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遺骨を骨格標本に、孤児や盲ろう者に尽くした兄妹の物語(2020年11月3日配信『産経新聞』)

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 明治から昭和にかけて山陰地方で福祉事業の先駆者となった兄と妹がいた。福田平治=1866~1941年=と妹の与志(よし)=1872~1912年。平治は孤児を引き取って育児院を開いたことをきっかけに、スペイン風邪の流行では歳末助け合い運動に取り組み、無料宿泊所などを次々に立ち上げた。与志は給料のほとんどを障害のある子供のために使った。平治は「山陰社会事業の父」とも呼ばれたが、時代とともに2人の功績を知る人は減りつつあるといい、顕彰する記念館(松江市)では老朽化に伴う修理費の捻出に苦慮するほどだという。

「山陰社会事業の父」

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福田平治(福田平治・与志顕彰会提供)

 松江市の住宅街の一角にひっそりと建つ「福田平治・与志記念館」。木造2階建ての洋風建築で延べ床面積は約94平方メートル。急勾配の三角屋根が特徴だ。昭和6年に松江育児院の礼拝堂として建てられ「愛隣会館」の名称で呼ばれていた。

 敷地には46年に建立された平治の顕彰碑が立つ。当時の鳥取県知事、石破二朗氏が寄贈した同県の石でできていて、当時の島根県知事、田部長右衛門氏の字で「山陰社会事業の父」と紹介されている。

 顕彰碑が建てられてからまもなく半世紀。記念館の保存活動に取り組むNPO法人「福田平治・与志顕彰会」理事長の石橋博さん(90)は「平治と与志の功績を学校でほとんど教えなくなり、2人を知らない人が増えた」と悲しむ。

孤児引き取り、福祉の道に

 顕彰会などによると、平治は鳥取市出身で、幼い頃に松江市に移住した。

 福祉の道に進んだのは、明治26年10月に松江を襲った水害がきっかけ。親を失った子供が橋の下などで寝起きし、残飯を食べているのに心を痛めていた。行政に対策を求めたが聞いてもらえず、29年3月5日、孤児9人を引き取り、自分が経営する印刷所の一室に「松江育児院」を開いた。印刷所を売却した資金で8年後に現在の記念館周辺に移転した。

 転機となったのが大正7~10年のスペイン風邪の流行だった。国内では約2400万人が感染、約39万人が死亡したとされる。松江市内でも影響は大きく、平治は7年末に歳末助け合い運動を開始。身内を亡くした高齢者のための老人ホームや託児保育園、無料宿泊所、身上相談所などを次々につくり、貧しい人の救済にあたった。

女性として初めての創設者に

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福田与志(福田平治・与志顕彰会提供)

 与志は明治23年、松江市の小学校教員をしていたときに聴覚障害の未就学の少女と出会い、障害者教育の道に進むことを決意。その少女を、日本最初の盲唖(もうあ)院「京都盲唖院」=現京都府立盲学校、同府立聾(ろう)学校=に通わせた。

 与志はその後、京都や東京で障害者教育を学び、38年に「松江私立盲唖学校」(島根県立盲学校、同県立松江ろう学校の前身)を設立。女性による盲唖学校創設の初めてのケースだった。

 聴覚や視覚に障害がある子供が教育を受けるのが難しかった時代。寄宿舎をつくり、生活の面倒も見たという。当時の記録によると、学校の資金は不足し、厳しい運営だった。与志は生涯独身を貫き、寄宿舎で40歳で亡くなった。給料のほとんどを学校の運営に使ったため死後、タンスには夏用と冬用の着物が1枚ずつしか入っていなかったという。

自分の遺骨を教材に

 石橋さんは生前の平治を知っている。「いつもニコニコしながら見ていた」。石橋さんは幼い頃、松江育児院の子供たちとよく遊んでいたといい、その子供を見つめる平治の姿が脳裏に焼き付いている。

 「われ死なば 屍(かばね)はときて 骨洗い めしいの学ぶ たすけともせよ」

 平治は亡くなる数年前、自分の遺骨を骨格標本にして盲唖学校に寄贈するよう周囲に頼み、短歌にその思いを込めた。平治の死後、遺族は遺骨を標本にして盲唖学校に寄贈。38年間、生徒が人体の仕組みを学ぶ教材に使われた。

 石橋さんは「戦前は今のようなプラスチックの標本はなかった。視覚障害者の技術習得や自立に役立ちたいという強い思いがあったのでしょう」と話す。 

老朽化激しく

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福田平治・与志顕彰会の活動のきっかけとなった小学生のポスター=10月27日、松江市

 愛隣会館は戦後、市の施設として剣道場や集会場などに利用されていた。

 平成18年、耐震診断の結果、市が取り壊しを決めたが、市民有志が「福田平治・与志顕彰会」を設立し、寄付金をもとに市から買い取った。活動のきっかけは地元小学生が書いた保存を求めるポスターだった。耐震補強工事を施し28年、記念館として再出発した。

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福田平治直筆の愛隣会館の棟札を持つ顕彰会の石橋博理事長=10月27日、松江市

 29年に国の登録有形文化財になったが、近年は老朽化が激しく屋根が強風で浮き上がる状態に。雪が隣接する駐車場に滑り落ちる危険もあり、顕彰会は屋根の張り替え工事を実施。費用は465万円。大半を借入金で支払ったという。耐震補強工事の際に借り入れた約350万円も返済中のため支払いに苦慮し、寄付を募ることにした。

19年の設立時に約90人いた顕彰会の会員も現在約30人に減少している。顕彰会は、会員を増やすとともに同館を活用した「足こぎ車いす」の試乗体験や学童保育の実施を検討している。

 石橋さんは「平治と与志は福祉の開拓者。功績を後世に伝えるためにも建物を守り、活用し続けたい」と話している。

 寄付などの問い合わせは顕彰会事務局(0852・22・1979)。





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