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(論)週のはじめに考える(『東京新聞』ー「社説」 2021年1月8・10・17・24・31日)

週のはじめに考える 後ろには夢がない(2021年1月31日配信『東京新聞』-「社説」)

 ある米紙の記者が自分の職業を表現して、プロフェッショナル・ウォリアーだ、と。勇ましいwarrior(戦士)に非(あら)ず、むしろ逆のworrier。「プロの心配性」というわけです。いかにも、私たち記者の書くものといえば「〜は大丈夫か」とか「〜が懸念される」とか何かにつけて心配したり疑ったりする内容が多い。お察しの通り、本稿もまた−。

◆「出遅れ」「置き去り」

 日本が時代の波に乗り遅れたのではないかと、このごろ、そう気をもんでいます。日本が「出遅れた」「立ち遅れている」といった記事が最近、やけに目について。

 新型コロナの関連なら、例えばワクチンです。欧米企業のワクチンが相次ぎ、早々と実用化され、中、印も自国製の接種を進行中。日本の企業も開発に奮闘していますが、実用化はまだ先のようす。接種もなお緒に就いていません。

 デジタル化の遅れもしかりで、「ファクス」や「はんこ」がやり玉に挙がり、テレワークやキャッシュレス決済の普及の鈍さも話題に。日本は「10年遅れ」というのが最近の通り相場でしょうか。

 もっと先端的分野での「遅れ」も心配です。人工知能(AI)や量子コンピューターといった分野での特許出願数を分析した日経の記事は、中、米が激しく競っているとした上で日本の「遅れ」をまた別の言い方で表現しています。日本は「置き去り」「水をあけられている」…。

 無論、じっくり、ゆっくりが大事なこともあって、何でも進んでいればいいという訳ではありません。それでもやはり、地球温暖化防止への対応はかなり深刻な日本の「遅れ」とみるべきでしょう。

 安倍政権時代の日本は煮え切らない態度に終始し、「世界の脱炭素化を牽引(けんいん)する」との決意は示すものの、脱石炭も打ち出せず「化石」呼ばわりされていたのが実情です。そんな政治の鈍さゆえか、再生可能エネルギーなど急伸が見込まれる環境ビジネスの分野で日本は出遅れることになります。

◆せめて再エネ、環境は…

 日本の電力の再エネ比率は英、独、伊などの半分ほどですし、関係サイトを見ると、太陽光発電パネルの世界シェア上位には中国企業がずらり、風力発電タービンもデンマーク、中国などの企業が上位を占め、日本企業の影は薄い。

 菅政権になって、やっと「2050年、温室効果ガス排出実質ゼロ」を打ち出しました。菅首相は「世界に先駆けて」脱炭素社会を実現すると胸を張りますが、日本より先に同様の目標を定めた国は少なくとも十数カ国はあります。

 その関連で「35年、ガソリン車の新車販売ゼロ」も表明されました。これも例えば英国は17年の時点で「40年、ゼロ」を打ち出し、昨秋には「30年、ゼロ」にまで前倒ししています。

 ガソリン車に代わるのは、電気自動車(EV)など電動車。中で問題は、日本メーカーが得意なガソリン・電気併用のハイブリッド車(HV)です。インフラ不要の環境車ですが、英国が「35年、HVもゼロ」を宣言。やがて世界標準になっていく可能性もあります。世界に冠たる日本勢もことEVに関しては現状では分が悪い。米、独、韓、中などのメーカーが世界市場の上位を占めています。

 種々の「遅れ」のすべてが政治のせいではないでしょう。が、やはり責任は大きい。先を見て技術革新の種をまき、芽を育て、産業を未来に適合させていく−。わが国の政治がもしそうできていたら、いくつかの重要分野で、あたら他国の後塵(こうじん)を拝するようなことにはならなかったでしょう。

 何もかもとは言いません。せめて、この国で起きたあの原発事故を重い教訓として受け止めていたら…。せめて温暖化防止に向けた初の世界的合意「京都議定書」やHVを世界に送り出した国が温暖化危機をもっと切実にとらえていたら…。原発や石炭火力を早めに見切り、それこそ「世界に先駆けて」再エネや脱炭素技術の研究開発に投資や人材を集中させることもできたでしょう。

 無論、わが国は今も主要先進国の一つで世界をリードしている分野も少なくはない。しかし、どっかりあぐらをかいていていいほど安泰でないのも確かです。挽回には冷静な自己評価も肝要です。

◆「過去」を守る姿勢

 日本のデジタル分野での遅れに関し、デジタル技術への投資を、新事業創造などに向けた「攻め」でなく、合理化の手段のように従来システムを補整する「守り」の投資ととらえる傾向を指摘する声もあります。過去のものとなりつつある石炭や原子力の「守り」にこだわり、再エネなど未来を開く「攻め」の投資への転換が遅れた経緯に重なる気がします。ここは寺山修司の詩句を借りるとしましょう。ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない−。





週のはじめに考える 鬼哭の聞こえぬ社会に(2021年1月24日配信『東京新聞』ー「社説」)

 アニメ映画「鬼滅(きめつ)の刃(やいば)」の人気が衰えません。鬼という日本古来の空想の産物を取り上げていることも、琴線に触れているのではないでしょうか。鬼はひどい仕打ちに遭い暗い情念を抱いた人間が姿を変えたもの、との見方もあります。コロナ禍により広がる苦境で、鬼たちを生みかねない要因が増えはしないか、心配です。

 鬼は「今昔物語」はじめ古典、「桃太郎」などのおとぎ話、来月の節分などの行事等で、広く親しまれてきました。西洋の悪霊や悪魔などに比べ、鬼は土着で人間に身近なイメージがあります。

◆菅原道真の怨霊


 歌人である馬場あき子氏は著書「鬼の研究」(ちくま文庫)で鬼の系譜を神道由来、仏教由来、山伏や天狗(てんぐ)はじめ修験道由来などの五種類に分類します。

 特に、人間の生活に結び付いた鬼として、人生体験の後に自ら鬼となった者や、怨恨(えんこん)、憤怒、雪辱などをエネルギーとして、復讐(ふくしゅう)を遂げるために、鬼となることを選んだ者たちを挙げます。

 人間が鬼に転化した例をたどってみます。

 受験シーズンたけなわです。受験生らが頼みとするのが学問の神様、天神様こと菅原道真です。しかし、道真は最初から神だったわけではありません。

 道真は平安前期の貴族。代々学者の家系でしたが、官僚の道へと進み、政権大幹部の右大臣にまで上り詰めますが、時の権力者、藤原氏にねたまれ中傷されて、大宰府(福岡県)に左遷され、失意のうちに亡くなります。

 没後、長年にわたり都を豪雨や雷が襲い、皇室や藤原氏では急死が相次ぎました。道真の怨霊とされ、道真は鬼の一種というべき雷神になったと恐れられました。

 鎮めるため天皇は道真に太政大臣の位を贈り、名誉を回復しました。道真の死後、90年たっていました。

◆憤怒と怨みを温床に

 馬場氏は、日本人離れした「長大、かつ、強烈な憤怒と怨(うら)み」と驚きをもって表現します。貧しく苦しんでいた民衆の道真に対して抱いていた同情が、藤原氏専制に対する憤りに転化したゆえの伝説だった、と指摘します。

 鬼は日本古来である一方で、鬼を生む温床であるとされる「憤怒と怨み」は、人間に普遍的なものです。

 馬場氏は、チェコの作家カフカの小説「変身」も、鬼の物語だと見立てます。主人公グレゴール・ザムザは家族のため仕事に追われた末、毒虫に変わり果てます。異形の姿になって初めて、失っていた自己を取り戻し、その強烈な自己主張のため人間社会に存在を許されなくなったことは、鬼に通じるものがあるというのです。

 「鬼滅の刃」にも、悲惨な人間の前世を持つ鬼たちが数多く登場します。ある少年は父親の薬代のため盗みを重ね何度も処罰されますが、恩人に救われ、その娘と婚約します。しかし、父娘とも惨殺され、鬼になります。

 鬼は人に害をなしますが、鬼以上に憎むべきは、人を鬼化へと追い込む社会です。

 鬼たちが跋扈(ばっこ)していた古典の世界は遠い昔になりました。しかし、今の日本でも、鬼を育むという「憤怒と怨み」は、藤原氏専制を思わせるような一強政治や、社会保障を切り詰め自助を強調する新自由主義などの弊害で、くすぶり続けています。そして、コロナ禍が追い打ちをかけます。特に、弱い立場の人たちを直撃しています。

 野村総研の推計によると、仕事が半分以下に減り、休業手当も支払われない「実質的失業者」のパート・アルバイト女性は90万人に上ります。その6割以上が「この先生きていくのが難しい」と感じることが増えたといいます。孤立して、行政の支援も届きにくくなっています。

 「鬼滅の刃」で、苦境にもくじけず、仲間を信頼して鬼と対峙(たいじ)するのが鬼殺(きさつ)隊の剣士らです。

◆弱き人を助ける責務

 最高位の「柱」の一人、煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)は、「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」との母親の言葉を信念に、人々を守ります。

 国会答弁で「鬼滅の刃」のせりふ「全集中」を引用した菅義偉首相ですが、杏寿郎の信念をこそ肝に銘じ、細やかな目配りで手を差し伸べるべきではないか。

 感染にピリピリするあまり差別や中傷も目立つなど、社会から寛容さも失われつつあるようです。ここにも鬼の萌芽があります。自戒しなければなりません。

 鬼は泣くともいわれます。

 「鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう)」−鬼の泣き声がしくしくと聞こえる凄惨(せいさん)なさまを、中国・唐代の詩人、杜甫はこう表現しました。コロナ禍で、鬼哭がこだまするような社会にしてはなりません。



週のはじめに考える 震災復興は人の心から(2021年1月17日配信『東京新聞』-「社説」)

 揺れは何の予告もなく、いきなりやってきます。ドーンという衝撃音とともに、周囲のあらゆるものが倒れ、壊れ、飛び散ります。木造家屋はぺちゃんこになり、鉄筋コンクリートの建物も崩壊を免れません。高架鉄道も高速道路橋も破断します。

 それが都市直下型地震です。1995年1月17日早朝、阪神間や淡路島一帯を襲ったマグニチュード7・3の地震は、6400人の命を奪いました。死因の多くは建物の下敷きになる圧死でした。

◆回復する力を引き出す

 実際に被災した人は「この世の地獄を体験した」と言います。いきなり家族を亡くし、住みかと財産を失います。身体の傷が癒えた後も、外からは見えない心の傷に苦しむことがあります。

 災害後に「心のケア」という言葉が用いられたのは、阪神大震災が初めてだといいます。以後、いくつかの大災害を経て、被災者の心理状況の移り変わりが、おおよそわかってきました。

 最初に起きるのは、悲惨な光景の目撃や恐怖がもたらす「急性ストレス反応」です。地震直後の記憶が突然よみがえったりします。

 1カ月を超えて長引く場合は「心的外傷後ストレス障害」(PTSD)とされ、専門医の出番となります。多くの災害で、被災者の1割前後に、PTSDの症状が現れます。

 いったん回復に向かって積極的な気持ちになっても、やがて無力感や疲れにさいなまれる時期がきます。被災者の間に格差が生まれ、取り残されたような気分になる人もいます。アルコール依存や集中力の欠如、社会への不適応といった問題が起きてきます。

 心の傷を根本から治す薬は存在しません。結局は、それぞれの人に備わった「回復する力」によって、立ち直るしかありません。それをいかに引き出していくかが、周囲の人たちの役割になります。

◆マニュアルにない要素

 世界保健機関は、「心のケア」のマニュアルを作り、援助する側の立場から「すべきこと」「してはいけないこと」をまとめています。基本的な原則としては、役に立ちそうです。ただし、マニュアル化された「心のケア」で、それぞれ事情の異なる個人に対応できるわけがありません。マニュアルや統計的な数字に表しにくい要素にも注目したいと思います。

 たとえば、辛(つら)く苦しい被災生活で、小さなできごとが、心に灯をともすことがあります。阪神大震災の被災者の記録を読むと「風呂屋で一緒に入った人がシャンプーを貸してくれた」「親戚が手紙をくれた」。そんな体験がうれしい記憶として残っています。ちょっとした善意が、理不尽な不幸に遭った人には、強い励ましになるのです。「人生捨てたものでもない」と思えてきます。

 また家族や近所のつながりが大事であることを痛感します。近隣のコミュニティーは、災害直後の救助や、物資の融通などで重要な役割を果たします。心の面でも、損得抜きでつながる連帯感は、大きな支えになります。

 阪神大震災では、精神科の医師から「医師より看護師や保健師が歓迎され、役に立った」との述懐があります。地域や個々人のことをよく知り、対人スキルに優れた人がケアに携わるのが理想です。

 音楽が救いになることもあります。2004年のスマトラ沖地震とそれに伴う大津波では、五輪真弓さんのポップス「心の友」が、インドネシア復興の助けになったそうです。日本ではさほど知られていないのに、インドネシアの人々に響き、日本語歌詞のまま、知らぬ者がいないほど愛唱されるようになりました。

 日本政府(内閣府)や各都道府県も、心のケアのマニュアルを作っています。具体例が記され、参考になる点はあります。一方、指揮命令系統や職務分掌についての記述が目立ち、被災者を役所のカタにはめて取り扱おうとする印象を受けます。権限争いや責任のなすりつけ合いの様子が目に見えるようです。

 東日本大震災では、ケアの「押し付け」や、研究目的でしかないケアもみられたようです。こうした試みは、悪意がなくても、心の傷を大きくしかねないことに気を付けなくてはなりません。

◆日常を取りもどすには

 阪神大震災の後、印象的だったのは、神戸の百貨店が1カ月あまりの休業を経て、再開にこぎつけたときの雰囲気です。街に以前の華やかさがもどり、店の人も客も実にうれしそうでした。「街を歩いたり買い物するのがこんなに楽しいとは」と話す人もいました。

 復興の目標は、こうした日常を取りもどすことでしょう。それは一人一人の前向きな気持ちがあって、初めて進みます。心の重要性を再認識し、真に役立つケアを求めて前進したいものです。





再び頭を上げるために(2021年1月10日配信『東京新聞』-「社説」)

 東日本大震災が発生した年、アラブの地では堅牢(けんろう)不落とみられていた独裁政権が民衆のデモで次々と倒されました。その「アラブの春」から十年がたちます。
 発端は北アフリカのチュニジアで、露天商の青年が警官から屈辱的な仕打ちを受け、抗議の焼身自殺を遂げたことです。警察への反発が政権打倒の波となり、その波はアラブ全域に広がりました。
 チュニジア、エジプト、イエメン、リビアで独裁政権が倒されました。ニューヨークのウォール街やマドリードの広場でも触発された人びとが路上を占拠し、政府や富裕層らに異議を訴えました。

◆長続きしなかった歓喜

 しかし、歓喜は続きませんでした。軍が権力を奪還したエジプトはより厳しい警察国家に変容します。リビアとイエメンに加え、民主化が叫ばれたシリアもいまだ泥沼の内戦にあえいでいます。成功例とされるチュニジアですら経済的な苦境に陥っています。
 何が足りなかったのか。なぜ、歓喜は暗転してしまったのか。

 「春」を革命とみなすか否かについては議論があります。ただ、現地の人びとは革命と呼んでいます。「命を革(あらた)める」という意味ならば、それはうなずけます。

 「頭を上げろ、君はエジプト人だ」。解放区となったカイロのタハリール広場で叫ばれたスローガンです。「パンよりも尊厳」。横断幕にはそう記されていました。

 たしかに広場の人びとは生まれ変わったかのようでした。そこでは盗難一つなく、誰もが進んで掃除をしていました。女性たちも座り込み、イスラム教徒とキリスト教徒が肩を組んでいました。従来のエジプト社会では想像できない光景が広がりました。

 広場の運営は合議制でした。特定の指導部、戦略、将来の青写真もありませんでした。歴史上、革命党派が権力を握るや、独裁政権に化けた例は少なくありません。

◆広場外に生活者の不安

 だから、この直接民主主義的な試みは世界を引きつけました。広場の青年たちは「将来、おかしな政権ができれば、再びデモをするだけだ」と言い放ちました。

 青写真の不在は解放感を引き立てます。でも、広場の外の生活者たちは不安げでした。周辺の路上では最貧層の人びとが普段通りに野菜を売り、国土の大半を占める農村でも革命は人ごとでした。

 独裁政権は倒れ、その後の総選挙では唯一、全国規模の組織網を持っていたイスラム主義のムスリム同胞団が勝ち、政権を担いました。しかし、同胞団は公約を無視したイスラム化政策を進めます。不満を抱いた青年たちは軍とともに同胞団政権を倒します。でも軍は権力を握るや、小うるさい青年たちを強権で排除しました。

 リビアやシリアなどでは、青年たちの異議申し立てを反政府武装集団や外国勢力が横取りし、内戦へ転げ落ちていきました。

 「春」の余波は続いています。スーダンやアルジェリアでも独裁政権が倒されました。イラクやレバノンではいまも宗派を超えた青年たちが腐敗した政府や支配層に対し、抗議を続けています。

 それでも次の一幕が開けない。新たな社会が生まれません。青写真の欠如が裏目に出ます。

◆青写真描く度量必要に


 新たな倫理の創造は画期的でした。でも、生活者らの賛同を得るためには具体的な未来図も必要だったはずです。政策が問われる以上、妥協も必要になるし、格好悪く映るかもしれません。間違いもあるでしょう。間違えれば、謝罪して直す。革命に参画した人びとには、そうした度量が足りなかったように思えてなりません。

 革命の真価はその後の社会建設の段階で問われます。そこでは人びとの忍耐力が欠かせません。

 アラブだけではありません。いま、将来への不安や自らを時代の被害者と見なす閉塞(へいそく)感が世界を覆っています。こうした感情は単純で強引な打開策を求めがちです。米国のトランプ政権や欧州などの極右勢力の支持者たちもその点では変わりません。日本もまた例外とはいえないでしょう。

 しかし、救世主や安易な解決策を待望する心性は民衆の主権意識を衰退させます。自分たちが社会の主人公になること。理想を言葉で終わらせないこと。それを求めようとするなら、人びとは自らも改革の試行錯誤を引き受ける覚悟を背負わねばなりません。

 いま、「春」という祝祭を重苦しい沈黙が覆っています。しかし「春」が無意味だったとは思えません。何より人びとは自らの力で堅牢な壁を壊し、見たことのなかった風景を垣間見たのですから。自らの力を確信したのです。
 革命の次章がいつ開かれるかは誰にも分かりません。しかし、今日もアラブの各地では圧政にあらがうデモが続いています。



 もやもや感が消えない(2020年11月8日配信『東京新聞』-「社説」)

 「私が目指す社会像は、『自助・共助・公助』そして『絆』です。自分でできることは、まず、自分でやってみる。そして、家族、地域で助け合う。その上で、政府がセーフティーネットでお守りする」

 菅義偉首相が国会での所信表明演説の中でこう述べました。

 この意思表明にもやもや感が消えません。それはなぜなのか、社会保障の視点で考えてみます。
 自助・共助・公助のいわゆる「三助」は自民党の考え方でもあります。

◆自助と共助と公助と

 「個人の創意と責任を重んじ、これに総合計画性を付与して生産を増強するとともに、社会保障政策を強力に実施し、完全雇用と福祉国家の実現をはかる」

 1955年の立党宣言などにこうあります。個人や民間の活動を軸に政府も役割を担うという意味でしょうか。

 2010年に立党55年を迎えて策定した新綱領は明確です。

 「自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する」

 「三助」は社会の支え合いの考え方で、これ自体は理解できます。しかし、首相の発言に「自助ばかり求めるものだ」との批判が出ています。

 なぜか。その理由は社会状況の変化です。高度成長期は人口も経済力も右肩上がりでした。賃金は上がり、共助は主に企業の福利厚生が担いました。

 今は違います。賃金は上がらず、雇用が不安定で低賃金の非正規雇用が増えました。企業にも余裕はありません。子どもたちの7人に1人が貧困状態です。地域のつながりも途切れ、格差が社会の分断を深刻化させています。

 そこにコロナ禍が襲いました。仕事を失う人が増え自助の基盤である雇用がやせ細っています。全日本民主医療機関連合会には、生活に困窮し医療を受けられない人から相談が寄せられています。

◆鬼にも「共感する心」

 連動するかのように自殺者は増加傾向です。対策に取り組む「いのち支える自殺対策推進センター」によると女性が目立ち、特に8月は女子高校生が増えました。

 追い詰められた人が「まず自助」と言われても困惑するのみです。

 首相には眼前に広がる人々の苦境が見えているのだろうか。その疑問にもやもやします。

 映画も公開された漫画「鬼滅(きめつ)の刃(やいば)」が人気です。その理由をこう考えられないでしょうか。

 作品は鬼に家族を殺され、生き残ったものの鬼に変えられてしまった妹を人間に戻すために鬼たちと戦う主人公の姿を描いています。物語の最初にこんな場面があります。

 山中で鬼と戦う剣士に妹を見つけられ殺されそうになります。なすすべがなく命乞いをする主人公に剣士が言い放ちます。「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」

 鬼はこちらの事情を察してくれるわけではない。その脅威は不条理そのものです。自身が強くなって妹を守るしかない、そう叱咤(しった)したのです。

 厳しい自助の求めですが、前向きに生きる姿に憧れます。

 でも、周囲に視線を移してみると、多くの人は無力です。コロナ禍が現代の鬼だとすれば自助で乗り切れる人ばかりではないことは同じ。支え合いが必要です。

 主人公も助け合う家族や仲間をとても大切にします。しかも、元は人間で不遇な過去を持つ鬼たちの生きづらさにも寄り添おうとします。痛みを自分事のように感じてつながろうとする姿に思わず心が熱くなります。

 ファンは現実では自助の困難さ、共助の大切さを痛感しているからこそ、主人公の「共感する心」を支持している気がします。
 話を戻します。

 「三助」について、首相の説明に見当たらないのはそのバランスです。共助には地域のつながりやNPO活動などに加え、保険料を出し合って生活を守る年金、医療、介護、失業給付などの社会保障制度も含まれます。そこから漏れる人を税で支える生活保護や各種の福祉制度が公助です。

 あくまで共助、公助は補完的な役割にすぎず中心は自助なのか、あるいは共助と公助が連携して生活を守ることで自助が可能となる社会にするのか。社会保障制度の将来像が見えないことも、もやもやを増幅させています。

◆総合的、俯瞰的な姿を


 さらに、首相は「三助」を目指す社会像と言いますが、これらは目的ではなく手段ではないでしょうか。こうした支え合いを通してどんな社会を目指すのか、その姿を示していません。ここが最大のもやもやです。

 首相にはコロナ後も見据えた社会像こそ「総合的、俯瞰(ふかん)的」に語ってもらいたい。そう思います。




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