刊スポーツ』ー「政界地獄耳」)

★どうやら、一部で言われている来年年明けの通常国会冒頭解散はアドバルーン(観測気球)で、いつ国会を開くかにもよるが、施政方針演説から始まり、たぶん1月の22日ぐらいまでに第3次補正予算案を成立させた上での「2月選挙」を、政権は想定しているのではないか。この補正は新型コロナの感染拡大防止に加え国土強靱(きょうじん)化の推進を経済対策の柱に据えるとし、来年度の当初予算案と一体的に編成した「15カ月予算」として、切れ目のない対策を講じることを目的にしたものではないのか。解散・総選挙のために1カ月ほど遅れる本年度本予算の成立が遅れても、滞りのない対応にする。加えて選挙前の業界への配慮も怠らないということだろう。予算規模は10兆円を超える模様だ。

★そこまでの工程は分かったが、不透明なコロナ禍の状況もさることながら、この選挙の大義は何か。自民党はいつものように大義は後からついてくる、それよりも勝てる時にやるのが選挙だとばかりに、首相・菅義偉に就任直後から、即解散を進言し続けてきた。しかし首相はコロナ対策を最優先し、仕事をしてからでないと解散できない。仕事をさせてほしいと言って国民を味方につけ、選挙時期を官邸主導に引き戻そうとしてきた。

★ところが、国会を開いてみれば、日本学術会議任命拒否問題をはじめ、官邸がつくった案件ばかりで首相は立ち往生。世論調査の高支持率は、調査するたびに下がりつつある。与党からみれば2月に選挙するのがぎりぎりなのだ。仕事の成果、結果は何か。はんこを廃止して業界から猛反発を食らい、携帯電話料金の値下げが成果なのか。大義なき、成果なき選挙の結果はどうなるのか。





【学術会議問題】政治介入の疑い強まった(2020年11月11日配信『高知新聞』-「社説」)

 日本学術会議の会員候補6人の任命を菅義偉首相が拒否した問題が、新たな展開を迎えた。

 拒否の理由について、安全保障政策などを巡る政府方針への反対運動を先導する事態を首相官邸が懸念したためだと、複数の政府関係者が明らかにした。

 事実なら学問の自由に対する不当な政治介入であり、許されることではない。

 6人は共謀罪の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法や、安全保障関連法などを批判。国会で同処罰法を「戦後最悪の治安立法」、安保法も「歯止めのない集団的自衛権行使につながりかねない。憲法9条に違反する」などと述べていた。

 首相官邸は6人が今後も公の場などで同様の主張を続け、学術会議内でも反対運動を主導しかねないとして「公務員としては適任ではない」と考えたという。

 任命拒否が報じられて以降、政府方針に異を唱える学者は排除するということではないのか、と懸念されてきた。政府関係者の発言はそれを裏付けるものといえる。

 この問題を巡って、自民党内には「学術会議の肩書で政治的な発言をするのは自粛しないといけない」といった考えが根強くあるようだ。

 しかし、学術会議は科学者が戦争に協力したことへの強い反省に基づいて設立された経緯がある。だからこそ日本学術会議法は、政府からの独立性に重きを置いている。自民党はそのことへの理解を決定的に欠いていよう。

 学術会議の大西隆元会長は「思想や政治的立場で6人を排除したことになり、憲法で保障された基本的人権の侵害だ」と述べている。もっともな指摘であろう。

 菅首相は当初、「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動を求める観点から判断した」としていた。それが「(会員には)多様性が大事」となり、学術会議の「閉鎖性」を訴えるなど、組織論にすり替えて批判をかわすように変わっていった。

 説明が二転三転し、矛盾をはらんでいる。それもこれも学術会議を政府批判の先鋭的な集団にさせないという、政治的理由を隠すための苦しい弁明だからであろう。

 任命拒否には、杉田和博官房副長官が関与したことが明らかになっている。警察官僚で「警備畑」などを歩んだ杉田氏は、どう関わっていたのか。野党は同氏の国会招致を求めているが、与党は事務の官房副長官の国会出席は前例が少ないとして応じていない。

 菅首相は「あしき前例主義の打破」を掲げている。国民への説明責任を果たす上でも、国会招致を拒むこうした「前例」こそ打破してもらいたい。

 本欄でも繰り返し指摘してきたように、この問題を解決するためには任命拒否の理由と経緯を明らかにし、拒否を撤回して任命し直すことが欠かせない。菅首相にあらためてそれを求める。





首相の事前調整論(2020年11月10日配信『しんぶん赤旗』ー「主張」)

苦し紛れの卑劣なウソ許せぬ

 日本学術会議の推薦会員6人の任命拒否について、菅義偉首相が会員の推薦名簿が提出される前に「調整」がなかったからだと言い出し、大問題になっています。任命を拒んだ根拠が野党の国会での追及でことごとく破綻する中、苦し紛れに持ち出した新たな「正当化」論です。しかし、学術会議元会長は、名簿変更を意味するような「調整」はなかったと否定しており、首相の主張は成り立ちません。事実をねじまげて学術会議に問題があるかのように描き、責任逃れを図ろうという姿勢は卑劣です。首相のウソを許さず、任命拒否を撤回させることが重要です。

露骨な「政治介入宣言」

 首相の発言は5日の参院予算委員会の自民党議員への答弁です。以前は学術会議が正式の推薦名簿を提出する前、政府と「一定の調整」が行われたとし、「今回は、そうした推薦前の調整が働かず、結果として学術会議から推薦された者の中に任命に至らなかった者が生じた」と突然言い出しました。「以前」とは安倍晋三政権下の会員改選時の2017年の1回だったと6日に明らかにしました。

 しかし、当時会長だった大西隆・東京大学名誉教授は「首相の言う『調整』が『推薦名簿の変更』を意味するのであれば、調整したという事実はありません」(8日付本紙インタビュー)ときっぱり反論しています。事実を偽り、学術会議に責任を押し付けようという首相の姿勢は到底許されません。

 だいたい事前調整が働かなかったから任命に至らなかったという首相の発言そのものが重大です。日本学術会議法は、会員の選考・推薦は学術会議の権限と定めています。「任命」以前の「選考・推薦」の段階で政府が介入することは、明白な違法行為です。6日の参院予算委で日本共産党の小池晃書記局長が徹底追及したように、「学術会議の独立を脅かす政治介入」を公然と宣言したことに他なりません。追い詰められた菅首相が新たに持ち出した「すり替え」は、とても通用しません。

 「総合的・俯瞰(ふかん)的」「多様性が大事だ」など首相の持ち出す任命拒否の理由は、私立大学の研究者や女性研究者を排除した事実と矛盾するなど、完全に破綻しています。「必ず推薦通りに任命しなければならないわけではない」との政府見解が「一貫した考え」との主張も、18年に内閣法制局とすり合わせた文書以外に根拠を示せず、「一貫」どころか2年前に国民に隠れて法解釈を改ざんしたのは明白です。杉田和博官房副長官が人選に介入した疑いも深まるなど、同氏の国会招致と徹底解明を求める声は高まっています。


見るに堪えない悪あがき


 菅首相にとって初の一問一答形式となった衆参予算委の4日間の質疑で際立ったのは、首相の見るに堪えない答弁姿勢です。聞かれたことに正面から答えずに、はぐらかしと開き直りに終始し、準備したペーパーを棒読みするだけでした。答弁に窮して官僚から手書きのメモが何度も差し出され読み上げる光景も繰り返され、「答弁はまず自分で」「自助で」という批判を浴びています。論戦で窮地に立った菅首相が持ち出した「事前調整」論は、まさに悪あがきです。学術会議に責任を転嫁して逃げ切ろうという卑劣な態度が浮き彫りになるばかりです。





首相の国会答弁 逃げ切りは許されない(2020年11月8日配信『北海道新聞』-「社説」)

 官僚が作った答弁を繰り返し読み上げる。説明を裏付ける資料の要求を拒む。

 6日まで衆参両院で行われた予算委員会の基本的質疑で、最大の焦点である日本学術会議の会員任命拒否問題を巡り、堂々巡りのやりとりで逃げ切りを図る菅義偉首相の姿勢がより鮮明になった。

 首相は「説明することで分かってもらえれば」と国民に理解を求めた。だが、6人を除外した理由を何度聞かれても「個別の人事は答えを差し控える」との同じ答弁で、説明を拒み続けた。

 首相が国民に理解を求めたのは口先だけで、その場をやり過ごして時間がたてば国民は忘れると思っているのではないか。

 首相は会員任命に当たり学術会議と内閣府の「事前調整」が2017年に行われたが、今回はなかったとし、それが除外の要因になったとの認識を示した。

 事前調整は政府が人選に口を挟み、意に沿わない候補者を外す意図が明白だ。学術会議の独立性を脅かす政治介入にほかならない。

 首相は任命拒否の理由を説明せずに、出身大学や年代、性別、研究分野の多様性を持ち出し、論理のすり替えに躍起になった。

 真の理由は6人が安全保障関連法、「共謀罪」法など安倍晋三前政権の政策に反対したからではないか。それを言えないため、矛盾を重ねる結果になったのだろう。

 首相は、事務方トップの杉田和博官房副長官から候補者105人のうち99人を任命する旨の判断を求められて決裁したと説明した。

 政府は杉田氏らが内部で協議した際の公文書の存在を明らかにしたが、国会提出については「人事に関する記録」を理由に拒んだ。

 情報公開に消極的な姿勢からは森友問題や桜を見る会の疑惑などでずさんな公文書管理が相次いだ安倍政権の反省はうかがえない。

 任命拒否を主導した杉田氏に経緯をたださなければならない。政府・与党は野党が要求する予算委の集中審議に応じ、杉田氏の参考人招致を認めるべきだ。

 予算委で首相は新型コロナ対策で「予算上の措置も含めちゅうちょなく必要な対策を講じる」と3次補正予算の編成を示唆した。

 しかし、2次補正で10兆円もの巨額の予備費を組み、まだ7兆円が残っている。

 北海道などで新規感染者が増える中、医療・検査態勢の拡充や休業補償など予備費で緊急に手当てすべき具体策を国会に示し、議論するのが先だ。



「時を戻せたら」(2020年11月8日配信『熊本日日新聞』-「新生面」)


これほど粒ぞろいの年も珍しいのではないか。先日発表された「新語・流行語大賞」候補のことだ。30語もあればぴんとこない言葉も交じっているものだが、ことしはそれが少ない

▼「3密」「ステイホーム」「テレワーク」…。コロナ関連が大半を占めたのは、国民の関心が集中したからだろう。お笑いコンビ「ぺこぱ」の決めぜりふ「時を戻そう」も候補に入った。コロナ禍で暮らしが激変し、「時を戻せたら」と嘆息している人も多いはず

▼人生は選択の連続で、後悔はつきもの。とはいえ一国のリーダーによる選択となれば笑い飛ばすわけにもいかない。もっと早く水際対策をしていれば、一斉休校しなければ、「アベノマスク」が不評でなければ。感染はまた広がり始めた。「Go To キャンペーン」を始めなければ、と後悔を増やすのだけはご勘弁を

▼初の衆参予算委員会を終えた菅義偉首相も、時を戻したい1人ではないか。日本学術会議の会員任命拒否を巡り苦しい答弁に終始した。「6人を除外さえしなければ」「もっと上手に質問を切り抜けていれば」。胸の内はどちらか

▼米大統領選で深まった米社会の分断はもはや時の戻しようがないのかも。「絶対諦めない」と息巻くトランプ氏は、意に沿わない結果は認めそうにない

▼否定しない芸風が売りの「ぺこぱ」のように「分断したのなら、また一つになればいい」と受け流すわけにもいくまい。新リーダーが誰であれ、この4年間で広がった溝を埋めるのは簡単ではなさそうだ。






学術会議問題 恣意的拒否の疑念拭えず(2020年11月7日配信『秋田魁新報』-「社説」)

 衆参予算委員会の総括質疑が終わった。

 論戦の中心は、日本学術会議が推薦した会員候補の任命を、菅義偉首相が一部拒否した問題である。野党は学問の自由を脅かすとして、経緯や理由をただした。

 首相答弁は論理性を欠いた。正面から答えず、同じ答弁を繰り返した。説明する姿勢が見えない。

 論点は大きく二つある。

 まず、任命拒否が法的に可能なのか、という点だ。

 首相らは2018年に内閣法制局と協議し、確認した内閣府の内部文書を基に「推薦通りに任命すべき義務があるとまでは言えない」と説明した。「一貫した法解釈」との姿勢だ。ただし、根拠を示す文書は示せなかった。

 野党が追及したのは、1983年の政府答弁との矛盾だ。公選制から任命制に変えた改正日本学術会議法の国会審議である。

 野党は任命拒否で会議の独立性が脅かされる懸念が強いと主張した。中曽根康弘首相は「形式的な任命」と答弁。さらに任命拒否が起きない保証を求めた野党に対し、政府は「内閣法制局と十分に詰めた」として法解釈上、拒否はあり得ないと説明していた。

 矛盾を指摘されると、菅首相らは「40年前の答弁の趣旨は分からない」と述べた。当時の答弁は明確で、菅政権の姿勢は国会を軽んじる。内閣の都合で法解釈を変更したのではないか。

 もう一つの論点は拒否理由だ。

 首相は理由を明かさず、「総合的、俯瞰(ふかん)的な観点」「多様性の確保のため」と説明。曖昧さや矛盾を指摘されると「国民に責任を負えない」と説明を変えた。

 学術会議法は「優れた研究または業績がある科学者」から会議が推薦すると定める。会議が推薦した6人を任命すると、なぜ「国民に責任を負えない」のか不明だ。

 17年の会員任命の際、会議が推薦名簿を提出する前に政府と「一定の調整」が行われたことも判明した。政府が会議の選考過程に介入したのなら法律違反である。

 首相は今回の拒否は、事前協議がなかったことが要因との見解も示した。事前協議があれば、その時点で拒否したのか。6人には政府方針に反対していた共通点がある。恣意(しい)的な拒否の疑念が拭えない。会議を萎縮させ、独立と自主性を侵害する行為である。

 拒否の過程を記した文書の公開と、関与した杉田和博官房副長官の国会招致が欠かせない。予算委で集中審議を行い、政府に引き続き説明を求めなければならない。



任命拒否問題 矛盾が露呈するばかりだ(2020年11月7日配信『新潟日報』-「社説」)

 疑問点を突き付けられるたびに答弁が変遷し、矛盾ばかりが露呈した。

 衆参両院の予算委員会が6日終わった。日本学術会議の会員任命拒否を巡る問題が最大の焦点となったが、菅義偉首相の答弁は相変わらず釈然としない。

 まだ疑問は残っている。国会は集中審議を開いて、核心を明らかにするべきだ。

 首相は4日の衆院予算委で、学術会議が推薦したリストから6人を除外する方針について、任命リストの起案前に「こういう形で決裁を上げる」と杉田和博官房副長官から報告を受けたことを認めた。

 任命拒否は杉田氏の判断ではないのかと問われると、首相は「最終決裁者は私だ」と気色ばんで答弁した。

 しかしこれまでの論戦では首相は名簿を「見ていなかった」とし、除外した6人は東大の加藤陽子教授を除いて名前も業績も知らなかったと答えていた。

 やはり実質的な判断は、杉田氏が行ったのではないのか。

 加藤勝信官房長官は杉田氏らが内部で協議した際の公文書が存在すると話した。

 だが野党が提出を求めると首相らはまたも「人事に関する記録」だとして応じなかった。

 野党が重ねて求めた杉田氏の招致は、与党が拒み続けた。

 政権ぐるみで問題の核心に触れさせまいとしているかのようだ。真相究明のためにも杉田氏の国会招致は欠かせない。

 驚くのは、首相が5日の参院予算委で、任命拒否は内閣府と学術会議による事前協議がなく、「推薦前の調整」が働かなかったためだとしたことだ。

 推薦名簿を踏まえて「総合的、俯瞰(ふかん)的」に判断したとしていたこれまでと異なり、新たな見解を示したことになる。

 これには野党が「露骨な政治介入だ」とし、独立性を侵害すると批判を強めている。

 事前協議で政権の意向に沿わない人物をあらかじめ排除するために「調整」をしようとしていたのなら問題だ。

 予算委では、学術会議が設置された当時と現在で、政府の認識が変わったのかどうかについても繰り返し問われた。

 会員の任命権を巡っては1983年に、当時の中曽根康弘首相が「形式的にすぎない」と答弁した。同年に、首相による学術会議の指揮監督権を否定する文書が作成されていたことも明らかになった。

 政府は学術会議の推薦通りに任命する義務はないとする内部文書を2018年になって作成し、1983年からの「一貫した考え方」だと主張する。どうして解釈が変わっていないと言えるのか。全くふに落ちない。

 学術会議法が政府からの「独立」を明記しているのは、科学者が戦争に協力した過去の反省を踏まえているからだ。

 過去からの経緯を軽んじて、政府にとって都合のいいように解釈を変えるような姿勢は、あまりにも乱暴で身勝手だ。

 首相には引き続き、納得のいく説明を求めたい。



学術会議の論戦/杉田副長官の国会招致を(2020年11月7日配信『神戸新聞』-「社説」)

 日本学術会議が推薦した会員候補6人の任命を菅義偉首相が拒否した問題は、首相の場当たり的ともいえる国会答弁が混乱を招く事態となっている。

 きのうまでの衆参予算委員会の質疑で首相は、学術会議と内閣府との事前協議がなかったことが任命拒否の要因とする新見解を突然示した。

 首相は「以前は正式な名簿の提出前に一定の調整が行われていた」と述べ、「今回は推薦前の調整が働かず、結果として任命に至らない者が生じた」とも主張した。

 議論の焦点だった任命手続きにとどまらず、推薦名簿の作成段階から政府が介入していたと受け取られる発言だ。「会員の選考、推薦は学術会議が行う」と定めた学術会議法に反し、独立性を侵害する恐れが増した。野党が「露骨な政治介入だ」と批判するのは当然である。

 首相は「人事のプロセスに関する説明は差し控える」とかわすばかりで、具体的な説明を拒み続けた。

 一方で、決裁前に杉田和博官房副長官から6人を除外すると報告を受けていたことを認めた。自身は105人全員の名簿を見ておらず、6人のうち5人は名前も知らず、著作なども読んでいないというから驚く。

 これでは「総合的、俯瞰(ふかん)的観点」から「法に基づいて判断した」とする首相の説明も説得力を失う。政権に異を唱える学者を排除したとの疑いは深まる一方ではないか。

 誰が、なぜ任命拒否を判断したのか。問題の核心を明らかにするには、任命拒否に関与したとされる杉田副長官による説明が欠かせない。政府、与党は野党の国会招致要求に応じるべきだ。

 首相は学術会議のあり方について安倍政権の官房長官時代から「懸念を持っていた」とも語った。

 問題視したのは私立大学所属、女性、若手が少ない点だとし、今回は「多様性を考慮した」という。

 しかし、拒否した6人のうち3人は私大に所属し、女性や、若手に位置付けられる人も含まれる。かえって多様性を損なう結果となっており、野党から矛盾を突かれて答弁に窮する場面もあった。

 学術会議に10億円の予算が投じられている点を強調し「国民に理解される存在でないといけない」とも繰り返した。学術会議の組織や活動内容を批判することで任命拒否を正当化しようとする狙いがちらつく。

 論点のすり替えにほかならず、疑問の多くは残ったままだ。

 首相は集中審議などに応じ、任命拒否の理由を自らの言葉で説明する責任がある。率直に非を認め、6人の任命拒否を撤回することで自ら招いた混乱を収拾するのが筋である。



国会予算委論戦 問われる首相の「答弁力」(2020年11月7日配信『西日本新聞』-「社説」)

 厳しい野党の質問であっても首相が的確で説得力のある答弁をしてこそ、国会論戦は深まっていく。首相にとっては自らの政治姿勢や政権運営の方針を国民へ説明する場でもある。

 事前に官僚が用意した文書の棒読みや「言えない」の一点張りで追及を避けるようでは、首相の「答弁力」が問われよう。

 臨時国会は衆参両院で予算委員会が行われた。野党側は、日本学術会議が推薦した105人のうち6人の会員候補を菅義偉首相が拒否した問題を集中的に取り上げた。なぜ、この6人に限り任命を拒んだのか。前代未聞の人事であり、野党が理由の説明を求めるのは当然だ。しかし、首相の説明はその場しのぎのような発言の連続で一貫性に欠け、矛盾すらはらんだ。

 首相は当初「総合的、俯瞰(ふかん)的活動を確保する観点から判断した」などと語ったが、抽象的で分かりにくいという声は与党内からも上がっていた。

 すると、国会で首相は「民間出身者や若手が少なく、旧帝国大学を中心とする大学にも偏りがある。多様性を念頭に判断した」などと答弁した。

 ところが、拒否された6人のうち3人は少数派とされる私立大の教授だった。最年少は50代で、女性の候補もいた。

 野党から「矛盾している」と批判されると、今度は「個々人の任命の判断とは直結しないが」と前置きして、学術会議は「閉鎖的で既得権益がある」と主張し始めた。推薦通りに任命する「前例踏襲でいいのか」という問題意識は首相就任の以前からあったとも語った。

 それでも、任命拒否の理由は「個別人事のことは言えない」としか答えない。首相が核心部分の答弁をしない以上、押し問答の繰り返しとなるのは当たり前だ。答弁資料の文書を何度も読み上げ、小まめに秘書官らの助言を受け、窮すると官房長官が代わって答弁する。「首相は自分の言葉で国民に語ってほしい」-そんな野党の注文を首相は謙虚に受け止めるべきだ。

 新たな事実も浮かんできた。首相は自分が決裁したのは6人を除いた99人の名簿で、学術会議が推薦した全体の名簿は「見ていない」としていたが、実は杉田和博官房副長官から事前に6人を除外する報告を受けていたと明かした。こうした過程を記録した文書の存在も判明したが、政府は公表を拒んでいる。

 首相は、政府と学術会議の事前協議がなかったことが任命拒否の要因との新たな見解も示した。野党は「学術会議の運営に対する政治介入だ」と反発している。こじれた問題の解決に向け、杉田氏の国会招致と関係する文書の公開を求めたい。



[学術会議論戦] 疑問深めた首相の説明(2020年11月7日配信『宮崎日日新聞』-「社説」)

 菅義偉首相が就任して初めて迎えた国会は、衆参両院での予算委員会審議を終えた。

 焦点の日本学術会議の会員任命拒否問題で、首相は具体的な理由の説明を避け続けた。野党との議論もかみ合わず、審議に臨む姿勢として自身が明言した「丁寧な説明、建設的な議論」には程遠い内容だった。

 一問一答形式となる予算委質疑で分かりやすい論戦を期待した国民の当ては外れ、疑問はむしろ深まったと言えよう。このままでは「国会軽視」のそしりを免れない。

 国民が知りたいのは、(1)政府に批判的な6人の任命拒否は学問の自由を侵害していないか(2)従来の政府答弁・法令解釈の変更に当たり、手続きに違法性がないか(3)任命権者である首相本人が「推薦段階の名簿を見ていない」としており、誰が任命拒否を実質的に判断したのか-の3点に集約される。

 説明を迫る野党に対し、首相は「公務員の人事に関わるので差し控える」との答弁を繰り返した。学問の自由については「全く侵されていない」と強調するばかりだった。

 また、会員の出身が東大など旧帝大に偏り、私大、女性、若手が少ないとして、「多様性」を考慮した判断だったとの見解を示した。しかし、拒否された6人の半分は私大教授で女性も1人含まれる。納得できる答弁とは到底言えない。

 政府は任命拒否を可能にする法解釈は一貫しているとする。だが、その主張を裏付ける記録や根拠は示されず、日本学術会議法が定めている組織の独立性を侵害しているとの野党の批判に対しても、曖昧で通り一遍の対応に終始した。

 これでは国会審議が意味を成さない。野党や学術会議をはじめとする各学会、研究者らの危惧の声にも真摯(しんし)に耳を傾けるべきだ。

 秘書官から答弁内容についてアドバイスを受ける場面が目立った。自らの言葉で誠意を込めて説明しようとする姿勢がうかがえなかった。

 一方、首相は自身の決裁前に、6人を除外する方針を把握していたとした上で杉田和博官房副長官から報告を受けていたことを認めた。

 野党は任命権者でない杉田氏の決めたことを追認したと追及を強めている。問題を解明するためには、杉田氏の参考人質疑が必要だろう。

 不可解なのは首相が学術会議を「閉鎖的」と批判するなど、組織改革の必要性を繰り返し主張していることだ。いくら問題をすり替えようとしても疑問に真正面から向き合わない限り、国民の理解は得られまい。

 首相は説明に消極的な姿勢を改め、野党が求める集中審議などに応じ、国会で論議を尽くすべきである。





国会論戦検証 国民の共感は得られない(2020年11月6日配信『東奥日報」」-「時論」/『茨城新聞』-「論説」)

 菅義偉首相が就任して初めて迎えた国会は、所信表明演説に対する衆参両院での代表質問に続き、予算委員会質疑が行われた。首相は審議に臨む姿勢について「丁寧に説明し、建設的な議論を行いたい」と明言していたが、ここまでの答弁ぶりには大いに不満が残る。通り一遍の対応を続けていれば、難題を抱えた政権運営に国民の共感を得るのは困難だろう。

 一連の質疑で最大の争点になったのは、日本学術会議が推薦した会員候補6人の任命を、菅首相が拒否した問題だった。

 野党は拒否理由を明らかにするよう迫ったが、首相は「(会員に)民間出身者や若手が少なく、大学に偏りが見られることも踏まえ、多様性が大事ということを念頭に判断した」などと抽象的な説明に終始。「内閣法制局の了解」を頻繁に持ち出して、任命拒否の正当化を図った。

 「学問や表現、信教の自由の侵害につながる」との指摘には「全く関係がないことを丁寧に説明したい」と答えたが、口先だけとの印象が強い。

 一問一答形式の予算委質疑では、秘書官から答弁内容についてアドバイスを受ける場面が目立ち、自らの言葉で誠意を込めて話すという姿勢はうかがえなかった。任命拒否問題は、首相にとって方針変更があり得ない「問答無用」のテーマのようだ。これでは国会審議が意味を成さない。野党や学術会議をはじめとする各学会、研究者らの危惧の声に真摯(しんし)に耳を傾けるべきだ。

 首相が宣言した「2050年の温室効果ガス排出ゼロ」に関しては、福島第1原発事故の教訓を踏まえ、原発依存を見直すかどうかなど実現への道筋に注目が集まった。

 菅首相は現時点で原発の新増設は想定していないとする一方、今後の取り組みについては「再生可能エネルギーだけでなく、原子力を含むあらゆる選択肢を追求しなければならない」と述べるにとどめた。ゼロ目標を達成するには、国民の理解と協力が欠かせない。具体的な実行計画を早急に示し、国会で徹底した論議を行う必要がある。期限は30年先だからと言って首相の政治決断をアピールする材料に終わらせてはならない。

 首相が理想とする社会像の内実を巡る議論も不足していた。

「自助・共助・公助」を首相は掲げ、「まず自分でやってみる。家族や地域で助け合っていくことも大事。最後は国が守ってくれる」と説明する。しかし、概念を示すだけでは、新型コロナウイルス感染症の影響で苦境にある国民生活の再建を安心して委ねることができるか評価できない。
 
 新政権が発足してからまだ2カ月に満たない段階で、肉付けは無理だとの反論もあるかもしれない。しかし、それではトップリーダーとしての素養に欠けていると認めたのも同然だ。骨太な議論が物足りなかったのは、野党にも責任がある。立憲民主党は「支え合いの社会」を目指すというが、具体像と財源確保策を明らかにしてほしい。

 菅首相と全閣僚が出席する衆参予算委の総括質疑は6日まで。首相に選出後、所信表明演説まで40日もかかったため、国会での論戦スタートがずれ込んだ。「国会軽視」でない証しとして、首相自ら野党が要求する集中審議などに応じ、論議を尽くすべきだ。



学術会議、国会論戦 疑問は深まるばかりだ(2020年11月6日配信『秋田魁新報』-「社説」)

 菅義偉首相が日本学術会議の会員候補105人のうち6人の任命を拒否した問題は、菅政権発足後初の国会論戦の焦点になっている。野党の追及に対し首相は拒否理由の説明を避け続け、「論点ずらし」との批判を浴びている。

 政府方針に異論を唱えたことのある学者を排除したのではないかとの疑いは深まるばかりだ。首相には野党の質疑に正面から答えることを望みたい。

 明らかにすべきは6人がなぜ、どういう経緯で任命を拒否されたかに尽きる。6人は憲法や歴史学の研究者で、安全保障関連法などを批判したことがある。これが排除しようとした理由ではないかとの疑いは拭えない。もしそうなら、首相の人事介入により日本学術会議法が保障する会議の独立性が損なわれたことになる。

 菅首相は必ずしも会議側の推薦通りに会員を任命しなくてもいいとの見解を繰り返し、学術会議の組織改革の必要性を主張している。旧7帝国大所属の会員が多く、私立大所属者や女性、若手が少ないなどとして、会員の多様性を考慮したとした。

 しかし任命拒否した6人のうち3人が私大の学者で、若手や女性も含まれ、任命拒否により多様性はむしろ後退したと言える。野党から矛盾を突かれて答弁に窮する場面もあった。

 学術会議関係者からも首相の認識違いを指摘する声が上がっている。法は「優れた研究または業績がある科学者」から候補を選ぶと定めており、実績豊富なベテランが多いのは当然。首相の批判が当たらないのは明らかだ。約2千人の連携会員のうち45歳未満の研究者たちは独自に提言を発表しており、若手の活躍の場も設けられている。

 学術会議の会員構成や推薦方法、活動内容などに問題があるとすることで任命拒否を正当化しようという狙いがのぞくが、論点のすり替えと言わざるを得ない。識者からは「対応が後手後手で危機管理に失敗した」と指摘されるありさまだ。

 菅首相は会員任命の決裁に当たり、6人を除いた名簿しか見ていないことを改めて認め、6人のうち1人を除いては名前も知らなかったと述べた。6人を除外する方針は、決裁前に杉田和博官房副長官から報告されたことも明らかにした。

 杉田氏は当初から、会員候補の中に任命できない人が複数いると首相に報告したとされていた。首相発言は杉田氏の関与を公式に認めた形だ。任命権者ではない杉田氏が6人の任命拒否を実質的に決めた可能性がある。判断の根拠は何か、関与が法律上適切だったのかを明らかにすることが必要だ。

 菅首相は「総合的、俯瞰(ふかん)的な観点から判断した」などと具体性を欠く言葉を繰り返し、答弁書を棒読みする場面が目立つ。これでは国民の理解を得られない。説明責任の重さを認識し自らの言葉で語ってもらいたい。



学術会議の任命問題 杉田副長官の国会招致を(2020年11月6日配信『毎日新聞』-「社説」)

 日本学術会議から推薦された会員候補のうち6人が任命されなかった問題で、菅義偉首相の要を得ない国会答弁が続いている。

 なぜ任命しなかったのか。

 肝心な点について、首相は「人事に関することで答弁は差し控える」と繰り返している。

 その一方で、事務方トップの杉田和博官房副長官から事前に6人を除外するとの報告を受けていたことも明らかにしている。

 これまで首相は、会議が推薦した105人の名簿は見ていないと説明してきた。しかも、杉田氏は安倍晋三前政権時代から学術会議の人事に介入してきたことが分かっている。

 それを踏まえれば、今回の経緯や手続きについて、国会で杉田氏に説明を求めるのは当然だ。

 にもかかわらず、野党が杉田氏を参考人として国会に招致するよう求めているのに対し、自民党は拒んでいる。何を恐れているのか。政権の姿勢は理解に苦しむ。

 首相と同様、自民党も学術会議の組織見直し議論には熱心だ。だがなぜ6人を外したのか。政府の方針に異論を唱えたからではないのか――。これがはっきりしない限り、次の議論には進めない。

 首相は「私の判断」と強調している。ところが6人のうち5人は名前も知らず、著作なども読んでいなかったと、あっけらかんと答弁したのにも驚く。

 個別人事の理由は説明しないと言うが、首相の自著には、かつて総務省課長を更迭した際の理由を述べた文章がある。

 その記述との矛盾を野党に突かれた首相は「今回の任命権とは全く違う」と答えた。しかし、どう違うかの説明はできず、迷走に拍車をかけた。

 加藤勝信官房長官は唐突に「国民・国会への責任が負えない場合」は拒否できるとの判断基準を示した。だがこれも「6人を任命したら国民に責任は負えないのか」と追及されると、再び「個別の人事」を理由に答えなかった。

 野党からは「もはや支離滅裂だ」と批判される始末だ。

 かねて首相は「国民にとって当たり前のことをする」のが信条だと語ってきた。国会が役割を果たすためには杉田氏の国会招致こそ当たり前のことであるはずだ。



学術会議首相答弁(2020年11月6日配信『福井新聞』-「論説」)

国民の支持得られるのか

 菅義偉首相が就任して初の本格的な国会論戦に臨んだ。首相は「丁寧に説明し、建設的な議論をしたい」などと明言していたが、一問一答形式の衆参両院予算委員会では同じフレーズを棒読みする姿勢に終始。これでは「たたき上げ」首相として集めていた国民の支持も離れるばかりだ。

 とりわけ、最大の論点となった日本学術会議の会員任命拒否問題では、野党が拒否理由を明らかにするよう迫ったのに対して、首相は「(会員に)民間出身者や若手が少なく、大学に偏りが見られることも踏まえ多様性が大事ということを念頭に判断した」などと抽象的な説明を繰り返すばかり。さらに「内閣法制局の了解」を頻繁に持ち出し任命拒否の正当化も図った。

 結局、なぜ6人に限って拒否したのかの疑問は晴れない。安全保障関連法などを巡り政府に批判的だったことが理由として取り沙汰されるが、それを言えば学問の自由侵害を認めることになる。首相は「学問や表現、信教の自由の侵害につながる」との指摘には「全く関係ない」と答えたが、「人事」を理由に答弁を拒むしかない苦しい対応を迫られた格好だ。

 総務相時代にNHK改革に反対した官僚を更迭した経緯をつづった自著との整合性も問われ、しどろもどろになる場面もあった。秘書官から答弁内容に関してアドバイスを受けるシーンも度々あり、自らの言葉で語りかけるといった誠意ある姿勢はうかがえなかった。野党からは収拾をはかる観点から「6人を任命してはどうか」と聞かれたものの、“問答無用”の方針は変えないようだ。

 一方、自民党は学術会議の組織改革の必要性を声高に主張し、首相も呼応するように会員構成や活動内容などの問題点を指摘している。任命拒否の「正当性」を強調するかのような意図を感じざるを得ない。

 首相は6人を除いた名簿しか見ないで決裁したと述べる中で、99人にするという報告を杉田和博官房副長官から受けたと答弁した。杉田氏が任命拒否に関与した可能性は高く、参考人質疑して解明する必要がある。政府、与党は拒んでいるが、この問題を早急に解決するためにも招致を受け入れるべきだ。

 首相は学術会議について「10億円の予算を使う機関の公務員であり、国民に理解される存在でないといけない」と繰り返す。ならば年間100兆円を超える予算を執行する行政の長の説明責任は比べものにならないほど大きいはずだ。構成でいうなら、女性割合が4割近い学術会議に国会など政治は足元にも及ばない。首相は非を認めた上で6人を改めて任命し自ら招いた混乱を収めるしかない。



学術会議の任命拒否 副長官の招致が必要だ(2020年11月6日配信『中国新聞』-「社説」)

 「学問の自由」を揺るがしかねない選別に関与したキーパーソンが明らかになった。

 政府から独立した立場で政策を提言する科学者の組織「日本学術会議」が推薦した新会員候補のうち、6人の任命を菅義偉首相が見送った問題に、杉田和博官房副長官が関わっていた。6人の拒否について、副長官から報告を受けた後で決裁したことを首相が認めた。

 任命拒否自体、日本学術会議法から逸脱している。もし仮に拒否が可能だとしても、選別は任命権者の首相しかできないはずだ。官房副長官が、その権限を行使することは許されまい。

 しかも首相は、6人の研究や業績について、1人を除き「知らなかった」という。なのになぜ、学術会議の推薦を官房副長官の選別より軽んじたのか。

 首相は「私の懸念を伝えられた内閣府が起案して、私が決裁した」と国会で説明した。何を懸念したのか。その懸念は6人とどう関係しているのか。国会の場で、きちんと説明しなければならない。

 任命の経緯について、副長官と内部協議した際の公文書があり、内閣府が管理しているという。ならば政府は公開し、拒否した理由を明らかにすべきだ。

 国会としては、杉田副長官を招致し、選別の理由や経緯を説明してもらう必要がある。

 この問題では、菅首相が説明するたび、矛盾が次々明らかになっている。当初は「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動を求める観点から判断した」との説明を繰り返していた。しかし国民の理解は得られず、新たに持ち出した理由が「多様性の確保」だった。

 会員には民間出身者や若手が少なく、七つの旧帝大に偏っているというのだ。拒否理由の説明になっていないばかりか、矛盾に満ちている。6人の半数は私立大の所属で、若手や女性も含まれている。こうした人を拒否したのでは多様性の確保に逆行する。「説明が支離滅裂」との批判が出るのも当然だろう。

 そもそも学術会議法に基づく首相の任命権について、政府は1983年の国会で「推薦していただいた者は拒否はしない。形だけの任命」としていた。

 さらにその年、政府は、首相による学術会議への指揮監督権を否定する文書を作成していた。特に法律に規定するものを除き、指揮監督権が及ぶのは予算や事務局職員の人事などに限る、というわけだ。こうした文書や国会での説明を見る限り、解釈変更は明らかだ。変更していないとの説明は強引すぎる。

 政府は「内閣法制局の了解を得た」とも言うが、国権の最高機関である国会での議論や説明抜きに解釈を変更できるはずはない。法制局には国会を上回る権限があると言うのだろうか。

 学術会議に限らず、どんな組織でも時代やニーズに合わせた見直しは欠かせない。しかし組織改革は、任命拒否の問題とは別次元の話である。政府がわざと論点をずらそうとするなら、あまりに不誠実だ。官房長官の時は受け答えが不十分でも切り抜けられたと考えているのかもしれない。しかし首相である以上、ごまかしは許されない。

 学術会議は今、会員が210人に達しておらず、違法状態にある。解消できるのは首相だけだ。素直に非を認めて任命拒否を撤回する必要がある。



心得(2020年11月6日配信『愛媛新聞』-「地軸」)

 米国では党派を超えて好感度が高いのだという。国務長官経験者で共和党穏健派の重鎮パウエル氏である。トランプ大統領に批判的立場で、大統領選では民主党候補のバイデン氏支持を掲げていた

▲著書「リーダーを目指す人の心得」で興味深い逸話を紹介している。米軍制服組トップの統合参謀本部議長だったころ、情報発信する立場にあった。起きている事象をできる限りメディアに知らせる義務があると考えていたという

キャプチャ

▲あるとき、メディア対応に不慣れな士官が、大統領の言動と食い違う問題発言を記者にしてしまう。落ち込む士官を慰めるためアドバイスした。「答えたくない質問には答えなくていい」

▲まさか菅義偉首相はこの言葉に従って対処しているわけではないだろう。同書が愛読書だという。衆参両院の予算委員会で論戦があったが、日本学術会議の会員任命拒否問題では肝心の拒んだ理由については明かさないままだ

▲学術会議の組織論への論点ずらしも相変わらずだ。準備されたペーパーの棒読みのような答弁も目立つ。経験の乏しい士官への助言は、官房長官を長く務め今はリーダーとして説明責任のある首相が参考にする必要はない

▲パウエル氏は強調していた。「質問や取材をする人の向こうに本当の聞き手がいる」。その聞き手は国民である。首相は国会や会見で話す際、向こうにいる国民を意識できているだろうか。改めて心得てもらいたい。



鬼(2020年11月6日配信『高知新聞』-「小社会」)

 取り上げるべきは日本学術会議問題か、それとも空前のブームになっている漫画「鬼滅(きめつ)の刃(やいば)」か。ある機関誌の会合に参加したところ、次号の掲載テーマを巡って、そんな議論になった。

 決まったのは後者だ。政治関係は他にも掲載予定があるのに加え、「鬼滅」人気はこの時期、外せない話題という意見で一致した。公開中の映画も、10日間で興行収入100億円を超えるなど国内記録を相次いで塗り替えている。

 家族の命を奪われた若き勇者による鬼退治の物語。話題につられ映画館に足を運んでみたら、座席を埋めていたのは大人たちだった。洋服や文具など関連商品も大人気というから、もはや社会現象といえるだろう。

 その余波はついに国会にも及んできた。しかも学術会議問題の論戦に。菅首相が先日、鬼に挑む際の主人公らのせりふを用いて「『全集中の呼吸』で答弁させていただく」と発言した。

 野党側も負けじと鬼の元締ともいうべき悪役の言葉「私は何も間違えない。全ての決定権は私にあり、私の言うことは絶対である」を引用。「こうならないようにくれぐれもご注意を」と皮肉を込めて首相に忠告した。双方が互いを「鬼」といわんばかりだ。

 物語の鬼は善良な人間を直接襲うだけでなく、心に入り込んで操り、滅ぼそうとする。学術会議の論議も、学問の自由という精神に鬼を宿すような結果は避けなければならない。この国を滅ぼす。



学術会議予算委論戦 杉田氏の招致しかな(2020年11月6日配信『琉球新報』-「社説」)


 その場しのぎを重ね、支離滅裂が際立ってきた。日本学術会議の会員任命拒否を巡る菅義偉首相の説明だ。

 2、4日の衆院予算委員会で任命拒否の理由や根拠を問われた菅首相は、官僚の準備したペーパーの棒読みが目立ち、論点ずらしに終始した。首相自らの言葉で国民への十分な説明ができないことが明確になった以上、任命除外に関わる杉田和博官房副長官を国会に招致して真相を明らかにするしかない。

 日本学術会議法は会員について、学術会議の「推薦」を踏まえ内閣総理大臣が「任命」すると規定している。1983年に当時の中曽根康弘首相は「政府が行うのは形式的任命にすぎない。学問の自由独立はあくまで保障される」と国会答弁しており、学術会議が政府から独立した存在であることを認めている。

 ところが、菅首相は「推薦された方をそのまま任命する前例を踏襲していいのかを考えた」と、任命拒否を正当化した。拒否した理由については「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動を求める観点」と述べるだけで、詳細な説明を避けた。

 政府は今になって、首相が任命拒否できる根拠として、18年に内閣府が内閣法制局と協議した内部文書があることを公表した。公務員の地位などを定めた憲法15条に基づき、学術会議会員も推薦通りに任命しなくてもよいというのがその理屈だ。

 しかし、国民や国会への説明もなく秘密裏に法解釈を変更していたとすれば、法治国家を否定する重大な事態だ。加藤勝信官房長官は「解釈に変更を加えたものではない」と釈明するが、83年の答弁と齟齬(そご)はないというのはどう捉えてみても強弁だ。

 学術会議法違反を追及された菅首相は「七つの旧帝国大学に所属する会員が45%を占めている」と今度は会員構成の偏りを持ち出し、学術会議全体の在り方に議論のすり替えを図った。だが、任命拒否した6人のうち3人は私大の所属であり、首相が言う会員構成の「多様性」という説明と矛盾を来すこととなった。

 衆院予算委は首相就任後初の一問一答形式の質疑となり、国民の疑念に対する丁寧な説明があるのかが注目された。しかし、首相は「個々の任命理由は答えを控える」の一点張りで、論戦に正面から向き合わない姿勢は変わらなかった。官僚の助け船や加藤官房長官が答弁に立つ場面も目立った。首相の答弁能力の低さが明らかになった。

 菅首相は推薦名簿を見ていないとし、任命拒否した6人のうち1人を除いては研究や業績を「知らなかった」と答えた。それでは誰がどのような理由で任命を拒否したのか、疑問はより深まった。

 日本学術会議の独立性は憲法23条が保障する「学問の自由」と結び付いている。会員人事を通じて学問の自由に介入することは許されない。徹底した真相の解明が必要だ。



学術会議 国会論戦(2020年11月6日配信『しんぶん赤旗』ー「主張」)

任命拒否の論拠 完全に崩れた

 日本共産党の志位和夫委員長は衆院予算委員会で質問に立ち、日本学術会議への人事介入で、菅義偉首相の姿勢を追及しました。志位氏は、▽任命拒否の理由は全く成り立たない▽日本学術会議法に違反▽憲法の学問の自由に違反▽科学者の戦争総動員という歴史の教訓に反する▽表現・言論の自由の侵害につながる全国民の問題―ということを明らかにしました。首相は用意したペーパーを棒読みするだけで、まともに答えられません。人事介入を正当化する論拠は完全に崩れました。どこからみても道理のない任命拒否は直ちに撤回すべきです。

国民に隠れて解釈改ざん

 首相が拒否理由に持ち出す「総合的、俯瞰(ふかん)的」「バランス」「多様性」などは、50代前半の研究者や女性研究者を排除したことと矛盾しています。それでも首相が「偏りがある」などと非難するのは、全く支離滅裂です。志位氏は、女性や関東以外の研究者比率を高めてきた学術会議の努力などを具体的に示し、首相の弁明の虚偽を浮き彫りにしました。

 そもそも任命拒否は、日本学術会議法に照らして許されるものではありません。同法は条文全体で同会議の政府からの独立を幾重にも保障しています。首相の任命は、「形式的任命にすぎない」「(会議からの推薦を)拒否しない」ことは1983年の同法改定時の中曽根康弘元首相らの国会答弁で明確にされています。この法解釈は内閣法制局と「十分に詰めた」ものと当時政府が明言していることを志位氏は紹介し、菅政権はこの解釈を維持しているのかとただしました。しかし、首相らは「維持している」とは決して言いません。

 首相らは「必ず推薦のとおりに任命しなければならないわけではない」というのが政府の立場だと強弁し、それは内閣法制局の「了解を得た一貫した考え」だと言い張っています。では了解を得たのはいつなのか。志位氏の質問に政府側は「2018年11月15日」と答弁しました。わずか2年前です。「一貫した考え」との言い分は到底成り立ちません。

 04年にも「(首相が)任命を拒否することは想定されていない」と解釈する政府文書も存在しています。「形式的任命」「拒否しない」ことこそが政府の一貫した法解釈だった事実は動かせません。国会答弁で明確に示し、確定された法解釈を、国民にも学術会議にも隠れて内閣の一存で勝手に変える―。クーデター的な法解釈の改ざんという他ありません。こんなことが許されたら、国会審議の意味はなくなり、法治国家は崩壊します。

 志位氏は、憲法15条1項を使った首相の任命拒否合理化論も、国民の公務員の選定・罷免権を首相が奪い取る暴挙だと批判しました。人事介入の違憲・違法性はもはや議論の余地はありません。

日本の歴史の分かれ目

 志位氏は、任命拒否された研究者だけでなく指導を受ける学生も誹謗(ひぼう)中傷される事態が起きていると指摘しました。首相が学問の自由を侵害したことの影響の広がりは極めて深刻です。戦前日本で科学者の組織が独立性を奪われ、軍事研究・戦争に総動員された誤りを繰り返してはなりません。いままさに歴史の分かれ目です。次の世代に重大な禍根を残さないために菅政権を徹底追及する時です。





学術会議問題 矛盾に満ちた首相答弁(2020年11月5日配信『東京新聞』-「社説」)

 日本学術会議が推薦した会員候補のうち六人の任命を拒否した問題。菅義偉首相の説明は説得力を欠くばかりか矛盾に満ちている。なぜ拒否したのか。引き続き国会の場で明らかにする必要がある。

 菅内閣発足後、初の本格論戦となった衆院予算委員会はきのう2日間の日程を終え、論戦の舞台はきょうから参院予算委に移る。野党側による追及が続くのが、学術会議の会員任命拒否問題だ。

 首相による学術会議会員の任命について、政府は1983年、当時の中曽根康弘首相が「形式的にすぎない」と答弁するなど裁量を認めてこなかったが、菅首相は一転「総合的、俯瞰(ふかん)的な観点から」6人の任命を拒否し、その違法性が問われている。

 政府は、学術会議の「推薦通りに任命しなければならないわけではない」とする内部文書を2018年に作成して、こうした法解釈は1983年から「一貫した考え方」だと説明している。

 立憲民主党の枝野幸男代表はきのう、この法解釈が83年から一貫していることを示す記録の提出を求めたが、政府側は示せなかった。恐らく存在しないのだろう。

 この内部文書が過去に国会で説明され、審議された形跡もない。国会審議を経て成立した法律の解釈を、政府部内の一片の文書で変更することは到底許されない。

 首相説明の矛盾はこれだけではない。首相は「私が判断した」と言いながら、拒否した六人のうち五人の名前や業績は「承知していなかった」と答えている。

 また首相は任命拒否の理由に、会員に旧七帝大などが多く、大学の偏り解消や若手起用など多様性の確保を挙げたが、六人の半数は私大教授で、一人も会員のいない大学の教授や50代前半の教授、女性も含まれる。首相の任命拒否は結局、多様性を奪っている。

 そして最後は「公務員の人事に関わるので差し控える」と拒否の本当の理由を語ろうとしない。

 6人はいずれも安全保障関連法など安倍前政権の政策に反対しており、これが拒否理由だと勘繰られても仕方があるまい。

 学術会議の在り方検討を主張するのも論点のすり替えだ。六人の拒否ありきで、何を言っても後付けの説明にしか聞こえない。説明すればするほど矛盾が露呈する。

 首相は自らの非を認めた上で、あらためて6人を任命し、混乱を収拾するしか道はない。学術会議問題を通じて見え始めた強権的な体質も改めるべきである。



「学術会議」論戦 軍事研究妨害へ切り込め(2020年11月5日配信『産経新聞』-「主張」)

 せっかく国会を開いても、問題の本質をとらえた論戦をしなければ国民の負託に応えられない。日本学術会議をめぐる質疑がその様相を呈しているのは残念だ。

 2、4日の衆院予算委員会では学術会議に多くの時間が割かれた。立憲民主、共産両党は、学術会議からの推薦名簿通りに菅義偉首相が会員を任命しなかった点を重ねて批判した。

 首をかしげざるを得ない。学術会議は法律で設置され、税金で運営される。会員は特別職国家公務員だ。国政選挙と国会の首相指名選挙を経て就任した首相による任命権の行使は、民主主義的コントロールそのものといえる。

 学術会議は政府から独立して科学に関する審議などを行う。だからこそ会員の選定は、首相による任命権の行使を含め丁寧に行われるべきだ。菅首相には、どのような観点で判断したか、もう少し詳しい説明を求めたい。

 共産の志位和夫委員長は「独裁政治に道を開く」「学問の自由が侵害される」と批判した。強い違和感を覚える。このような言葉は、中国共産党が支配するような全体主義の国に投げかけられるべきだ。今回の人事権行使で日本の学問の自由は揺るがない。

 菅首相や自民党が学術会議の行政改革に乗り出す姿勢を示したのは妥当だ。全国には約90万人の研究者がいる。菅首相は「閉鎖的で既得権益のようになっている。会員約200人、連携会員約2千人とのつながりがなければ会員になれない」と問題視した。

 構成の問題は在籍する大学・研究機関や男女比、年齢だけでなく、研究者の間で「本籍」と呼ばれることがある出身大学が、東京大や京都大などに偏っている点も是正したらどうか。

 学術会議をめぐる本質的な問題は、日本を守る抑止力の向上を妨げてきたことである。平成29年の声明で、軍事科学研究を「絶対に行わない」とした過去の声明の継承を宣言した。これこそ、全国の研究者の学問・研究の自由を脅かすものだ。なぜこの重大な問題を国会で論じないのか。

 日本を侵略しようとする国を抑止し、有事に撃退するには自衛隊の装備が優れていなくてはならない。そのための研究を妨げる学術会議の声明は撤回が急務だ。菅首相も与野党も、国民を守るための議論をしなくてはならない。



学術会議人事 核心見失わぬ議論を(2020年11月5日配信『信濃毎日新聞』-「社説」)

 一見もっともらしい言葉で問題の核心から目をそらそうとする発言にからめ捕られないようにしたい。日本学術会議の会員の任命拒否をめぐる菅義偉首相と政府の説明である。

 当初、総合的・俯瞰(ふかん)的な活動を求める観点から判断したと述べていた首相が、ここへ来て持ち出したのが「多様性の確保」だ。民間出身者や若手が少なく、大学にも偏りがあると主張し、多様性を念頭に任命権者として判断したと国会で答弁している。

 任命を拒んだ6人には、現会員がいない大学の教授や、候補の中では若い50代前半の教授も含まれていた。後づけの説明の無理はあらわだが、その矛盾を突くだけでは、本質が見えにくくなる。

 そもそも会員の任命に際して首相に裁量の余地はない。日本学術会議法は、優れた研究・業績がある科学者のうちから学術会議が候補を選考し、推薦に基づいて首相が任命すると定める。研究・業績の基準を前提に、性別や年齢、地域といった面も考慮して選考するのは学術会議である。

 政府の有識者会議が2015年にまとめた報告書は、会員構成の多様性を高めることを求めているが、あくまで学術会議による選考についての意見だ。総合的・俯瞰的な観点にせよ、多様性にせよ、首相がそれを理由に候補の適否を判断するのは法を逸脱する。

 条文にある、推薦に「基づいて」の文言は、強い拘束力を持つことを意味する法令用語だ。科学者の代表機関として政府からの独立と自律を重んじる法の趣旨を踏まえれば、首相はむしろ、推薦の通りに任命する義務を負う。

 例外的に推薦を拒める場合があるとしても、よほどの事情がある場合に限られる。政府の機関と位置づけられているからといって、会員の任命を公務員一般の人事と同列には扱えない。

 実際、政府は過去に国会で、任命は形式的な行為だと明言していた。今回、6人を除外した判断について、推薦通りに任命する義務はないとの見解は以前から一貫しているとするものの、それを裏づける記録は見あたらない。政府の姿勢は、内閣が国会に対して負う責任をないがしろにしている。

 菅首相は「閉鎖的で既得権益のようになっている」とまで述べて学術会議を難じている。けれども、それによって、法の趣旨に反する政治介入が正当化されるわけではない。自身の姿勢を省みないばかりか、さらに圧力をかけるかの発言は到底容認できない。



着実に全体主義国家への階段を上っていくことになる(2020年11月5日配信『しんぶん赤旗』ー「潮流」)

 97歳の元会員が声を上げました。「今回の政府による会員の任命拒否は、日本学術会議の根幹にかかわることで、絶対に認めることはできない」

▼気象学者の増田善信さん。戦争中、海軍の基地で南方に出撃する操縦士らに予報を伝えるのが任務でした。戦後は気象庁に入り、70年代から学術会議の会員を務めました。すべてが軍事につながっていった戦前を知るからこそ、その反省に立った原点が脅かされていることに危機感を覚えています

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▼戦後守ってきた独立性。学術会議は政府の方針と相反する声明や決議を出してきたと、増田さんは証言します。「それを、のどの奥に刺さったトゲのような感じで政府はもっていたのではないか」(NHK「クローズアップ現代+」)

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▼任命を拒否された東大の加藤陽子教授は6人が外された背景にふれて語っています。「学術会議会員に対して、政府側の意向に従順でない人々をあらかじめ切っておく事態が進行したと思う」

▼みずから招いた混乱にたいし、自覚も反省もない。志位委員長が菅首相をただしました。もちだす理由はことごとく矛盾し、これまでの法解釈も内閣の一存で改ざんする。そう詰められてもまともに答弁しない見苦しい態度を

▼学問の現場では萎縮や自主規制の空気がひろがっています。外された学者や指導を受ける学生への中傷も。このままでは、いつか来た道へ―。山極(やまぎわ)寿一(じゅいち)・前会長はこう警鐘を鳴らします。「それは着実に全体主義国家への階段を上っていくことになる」





迫害の歴史の果てに 憲法と学問の自由 (2020年11月4日配信『東京新聞』-「社説」)

 「シンデレラ」「赤ずきん」「白雪姫」…。「グリム童話集」にあるお話です。十九世紀にグリム兄弟がドイツの民話を集め、まとめたことで知られます。

 もともと兄のヤーコプと弟のウィルヘルムは言語学者・文献学者でした。ドイツ北部に当時あったハノーバー王国のゲッティンゲン大学で教えていました。兄は講義の初めに「思想は稲光であり、言葉は雷鳴である」と語ったそうです。文学者らしい逸話です。
戦前には学説も弾圧

 でも身辺は一変します。1837年に新しい国王は自由主義的な憲法の無効を宣言しました。旧体制を復活させようとしたのです。そんな国王の専横に立ち上がったのがグリム兄弟でした。法学者や物理学者ら5人の仲間とともに、抗議文書を提出したのです。

 兄弟ら七人は免職処分になってしまいました。3日以内に王国を去れと…。「ゲッティンゲン七教授事件」と呼ばれます。兄弟は後にプロイセン王に招かれベルリン大学に勤め、「ドイツ語辞典」の編さんに人生をささげます。

 学者の研究や学説、あるいは意見に対し、国家権力が迫害を加えた事例はいくらもあります。日本では戦前の滝川事件がそうです。

 1933年に京都帝大の刑法学者・滝川幸辰(ゆきとき)教授の講演や著書に危険思想があるとして、休職処分にされた事件です。法学部の教授たちは抗議して辞表を提出。当時の新聞には「京大法学部は閉鎖の運命」などの見出しが躍りました。

 35年には天皇機関説事件がありました。国家を法人にたとえ、天皇はその最高機関である。そんな美濃部達吉氏の学説を右翼などが攻撃しました。美濃部氏は公職を追われ、著書も発禁となりました。やがて日中戦争、太平洋戦争です。戦争への序曲に「学問」への弾圧があったのです。

自由への政治介入だ

 明治憲法にない「学問の自由」が、なぜ日本国憲法に定められたのか。名高い憲法学者の芦部信喜氏は「憲法」(岩波書店)で、滝川事件や天皇機関説事件を引きつつ、こう記しています。

 <学問の自由ないしは学説の内容が、直接に国家権力によって侵害された歴史を踏まえて、とくに規定されたものである>

 学問研究や発表の自由にとどまりません。自由な研究を実質的に裏付けする研究者の身分保障、さらに政治的干渉からの保護−条文にはそんな意味があります。学問領域には自律がいるのです。

 憲法制定当時の議論も振り返ってみます。46年の衆院で新憲法担当大臣の金森徳次郎氏は中国・始皇帝の焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)や、ダーウィンの進化論、天動説・地動説の論争を採り上げて答弁しています。

 <公の権力を以(もっ)て制限圧迫を加えない。(中略)各人正しいと思う道に従って学問をしていくことを、国家が権力を以て之(これ)を妨げないことです>

 実は金森氏自身が天皇機関説事件に巻き込まれました。当時、法制局長官だった金森氏は帝国議会で「学問のことは政治の舞台で論じないのがよい」と答弁し、自著にも機関説の記述があったため、議会でつるし上げられ、36年に退官に追い込まれたのです。「学問の自由」は弾圧の歴史を踏まえた条文だと当時は誰もが思っていたことでしょう。

 さて日本学術会議の会員に6人の学者が首相によって任命を拒否された問題は混迷を極めています。なぜ拒否したのか首相は国会でも明言を避け、暗に政府を批判する者は排除するがごとき風潮をつくっています。

 むろん多くの団体などが「違憲・違法な決定だ」と抗議の声明を発表しています。「自由への介入」で、権力の乱用にあたると考えます。何より歴代政権も「首相の任命は形式」だったのですから。どんな理由があれ、法令の読み方に従い、学術会議の推薦どおり首相は任命すべきです。

 そもそも学者の意見は、仮に政府と正反対であっても、専門性ゆえに尊重すべきです。原子爆弾に結びつく理論の発見をしたアインシュタインも戦後、英国の哲学者ラッセルとともに核廃絶と科学技術の平和利用を訴えた宣言を出しました。人類への忠告でした。

見識には耳を傾けて

 学者には政治から離れた良心に基づく見識が求められているのです。この境界線を突破されれば、またも全体主義への道を進みかねません。

 グリム兄弟と同時代を生きた童話作家にデンマークのアンデルセンがいます。「ヤーコプ・グリムは人が愛さざるをえないような人柄」との人物評が残っています。

 そういえばアンデルセンの名作には「裸の王様」も…。取り巻きの同調意見ばかり聞き入れ、学者の正論に耳をふさげば、宰相はそう呼ばれてしまいます。



「死して生きる途(みち)」(2020年11月4日配信『神戸新聞』-「正平調」)

 小磯良平画伯の描いた油彩の肖像画が大阪市立大に所蔵されている。1959年制作の「恒藤恭(つねとうきょう)肖像」。書を読む学者の理知や穏やかさがにじむ。恒藤氏が市大学長を退任する際に盟友の民法学者末川博氏らが発起人となって教え子らから贈られた

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◆恒藤氏は令名高い法哲学者であり、旧制一高時代の親友芥川龍之介からその才能が激賞された文人だ。京大教授だった33年、大学の自治を揺るがした滝川事件が起きる

◆滝川幸辰(ゆきとき)教授の著書「刑法読本」を問題視した文部省が休職処分を発令した。多くの教官が抗議の辞表を出した。恒藤氏は論考「死して生きる途(みち)」を言論誌に発表した

◆「外部からの不法なる圧迫により大学の本質が否定されようとするとき、大学は進んで死することによって自己の真の生命に生きる途をえらぶ外はない」

◆京大を辞した恒藤氏と末川氏を当時の大阪商科大(現大阪市大)は政府の圧力をはねのけて採用する。その後、恒藤氏は学長を務め、末川氏は立命館大で総長となった

◆末川氏は日本学術会議の第1回総会で決意表明を起草する。「平和的復興と人類の福祉増進のために貢献せんことを誓う」。それから70年。同会議は菅首相による任命拒否問題に揺れる。2人の学者ならどう行動するだろうか。



なぜ問題か(2020年11月4日配信『愛媛新聞』-「地軸」)
2020年11月4日(水)(愛媛新聞)

 日本学術会議の会員任命拒否問題を巡り、さまざまな学会が抗議の声明を出している。中でも、日本の研究者らでつくるイタリア学会のものが興味深い

▲地動説を唱えたガリレオの著書をローマ教会が禁書にしたことを挙げ、権力者が学問に介入する危うさを説く。古代ローマ時代にカエサルが議事録や日報の情報公開を始め、民主主義の第一歩になったと強調する

▲こうした歴史などを踏まえ、任命拒否がなぜ問題か丁寧に解説している。特に菅義偉首相から「説明がない」点を重視。人事で従わせるやり方は「一種の暴力」だと指摘し「説明しないことこそが権力の行使であり、国民を無力化させる手法だ」と断じる

▲今臨時国会でも問題の追及が続くが、菅首相は正面から答えていない。安倍前政権から続く寒々しい国会の風景に「またか」と、冷めた目で見ている人もいるだろう。しかし、あきらめて問いかけをやめる方が怖い

▲「歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む」という米国の作家マーク・トウェインの言葉がある。全く同じことは起きなくても、いつの間にか負の歴史をなぞっていないだろうか

▲声明では、ドイツの牧師マルティン・ニーメラーの言葉を引いている。ナチスが特定の人を攻撃したときに、声を上げなかった後悔をにじませ、こう締めくくる。「そして彼らが私を攻撃した時、私のために声を上げてくれる者は誰一人残っていなかった」



「見直した」「初めて見た」川内質問(2020年11月4日配信『日刊スポーツ』ー「政界地獄耳」)

★2日の衆院予算委員会。テレビで視聴した人を含め、多くの人の感想は一致したものだろう。首相・菅義偉の答弁は棒読み、同じ答弁の繰り返し、はぐらかし、答弁拒否を組み合わせる手法で議論はかみ合わず、説明もつじつまが合わなかった。そもそも「人事上の秘密で答えられない」とか「ご指摘にはあたらない」は質問の答弁ではなく、議論の枕ことばでしかない。中身に触れないのだ。野党議員もよく我慢して質問し続けたと思う。

★予算委員会初日でこれならば先が思いやられると自民党も思ったろうし予算委員会与野党理事たちも早晩、立ち往生すると予想したことだろう。その中でベテランの立憲民主党・川内博史の質問は傾注に値する。学術会議問題を冒頭にただした川内はかたくなな答弁を続ける首相に対して「学術会議を改革したいのであれば、6人を任命したのち、改革の議論をすればいいのではないか。学術会議がもう1度6人の任命を提出すれば、任命の有無を再検討するか」と問うた。

★首相は川内質問をうなずきながら聞いていた。この問題の官邸の打開策は強行突破しかない。川内の質問は新しい野党の質問の手本になる投げかけだった。この予算委員会では自民党が差し伸べるべき手でもあった。だがそれを川内はさらっとやってのけた。川内らしい野党の“たたき上げ”議員らしい質問の仕方だった。攻め込むべきところと大きく両手を広げる勘所をついた質問だった。この助け舟を官邸がどう受け止めるかはわからない。官邸スタッフの体裁やプライドが許さないかもしれない。しかし川内のポンと上げたトスをどう拾うかは首相の器にかかっている。川内の国会事務所には質問の最中から「立憲が嫌いだったが見直した」「こんな質問のやりとりを初めて見た」という支持者以外の電話が目立ったという。





学術会議で論戦 矛盾と疑問尽きぬ答弁(2020年11月3日配信『北海道新聞』-「社説」)

 菅義偉政権発足後、初の予算委員会での論戦がきのう、衆院で始まった。

 野党は焦点の日本学術会議の会員任命拒否問題を中心にただしたが、首相は核心の質問には答弁を避け続けた。

 最優先で明らかにすべきは、会議が推薦した105人の会員候補のうち、なぜ6人だけ任命拒否したのか、その具体的理由だ。

 この疑問に首相が「個別の人事は答えを差し控える」と言い続ける限り、自身が目指す「国民に理解される政権」にはなれまい。

 首相が苦し紛れの答弁を繰り返すたびに、疑問と矛盾が膨れあがっていった。

 首相は会員選考について「会員約200人、連携会員約2千人の先生と関係を持たないと会員になれない。閉鎖的で既得権のようになっている」などと指摘した。

 その結果、構成が偏り、旧帝大出身が45%を占め、民間出身者や若手が少ないことを問題視した。

 ただこの指摘は必ずしも事実に即していない。

 会員の推薦は性別、地域性などに配慮し、近年は女性や地方出身が増えるなど、構成は改善されている。政府の有識者会議も学術会議側の対応を評価してきた。

 そもそも拒否した学者の半数は私大で、うち2人は同じ大学からの推薦者はゼロか、1人しかいない。女性1人も拒否された。

 こうした矛盾を野党に指摘されると、首相は答弁を拒んだ。

 驚いたのは、首相が推薦会員の名簿を見ていないだけでなく、任命拒否した6人のうち加藤陽子氏以外は知らず、著作も読んでいないことを明らかにしたことだ。

 それでなぜ拒否の判断ができるのか。疑問が尽きない。

 1983年、現在の首相任命制に法改正した際、当時の中曽根康弘首相は「政府が行うのは形式的任命にすぎない」と述べ、歴代内閣はこの法解釈を踏襲してきた。

 今回の任命拒否は明らかに法解釈の変更に当たろう。

 だが政府は2年前、会議の推薦通りに任命する義務はないとする内閣府見解をまとめていたことを盾に、解釈変更を否定している。

 国会に報告もせず解釈変更していたとなれば問題だ。そのため、つじつま合わせの説明をしている疑いが拭えない。前例のない検察官の定年延長の時と似ている。

 首相は問題のすり替えをせず、推薦候補全員をただちに任命するのが筋である。組織改善を提起するならその後だ。順番が違う。

日本学術会議問題 ほころぶ一方の首相答弁(2020年11月3日配信『毎日新聞』-「社説」)

 答弁するほど逆に疑問が深まっていく。菅義偉首相はそんな状況に陥っている。日本学術会議の新会員候補のうち6人を任命しなかった問題である。

 内閣発足以来、初の一問一答形式での論戦となったきのうの衆院予算委員会の質疑もそうだった。 再三指摘してきた通り、疑問の核心は、なぜ6人を任命しなかったか、その理由である。

 野党側が「6人が安保法制など政府方針に反対したからではないのか」と追及したのは当然だ。

 これに対し、首相は「政府に反対したから外すということはあり得ない」と断言した。

 ところが「ではなぜ」と重ねて問われると、相変わらず「人事に関することであり、答弁は差し控える」と繰り返すだけだった。これで納得できるはずがない。

 首相は先の代表質問で、会員の45%が「旧帝国大学」に所属し、若手も少ないなど会員構成に偏りがあると指摘した。その上で「多様性が大事だということを念頭に私が判断した」と答弁した。

 しかし任命しなかった6人の半数は私大に所属し、女性もいる。このため野党側は「首相が言う『多様性』に逆行している」とただしたが、ここでも「個別の人事」を盾に答えなかった。

 「政府が行うのは形式的任命に過ぎない」としてきた過去の政府答弁との整合性がとれない点も解消されていない。

 政府は2018年に任命拒否を可能とする見解をまとめた。04年に推薦方式が現行の方式に変わったことを受けた見解だという。

 ただし、その04年当時も「首相が任命を拒否することは想定されていない」と政府の内部資料に明記されていたことが明らかになっている。

 政府の説明はほころぶ一方だと言っていい。

 菅首相はNHKのテレビ番組で「説明できることと、できないことがある」と述べた。だが、そもそも説明できないことを政府がすべきではない。

 学術会議について、首相は予算委でも「閉鎖的で既得権益のようになっているのではないか」と語り、組織の見直しに言及した。そうした論点のすり替えでは到底切り抜けられない段階に来ている。



衆院予算委員会 首相答弁は矛盾だらけだ(2020年11月3日配信『信濃毎日新聞』-「社説」)

 肝心なことは何も話さない。

 きのうから始まった衆院予算委員会での菅義偉首相の答弁だ。日本学術会議が推薦した会員候補6人を任命拒否した理由は不明のままである。

 菅首相の姿勢は国会軽視であり、説明責任を果たしていない。任命拒否問題は学術会議の独立性や学問の自由に深く影響する。理由が不明のまま放置できない。

 菅首相が説明しないのなら、任命拒否に関わった杉田和博官房副長官の国会招致が必要だ。招致に同意することを与党に求める。

 首相答弁は矛盾だらけだ。会員選考に問題があったとし、「出身大学は旧帝国大などに偏りがあり、閉鎖的で既得権益のようになっている」と批判した。その上で民間や若い人が増えることが必要との認識を示した。

 6人の半数は私立大で、1人も会員のいない大学の教授や50代前半の教授もいる。整合性が取れない。首相は拒否理由は「個々人については答えを控える」と繰り返し、拒否した50代前半の大学教授は若手と「認めない」と述べている。論理的に説明できない理由があるとしか思えない。

 日本学術会議法は会員候補を「優れた研究または業績がある科学者」から選ぶと定める。首相は6人のうち5人の研究や業績は「知らなかった」とも述べた。それでは、誰がどのような基準で任命対象から外したのか、明らかにしなければならない。

 共通点は、安全保障関連法など政府の政策に反対していたことだ。首相は拒否理由として「あり得ない」と述べている。一方で「政府に反対したことを理由に任命を拒否するのは違法か」との問いに、明確に答弁しなかった。

 首相が理由を説明できないから学術会議側に「忖度(そんたく)」を求めているようにも受け取れる。これでは会議側に萎縮が生まれ、独立性が脅かされる懸念がある。

 首相や自民党には、学術会議のあり方に論点をすり替える意図を持った答弁や質問が多い。予算委は、あり方と任命拒否は別問題であると明確にして議論を進めることを確認するべきだ。

 首相は新型コロナウイルスの今後の経済対策を問われても「経済や社会の変化を見た上で判断する」と述べることが目立った。2050年の脱炭素社会実現に向けた取り組みも、石炭火力発電の今後の方針は説明しない。

 これでは具体性を欠き、国会の議論は深まらない。首相は答弁の姿勢を改めねばならない。



「民主主義とは面倒くさくて、うん…(2020年11月3日配信『福井新聞』-「越山若水」)
 
 「民主主義とは面倒くさくて、うんざりして、そのうえ疲れるシステムである」。そんなユニークな発言をしたのは、社会活動家で反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんである

▼もっと詳しく言えば、2008年のリーマンショックのとき、派遣切り労働者のために開設した「年越し派遣村」の村長。福井県とは母親の出身地という縁もある。冒頭の文言は12年発刊の「ヒーローを待っていても世界は変わらない」(朝日新聞出版)に登場する

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▼日本には1億2千万の異なる「民意」がある。これを調整するのは至難の業。だから一発で問題を解決する水戸黄門のようなリーダーを期待する風潮がある。しかし自分の要望を実現するには、きちんと手続きを踏み、丁寧に説明し、互いに歩み寄ることが不可欠だ

▼湯浅さんの見解はあくまで国民に向けたもので、手間をかけない「お任せ民主主義」をやんわり批判している。ただ最近の永田町の顛末(てんまつ)を見ていると、むしろ政治家に届けたい言葉である。その筆頭格は、日本学術会議の会員6人の任命を拒否した菅義偉首相だろう

▼きのうの衆院予算委でも、首相は拒否理由には触れずじまい。会員選考が「閉鎖的で既得権益になっている」と答弁し、組織改革の問題にすり替えた。「民主主義は面倒くさい」けれど、強気を押し通すのでなく、きちんと説明を尽くす責任がある。



学術会議で予算委論戦(2020年11月3日配信『佐賀新聞』-「論説」)

疑問解消とは程遠い

 菅義偉首相は衆院予算委員会で初の本格論戦に臨んだ。焦点の日本学術会議の会員任命拒否問題では、野党の追及に対し理由の説明を拒み続け、疑問はむしろ深まった。

 国民が知りたいのは(1)政府に批判的な6人の任命拒否は学問の自由を侵害していないか(2)従来の政府答弁・法令解釈の変更に当たり、手続きに違法性がないか(3)任命権者である首相本人が「候補者名簿を見ていない」としており、誰が任命拒否を実質的に判断したのか―の3点だ。

 ところが首相や自民党は学術会議の組織改革の必要性を繰り返し主張。会員構成や活動内容の問題点を強調することで、任命拒否の「正当性」を訴える意図を感じざるを得ない。しかし組織問題と任命拒否は本来別問題だ。因果関係があるように「印象操作」するのは不適当と言うべきだ。

 自民党の大塚拓氏は、人文・社会科学の研究者は全研究者の1割なのに学術会議の3分の1を占め、法学・政治学の研究者は電気・電子工学より100倍会員になりやすいとして「科学アカデミーを正しく代表しているのか」と厳しく批判。

 呼応して首相は現会員らに推されないと会員になれない仕組みに言及し「閉鎖的で既得権益のようになっている。前例踏襲は今回やめるべきだと判断した」と述べた。だが、これらは人文・社会科学系に有利な選出の問題点を列挙したにすぎず、うち6人をどんな理由で任命拒否したかの疑問には答えていない。

 首相は、立憲民主党の江田憲司氏らが任命拒否理由や人事決定の基準明示を求めたのに対し「公務員の人事に関わるので差し控える」と答弁を避け続ける一方、学問の自由については「全く侵されていない」と強調。しかも、6人を除いた名簿しか見ないで決裁したと改めて述べた上、6人のうち1人以外は名前も知らなかったと認めた。

 これでは「法に基づいて私が判断した」との首相答弁は到底納得できない。任命拒否に関与したとされる杉田和博官房副長官を早期に参考人質疑して解明する必要がある。招致を拒む政府与党は、「行政官の国会出席拒否はあり得ない」との野党の声を聞くべきだ。

 また首相は任命拒否に関連し、会員の出身が旧7帝大などが多く、私大、女性、若手が少ないとバランス論を展開。だが、任命拒否された6人の半分は私大教授で女性も1人含まれると野党に反論され答弁に窮した。総務相時代、NHK改革に反対した課長を更迭したと明示した自著との整合性を突かれ、しどろもどろになる場面もあった。

 結局なぜ6人に限り拒否したかの疑問は晴れない。それは、安全保障法制などを巡り政府に批判的だったことが理由である可能性が依然高い。だが、それを認めれば学問の自由侵害を認めることになる。ゆえに首相は「人事」を隠れみのに答弁を拒むほかない苦しい対応を余儀なくされた。

 首相は学術会議を「10億円の予算を使う機関の公務員であり、国民に理解される存在でないといけない」と言った。その論法でいくなら、年に100兆円を超す予算を執行する政府のトップの説明責任は比較にならないほど大きいはずだ。

 任命拒否理由をきちんと述べ、非を認めた上で、改めて6人を任命することで自ら招いた混乱を収拾すべきだ。(共同通信・古口健二)



単位を決めたのは誰?(2020年11月3日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 力の単位はkg重(キログラム重)と学校で習ったが、最近はニュートン(N)。電力のワット(W)や電流のアンペア(A)など、単位は科学者の名前由来のものが多い

▼かつてカナダの化学関係のニューズレターに、体積の単位「リットル」が仏科学者「クロード・エミール・ジャン・バティスト・リットル」にちなんだと紹介された。「没後200年を記念して体積を表すSI単位(国際単位)に彼の名が使用されることが決まった」

▼実はこれ、ジョークだった。だが新聞や雑誌、ラジオはその記述を真に受け偽記事を出し、さらには「ミリー・リットル」という娘がいるとの創作も生まれたという(スレンドラ・バーマ「ゆかいな理科年表」)

▼リットルやメートル、グラムなどの単位は、18世紀末のフランス革命の頃に定められた。科学者からなるフランス学士院が任命した委員会が命名した。今もメートル法は国際単位として使われている

▼フランス学士院といえば国立のアカデミー。民間の同好会として発足したが、その後、宰相リシュリューが公の機関として制定した。フランス語辞典も編集した

▼日本のアカデミー、日本学術会議の委員任命拒否問題で菅義偉首相は違法でないと主張する。法を独自に解釈するあたり、既視感も覚える。耳障りなことを聞きたくないのだとしたら、度量が足りなさすぎる。





学術会議任命拒否 首相答弁はつじつまが合わない(2020年11月2日配信『愛媛新聞』-「社説」)

 菅義偉首相が国会の初めての論戦に臨んでいる。衆参両院本会議での各党代表質問を終え、きょうから予算委員会に論戦の舞台が移る。焦点となっているのは日本学術会議の会員任命を拒否した問題だ。

 代表質問の答弁では「必ず推薦どおりに任命しなければならないわけではない」などと従来の説明を繰り返し、なぜ6人の任命を拒否したのかという核心部分の問いに真正面から答えようとしなかった。説明に矛盾も出ている。菅首相は説明責任を果たさなければならない。

 任命拒否の経緯などを問われた菅首相は会員の多様性を念頭に判断したと釈明した。日本学術会議法は会員候補を「優れた研究または業績がある科学者」から選ぶとしている。たとえ多様化が理由であってもこれまで問題視せず、一足飛びに任命拒否するのはあまりに乱暴だと言わざるを得ない。

 菅首相は会員の出身や大学に偏りがあると強調したが、学術会議によると最近15年ほどで関東の割合は63%から51%に下がるなど多様化を進めている。6人の中には会員が一人もいない大学や私立大の教授もいる。多様性を拒否理由とするのは、つじつまが合わない。菅首相は以前、学術会議が提出した105人の推薦名簿を見ていないと述べており、多様性の精査をどのようにしたのか。理由を後付けしているとの疑念は拭えない。

 学術会議は6人の欠員で運営や活動に著しい制約が出ているとし、理由の説明と6人の任命を改めて求めている。6人はいずれも人文・社会科学系の研究者で、憲法とキリスト教学の会員は不在になっており、会議の「多様性」はむしろ後退したとの指摘もある。こうした声を政府は重く受け止めるべきだ。

 説明の矛盾は他にもある。政府が会員の推薦方法を現行方式に変えた2004年に「首相が任命拒否をすることは想定されていない」との内部資料をまとめていたことが分かった。1983年に政府が国会で答弁した「政府が行うのは形式的任命にすぎない」との内容を踏襲していた形だ。

 政府は2018年に任命拒否が可能となるような内閣府の見解をまとめており、以前の政府答弁との整合性について菅首相は推薦方法が変わったことを強調していた。見解は任命拒否問題が浮上するまで公表しておらず、政府が国会答弁の解釈をひそかに変更していたとの疑いがある。国会での議論を経ず、政府が恣意(しい)的に解釈を変えるようなことがあってはならない。

 決裁前に、任命できない人が複数いるとの報告を杉田和博官房副長官が菅首相にしていたことが判明している。野党は杉田副長官の国会招致を要求しており、政府与党は応じるべきだ。このまま不誠実な説明姿勢に終始すれば、国民の理解は到底得られない。菅首相の目指す「国民から信頼される政治」は遠のくばかりだと自覚すべきだ。



学術会議問題 論点ずらさず丁寧に説明を(2020年11月2日配信『熊本日日新聞』-「社説」)

 菅義偉首相の所信表明演説に対する衆参両院の各党代表質問で、最大の焦点となったのは日本学術会議が推薦した会員候補6人の任命拒否問題である。日本学術会議法に違反するとの野党の指摘に対し、首相は「必ず推薦通りに任命しなければならないわけではない」と答弁。しかし、拒否の理由については「人事に関する」として説明を拒み、議論は平行線のまま終わった。

 一方、政府は学術会議の組織を見直す検討に入った。予算の無駄削減と業務効率化が必要との考えからだが、論点をずらそうとの意図が透けて見える。

「学問の自由」侵害

 首相答弁にはつじつまが合わない点が少なくなかった。まず任命権。首相は「推薦通りに任命しなければならないわけではないという点は、政府の一貫した考えだ」と強調した。しかし、1983年の政府国会答弁は「政府が行うのは形式的任命にすぎない」としており、明らかに矛盾している。

 首相の主張の裏付けとして政府が挙げたのは、2018年11月に内閣府がまとめた文書だ。学術会議事務局と内閣法制局が協議し、「首相が推薦を拒め、任命権の裁量がある」との解釈を明確化したとする。83年答弁との整合性については、2004年の日本学術会議法改正で会員の推薦方式が変わったためと説明した。

 ふに落ちないのは、この文書が今回の問題発覚まで非公表だった点。政府が国会答弁の解釈をひそかに変更していた疑いがある。さらに法改正された04年、やはり政府が「首相が任命を拒否することは想定されていない」との内部資料をまとめていたことも新たに判明した。この文書によれば、推薦方式が変わってもなお83年答弁を踏襲していたことになる。

 突然登場した18年文書だが、作成の経緯や、83年答弁などとの整合性をきちんと説明すべきだ。

 任命拒否は野党も指摘した通り、憲法23条「学問の自由」への侵害ではないか。これに対し首相は「会員が個人として有する学問の自由や、学術会議の独立性を侵害するものとは考えていない」と述べただけだった。

 首相は任命拒否の詳細な理由の説明を避ける一方、会員は東大など七つの旧帝国大学所属が45%を占め、民間企業の所属や若手が3%しかおらず偏りがあり、多様性を重視したと強調した。

「多様性」の根拠は

 当初は推薦段階の名簿を見ていないと発言。他方で総合的、俯瞰[ふかん]的な判断の結果としたが、ここに来て新たに多様性を持ち出したのは苦し紛れにも見える。

 学術会議は、この20年間で女性の比率は1%から38%に、関東に偏っていた会員比率も68%から51%に改善したとして、「多様性や男女比率は長い間、試行錯誤してきた結果だ」と反論している。今回、任命拒否された会員には女性や50代前半の若手、その大学からただ1人の研究者が含まれている。首相の言う多様性の根拠があいまいだ。理由を言わず、多様性重視として切り捨てるのはあまりに強権的ではないか。

 任命を拒まれた6人には、安全保障関連法や米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設といった政府方針に批判的だった研究者が含まれており、政府方針に異を唱える人を排除したのではとの疑念も出ている。学術会議が政府との距離感を意識するのは、かつて研究者が太平洋戦争に協力、動員された反省からで、当然のことである。

不可解な行革論議

 国会での論戦を横目に、河野太郎行政改革担当相と井上信治科学技術担当相は会談し、学術会議への年間約10億円の国費負担が妥当かどうか検証作業を加速する方針で一致。「行政改革」として年内に結論を出し、来年度予算案への反映を目指すという。自民党プロジェクトチーム(PT)の塩谷立座長は、10日をめどに論点を整理する考えだ。

 学術会議の職員は約50人全員が官僚で事務局人件費が約4億円。政府への提言などのための活動費が約2億5千万円で続く。

 一方、会員210人に固定給はなく、支払われるのは会議参加の手当1万9600円(税込み)。手当は会長など役職に応じ加算されるが、合計で約7千万円にとどまる。年金制度はない。最先端の知見を社会に還元することを考慮すれば、高額とは言えまい。

 任命拒否問題は国民の7割以上が説明不十分と受け止めている。説明を省き組織改編に乗り出すことには違和感がある。首相が疑問を正面から受け止め対応しなければ何も解決しない。国会はきょう予算委員会が始まる。首相には丁寧な説明を求めたい。





[学術会議任命拒否]矛盾に満ちた首相答弁(2020年11月1日配信『沖縄タイムス』-「社説」)

 菅義偉首相が行った初の所信表明演説に対する衆参両院の代表質問が終わった。日本学術会議の会員候補任命拒否を巡り、ようやく首相が国会の場で説明したが、到底納得いくものではなかった。

 首相は、学術会議の推薦によるとされる会員任命を「必ず推薦通りに任命しなければならないわけではない」と従来の説明を繰り返した。

 加えて、学術会議の会員構成を「旧帝国大学に所属する会員が45%」「民間出身者や若手が少なく偏りがある」などと強調。「多様性を念頭に判断した」と、任命拒否の正当性を主張した。

 それなら、なぜ元々少ない女性や私大所属の候補を拒否したのか。拒否された6人の中には会員が1人もいない大学の研究者も含まれ、首相の説明は矛盾に満ちている。

 法律の定める会員の選考基準に所属大学や地域性の規定はない。首相が、学術会議に「多様性」が必要と考えたなら、直ちに任命拒否するのでなく推薦の在り方を学術会議と議論すべきだった。

 政府は1983年、会員の推薦制度について「政府が行うのは形式的任命」と国会答弁していた。2004年の制度改正の際も、内部文書で「首相が任命を拒否することは想定されていない」と明確に記載している。

 首相が従来の法解釈を逸脱して任命拒否したことは明白だ。だが首相は、その理由を最初は「総合的、俯瞰(ふかん)的に」と曖昧に語り、国会では「多様性」を持ち出した。後付けの理由で切り抜けようとしている印象を拭えない。

■    ■

 首相は26日のNHK番組で、この問題について「説明できることとできないことがある」と述べた。だが任命拒否は学問の自由を侵しかねないほか、首相による違法な権力行使が疑われる問題だ。

 政府は一貫して、任命拒否に当たり法解釈を変えておらず従来の立場と齟齬(そご)はないとするが、想定されていなかったことが今回できたのはなぜか。その説明は政府の責任だ。「説明できないこともある」で済ませてはならない。

 一方で政府は問題発覚後、国費10億円が投じられていることを理由に会議を行政改革の対象とした。年内に改革の方向性を打ち出すとして検討を加速している。

 会議の予算の多くは関係省庁から出向する事務局職員の給与などだ。その運営に問題がないかの検証は必要だが、それと任命拒否は別の問題である。論点のすり替えを許してはならない。

■    ■

 国会での論戦は、週明けから一問一答形式の予算委員会に舞台を移す。

 国民が聞きたいのは、6人の任命を拒否した具体的理由であり、「多様性」といった漠然とした説明ではない。首相としても、この問題で時間を取られるのは本意ではないだろう。

 首相は、拒否に深く関与したとされる杉田和博官房副長官も加え、予算委で丁寧に説明すべきだ。任命拒否問題を放置して携帯電話料金引き下げなどの「看板政策」を推し進めても、国民の目をごまかすためとしか映らない。





学術会議問題 国会軽視の論点そらし(2020年10月31日配信『北海道新聞』-「社説」)

 菅義偉内閣が発足後、初めてとなる各党の代表質問が終わった。

 際立ったのは、首相が日本学術会議の会員任命を一部拒否した問題で、国会軽視とも言える答弁を続けたことだ。

 任命拒否の具体的な理由を再三問われたが「人事に関することで答えは差し控える」と繰り返し、問題の核心に口を閉ざした。

 看過できないのはそれだけではない。問題をすり替え、論拠を欠く説明に終始していることだ。

 日本学術会議法では、学術会議の推薦に基づいて首相が会員を任命すると定め、独立性も明記している。野党が「任命拒否は違法」と追及したのは当然だ。

 だが首相は「総合的、俯瞰(ふかん)的に判断」「多様性が大事ということを念頭にした」と正面から答えず、組織見直しに論点をそらした。

 特に強調したのは会員構成の偏りで、「七つの旧帝国大学に所属する会員は45%」などと指摘した。

 ただ会員構成の是正は、会議側がかねて取り組んできた。女性は20年前の2人から77人に増え、地方からの任命も増加傾向にある。

 先の自民党総裁選で学術会議に関して何ら問題提起せず、必ずしも事実に即さない理由を挙げて任命拒否することは認められない。

 政府は年間10億円の予算拠出を理由に学術会議を行革対象とし、自民党も会議のあり方を検討し始めた。いずれも批判の矛先をそらす意図が明らかである。

 組織見直しを検討する前に、活動に支障が出ていると訴える学術会議の求めに応じ、残る会員候補を早急に任命するのが筋だ。

 1983年、首相任命制に法改正した際、当時の中曽根康弘首相は「政府が行うのは形式的任命にすぎない」と国会答弁していた。

 さらに2004年、推薦候補の人選方法が学会推薦から会員推薦に変更された際も政府資料には「首相が任命を拒否することは想定されていない」と記されていた。

 それを踏まえれば、今回の対応は法解釈の変更に他ならない。

 しかし、首相は解釈変更を否定した上で、18年に内閣法制局の了解を得て、学術会議の推薦通りに任命する義務はないとする内閣府見解をまとめたと明らかにした。

 だがこの見解は国会や学術会議側にまったく示されていない。恣意(しい)的な見解を後から持ち出すやり方は、法の支配を危うくする。

 野党は任命拒否に関与したとされる杉田和博官房副長官の国会招致を求めている。与党は拒否せず、ことの経緯を明らかにすべきだ。



衆参代表質問(2020年10月31日配信『しんぶん赤旗』ー「主張」)

答弁不能で居直る首相許せぬ

 菅義偉首相への各党代表質問が衆参の本会議で行われました。日本共産党の志位和夫委員長(衆院)と小池晃書記局長(参院)は、国政の重大焦点である日本学術会議への人事介入を中心に首相の認識をただしました。学術会議の会員6人の任命拒否は、法治主義の破壊であり、国民の基本的人権を侵害する前代未聞の暴挙です。志位氏らは任命拒否の違憲・違法性を条文などに基づき徹底的に明らかにしました。しかし、首相は従来と同じ答弁を繰り返すばかりで、まともに答えません。答弁不能に陥っても、任命拒否の撤回に応じない首相の姿勢は全く不当です。

違憲・違法いよいよ明白

 任命拒否は日本学術会議法に真っ向から違反します。志位氏は具体的に条文を挙げ、学術会議の政府からの独立性が同法全体で幾重にも保障され、実質的な人事権も全面的に学術会議にあることを示しました。首相が人事介入できる余地がないのは明白です。

 憲法15条1項の公務員選定・罷免権を根拠にした菅首相の「任命拒否合理化論」も成り立ちません。同項は、公務員の最終的な選定・罷免権が主権者・国民にあると規定したものです。それを個別の法律で具体化するのは国民を代表する国会であり、学術会議会員の選定・罷免権は学術会議法で定められています。その法律に違反した首相の任命拒否こそが15条違反です。同条を持ち出し任命拒否を正当化することは「天につばするもの」(志位氏)です。

 「一部の大学に偏っている」「多様性が大事」などと言うのも拒否理由になりません。ではなぜ50代前半の研究者や、その大学から1人だけの研究者らを排除したのか。首相が勝手に選考・推薦の基準をつくり、人事介入することは、それこそ学術会議の独立性の破壊です。だいたい学術会議が推薦した名簿を「見ていない」と言うなら、どうして「偏っている」などの特徴が分かるのか。語れば語るほど首相の答えは支離滅裂です。

 首相は学問の自由を理解しているのか―。学問の自由は、個々の科学者だけでなく大学や学会など科学者の自律的集団に保障される必要があり、その独立・自主性の保障なくして科学者の自由な研究もありません。理由を示さぬ任命拒否が、個々の科学者に萎縮をもたらし、学術会議の独立性を保障する要の人事権を侵害したのは明らかです。「首相の任命拒否は学問の自由を二重に侵害するものではないか」。志位氏の質問に首相は正面から答えず「侵害とは考えていない」と言い張るだけでした。

 憲法に学問の自由が明記されたのは、学問が弾圧され、科学者が戦争に動員された戦前の痛苦の反省の上にたったものです。歴史の教訓に学ばず、強権で異論を排斥する政治に未来はありません。

民意に反する政権倒そう

 再燃が懸念される新型コロナの対策で、志位氏と小池氏が検査・医療の強化や暮らしを支える施策を具体的に提案しても、首相は踏み込んだ答弁を一切しません。

 小池氏が来年1月発効の核兵器禁止条約に背を向ける姿勢を改めよと迫っても、首相は条約の署名・批准に応じません。戦争被爆国の首相にあるまじき態度です。

 国民の願いにことごとく反する菅政権を打倒し、野党連合政権を実現することが求められます。





学術会議問題 説明を尽くさぬ不誠実(2020年10月30日配信『東京新聞』-「社説」)

 菅義偉首相の所信表明演説に対する代表質問が始まった。新内閣発足後初の本格的な論戦だが、日本学術会議会員の任命を一部拒否した問題を巡っては、首相が説明を尽くしたとは言い難い。

 国民の代表で構成する国会に対する不誠実な姿勢まで、菅首相は安倍前内閣から継承してしまったようだ。学術会議が推薦した会員候補のうち、6人の任命を首相が拒んだことは、国会で成立した法律に基づいて行政を行うという三権分立の根幹に関わる問題だ。菅首相にはその認識が欠落していると指摘せざるを得ない。

 冒頭質問に立った立憲民主党の枝野幸男代表は、日本学術会議法が同会議の会員について「推薦に基づいて、首相が任命する」と明記しており、推薦された会員候補を任命しないことは「条文上、明らかに違法」と指摘した。

 これに対し、首相は「憲法15条第1項は、公務員の選定は国民固有の権利と規定」しており、学術会議会員も「推薦通りに任命しなければならないわけではない。内閣法制局の了解を得た政府としての一貫した考えだ」と答えた。

 しかし、この答弁は首相が「承知している」とした過去の政府答弁と矛盾する。1983年には中曽根康弘首相(当時)が「政府が行うのは形式的任命にすぎない」と答弁し、この法解釈は審議を通じて確立、維持されてきた。

 首相が法制局の了解を得たというのは2018年にまとめた「推薦の通りに任命すべき義務があるとまでは言えない」との内部文書を指すのだろうが、この文書が過去に国会で説明され、審議された形跡はない。つまり、国会で審議して成立した法律の解釈を、政府部内の一片の文書で変更し、それを正当化しようとしているのだ。

 そうした政府の独善的な振る舞いは議会制民主主義を脅かし、国権の最高機関であり、唯一の立法府である国会を冒涜(ぼうとく)するものだ。到底許されるものではない。

 自民党の野田聖子幹事長代行は代表質問で学術会議に触れなかった。いくら政権与党だとはいえ、政府の専横に対する危機感が足りないのではないか。

 首相は会員に「民間出身者や若手が少なく、出身や大学にも偏りが見られる」とも述べた。ならば任命拒否ではなく、堂々と問題提起して改善策を探るのが筋だ。

 首相がいまさら何を言っても後付けの説明にしか聞こえない。首相がすべきは任命拒否を撤回し、違法状態を解消することである。



偽り?の多様性(2020年10月30日配信『中国新聞』-「天風録」)

 やたら「チャイナ・バイラス」と繰り返すトランプ米大統領の口舌を聞きながら、ふと思い出した。英語のvirusを「バイラス」と読まず、もっぱらドイツ語風に「ビールス」と言い習わしていた時代のことを

▲頃は昭和半ば。医師の多くが「ビールス」と言い、私たちも紙面で使ってきた。ところがコンピューターの普及も相まって、ラテン語の読み「ウイルス」が次第に浸透していく。言葉としても響きやすく、平成の世には押しも押されもせぬ日本語に

▲こちらの言葉選びは、どうもしっくりこない。日本学術会議の会員任命拒否問題だ。「会議からの推薦を受け、首相が形式的に任命する」との政府答弁がここにきて「必ずしも推薦通りでなくていい」へと様変わりした

▲さらに国会で菅義偉首相は、会員の出身や大学に偏りがあり「多様性が大事だということを念頭に私が判断した」と言い切った。当初の推薦名簿を詳しく見ることもせず、しかも6人の欠員を生じさせておいて、一体どこが多様性の尊重なのだろう

▲政権への異論を封じ込めたいのだと受け取りたくもなる。言葉が自然に定着していくように、政治は学問に口出ししない方がいいのでは。



学術会議問題】納得できない首相の説明(2020年10月30日配信『高知新聞』-「社説」)

 菅義偉首相にとって初めてとなる代表質問が国会で行われている。野党は日本学術会議の会員候補6人の任命拒否問題に照準を合わせて拒否の理由をただすが、菅首相は「ゼロ回答」を押し通している。

 安倍晋三前首相も「桜を見る会」や森友、加計学園問題などを巡り、説明責任に無頓着だった。菅首相がそうした姿勢を継承することは許されない。
 首相は拒否の詳細な理由については説明を避ける一方で、学術会議会員の出身や大学に偏りがあり「多様性が大事だということを念頭に私が判断した」と述べた。後付けの理由という印象が拭えない。

 学術会議が推薦した105人の名簿について、首相は「詳しく見ていない」と説明していたはずである。政府高官や官僚らから事前説明があったにせよ、多様性を欠いているとの判断を下すにはかなりの精査が要ろう。名簿を詳しく見ずにそれができるだろうか。

 「大学に偏りがある」といった首相の批判に対し、学術会議の大西隆元会長は会員に占める東大在職者のシェアの低下など、データを挙げて反論している。事実なら首相の言葉の信頼性も問われかねない。

 推薦通りに任命する義務がないとする立場も「(政府の)一貫した考え方だ」と、菅首相は強調する。しかし、これも任命権は「形式的」で「推薦していただいた者は拒否しない」とした、1983年の中曽根康弘首相(当時)らの国会答弁と食い違う。

 にもかかわらず、首相は「法に基づいて適切に対応した」の一点張りである。それが理解されないのは、共同通信の今月の世論調査を見ても明らかだ。首相の説明が「不十分だ」は72・7%、「十分だ」は16・1%にとどまっている。

 政府、自民党は国費支出の妥当性など、学術会議の在り方を検証している。同会議の活動などに課題があるとしても、それは同会議側が主体となって改革していくべきものであろう。

 論点をすり替えるような検証よりも先に、やらなければならないことがある。誰が、なぜ6人を除外したのか。任命拒否の理由と経緯を明らかにし、拒否を撤回して任命し直すことだ。

 日本学術会議法は「優れた研究または業績がある科学者から候補者を選考」と定める。「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動を求める」といった新たな基準を適用し、任命拒否したとなれば法律違反の疑いが出てこよう。

 その疑念が晴れないまま、政府がいくら学術会議の組織改革をやろうとしても、説得力と妥当性を著しく欠く。

 非合理的で不誠実な政治の言葉がまかり通っていくなら、国民は一体何を信じればいいのか。政治不信にとどまらない深刻なダメージが、社会に広がる恐れがある。任命拒否の真相を意を尽くして説明するよう、菅首相に改めて求める。



免疫と寛容(2020年10月30日配信『高知新聞』-「小社会」)
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 安倍前首相が第1次政権の時に続いて辞任の理由とした潰瘍性大腸炎はやっかいな病気だ。体内の異物を攻撃し、排除する働きがある免疫が、大腸の正常な細胞を痛めつける。

 いわゆる自己免疫疾患の一つで、小欄も、軽症ながらこの病気と付き合って、かれこれ20年近くになる。いったん罹患(りかん)すると、完治が難しい難病だから悩ましい。健康維持に欠かせない免疫機能だが、その力は想像以上に強いようだ。

 医師によると、私たちの体には「免疫寛容」と呼ばれる仕組みがあり、免疫が不必要に自分の体を攻撃しないように抑制されているという。何らかの原因でこの「寛容」が失われると、免疫は暴走するらしい。

 広辞苑を引くと、寛容は「寛大」という意味のほかに、「異端的な少数意見発表の自由を認め、そうした意見の人を差別待遇しないこと」を指す。政治もいま、寛容さを失っていないだろうか。国民の分断が進む欧米だけでなく、日本も。

 菅政権の発足後初の国会論戦が始まった。日本学術会議の会員任命拒否問題で、菅首相は6人を任命しなかった理由をまともに答えず、判断の見直しも拒否している。前政権に批判的だったためと受け取られて当然だろう。

 反対意見を述べる人を排除する政治は恐ろしい。国民主権や法治の民主主義国家であっても、為政者次第で政治は暴走しかねない。それを抑える寛容さは期待できないものだろうか。





学術会議人事 正当化の無理があらわだ(2020年10月28日配信『信濃毎日新聞』-「社説」)

 日本学術会議の会員の任命を菅義偉首相が拒否した問題は、政府の説明のほころびが一層あらわになった。学問の自由と独立を侵す任命拒否を撤回するよう、あらためて首相に求める。

 会員の推薦を現在の方式に改めた2004年、政府が法案の説明資料に「首相が任命を拒否することは想定されていない」と明記していたことが分かった。推薦方式が変わったことを、任命拒否を正当化するために持ち出した政府の説明が揺らいでいる。

 1949年の設立から長く、研究者の投票による公選制だった会員の選出は、学会による推薦制を経て、04年に会員の推薦に改められた。首相は学術会議の推薦に基づいて会員を任命する。

 83年に推薦制に変更した際、政治介入の恐れを国会でただされた政府は、任命は形式的な行為で「推薦された者は拒否しない」と明言している。その後、04年の制度改定を挟んで、時々の首相が任命を拒んだことはなかった。

 今回、学術会議が推薦した105人のうち6人を除外したことは国会答弁と明らかに矛盾する。04年の改定時にも任命拒否を想定していなかったことを踏まえれば、推薦方式が以前と異なるという政府の説明は、苦し紛れの言い訳にしか聞こえなくなる。

 政府は、法解釈を変えてはいないと主張し、18年に内部文書で、推薦通りに任命すべき義務はないとの見解を「明確化した」とする。それ自体、政府からの独立と自律に重きを置く日本学術会議法の趣旨を逸脱している。

 学術会議は首相が「所轄」するが、それは形式上の管轄であって、指揮監督権を首相が持つわけではない。会員の任命を拒む余地も本来ない。他の政府機関と同一視できないことを菅首相はどこまで分かっているのか。

 民間や若手、地方の研究者が極端に少ない。一部の大学に偏っている―。NHK番組で菅首相が、さらに政治圧力をかけるかの発言をしたことも見過ごせない。いま問われるべきは首相の姿勢であって、学術会議のあり方ではない。何より菅首相は6人を除外した理由を明確に示す必要がある。

 推薦を追認する前例踏襲でいいのか、迷った結果の対応だったとも首相は述べている。学術会議の独立性を確保するための法の定めを悪しき前例のように見なし、解釈や運用をねじ曲げるのは権限の乱用でしかない。民主主義の土台が崩されようとしていることを見落としてはならない。



淡窓先生にも権力の難 橋本洋(2020年10月28日配信『西日本新聞』-「オピニオン」)

 「いつの時代も変わらないものなのか」。日本学術会議会員候補の任命拒否問題で浮き彫りになった学問と権力の対立に、そう感じた。

 本紙こどもタイムズの「九州まんが人物伝」は10月、江戸時代の儒学者、広瀬淡窓(たんそう)を取り上げた。きょうの最終回では、幕府の役人の干渉に悩まされるエピソードを描いている。完成済みの漫画を読み、その後発覚した任命拒否問題に、既視感とやり場のない気持ちが残った。

 淡窓は江戸後期に幕府の直轄地だった大分・日田で私塾「咸宜園(かんぎえん)」を開き、当時学問の主流だった漢学などを教えた。漢詩人としても一流で、全国各地から数千人の若者が集まり、多士済々の人材を輩出した。長州・官軍を指揮した兵学者の大村益次郎や日本で初めての写真館を長崎に開いた上野彦馬、後に九州大医学部となる医学校をつくった武谷祐之。淡窓没後の門下生には熊本初の総理大臣となった清浦奎吾(きようらけいご)もいた。

 咸宜園の何が学問を志す若者を引き付けたかというと、成績評価が公正だったからである。試験などで塾生の力量を級付けしたのだ。身分も年齢もそれまでの学歴も関係なく、身分制の時代にあって画期的なやり方だった。芸事の世界もこれに倣うようになったという。

 塾生の級付けは月初めに出す月旦評に書かれ、張り出された。その月旦評に注文を付けてきたのが、日田などを治めていた代官所トップの西国筋郡代(さいごくすじぐんだい)(日田代官)だった。代官所に勤める役人の子弟らの級を不正に上げることなどを求めてきたのだ。やり手の郡代は高名になった私塾の咸宜園を支配下に置きたかったのだろう。「官府の難」。官府は代官所のことで、淡窓はそう呼んで頭を抱えた。

 淡窓には逆らえない事情があった。咸宜園の財政を支える生家の商家は代官所にも出入りし、郡代に生殺与奪の権を握られていた。淡窓は郡代に見せる月旦評と、塾生に内密に見せる月旦評を作り分ける苦肉の策で、どうにか難局をしのいだ。

 官府の難は天保年間の1830年代に数年続くが、郡代が江戸に呼び戻され難は去る。新田開発事業などで負担を強いられる領民の反発を受けての解任だった。やり手ゆえに強権的なところがあったのが災いした。咸宜園も月旦評という金看板に傷を付ける形となり、塾風は乱れ入門者が減るなどの痛手を負った。

 200年近く前のことではあるが、権力と学問のあつれきや対立が誰の益にもならないという教訓だろう。 (こどもタイムズ編集長)





茶色い戦争(2020年10月22日配信『高知新聞』-「小社会」)

 詩に親しむような文学青年ではなかったけれど、これだけはそらんじることができる。〈幾時代かがありまして/茶色い戦争ありました/幾時代かがありまして/冬は疾風吹きました…〉。
 
 中原中也の「サーカス」。田舎町のサーカスの情景を童謡風に描いている。〈ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん〉。揺れる空中ブランコの独特の擬音。全体に流れる物悲しく、わびしい旋律を覚えている人は多かろう。
 
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 「茶色い戦争」とは何だろう。中也が生まれる前の日露戦争か。詩人として生きた時代と重なる第1次世界大戦を指すのか。読者は自由に想像していいのだろう。人類が幾時代にもわたって戦争を繰り返してきた愚かさを。命と生活を根こそぎ奪う戦争の悲惨さを。
 
 日本学術会議の会員任命拒否問題。背景には学術会議が軍事研究に非協力的なことへの、政府・自民党の不満があるともされている。本県選出の中谷元・元防衛相は「学術会議の考え方は時代遅れで、非常識だ」とまで言う。
 
 本当にそうだろうか。学術会議は科学者の戦争協力への強い反省に基づいて設立された。二度と軍事研究には手を染めない―。そんな学者の矜持(きょうじ)に対する敬意を、あまりに欠いていないか。茶色い戦争を心に刻み続けようとする、多くの国民の思いとも懸け離れていよう。
 
 幾時代が過ぎ去っても忘れてはならない歴史はある。きょうは中也忌。サーカスを口ずさんでみる。



内閣支持率低下 首相は国会で説明尽くせ(2020年10月20日配信『西日本新聞』-「社説」)

 納得できる理由を説明してほしい-。そんな国民の率直な声を菅義偉首相は謙虚に受け止めて、説明責任を果たすべきだ。

 各種メディアの世論調査で発足から1カ月が経過した菅内閣の支持率が軒並み低下した。共同通信社が17、18両日に実施した全国電話世論調査によると、前回9月の調査と比べ、5・9ポイント減の60・5%だった。

 日本学術会議を巡る問題も影響したのは言うまでもない。同会議が推薦した会員候補6人の任命を首相が拒否した問題である。いまだに首相はその理由を具体的に説明していない。

 この6人は安全保障関連法や特定秘密保護法など政府の法案や方針を批判したことで共通している。それが拒否の理由かと問われると、首相は「全く関係ない」と言下に否定した。

 では何が理由か、と問えば「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動を確保する観点から判断した」といった抽象的な表現を繰り返すばかりだ。首相は学術会議が提出した105人の推薦名簿を見ておらず、決裁したのは既に6人が除外されたリストだった。杉田和博官房副長官の関与が取り沙汰されているが、この削除の経緯や動機も判然としていない。

 共同通信の世論調査では、こうした首相の対応について「不適切だ」が45・9%と、「適切だ」の35・5%を上回った。

 深刻なのは、首相の説明が「不十分だ」と説明不足を指摘する回答が72・7%に達したことだ。まともな理由も明かさぬまま「法に基づいて適切に対応した」と言われても、国民には判断材料すらないのではないか。

 このかたくなな首相の姿勢は問題があれば「国民に丁寧に説明する」と語っていた当初の言動から後退した、と受け止められても仕方あるまい。

 学術会議は、任命を拒否した理由の説明と除外された6人の任命を首相に求めている。16日には学術会議の会長と首相の会談が実現したが、踏み込んだやりとりはなかったという。

 新型コロナウイルスの感染拡大を防ぎ、経済の再生に全力を尽くす、と首相は言う。その方針に異論はない。今回の世論調査でも感染拡大によって生活に「不安を感じている」という有権者は「ある程度」を含め72・9%に及んだ。この数字も深刻だ。コロナ対応を迅速に展開するためにも、多くの国民が疑問を感じる任命拒否問題で首相は丁寧に説明すべきだろう。

 26日には臨時国会が召集される。菅首相にとって初の国会論戦の舞台だ。所信表明演説では逃げずに任命拒否の理由を堂々と語ってほしい。それが「国民のために働く内閣」の政治姿勢を示すことにもなろう。



「チャーハン論法」(2020年10月20日配信『南日本新聞』-「南風録」)

「朝ご飯は食べましたか」と聞かれて、パンを食べたのに「ご飯(米)は食べていません」と答える。質問に正面から答えないことを「ご飯論法」と呼ぶ。森友、加計問題で野党の追及をかわそうとする前首相の答弁がこうやゆされた。

 最近、「チャーハン論法」なる言葉も目にした。「エビチャーハンを作っていたのを卵チャーハンに変えましたよね」という質問に、「同じシェフが作っており、その点において何ら変わりはない」と答えることらしい。

 ご飯論法を有名にした法政大の上西充子教授が名付け親だ。日本学術会議の推薦候補6人の任命を菅義偉首相が拒否した問題で、過去の政府見解に食い違いはないとする加藤勝信官房長官の説明をこう例えて批判した。

 政府は1983年の国会で「形だけの任命」と答弁しながら、先日「推薦通りに任命する義務はない」とする2018年の内部文書を公表。「エビ」を「卵」に変えても「同じチャーハンだ」と言わんばかりである。

 自民党は学術会議の在り方を検討するプロジェクトチームを設置するなど、任命拒否の理由を置き去りにしたまま、組織の見直しに熱心だ。「仕事師内閣」は、政策実行の速さが売りのようだが、これでは拙速の言葉がふさわしい。

 世論調査では、首相の説明は不十分と感じる人が7割を超えた。説明不足の体質まで前政権を継承するつもりなのか。



非正規最高裁判決(2020年10月20日配信『しんぶん赤旗』ー「主張」)

格差是正求め運動を進めよう
 非正規雇用の労働者が正規労働者との不合理な待遇格差の是正を求めた訴訟の最高裁判決が先週相次ぎました。雇用形態による格差の是正を求める世論と運動が社会の流れとなる中で、最高裁の判断が注目されました。

 日本郵便の裁判は、諸手当や休暇を認める判決(15日)をかちとりました。一方、他の2件では一時金、退職金の不払いを正当化する不当判決(ともに13日)でした。非正規は男性雇用者の22%、女性雇用者の54%を占めています。格差をいつまでも放置することは許されません。

前進と逆行を示した判断
 日本郵便の期間雇用社員らが訴えた裁判では扶養手当、年末年始勤務手当などを支給せず、有給の病気休暇を認めないのは不合理とする判断が示されました。夏期・年末手当の格差は不合理としなかったものの、均等待遇に向けて一歩前進した判決です。同社社員の半数近くが非正規です。多くが正社員と同じ仕事をしています。速やかな格差是正が求められます。

 一時金(賞与)が支給されないことを不当として大阪医科大学のアルバイト秘書が訴えた裁判で最高裁は不支給を不合理ではないとしました。東京メトロの子会社メトロコマースの契約社員が退職金差別について争った裁判でも最高裁は不支給を不合理ではないとしました。いずれも原告が正規労働者と同じ職務を果たしてきた実態を見ず、「人材の確保・定着」が一時金、退職金の目的であるとして使用者側の主張を取り入れました。格差是正の流れに逆行する不当な判決です。

 一時金についての判断は、厚生労働省の同一労働同一賃金ガイドラインがパート・有期雇用労働者に支給しないことを問題視していることにも反しています。メトロコマースの原告は駅の売店で正社員と同じ業務をして定年まで勤めました。5人の裁判官のうち1人がこの点を指摘し、格差は不合理とした少数意見を述べたことでも判決の不当さは明らかです。

 国税庁の調査では、昨年の平均給与(年額)は正規503万円に対し、非正規は175万円とほぼ3分の1です。基本給とともに一時金の有無が賃金格差の大きな要因となっています。退職金の不支給も非正規労働者の人生に深刻な打撃となる差別です。

 非正規労働者への格差が正当化される背景には法律の規定の問題があります。4月に施行された「働き方改革」一括法のパートタイム・有期雇用労働法、改定派遣労働法には不十分ながら正規・非正規に対する「不合理な待遇の禁止」が明記されました。厚労省の同一労働同一賃金ガイドラインは、一括法を受けたものです。

均等待遇明記へ法改正を
 しかしパート・有期法は労働条件の「均衡」を図ればよいとしています。正規・非正規の間でつり合いをとるのが「均衡」です。使用者の恣意(しい)的な判断による格差が容認されてしまいます。

 雇用形態による格差を抜本的に是正するためには法を改正し「均等待遇」を明記する必要があります。パート・有期法は来年4月に中小企業を含めたすべての事業所に適用されます。何よりも職場で声を上げることが重要です。非正規格差を是正する運動をさらに広げましょう。





学術会議在り方論議/歴史踏まえ介入を撤回せよ(2020年10月18日配信『河北新報』-「社説」)

 日本学術会議を巡る問題で、政府・自民党は同会議を行政改革の対象とし、在り方を見直す作業に入った。

 6人の任命拒否という事の本質から目をそらし、反発するなら組織に手を突っ込み、予算を引き揚げるという脅しにも取れる。

 どうしてこんな論点ずらしがまかり通るのか。

 案の定、学識者らは「戦争の反省の上につくられた歴史に汚点を残す」と学問の独立を揺るがす行為と見なす。

 ここで、学識者の言う「戦前にあった国家による思想統制と排除」とは何を指すのだろう。

 古い話ながら、この点を見落としては学問の自由を語ることはできない。しばし、史実をひもといてみたい。

 「京大法学部の滝川幸辰(ゆきとき)教授を休職処分とする」。1933(昭和8)年5月、文部省(当時)から大学に通知が届いた。

 滝川の刑法理論を「反国家主義的」と捉えた政府は、プレッシャーをかけたものの、法学部教授会は拒否、ついに強権発動となった。

 これに抗議する活動は東北大など他の大学に及んだ。処分は覆らず、滝川をはじめ、8教授は職を去った。後に「滝川事件」と呼ばれ、大学自治の墓標と語られることとなった。

 2年後、「天皇機関説事件」が起きる。憲法学者で東大教授を務めた美濃部達吉は、日本という国家を法人とし、統治権は国家にあるとした。

 天皇は法人の最高機関として権限を持つと唱えた。学界、官界で広く公認されていたが、35年2月の国会で「天皇を機関とは不敬でないか」と批判された。

 岡田啓介首相は当初、美濃部を擁護した。退役軍人や保守政治家の圧力に抗し切れず、学説の否定に転じる。

 美濃部は貴族院議員の辞任に追い込まれ、著書は発禁処分となった。

 国家権力と真理の追究とのせめぎ合いは、古今東西に潜む問題だ。日本の場合、こうした過去を十分に検証、総括をしないまま戦後の民主主義を迎えた歩みを持つ。

 学術会議の任命拒否の背景として、同会議が軍事研究への協力に慎重な点を挙げる声も自民党内で聞かれる。

 戦時中、科学者が協力した反省を踏まえれば、おいそれと乗るわけにもいくまい。

 かつて学問を志す学生に、教授はこう言った。「滝川事件、天皇機関説事件を知っているか。それでも学者になる覚悟はあるか。ないのなら他の仕事を探しなさい」。それほどに重いものをはらんでいる。

 学術会議も学会の利益代表であるとか、閉鎖性などの問題点を指摘されている。思い当たることには、自らの手で襟を正せばいい。

 一足飛びに政治権力がしゃしゃり出るのは、無理筋であり、次元の違う話である。



学術会議在り方論議/歴史踏まえ介入を撤回せよ(2020年10月17日配信『高知新聞』-「社説」)

 日本学術会議を巡る問題で、政府・自民党は同会議を行政改革の対象とし、在り方を見直す作業に入った。

 6人の任命拒否という事の本質から目をそらし、反発するなら組織に手を突っ込み、予算を引き揚げるという脅しにも取れる。
 どうしてこんな論点ずらしがまかり通るのか。

 案の定、学識者らは「戦争の反省の上につくられた歴史に汚点を残す」と学問の独立を揺るがす行為と見なす。

 ここで、学識者の言う「戦前にあった国家による思想統制と排除」とは何を指すのだろう。

 古い話ながら、この点を見落としては学問の自由を語ることはできない。しばし、史実をひもといてみたい。

 「京大法学部の滝川幸辰(ゆきとき)教授を休職処分とする」。1933(昭和8)年5月、文部省(当時)から大学に通知が届いた。

 滝川の刑法理論を「反国家主義的」と捉えた政府は、プレッシャーをかけたものの、法学部教授会は拒否、ついに強権発動となった。

 これに抗議する活動は東北大など他の大学に及んだ。処分は覆らず、滝川をはじめ、8教授は職を去った。後に「滝川事件」と呼ばれ、大学自治の墓標と語られることとなった。

 2年後、「天皇機関説事件」が起きる。憲法学者で東大教授を務めた美濃部達吉は、日本という国家を法人とし、統治権は国家にあるとした。

 天皇は法人の最高機関として権限を持つと唱えた。学界、官界で広く公認されていたが、35年2月の国会で「天皇を機関とは不敬でないか」と批判された。

 岡田啓介首相は当初、美濃部を擁護した。退役軍人や保守政治家の圧力に抗し切れず、学説の否定に転じる。

 美濃部は貴族院議員の辞任に追い込まれ、著書は発禁処分となった。

 国家権力と真理の追究とのせめぎ合いは、古今東西に潜む問題だ。日本の場合、こうした過去を十分に検証、総括をしないまま戦後の民主主義を迎えた歩みを持つ。

 学術会議の任命拒否の背景として、同会議が軍事研究への協力に慎重な点を挙げる声も自民党内で聞かれる。

 戦時中、科学者が協力した反省を踏まえれば、おいそれと乗るわけにもいくまい。

 かつて学問を志す学生に、教授はこう言った。「滝川事件、天皇機関説事件を知っているか。それでも学者になる覚悟はあるか。ないのなら他の仕事を探しなさい」。それほどに重いものをはらんでいる。

 学術会議も学会の利益代表であるとか、閉鎖性などの問題点を指摘されている。思い当たることには、自らの手で襟を正せばいい。

 一足飛びに政治権力がしゃしゃり出るのは、無理筋であり、次元の違う話である。





論点ずらし(2020年10月17日配信『新潟日報』-「日報抄」)

 問い「朝ごはんは食べましたか」。答え「ご飯は食べませんでした(パンは食べたけど、それは黙っておきます)」。質問の論点をずらし、話をすり替える「ご飯論法」である。政府・与党は前政権時代によほど重宝したらしい。現政権も使いこなす

▼日本学術会議の会員任命拒否問題に絡み、政府や自民党から「機能しているのか伝わってこない」などと学術会議の在り方を問い直す声が相次ぐ。問題の核心は「なぜ拒否したか」なのに論点をずらそうと躍起になっているようだ

▼きのう学術会議の梶田隆章会長と会談した菅義偉首相も「国民に理解される存在に」と注文をつけた。組織のよりよい姿を議論するなら大いにやればいい。しかし肝心の説明をないがしろにしたままでは、話のすり替えといわれるのも当然だろう

▼任命拒否と組織の在り方は別々に考えるべき問題だ。ただ共通する要素もある。政権の意向に反すれば不利益を被るという圧力を研究者に感じさせる点だ。国による学術界の統制を一段と強める姿勢が浮かぶ

▼内閣と自民党による故中曽根康弘元首相の合同葬が、きょう営まれる。文部科学省は全国の国立大などに弔旗の掲揚や黙とうを求める通知を出した。これも統制強化の一環のように映る

▼科学に基づく技術力こそ、この国が生きる道である。統制の中から自由な発想が生まれる余地は、どれほどあるだろう。科学で大切なのは論旨を明確にすること。論点ずらしは科学を大切にしていない表れといえまいか。





偽情報発信 軽率に物言う議員の不実(2020年10月16日配信『信濃毎日新聞』-「社説」)

 政策を決める上で最も重要なのは事実に基づく論議だろう。

 自民党が、日本学術会議のあり方を検討するプロジェクトチーム(PT)の初会合を開いた。連動して菅義偉政権も学術会議を行政改革の対象とし、PTの提言も踏まえて年内に結論を出す構えでいる。

 なぜ学術会議が推薦した新会員6人の任命を菅首相は拒否したのか―。核心の説明もないまま、問題の所在をすり替えようとしている。看過できないのは、自民の議員が学術会議に関わる偽情報を発信してきたことだ。

 党税制調査会長の甘利明氏が自身のメールマガジンに投稿した記述を修正した。8月の配信号で、中国の「千人計画」に学術会議が「積極的に協力している」と記していた。海外から先端技術の研究者を集め、軍事利用しているとの指摘がある計画だ。

 学術会議が中国科学技術協会と結んだ協力覚書を曲解したとみられる。交流や情報交換を目的とするものの、予算不足もあって事業は実施していない。甘利氏は「間接的に協力していることになりはしないか」と改めている。

 長島昭久衆院議員は今月、学術会議のOBは日本学士院の会員となり終身年金を受給する、との偽情報をツイッターに投稿。数日後に謝罪している。

 甘利氏、長島氏とよく似た内容の情報がネット上に飛び交う。終身年金については、フジテレビの上席解説委員が番組で取り上げ、批判を浴びた。

 修正や謝罪をしても影響を帳消しにはできない。事実を確かめようと思えば資料を入手できる議員でありながら、軽率に過ぎる。

 「学術会議が機能しているのか伝わってこない」。自民PTからこんな声が聞かれた。学術会議は今年に限っても、60件を超す提言を出している。むしろ、政府がどう提言を生かしたのかを検証しなければならない。

 学術会議が軍事研究への協力に否定的な立場を堅持していることが、自民が矛先を向ける背景にあるとされる。井上信治科学技術担当相は「時代の変化を踏まえて考えてほしい。研究成果の軍民両面での利用は、どの分野でもあり得る」と主張している。

 「納税者の立場から学術会議のあり方を議論する」とおためごかしを口にする。自民にとって煙たいだけではないのか。学術会議のこれからを問うにしても、権力による学問への介入という疑惑の大本を解いてからだ。



菅政権1カ月 「強権政治」では危うい(2020年10月16日配信『愛媛新聞』-「社説」)

 菅義偉内閣が発足して、きょうで1カ月となった。

 菅首相は、携帯電話料金の値下げや不妊治療への保険適用などトップダウンで矢継ぎ早に閣僚らに指示を出し、スピード重視で看板政策を推し進めようとする姿勢を際立たせている。

 国民に分かりやすい身近な政策課題に的を絞って、短期間で目に見える改革成果を積み上げようとしているのだろう。

 報道各社の世論調査では、発足時の内閣支持率は軒並み60%を超えた。無派閥で党内に強固な基盤のない首相にとって頼みの綱は世論の支持だろう。それをつなぎ留めておきたい思惑があり、その先に解散総選挙をにらんでいるのかもしれない。

 順調に見えた新政権の滑り出しに影を落とし、憂慮される事態も起きている。日本学術会議が推薦した会員候補105人のうち6人が首相に任命されなかった問題である。

 安全保障関連法や米軍基地問題などに関して政府方針に異を唱えた学者を排除したように見える。誰がどんな権限で拒否をしたのか、日を追うごとに経緯の不透明さが浮き彫りになる。

 憲法が保障する「学問の自由」を侵害する懸念さえある。首相はしかし、内閣記者会のインタビューで「学問の自由とは全く関係ない。どう考えてもそうでない」と木で鼻をくくったような受け答えをする。

 安倍政権下の官房長官時代をほうふつとさせる。都合の悪いことは質問させない。質問されても答えないし、はぐらかす。なぜ関係ないのか、どう考えたのか。十分な説明がなければ、国民は納得するまい。

 自民党総裁選で、首相は「政策に反対する官僚には異動してもらう」と言い放った。政権の意に沿えば重用し、盾突けば冷や飯を食わせる―。安倍政権下で問題視された強権的な手法は極めて危うい。

 安倍政治の継承を掲げる首相だが、一方で「既得権益、あしき前例主義の打破」という改革の断行も唱える。「脱はんこ」や「行政改革目安箱」といった政策の看板は目を引くものの、どんな仕事に取り組むのか、政権の理念が見えてこない。

 就任後の所信表明演説も先送りしたままである。今月下旬に臨時国会が開かれる予定だが、首相指名から1カ月以上も実施されないのは異例である。新たなリーダーとして、どんな国や社会を目指すのか明確に示すことが求められる。

 首相は総裁選で、日本の首相は諸外国に比べて国会に拘束される時間が長いとして「出席は大事なところに限定すべきだ」とも述べている。国会軽視とも受け止められかねない。国会論戦から逃げ回った安倍政治を繰り返してはなるまい。

 コロナ禍への対応では、経済重視の姿勢が鮮明になっている。「Go To」事業の拡大と合わせ、入国制限を緩和し、海外とのビジネス往来も抜本的に見直す。来夏の東京五輪開催に向けた地ならしの意味合いもあるのだろう。

 経済を回す政策の必要性は理解できるが、「見切り発車」を不安視する声は根強い。感染の再拡大を招かないよう細心の注意が欠かせない。感染リスクと経済効果について科学的なデータを示し、国民の理解と納得を得るのは政権の責務だ。 



「どうして日本学術会議の新会員に6人だけ任命しなかったの?」「結局、誰が決めたの?」(2020年10月16日配信『熊本日日新聞』-「正平調」)

 放送開始から40年近くになるそうだ。NHKのラジオ番組「子ども科学電話相談」。随分昔、小学生の素朴でかわいい質問を聞いて、思わず大笑いしたことがある

▼「どうしてパンツははかないといけないの?」「毛虫の毛をぬくとどうなるの?」。番組のやりとりをまとめた本(NHK出版)には回答者泣かせの質問が並ぶ。中には「人はなんで生まれてきて死んでいくのですか?」と哲学的なものも

▼専門家の見事な答えにも感心してしまう。小欄なら、回答に詰まって冷や汗を流すのは間違いない。そんな子どもたちの質問を眺めていたら、思いは政治の世界へ。同様に素朴な疑問を抱かざるを得ないことが、このところ絶えないようだ

▼菅義偉首相が新政権を発足させてきょうで1カ月。子ども電話相談風に言えば「どうして日本学術会議の新会員に6人だけ任命しなかったの?」「結局、誰が決めたの?」。子どもたちの質問と違って、答えるのは至って簡単と思うのだが

▼ほかにもある。「なぜ故中曽根康弘元首相の合同葬に合わせ、文部科学省は全国の国立大などに弔意を表すよう求めたの?」。あす行われる葬儀の際、弔旗の掲揚や黙とうをするよう通知したという

▼政府は、強制ではなく問題ないとする。だが、哀悼の意はあくまで個人が表すものではないのか。まるで権力が個人の領域にズカズカと踏み込んできたようで、何とも薄気味悪いものがある。これからも「なぜ」「どうして」と問い続けなければ、と思わせる出来事である。



ブーメラン(2020年10月16日配信『宮崎日日新聞』-「くろしお」)

 新しい辞書には、その意味での使い方が載っているようだ。最近の若い人がよく使っているイメージが強い言葉「ブーメラン」。他者に対しての批判や指摘が自身にそっくりそのまま跳ね返ってくることだ。

 性暴力被害を巡り「女性はいくらでもうそをつける」と発言した自民党の杉田水脈衆院議員も一例だろう。当初、発言を否定していたが、後にブログで「発言があったことを確認した」と認めた。「うそをつくのはあなたでしょう」と揶揄(やゆ)されても仕方なかろう。

 「杉田」続きで紛らわしいが、こちらは官房副長官の杉田和博氏の話。日本学術会議の会員任命拒否を巡って杉田副長官が「複数人を任命できない」と菅義偉首相に事前報告していたことが分かった。これによって、同副長官が矢面に。野党は、国会招致を要求している。

 対する自民党の森山裕国対委員長は「副長官が国会に出るのはあまり前例がない」と、難色を示す。「前例」を持ち出すのならばひとこと。今回の件で菅首相は「推薦された方を、そのまま任命する前例を踏襲していいのかを考えた」と政権が掲げる「前例主義の打破」を根拠にしていたはずだが。

 意地悪は承知の上。でも、こう返したくなるくらい任命拒否に関する政府対応はすっきりしない。さらにこの問題は学術会議のあり方に論点が移りつつある。まるで「拒否の理由は?」と投げた問いのブーメランが見当違いの方向に返ってきたみたいな話だ。





学術会議任命拒否 不透明さ増す政府説明(2020年10月15日配信『秋田魁新報』-「社説」)

 日本学術会議の会員人事を巡り、推薦された候補105人のうち6人の任命を拒否した問題で、菅義偉首相は学術会議提出の推薦者名簿を見ていないと発言した。拒否の理由や経緯は不透明さを増すばかりだ。政府は今回の任命拒否が法に反しないとする根拠を明確に示し、説明を尽くすべきだ。

 6人はいずれも人文・社会科学分野の研究者。安全保障関連法などを巡り、政府方針に異論を唱えたことがあり、それが任命拒否の理由との見方もある。日本学術会議法は会議の推薦に基づき首相が会員を任命すると定める。推薦候補の任命を拒否したことは学術会議の独立性を損なう恐れがあるとして、批判が高まっている。

 菅首相は、政府批判は「(任命拒否とは)一切関係ない」としている。6人には政府批判以外に、任命するにふさわしくないと判断する別の理由があったことになる。だが首相は「総合的、俯瞰(ふかん)的な」観点から判断したと述べるだけで説明は具体性を欠き、説得力に欠けている。

 このため、政府方針に反する学者を狙い撃ちしたとの疑念は消えていない。学者の間では、活動の萎縮につながると危ぶむ声が上がっている。学問の世界に自由な批判を控える風潮が広がることはあってはならない。

 杉田和博官房副長官が、候補のうち複数人を任命できないと首相に事前報告していたことも明らかになった。加藤勝信官房長官は「首相が一人一人チェックしていくわけではなく、事務方に任せていた」「最終的には首相が決裁し、決めている」などとして、あくまで首相の判断だったと強調するが、不透明感は否めない。

 学術会議は日本の学者を代表して政策を提言したり、社会問題に関して声明を出したりする。今年出した提言は60件を超えている。2020年度予算は10億4千万円だが、うち4億3千万円が事務局の人件費。210人の会員への手当(日当)は計7192万円で6・8%だ。年度後半には予算が不足し、交通費を自己負担する会員もいるのが現状だ。

 政府、自民党は学術会議に国費を支出する妥当性や会員推薦の決定方式などを見直す方針を打ち出した。任命拒否の理由を説明せずに、学術会議の在り方を議論するのは論点のすり替えであり、会議側への圧力ともなりかねない。

 学術会議は政府に6人の任命を求めるとともに、任命拒否した理由の明確化を要求。さまざまな学会や大学が抗議の声を上げ、任命拒否の撤回を求める14万筆以上の署名が内閣府に提出された。政府はこうした声に真摯(しんし)に耳を傾けるべきだ。

 安倍前政権は森友・加計学園問題や桜を見る会の問題で、説明責任を果たす姿勢が見られなかった。菅政権は説明軽視の姿勢を前政権のレガシー(遺産)として継承してはならない。

隔靴掻痒(2020年10月15日配信『河北新報』-「河北春秋」)

 隔靴掻痒(そうよう)という四字熟語がある。靴の上から足のかゆい所をかくことから、物事がうまくいかなかったり、核心に触れることができなかったりして歯がゆく思うさまのことをいう

▼核心に触れるという点では、日本学術会議の会員のうち6人が任命を拒否された問題は隔靴掻痒の感が続いている。菅義偉首相をはじめ政府が、任命拒否の明快な理由をいまだに示していないからだ

▼理由の一つとして考えられるのは、6人が重要法案に反対するなど政府に批判的な立場だったこと。菅首相は否定するが、それならばなぜ? 「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動を確保する観点から判断」との弁は、何も語っていないに等しい

▼日本学術会議法は「優れた研究または業績がある科学者から候補者を選考」と定める。それとは違う基準を適用して任命拒否したとなれば、法違反になるとの指摘も。しかも、6人は学者として大したことはないと烙印(らくいん)を押されたようなもの

▼政府は学術会議を行革の対象とする考えを示し、自民党も同会議の在り方を検討するプロジェクトチームの役員会をきのう初めて開いた。組織の在り方を見直すのはいいが、それは別の話。まずは、任命拒否について納得のいく説明を。そうでないと、靴の中のかゆみはいくらかいても治まらない。(



学術会議人事 誰が6人を外したのかa(2020年10月15日配信『東京新聞』-「社説」)

 一体、誰が6人を外したのか。日本学術会議の新会員任命拒否問題。菅義偉首相は推薦名簿を見ずに特定人物を除外していた。任命拒否が「総合的、俯瞰(ふかん)的な観点」だったとの説明には無理がある。

 首相は内閣記者会のインタビューで、学術会議新会員の任命手続きについて、会議側が推薦した105人ではなく、6人を除く99人が記載された内閣府作成の起案文書を、9月28日に決裁したと説明している。

 つまり、首相に名簿が上がった段階では、すでに6人が除外されていたことになる。加藤勝信官房長官は6人を除外した起案段階の人選について「首相が一つ一つチェックするのではなく、事務方に任せていた」と説明している。

 さらに、首相の決裁前に杉田和博官房副長官が首相に対して口頭で、任命できない人が複数いることを報告していた、という。
 首相官邸サイドは、こうした手続きについて「通常のやり方にのっとって作業が進められた」「最終的には首相が決めている」として、問題はないとの立場だ。

 日本学術会議法は、会員は同会議の「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」と定め、政府はこれまでの国会答弁で、首相の任命は「形式的」なものと説明し、裁量の余地を認めていなかった。

 国会審議を通じて確立したこの法解釈を、政府は一片の内部文書のみで一方的に変更した。今回、6人の任命拒否を正当化するために挙げたのが「公務員を選定し、罷免することは国民固有の権利」とする憲法15条の規定である。

 しかし、首相が名簿を見ずに任命を拒否していたとしたら、「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点」からの人選には程遠く、これまでの説明に疑義が生じる。

 さらに、6人の除外を決めたのが国民を代表する国会で選ばれた首相ではなく、国民による選挙を経ていない官僚だったとしたら、官僚の暴走ともいえる違法行為であり、憲法の規定に反する。首相は厳しく処断せねばなるまい。

 野党側は、杉田副長官を26日召集予定の臨時国会に出席させるよう与党側に要求した。与党側は応じるべきである。

 法律の解釈を巡り、政府が国会に諮らず、一片の内部文書で変更したことは、唯一の立法府である国会への重大な挑戦だ。与野党を問わず傍観は許されない。

 誰が、なぜ6人を外したのか、国会は国政調査権を行使し、真相解明を果たすべきである。



「以下の職業の人たちが自分の専門…a(2020年10月15日配信『福井新聞』-「越山若水」)

「以下の職業の人たちが自分の専門分野について意見を述べた場合、あなたは誰の意見を一番信用しますか」。これは英国の調査会社ユーガブが2017年に行った調査の設問である

▼さて、どんな職業の信頼度が高く、逆に低かった職種は何だろう。1位は看護師で84%が「信用できる」と回答した。最下位は政治家でわずかに5%。ただし地方議員はいくらかマシで20%だった。経済学者も下から2番目で25%。気象予報士の半分に達しなかった

▼同じような調査を英の別会社イプソスも19年に22カ国で実施した。信頼できる職業のベスト3に入ったのは(1)科学者(2)医師(3)教師。50~60%が肯定的に評価した。一方でワースト3は(1)政治家一般(2)政府官僚(3)広告従事者。こちらは50%前後が否定的な見解を示した

▼事ほどさように、政治家の信頼度は悲しいくらいに低い。理由として考えられるのは、ほかの職種に比べると、市民感覚とかけ離れ、顧客目線を欠いていることだろう。「自分は正しい」と信じ込むあまり、親切丁寧に説明したり、異なる意見に耳を貸したりしない

▼日本学術会議の人事問題で、政治家不信が高まっている。菅義偉首相や政府は任命拒否を「総合的・俯瞰(ふかん)的な観点から判断」と判で押したような弁解。組織の行政改革まで持ち出し論点すり替えを図る。高飛車な姿勢では信頼回復の道のりは遠い。



例えるなら、こんな話か。授業が始まるのに数人の子が…(2020年10月15日配信『西日本新聞』-「春秋」)

 例えるなら、こんな話か。授業が始まるのに数人の子が教室に入れてもらえなかった。保護者らが理由を尋ねても教師はまともに答えず、「指導の権限は教師にある」「総合的、俯瞰(ふかん)的に判断した」と繰り返すばかり

▼不誠実な対応が批判された教師は「誰を入れなかったか知らない」と言い出した。一方で「そもそも家庭に問題があるのではないか。家庭のあり方も検討すべきだ」と論点をすり替え始めた

▼学校が騒然となると、学級委員が「僕が入れない生徒を選んだ」「先生には話したけど、学級名簿をよく見てなかったみたい」と告白。学級委員の行為も問題だが、最終的な権限と責任が教師にあるのは明らかだ

▼排除された子らは、教師に「えこひいきはやめて」「体罰は良くない」などと言ったことがある。もしも教育方針を批判されたことへの意趣返しならば、子らの授業を受ける権利を奪い、名誉を傷つけた理由を、この教師は口が裂けても明かせまい

▼日本学術会議が推薦した会員候補6人の任命を菅義偉首相が拒み、その理由を明かさない問題である。「拒否は首相の権限」としながら、推薦名簿は「見てない」「よく見てなかった」と迷走。揚げ句に政府は学術会議のあり方を見直す、と

▼学級の最高権力者である教師がこんな具合なら、校長が一喝して事態を収拾すべきだ。首相や政府がもしもそうならば、主権者の国民が正すしかない。




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