FC2ブログ

記事一覧

<代替わり考 再利用>((2020年11月10・11日配信『東京新聞』)

<代替わり考 再利用>(中)お供えの農林水産物、儀式後に4割が障害者施設に提供

キャプチャ
宮内庁に集められた庭積机代物=昨年11月、同庁で

 昨年11月の最重要祭祀さいし「大嘗祭」の供え物「庭積机代物(にわづみのつくえしろもの)」と祝宴会場の展示物「献物(けんもつ)」は、全国の優秀な生産者が手がけた農林水産物だ。調達費は計430万円。宮内庁の情報開示資料に基づく本紙の試算では、儀式後に4割の170万円相当が障害者施設で再利用され、260万円相当は地中に処分された。

◆大正天皇の大嘗祭から全国の特産品に拡大

 皇室の歴史文化に詳しい京都産業大名誉教授の所功さんによると、庭積机代物は明治天皇の大嘗祭のとき、儀式で使う米粟べいぞくの収穫地とされる悠紀(ゆき)地方(甲府市)と主基(すき)地方(千葉県鴨川市)から献上されたのが最初だ。大正天皇の大嘗祭から全国の特産品に対象が拡大され、「大嘗祭の国民的奉賛行事としての性格を強めた」とされる。

 儀式に使う神饌(しんせん)(供物)には、天皇が祈りを込めて神々をもてなす饗応(きょうおう)神饌と、お披露目が目的の供覧(きょうらん)神饌があり、庭積机代物は後者に当たる。饗応神饌は儀式後、皇室とゆかり深い京都市の賀茂別雷(かもわけいかづち)神社や、さいたま市大宮区の氷川神社の境内などで、地中に埋めて自然に返す「埋納(まいのう)」が行われてきた。

 一方、供覧神饌は祭祀で神々に披露した後、他の儀式や調理に利用される例もある。だが前回の平成の大嘗祭では、饗応神饌だけでなく、大量の庭積机代物も埋納された。当時は戦後初の大嘗祭への国費支出に対して憲法の政教分離原則の観点から批判の声があり、宮内庁の判断に影響した可能性が否定できない。

◆前回は「よく検討しておらず、儀式後に埋納」

 前回を知る関係者は「儀式後の扱いをよく検討しておらず、さてどうするとなった。国費で買った物を流用したり、譲ったりすると問題となりかねず、埋納することになった」と振り返る。大嘗祭に反対する過激派の神社放火事件も相次いだため、立ち入りが規制される皇居内の宮中三殿近くに埋納したという。

キャプチャ2
明治天皇の大嘗祭で使われた神饌(しんせん)の埋納地であることを示す氷川神社の記念碑=さいたま市大宮区で

 近年は治安情勢が落ち着く一方、食品の大量廃棄問題から食品リサイクル法が成立し、大嘗祭の1月前の昨年10月には食品ロス削減推進法も施行された。宮内庁は当初、前例に倣って全部を埋納する方針だったが、本紙が時代の流れにそぐわないと指摘した後、庭積机代物と献物から利用可能な39品目を選び、埼玉県所沢市の国立障害者リハビリテーションセンターに提供した。

 所さんは「全国より真心を込めて献進された食物なのだから、有効に活用するべきだ」と話す。皇室祭祀に携わった宮内庁OBも「自然の恵みである庭積机代物を必要な人のために役立てることは、神の意向にかなうし、天皇、皇后両陛下のお気持ちにも沿うのではないか」と語った。

 庭積机代物(にわづみのつくえしろもの) 全国から供納される農林水産物で、大嘗宮の主要祭場の悠紀殿と主基殿の南庭に設けた庭積帳殿(ちょうでん)の机上に三方に載せて並べられる。東京で初開催となった明治天皇の大嘗祭で2地方から献上されたのが最初で、大正天皇の大嘗祭で全国に拡大された背景には農林水産業の奨励の狙いもあったとされる。昨年の大嘗祭では延べ約300品目が集まり、宮内庁が生産者に国費から対価を支払った。



<代替わり考 再利用>(上)まるで平安絵巻…天皇装束などに2億円 一部再利用で経費削減も、残る課題(2020年11月10日配信『東京新聞』)

 令和の代替わり儀式は皇室の伝統を尊重しつつ、経費節減と環境保全という社会的な要請から、儀式用の資機材や物資の「再利用」をいかに図るかが課題とされた。宮内庁への情報公開請求で開示された資料などから、対策の意義と効果を読み解く。(編集委員・阿部博行)

キャプチャ
写真は宮内庁提供

◆「立皇嗣の礼」 宮中装束全体で4憶3000万円

 天皇陛下の一連の即位関連儀式で使われた主な宮中装束の調達費は、全体で4億3000万円。儀式の中心となる天皇、皇后両陛下と皇位継承順位一位の皇嗣秋篠宮さま、同妃紀子さまの装束製作費が2億1000万円と5割を占めた。宮内庁の開示資料で分かった。

 陛下が着用した御束帯(ごそくたい)黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)と秋篠宮さまの束帯黄丹袍)(おうにのほうは)、ともに上着(袍)の色が天皇と皇太子にしか着用を許されない禁色(きんじき)とされる。皇后さまと紀子さまの五衣(いつつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)・裳(も)(通称・十二単(じゅうにひとえ))などは華麗な平安絵巻を思わせた。宮内庁は4人の装束計十七具(セット)の製作を「美術品」の扱いで専門業者「髙田装束株式会社」(東京都中央区)に依頼した。

 同社は大正・昭和・平成の代替わり儀式でも主要装束を担当した。付属する髙田装束研究所の髙田明男所長は一連の儀式後、初めて本紙の取材に応じ、宮中装束の魅力と製作の難しさを語った。

◆皇后さまらの装束、デザインを刷新

 「黄櫨染(こうろぜん)や黄丹(おうに)は太陽光と電気の照明で、さらには照らし方によっても色や光沢が違って表れる。絹でも織り方が異なる生地を染めた場合や絹以外の生地を使った場合でも同様だ。皇后陛下と皇嗣妃殿下の装束はご意向に従って新しくデザインし配色も検討した。有職(ゆうそく)(礼式)にのっとって美しく品のあるものを考案しなければならず、責任重大だった」

 黄櫨染は櫨はぜの樹皮を乾燥して煎じて、マメ科の木で赤色染色に用いられる蘇芳(すおう)を加え、石灰を使って色を定着させる方法だ。室町時代に染色法が途絶え、髙田所長の祖父で宮中装束製作者の故義男さんが大正から昭和にかけて試行を繰り返し、復活させた。平安時代から1000年以上も同じような形で伝わる宮中装束は、皇室文化の「至宝」とされる。髙田所長は「人々に感動していただける装束を製作することも心がけて励んでいる」と自負する。

◆29年ぶり装束作り、課題は後継者不足

 宮内庁は、ほかの女性皇族らには基本的に29年前の代替わり儀式で使った装束を修繕するなどして再利用してもらった。これにより陛下と全皇族分の装束調達費は、当初試算より約2億円少ない2億4000万円に抑えられた。職員と雅楽奏者らの装束も数量で8割の再利用を目指し、大きな節減効果があったという。

 一方で製作現場には、製作機会の減少と後継者不足という厳しい現状がある。髙田所長は「宮中装束をお作りする機会は前回の儀式から数十年ぶりということも珍しくない。技術者の世代交代も進み、製作は熟練した手仕事のため、多くの時間がかかる」と話す。伝統技術の継承のため「継続的な仕事と後継者の育成」を課題に挙げた。

 天皇装束とは 平安初期の弘仁11(820)年、嵯峨天皇の服装に関する詔で(1)即位式と正月の朝賀に中国皇帝と同じ「袞冕十二章(こんべんじゅうにしょう)」(2)諸儀式や外国使節謁見(えっけん)に「御束帯(ごそくたい)黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」(3)重要祭祀さいしに白装束「帛衣(はくえ)」を着用するとした。明治天皇の即位の礼から袞冕十二章を廃止し、純和風の黄櫨染御袍を使用。束帯とは、被かぶり物や肌着、下着、上着、履物など一式そろった状態で、その名の通りベルトに当たる「石帯(せきたい)」で衣服全体を「束ね」て整える。




スポンサーサイト



プロフィール

gogotamu2019

Author:gogotamu2019
障害福祉・政治・平和問題の最新ニュース・論説紹介

最新記事

カテゴリ