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(論)ブラック校則(2020年11月14日・2021年2月17・18・20・21・23日・3月4・17日・4月2・8(論)ブラック校則(2020年11月14日・2021年2月17・18・20・21・23日・3月4・17日・4月2・8・14・20日)

ブラック校則の見直し 子どもの人権守る視点で(2021年4月20日配信『毎日新聞』-「社説」)

 学校における理不尽なルール「ブラック校則」を見直す動きが出ている。

 佐賀県では県教育委員会が主導した。県立学校で、下着の色を白に限ったり、髪が茶色やくせ毛の子どもに「地毛申請」をさせたりする規定が廃止された。

 熊本市教委は見直し指針を策定した。性の多様性を尊重するため、男女別の制服を押し付ける規定を改めるように全ての市立学校に求めた。

 大阪府での頭髪に関する校則の裁判をきっかけに、問題への関心が高まった。LGBTなど性的少数者が自分らしく生きられる社会にしていくべきだという世論も後押ししている。

 頭髪や服装に関して細かく規則が定められたのは、「荒れる学校」が社会問題化した1980年代だ。「風紀を乱さないため」というのが主な理由だった。

 その後、行き過ぎた管理教育への批判が強まり、各地で校則が緩和された時期もあった。だが、ブラック校則は今なお残っている。

 子どもは未熟な存在であり、厳しい規則が必要だという考え方が根底にある。校則の根拠を明確に示した法令はないが、過去の判例では、校長の裁量権が広く認められてきた。

 弁護士会や市民団体の調査では、「校則違反の下着は脱がせる」とルール化している学校もある。明らかなセクハラだ。健康への悪影響が懸念される「日焼け止めの使用禁止」という規定もある。

 文部科学省によると、「学校の決まりなどをめぐる問題」が理由で不登校になった児童生徒は、2019年度に5500人を超えている。

 先月には、各地の教員や学者ら有志が約1万9000筆の署名を添えて、理不尽な校則の廃止を訴える要望書を文科相に提出した。

 日本が批准している国連子どもの権利条約は、子どもを「権利の主体」と位置づけ、意見を表明する権利を認めている。

 熊本市の指針は、校則の見直し作業に教員だけでなく、子どもや保護者も加えるよう求めている。

 子どもの人権は尊重されなければならない。学校のルールづくりに主体的に関わる取り組みを全国に広げる必要がある。





なぜ(2021年4月14日配信『南日本新聞』-「南風録」)

 昭和のテレビアニメ「一休さん」に登場する「どちて坊や」は、愛らしいのに煙たがられる。次々に疑問が湧き起こり、「どちて(どうして)?」を連発して周りの人を困らせるからだ。

 子どもの質問に悩まされるのは珍しくない。校則問題を取り上げた先月の本紙オセモコ面にもあった。「ランドセルは何色でも良いのに、ヘアゴムの色はなぜ決まっているの」。確かになぜ、である。

 学校という集団行動の場でルールが必要なことは理解できる。それでも校則への疑問の声が上がるのは、非行防止といった名目で、理不尽に感じるものがあったからだろう。

 細かすぎる、厳しすぎるといった指摘を踏まえ、校則は全国的に見直されつつある。鹿児島市内の公立小中学校では、「下着は白色限定」の決まりが姿を消した。南さつま市の金峰中学校は、性的少数者(LGBT)に配慮して性別を問わず制服を選べるようにした。

 県内には髪形などの規則見直しを生徒たちが話し合う学校も出てきた。教師側も対立せず、主権者教育の一環と背中を押しているという。自分の意見をルールに反映させる取り組みは責任の大きさを知る大切な学びとなろう。

 新年度が始まって2週間、進学先で納得できない決まりに気付いた子もいるかもしれない。疑問は友達や先生に話して一緒に考えてみよう。少しでも減らしたい校則の「どちて」である。





「ブラック校則」だ。およそ人権侵害のレベル(2021年4月8日配信『日本経済新聞』ー「春秋」)

 1969年秋、北海道小樽市の高校で生徒数人が制帽を焼き払う騒ぎが起きた。大学紛争が高校にも波及し、政治的な訴えと並んで服装自由化や校則見直しが叫ばれた時代である。それを象徴する衝撃的な事件だった(小林哲夫著「高校紛争 1969-1970」)。

▼若者たちのこうした反乱を経て、改革が進んだ学校は少なくない。しかし紛争に手を焼いた経験から、逆に管理教育に走るケースも目立った。のちに校内暴力が社会問題になると生徒への締めつけは厳しさを増し、いまも理不尽な決まりごとが横行している。いわゆる「ブラック校則」だ。およそ人権侵害のレベルである。

▼生まれつき黒以外の髪や、くせ毛を持つ生徒に「地毛証明」を提出させる東京都立高は昨年夏の時点で4割強にのぼった。染髪やパーマをかたくなに禁止するから、こんなルールがまかり通るわけだ。下着の色は白、という校則も珍しくない。教員がチェックに及ぶ学校もあるという。それを異常と思わぬ感覚が恐ろしい。

▼ここにきて批判が強まり、改善の動きが伝えられる。しかし、そもそも髪形も髪の色も服装も、どこまで規則で縛るべきものだろう。往年の高校紛争が残した変化のひとつは、かの制帽の廃止だった。制服とともに必須のはずだった学生帽が、いまや大半の学校から消えた。消えて久しいが、なにも不都合は生じていない。





ブラック校則 各校で開かれた対話を(2021年4月2日配信『東京新聞』-「社説」)

 下着の色を指定するなど、いわゆる「ブラック校則」を見直す機運が生まれている。人権を侵害したり、理不尽だったりする校則も依然残る。各校で生徒を交えた対話が始まることを期待したい。

 「学校に制服強制の権限があるか否かを明らかに」「人権侵害・健康を害する校則は即刻廃止と通知」。現職教員や若者団体の代表らは3月下旬、こんな要望書を約1万9千筆の署名とともに萩生田光一文部科学相に提出した。

 萩生田文科相は記者会見などで、校則や指導は各校の判断に委ねられているとした上で「下着の色までというのは、どういう根拠なのか個人的には不思議」「民主的に皆さんが話し合って変えていくことについて異論はない」と述べている。

 「ブラック校則」は、2017年に大阪府立高校の元生徒が地毛の黒染めを強要され不登校になったとして、府に損害賠償を求めて提訴したことが一つの契機となり注目された。NPO有志によるネット上での情報提供の呼びかけに「登山での水飲み禁止」など健康にかかわる校則も報告された。

 今年2月の大阪地裁判決は違法性を認めなかったが、一石が投じられたことで、校則を見直す動きも出ている。

 文科省の19年度調査で、校則など「学校の決まりなどをめぐる問題」で不登校になった児童生徒は小中高合わせて五千五百人以上に上る。この数字の意味は重い。

 下着の色の指定や検査など、子どもの人権を侵害しかねない校則の見直しを求める通知を出した教育委員会もある。校則をHPで公開する自治体も出てきている。

 新型コロナウイルスの感染防止策として洗濯しやすい私服も選択できるようにした学校もあり、制服の存在意義も見直されている。

 前時代的な校則が存続してきたことは学校の閉鎖性と無縁ではない。現行の校則が、そもそもどんな目的で存在しているのか。教育目的を達成する手段だったはずの校則が目的そのものになってしまっていないか。細かな校則を定めている学校は一度、自らを問い直してみてはどうだろう。

 その上で、それぞれの学校で生徒らも交えて、開かれた対話を始めてほしい。性的少数者(LGBT)への配慮や、教員の働き方改革など社会的な要請もある。

 生徒らが自らが通う学校のルール作りに参画することは、これからの民主主義の担い手にとって、貴重な第一歩になるはずだ。





それぞれのペースで(2021年3月24日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 「気をつけ、前にならえ。全体前に進め」―。両手両足をそろえ、隣の人と歩調を合わせて行進する。運動会でよく見られる光景だ。子どもたちが整列する姿をこれまで無頓着に眺めていた

▼日本ラグビーフットボール協会理事の谷口真由美さんは、運動会の整列を「明治時代の修練の名残で、軍隊の文化が今も体育に残っている」と指摘する。規律を重んじる教育は、学校内に行き過ぎた校則として残る

▼肌着の色は白と規定されている娘の中学校は、制服検査でブラウスのボタンを開けて肌着の色をチェックされるという。人権よりも、優先される校則とは何か、考えさせられる

▼以前に比べ、かなり校則は変わってはきている。県内でも1990年代に中学男子の丸刈りは廃止され、ここ数年は男女の区別なく制服が選べる制服選択制も広がりを見せる

▼髪の色が明るい人に地毛証明書を求めるといった、度を越える校則の見直しの議論は以前からある。多くの人が「おかしい」と思いながら残り続ける背景には、髪質は一部の生徒の問題とされ、制服検査は一時的な我慢で見過ごされてきたからだろう

▼グローバル化が進み、多様な価値観が尊重される世の中だ。規律重視によって一つの形にはめ込む教育では、創造性や自立した考えを育めない。一斉に「全体前に進め」ではなく、それぞれのペースで進む方がいい。





[ブラック校則]不合理なルール見直せ(2021年3月17日配信『沖縄タイムス』-「社説」)

 合理性に乏しい規則を強いる「ブラック校則」が近年、全国で問題になっている。

 大阪府立高校の元女子生徒が髪の黒染めを強要され、不登校になったとして損害賠償を求めた訴訟は、海外メディアでも注目された。

 県内でも、那覇市議会2020年2月定例会で、女子生徒の肌着の色指定や服装検査の問題が取り上げられ、「人権侵害とも言える行き過ぎた校則だ」と指摘された。

 肌着の色を「白」や白に近い色に限定している市立中学が多く、生徒から「ブラジャーが透けて見えやすい」と不満の声が上がっている。人前で肌着を見られたり、触られたりする服装検査も「気持ち悪い」と反発がある。

 肌着の色指定や服装検査は全国で問題になっており、見直す動きが出ている。

 長崎県教育委員会は人権侵害になりかねないとして市町村教委や学校に見直しを通知。岐阜県の県立高校はそうした校則を廃止した。

 那覇市教委も子どもの人権を侵害するような校則を見直すよう各学校に求めているがことし1月までに肌着の色指定を変更した学校はない。

 ブラック校則と目されるものには他に、黒髪や直毛でない生徒に「地毛証明書」を提出させたり、社会に定着している、耳の上や襟足を刈り上げる髪形「ツーブロック」を禁止するものがある。

 ただ「校則だから」という理由では生徒は納得しない。合理的な理由の説明とともに、時代に合った規則かどうか検証する必要がある。

■    ■

 「ブラック校則」問題は今に始まったものではない。古くて新しい問題だ。

 例えば県内では1980年代、男子生徒の丸刈り校則が社会問題になった。生徒や保護者から「人権侵害」との批判が高まり、今日ではほとんど姿を消した。

 本年度は新型コロナウイルスの影響による変化も見られる。

 文部科学省は換気に伴う寒さ対策として、防寒着着用に柔軟な対応を取るよう、全国の教育委員会に通知した。

 県内でもタイツ着用などを認める学校が増えている。一時的なものにせず、これを機に校則を見直してほしいという声が上がっている。

 LGBT(性的少数者)への理解の深まりで、制服選択制を導入する学校も急増している。

 校則は変化してきたし、これからも時代の要請に応じて変えていくべきだ。

■    ■

 学校という集団生活の場で一定のルールを守ることは必要だ。社会に出たときの訓練にもなる。

 だがそれが、管理する側の都合に合わせた理不尽なルールの強要や、子の尊厳を傷つけるものになっているなら、変えるべきだ。

 大人に一方的に決められたものでなく、生徒が主体的にルールづくりに関われば、守る意識も高まるだろう。

 校則の見直しを、生徒が自ら考え、決め、変える機会にできたらいい。

 教育行政や学校現場のトップには、そうした場づくりに挑戦してほしい。





校則裁判(2021年3月4日配信『福井新聞』-「論説」)
「在り方」を考える契機に

 大阪府立高の元女子生徒が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らに強要され不登校になったとして府に慰謝料を求めた訴訟で、大阪地裁は「教員らの頭髪指導は違法ではなく、黒染めを強要したとは評価できない」との判断を示した。

 この訴訟は、不合理な「ブラック校則」が社会問題化するきっかけとなっただけに注目された。生徒側に厳しい判決となったが、どんな校則も認められるとしたわけではない。むしろ生徒のためにはどんな校則が望ましいのか、生徒とともに校則の在り方を考えるきっかけとしたい。

 裁判で、元生徒は生まれつき髪が茶色だと主張したのに対し、教員らは生来の髪は黒色で茶色に染めた髪を元に戻すよう指導したと指摘。裁判長は元生徒の地毛が茶色かどうかの判断は示さず、教育的指導の裁量の範囲を逸脱した違法性はなかったとした。同校の校則についても「正当な教育目的であり、社会通念に照らし合理的」と判断した。

 その一方、元生徒が進級したのに席を教室に置かなかったり、生徒名簿に掲載しなかったりしたことを違法として、33万円の賠償を命じた。

 今回の訴訟を機に、人権感覚とずれた校則の見直しを求める声が全国で上がった。大阪府教委は2017年、全府立高に校則の点検を指示し、18年に4割以上で校則や内規を見直した。4年前には国会でも取り上げられ「外国人留学生のみならず国際結婚の増加で日本人でも髪の色や肌の色が多様な生徒が増加し、身体的な特徴を変えさせる校則は時代錯誤」との指摘もあった。

 だが、今も頭髪をはじめ学校の細かな決まりは多い。東京都立高の約4割で、生まれつきの髪の色などを証明させる「地毛証明書」を提出させていた。都教委は「事実誤認による頭髪の指導を防ぐためで、任意」と説明しているが、事実上の強制との受け止め方もあるようだ。こうした証明書が生徒たちを精神的に追い詰めることがないのか、疑問が残る。

 都内の公立中では校長のリーダーシップで議論を重ね、校則をなくした学校がある。千代田区立麹町中では頭髪や服装のルールづくりはPTAに権限を移譲し、頭髪や服装の指導は一切しない。制服などの在り方については生徒会もPTAに協力して主体的に検討した。いずれの学校でも特に問題は起きず、生徒が自分たちのことは自分たちで考えるようになったという。

 社会が多様化する中で「みんな違っていい。しかし、同時に、誰もが大切にされるべきだ。この両立を考えることが重要」と、校則を見直した麹町中校長(当時)は著書で語っている。





髪染め強要判決 不条理校則見直す契機に(2021年2月23日配信『山陽新聞』-「社説」)

 社会の変化に合わない不条理な校則や生徒指導を見直す契機としたい。

 生来の茶色っぽい髪を黒く染めるよう教員らに強要され不登校になったとして、大阪府立高校の元女子生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決が大阪地裁であった。判決は元生徒の訴えを一部認めたが、髪の染色などを禁じる校則と学校の頭髪指導に違法性はないと判断した。

 校則は社会通念に照らして合理的とみられる範囲内で各学校長が制定する。裁判では校則が合法か、指導は適切だったか、元生徒が不登校となった後の対応は妥当だったかの3点で争われた。

 訴状などによると元生徒は生まれつき髪の色素が薄く、教員らの指導で髪を黒く染めたものの「不十分」だとして執拗(しつよう)に染髪を迫られたという。頭皮の痛みや精神的苦痛で2年生の2016年秋から登校できなくなり、翌年に提訴した。学校側は元生徒の髪は元来黒色だとの認識に基づいて指導したと主張した。

 判決は校則や指導は「学校教育の裁量の範囲を逸脱したとは認められない」と指摘。元生徒の地毛の色の判断は示さず、髪色に多様性を認めるべきかどうかに踏み込まなかった。校則を巡る学校側の裁量権を幅広く認めてきた過去の司法判断を踏襲した形と言えよう。元生徒側は控訴を検討するとしている。

 一方、元生徒が進級したのに教室に席を置かなかったりクラス名簿に氏名を載せなかったりしたことは「教育環境を整えるべき義務」を怠っていると批判した。集団生活に一定の決まりは欠かせない。だが指導によって元生徒は不登校となり、学習機会を奪われている。もっと寄り添った対応をすべきだった。

 今回の訴訟は各地で校則のあり方を議論する発端となった。市民団体や弁護士会が調査に乗りだし、下着の色を指定するといった行動を過度に縛る校則や、生徒会で校則について議論することを止められたケースなど理不尽な指導が広がっている実態が次々と明らかになっている。

 見直しの動きも本格化している。大阪府教委が提訴後に全府立高で実施した頭髪指導調査では、82%が染色や脱色を禁じていたが、一部の学校では地毛の色に戻すまで登校させないなどの行き過ぎた指導を廃止。全校が校則をホームページに掲載し、透明性を高めた。

 近年は外国にルーツを持つ子どものほか、さまざまな身体的特徴や文化的背景の人が学校にも増えている。多様性の尊重が進む中で、染髪禁止といった校則が児童生徒の成長に資するものになっているか議論を深めたい。

 まずはルールそのものが何を意図しているのかを学校側が丁寧に説明し、対話することが重要だ。校則が時代や地域に合っているか、子どもたちや保護者を含め、常に見直していく必要がある。



校則見直し 欠かせない子どもの視点(2021年2月23日配信『熊本日日新聞』-「社説」)

 子どもの人権を損ねる理不尽な校則を見直そうという動きが全国の学校などで広がっている。児童生徒の学校生活を制約する校則とは、いったい誰のための、何を目的としたルールなのか、社会全体で検証する好機としたい。

 大阪府立高の元女子生徒が、学校から髪を黒く染めるよう強要されたとして損害賠償を求めた訴訟。大阪地裁は判決で、校則は「正当な教育目的で、社会通念に照らし合理的」とし、校則と頭髪指導の違法性を認めなかった。

 この判決に対し、識者らは「時代錯誤で残念」「人権感覚がずれている」などと批判した。一方で、学校生活の中で一定の制約を設けることは教育上認められ、我慢や禁欲、自制についての指導も必要との指摘もあった。

 文部科学省によると、校則に明確な法的根拠はない。内容が理にかなっていれば、校長の裁量で制定できるとされる。ただ、実際には、子どもたちの意見が反映されず、学校側のお仕着せになっているケースが多いのではないか。

 校則は、学校という閉鎖的な疑似社会における“法律”だ。個人の多様性や自主性の尊重と、集団生活を維持する上で必要な私権の制約との間で、合理的、論理的なバランスが保たれた内容でなければなるまい。

 ある専門家は、理不尽な校則が容認されている原因の一つに「学校依存社会」を挙げる。確かに、地域や保護者が学校に対して、学習面だけでなく、生活上のしつけや社会的なマナーの指導まで期待してきた側面は否めない。

 だが、生来の茶髪を黒く染めさせたり、下着の色まで指定するような規則は人権侵害にほかならない。こうした校則は直ちに見直すべきであり、見直す際は、子どもを中心に学校や保護者、地域が一体となって知恵を絞るべきだ。

 福岡や佐賀の弁護士会は校則を検証し、「下着は白」など不合理な校則や生徒指導の見直しを提言した。名古屋市ではすべての市立中で、生徒手帳の内容の見直しが始まったという。

 熊本市教育委員会は市立小中学校の校則について、「人権や社会通念に照らして見直す」との方針を示した。見直しのガイドラインを策定する際は、(1)児童生徒が自ら考えて決める仕組みづくり(2)必要かつ合理的な範囲内(3)内容の公開-の3点を踏まえるという。昨年12月の市議会一般質問では、遠藤洋路教育長が「どんな校則が人権侵害に当たるかも基準に明示する」とも答弁している。児童生徒の視点に立った内容となるよう努めてほしい。

 学校が集団生活の場である以上、何らかのルールは必要だ。だが、校則の意義や意味さえ伝えず、唯々諾々と従わせるような指導が続けば、世の不条理に対する正当な抵抗力や批判精神も損なわれてしまう。校則による過剰な管理によって、子どもたちの自由な思考力や発想を奪うことがあってはならない。





黒染め強要、賠償判決 人権守る議論広げよう(2021年2月21日配信『中国新聞』-「社説」)

 大阪府立高に通っていた元生徒が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らに無理強いされ不登校になったとして、損害賠償を求めた訴訟の判決が下った。大阪地裁は、元生徒が不登校になった後の学校の対応に問題があったとして府に賠償を命じたものの、頭髪指導については「違法とは言えない」との判断を示した。

 学校の定める校則に明確な法的根拠はなく、校長の裁量に委ねられている。今回の判決はその裁量を広く認めた内容といえるが、子どもの人格や多様性を尊重する時代の流れに逆行していないだろうか。原告側は控訴を検討するという。

 訴状などによると、元生徒は生まれつき髪の色が薄く、保護者も入学時に配慮を求めた。しかし髪の染色や脱色を禁じた校則に基づき、教員から黒く染めるよう再三指導され、精神的苦痛から不登校になったという。

 判決は、校則について「正当な教育目的で定められた合理的なもの」、学校の「裁量の範囲内」とした。頭髪指導についても、学校側が元生徒の髪の色が黒だと認識していたなどとして、「違法とはいえない」とした。元生徒の地毛が茶色かどうかについては、なぜか判断しなかった。

 一方で、元生徒が不登校になった後、学校が名簿から名前を削るなどした対応は違法とし、府に33万円の賠償を命じた。

 頭髪指導を巡る最高裁の判決では、パーマを禁じる校則を「不合理なものとは言えない」とした例や、強制的に黒く染めさせる指導を「教育的指導の範囲内」とした例がある。学校の裁量を広く認める司法判断が定着しているようだ。

 だが、そもそも身体的特徴は人それぞれである。多様性を学ぶべき学校で、同じ格好をみんなに強制する指導の在り方は差別にもつながりかねず、人権侵害に当たるとの指摘もある。

 グローバル化が進み、多様な文化の下で育った児童生徒も少なくない。外国籍の子や性的少数者、ジェンダーなどへの理解も少しずつだが進んでいる。校則でも配慮すべきではないか。

 今回の訴訟が社会に一石を投じたことは間違いないだろう。下着の色や髪形まで細かく定める、理不尽な「ブラック校則」や指導の問題が広く認識されるきっかけにもなった。

 府教育庁はこの訴訟が提起された2017年、校則の点検などを指示。一部の高校では、頭髪を染めるなどした場合、帰宅させた上で染め直させる「再登校指導」といったルールが廃止されている。

 子どもの権利を守る観点は欠かせまい。千葉県立高では生徒の髪に黒染めスプレーを吹きかけた指導が問題となり、弁護士会が「体罰に準ずる人権侵害に当たる」として警告書を出している。佐賀弁護士会は、県内の公立中の校則を検証し、合理的でないものについて見直すよう県教委に提言した。

 学校生活を送る上で規則を設け、順守を指導することは一定に必要だろう。しかし、管理する側の視点を一方的に押し付ける校則や、人権を尊重しない指導があってはならない。

 その校則は何のためなのか、理にかなっているか―。子どもや保護者も含め、議論につなげていく必要がある。





何のため、誰のための校則か(2021年2月20日配信『秋田魁新報』-「北斗星」)

 先生にはあだ名があった。例えば「まま粒」。頭や顔の形が炊きたてのご飯粒のようでかわいらしい。親しみを込めてそう呼んでいた。昭和の後半、県南の高校の話だ

▼「〇〇パト」というのもあった。〇〇に先生の名が入る。パトはパトカーのことだったのか。登下校時、男子は制帽着用が原則だった気がする。先生は車で学校周辺を巡回。「△△君、帽子をかぶりなさい」と拡声器で呼び掛けていた

▼そうまでして指導していた姿を思い出すたび噴き出す。ただ、その情熱に脱帽する。不思議と嫌な思い出になっていない。厳しさの半面、生徒への愛情が底流に感じられたからか

▼現代の中国では先生にあだ名を付けるのを校則で禁じている所があるらしい。「〇〇パト」も違反となりかねない。日本の校則に戻ると先日、一つの判決が下された。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強要され、不登校になったと大阪の元女子高生が府を訴えていた

▼判決は学校の指導に違法性なしとした。問題なのは地毛が茶色かどうか肝心の判断を避けた点だ。髪の根元が黒いのを学校側は直接見て確認していた―と一方的に認めたのもすっきりしない

▼社会と同様、学校にも一定の規則は必要だろう。おかしいのは、前髪の長さや下着の色までこまごまと決めた校則が各地にあることだ。さほど説明もせず、子供に押し付けてはいないか。一人一人の個性を重んずるこの時代、何のため、誰のための校則かとの疑問は消えない。



校則、鋳型から多様性へ(2021年2月20日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 スカートの長さや髪形、靴下の色などを定めた校則。「ハイソックスは禁止」「左右の長さの違う髪形はだめ」。規定は事細かい。「こんなことまで」と首をひねりたくなるような校則もある

▼「学校は軍隊みたいだ」という嘆きを中学生から聞く。校則の必要性を問われ、答えられる教員はどれぐらいいるだろうか。生徒を管理しようという学校側の意思の表れであろう。根底にあるのは古くて画一的な生徒観

▼髪を黒く染めるよう教師に強要されたとして大阪府立高の元女子生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決があった。大阪地裁は頭髪指導の違法性は認めなかったが、不登校時の学校の対応を違法として一部賠償を命じた

▼元女子生徒は大人になって提訴した。判決を受け、名古屋大の内田良准教授は校則について「(何が良くて何が悪いかを)自分で考えて選べるようにするのが教育の使命だ」と時代の変化に沿った見直しを促す

▼糸満市立西崎中の生徒会が校則の改定案をPTAや住民でつくる学校運営協議会に提案した。男子のスカート着用、腕まくりや登下校時のマフラーなどを認めるよう盛り込んだ。多様性を重んじる感性がうかがえる

▼生徒を鋳型にはめる校則から多様性を尊重する校則へ。学校は社会の縮図。この中で生徒が提起し、教員と共に校則を変えていく。この試みは社会を変える力にもなる。





頭髪指導訴訟 子供の多様性認めたい(2021年2月18日配信『北海道新聞』-「社説」)

 学校の校則や指導のあり方に一石を投じた訴訟となった。

 通学していた大阪府立高校で、生来の茶色い髪を黒く染めるよう強要され不登校になったとして、元生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は校則や頭髪指導は適法との判断を示した。

 判決は学校側の裁量の範囲を幅広く認め、髪の黒染めも強要ではないとした。だが争点の一つだった元生徒の地毛が茶色だったかについては判断しなかった。

 学校側の指導が妥当だったのか疑問を残したと言えよう。

 今回の訴訟を契機に、髪形などを厳しく定める「ブラック校則」の問題点が広く認識された。

 ルールの順守を教える重要性は言うまでもない。同時に児童生徒が自ら考え、個人として判断できる力を育むのも教育の大切な役割だ。その積み重ねが多様性を尊重する学校の実現につながろう。

 訴状などによると、元生徒は髪の色が薄く、入学時に配慮を求めたが、教諭らは髪の染色や脱色を禁じた校則に基づき、黒く染めるよう指導を繰り返した。

 判決は、元生徒が不登校になった後に名簿の氏名を削るなどした対応は違法とし、府に33万円の賠償を命じた。学校側は教育的配慮を欠いており当然の判断だろう。

 一方、校則については社会通念に照らして合理的であり、頭髪指導も学校側が元生徒の髪の根元が黒かったことを確認していたとして、いずれも違法性を否定した。

 元生徒側は何度も髪染めしたため頭皮などを損傷したと主張したが、判決は証拠がないと退けた。

 元生徒の代理人弁護士が「乱暴な事実認定」と述べた通り、学校側の主張をあまりに重視した判断ではないか。元生徒が受けた人権侵害や心身の苦痛について、検討を尽くしたとは見えない。

 過度な校則は子供に大きなストレスとなる。

 日本も批准した子どもの権利条約は「子どもに影響を及ぼす全ての事項について、自由に自己の意見を表明する権利を確保する」と定める。この理念を教育の場で生かしたい。

 今や外国人が身近に増え、LGBTなど性的少数者もいる。多様性の必要が言われるゆえんだ。

 児童生徒が教育の主人公という基本に立ち返る必要がある。生徒が主体的に考える力を育もうと校則を作らない学校も増えている。

 管理する側の都合を押しつけるようなブラック校則や不合理な指導は廃すべきである。





学校の羊飼い(2021年2月17日配信『北海道新聞』-「卓上四季」)

 教師が閉めた校門の門扉に挟まれ生徒が亡くなるという痛ましい出来事があった。1990年の神戸高塚高校校門圧死事件だ。「遅刻を許さない」という狭い目的意識が異様に特化し、世界をバランス良く見る視野が失われた。そう指摘したのは、村上春樹さんである(「職業としての小説家」新潮文庫)

▼「共同体の役に立つ犬的人格を、ときには団体まるごと目的地まで導かれる羊的人格をつくることを目的にしている」。日本の教育についての村上さんの考察には、憤怒すら漂う

▼行き過ぎた生徒指導で精神的苦痛を受けたとして、大阪府立高校の生徒だった女性が府に損害賠償を求めた訴訟の判決がきのう、大阪地裁で言い渡された。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強制され、不登校に追い込まれたと訴えたが、判決はこれを退けた

▼校則や生徒指導の在り方が争われる裁判は近年増えており、下着の色まで指定するような事例は「ブラック校則」として見直しの対象となっている

▼そもそも校則に明確な法的根拠はなく、合理的な範囲で学校長の裁量に委ねられているにすぎない。なぜ必要なのか。明快な説明が不可欠だろう

▼昨年当欄で紹介した帯広南商業高校のように校則廃止で主体性や自律性を高めた例もある。求められるのは、自ら考え判断する「人的人格」形成を目的とする意識ではないか。学校に羊飼いは必要あるまい。



たかが茶髪、されど茶髪(2021年2月17日配信『中国新聞』-「天風録」)

 20年近く前、カンボジアの農村地帯にある小学校を訪ねると、子どもたちがとびきりの笑顔で迎えてくれた。茶髪が目立つ。「おしゃれだな」とつぶやくと、現地の教師は首を振った。「栄養失調で髪の色が抜けるんです」。わが不明を思い切り恥じた

▲生まれつき茶髪なのに、校則を盾に、教師から何度も黒染めを強要されて不登校になった―。そんな元女子高生の訴えを一部認め、大阪地裁は府に賠償を命じた。ただ、頭髪の染色を禁じた校則は違法ではないとした

▲さて、この司法判断を世間はどう受け止めるだろう。わが国では栄養失調による茶髪はまれだとしても、貧困ゆえに髪を染めたくてもかなわない子もいるだろう。コロナ禍により、貧富の格差はいっそう広がっている

▲一方、厳格な校則を押しつければ非行は防げるという時代でもないだろう。元首相による女性蔑視発言の直後でもある。やっぱり人権尊重に疎い国なのかと、海外にも反響は広がりそう

▲あのカンボジアの子たちは黒髪を取り戻しただろうか。今では思い思いの色に染めているだろうか。個性や多様性を尊重しつつ、公平で公正な社会を築く。たかが髪の色だが、考えることは多い。





学校の「当たり前」を見直してみる(2020年11月14日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 来春に向け、大型スーパーの陳列台でランドセルを見掛ける季節になった。赤と黒に加えうす紫、こはく色、空色など多彩な色が目を引く。一昔前、色の種類は少なく、男子は「黒色」、女子は「赤色」という暗黙のルールもあった

▼性別にとらわれず好きな色を選べるようになったのはいい。通学路でカラフルなランドセルを背負う小学生を見掛けると実感する

▼県内の中学校では性別に関係なく自由に制服を選べる「制服選択制」が広がっている。県教育庁の調査と琉球新報のまとめでは今年4月時点で、2020年度から選択制を導入予定の公立中学校は36校に上り、制服のある144校の4分の1を占めた

▼選択制の広がりは、心と体の性が一致しない性同一性障害の当事者の服装に関する悩みを和らげるだろう。性の多様性を伝えるメッセージになる

▼県による男女共同参画社会づくりに関する県民意識調査で、自分の体の性や心の性、性的指向に悩んだことがあるとの回答は全体で4・6%。若年層ほど多く20代で8・5%、30代は10・4%に上り、一定割合いた

▼調査では性に基づく差別や偏見を解消するために必要なこととして、56%が「幼少期からの教育」と答えた。子どもたちが「男らしさ」「女らしさ」をすり込まれ生きづらさを抱えないために、学校の中にある「当たり前」を見直してみる。それが第一歩になる。







 昭和のテレビアニメ「一休さん」に登場する「どちて坊や」は、愛らしいのに煙たがられる。次々に疑問が湧き起こり、「どちて(どうして)?」を連発して周りの人を困らせるからだ。

 子どもの質問に悩まされるのは珍しくない。校則問題を取り上げた先月の本紙オセモコ面にもあった。「ランドセルは何色でも良いのに、ヘアゴムの色はなぜ決まっているの」。確かになぜ、である。

 学校という集団行動の場でルールが必要なことは理解できる。それでも校則への疑問の声が上がるのは、非行防止といった名目で、理不尽に感じるものがあったからだろう。

 細かすぎる、厳しすぎるといった指摘を踏まえ、校則は全国的に見直されつつある。鹿児島市内の公立小中学校では、「下着は白色限定」の決まりが姿を消した。南さつま市の金峰中学校は、性的少数者(LGBT)に配慮して性別を問わず制服を選べるようにした。

 県内には髪形などの規則見直しを生徒たちが話し合う学校も出てきた。教師側も対立せず、主権者教育の一環と背中を押しているという。自分の意見をルールに反映させる取り組みは責任の大きさを知る大切な学びとなろう。

 新年度が始まって2週間、進学先で納得できない決まりに気付いた子もいるかもしれない。疑問は友達や先生に話して一緒に考えてみよう。少しでも減らしたい校則の「どちて」である。





「ブラック校則」だ。およそ人権侵害のレベル(2021年4月8日配信『日本経済新聞』ー「春秋」)

 1969年秋、北海道小樽市の高校で生徒数人が制帽を焼き払う騒ぎが起きた。大学紛争が高校にも波及し、政治的な訴えと並んで服装自由化や校則見直しが叫ばれた時代である。それを象徴する衝撃的な事件だった(小林哲夫著「高校紛争 1969-1970」)。

▼若者たちのこうした反乱を経て、改革が進んだ学校は少なくない。しかし紛争に手を焼いた経験から、逆に管理教育に走るケースも目立った。のちに校内暴力が社会問題になると生徒への締めつけは厳しさを増し、いまも理不尽な決まりごとが横行している。いわゆる「ブラック校則」だ。およそ人権侵害のレベルである。

▼生まれつき黒以外の髪や、くせ毛を持つ生徒に「地毛証明」を提出させる東京都立高は昨年夏の時点で4割強にのぼった。染髪やパーマをかたくなに禁止するから、こんなルールがまかり通るわけだ。下着の色は白、という校則も珍しくない。教員がチェックに及ぶ学校もあるという。それを異常と思わぬ感覚が恐ろしい。

▼ここにきて批判が強まり、改善の動きが伝えられる。しかし、そもそも髪形も髪の色も服装も、どこまで規則で縛るべきものだろう。往年の高校紛争が残した変化のひとつは、かの制帽の廃止だった。制服とともに必須のはずだった学生帽が、いまや大半の学校から消えた。消えて久しいが、なにも不都合は生じていない。





ブラック校則 各校で開かれた対話を(2021年4月2日配信『東京新聞』-「社説」)

 下着の色を指定するなど、いわゆる「ブラック校則」を見直す機運が生まれている。人権を侵害したり、理不尽だったりする校則も依然残る。各校で生徒を交えた対話が始まることを期待したい。

 「学校に制服強制の権限があるか否かを明らかに」「人権侵害・健康を害する校則は即刻廃止と通知」。現職教員や若者団体の代表らは3月下旬、こんな要望書を約1万9千筆の署名とともに萩生田光一文部科学相に提出した。

 萩生田文科相は記者会見などで、校則や指導は各校の判断に委ねられているとした上で「下着の色までというのは、どういう根拠なのか個人的には不思議」「民主的に皆さんが話し合って変えていくことについて異論はない」と述べている。

 「ブラック校則」は、2017年に大阪府立高校の元生徒が地毛の黒染めを強要され不登校になったとして、府に損害賠償を求めて提訴したことが一つの契機となり注目された。NPO有志によるネット上での情報提供の呼びかけに「登山での水飲み禁止」など健康にかかわる校則も報告された。

 今年2月の大阪地裁判決は違法性を認めなかったが、一石が投じられたことで、校則を見直す動きも出ている。

 文科省の19年度調査で、校則など「学校の決まりなどをめぐる問題」で不登校になった児童生徒は小中高合わせて五千五百人以上に上る。この数字の意味は重い。

 下着の色の指定や検査など、子どもの人権を侵害しかねない校則の見直しを求める通知を出した教育委員会もある。校則をHPで公開する自治体も出てきている。

 新型コロナウイルスの感染防止策として洗濯しやすい私服も選択できるようにした学校もあり、制服の存在意義も見直されている。

 前時代的な校則が存続してきたことは学校の閉鎖性と無縁ではない。現行の校則が、そもそもどんな目的で存在しているのか。教育目的を達成する手段だったはずの校則が目的そのものになってしまっていないか。細かな校則を定めている学校は一度、自らを問い直してみてはどうだろう。

 その上で、それぞれの学校で生徒らも交えて、開かれた対話を始めてほしい。性的少数者(LGBT)への配慮や、教員の働き方改革など社会的な要請もある。

 生徒らが自らが通う学校のルール作りに参画することは、これからの民主主義の担い手にとって、貴重な第一歩になるはずだ。





それぞれのペースで(2021年3月24日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 「気をつけ、前にならえ。全体前に進め」―。両手両足をそろえ、隣の人と歩調を合わせて行進する。運動会でよく見られる光景だ。子どもたちが整列する姿をこれまで無頓着に眺めていた

▼日本ラグビーフットボール協会理事の谷口真由美さんは、運動会の整列を「明治時代の修練の名残で、軍隊の文化が今も体育に残っている」と指摘する。規律を重んじる教育は、学校内に行き過ぎた校則として残る

▼肌着の色は白と規定されている娘の中学校は、制服検査でブラウスのボタンを開けて肌着の色をチェックされるという。人権よりも、優先される校則とは何か、考えさせられる

▼以前に比べ、かなり校則は変わってはきている。県内でも1990年代に中学男子の丸刈りは廃止され、ここ数年は男女の区別なく制服が選べる制服選択制も広がりを見せる

▼髪の色が明るい人に地毛証明書を求めるといった、度を越える校則の見直しの議論は以前からある。多くの人が「おかしい」と思いながら残り続ける背景には、髪質は一部の生徒の問題とされ、制服検査は一時的な我慢で見過ごされてきたからだろう

▼グローバル化が進み、多様な価値観が尊重される世の中だ。規律重視によって一つの形にはめ込む教育では、創造性や自立した考えを育めない。一斉に「全体前に進め」ではなく、それぞれのペースで進む方がいい。





[ブラック校則]不合理なルール見直せ(2021年3月17日配信『沖縄タイムス』-「社説」)

 合理性に乏しい規則を強いる「ブラック校則」が近年、全国で問題になっている。

 大阪府立高校の元女子生徒が髪の黒染めを強要され、不登校になったとして損害賠償を求めた訴訟は、海外メディアでも注目された。

 県内でも、那覇市議会2020年2月定例会で、女子生徒の肌着の色指定や服装検査の問題が取り上げられ、「人権侵害とも言える行き過ぎた校則だ」と指摘された。

 肌着の色を「白」や白に近い色に限定している市立中学が多く、生徒から「ブラジャーが透けて見えやすい」と不満の声が上がっている。人前で肌着を見られたり、触られたりする服装検査も「気持ち悪い」と反発がある。

 肌着の色指定や服装検査は全国で問題になっており、見直す動きが出ている。

 長崎県教育委員会は人権侵害になりかねないとして市町村教委や学校に見直しを通知。岐阜県の県立高校はそうした校則を廃止した。

 那覇市教委も子どもの人権を侵害するような校則を見直すよう各学校に求めているがことし1月までに肌着の色指定を変更した学校はない。

 ブラック校則と目されるものには他に、黒髪や直毛でない生徒に「地毛証明書」を提出させたり、社会に定着している、耳の上や襟足を刈り上げる髪形「ツーブロック」を禁止するものがある。

 ただ「校則だから」という理由では生徒は納得しない。合理的な理由の説明とともに、時代に合った規則かどうか検証する必要がある。

■    ■

 「ブラック校則」問題は今に始まったものではない。古くて新しい問題だ。

 例えば県内では1980年代、男子生徒の丸刈り校則が社会問題になった。生徒や保護者から「人権侵害」との批判が高まり、今日ではほとんど姿を消した。

 本年度は新型コロナウイルスの影響による変化も見られる。

 文部科学省は換気に伴う寒さ対策として、防寒着着用に柔軟な対応を取るよう、全国の教育委員会に通知した。

 県内でもタイツ着用などを認める学校が増えている。一時的なものにせず、これを機に校則を見直してほしいという声が上がっている。

 LGBT(性的少数者)への理解の深まりで、制服選択制を導入する学校も急増している。

 校則は変化してきたし、これからも時代の要請に応じて変えていくべきだ。

■    ■

 学校という集団生活の場で一定のルールを守ることは必要だ。社会に出たときの訓練にもなる。

 だがそれが、管理する側の都合に合わせた理不尽なルールの強要や、子の尊厳を傷つけるものになっているなら、変えるべきだ。

 大人に一方的に決められたものでなく、生徒が主体的にルールづくりに関われば、守る意識も高まるだろう。

 校則の見直しを、生徒が自ら考え、決め、変える機会にできたらいい。

 教育行政や学校現場のトップには、そうした場づくりに挑戦してほしい。





校則裁判(2021年3月4日配信『福井新聞』-「論説」)
「在り方」を考える契機に

 大阪府立高の元女子生徒が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らに強要され不登校になったとして府に慰謝料を求めた訴訟で、大阪地裁は「教員らの頭髪指導は違法ではなく、黒染めを強要したとは評価できない」との判断を示した。

 この訴訟は、不合理な「ブラック校則」が社会問題化するきっかけとなっただけに注目された。生徒側に厳しい判決となったが、どんな校則も認められるとしたわけではない。むしろ生徒のためにはどんな校則が望ましいのか、生徒とともに校則の在り方を考えるきっかけとしたい。

 裁判で、元生徒は生まれつき髪が茶色だと主張したのに対し、教員らは生来の髪は黒色で茶色に染めた髪を元に戻すよう指導したと指摘。裁判長は元生徒の地毛が茶色かどうかの判断は示さず、教育的指導の裁量の範囲を逸脱した違法性はなかったとした。同校の校則についても「正当な教育目的であり、社会通念に照らし合理的」と判断した。

 その一方、元生徒が進級したのに席を教室に置かなかったり、生徒名簿に掲載しなかったりしたことを違法として、33万円の賠償を命じた。

 今回の訴訟を機に、人権感覚とずれた校則の見直しを求める声が全国で上がった。大阪府教委は2017年、全府立高に校則の点検を指示し、18年に4割以上で校則や内規を見直した。4年前には国会でも取り上げられ「外国人留学生のみならず国際結婚の増加で日本人でも髪の色や肌の色が多様な生徒が増加し、身体的な特徴を変えさせる校則は時代錯誤」との指摘もあった。

 だが、今も頭髪をはじめ学校の細かな決まりは多い。東京都立高の約4割で、生まれつきの髪の色などを証明させる「地毛証明書」を提出させていた。都教委は「事実誤認による頭髪の指導を防ぐためで、任意」と説明しているが、事実上の強制との受け止め方もあるようだ。こうした証明書が生徒たちを精神的に追い詰めることがないのか、疑問が残る。

 都内の公立中では校長のリーダーシップで議論を重ね、校則をなくした学校がある。千代田区立麹町中では頭髪や服装のルールづくりはPTAに権限を移譲し、頭髪や服装の指導は一切しない。制服などの在り方については生徒会もPTAに協力して主体的に検討した。いずれの学校でも特に問題は起きず、生徒が自分たちのことは自分たちで考えるようになったという。

 社会が多様化する中で「みんな違っていい。しかし、同時に、誰もが大切にされるべきだ。この両立を考えることが重要」と、校則を見直した麹町中校長(当時)は著書で語っている。





髪染め強要判決 不条理校則見直す契機に(2021年2月23日配信『山陽新聞』-「社説」)

 社会の変化に合わない不条理な校則や生徒指導を見直す契機としたい。

 生来の茶色っぽい髪を黒く染めるよう教員らに強要され不登校になったとして、大阪府立高校の元女子生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決が大阪地裁であった。判決は元生徒の訴えを一部認めたが、髪の染色などを禁じる校則と学校の頭髪指導に違法性はないと判断した。

 校則は社会通念に照らして合理的とみられる範囲内で各学校長が制定する。裁判では校則が合法か、指導は適切だったか、元生徒が不登校となった後の対応は妥当だったかの3点で争われた。

 訴状などによると元生徒は生まれつき髪の色素が薄く、教員らの指導で髪を黒く染めたものの「不十分」だとして執拗(しつよう)に染髪を迫られたという。頭皮の痛みや精神的苦痛で2年生の2016年秋から登校できなくなり、翌年に提訴した。学校側は元生徒の髪は元来黒色だとの認識に基づいて指導したと主張した。

 判決は校則や指導は「学校教育の裁量の範囲を逸脱したとは認められない」と指摘。元生徒の地毛の色の判断は示さず、髪色に多様性を認めるべきかどうかに踏み込まなかった。校則を巡る学校側の裁量権を幅広く認めてきた過去の司法判断を踏襲した形と言えよう。元生徒側は控訴を検討するとしている。

 一方、元生徒が進級したのに教室に席を置かなかったりクラス名簿に氏名を載せなかったりしたことは「教育環境を整えるべき義務」を怠っていると批判した。集団生活に一定の決まりは欠かせない。だが指導によって元生徒は不登校となり、学習機会を奪われている。もっと寄り添った対応をすべきだった。

 今回の訴訟は各地で校則のあり方を議論する発端となった。市民団体や弁護士会が調査に乗りだし、下着の色を指定するといった行動を過度に縛る校則や、生徒会で校則について議論することを止められたケースなど理不尽な指導が広がっている実態が次々と明らかになっている。

 見直しの動きも本格化している。大阪府教委が提訴後に全府立高で実施した頭髪指導調査では、82%が染色や脱色を禁じていたが、一部の学校では地毛の色に戻すまで登校させないなどの行き過ぎた指導を廃止。全校が校則をホームページに掲載し、透明性を高めた。

 近年は外国にルーツを持つ子どものほか、さまざまな身体的特徴や文化的背景の人が学校にも増えている。多様性の尊重が進む中で、染髪禁止といった校則が児童生徒の成長に資するものになっているか議論を深めたい。

 まずはルールそのものが何を意図しているのかを学校側が丁寧に説明し、対話することが重要だ。校則が時代や地域に合っているか、子どもたちや保護者を含め、常に見直していく必要がある。



校則見直し 欠かせない子どもの視点(2021年2月23日配信『熊本日日新聞』-「社説」)

 子どもの人権を損ねる理不尽な校則を見直そうという動きが全国の学校などで広がっている。児童生徒の学校生活を制約する校則とは、いったい誰のための、何を目的としたルールなのか、社会全体で検証する好機としたい。

 大阪府立高の元女子生徒が、学校から髪を黒く染めるよう強要されたとして損害賠償を求めた訴訟。大阪地裁は判決で、校則は「正当な教育目的で、社会通念に照らし合理的」とし、校則と頭髪指導の違法性を認めなかった。

 この判決に対し、識者らは「時代錯誤で残念」「人権感覚がずれている」などと批判した。一方で、学校生活の中で一定の制約を設けることは教育上認められ、我慢や禁欲、自制についての指導も必要との指摘もあった。

 文部科学省によると、校則に明確な法的根拠はない。内容が理にかなっていれば、校長の裁量で制定できるとされる。ただ、実際には、子どもたちの意見が反映されず、学校側のお仕着せになっているケースが多いのではないか。

 校則は、学校という閉鎖的な疑似社会における“法律”だ。個人の多様性や自主性の尊重と、集団生活を維持する上で必要な私権の制約との間で、合理的、論理的なバランスが保たれた内容でなければなるまい。

 ある専門家は、理不尽な校則が容認されている原因の一つに「学校依存社会」を挙げる。確かに、地域や保護者が学校に対して、学習面だけでなく、生活上のしつけや社会的なマナーの指導まで期待してきた側面は否めない。

 だが、生来の茶髪を黒く染めさせたり、下着の色まで指定するような規則は人権侵害にほかならない。こうした校則は直ちに見直すべきであり、見直す際は、子どもを中心に学校や保護者、地域が一体となって知恵を絞るべきだ。

 福岡や佐賀の弁護士会は校則を検証し、「下着は白」など不合理な校則や生徒指導の見直しを提言した。名古屋市ではすべての市立中で、生徒手帳の内容の見直しが始まったという。

 熊本市教育委員会は市立小中学校の校則について、「人権や社会通念に照らして見直す」との方針を示した。見直しのガイドラインを策定する際は、(1)児童生徒が自ら考えて決める仕組みづくり(2)必要かつ合理的な範囲内(3)内容の公開-の3点を踏まえるという。昨年12月の市議会一般質問では、遠藤洋路教育長が「どんな校則が人権侵害に当たるかも基準に明示する」とも答弁している。児童生徒の視点に立った内容となるよう努めてほしい。

 学校が集団生活の場である以上、何らかのルールは必要だ。だが、校則の意義や意味さえ伝えず、唯々諾々と従わせるような指導が続けば、世の不条理に対する正当な抵抗力や批判精神も損なわれてしまう。校則による過剰な管理によって、子どもたちの自由な思考力や発想を奪うことがあってはならない。





黒染め強要、賠償判決 人権守る議論広げよう(2021年2月21日配信『中国新聞』-「社説」)

 大阪府立高に通っていた元生徒が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らに無理強いされ不登校になったとして、損害賠償を求めた訴訟の判決が下った。大阪地裁は、元生徒が不登校になった後の学校の対応に問題があったとして府に賠償を命じたものの、頭髪指導については「違法とは言えない」との判断を示した。

 学校の定める校則に明確な法的根拠はなく、校長の裁量に委ねられている。今回の判決はその裁量を広く認めた内容といえるが、子どもの人格や多様性を尊重する時代の流れに逆行していないだろうか。原告側は控訴を検討するという。

 訴状などによると、元生徒は生まれつき髪の色が薄く、保護者も入学時に配慮を求めた。しかし髪の染色や脱色を禁じた校則に基づき、教員から黒く染めるよう再三指導され、精神的苦痛から不登校になったという。

 判決は、校則について「正当な教育目的で定められた合理的なもの」、学校の「裁量の範囲内」とした。頭髪指導についても、学校側が元生徒の髪の色が黒だと認識していたなどとして、「違法とはいえない」とした。元生徒の地毛が茶色かどうかについては、なぜか判断しなかった。

 一方で、元生徒が不登校になった後、学校が名簿から名前を削るなどした対応は違法とし、府に33万円の賠償を命じた。

 頭髪指導を巡る最高裁の判決では、パーマを禁じる校則を「不合理なものとは言えない」とした例や、強制的に黒く染めさせる指導を「教育的指導の範囲内」とした例がある。学校の裁量を広く認める司法判断が定着しているようだ。

 だが、そもそも身体的特徴は人それぞれである。多様性を学ぶべき学校で、同じ格好をみんなに強制する指導の在り方は差別にもつながりかねず、人権侵害に当たるとの指摘もある。

 グローバル化が進み、多様な文化の下で育った児童生徒も少なくない。外国籍の子や性的少数者、ジェンダーなどへの理解も少しずつだが進んでいる。校則でも配慮すべきではないか。

 今回の訴訟が社会に一石を投じたことは間違いないだろう。下着の色や髪形まで細かく定める、理不尽な「ブラック校則」や指導の問題が広く認識されるきっかけにもなった。

 府教育庁はこの訴訟が提起された2017年、校則の点検などを指示。一部の高校では、頭髪を染めるなどした場合、帰宅させた上で染め直させる「再登校指導」といったルールが廃止されている。

 子どもの権利を守る観点は欠かせまい。千葉県立高では生徒の髪に黒染めスプレーを吹きかけた指導が問題となり、弁護士会が「体罰に準ずる人権侵害に当たる」として警告書を出している。佐賀弁護士会は、県内の公立中の校則を検証し、合理的でないものについて見直すよう県教委に提言した。

 学校生活を送る上で規則を設け、順守を指導することは一定に必要だろう。しかし、管理する側の視点を一方的に押し付ける校則や、人権を尊重しない指導があってはならない。

 その校則は何のためなのか、理にかなっているか―。子どもや保護者も含め、議論につなげていく必要がある。





何のため、誰のための校則か(2021年2月20日配信『秋田魁新報』-「北斗星」)

 先生にはあだ名があった。例えば「まま粒」。頭や顔の形が炊きたてのご飯粒のようでかわいらしい。親しみを込めてそう呼んでいた。昭和の後半、県南の高校の話だ

▼「〇〇パト」というのもあった。〇〇に先生の名が入る。パトはパトカーのことだったのか。登下校時、男子は制帽着用が原則だった気がする。先生は車で学校周辺を巡回。「△△君、帽子をかぶりなさい」と拡声器で呼び掛けていた

▼そうまでして指導していた姿を思い出すたび噴き出す。ただ、その情熱に脱帽する。不思議と嫌な思い出になっていない。厳しさの半面、生徒への愛情が底流に感じられたからか

▼現代の中国では先生にあだ名を付けるのを校則で禁じている所があるらしい。「〇〇パト」も違反となりかねない。日本の校則に戻ると先日、一つの判決が下された。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強要され、不登校になったと大阪の元女子高生が府を訴えていた

▼判決は学校の指導に違法性なしとした。問題なのは地毛が茶色かどうか肝心の判断を避けた点だ。髪の根元が黒いのを学校側は直接見て確認していた―と一方的に認めたのもすっきりしない

▼社会と同様、学校にも一定の規則は必要だろう。おかしいのは、前髪の長さや下着の色までこまごまと決めた校則が各地にあることだ。さほど説明もせず、子供に押し付けてはいないか。一人一人の個性を重んずるこの時代、何のため、誰のための校則かとの疑問は消えない。



校則、鋳型から多様性へ(2021年2月20日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 スカートの長さや髪形、靴下の色などを定めた校則。「ハイソックスは禁止」「左右の長さの違う髪形はだめ」。規定は事細かい。「こんなことまで」と首をひねりたくなるような校則もある

▼「学校は軍隊みたいだ」という嘆きを中学生から聞く。校則の必要性を問われ、答えられる教員はどれぐらいいるだろうか。生徒を管理しようという学校側の意思の表れであろう。根底にあるのは古くて画一的な生徒観

▼髪を黒く染めるよう教師に強要されたとして大阪府立高の元女子生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決があった。大阪地裁は頭髪指導の違法性は認めなかったが、不登校時の学校の対応を違法として一部賠償を命じた

▼元女子生徒は大人になって提訴した。判決を受け、名古屋大の内田良准教授は校則について「(何が良くて何が悪いかを)自分で考えて選べるようにするのが教育の使命だ」と時代の変化に沿った見直しを促す

▼糸満市立西崎中の生徒会が校則の改定案をPTAや住民でつくる学校運営協議会に提案した。男子のスカート着用、腕まくりや登下校時のマフラーなどを認めるよう盛り込んだ。多様性を重んじる感性がうかがえる

▼生徒を鋳型にはめる校則から多様性を尊重する校則へ。学校は社会の縮図。この中で生徒が提起し、教員と共に校則を変えていく。この試みは社会を変える力にもなる。





頭髪指導訴訟 子供の多様性認めたい(2021年2月18日配信『北海道新聞』-「社説」)

 学校の校則や指導のあり方に一石を投じた訴訟となった。

 通学していた大阪府立高校で、生来の茶色い髪を黒く染めるよう強要され不登校になったとして、元生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は校則や頭髪指導は適法との判断を示した。

 判決は学校側の裁量の範囲を幅広く認め、髪の黒染めも強要ではないとした。だが争点の一つだった元生徒の地毛が茶色だったかについては判断しなかった。

 学校側の指導が妥当だったのか疑問を残したと言えよう。

 今回の訴訟を契機に、髪形などを厳しく定める「ブラック校則」の問題点が広く認識された。

 ルールの順守を教える重要性は言うまでもない。同時に児童生徒が自ら考え、個人として判断できる力を育むのも教育の大切な役割だ。その積み重ねが多様性を尊重する学校の実現につながろう。

 訴状などによると、元生徒は髪の色が薄く、入学時に配慮を求めたが、教諭らは髪の染色や脱色を禁じた校則に基づき、黒く染めるよう指導を繰り返した。

 判決は、元生徒が不登校になった後に名簿の氏名を削るなどした対応は違法とし、府に33万円の賠償を命じた。学校側は教育的配慮を欠いており当然の判断だろう。

 一方、校則については社会通念に照らして合理的であり、頭髪指導も学校側が元生徒の髪の根元が黒かったことを確認していたとして、いずれも違法性を否定した。

 元生徒側は何度も髪染めしたため頭皮などを損傷したと主張したが、判決は証拠がないと退けた。

 元生徒の代理人弁護士が「乱暴な事実認定」と述べた通り、学校側の主張をあまりに重視した判断ではないか。元生徒が受けた人権侵害や心身の苦痛について、検討を尽くしたとは見えない。

 過度な校則は子供に大きなストレスとなる。

 日本も批准した子どもの権利条約は「子どもに影響を及ぼす全ての事項について、自由に自己の意見を表明する権利を確保する」と定める。この理念を教育の場で生かしたい。

 今や外国人が身近に増え、LGBTなど性的少数者もいる。多様性の必要が言われるゆえんだ。

 児童生徒が教育の主人公という基本に立ち返る必要がある。生徒が主体的に考える力を育もうと校則を作らない学校も増えている。

 管理する側の都合を押しつけるようなブラック校則や不合理な指導は廃すべきである。





学校の羊飼い(2021年2月17日配信『北海道新聞』-「卓上四季」)

 教師が閉めた校門の門扉に挟まれ生徒が亡くなるという痛ましい出来事があった。1990年の神戸高塚高校校門圧死事件だ。「遅刻を許さない」という狭い目的意識が異様に特化し、世界をバランス良く見る視野が失われた。そう指摘したのは、村上春樹さんである(「職業としての小説家」新潮文庫)

▼「共同体の役に立つ犬的人格を、ときには団体まるごと目的地まで導かれる羊的人格をつくることを目的にしている」。日本の教育についての村上さんの考察には、憤怒すら漂う

▼行き過ぎた生徒指導で精神的苦痛を受けたとして、大阪府立高校の生徒だった女性が府に損害賠償を求めた訴訟の判決がきのう、大阪地裁で言い渡された。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強制され、不登校に追い込まれたと訴えたが、判決はこれを退けた

▼校則や生徒指導の在り方が争われる裁判は近年増えており、下着の色まで指定するような事例は「ブラック校則」として見直しの対象となっている

▼そもそも校則に明確な法的根拠はなく、合理的な範囲で学校長の裁量に委ねられているにすぎない。なぜ必要なのか。明快な説明が不可欠だろう

▼昨年当欄で紹介した帯広南商業高校のように校則廃止で主体性や自律性を高めた例もある。求められるのは、自ら考え判断する「人的人格」形成を目的とする意識ではないか。学校に羊飼いは必要あるまい。



たかが茶髪、されど茶髪(2021年2月17日配信『中国新聞』-「天風録」)

 20年近く前、カンボジアの農村地帯にある小学校を訪ねると、子どもたちがとびきりの笑顔で迎えてくれた。茶髪が目立つ。「おしゃれだな」とつぶやくと、現地の教師は首を振った。「栄養失調で髪の色が抜けるんです」。わが不明を思い切り恥じた

▲生まれつき茶髪なのに、校則を盾に、教師から何度も黒染めを強要されて不登校になった―。そんな元女子高生の訴えを一部認め、大阪地裁は府に賠償を命じた。ただ、頭髪の染色を禁じた校則は違法ではないとした

▲さて、この司法判断を世間はどう受け止めるだろう。わが国では栄養失調による茶髪はまれだとしても、貧困ゆえに髪を染めたくてもかなわない子もいるだろう。コロナ禍により、貧富の格差はいっそう広がっている

▲一方、厳格な校則を押しつければ非行は防げるという時代でもないだろう。元首相による女性蔑視発言の直後でもある。やっぱり人権尊重に疎い国なのかと、海外にも反響は広がりそう

▲あのカンボジアの子たちは黒髪を取り戻しただろうか。今では思い思いの色に染めているだろうか。個性や多様性を尊重しつつ、公平で公正な社会を築く。たかが髪の色だが、考えることは多い。





学校の「当たり前」を見直してみる(2020年11月14日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 来春に向け、大型スーパーの陳列台でランドセルを見掛ける季節になった。赤と黒に加えうす紫、こはく色、空色など多彩な色が目を引く。一昔前、色の種類は少なく、男子は「黒色」、女子は「赤色」という暗黙のルールもあった

▼性別にとらわれず好きな色を選べるようになったのはいい。通学路でカラフルなランドセルを背負う小学生を見掛けると実感する

▼県内の中学校では性別に関係なく自由に制服を選べる「制服選択制」が広がっている。県教育庁の調査と琉球新報のまとめでは今年4月時点で、2020年度から選択制を導入予定の公立中学校は36校に上り、制服のある144校の4分の1を占めた

▼選択制の広がりは、心と体の性が一致しない性同一性障害の当事者の服装に関する悩みを和らげるだろう。性の多様性を伝えるメッセージになる

▼県による男女共同参画社会づくりに関する県民意識調査で、自分の体の性や心の性、性的指向に悩んだことがあるとの回答は全体で4・6%。若年層ほど多く20代で8・5%、30代は10・4%に上り、一定割合いた

▼調査では性に基づく差別や偏見を解消するために必要なこととして、56%が「幼少期からの教育」と答えた。子どもたちが「男らしさ」「女らしさ」をすり込まれ生きづらさを抱えないために、学校の中にある「当たり前」を見直してみる。それが第一歩になる。





新聞』-「社説」)

 昭和のテレビアニメ「一休さん」に登場する「どちて坊や」は、愛らしいのに煙たがられる。次々に疑問が湧き起こり、「どちて(どうして)?」を連発して周りの人を困らせるからだ。

 子どもの質問に悩まされるのは珍しくない。校則問題を取り上げた先月の本紙オセモコ面にもあった。「ランドセルは何色でも良いのに、ヘアゴムの色はなぜ決まっているの」。確かになぜ、である。

 学校という集団行動の場でルールが必要なことは理解できる。それでも校則への疑問の声が上がるのは、非行防止といった名目で、理不尽に感じるものがあったからだろう。

 細かすぎる、厳しすぎるといった指摘を踏まえ、校則は全国的に見直されつつある。鹿児島市内の公立小中学校では、「下着は白色限定」の決まりが姿を消した。南さつま市の金峰中学校は、性的少数者(LGBT)に配慮して性別を問わず制服を選べるようにした。

 県内には髪形などの規則見直しを生徒たちが話し合う学校も出てきた。教師側も対立せず、主権者教育の一環と背中を押しているという。自分の意見をルールに反映させる取り組みは責任の大きさを知る大切な学びとなろう。

 新年度が始まって2週間、進学先で納得できない決まりに気付いた子もいるかもしれない。疑問は友達や先生に話して一緒に考えてみよう。少しでも減らしたい校則の「どちて」である。





「ブラック校則」だ。およそ人権侵害のレベル(2021年4月8日配信『日本経済新聞』ー「春秋」)

 1969年秋、北海道小樽市の高校で生徒数人が制帽を焼き払う騒ぎが起きた。大学紛争が高校にも波及し、政治的な訴えと並んで服装自由化や校則見直しが叫ばれた時代である。それを象徴する衝撃的な事件だった(小林哲夫著「高校紛争 1969-1970」)。

▼若者たちのこうした反乱を経て、改革が進んだ学校は少なくない。しかし紛争に手を焼いた経験から、逆に管理教育に走るケースも目立った。のちに校内暴力が社会問題になると生徒への締めつけは厳しさを増し、いまも理不尽な決まりごとが横行している。いわゆる「ブラック校則」だ。およそ人権侵害のレベルである。

▼生まれつき黒以外の髪や、くせ毛を持つ生徒に「地毛証明」を提出させる東京都立高は昨年夏の時点で4割強にのぼった。染髪やパーマをかたくなに禁止するから、こんなルールがまかり通るわけだ。下着の色は白、という校則も珍しくない。教員がチェックに及ぶ学校もあるという。それを異常と思わぬ感覚が恐ろしい。

▼ここにきて批判が強まり、改善の動きが伝えられる。しかし、そもそも髪形も髪の色も服装も、どこまで規則で縛るべきものだろう。往年の高校紛争が残した変化のひとつは、かの制帽の廃止だった。制服とともに必須のはずだった学生帽が、いまや大半の学校から消えた。消えて久しいが、なにも不都合は生じていない。





ブラック校則 各校で開かれた対話を(2021年4月2日配信『東京新聞』-「社説」)

 下着の色を指定するなど、いわゆる「ブラック校則」を見直す機運が生まれている。人権を侵害したり、理不尽だったりする校則も依然残る。各校で生徒を交えた対話が始まることを期待したい。

 「学校に制服強制の権限があるか否かを明らかに」「人権侵害・健康を害する校則は即刻廃止と通知」。現職教員や若者団体の代表らは3月下旬、こんな要望書を約1万9千筆の署名とともに萩生田光一文部科学相に提出した。

 萩生田文科相は記者会見などで、校則や指導は各校の判断に委ねられているとした上で「下着の色までというのは、どういう根拠なのか個人的には不思議」「民主的に皆さんが話し合って変えていくことについて異論はない」と述べている。

 「ブラック校則」は、2017年に大阪府立高校の元生徒が地毛の黒染めを強要され不登校になったとして、府に損害賠償を求めて提訴したことが一つの契機となり注目された。NPO有志によるネット上での情報提供の呼びかけに「登山での水飲み禁止」など健康にかかわる校則も報告された。

 今年2月の大阪地裁判決は違法性を認めなかったが、一石が投じられたことで、校則を見直す動きも出ている。

 文科省の19年度調査で、校則など「学校の決まりなどをめぐる問題」で不登校になった児童生徒は小中高合わせて五千五百人以上に上る。この数字の意味は重い。

 下着の色の指定や検査など、子どもの人権を侵害しかねない校則の見直しを求める通知を出した教育委員会もある。校則をHPで公開する自治体も出てきている。

 新型コロナウイルスの感染防止策として洗濯しやすい私服も選択できるようにした学校もあり、制服の存在意義も見直されている。

 前時代的な校則が存続してきたことは学校の閉鎖性と無縁ではない。現行の校則が、そもそもどんな目的で存在しているのか。教育目的を達成する手段だったはずの校則が目的そのものになってしまっていないか。細かな校則を定めている学校は一度、自らを問い直してみてはどうだろう。

 その上で、それぞれの学校で生徒らも交えて、開かれた対話を始めてほしい。性的少数者(LGBT)への配慮や、教員の働き方改革など社会的な要請もある。

 生徒らが自らが通う学校のルール作りに参画することは、これからの民主主義の担い手にとって、貴重な第一歩になるはずだ。





それぞれのペースで(2021年3月24日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 「気をつけ、前にならえ。全体前に進め」―。両手両足をそろえ、隣の人と歩調を合わせて行進する。運動会でよく見られる光景だ。子どもたちが整列する姿をこれまで無頓着に眺めていた

▼日本ラグビーフットボール協会理事の谷口真由美さんは、運動会の整列を「明治時代の修練の名残で、軍隊の文化が今も体育に残っている」と指摘する。規律を重んじる教育は、学校内に行き過ぎた校則として残る

▼肌着の色は白と規定されている娘の中学校は、制服検査でブラウスのボタンを開けて肌着の色をチェックされるという。人権よりも、優先される校則とは何か、考えさせられる

▼以前に比べ、かなり校則は変わってはきている。県内でも1990年代に中学男子の丸刈りは廃止され、ここ数年は男女の区別なく制服が選べる制服選択制も広がりを見せる

▼髪の色が明るい人に地毛証明書を求めるといった、度を越える校則の見直しの議論は以前からある。多くの人が「おかしい」と思いながら残り続ける背景には、髪質は一部の生徒の問題とされ、制服検査は一時的な我慢で見過ごされてきたからだろう

▼グローバル化が進み、多様な価値観が尊重される世の中だ。規律重視によって一つの形にはめ込む教育では、創造性や自立した考えを育めない。一斉に「全体前に進め」ではなく、それぞれのペースで進む方がいい。





[ブラック校則]不合理なルール見直せ(2021年3月17日配信『沖縄タイムス』-「社説」)

 合理性に乏しい規則を強いる「ブラック校則」が近年、全国で問題になっている。

 大阪府立高校の元女子生徒が髪の黒染めを強要され、不登校になったとして損害賠償を求めた訴訟は、海外メディアでも注目された。

 県内でも、那覇市議会2020年2月定例会で、女子生徒の肌着の色指定や服装検査の問題が取り上げられ、「人権侵害とも言える行き過ぎた校則だ」と指摘された。

 肌着の色を「白」や白に近い色に限定している市立中学が多く、生徒から「ブラジャーが透けて見えやすい」と不満の声が上がっている。人前で肌着を見られたり、触られたりする服装検査も「気持ち悪い」と反発がある。

 肌着の色指定や服装検査は全国で問題になっており、見直す動きが出ている。

 長崎県教育委員会は人権侵害になりかねないとして市町村教委や学校に見直しを通知。岐阜県の県立高校はそうした校則を廃止した。

 那覇市教委も子どもの人権を侵害するような校則を見直すよう各学校に求めているがことし1月までに肌着の色指定を変更した学校はない。

 ブラック校則と目されるものには他に、黒髪や直毛でない生徒に「地毛証明書」を提出させたり、社会に定着している、耳の上や襟足を刈り上げる髪形「ツーブロック」を禁止するものがある。

 ただ「校則だから」という理由では生徒は納得しない。合理的な理由の説明とともに、時代に合った規則かどうか検証する必要がある。

■    ■

 「ブラック校則」問題は今に始まったものではない。古くて新しい問題だ。

 例えば県内では1980年代、男子生徒の丸刈り校則が社会問題になった。生徒や保護者から「人権侵害」との批判が高まり、今日ではほとんど姿を消した。

 本年度は新型コロナウイルスの影響による変化も見られる。

 文部科学省は換気に伴う寒さ対策として、防寒着着用に柔軟な対応を取るよう、全国の教育委員会に通知した。

 県内でもタイツ着用などを認める学校が増えている。一時的なものにせず、これを機に校則を見直してほしいという声が上がっている。

 LGBT(性的少数者)への理解の深まりで、制服選択制を導入する学校も急増している。

 校則は変化してきたし、これからも時代の要請に応じて変えていくべきだ。

■    ■

 学校という集団生活の場で一定のルールを守ることは必要だ。社会に出たときの訓練にもなる。

 だがそれが、管理する側の都合に合わせた理不尽なルールの強要や、子の尊厳を傷つけるものになっているなら、変えるべきだ。

 大人に一方的に決められたものでなく、生徒が主体的にルールづくりに関われば、守る意識も高まるだろう。

 校則の見直しを、生徒が自ら考え、決め、変える機会にできたらいい。

 教育行政や学校現場のトップには、そうした場づくりに挑戦してほしい。





校則裁判(2021年3月4日配信『福井新聞』-「論説」)
「在り方」を考える契機に

 大阪府立高の元女子生徒が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らに強要され不登校になったとして府に慰謝料を求めた訴訟で、大阪地裁は「教員らの頭髪指導は違法ではなく、黒染めを強要したとは評価できない」との判断を示した。

 この訴訟は、不合理な「ブラック校則」が社会問題化するきっかけとなっただけに注目された。生徒側に厳しい判決となったが、どんな校則も認められるとしたわけではない。むしろ生徒のためにはどんな校則が望ましいのか、生徒とともに校則の在り方を考えるきっかけとしたい。

 裁判で、元生徒は生まれつき髪が茶色だと主張したのに対し、教員らは生来の髪は黒色で茶色に染めた髪を元に戻すよう指導したと指摘。裁判長は元生徒の地毛が茶色かどうかの判断は示さず、教育的指導の裁量の範囲を逸脱した違法性はなかったとした。同校の校則についても「正当な教育目的であり、社会通念に照らし合理的」と判断した。

 その一方、元生徒が進級したのに席を教室に置かなかったり、生徒名簿に掲載しなかったりしたことを違法として、33万円の賠償を命じた。

 今回の訴訟を機に、人権感覚とずれた校則の見直しを求める声が全国で上がった。大阪府教委は2017年、全府立高に校則の点検を指示し、18年に4割以上で校則や内規を見直した。4年前には国会でも取り上げられ「外国人留学生のみならず国際結婚の増加で日本人でも髪の色や肌の色が多様な生徒が増加し、身体的な特徴を変えさせる校則は時代錯誤」との指摘もあった。

 だが、今も頭髪をはじめ学校の細かな決まりは多い。東京都立高の約4割で、生まれつきの髪の色などを証明させる「地毛証明書」を提出させていた。都教委は「事実誤認による頭髪の指導を防ぐためで、任意」と説明しているが、事実上の強制との受け止め方もあるようだ。こうした証明書が生徒たちを精神的に追い詰めることがないのか、疑問が残る。

 都内の公立中では校長のリーダーシップで議論を重ね、校則をなくした学校がある。千代田区立麹町中では頭髪や服装のルールづくりはPTAに権限を移譲し、頭髪や服装の指導は一切しない。制服などの在り方については生徒会もPTAに協力して主体的に検討した。いずれの学校でも特に問題は起きず、生徒が自分たちのことは自分たちで考えるようになったという。

 社会が多様化する中で「みんな違っていい。しかし、同時に、誰もが大切にされるべきだ。この両立を考えることが重要」と、校則を見直した麹町中校長(当時)は著書で語っている。





髪染め強要判決 不条理校則見直す契機に(2021年2月23日配信『山陽新聞』-「社説」)

 社会の変化に合わない不条理な校則や生徒指導を見直す契機としたい。

 生来の茶色っぽい髪を黒く染めるよう教員らに強要され不登校になったとして、大阪府立高校の元女子生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決が大阪地裁であった。判決は元生徒の訴えを一部認めたが、髪の染色などを禁じる校則と学校の頭髪指導に違法性はないと判断した。

 校則は社会通念に照らして合理的とみられる範囲内で各学校長が制定する。裁判では校則が合法か、指導は適切だったか、元生徒が不登校となった後の対応は妥当だったかの3点で争われた。

 訴状などによると元生徒は生まれつき髪の色素が薄く、教員らの指導で髪を黒く染めたものの「不十分」だとして執拗(しつよう)に染髪を迫られたという。頭皮の痛みや精神的苦痛で2年生の2016年秋から登校できなくなり、翌年に提訴した。学校側は元生徒の髪は元来黒色だとの認識に基づいて指導したと主張した。

 判決は校則や指導は「学校教育の裁量の範囲を逸脱したとは認められない」と指摘。元生徒の地毛の色の判断は示さず、髪色に多様性を認めるべきかどうかに踏み込まなかった。校則を巡る学校側の裁量権を幅広く認めてきた過去の司法判断を踏襲した形と言えよう。元生徒側は控訴を検討するとしている。

 一方、元生徒が進級したのに教室に席を置かなかったりクラス名簿に氏名を載せなかったりしたことは「教育環境を整えるべき義務」を怠っていると批判した。集団生活に一定の決まりは欠かせない。だが指導によって元生徒は不登校となり、学習機会を奪われている。もっと寄り添った対応をすべきだった。

 今回の訴訟は各地で校則のあり方を議論する発端となった。市民団体や弁護士会が調査に乗りだし、下着の色を指定するといった行動を過度に縛る校則や、生徒会で校則について議論することを止められたケースなど理不尽な指導が広がっている実態が次々と明らかになっている。

 見直しの動きも本格化している。大阪府教委が提訴後に全府立高で実施した頭髪指導調査では、82%が染色や脱色を禁じていたが、一部の学校では地毛の色に戻すまで登校させないなどの行き過ぎた指導を廃止。全校が校則をホームページに掲載し、透明性を高めた。

 近年は外国にルーツを持つ子どものほか、さまざまな身体的特徴や文化的背景の人が学校にも増えている。多様性の尊重が進む中で、染髪禁止といった校則が児童生徒の成長に資するものになっているか議論を深めたい。

 まずはルールそのものが何を意図しているのかを学校側が丁寧に説明し、対話することが重要だ。校則が時代や地域に合っているか、子どもたちや保護者を含め、常に見直していく必要がある。



校則見直し 欠かせない子どもの視点(2021年2月23日配信『熊本日日新聞』-「社説」)

 子どもの人権を損ねる理不尽な校則を見直そうという動きが全国の学校などで広がっている。児童生徒の学校生活を制約する校則とは、いったい誰のための、何を目的としたルールなのか、社会全体で検証する好機としたい。

 大阪府立高の元女子生徒が、学校から髪を黒く染めるよう強要されたとして損害賠償を求めた訴訟。大阪地裁は判決で、校則は「正当な教育目的で、社会通念に照らし合理的」とし、校則と頭髪指導の違法性を認めなかった。

 この判決に対し、識者らは「時代錯誤で残念」「人権感覚がずれている」などと批判した。一方で、学校生活の中で一定の制約を設けることは教育上認められ、我慢や禁欲、自制についての指導も必要との指摘もあった。

 文部科学省によると、校則に明確な法的根拠はない。内容が理にかなっていれば、校長の裁量で制定できるとされる。ただ、実際には、子どもたちの意見が反映されず、学校側のお仕着せになっているケースが多いのではないか。

 校則は、学校という閉鎖的な疑似社会における“法律”だ。個人の多様性や自主性の尊重と、集団生活を維持する上で必要な私権の制約との間で、合理的、論理的なバランスが保たれた内容でなければなるまい。

 ある専門家は、理不尽な校則が容認されている原因の一つに「学校依存社会」を挙げる。確かに、地域や保護者が学校に対して、学習面だけでなく、生活上のしつけや社会的なマナーの指導まで期待してきた側面は否めない。

 だが、生来の茶髪を黒く染めさせたり、下着の色まで指定するような規則は人権侵害にほかならない。こうした校則は直ちに見直すべきであり、見直す際は、子どもを中心に学校や保護者、地域が一体となって知恵を絞るべきだ。

 福岡や佐賀の弁護士会は校則を検証し、「下着は白」など不合理な校則や生徒指導の見直しを提言した。名古屋市ではすべての市立中で、生徒手帳の内容の見直しが始まったという。

 熊本市教育委員会は市立小中学校の校則について、「人権や社会通念に照らして見直す」との方針を示した。見直しのガイドラインを策定する際は、(1)児童生徒が自ら考えて決める仕組みづくり(2)必要かつ合理的な範囲内(3)内容の公開-の3点を踏まえるという。昨年12月の市議会一般質問では、遠藤洋路教育長が「どんな校則が人権侵害に当たるかも基準に明示する」とも答弁している。児童生徒の視点に立った内容となるよう努めてほしい。

 学校が集団生活の場である以上、何らかのルールは必要だ。だが、校則の意義や意味さえ伝えず、唯々諾々と従わせるような指導が続けば、世の不条理に対する正当な抵抗力や批判精神も損なわれてしまう。校則による過剰な管理によって、子どもたちの自由な思考力や発想を奪うことがあってはならない。





黒染め強要、賠償判決 人権守る議論広げよう(2021年2月21日配信『中国新聞』-「社説」)

 大阪府立高に通っていた元生徒が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らに無理強いされ不登校になったとして、損害賠償を求めた訴訟の判決が下った。大阪地裁は、元生徒が不登校になった後の学校の対応に問題があったとして府に賠償を命じたものの、頭髪指導については「違法とは言えない」との判断を示した。

 学校の定める校則に明確な法的根拠はなく、校長の裁量に委ねられている。今回の判決はその裁量を広く認めた内容といえるが、子どもの人格や多様性を尊重する時代の流れに逆行していないだろうか。原告側は控訴を検討するという。

 訴状などによると、元生徒は生まれつき髪の色が薄く、保護者も入学時に配慮を求めた。しかし髪の染色や脱色を禁じた校則に基づき、教員から黒く染めるよう再三指導され、精神的苦痛から不登校になったという。

 判決は、校則について「正当な教育目的で定められた合理的なもの」、学校の「裁量の範囲内」とした。頭髪指導についても、学校側が元生徒の髪の色が黒だと認識していたなどとして、「違法とはいえない」とした。元生徒の地毛が茶色かどうかについては、なぜか判断しなかった。

 一方で、元生徒が不登校になった後、学校が名簿から名前を削るなどした対応は違法とし、府に33万円の賠償を命じた。

 頭髪指導を巡る最高裁の判決では、パーマを禁じる校則を「不合理なものとは言えない」とした例や、強制的に黒く染めさせる指導を「教育的指導の範囲内」とした例がある。学校の裁量を広く認める司法判断が定着しているようだ。

 だが、そもそも身体的特徴は人それぞれである。多様性を学ぶべき学校で、同じ格好をみんなに強制する指導の在り方は差別にもつながりかねず、人権侵害に当たるとの指摘もある。

 グローバル化が進み、多様な文化の下で育った児童生徒も少なくない。外国籍の子や性的少数者、ジェンダーなどへの理解も少しずつだが進んでいる。校則でも配慮すべきではないか。

 今回の訴訟が社会に一石を投じたことは間違いないだろう。下着の色や髪形まで細かく定める、理不尽な「ブラック校則」や指導の問題が広く認識されるきっかけにもなった。

 府教育庁はこの訴訟が提起された2017年、校則の点検などを指示。一部の高校では、頭髪を染めるなどした場合、帰宅させた上で染め直させる「再登校指導」といったルールが廃止されている。

 子どもの権利を守る観点は欠かせまい。千葉県立高では生徒の髪に黒染めスプレーを吹きかけた指導が問題となり、弁護士会が「体罰に準ずる人権侵害に当たる」として警告書を出している。佐賀弁護士会は、県内の公立中の校則を検証し、合理的でないものについて見直すよう県教委に提言した。

 学校生活を送る上で規則を設け、順守を指導することは一定に必要だろう。しかし、管理する側の視点を一方的に押し付ける校則や、人権を尊重しない指導があってはならない。

 その校則は何のためなのか、理にかなっているか―。子どもや保護者も含め、議論につなげていく必要がある。





何のため、誰のための校則か(2021年2月20日配信『秋田魁新報』-「北斗星」)

 先生にはあだ名があった。例えば「まま粒」。頭や顔の形が炊きたてのご飯粒のようでかわいらしい。親しみを込めてそう呼んでいた。昭和の後半、県南の高校の話だ

▼「〇〇パト」というのもあった。〇〇に先生の名が入る。パトはパトカーのことだったのか。登下校時、男子は制帽着用が原則だった気がする。先生は車で学校周辺を巡回。「△△君、帽子をかぶりなさい」と拡声器で呼び掛けていた

▼そうまでして指導していた姿を思い出すたび噴き出す。ただ、その情熱に脱帽する。不思議と嫌な思い出になっていない。厳しさの半面、生徒への愛情が底流に感じられたからか

▼現代の中国では先生にあだ名を付けるのを校則で禁じている所があるらしい。「〇〇パト」も違反となりかねない。日本の校則に戻ると先日、一つの判決が下された。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強要され、不登校になったと大阪の元女子高生が府を訴えていた

▼判決は学校の指導に違法性なしとした。問題なのは地毛が茶色かどうか肝心の判断を避けた点だ。髪の根元が黒いのを学校側は直接見て確認していた―と一方的に認めたのもすっきりしない

▼社会と同様、学校にも一定の規則は必要だろう。おかしいのは、前髪の長さや下着の色までこまごまと決めた校則が各地にあることだ。さほど説明もせず、子供に押し付けてはいないか。一人一人の個性を重んずるこの時代、何のため、誰のための校則かとの疑問は消えない。



校則、鋳型から多様性へ(2021年2月20日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 スカートの長さや髪形、靴下の色などを定めた校則。「ハイソックスは禁止」「左右の長さの違う髪形はだめ」。規定は事細かい。「こんなことまで」と首をひねりたくなるような校則もある

▼「学校は軍隊みたいだ」という嘆きを中学生から聞く。校則の必要性を問われ、答えられる教員はどれぐらいいるだろうか。生徒を管理しようという学校側の意思の表れであろう。根底にあるのは古くて画一的な生徒観

▼髪を黒く染めるよう教師に強要されたとして大阪府立高の元女子生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決があった。大阪地裁は頭髪指導の違法性は認めなかったが、不登校時の学校の対応を違法として一部賠償を命じた

▼元女子生徒は大人になって提訴した。判決を受け、名古屋大の内田良准教授は校則について「(何が良くて何が悪いかを)自分で考えて選べるようにするのが教育の使命だ」と時代の変化に沿った見直しを促す

▼糸満市立西崎中の生徒会が校則の改定案をPTAや住民でつくる学校運営協議会に提案した。男子のスカート着用、腕まくりや登下校時のマフラーなどを認めるよう盛り込んだ。多様性を重んじる感性がうかがえる

▼生徒を鋳型にはめる校則から多様性を尊重する校則へ。学校は社会の縮図。この中で生徒が提起し、教員と共に校則を変えていく。この試みは社会を変える力にもなる。





頭髪指導訴訟 子供の多様性認めたい(2021年2月18日配信『北海道新聞』-「社説」)

 学校の校則や指導のあり方に一石を投じた訴訟となった。

 通学していた大阪府立高校で、生来の茶色い髪を黒く染めるよう強要され不登校になったとして、元生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は校則や頭髪指導は適法との判断を示した。

 判決は学校側の裁量の範囲を幅広く認め、髪の黒染めも強要ではないとした。だが争点の一つだった元生徒の地毛が茶色だったかについては判断しなかった。

 学校側の指導が妥当だったのか疑問を残したと言えよう。

 今回の訴訟を契機に、髪形などを厳しく定める「ブラック校則」の問題点が広く認識された。

 ルールの順守を教える重要性は言うまでもない。同時に児童生徒が自ら考え、個人として判断できる力を育むのも教育の大切な役割だ。その積み重ねが多様性を尊重する学校の実現につながろう。

 訴状などによると、元生徒は髪の色が薄く、入学時に配慮を求めたが、教諭らは髪の染色や脱色を禁じた校則に基づき、黒く染めるよう指導を繰り返した。

 判決は、元生徒が不登校になった後に名簿の氏名を削るなどした対応は違法とし、府に33万円の賠償を命じた。学校側は教育的配慮を欠いており当然の判断だろう。

 一方、校則については社会通念に照らして合理的であり、頭髪指導も学校側が元生徒の髪の根元が黒かったことを確認していたとして、いずれも違法性を否定した。

 元生徒側は何度も髪染めしたため頭皮などを損傷したと主張したが、判決は証拠がないと退けた。

 元生徒の代理人弁護士が「乱暴な事実認定」と述べた通り、学校側の主張をあまりに重視した判断ではないか。元生徒が受けた人権侵害や心身の苦痛について、検討を尽くしたとは見えない。

 過度な校則は子供に大きなストレスとなる。

 日本も批准した子どもの権利条約は「子どもに影響を及ぼす全ての事項について、自由に自己の意見を表明する権利を確保する」と定める。この理念を教育の場で生かしたい。

 今や外国人が身近に増え、LGBTなど性的少数者もいる。多様性の必要が言われるゆえんだ。

 児童生徒が教育の主人公という基本に立ち返る必要がある。生徒が主体的に考える力を育もうと校則を作らない学校も増えている。

 管理する側の都合を押しつけるようなブラック校則や不合理な指導は廃すべきである。





学校の羊飼い(2021年2月17日配信『北海道新聞』-「卓上四季」)

 教師が閉めた校門の門扉に挟まれ生徒が亡くなるという痛ましい出来事があった。1990年の神戸高塚高校校門圧死事件だ。「遅刻を許さない」という狭い目的意識が異様に特化し、世界をバランス良く見る視野が失われた。そう指摘したのは、村上春樹さんである(「職業としての小説家」新潮文庫)

▼「共同体の役に立つ犬的人格を、ときには団体まるごと目的地まで導かれる羊的人格をつくることを目的にしている」。日本の教育についての村上さんの考察には、憤怒すら漂う

▼行き過ぎた生徒指導で精神的苦痛を受けたとして、大阪府立高校の生徒だった女性が府に損害賠償を求めた訴訟の判決がきのう、大阪地裁で言い渡された。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強制され、不登校に追い込まれたと訴えたが、判決はこれを退けた

▼校則や生徒指導の在り方が争われる裁判は近年増えており、下着の色まで指定するような事例は「ブラック校則」として見直しの対象となっている

▼そもそも校則に明確な法的根拠はなく、合理的な範囲で学校長の裁量に委ねられているにすぎない。なぜ必要なのか。明快な説明が不可欠だろう

▼昨年当欄で紹介した帯広南商業高校のように校則廃止で主体性や自律性を高めた例もある。求められるのは、自ら考え判断する「人的人格」形成を目的とする意識ではないか。学校に羊飼いは必要あるまい。



たかが茶髪、されど茶髪(2021年2月17日配信『中国新聞』-「天風録」)

 20年近く前、カンボジアの農村地帯にある小学校を訪ねると、子どもたちがとびきりの笑顔で迎えてくれた。茶髪が目立つ。「おしゃれだな」とつぶやくと、現地の教師は首を振った。「栄養失調で髪の色が抜けるんです」。わが不明を思い切り恥じた

▲生まれつき茶髪なのに、校則を盾に、教師から何度も黒染めを強要されて不登校になった―。そんな元女子高生の訴えを一部認め、大阪地裁は府に賠償を命じた。ただ、頭髪の染色を禁じた校則は違法ではないとした

▲さて、この司法判断を世間はどう受け止めるだろう。わが国では栄養失調による茶髪はまれだとしても、貧困ゆえに髪を染めたくてもかなわない子もいるだろう。コロナ禍により、貧富の格差はいっそう広がっている

▲一方、厳格な校則を押しつければ非行は防げるという時代でもないだろう。元首相による女性蔑視発言の直後でもある。やっぱり人権尊重に疎い国なのかと、海外にも反響は広がりそう

▲あのカンボジアの子たちは黒髪を取り戻しただろうか。今では思い思いの色に染めているだろうか。個性や多様性を尊重しつつ、公平で公正な社会を築く。たかが髪の色だが、考えることは多い。





学校の「当たり前」を見直してみる(2020年11月14日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 来春に向け、大型スーパーの陳列台でランドセルを見掛ける季節になった。赤と黒に加えうす紫、こはく色、空色など多彩な色が目を引く。一昔前、色の種類は少なく、男子は「黒色」、女子は「赤色」という暗黙のルールもあった

▼性別にとらわれず好きな色を選べるようになったのはいい。通学路でカラフルなランドセルを背負う小学生を見掛けると実感する

▼県内の中学校では性別に関係なく自由に制服を選べる「制服選択制」が広がっている。県教育庁の調査と琉球新報のまとめでは今年4月時点で、2020年度から選択制を導入予定の公立中学校は36校に上り、制服のある144校の4分の1を占めた

▼選択制の広がりは、心と体の性が一致しない性同一性障害の当事者の服装に関する悩みを和らげるだろう。性の多様性を伝えるメッセージになる

▼県による男女共同参画社会づくりに関する県民意識調査で、自分の体の性や心の性、性的指向に悩んだことがあるとの回答は全体で4・6%。若年層ほど多く20代で8・5%、30代は10・4%に上り、一定割合いた

▼調査では性に基づく差別や偏見を解消するために必要なこととして、56%が「幼少期からの教育」と答えた。子どもたちが「男らしさ」「女らしさ」をすり込まれ生きづらさを抱えないために、学校の中にある「当たり前」を見直してみる。それが第一歩になる。







 昭和のテレビアニメ「一休さん」に登場する「どちて坊や」は、愛らしいのに煙たがられる。次々に疑問が湧き起こり、「どちて(どうして)?」を連発して周りの人を困らせるからだ。

 子どもの質問に悩まされるのは珍しくない。校則問題を取り上げた先月の本紙オセモコ面にもあった。「ランドセルは何色でも良いのに、ヘアゴムの色はなぜ決まっているの」。確かになぜ、である。

 学校という集団行動の場でルールが必要なことは理解できる。それでも校則への疑問の声が上がるのは、非行防止といった名目で、理不尽に感じるものがあったからだろう。

 細かすぎる、厳しすぎるといった指摘を踏まえ、校則は全国的に見直されつつある。鹿児島市内の公立小中学校では、「下着は白色限定」の決まりが姿を消した。南さつま市の金峰中学校は、性的少数者(LGBT)に配慮して性別を問わず制服を選べるようにした。

 県内には髪形などの規則見直しを生徒たちが話し合う学校も出てきた。教師側も対立せず、主権者教育の一環と背中を押しているという。自分の意見をルールに反映させる取り組みは責任の大きさを知る大切な学びとなろう。

 新年度が始まって2週間、進学先で納得できない決まりに気付いた子もいるかもしれない。疑問は友達や先生に話して一緒に考えてみよう。少しでも減らしたい校則の「どちて」である。





「ブラック校則」だ。およそ人権侵害のレベル(2021年4月8日配信『日本経済新聞』ー「春秋」)

 1969年秋、北海道小樽市の高校で生徒数人が制帽を焼き払う騒ぎが起きた。大学紛争が高校にも波及し、政治的な訴えと並んで服装自由化や校則見直しが叫ばれた時代である。それを象徴する衝撃的な事件だった(小林哲夫著「高校紛争 1969-1970」)。

▼若者たちのこうした反乱を経て、改革が進んだ学校は少なくない。しかし紛争に手を焼いた経験から、逆に管理教育に走るケースも目立った。のちに校内暴力が社会問題になると生徒への締めつけは厳しさを増し、いまも理不尽な決まりごとが横行している。いわゆる「ブラック校則」だ。およそ人権侵害のレベルである。

▼生まれつき黒以外の髪や、くせ毛を持つ生徒に「地毛証明」を提出させる東京都立高は昨年夏の時点で4割強にのぼった。染髪やパーマをかたくなに禁止するから、こんなルールがまかり通るわけだ。下着の色は白、という校則も珍しくない。教員がチェックに及ぶ学校もあるという。それを異常と思わぬ感覚が恐ろしい。

▼ここにきて批判が強まり、改善の動きが伝えられる。しかし、そもそも髪形も髪の色も服装も、どこまで規則で縛るべきものだろう。往年の高校紛争が残した変化のひとつは、かの制帽の廃止だった。制服とともに必須のはずだった学生帽が、いまや大半の学校から消えた。消えて久しいが、なにも不都合は生じていない。





ブラック校則 各校で開かれた対話を(2021年4月2日配信『東京新聞』-「社説」)

 下着の色を指定するなど、いわゆる「ブラック校則」を見直す機運が生まれている。人権を侵害したり、理不尽だったりする校則も依然残る。各校で生徒を交えた対話が始まることを期待したい。

 「学校に制服強制の権限があるか否かを明らかに」「人権侵害・健康を害する校則は即刻廃止と通知」。現職教員や若者団体の代表らは3月下旬、こんな要望書を約1万9千筆の署名とともに萩生田光一文部科学相に提出した。

 萩生田文科相は記者会見などで、校則や指導は各校の判断に委ねられているとした上で「下着の色までというのは、どういう根拠なのか個人的には不思議」「民主的に皆さんが話し合って変えていくことについて異論はない」と述べている。

 「ブラック校則」は、2017年に大阪府立高校の元生徒が地毛の黒染めを強要され不登校になったとして、府に損害賠償を求めて提訴したことが一つの契機となり注目された。NPO有志によるネット上での情報提供の呼びかけに「登山での水飲み禁止」など健康にかかわる校則も報告された。

 今年2月の大阪地裁判決は違法性を認めなかったが、一石が投じられたことで、校則を見直す動きも出ている。

 文科省の19年度調査で、校則など「学校の決まりなどをめぐる問題」で不登校になった児童生徒は小中高合わせて五千五百人以上に上る。この数字の意味は重い。

 下着の色の指定や検査など、子どもの人権を侵害しかねない校則の見直しを求める通知を出した教育委員会もある。校則をHPで公開する自治体も出てきている。

 新型コロナウイルスの感染防止策として洗濯しやすい私服も選択できるようにした学校もあり、制服の存在意義も見直されている。

 前時代的な校則が存続してきたことは学校の閉鎖性と無縁ではない。現行の校則が、そもそもどんな目的で存在しているのか。教育目的を達成する手段だったはずの校則が目的そのものになってしまっていないか。細かな校則を定めている学校は一度、自らを問い直してみてはどうだろう。

 その上で、それぞれの学校で生徒らも交えて、開かれた対話を始めてほしい。性的少数者(LGBT)への配慮や、教員の働き方改革など社会的な要請もある。

 生徒らが自らが通う学校のルール作りに参画することは、これからの民主主義の担い手にとって、貴重な第一歩になるはずだ。





それぞれのペースで(2021年3月24日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 「気をつけ、前にならえ。全体前に進め」―。両手両足をそろえ、隣の人と歩調を合わせて行進する。運動会でよく見られる光景だ。子どもたちが整列する姿をこれまで無頓着に眺めていた

▼日本ラグビーフットボール協会理事の谷口真由美さんは、運動会の整列を「明治時代の修練の名残で、軍隊の文化が今も体育に残っている」と指摘する。規律を重んじる教育は、学校内に行き過ぎた校則として残る

▼肌着の色は白と規定されている娘の中学校は、制服検査でブラウスのボタンを開けて肌着の色をチェックされるという。人権よりも、優先される校則とは何か、考えさせられる

▼以前に比べ、かなり校則は変わってはきている。県内でも1990年代に中学男子の丸刈りは廃止され、ここ数年は男女の区別なく制服が選べる制服選択制も広がりを見せる

▼髪の色が明るい人に地毛証明書を求めるといった、度を越える校則の見直しの議論は以前からある。多くの人が「おかしい」と思いながら残り続ける背景には、髪質は一部の生徒の問題とされ、制服検査は一時的な我慢で見過ごされてきたからだろう

▼グローバル化が進み、多様な価値観が尊重される世の中だ。規律重視によって一つの形にはめ込む教育では、創造性や自立した考えを育めない。一斉に「全体前に進め」ではなく、それぞれのペースで進む方がいい。





[ブラック校則]不合理なルール見直せ(2021年3月17日配信『沖縄タイムス』-「社説」)

 合理性に乏しい規則を強いる「ブラック校則」が近年、全国で問題になっている。

 大阪府立高校の元女子生徒が髪の黒染めを強要され、不登校になったとして損害賠償を求めた訴訟は、海外メディアでも注目された。

 県内でも、那覇市議会2020年2月定例会で、女子生徒の肌着の色指定や服装検査の問題が取り上げられ、「人権侵害とも言える行き過ぎた校則だ」と指摘された。

 肌着の色を「白」や白に近い色に限定している市立中学が多く、生徒から「ブラジャーが透けて見えやすい」と不満の声が上がっている。人前で肌着を見られたり、触られたりする服装検査も「気持ち悪い」と反発がある。

 肌着の色指定や服装検査は全国で問題になっており、見直す動きが出ている。

 長崎県教育委員会は人権侵害になりかねないとして市町村教委や学校に見直しを通知。岐阜県の県立高校はそうした校則を廃止した。

 那覇市教委も子どもの人権を侵害するような校則を見直すよう各学校に求めているがことし1月までに肌着の色指定を変更した学校はない。

 ブラック校則と目されるものには他に、黒髪や直毛でない生徒に「地毛証明書」を提出させたり、社会に定着している、耳の上や襟足を刈り上げる髪形「ツーブロック」を禁止するものがある。

 ただ「校則だから」という理由では生徒は納得しない。合理的な理由の説明とともに、時代に合った規則かどうか検証する必要がある。

■    ■

 「ブラック校則」問題は今に始まったものではない。古くて新しい問題だ。

 例えば県内では1980年代、男子生徒の丸刈り校則が社会問題になった。生徒や保護者から「人権侵害」との批判が高まり、今日ではほとんど姿を消した。

 本年度は新型コロナウイルスの影響による変化も見られる。

 文部科学省は換気に伴う寒さ対策として、防寒着着用に柔軟な対応を取るよう、全国の教育委員会に通知した。

 県内でもタイツ着用などを認める学校が増えている。一時的なものにせず、これを機に校則を見直してほしいという声が上がっている。

 LGBT(性的少数者)への理解の深まりで、制服選択制を導入する学校も急増している。

 校則は変化してきたし、これからも時代の要請に応じて変えていくべきだ。

■    ■

 学校という集団生活の場で一定のルールを守ることは必要だ。社会に出たときの訓練にもなる。

 だがそれが、管理する側の都合に合わせた理不尽なルールの強要や、子の尊厳を傷つけるものになっているなら、変えるべきだ。

 大人に一方的に決められたものでなく、生徒が主体的にルールづくりに関われば、守る意識も高まるだろう。

 校則の見直しを、生徒が自ら考え、決め、変える機会にできたらいい。

 教育行政や学校現場のトップには、そうした場づくりに挑戦してほしい。





校則裁判(2021年3月4日配信『福井新聞』-「論説」)
「在り方」を考える契機に

 大阪府立高の元女子生徒が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らに強要され不登校になったとして府に慰謝料を求めた訴訟で、大阪地裁は「教員らの頭髪指導は違法ではなく、黒染めを強要したとは評価できない」との判断を示した。

 この訴訟は、不合理な「ブラック校則」が社会問題化するきっかけとなっただけに注目された。生徒側に厳しい判決となったが、どんな校則も認められるとしたわけではない。むしろ生徒のためにはどんな校則が望ましいのか、生徒とともに校則の在り方を考えるきっかけとしたい。

 裁判で、元生徒は生まれつき髪が茶色だと主張したのに対し、教員らは生来の髪は黒色で茶色に染めた髪を元に戻すよう指導したと指摘。裁判長は元生徒の地毛が茶色かどうかの判断は示さず、教育的指導の裁量の範囲を逸脱した違法性はなかったとした。同校の校則についても「正当な教育目的であり、社会通念に照らし合理的」と判断した。

 その一方、元生徒が進級したのに席を教室に置かなかったり、生徒名簿に掲載しなかったりしたことを違法として、33万円の賠償を命じた。

 今回の訴訟を機に、人権感覚とずれた校則の見直しを求める声が全国で上がった。大阪府教委は2017年、全府立高に校則の点検を指示し、18年に4割以上で校則や内規を見直した。4年前には国会でも取り上げられ「外国人留学生のみならず国際結婚の増加で日本人でも髪の色や肌の色が多様な生徒が増加し、身体的な特徴を変えさせる校則は時代錯誤」との指摘もあった。

 だが、今も頭髪をはじめ学校の細かな決まりは多い。東京都立高の約4割で、生まれつきの髪の色などを証明させる「地毛証明書」を提出させていた。都教委は「事実誤認による頭髪の指導を防ぐためで、任意」と説明しているが、事実上の強制との受け止め方もあるようだ。こうした証明書が生徒たちを精神的に追い詰めることがないのか、疑問が残る。

 都内の公立中では校長のリーダーシップで議論を重ね、校則をなくした学校がある。千代田区立麹町中では頭髪や服装のルールづくりはPTAに権限を移譲し、頭髪や服装の指導は一切しない。制服などの在り方については生徒会もPTAに協力して主体的に検討した。いずれの学校でも特に問題は起きず、生徒が自分たちのことは自分たちで考えるようになったという。

 社会が多様化する中で「みんな違っていい。しかし、同時に、誰もが大切にされるべきだ。この両立を考えることが重要」と、校則を見直した麹町中校長(当時)は著書で語っている。





髪染め強要判決 不条理校則見直す契機に(2021年2月23日配信『山陽新聞』-「社説」)

 社会の変化に合わない不条理な校則や生徒指導を見直す契機としたい。

 生来の茶色っぽい髪を黒く染めるよう教員らに強要され不登校になったとして、大阪府立高校の元女子生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決が大阪地裁であった。判決は元生徒の訴えを一部認めたが、髪の染色などを禁じる校則と学校の頭髪指導に違法性はないと判断した。

 校則は社会通念に照らして合理的とみられる範囲内で各学校長が制定する。裁判では校則が合法か、指導は適切だったか、元生徒が不登校となった後の対応は妥当だったかの3点で争われた。

 訴状などによると元生徒は生まれつき髪の色素が薄く、教員らの指導で髪を黒く染めたものの「不十分」だとして執拗(しつよう)に染髪を迫られたという。頭皮の痛みや精神的苦痛で2年生の2016年秋から登校できなくなり、翌年に提訴した。学校側は元生徒の髪は元来黒色だとの認識に基づいて指導したと主張した。

 判決は校則や指導は「学校教育の裁量の範囲を逸脱したとは認められない」と指摘。元生徒の地毛の色の判断は示さず、髪色に多様性を認めるべきかどうかに踏み込まなかった。校則を巡る学校側の裁量権を幅広く認めてきた過去の司法判断を踏襲した形と言えよう。元生徒側は控訴を検討するとしている。

 一方、元生徒が進級したのに教室に席を置かなかったりクラス名簿に氏名を載せなかったりしたことは「教育環境を整えるべき義務」を怠っていると批判した。集団生活に一定の決まりは欠かせない。だが指導によって元生徒は不登校となり、学習機会を奪われている。もっと寄り添った対応をすべきだった。

 今回の訴訟は各地で校則のあり方を議論する発端となった。市民団体や弁護士会が調査に乗りだし、下着の色を指定するといった行動を過度に縛る校則や、生徒会で校則について議論することを止められたケースなど理不尽な指導が広がっている実態が次々と明らかになっている。

 見直しの動きも本格化している。大阪府教委が提訴後に全府立高で実施した頭髪指導調査では、82%が染色や脱色を禁じていたが、一部の学校では地毛の色に戻すまで登校させないなどの行き過ぎた指導を廃止。全校が校則をホームページに掲載し、透明性を高めた。

 近年は外国にルーツを持つ子どものほか、さまざまな身体的特徴や文化的背景の人が学校にも増えている。多様性の尊重が進む中で、染髪禁止といった校則が児童生徒の成長に資するものになっているか議論を深めたい。

 まずはルールそのものが何を意図しているのかを学校側が丁寧に説明し、対話することが重要だ。校則が時代や地域に合っているか、子どもたちや保護者を含め、常に見直していく必要がある。



校則見直し 欠かせない子どもの視点(2021年2月23日配信『熊本日日新聞』-「社説」)

 子どもの人権を損ねる理不尽な校則を見直そうという動きが全国の学校などで広がっている。児童生徒の学校生活を制約する校則とは、いったい誰のための、何を目的としたルールなのか、社会全体で検証する好機としたい。

 大阪府立高の元女子生徒が、学校から髪を黒く染めるよう強要されたとして損害賠償を求めた訴訟。大阪地裁は判決で、校則は「正当な教育目的で、社会通念に照らし合理的」とし、校則と頭髪指導の違法性を認めなかった。

 この判決に対し、識者らは「時代錯誤で残念」「人権感覚がずれている」などと批判した。一方で、学校生活の中で一定の制約を設けることは教育上認められ、我慢や禁欲、自制についての指導も必要との指摘もあった。

 文部科学省によると、校則に明確な法的根拠はない。内容が理にかなっていれば、校長の裁量で制定できるとされる。ただ、実際には、子どもたちの意見が反映されず、学校側のお仕着せになっているケースが多いのではないか。

 校則は、学校という閉鎖的な疑似社会における“法律”だ。個人の多様性や自主性の尊重と、集団生活を維持する上で必要な私権の制約との間で、合理的、論理的なバランスが保たれた内容でなければなるまい。

 ある専門家は、理不尽な校則が容認されている原因の一つに「学校依存社会」を挙げる。確かに、地域や保護者が学校に対して、学習面だけでなく、生活上のしつけや社会的なマナーの指導まで期待してきた側面は否めない。

 だが、生来の茶髪を黒く染めさせたり、下着の色まで指定するような規則は人権侵害にほかならない。こうした校則は直ちに見直すべきであり、見直す際は、子どもを中心に学校や保護者、地域が一体となって知恵を絞るべきだ。

 福岡や佐賀の弁護士会は校則を検証し、「下着は白」など不合理な校則や生徒指導の見直しを提言した。名古屋市ではすべての市立中で、生徒手帳の内容の見直しが始まったという。

 熊本市教育委員会は市立小中学校の校則について、「人権や社会通念に照らして見直す」との方針を示した。見直しのガイドラインを策定する際は、(1)児童生徒が自ら考えて決める仕組みづくり(2)必要かつ合理的な範囲内(3)内容の公開-の3点を踏まえるという。昨年12月の市議会一般質問では、遠藤洋路教育長が「どんな校則が人権侵害に当たるかも基準に明示する」とも答弁している。児童生徒の視点に立った内容となるよう努めてほしい。

 学校が集団生活の場である以上、何らかのルールは必要だ。だが、校則の意義や意味さえ伝えず、唯々諾々と従わせるような指導が続けば、世の不条理に対する正当な抵抗力や批判精神も損なわれてしまう。校則による過剰な管理によって、子どもたちの自由な思考力や発想を奪うことがあってはならない。





黒染め強要、賠償判決 人権守る議論広げよう(2021年2月21日配信『中国新聞』-「社説」)

 大阪府立高に通っていた元生徒が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らに無理強いされ不登校になったとして、損害賠償を求めた訴訟の判決が下った。大阪地裁は、元生徒が不登校になった後の学校の対応に問題があったとして府に賠償を命じたものの、頭髪指導については「違法とは言えない」との判断を示した。

 学校の定める校則に明確な法的根拠はなく、校長の裁量に委ねられている。今回の判決はその裁量を広く認めた内容といえるが、子どもの人格や多様性を尊重する時代の流れに逆行していないだろうか。原告側は控訴を検討するという。

 訴状などによると、元生徒は生まれつき髪の色が薄く、保護者も入学時に配慮を求めた。しかし髪の染色や脱色を禁じた校則に基づき、教員から黒く染めるよう再三指導され、精神的苦痛から不登校になったという。

 判決は、校則について「正当な教育目的で定められた合理的なもの」、学校の「裁量の範囲内」とした。頭髪指導についても、学校側が元生徒の髪の色が黒だと認識していたなどとして、「違法とはいえない」とした。元生徒の地毛が茶色かどうかについては、なぜか判断しなかった。

 一方で、元生徒が不登校になった後、学校が名簿から名前を削るなどした対応は違法とし、府に33万円の賠償を命じた。

 頭髪指導を巡る最高裁の判決では、パーマを禁じる校則を「不合理なものとは言えない」とした例や、強制的に黒く染めさせる指導を「教育的指導の範囲内」とした例がある。学校の裁量を広く認める司法判断が定着しているようだ。

 だが、そもそも身体的特徴は人それぞれである。多様性を学ぶべき学校で、同じ格好をみんなに強制する指導の在り方は差別にもつながりかねず、人権侵害に当たるとの指摘もある。

 グローバル化が進み、多様な文化の下で育った児童生徒も少なくない。外国籍の子や性的少数者、ジェンダーなどへの理解も少しずつだが進んでいる。校則でも配慮すべきではないか。

 今回の訴訟が社会に一石を投じたことは間違いないだろう。下着の色や髪形まで細かく定める、理不尽な「ブラック校則」や指導の問題が広く認識されるきっかけにもなった。

 府教育庁はこの訴訟が提起された2017年、校則の点検などを指示。一部の高校では、頭髪を染めるなどした場合、帰宅させた上で染め直させる「再登校指導」といったルールが廃止されている。

 子どもの権利を守る観点は欠かせまい。千葉県立高では生徒の髪に黒染めスプレーを吹きかけた指導が問題となり、弁護士会が「体罰に準ずる人権侵害に当たる」として警告書を出している。佐賀弁護士会は、県内の公立中の校則を検証し、合理的でないものについて見直すよう県教委に提言した。

 学校生活を送る上で規則を設け、順守を指導することは一定に必要だろう。しかし、管理する側の視点を一方的に押し付ける校則や、人権を尊重しない指導があってはならない。

 その校則は何のためなのか、理にかなっているか―。子どもや保護者も含め、議論につなげていく必要がある。





何のため、誰のための校則か(2021年2月20日配信『秋田魁新報』-「北斗星」)

 先生にはあだ名があった。例えば「まま粒」。頭や顔の形が炊きたてのご飯粒のようでかわいらしい。親しみを込めてそう呼んでいた。昭和の後半、県南の高校の話だ

▼「〇〇パト」というのもあった。〇〇に先生の名が入る。パトはパトカーのことだったのか。登下校時、男子は制帽着用が原則だった気がする。先生は車で学校周辺を巡回。「△△君、帽子をかぶりなさい」と拡声器で呼び掛けていた

▼そうまでして指導していた姿を思い出すたび噴き出す。ただ、その情熱に脱帽する。不思議と嫌な思い出になっていない。厳しさの半面、生徒への愛情が底流に感じられたからか

▼現代の中国では先生にあだ名を付けるのを校則で禁じている所があるらしい。「〇〇パト」も違反となりかねない。日本の校則に戻ると先日、一つの判決が下された。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強要され、不登校になったと大阪の元女子高生が府を訴えていた

▼判決は学校の指導に違法性なしとした。問題なのは地毛が茶色かどうか肝心の判断を避けた点だ。髪の根元が黒いのを学校側は直接見て確認していた―と一方的に認めたのもすっきりしない

▼社会と同様、学校にも一定の規則は必要だろう。おかしいのは、前髪の長さや下着の色までこまごまと決めた校則が各地にあることだ。さほど説明もせず、子供に押し付けてはいないか。一人一人の個性を重んずるこの時代、何のため、誰のための校則かとの疑問は消えない。



校則、鋳型から多様性へ(2021年2月20日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 スカートの長さや髪形、靴下の色などを定めた校則。「ハイソックスは禁止」「左右の長さの違う髪形はだめ」。規定は事細かい。「こんなことまで」と首をひねりたくなるような校則もある

▼「学校は軍隊みたいだ」という嘆きを中学生から聞く。校則の必要性を問われ、答えられる教員はどれぐらいいるだろうか。生徒を管理しようという学校側の意思の表れであろう。根底にあるのは古くて画一的な生徒観

▼髪を黒く染めるよう教師に強要されたとして大阪府立高の元女子生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決があった。大阪地裁は頭髪指導の違法性は認めなかったが、不登校時の学校の対応を違法として一部賠償を命じた

▼元女子生徒は大人になって提訴した。判決を受け、名古屋大の内田良准教授は校則について「(何が良くて何が悪いかを)自分で考えて選べるようにするのが教育の使命だ」と時代の変化に沿った見直しを促す

▼糸満市立西崎中の生徒会が校則の改定案をPTAや住民でつくる学校運営協議会に提案した。男子のスカート着用、腕まくりや登下校時のマフラーなどを認めるよう盛り込んだ。多様性を重んじる感性がうかがえる

▼生徒を鋳型にはめる校則から多様性を尊重する校則へ。学校は社会の縮図。この中で生徒が提起し、教員と共に校則を変えていく。この試みは社会を変える力にもなる。





頭髪指導訴訟 子供の多様性認めたい(2021年2月18日配信『北海道新聞』-「社説」)

 学校の校則や指導のあり方に一石を投じた訴訟となった。

 通学していた大阪府立高校で、生来の茶色い髪を黒く染めるよう強要され不登校になったとして、元生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は校則や頭髪指導は適法との判断を示した。

 判決は学校側の裁量の範囲を幅広く認め、髪の黒染めも強要ではないとした。だが争点の一つだった元生徒の地毛が茶色だったかについては判断しなかった。

 学校側の指導が妥当だったのか疑問を残したと言えよう。

 今回の訴訟を契機に、髪形などを厳しく定める「ブラック校則」の問題点が広く認識された。

 ルールの順守を教える重要性は言うまでもない。同時に児童生徒が自ら考え、個人として判断できる力を育むのも教育の大切な役割だ。その積み重ねが多様性を尊重する学校の実現につながろう。

 訴状などによると、元生徒は髪の色が薄く、入学時に配慮を求めたが、教諭らは髪の染色や脱色を禁じた校則に基づき、黒く染めるよう指導を繰り返した。

 判決は、元生徒が不登校になった後に名簿の氏名を削るなどした対応は違法とし、府に33万円の賠償を命じた。学校側は教育的配慮を欠いており当然の判断だろう。

 一方、校則については社会通念に照らして合理的であり、頭髪指導も学校側が元生徒の髪の根元が黒かったことを確認していたとして、いずれも違法性を否定した。

 元生徒側は何度も髪染めしたため頭皮などを損傷したと主張したが、判決は証拠がないと退けた。

 元生徒の代理人弁護士が「乱暴な事実認定」と述べた通り、学校側の主張をあまりに重視した判断ではないか。元生徒が受けた人権侵害や心身の苦痛について、検討を尽くしたとは見えない。

 過度な校則は子供に大きなストレスとなる。

 日本も批准した子どもの権利条約は「子どもに影響を及ぼす全ての事項について、自由に自己の意見を表明する権利を確保する」と定める。この理念を教育の場で生かしたい。

 今や外国人が身近に増え、LGBTなど性的少数者もいる。多様性の必要が言われるゆえんだ。

 児童生徒が教育の主人公という基本に立ち返る必要がある。生徒が主体的に考える力を育もうと校則を作らない学校も増えている。

 管理する側の都合を押しつけるようなブラック校則や不合理な指導は廃すべきである。





学校の羊飼い(2021年2月17日配信『北海道新聞』-「卓上四季」)

 教師が閉めた校門の門扉に挟まれ生徒が亡くなるという痛ましい出来事があった。1990年の神戸高塚高校校門圧死事件だ。「遅刻を許さない」という狭い目的意識が異様に特化し、世界をバランス良く見る視野が失われた。そう指摘したのは、村上春樹さんである(「職業としての小説家」新潮文庫)

▼「共同体の役に立つ犬的人格を、ときには団体まるごと目的地まで導かれる羊的人格をつくることを目的にしている」。日本の教育についての村上さんの考察には、憤怒すら漂う

▼行き過ぎた生徒指導で精神的苦痛を受けたとして、大阪府立高校の生徒だった女性が府に損害賠償を求めた訴訟の判決がきのう、大阪地裁で言い渡された。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強制され、不登校に追い込まれたと訴えたが、判決はこれを退けた

▼校則や生徒指導の在り方が争われる裁判は近年増えており、下着の色まで指定するような事例は「ブラック校則」として見直しの対象となっている

▼そもそも校則に明確な法的根拠はなく、合理的な範囲で学校長の裁量に委ねられているにすぎない。なぜ必要なのか。明快な説明が不可欠だろう

▼昨年当欄で紹介した帯広南商業高校のように校則廃止で主体性や自律性を高めた例もある。求められるのは、自ら考え判断する「人的人格」形成を目的とする意識ではないか。学校に羊飼いは必要あるまい。



たかが茶髪、されど茶髪(2021年2月17日配信『中国新聞』-「天風録」)

 20年近く前、カンボジアの農村地帯にある小学校を訪ねると、子どもたちがとびきりの笑顔で迎えてくれた。茶髪が目立つ。「おしゃれだな」とつぶやくと、現地の教師は首を振った。「栄養失調で髪の色が抜けるんです」。わが不明を思い切り恥じた

▲生まれつき茶髪なのに、校則を盾に、教師から何度も黒染めを強要されて不登校になった―。そんな元女子高生の訴えを一部認め、大阪地裁は府に賠償を命じた。ただ、頭髪の染色を禁じた校則は違法ではないとした

▲さて、この司法判断を世間はどう受け止めるだろう。わが国では栄養失調による茶髪はまれだとしても、貧困ゆえに髪を染めたくてもかなわない子もいるだろう。コロナ禍により、貧富の格差はいっそう広がっている

▲一方、厳格な校則を押しつければ非行は防げるという時代でもないだろう。元首相による女性蔑視発言の直後でもある。やっぱり人権尊重に疎い国なのかと、海外にも反響は広がりそう

▲あのカンボジアの子たちは黒髪を取り戻しただろうか。今では思い思いの色に染めているだろうか。個性や多様性を尊重しつつ、公平で公正な社会を築く。たかが髪の色だが、考えることは多い。





学校の「当たり前」を見直してみる(2020年11月14日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 来春に向け、大型スーパーの陳列台でランドセルを見掛ける季節になった。赤と黒に加えうす紫、こはく色、空色など多彩な色が目を引く。一昔前、色の種類は少なく、男子は「黒色」、女子は「赤色」という暗黙のルールもあった

▼性別にとらわれず好きな色を選べるようになったのはいい。通学路でカラフルなランドセルを背負う小学生を見掛けると実感する

▼県内の中学校では性別に関係なく自由に制服を選べる「制服選択制」が広がっている。県教育庁の調査と琉球新報のまとめでは今年4月時点で、2020年度から選択制を導入予定の公立中学校は36校に上り、制服のある144校の4分の1を占めた

▼選択制の広がりは、心と体の性が一致しない性同一性障害の当事者の服装に関する悩みを和らげるだろう。性の多様性を伝えるメッセージになる

▼県による男女共同参画社会づくりに関する県民意識調査で、自分の体の性や心の性、性的指向に悩んだことがあるとの回答は全体で4・6%。若年層ほど多く20代で8・5%、30代は10・4%に上り、一定割合いた

▼調査では性に基づく差別や偏見を解消するために必要なこととして、56%が「幼少期からの教育」と答えた。子どもたちが「男らしさ」「女らしさ」をすり込まれ生きづらさを抱えないために、学校の中にある「当たり前」を見直してみる。それが第一歩になる。





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 昭和のテレビアニメ「一休さん」に登場する「どちて坊や」は、愛らしいのに煙たがられる。次々に疑問が湧き起こり、「どちて(どうして)?」を連発して周りの人を困らせるからだ。

 子どもの質問に悩まされるのは珍しくない。校則問題を取り上げた先月の本紙オセモコ面にもあった。「ランドセルは何色でも良いのに、ヘアゴムの色はなぜ決まっているの」。確かになぜ、である。

 学校という集団行動の場でルールが必要なことは理解できる。それでも校則への疑問の声が上がるのは、非行防止といった名目で、理不尽に感じるものがあったからだろう。

 細かすぎる、厳しすぎるといった指摘を踏まえ、校則は全国的に見直されつつある。鹿児島市内の公立小中学校では、「下着は白色限定」の決まりが姿を消した。南さつま市の金峰中学校は、性的少数者(LGBT)に配慮して性別を問わず制服を選べるようにした。

 県内には髪形などの規則見直しを生徒たちが話し合う学校も出てきた。教師側も対立せず、主権者教育の一環と背中を押しているという。自分の意見をルールに反映させる取り組みは責任の大きさを知る大切な学びとなろう。

 新年度が始まって2週間、進学先で納得できない決まりに気付いた子もいるかもしれない。疑問は友達や先生に話して一緒に考えてみよう。少しでも減らしたい校則の「どちて」である。





「ブラック校則」だ。およそ人権侵害のレベル(2021年4月8日配信『日本経済新聞』ー「春秋」)

 1969年秋、北海道小樽市の高校で生徒数人が制帽を焼き払う騒ぎが起きた。大学紛争が高校にも波及し、政治的な訴えと並んで服装自由化や校則見直しが叫ばれた時代である。それを象徴する衝撃的な事件だった(小林哲夫著「高校紛争 1969-1970」)。

▼若者たちのこうした反乱を経て、改革が進んだ学校は少なくない。しかし紛争に手を焼いた経験から、逆に管理教育に走るケースも目立った。のちに校内暴力が社会問題になると生徒への締めつけは厳しさを増し、いまも理不尽な決まりごとが横行している。いわゆる「ブラック校則」だ。およそ人権侵害のレベルである。

▼生まれつき黒以外の髪や、くせ毛を持つ生徒に「地毛証明」を提出させる東京都立高は昨年夏の時点で4割強にのぼった。染髪やパーマをかたくなに禁止するから、こんなルールがまかり通るわけだ。下着の色は白、という校則も珍しくない。教員がチェックに及ぶ学校もあるという。それを異常と思わぬ感覚が恐ろしい。

▼ここにきて批判が強まり、改善の動きが伝えられる。しかし、そもそも髪形も髪の色も服装も、どこまで規則で縛るべきものだろう。往年の高校紛争が残した変化のひとつは、かの制帽の廃止だった。制服とともに必須のはずだった学生帽が、いまや大半の学校から消えた。消えて久しいが、なにも不都合は生じていない。





ブラック校則 各校で開かれた対話を(2021年4月2日配信『東京新聞』-「社説」)

 下着の色を指定するなど、いわゆる「ブラック校則」を見直す機運が生まれている。人権を侵害したり、理不尽だったりする校則も依然残る。各校で生徒を交えた対話が始まることを期待したい。

 「学校に制服強制の権限があるか否かを明らかに」「人権侵害・健康を害する校則は即刻廃止と通知」。現職教員や若者団体の代表らは3月下旬、こんな要望書を約1万9千筆の署名とともに萩生田光一文部科学相に提出した。

 萩生田文科相は記者会見などで、校則や指導は各校の判断に委ねられているとした上で「下着の色までというのは、どういう根拠なのか個人的には不思議」「民主的に皆さんが話し合って変えていくことについて異論はない」と述べている。

 「ブラック校則」は、2017年に大阪府立高校の元生徒が地毛の黒染めを強要され不登校になったとして、府に損害賠償を求めて提訴したことが一つの契機となり注目された。NPO有志によるネット上での情報提供の呼びかけに「登山での水飲み禁止」など健康にかかわる校則も報告された。

 今年2月の大阪地裁判決は違法性を認めなかったが、一石が投じられたことで、校則を見直す動きも出ている。

 文科省の19年度調査で、校則など「学校の決まりなどをめぐる問題」で不登校になった児童生徒は小中高合わせて五千五百人以上に上る。この数字の意味は重い。

 下着の色の指定や検査など、子どもの人権を侵害しかねない校則の見直しを求める通知を出した教育委員会もある。校則をHPで公開する自治体も出てきている。

 新型コロナウイルスの感染防止策として洗濯しやすい私服も選択できるようにした学校もあり、制服の存在意義も見直されている。

 前時代的な校則が存続してきたことは学校の閉鎖性と無縁ではない。現行の校則が、そもそもどんな目的で存在しているのか。教育目的を達成する手段だったはずの校則が目的そのものになってしまっていないか。細かな校則を定めている学校は一度、自らを問い直してみてはどうだろう。

 その上で、それぞれの学校で生徒らも交えて、開かれた対話を始めてほしい。性的少数者(LGBT)への配慮や、教員の働き方改革など社会的な要請もある。

 生徒らが自らが通う学校のルール作りに参画することは、これからの民主主義の担い手にとって、貴重な第一歩になるはずだ。





それぞれのペースで(2021年3月24日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 「気をつけ、前にならえ。全体前に進め」―。両手両足をそろえ、隣の人と歩調を合わせて行進する。運動会でよく見られる光景だ。子どもたちが整列する姿をこれまで無頓着に眺めていた

▼日本ラグビーフットボール協会理事の谷口真由美さんは、運動会の整列を「明治時代の修練の名残で、軍隊の文化が今も体育に残っている」と指摘する。規律を重んじる教育は、学校内に行き過ぎた校則として残る

▼肌着の色は白と規定されている娘の中学校は、制服検査でブラウスのボタンを開けて肌着の色をチェックされるという。人権よりも、優先される校則とは何か、考えさせられる

▼以前に比べ、かなり校則は変わってはきている。県内でも1990年代に中学男子の丸刈りは廃止され、ここ数年は男女の区別なく制服が選べる制服選択制も広がりを見せる

▼髪の色が明るい人に地毛証明書を求めるといった、度を越える校則の見直しの議論は以前からある。多くの人が「おかしい」と思いながら残り続ける背景には、髪質は一部の生徒の問題とされ、制服検査は一時的な我慢で見過ごされてきたからだろう

▼グローバル化が進み、多様な価値観が尊重される世の中だ。規律重視によって一つの形にはめ込む教育では、創造性や自立した考えを育めない。一斉に「全体前に進め」ではなく、それぞれのペースで進む方がいい。





[ブラック校則]不合理なルール見直せ(2021年3月17日配信『沖縄タイムス』-「社説」)

 合理性に乏しい規則を強いる「ブラック校則」が近年、全国で問題になっている。

 大阪府立高校の元女子生徒が髪の黒染めを強要され、不登校になったとして損害賠償を求めた訴訟は、海外メディアでも注目された。

 県内でも、那覇市議会2020年2月定例会で、女子生徒の肌着の色指定や服装検査の問題が取り上げられ、「人権侵害とも言える行き過ぎた校則だ」と指摘された。

 肌着の色を「白」や白に近い色に限定している市立中学が多く、生徒から「ブラジャーが透けて見えやすい」と不満の声が上がっている。人前で肌着を見られたり、触られたりする服装検査も「気持ち悪い」と反発がある。

 肌着の色指定や服装検査は全国で問題になっており、見直す動きが出ている。

 長崎県教育委員会は人権侵害になりかねないとして市町村教委や学校に見直しを通知。岐阜県の県立高校はそうした校則を廃止した。

 那覇市教委も子どもの人権を侵害するような校則を見直すよう各学校に求めているがことし1月までに肌着の色指定を変更した学校はない。

 ブラック校則と目されるものには他に、黒髪や直毛でない生徒に「地毛証明書」を提出させたり、社会に定着している、耳の上や襟足を刈り上げる髪形「ツーブロック」を禁止するものがある。

 ただ「校則だから」という理由では生徒は納得しない。合理的な理由の説明とともに、時代に合った規則かどうか検証する必要がある。

■    ■

 「ブラック校則」問題は今に始まったものではない。古くて新しい問題だ。

 例えば県内では1980年代、男子生徒の丸刈り校則が社会問題になった。生徒や保護者から「人権侵害」との批判が高まり、今日ではほとんど姿を消した。

 本年度は新型コロナウイルスの影響による変化も見られる。

 文部科学省は換気に伴う寒さ対策として、防寒着着用に柔軟な対応を取るよう、全国の教育委員会に通知した。

 県内でもタイツ着用などを認める学校が増えている。一時的なものにせず、これを機に校則を見直してほしいという声が上がっている。

 LGBT(性的少数者)への理解の深まりで、制服選択制を導入する学校も急増している。

 校則は変化してきたし、これからも時代の要請に応じて変えていくべきだ。

■    ■

 学校という集団生活の場で一定のルールを守ることは必要だ。社会に出たときの訓練にもなる。

 だがそれが、管理する側の都合に合わせた理不尽なルールの強要や、子の尊厳を傷つけるものになっているなら、変えるべきだ。

 大人に一方的に決められたものでなく、生徒が主体的にルールづくりに関われば、守る意識も高まるだろう。

 校則の見直しを、生徒が自ら考え、決め、変える機会にできたらいい。

 教育行政や学校現場のトップには、そうした場づくりに挑戦してほしい。





校則裁判(2021年3月4日配信『福井新聞』-「論説」)
「在り方」を考える契機に

 大阪府立高の元女子生徒が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らに強要され不登校になったとして府に慰謝料を求めた訴訟で、大阪地裁は「教員らの頭髪指導は違法ではなく、黒染めを強要したとは評価できない」との判断を示した。

 この訴訟は、不合理な「ブラック校則」が社会問題化するきっかけとなっただけに注目された。生徒側に厳しい判決となったが、どんな校則も認められるとしたわけではない。むしろ生徒のためにはどんな校則が望ましいのか、生徒とともに校則の在り方を考えるきっかけとしたい。

 裁判で、元生徒は生まれつき髪が茶色だと主張したのに対し、教員らは生来の髪は黒色で茶色に染めた髪を元に戻すよう指導したと指摘。裁判長は元生徒の地毛が茶色かどうかの判断は示さず、教育的指導の裁量の範囲を逸脱した違法性はなかったとした。同校の校則についても「正当な教育目的であり、社会通念に照らし合理的」と判断した。

 その一方、元生徒が進級したのに席を教室に置かなかったり、生徒名簿に掲載しなかったりしたことを違法として、33万円の賠償を命じた。

 今回の訴訟を機に、人権感覚とずれた校則の見直しを求める声が全国で上がった。大阪府教委は2017年、全府立高に校則の点検を指示し、18年に4割以上で校則や内規を見直した。4年前には国会でも取り上げられ「外国人留学生のみならず国際結婚の増加で日本人でも髪の色や肌の色が多様な生徒が増加し、身体的な特徴を変えさせる校則は時代錯誤」との指摘もあった。

 だが、今も頭髪をはじめ学校の細かな決まりは多い。東京都立高の約4割で、生まれつきの髪の色などを証明させる「地毛証明書」を提出させていた。都教委は「事実誤認による頭髪の指導を防ぐためで、任意」と説明しているが、事実上の強制との受け止め方もあるようだ。こうした証明書が生徒たちを精神的に追い詰めることがないのか、疑問が残る。

 都内の公立中では校長のリーダーシップで議論を重ね、校則をなくした学校がある。千代田区立麹町中では頭髪や服装のルールづくりはPTAに権限を移譲し、頭髪や服装の指導は一切しない。制服などの在り方については生徒会もPTAに協力して主体的に検討した。いずれの学校でも特に問題は起きず、生徒が自分たちのことは自分たちで考えるようになったという。

 社会が多様化する中で「みんな違っていい。しかし、同時に、誰もが大切にされるべきだ。この両立を考えることが重要」と、校則を見直した麹町中校長(当時)は著書で語っている。





髪染め強要判決 不条理校則見直す契機に(2021年2月23日配信『山陽新聞』-「社説」)

 社会の変化に合わない不条理な校則や生徒指導を見直す契機としたい。

 生来の茶色っぽい髪を黒く染めるよう教員らに強要され不登校になったとして、大阪府立高校の元女子生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決が大阪地裁であった。判決は元生徒の訴えを一部認めたが、髪の染色などを禁じる校則と学校の頭髪指導に違法性はないと判断した。

 校則は社会通念に照らして合理的とみられる範囲内で各学校長が制定する。裁判では校則が合法か、指導は適切だったか、元生徒が不登校となった後の対応は妥当だったかの3点で争われた。

 訴状などによると元生徒は生まれつき髪の色素が薄く、教員らの指導で髪を黒く染めたものの「不十分」だとして執拗(しつよう)に染髪を迫られたという。頭皮の痛みや精神的苦痛で2年生の2016年秋から登校できなくなり、翌年に提訴した。学校側は元生徒の髪は元来黒色だとの認識に基づいて指導したと主張した。

 判決は校則や指導は「学校教育の裁量の範囲を逸脱したとは認められない」と指摘。元生徒の地毛の色の判断は示さず、髪色に多様性を認めるべきかどうかに踏み込まなかった。校則を巡る学校側の裁量権を幅広く認めてきた過去の司法判断を踏襲した形と言えよう。元生徒側は控訴を検討するとしている。

 一方、元生徒が進級したのに教室に席を置かなかったりクラス名簿に氏名を載せなかったりしたことは「教育環境を整えるべき義務」を怠っていると批判した。集団生活に一定の決まりは欠かせない。だが指導によって元生徒は不登校となり、学習機会を奪われている。もっと寄り添った対応をすべきだった。

 今回の訴訟は各地で校則のあり方を議論する発端となった。市民団体や弁護士会が調査に乗りだし、下着の色を指定するといった行動を過度に縛る校則や、生徒会で校則について議論することを止められたケースなど理不尽な指導が広がっている実態が次々と明らかになっている。

 見直しの動きも本格化している。大阪府教委が提訴後に全府立高で実施した頭髪指導調査では、82%が染色や脱色を禁じていたが、一部の学校では地毛の色に戻すまで登校させないなどの行き過ぎた指導を廃止。全校が校則をホームページに掲載し、透明性を高めた。

 近年は外国にルーツを持つ子どものほか、さまざまな身体的特徴や文化的背景の人が学校にも増えている。多様性の尊重が進む中で、染髪禁止といった校則が児童生徒の成長に資するものになっているか議論を深めたい。

 まずはルールそのものが何を意図しているのかを学校側が丁寧に説明し、対話することが重要だ。校則が時代や地域に合っているか、子どもたちや保護者を含め、常に見直していく必要がある。



校則見直し 欠かせない子どもの視点(2021年2月23日配信『熊本日日新聞』-「社説」)

 子どもの人権を損ねる理不尽な校則を見直そうという動きが全国の学校などで広がっている。児童生徒の学校生活を制約する校則とは、いったい誰のための、何を目的としたルールなのか、社会全体で検証する好機としたい。

 大阪府立高の元女子生徒が、学校から髪を黒く染めるよう強要されたとして損害賠償を求めた訴訟。大阪地裁は判決で、校則は「正当な教育目的で、社会通念に照らし合理的」とし、校則と頭髪指導の違法性を認めなかった。

 この判決に対し、識者らは「時代錯誤で残念」「人権感覚がずれている」などと批判した。一方で、学校生活の中で一定の制約を設けることは教育上認められ、我慢や禁欲、自制についての指導も必要との指摘もあった。

 文部科学省によると、校則に明確な法的根拠はない。内容が理にかなっていれば、校長の裁量で制定できるとされる。ただ、実際には、子どもたちの意見が反映されず、学校側のお仕着せになっているケースが多いのではないか。

 校則は、学校という閉鎖的な疑似社会における“法律”だ。個人の多様性や自主性の尊重と、集団生活を維持する上で必要な私権の制約との間で、合理的、論理的なバランスが保たれた内容でなければなるまい。

 ある専門家は、理不尽な校則が容認されている原因の一つに「学校依存社会」を挙げる。確かに、地域や保護者が学校に対して、学習面だけでなく、生活上のしつけや社会的なマナーの指導まで期待してきた側面は否めない。

 だが、生来の茶髪を黒く染めさせたり、下着の色まで指定するような規則は人権侵害にほかならない。こうした校則は直ちに見直すべきであり、見直す際は、子どもを中心に学校や保護者、地域が一体となって知恵を絞るべきだ。

 福岡や佐賀の弁護士会は校則を検証し、「下着は白」など不合理な校則や生徒指導の見直しを提言した。名古屋市ではすべての市立中で、生徒手帳の内容の見直しが始まったという。

 熊本市教育委員会は市立小中学校の校則について、「人権や社会通念に照らして見直す」との方針を示した。見直しのガイドラインを策定する際は、(1)児童生徒が自ら考えて決める仕組みづくり(2)必要かつ合理的な範囲内(3)内容の公開-の3点を踏まえるという。昨年12月の市議会一般質問では、遠藤洋路教育長が「どんな校則が人権侵害に当たるかも基準に明示する」とも答弁している。児童生徒の視点に立った内容となるよう努めてほしい。

 学校が集団生活の場である以上、何らかのルールは必要だ。だが、校則の意義や意味さえ伝えず、唯々諾々と従わせるような指導が続けば、世の不条理に対する正当な抵抗力や批判精神も損なわれてしまう。校則による過剰な管理によって、子どもたちの自由な思考力や発想を奪うことがあってはならない。





黒染め強要、賠償判決 人権守る議論広げよう(2021年2月21日配信『中国新聞』-「社説」)

 大阪府立高に通っていた元生徒が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らに無理強いされ不登校になったとして、損害賠償を求めた訴訟の判決が下った。大阪地裁は、元生徒が不登校になった後の学校の対応に問題があったとして府に賠償を命じたものの、頭髪指導については「違法とは言えない」との判断を示した。

 学校の定める校則に明確な法的根拠はなく、校長の裁量に委ねられている。今回の判決はその裁量を広く認めた内容といえるが、子どもの人格や多様性を尊重する時代の流れに逆行していないだろうか。原告側は控訴を検討するという。

 訴状などによると、元生徒は生まれつき髪の色が薄く、保護者も入学時に配慮を求めた。しかし髪の染色や脱色を禁じた校則に基づき、教員から黒く染めるよう再三指導され、精神的苦痛から不登校になったという。

 判決は、校則について「正当な教育目的で定められた合理的なもの」、学校の「裁量の範囲内」とした。頭髪指導についても、学校側が元生徒の髪の色が黒だと認識していたなどとして、「違法とはいえない」とした。元生徒の地毛が茶色かどうかについては、なぜか判断しなかった。

 一方で、元生徒が不登校になった後、学校が名簿から名前を削るなどした対応は違法とし、府に33万円の賠償を命じた。

 頭髪指導を巡る最高裁の判決では、パーマを禁じる校則を「不合理なものとは言えない」とした例や、強制的に黒く染めさせる指導を「教育的指導の範囲内」とした例がある。学校の裁量を広く認める司法判断が定着しているようだ。

 だが、そもそも身体的特徴は人それぞれである。多様性を学ぶべき学校で、同じ格好をみんなに強制する指導の在り方は差別にもつながりかねず、人権侵害に当たるとの指摘もある。

 グローバル化が進み、多様な文化の下で育った児童生徒も少なくない。外国籍の子や性的少数者、ジェンダーなどへの理解も少しずつだが進んでいる。校則でも配慮すべきではないか。

 今回の訴訟が社会に一石を投じたことは間違いないだろう。下着の色や髪形まで細かく定める、理不尽な「ブラック校則」や指導の問題が広く認識されるきっかけにもなった。

 府教育庁はこの訴訟が提起された2017年、校則の点検などを指示。一部の高校では、頭髪を染めるなどした場合、帰宅させた上で染め直させる「再登校指導」といったルールが廃止されている。

 子どもの権利を守る観点は欠かせまい。千葉県立高では生徒の髪に黒染めスプレーを吹きかけた指導が問題となり、弁護士会が「体罰に準ずる人権侵害に当たる」として警告書を出している。佐賀弁護士会は、県内の公立中の校則を検証し、合理的でないものについて見直すよう県教委に提言した。

 学校生活を送る上で規則を設け、順守を指導することは一定に必要だろう。しかし、管理する側の視点を一方的に押し付ける校則や、人権を尊重しない指導があってはならない。

 その校則は何のためなのか、理にかなっているか―。子どもや保護者も含め、議論につなげていく必要がある。





何のため、誰のための校則か(2021年2月20日配信『秋田魁新報』-「北斗星」)

 先生にはあだ名があった。例えば「まま粒」。頭や顔の形が炊きたてのご飯粒のようでかわいらしい。親しみを込めてそう呼んでいた。昭和の後半、県南の高校の話だ

▼「〇〇パト」というのもあった。〇〇に先生の名が入る。パトはパトカーのことだったのか。登下校時、男子は制帽着用が原則だった気がする。先生は車で学校周辺を巡回。「△△君、帽子をかぶりなさい」と拡声器で呼び掛けていた

▼そうまでして指導していた姿を思い出すたび噴き出す。ただ、その情熱に脱帽する。不思議と嫌な思い出になっていない。厳しさの半面、生徒への愛情が底流に感じられたからか

▼現代の中国では先生にあだ名を付けるのを校則で禁じている所があるらしい。「〇〇パト」も違反となりかねない。日本の校則に戻ると先日、一つの判決が下された。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強要され、不登校になったと大阪の元女子高生が府を訴えていた

▼判決は学校の指導に違法性なしとした。問題なのは地毛が茶色かどうか肝心の判断を避けた点だ。髪の根元が黒いのを学校側は直接見て確認していた―と一方的に認めたのもすっきりしない

▼社会と同様、学校にも一定の規則は必要だろう。おかしいのは、前髪の長さや下着の色までこまごまと決めた校則が各地にあることだ。さほど説明もせず、子供に押し付けてはいないか。一人一人の個性を重んずるこの時代、何のため、誰のための校則かとの疑問は消えない。



校則、鋳型から多様性へ(2021年2月20日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 スカートの長さや髪形、靴下の色などを定めた校則。「ハイソックスは禁止」「左右の長さの違う髪形はだめ」。規定は事細かい。「こんなことまで」と首をひねりたくなるような校則もある

▼「学校は軍隊みたいだ」という嘆きを中学生から聞く。校則の必要性を問われ、答えられる教員はどれぐらいいるだろうか。生徒を管理しようという学校側の意思の表れであろう。根底にあるのは古くて画一的な生徒観

▼髪を黒く染めるよう教師に強要されたとして大阪府立高の元女子生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決があった。大阪地裁は頭髪指導の違法性は認めなかったが、不登校時の学校の対応を違法として一部賠償を命じた

▼元女子生徒は大人になって提訴した。判決を受け、名古屋大の内田良准教授は校則について「(何が良くて何が悪いかを)自分で考えて選べるようにするのが教育の使命だ」と時代の変化に沿った見直しを促す

▼糸満市立西崎中の生徒会が校則の改定案をPTAや住民でつくる学校運営協議会に提案した。男子のスカート着用、腕まくりや登下校時のマフラーなどを認めるよう盛り込んだ。多様性を重んじる感性がうかがえる

▼生徒を鋳型にはめる校則から多様性を尊重する校則へ。学校は社会の縮図。この中で生徒が提起し、教員と共に校則を変えていく。この試みは社会を変える力にもなる。





頭髪指導訴訟 子供の多様性認めたい(2021年2月18日配信『北海道新聞』-「社説」)

 学校の校則や指導のあり方に一石を投じた訴訟となった。

 通学していた大阪府立高校で、生来の茶色い髪を黒く染めるよう強要され不登校になったとして、元生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は校則や頭髪指導は適法との判断を示した。

 判決は学校側の裁量の範囲を幅広く認め、髪の黒染めも強要ではないとした。だが争点の一つだった元生徒の地毛が茶色だったかについては判断しなかった。

 学校側の指導が妥当だったのか疑問を残したと言えよう。

 今回の訴訟を契機に、髪形などを厳しく定める「ブラック校則」の問題点が広く認識された。

 ルールの順守を教える重要性は言うまでもない。同時に児童生徒が自ら考え、個人として判断できる力を育むのも教育の大切な役割だ。その積み重ねが多様性を尊重する学校の実現につながろう。

 訴状などによると、元生徒は髪の色が薄く、入学時に配慮を求めたが、教諭らは髪の染色や脱色を禁じた校則に基づき、黒く染めるよう指導を繰り返した。

 判決は、元生徒が不登校になった後に名簿の氏名を削るなどした対応は違法とし、府に33万円の賠償を命じた。学校側は教育的配慮を欠いており当然の判断だろう。

 一方、校則については社会通念に照らして合理的であり、頭髪指導も学校側が元生徒の髪の根元が黒かったことを確認していたとして、いずれも違法性を否定した。

 元生徒側は何度も髪染めしたため頭皮などを損傷したと主張したが、判決は証拠がないと退けた。

 元生徒の代理人弁護士が「乱暴な事実認定」と述べた通り、学校側の主張をあまりに重視した判断ではないか。元生徒が受けた人権侵害や心身の苦痛について、検討を尽くしたとは見えない。

 過度な校則は子供に大きなストレスとなる。

 日本も批准した子どもの権利条約は「子どもに影響を及ぼす全ての事項について、自由に自己の意見を表明する権利を確保する」と定める。この理念を教育の場で生かしたい。

 今や外国人が身近に増え、LGBTなど性的少数者もいる。多様性の必要が言われるゆえんだ。

 児童生徒が教育の主人公という基本に立ち返る必要がある。生徒が主体的に考える力を育もうと校則を作らない学校も増えている。

 管理する側の都合を押しつけるようなブラック校則や不合理な指導は廃すべきである。





学校の羊飼い(2021年2月17日配信『北海道新聞』-「卓上四季」)

 教師が閉めた校門の門扉に挟まれ生徒が亡くなるという痛ましい出来事があった。1990年の神戸高塚高校校門圧死事件だ。「遅刻を許さない」という狭い目的意識が異様に特化し、世界をバランス良く見る視野が失われた。そう指摘したのは、村上春樹さんである(「職業としての小説家」新潮文庫)

▼「共同体の役に立つ犬的人格を、ときには団体まるごと目的地まで導かれる羊的人格をつくることを目的にしている」。日本の教育についての村上さんの考察には、憤怒すら漂う

▼行き過ぎた生徒指導で精神的苦痛を受けたとして、大阪府立高校の生徒だった女性が府に損害賠償を求めた訴訟の判決がきのう、大阪地裁で言い渡された。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強制され、不登校に追い込まれたと訴えたが、判決はこれを退けた

▼校則や生徒指導の在り方が争われる裁判は近年増えており、下着の色まで指定するような事例は「ブラック校則」として見直しの対象となっている

▼そもそも校則に明確な法的根拠はなく、合理的な範囲で学校長の裁量に委ねられているにすぎない。なぜ必要なのか。明快な説明が不可欠だろう

▼昨年当欄で紹介した帯広南商業高校のように校則廃止で主体性や自律性を高めた例もある。求められるのは、自ら考え判断する「人的人格」形成を目的とする意識ではないか。学校に羊飼いは必要あるまい。



たかが茶髪、されど茶髪(2021年2月17日配信『中国新聞』-「天風録」)

 20年近く前、カンボジアの農村地帯にある小学校を訪ねると、子どもたちがとびきりの笑顔で迎えてくれた。茶髪が目立つ。「おしゃれだな」とつぶやくと、現地の教師は首を振った。「栄養失調で髪の色が抜けるんです」。わが不明を思い切り恥じた

▲生まれつき茶髪なのに、校則を盾に、教師から何度も黒染めを強要されて不登校になった―。そんな元女子高生の訴えを一部認め、大阪地裁は府に賠償を命じた。ただ、頭髪の染色を禁じた校則は違法ではないとした

▲さて、この司法判断を世間はどう受け止めるだろう。わが国では栄養失調による茶髪はまれだとしても、貧困ゆえに髪を染めたくてもかなわない子もいるだろう。コロナ禍により、貧富の格差はいっそう広がっている

▲一方、厳格な校則を押しつければ非行は防げるという時代でもないだろう。元首相による女性蔑視発言の直後でもある。やっぱり人権尊重に疎い国なのかと、海外にも反響は広がりそう

▲あのカンボジアの子たちは黒髪を取り戻しただろうか。今では思い思いの色に染めているだろうか。個性や多様性を尊重しつつ、公平で公正な社会を築く。たかが髪の色だが、考えることは多い。





学校の「当たり前」を見直してみる(2020年11月14日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 来春に向け、大型スーパーの陳列台でランドセルを見掛ける季節になった。赤と黒に加えうす紫、こはく色、空色など多彩な色が目を引く。一昔前、色の種類は少なく、男子は「黒色」、女子は「赤色」という暗黙のルールもあった

▼性別にとらわれず好きな色を選べるようになったのはいい。通学路でカラフルなランドセルを背負う小学生を見掛けると実感する

▼県内の中学校では性別に関係なく自由に制服を選べる「制服選択制」が広がっている。県教育庁の調査と琉球新報のまとめでは今年4月時点で、2020年度から選択制を導入予定の公立中学校は36校に上り、制服のある144校の4分の1を占めた

▼選択制の広がりは、心と体の性が一致しない性同一性障害の当事者の服装に関する悩みを和らげるだろう。性の多様性を伝えるメッセージになる

▼県による男女共同参画社会づくりに関する県民意識調査で、自分の体の性や心の性、性的指向に悩んだことがあるとの回答は全体で4・6%。若年層ほど多く20代で8・5%、30代は10・4%に上り、一定割合いた

▼調査では性に基づく差別や偏見を解消するために必要なこととして、56%が「幼少期からの教育」と答えた。子どもたちが「男らしさ」「女らしさ」をすり込まれ生きづらさを抱えないために、学校の中にある「当たり前」を見直してみる。それが第一歩になる。







 昭和のテレビアニメ「一休さん」に登場する「どちて坊や」は、愛らしいのに煙たがられる。次々に疑問が湧き起こり、「どちて(どうして)?」を連発して周りの人を困らせるからだ。

 子どもの質問に悩まされるのは珍しくない。校則問題を取り上げた先月の本紙オセモコ面にもあった。「ランドセルは何色でも良いのに、ヘアゴムの色はなぜ決まっているの」。確かになぜ、である。

 学校という集団行動の場でルールが必要なことは理解できる。それでも校則への疑問の声が上がるのは、非行防止といった名目で、理不尽に感じるものがあったからだろう。

 細かすぎる、厳しすぎるといった指摘を踏まえ、校則は全国的に見直されつつある。鹿児島市内の公立小中学校では、「下着は白色限定」の決まりが姿を消した。南さつま市の金峰中学校は、性的少数者(LGBT)に配慮して性別を問わず制服を選べるようにした。

 県内には髪形などの規則見直しを生徒たちが話し合う学校も出てきた。教師側も対立せず、主権者教育の一環と背中を押しているという。自分の意見をルールに反映させる取り組みは責任の大きさを知る大切な学びとなろう。

 新年度が始まって2週間、進学先で納得できない決まりに気付いた子もいるかもしれない。疑問は友達や先生に話して一緒に考えてみよう。少しでも減らしたい校則の「どちて」である。





「ブラック校則」だ。およそ人権侵害のレベル(2021年4月8日配信『日本経済新聞』ー「春秋」)

 1969年秋、北海道小樽市の高校で生徒数人が制帽を焼き払う騒ぎが起きた。大学紛争が高校にも波及し、政治的な訴えと並んで服装自由化や校則見直しが叫ばれた時代である。それを象徴する衝撃的な事件だった(小林哲夫著「高校紛争 1969-1970」)。

▼若者たちのこうした反乱を経て、改革が進んだ学校は少なくない。しかし紛争に手を焼いた経験から、逆に管理教育に走るケースも目立った。のちに校内暴力が社会問題になると生徒への締めつけは厳しさを増し、いまも理不尽な決まりごとが横行している。いわゆる「ブラック校則」だ。およそ人権侵害のレベルである。

▼生まれつき黒以外の髪や、くせ毛を持つ生徒に「地毛証明」を提出させる東京都立高は昨年夏の時点で4割強にのぼった。染髪やパーマをかたくなに禁止するから、こんなルールがまかり通るわけだ。下着の色は白、という校則も珍しくない。教員がチェックに及ぶ学校もあるという。それを異常と思わぬ感覚が恐ろしい。

▼ここにきて批判が強まり、改善の動きが伝えられる。しかし、そもそも髪形も髪の色も服装も、どこまで規則で縛るべきものだろう。往年の高校紛争が残した変化のひとつは、かの制帽の廃止だった。制服とともに必須のはずだった学生帽が、いまや大半の学校から消えた。消えて久しいが、なにも不都合は生じていない。





ブラック校則 各校で開かれた対話を(2021年4月2日配信『東京新聞』-「社説」)

 下着の色を指定するなど、いわゆる「ブラック校則」を見直す機運が生まれている。人権を侵害したり、理不尽だったりする校則も依然残る。各校で生徒を交えた対話が始まることを期待したい。

 「学校に制服強制の権限があるか否かを明らかに」「人権侵害・健康を害する校則は即刻廃止と通知」。現職教員や若者団体の代表らは3月下旬、こんな要望書を約1万9千筆の署名とともに萩生田光一文部科学相に提出した。

 萩生田文科相は記者会見などで、校則や指導は各校の判断に委ねられているとした上で「下着の色までというのは、どういう根拠なのか個人的には不思議」「民主的に皆さんが話し合って変えていくことについて異論はない」と述べている。

 「ブラック校則」は、2017年に大阪府立高校の元生徒が地毛の黒染めを強要され不登校になったとして、府に損害賠償を求めて提訴したことが一つの契機となり注目された。NPO有志によるネット上での情報提供の呼びかけに「登山での水飲み禁止」など健康にかかわる校則も報告された。

 今年2月の大阪地裁判決は違法性を認めなかったが、一石が投じられたことで、校則を見直す動きも出ている。

 文科省の19年度調査で、校則など「学校の決まりなどをめぐる問題」で不登校になった児童生徒は小中高合わせて五千五百人以上に上る。この数字の意味は重い。

 下着の色の指定や検査など、子どもの人権を侵害しかねない校則の見直しを求める通知を出した教育委員会もある。校則をHPで公開する自治体も出てきている。

 新型コロナウイルスの感染防止策として洗濯しやすい私服も選択できるようにした学校もあり、制服の存在意義も見直されている。

 前時代的な校則が存続してきたことは学校の閉鎖性と無縁ではない。現行の校則が、そもそもどんな目的で存在しているのか。教育目的を達成する手段だったはずの校則が目的そのものになってしまっていないか。細かな校則を定めている学校は一度、自らを問い直してみてはどうだろう。

 その上で、それぞれの学校で生徒らも交えて、開かれた対話を始めてほしい。性的少数者(LGBT)への配慮や、教員の働き方改革など社会的な要請もある。

 生徒らが自らが通う学校のルール作りに参画することは、これからの民主主義の担い手にとって、貴重な第一歩になるはずだ。





それぞれのペースで(2021年3月24日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 「気をつけ、前にならえ。全体前に進め」―。両手両足をそろえ、隣の人と歩調を合わせて行進する。運動会でよく見られる光景だ。子どもたちが整列する姿をこれまで無頓着に眺めていた

▼日本ラグビーフットボール協会理事の谷口真由美さんは、運動会の整列を「明治時代の修練の名残で、軍隊の文化が今も体育に残っている」と指摘する。規律を重んじる教育は、学校内に行き過ぎた校則として残る

▼肌着の色は白と規定されている娘の中学校は、制服検査でブラウスのボタンを開けて肌着の色をチェックされるという。人権よりも、優先される校則とは何か、考えさせられる

▼以前に比べ、かなり校則は変わってはきている。県内でも1990年代に中学男子の丸刈りは廃止され、ここ数年は男女の区別なく制服が選べる制服選択制も広がりを見せる

▼髪の色が明るい人に地毛証明書を求めるといった、度を越える校則の見直しの議論は以前からある。多くの人が「おかしい」と思いながら残り続ける背景には、髪質は一部の生徒の問題とされ、制服検査は一時的な我慢で見過ごされてきたからだろう

▼グローバル化が進み、多様な価値観が尊重される世の中だ。規律重視によって一つの形にはめ込む教育では、創造性や自立した考えを育めない。一斉に「全体前に進め」ではなく、それぞれのペースで進む方がいい。





[ブラック校則]不合理なルール見直せ(2021年3月17日配信『沖縄タイムス』-「社説」)

 合理性に乏しい規則を強いる「ブラック校則」が近年、全国で問題になっている。

 大阪府立高校の元女子生徒が髪の黒染めを強要され、不登校になったとして損害賠償を求めた訴訟は、海外メディアでも注目された。

 県内でも、那覇市議会2020年2月定例会で、女子生徒の肌着の色指定や服装検査の問題が取り上げられ、「人権侵害とも言える行き過ぎた校則だ」と指摘された。

 肌着の色を「白」や白に近い色に限定している市立中学が多く、生徒から「ブラジャーが透けて見えやすい」と不満の声が上がっている。人前で肌着を見られたり、触られたりする服装検査も「気持ち悪い」と反発がある。

 肌着の色指定や服装検査は全国で問題になっており、見直す動きが出ている。

 長崎県教育委員会は人権侵害になりかねないとして市町村教委や学校に見直しを通知。岐阜県の県立高校はそうした校則を廃止した。

 那覇市教委も子どもの人権を侵害するような校則を見直すよう各学校に求めているがことし1月までに肌着の色指定を変更した学校はない。

 ブラック校則と目されるものには他に、黒髪や直毛でない生徒に「地毛証明書」を提出させたり、社会に定着している、耳の上や襟足を刈り上げる髪形「ツーブロック」を禁止するものがある。

 ただ「校則だから」という理由では生徒は納得しない。合理的な理由の説明とともに、時代に合った規則かどうか検証する必要がある。

■    ■

 「ブラック校則」問題は今に始まったものではない。古くて新しい問題だ。

 例えば県内では1980年代、男子生徒の丸刈り校則が社会問題になった。生徒や保護者から「人権侵害」との批判が高まり、今日ではほとんど姿を消した。

 本年度は新型コロナウイルスの影響による変化も見られる。

 文部科学省は換気に伴う寒さ対策として、防寒着着用に柔軟な対応を取るよう、全国の教育委員会に通知した。

 県内でもタイツ着用などを認める学校が増えている。一時的なものにせず、これを機に校則を見直してほしいという声が上がっている。

 LGBT(性的少数者)への理解の深まりで、制服選択制を導入する学校も急増している。

 校則は変化してきたし、これからも時代の要請に応じて変えていくべきだ。

■    ■

 学校という集団生活の場で一定のルールを守ることは必要だ。社会に出たときの訓練にもなる。

 だがそれが、管理する側の都合に合わせた理不尽なルールの強要や、子の尊厳を傷つけるものになっているなら、変えるべきだ。

 大人に一方的に決められたものでなく、生徒が主体的にルールづくりに関われば、守る意識も高まるだろう。

 校則の見直しを、生徒が自ら考え、決め、変える機会にできたらいい。

 教育行政や学校現場のトップには、そうした場づくりに挑戦してほしい。





校則裁判(2021年3月4日配信『福井新聞』-「論説」)
「在り方」を考える契機に

 大阪府立高の元女子生徒が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らに強要され不登校になったとして府に慰謝料を求めた訴訟で、大阪地裁は「教員らの頭髪指導は違法ではなく、黒染めを強要したとは評価できない」との判断を示した。

 この訴訟は、不合理な「ブラック校則」が社会問題化するきっかけとなっただけに注目された。生徒側に厳しい判決となったが、どんな校則も認められるとしたわけではない。むしろ生徒のためにはどんな校則が望ましいのか、生徒とともに校則の在り方を考えるきっかけとしたい。

 裁判で、元生徒は生まれつき髪が茶色だと主張したのに対し、教員らは生来の髪は黒色で茶色に染めた髪を元に戻すよう指導したと指摘。裁判長は元生徒の地毛が茶色かどうかの判断は示さず、教育的指導の裁量の範囲を逸脱した違法性はなかったとした。同校の校則についても「正当な教育目的であり、社会通念に照らし合理的」と判断した。

 その一方、元生徒が進級したのに席を教室に置かなかったり、生徒名簿に掲載しなかったりしたことを違法として、33万円の賠償を命じた。

 今回の訴訟を機に、人権感覚とずれた校則の見直しを求める声が全国で上がった。大阪府教委は2017年、全府立高に校則の点検を指示し、18年に4割以上で校則や内規を見直した。4年前には国会でも取り上げられ「外国人留学生のみならず国際結婚の増加で日本人でも髪の色や肌の色が多様な生徒が増加し、身体的な特徴を変えさせる校則は時代錯誤」との指摘もあった。

 だが、今も頭髪をはじめ学校の細かな決まりは多い。東京都立高の約4割で、生まれつきの髪の色などを証明させる「地毛証明書」を提出させていた。都教委は「事実誤認による頭髪の指導を防ぐためで、任意」と説明しているが、事実上の強制との受け止め方もあるようだ。こうした証明書が生徒たちを精神的に追い詰めることがないのか、疑問が残る。

 都内の公立中では校長のリーダーシップで議論を重ね、校則をなくした学校がある。千代田区立麹町中では頭髪や服装のルールづくりはPTAに権限を移譲し、頭髪や服装の指導は一切しない。制服などの在り方については生徒会もPTAに協力して主体的に検討した。いずれの学校でも特に問題は起きず、生徒が自分たちのことは自分たちで考えるようになったという。

 社会が多様化する中で「みんな違っていい。しかし、同時に、誰もが大切にされるべきだ。この両立を考えることが重要」と、校則を見直した麹町中校長(当時)は著書で語っている。





髪染め強要判決 不条理校則見直す契機に(2021年2月23日配信『山陽新聞』-「社説」)

 社会の変化に合わない不条理な校則や生徒指導を見直す契機としたい。

 生来の茶色っぽい髪を黒く染めるよう教員らに強要され不登校になったとして、大阪府立高校の元女子生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決が大阪地裁であった。判決は元生徒の訴えを一部認めたが、髪の染色などを禁じる校則と学校の頭髪指導に違法性はないと判断した。

 校則は社会通念に照らして合理的とみられる範囲内で各学校長が制定する。裁判では校則が合法か、指導は適切だったか、元生徒が不登校となった後の対応は妥当だったかの3点で争われた。

 訴状などによると元生徒は生まれつき髪の色素が薄く、教員らの指導で髪を黒く染めたものの「不十分」だとして執拗(しつよう)に染髪を迫られたという。頭皮の痛みや精神的苦痛で2年生の2016年秋から登校できなくなり、翌年に提訴した。学校側は元生徒の髪は元来黒色だとの認識に基づいて指導したと主張した。

 判決は校則や指導は「学校教育の裁量の範囲を逸脱したとは認められない」と指摘。元生徒の地毛の色の判断は示さず、髪色に多様性を認めるべきかどうかに踏み込まなかった。校則を巡る学校側の裁量権を幅広く認めてきた過去の司法判断を踏襲した形と言えよう。元生徒側は控訴を検討するとしている。

 一方、元生徒が進級したのに教室に席を置かなかったりクラス名簿に氏名を載せなかったりしたことは「教育環境を整えるべき義務」を怠っていると批判した。集団生活に一定の決まりは欠かせない。だが指導によって元生徒は不登校となり、学習機会を奪われている。もっと寄り添った対応をすべきだった。

 今回の訴訟は各地で校則のあり方を議論する発端となった。市民団体や弁護士会が調査に乗りだし、下着の色を指定するといった行動を過度に縛る校則や、生徒会で校則について議論することを止められたケースなど理不尽な指導が広がっている実態が次々と明らかになっている。

 見直しの動きも本格化している。大阪府教委が提訴後に全府立高で実施した頭髪指導調査では、82%が染色や脱色を禁じていたが、一部の学校では地毛の色に戻すまで登校させないなどの行き過ぎた指導を廃止。全校が校則をホームページに掲載し、透明性を高めた。

 近年は外国にルーツを持つ子どものほか、さまざまな身体的特徴や文化的背景の人が学校にも増えている。多様性の尊重が進む中で、染髪禁止といった校則が児童生徒の成長に資するものになっているか議論を深めたい。

 まずはルールそのものが何を意図しているのかを学校側が丁寧に説明し、対話することが重要だ。校則が時代や地域に合っているか、子どもたちや保護者を含め、常に見直していく必要がある。



校則見直し 欠かせない子どもの視点(2021年2月23日配信『熊本日日新聞』-「社説」)

 子どもの人権を損ねる理不尽な校則を見直そうという動きが全国の学校などで広がっている。児童生徒の学校生活を制約する校則とは、いったい誰のための、何を目的としたルールなのか、社会全体で検証する好機としたい。

 大阪府立高の元女子生徒が、学校から髪を黒く染めるよう強要されたとして損害賠償を求めた訴訟。大阪地裁は判決で、校則は「正当な教育目的で、社会通念に照らし合理的」とし、校則と頭髪指導の違法性を認めなかった。

 この判決に対し、識者らは「時代錯誤で残念」「人権感覚がずれている」などと批判した。一方で、学校生活の中で一定の制約を設けることは教育上認められ、我慢や禁欲、自制についての指導も必要との指摘もあった。

 文部科学省によると、校則に明確な法的根拠はない。内容が理にかなっていれば、校長の裁量で制定できるとされる。ただ、実際には、子どもたちの意見が反映されず、学校側のお仕着せになっているケースが多いのではないか。

 校則は、学校という閉鎖的な疑似社会における“法律”だ。個人の多様性や自主性の尊重と、集団生活を維持する上で必要な私権の制約との間で、合理的、論理的なバランスが保たれた内容でなければなるまい。

 ある専門家は、理不尽な校則が容認されている原因の一つに「学校依存社会」を挙げる。確かに、地域や保護者が学校に対して、学習面だけでなく、生活上のしつけや社会的なマナーの指導まで期待してきた側面は否めない。

 だが、生来の茶髪を黒く染めさせたり、下着の色まで指定するような規則は人権侵害にほかならない。こうした校則は直ちに見直すべきであり、見直す際は、子どもを中心に学校や保護者、地域が一体となって知恵を絞るべきだ。

 福岡や佐賀の弁護士会は校則を検証し、「下着は白」など不合理な校則や生徒指導の見直しを提言した。名古屋市ではすべての市立中で、生徒手帳の内容の見直しが始まったという。

 熊本市教育委員会は市立小中学校の校則について、「人権や社会通念に照らして見直す」との方針を示した。見直しのガイドラインを策定する際は、(1)児童生徒が自ら考えて決める仕組みづくり(2)必要かつ合理的な範囲内(3)内容の公開-の3点を踏まえるという。昨年12月の市議会一般質問では、遠藤洋路教育長が「どんな校則が人権侵害に当たるかも基準に明示する」とも答弁している。児童生徒の視点に立った内容となるよう努めてほしい。

 学校が集団生活の場である以上、何らかのルールは必要だ。だが、校則の意義や意味さえ伝えず、唯々諾々と従わせるような指導が続けば、世の不条理に対する正当な抵抗力や批判精神も損なわれてしまう。校則による過剰な管理によって、子どもたちの自由な思考力や発想を奪うことがあってはならない。





黒染め強要、賠償判決 人権守る議論広げよう(2021年2月21日配信『中国新聞』-「社説」)

 大阪府立高に通っていた元生徒が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らに無理強いされ不登校になったとして、損害賠償を求めた訴訟の判決が下った。大阪地裁は、元生徒が不登校になった後の学校の対応に問題があったとして府に賠償を命じたものの、頭髪指導については「違法とは言えない」との判断を示した。

 学校の定める校則に明確な法的根拠はなく、校長の裁量に委ねられている。今回の判決はその裁量を広く認めた内容といえるが、子どもの人格や多様性を尊重する時代の流れに逆行していないだろうか。原告側は控訴を検討するという。

 訴状などによると、元生徒は生まれつき髪の色が薄く、保護者も入学時に配慮を求めた。しかし髪の染色や脱色を禁じた校則に基づき、教員から黒く染めるよう再三指導され、精神的苦痛から不登校になったという。

 判決は、校則について「正当な教育目的で定められた合理的なもの」、学校の「裁量の範囲内」とした。頭髪指導についても、学校側が元生徒の髪の色が黒だと認識していたなどとして、「違法とはいえない」とした。元生徒の地毛が茶色かどうかについては、なぜか判断しなかった。

 一方で、元生徒が不登校になった後、学校が名簿から名前を削るなどした対応は違法とし、府に33万円の賠償を命じた。

 頭髪指導を巡る最高裁の判決では、パーマを禁じる校則を「不合理なものとは言えない」とした例や、強制的に黒く染めさせる指導を「教育的指導の範囲内」とした例がある。学校の裁量を広く認める司法判断が定着しているようだ。

 だが、そもそも身体的特徴は人それぞれである。多様性を学ぶべき学校で、同じ格好をみんなに強制する指導の在り方は差別にもつながりかねず、人権侵害に当たるとの指摘もある。

 グローバル化が進み、多様な文化の下で育った児童生徒も少なくない。外国籍の子や性的少数者、ジェンダーなどへの理解も少しずつだが進んでいる。校則でも配慮すべきではないか。

 今回の訴訟が社会に一石を投じたことは間違いないだろう。下着の色や髪形まで細かく定める、理不尽な「ブラック校則」や指導の問題が広く認識されるきっかけにもなった。

 府教育庁はこの訴訟が提起された2017年、校則の点検などを指示。一部の高校では、頭髪を染めるなどした場合、帰宅させた上で染め直させる「再登校指導」といったルールが廃止されている。

 子どもの権利を守る観点は欠かせまい。千葉県立高では生徒の髪に黒染めスプレーを吹きかけた指導が問題となり、弁護士会が「体罰に準ずる人権侵害に当たる」として警告書を出している。佐賀弁護士会は、県内の公立中の校則を検証し、合理的でないものについて見直すよう県教委に提言した。

 学校生活を送る上で規則を設け、順守を指導することは一定に必要だろう。しかし、管理する側の視点を一方的に押し付ける校則や、人権を尊重しない指導があってはならない。

 その校則は何のためなのか、理にかなっているか―。子どもや保護者も含め、議論につなげていく必要がある。





何のため、誰のための校則か(2021年2月20日配信『秋田魁新報』-「北斗星」)

 先生にはあだ名があった。例えば「まま粒」。頭や顔の形が炊きたてのご飯粒のようでかわいらしい。親しみを込めてそう呼んでいた。昭和の後半、県南の高校の話だ

▼「〇〇パト」というのもあった。〇〇に先生の名が入る。パトはパトカーのことだったのか。登下校時、男子は制帽着用が原則だった気がする。先生は車で学校周辺を巡回。「△△君、帽子をかぶりなさい」と拡声器で呼び掛けていた

▼そうまでして指導していた姿を思い出すたび噴き出す。ただ、その情熱に脱帽する。不思議と嫌な思い出になっていない。厳しさの半面、生徒への愛情が底流に感じられたからか

▼現代の中国では先生にあだ名を付けるのを校則で禁じている所があるらしい。「〇〇パト」も違反となりかねない。日本の校則に戻ると先日、一つの判決が下された。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強要され、不登校になったと大阪の元女子高生が府を訴えていた

▼判決は学校の指導に違法性なしとした。問題なのは地毛が茶色かどうか肝心の判断を避けた点だ。髪の根元が黒いのを学校側は直接見て確認していた―と一方的に認めたのもすっきりしない

▼社会と同様、学校にも一定の規則は必要だろう。おかしいのは、前髪の長さや下着の色までこまごまと決めた校則が各地にあることだ。さほど説明もせず、子供に押し付けてはいないか。一人一人の個性を重んずるこの時代、何のため、誰のための校則かとの疑問は消えない。



校則、鋳型から多様性へ(2021年2月20日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 スカートの長さや髪形、靴下の色などを定めた校則。「ハイソックスは禁止」「左右の長さの違う髪形はだめ」。規定は事細かい。「こんなことまで」と首をひねりたくなるような校則もある

▼「学校は軍隊みたいだ」という嘆きを中学生から聞く。校則の必要性を問われ、答えられる教員はどれぐらいいるだろうか。生徒を管理しようという学校側の意思の表れであろう。根底にあるのは古くて画一的な生徒観

▼髪を黒く染めるよう教師に強要されたとして大阪府立高の元女子生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決があった。大阪地裁は頭髪指導の違法性は認めなかったが、不登校時の学校の対応を違法として一部賠償を命じた

▼元女子生徒は大人になって提訴した。判決を受け、名古屋大の内田良准教授は校則について「(何が良くて何が悪いかを)自分で考えて選べるようにするのが教育の使命だ」と時代の変化に沿った見直しを促す

▼糸満市立西崎中の生徒会が校則の改定案をPTAや住民でつくる学校運営協議会に提案した。男子のスカート着用、腕まくりや登下校時のマフラーなどを認めるよう盛り込んだ。多様性を重んじる感性がうかがえる

▼生徒を鋳型にはめる校則から多様性を尊重する校則へ。学校は社会の縮図。この中で生徒が提起し、教員と共に校則を変えていく。この試みは社会を変える力にもなる。





頭髪指導訴訟 子供の多様性認めたい(2021年2月18日配信『北海道新聞』-「社説」)

 学校の校則や指導のあり方に一石を投じた訴訟となった。

 通学していた大阪府立高校で、生来の茶色い髪を黒く染めるよう強要され不登校になったとして、元生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は校則や頭髪指導は適法との判断を示した。

 判決は学校側の裁量の範囲を幅広く認め、髪の黒染めも強要ではないとした。だが争点の一つだった元生徒の地毛が茶色だったかについては判断しなかった。

 学校側の指導が妥当だったのか疑問を残したと言えよう。

 今回の訴訟を契機に、髪形などを厳しく定める「ブラック校則」の問題点が広く認識された。

 ルールの順守を教える重要性は言うまでもない。同時に児童生徒が自ら考え、個人として判断できる力を育むのも教育の大切な役割だ。その積み重ねが多様性を尊重する学校の実現につながろう。

 訴状などによると、元生徒は髪の色が薄く、入学時に配慮を求めたが、教諭らは髪の染色や脱色を禁じた校則に基づき、黒く染めるよう指導を繰り返した。

 判決は、元生徒が不登校になった後に名簿の氏名を削るなどした対応は違法とし、府に33万円の賠償を命じた。学校側は教育的配慮を欠いており当然の判断だろう。

 一方、校則については社会通念に照らして合理的であり、頭髪指導も学校側が元生徒の髪の根元が黒かったことを確認していたとして、いずれも違法性を否定した。

 元生徒側は何度も髪染めしたため頭皮などを損傷したと主張したが、判決は証拠がないと退けた。

 元生徒の代理人弁護士が「乱暴な事実認定」と述べた通り、学校側の主張をあまりに重視した判断ではないか。元生徒が受けた人権侵害や心身の苦痛について、検討を尽くしたとは見えない。

 過度な校則は子供に大きなストレスとなる。

 日本も批准した子どもの権利条約は「子どもに影響を及ぼす全ての事項について、自由に自己の意見を表明する権利を確保する」と定める。この理念を教育の場で生かしたい。

 今や外国人が身近に増え、LGBTなど性的少数者もいる。多様性の必要が言われるゆえんだ。

 児童生徒が教育の主人公という基本に立ち返る必要がある。生徒が主体的に考える力を育もうと校則を作らない学校も増えている。

 管理する側の都合を押しつけるようなブラック校則や不合理な指導は廃すべきである。





学校の羊飼い(2021年2月17日配信『北海道新聞』-「卓上四季」)

 教師が閉めた校門の門扉に挟まれ生徒が亡くなるという痛ましい出来事があった。1990年の神戸高塚高校校門圧死事件だ。「遅刻を許さない」という狭い目的意識が異様に特化し、世界をバランス良く見る視野が失われた。そう指摘したのは、村上春樹さんである(「職業としての小説家」新潮文庫)

▼「共同体の役に立つ犬的人格を、ときには団体まるごと目的地まで導かれる羊的人格をつくることを目的にしている」。日本の教育についての村上さんの考察には、憤怒すら漂う

▼行き過ぎた生徒指導で精神的苦痛を受けたとして、大阪府立高校の生徒だった女性が府に損害賠償を求めた訴訟の判決がきのう、大阪地裁で言い渡された。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強制され、不登校に追い込まれたと訴えたが、判決はこれを退けた

▼校則や生徒指導の在り方が争われる裁判は近年増えており、下着の色まで指定するような事例は「ブラック校則」として見直しの対象となっている

▼そもそも校則に明確な法的根拠はなく、合理的な範囲で学校長の裁量に委ねられているにすぎない。なぜ必要なのか。明快な説明が不可欠だろう

▼昨年当欄で紹介した帯広南商業高校のように校則廃止で主体性や自律性を高めた例もある。求められるのは、自ら考え判断する「人的人格」形成を目的とする意識ではないか。学校に羊飼いは必要あるまい。



たかが茶髪、されど茶髪(2021年2月17日配信『中国新聞』-「天風録」)

 20年近く前、カンボジアの農村地帯にある小学校を訪ねると、子どもたちがとびきりの笑顔で迎えてくれた。茶髪が目立つ。「おしゃれだな」とつぶやくと、現地の教師は首を振った。「栄養失調で髪の色が抜けるんです」。わが不明を思い切り恥じた

▲生まれつき茶髪なのに、校則を盾に、教師から何度も黒染めを強要されて不登校になった―。そんな元女子高生の訴えを一部認め、大阪地裁は府に賠償を命じた。ただ、頭髪の染色を禁じた校則は違法ではないとした

▲さて、この司法判断を世間はどう受け止めるだろう。わが国では栄養失調による茶髪はまれだとしても、貧困ゆえに髪を染めたくてもかなわない子もいるだろう。コロナ禍により、貧富の格差はいっそう広がっている

▲一方、厳格な校則を押しつければ非行は防げるという時代でもないだろう。元首相による女性蔑視発言の直後でもある。やっぱり人権尊重に疎い国なのかと、海外にも反響は広がりそう

▲あのカンボジアの子たちは黒髪を取り戻しただろうか。今では思い思いの色に染めているだろうか。個性や多様性を尊重しつつ、公平で公正な社会を築く。たかが髪の色だが、考えることは多い。





学校の「当たり前」を見直してみる(2020年11月14日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 来春に向け、大型スーパーの陳列台でランドセルを見掛ける季節になった。赤と黒に加えうす紫、こはく色、空色など多彩な色が目を引く。一昔前、色の種類は少なく、男子は「黒色」、女子は「赤色」という暗黙のルールもあった

▼性別にとらわれず好きな色を選べるようになったのはいい。通学路でカラフルなランドセルを背負う小学生を見掛けると実感する

▼県内の中学校では性別に関係なく自由に制服を選べる「制服選択制」が広がっている。県教育庁の調査と琉球新報のまとめでは今年4月時点で、2020年度から選択制を導入予定の公立中学校は36校に上り、制服のある144校の4分の1を占めた

▼選択制の広がりは、心と体の性が一致しない性同一性障害の当事者の服装に関する悩みを和らげるだろう。性の多様性を伝えるメッセージになる

▼県による男女共同参画社会づくりに関する県民意識調査で、自分の体の性や心の性、性的指向に悩んだことがあるとの回答は全体で4・6%。若年層ほど多く20代で8・5%、30代は10・4%に上り、一定割合いた

▼調査では性に基づく差別や偏見を解消するために必要なこととして、56%が「幼少期からの教育」と答えた。子どもたちが「男らしさ」「女らしさ」をすり込まれ生きづらさを抱えないために、学校の中にある「当たり前」を見直してみる。それが第一歩になる。





新聞』-「社説」)

 昭和のテレビアニメ「一休さん」に登場する「どちて坊や」は、愛らしいのに煙たがられる。次々に疑問が湧き起こり、「どちて(どうして)?」を連発して周りの人を困らせるからだ。

 子どもの質問に悩まされるのは珍しくない。校則問題を取り上げた先月の本紙オセモコ面にもあった。「ランドセルは何色でも良いのに、ヘアゴムの色はなぜ決まっているの」。確かになぜ、である。

 学校という集団行動の場でルールが必要なことは理解できる。それでも校則への疑問の声が上がるのは、非行防止といった名目で、理不尽に感じるものがあったからだろう。

 細かすぎる、厳しすぎるといった指摘を踏まえ、校則は全国的に見直されつつある。鹿児島市内の公立小中学校では、「下着は白色限定」の決まりが姿を消した。南さつま市の金峰中学校は、性的少数者(LGBT)に配慮して性別を問わず制服を選べるようにした。

 県内には髪形などの規則見直しを生徒たちが話し合う学校も出てきた。教師側も対立せず、主権者教育の一環と背中を押しているという。自分の意見をルールに反映させる取り組みは責任の大きさを知る大切な学びとなろう。

 新年度が始まって2週間、進学先で納得できない決まりに気付いた子もいるかもしれない。疑問は友達や先生に話して一緒に考えてみよう。少しでも減らしたい校則の「どちて」である。





「ブラック校則」だ。およそ人権侵害のレベル(2021年4月8日配信『日本経済新聞』ー「春秋」)

 1969年秋、北海道小樽市の高校で生徒数人が制帽を焼き払う騒ぎが起きた。大学紛争が高校にも波及し、政治的な訴えと並んで服装自由化や校則見直しが叫ばれた時代である。それを象徴する衝撃的な事件だった(小林哲夫著「高校紛争 1969-1970」)。

▼若者たちのこうした反乱を経て、改革が進んだ学校は少なくない。しかし紛争に手を焼いた経験から、逆に管理教育に走るケースも目立った。のちに校内暴力が社会問題になると生徒への締めつけは厳しさを増し、いまも理不尽な決まりごとが横行している。いわゆる「ブラック校則」だ。およそ人権侵害のレベルである。

▼生まれつき黒以外の髪や、くせ毛を持つ生徒に「地毛証明」を提出させる東京都立高は昨年夏の時点で4割強にのぼった。染髪やパーマをかたくなに禁止するから、こんなルールがまかり通るわけだ。下着の色は白、という校則も珍しくない。教員がチェックに及ぶ学校もあるという。それを異常と思わぬ感覚が恐ろしい。

▼ここにきて批判が強まり、改善の動きが伝えられる。しかし、そもそも髪形も髪の色も服装も、どこまで規則で縛るべきものだろう。往年の高校紛争が残した変化のひとつは、かの制帽の廃止だった。制服とともに必須のはずだった学生帽が、いまや大半の学校から消えた。消えて久しいが、なにも不都合は生じていない。





ブラック校則 各校で開かれた対話を(2021年4月2日配信『東京新聞』-「社説」)

 下着の色を指定するなど、いわゆる「ブラック校則」を見直す機運が生まれている。人権を侵害したり、理不尽だったりする校則も依然残る。各校で生徒を交えた対話が始まることを期待したい。

 「学校に制服強制の権限があるか否かを明らかに」「人権侵害・健康を害する校則は即刻廃止と通知」。現職教員や若者団体の代表らは3月下旬、こんな要望書を約1万9千筆の署名とともに萩生田光一文部科学相に提出した。

 萩生田文科相は記者会見などで、校則や指導は各校の判断に委ねられているとした上で「下着の色までというのは、どういう根拠なのか個人的には不思議」「民主的に皆さんが話し合って変えていくことについて異論はない」と述べている。

 「ブラック校則」は、2017年に大阪府立高校の元生徒が地毛の黒染めを強要され不登校になったとして、府に損害賠償を求めて提訴したことが一つの契機となり注目された。NPO有志によるネット上での情報提供の呼びかけに「登山での水飲み禁止」など健康にかかわる校則も報告された。

 今年2月の大阪地裁判決は違法性を認めなかったが、一石が投じられたことで、校則を見直す動きも出ている。

 文科省の19年度調査で、校則など「学校の決まりなどをめぐる問題」で不登校になった児童生徒は小中高合わせて五千五百人以上に上る。この数字の意味は重い。

 下着の色の指定や検査など、子どもの人権を侵害しかねない校則の見直しを求める通知を出した教育委員会もある。校則をHPで公開する自治体も出てきている。

 新型コロナウイルスの感染防止策として洗濯しやすい私服も選択できるようにした学校もあり、制服の存在意義も見直されている。

 前時代的な校則が存続してきたことは学校の閉鎖性と無縁ではない。現行の校則が、そもそもどんな目的で存在しているのか。教育目的を達成する手段だったはずの校則が目的そのものになってしまっていないか。細かな校則を定めている学校は一度、自らを問い直してみてはどうだろう。

 その上で、それぞれの学校で生徒らも交えて、開かれた対話を始めてほしい。性的少数者(LGBT)への配慮や、教員の働き方改革など社会的な要請もある。

 生徒らが自らが通う学校のルール作りに参画することは、これからの民主主義の担い手にとって、貴重な第一歩になるはずだ。





それぞれのペースで(2021年3月24日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 「気をつけ、前にならえ。全体前に進め」―。両手両足をそろえ、隣の人と歩調を合わせて行進する。運動会でよく見られる光景だ。子どもたちが整列する姿をこれまで無頓着に眺めていた

▼日本ラグビーフットボール協会理事の谷口真由美さんは、運動会の整列を「明治時代の修練の名残で、軍隊の文化が今も体育に残っている」と指摘する。規律を重んじる教育は、学校内に行き過ぎた校則として残る

▼肌着の色は白と規定されている娘の中学校は、制服検査でブラウスのボタンを開けて肌着の色をチェックされるという。人権よりも、優先される校則とは何か、考えさせられる

▼以前に比べ、かなり校則は変わってはきている。県内でも1990年代に中学男子の丸刈りは廃止され、ここ数年は男女の区別なく制服が選べる制服選択制も広がりを見せる

▼髪の色が明るい人に地毛証明書を求めるといった、度を越える校則の見直しの議論は以前からある。多くの人が「おかしい」と思いながら残り続ける背景には、髪質は一部の生徒の問題とされ、制服検査は一時的な我慢で見過ごされてきたからだろう

▼グローバル化が進み、多様な価値観が尊重される世の中だ。規律重視によって一つの形にはめ込む教育では、創造性や自立した考えを育めない。一斉に「全体前に進め」ではなく、それぞれのペースで進む方がいい。





[ブラック校則]不合理なルール見直せ(2021年3月17日配信『沖縄タイムス』-「社説」)

 合理性に乏しい規則を強いる「ブラック校則」が近年、全国で問題になっている。

 大阪府立高校の元女子生徒が髪の黒染めを強要され、不登校になったとして損害賠償を求めた訴訟は、海外メディアでも注目された。

 県内でも、那覇市議会2020年2月定例会で、女子生徒の肌着の色指定や服装検査の問題が取り上げられ、「人権侵害とも言える行き過ぎた校則だ」と指摘された。

 肌着の色を「白」や白に近い色に限定している市立中学が多く、生徒から「ブラジャーが透けて見えやすい」と不満の声が上がっている。人前で肌着を見られたり、触られたりする服装検査も「気持ち悪い」と反発がある。

 肌着の色指定や服装検査は全国で問題になっており、見直す動きが出ている。

 長崎県教育委員会は人権侵害になりかねないとして市町村教委や学校に見直しを通知。岐阜県の県立高校はそうした校則を廃止した。

 那覇市教委も子どもの人権を侵害するような校則を見直すよう各学校に求めているがことし1月までに肌着の色指定を変更した学校はない。

 ブラック校則と目されるものには他に、黒髪や直毛でない生徒に「地毛証明書」を提出させたり、社会に定着している、耳の上や襟足を刈り上げる髪形「ツーブロック」を禁止するものがある。

 ただ「校則だから」という理由では生徒は納得しない。合理的な理由の説明とともに、時代に合った規則かどうか検証する必要がある。

■    ■

 「ブラック校則」問題は今に始まったものではない。古くて新しい問題だ。

 例えば県内では1980年代、男子生徒の丸刈り校則が社会問題になった。生徒や保護者から「人権侵害」との批判が高まり、今日ではほとんど姿を消した。

 本年度は新型コロナウイルスの影響による変化も見られる。

 文部科学省は換気に伴う寒さ対策として、防寒着着用に柔軟な対応を取るよう、全国の教育委員会に通知した。

 県内でもタイツ着用などを認める学校が増えている。一時的なものにせず、これを機に校則を見直してほしいという声が上がっている。

 LGBT(性的少数者)への理解の深まりで、制服選択制を導入する学校も急増している。

 校則は変化してきたし、これからも時代の要請に応じて変えていくべきだ。

■    ■

 学校という集団生活の場で一定のルールを守ることは必要だ。社会に出たときの訓練にもなる。

 だがそれが、管理する側の都合に合わせた理不尽なルールの強要や、子の尊厳を傷つけるものになっているなら、変えるべきだ。

 大人に一方的に決められたものでなく、生徒が主体的にルールづくりに関われば、守る意識も高まるだろう。

 校則の見直しを、生徒が自ら考え、決め、変える機会にできたらいい。

 教育行政や学校現場のトップには、そうした場づくりに挑戦してほしい。





校則裁判(2021年3月4日配信『福井新聞』-「論説」)
「在り方」を考える契機に

 大阪府立高の元女子生徒が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らに強要され不登校になったとして府に慰謝料を求めた訴訟で、大阪地裁は「教員らの頭髪指導は違法ではなく、黒染めを強要したとは評価できない」との判断を示した。

 この訴訟は、不合理な「ブラック校則」が社会問題化するきっかけとなっただけに注目された。生徒側に厳しい判決となったが、どんな校則も認められるとしたわけではない。むしろ生徒のためにはどんな校則が望ましいのか、生徒とともに校則の在り方を考えるきっかけとしたい。

 裁判で、元生徒は生まれつき髪が茶色だと主張したのに対し、教員らは生来の髪は黒色で茶色に染めた髪を元に戻すよう指導したと指摘。裁判長は元生徒の地毛が茶色かどうかの判断は示さず、教育的指導の裁量の範囲を逸脱した違法性はなかったとした。同校の校則についても「正当な教育目的であり、社会通念に照らし合理的」と判断した。

 その一方、元生徒が進級したのに席を教室に置かなかったり、生徒名簿に掲載しなかったりしたことを違法として、33万円の賠償を命じた。

 今回の訴訟を機に、人権感覚とずれた校則の見直しを求める声が全国で上がった。大阪府教委は2017年、全府立高に校則の点検を指示し、18年に4割以上で校則や内規を見直した。4年前には国会でも取り上げられ「外国人留学生のみならず国際結婚の増加で日本人でも髪の色や肌の色が多様な生徒が増加し、身体的な特徴を変えさせる校則は時代錯誤」との指摘もあった。

 だが、今も頭髪をはじめ学校の細かな決まりは多い。東京都立高の約4割で、生まれつきの髪の色などを証明させる「地毛証明書」を提出させていた。都教委は「事実誤認による頭髪の指導を防ぐためで、任意」と説明しているが、事実上の強制との受け止め方もあるようだ。こうした証明書が生徒たちを精神的に追い詰めることがないのか、疑問が残る。

 都内の公立中では校長のリーダーシップで議論を重ね、校則をなくした学校がある。千代田区立麹町中では頭髪や服装のルールづくりはPTAに権限を移譲し、頭髪や服装の指導は一切しない。制服などの在り方については生徒会もPTAに協力して主体的に検討した。いずれの学校でも特に問題は起きず、生徒が自分たちのことは自分たちで考えるようになったという。

 社会が多様化する中で「みんな違っていい。しかし、同時に、誰もが大切にされるべきだ。この両立を考えることが重要」と、校則を見直した麹町中校長(当時)は著書で語っている。





髪染め強要判決 不条理校則見直す契機に(2021年2月23日配信『山陽新聞』-「社説」)

 社会の変化に合わない不条理な校則や生徒指導を見直す契機としたい。

 生来の茶色っぽい髪を黒く染めるよう教員らに強要され不登校になったとして、大阪府立高校の元女子生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決が大阪地裁であった。判決は元生徒の訴えを一部認めたが、髪の染色などを禁じる校則と学校の頭髪指導に違法性はないと判断した。

 校則は社会通念に照らして合理的とみられる範囲内で各学校長が制定する。裁判では校則が合法か、指導は適切だったか、元生徒が不登校となった後の対応は妥当だったかの3点で争われた。

 訴状などによると元生徒は生まれつき髪の色素が薄く、教員らの指導で髪を黒く染めたものの「不十分」だとして執拗(しつよう)に染髪を迫られたという。頭皮の痛みや精神的苦痛で2年生の2016年秋から登校できなくなり、翌年に提訴した。学校側は元生徒の髪は元来黒色だとの認識に基づいて指導したと主張した。

 判決は校則や指導は「学校教育の裁量の範囲を逸脱したとは認められない」と指摘。元生徒の地毛の色の判断は示さず、髪色に多様性を認めるべきかどうかに踏み込まなかった。校則を巡る学校側の裁量権を幅広く認めてきた過去の司法判断を踏襲した形と言えよう。元生徒側は控訴を検討するとしている。

 一方、元生徒が進級したのに教室に席を置かなかったりクラス名簿に氏名を載せなかったりしたことは「教育環境を整えるべき義務」を怠っていると批判した。集団生活に一定の決まりは欠かせない。だが指導によって元生徒は不登校となり、学習機会を奪われている。もっと寄り添った対応をすべきだった。

 今回の訴訟は各地で校則のあり方を議論する発端となった。市民団体や弁護士会が調査に乗りだし、下着の色を指定するといった行動を過度に縛る校則や、生徒会で校則について議論することを止められたケースなど理不尽な指導が広がっている実態が次々と明らかになっている。

 見直しの動きも本格化している。大阪府教委が提訴後に全府立高で実施した頭髪指導調査では、82%が染色や脱色を禁じていたが、一部の学校では地毛の色に戻すまで登校させないなどの行き過ぎた指導を廃止。全校が校則をホームページに掲載し、透明性を高めた。

 近年は外国にルーツを持つ子どものほか、さまざまな身体的特徴や文化的背景の人が学校にも増えている。多様性の尊重が進む中で、染髪禁止といった校則が児童生徒の成長に資するものになっているか議論を深めたい。

 まずはルールそのものが何を意図しているのかを学校側が丁寧に説明し、対話することが重要だ。校則が時代や地域に合っているか、子どもたちや保護者を含め、常に見直していく必要がある。



校則見直し 欠かせない子どもの視点(2021年2月23日配信『熊本日日新聞』-「社説」)

 子どもの人権を損ねる理不尽な校則を見直そうという動きが全国の学校などで広がっている。児童生徒の学校生活を制約する校則とは、いったい誰のための、何を目的としたルールなのか、社会全体で検証する好機としたい。

 大阪府立高の元女子生徒が、学校から髪を黒く染めるよう強要されたとして損害賠償を求めた訴訟。大阪地裁は判決で、校則は「正当な教育目的で、社会通念に照らし合理的」とし、校則と頭髪指導の違法性を認めなかった。

 この判決に対し、識者らは「時代錯誤で残念」「人権感覚がずれている」などと批判した。一方で、学校生活の中で一定の制約を設けることは教育上認められ、我慢や禁欲、自制についての指導も必要との指摘もあった。

 文部科学省によると、校則に明確な法的根拠はない。内容が理にかなっていれば、校長の裁量で制定できるとされる。ただ、実際には、子どもたちの意見が反映されず、学校側のお仕着せになっているケースが多いのではないか。

 校則は、学校という閉鎖的な疑似社会における“法律”だ。個人の多様性や自主性の尊重と、集団生活を維持する上で必要な私権の制約との間で、合理的、論理的なバランスが保たれた内容でなければなるまい。

 ある専門家は、理不尽な校則が容認されている原因の一つに「学校依存社会」を挙げる。確かに、地域や保護者が学校に対して、学習面だけでなく、生活上のしつけや社会的なマナーの指導まで期待してきた側面は否めない。

 だが、生来の茶髪を黒く染めさせたり、下着の色まで指定するような規則は人権侵害にほかならない。こうした校則は直ちに見直すべきであり、見直す際は、子どもを中心に学校や保護者、地域が一体となって知恵を絞るべきだ。

 福岡や佐賀の弁護士会は校則を検証し、「下着は白」など不合理な校則や生徒指導の見直しを提言した。名古屋市ではすべての市立中で、生徒手帳の内容の見直しが始まったという。

 熊本市教育委員会は市立小中学校の校則について、「人権や社会通念に照らして見直す」との方針を示した。見直しのガイドラインを策定する際は、(1)児童生徒が自ら考えて決める仕組みづくり(2)必要かつ合理的な範囲内(3)内容の公開-の3点を踏まえるという。昨年12月の市議会一般質問では、遠藤洋路教育長が「どんな校則が人権侵害に当たるかも基準に明示する」とも答弁している。児童生徒の視点に立った内容となるよう努めてほしい。

 学校が集団生活の場である以上、何らかのルールは必要だ。だが、校則の意義や意味さえ伝えず、唯々諾々と従わせるような指導が続けば、世の不条理に対する正当な抵抗力や批判精神も損なわれてしまう。校則による過剰な管理によって、子どもたちの自由な思考力や発想を奪うことがあってはならない。





黒染め強要、賠償判決 人権守る議論広げよう(2021年2月21日配信『中国新聞』-「社説」)

 大阪府立高に通っていた元生徒が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らに無理強いされ不登校になったとして、損害賠償を求めた訴訟の判決が下った。大阪地裁は、元生徒が不登校になった後の学校の対応に問題があったとして府に賠償を命じたものの、頭髪指導については「違法とは言えない」との判断を示した。

 学校の定める校則に明確な法的根拠はなく、校長の裁量に委ねられている。今回の判決はその裁量を広く認めた内容といえるが、子どもの人格や多様性を尊重する時代の流れに逆行していないだろうか。原告側は控訴を検討するという。

 訴状などによると、元生徒は生まれつき髪の色が薄く、保護者も入学時に配慮を求めた。しかし髪の染色や脱色を禁じた校則に基づき、教員から黒く染めるよう再三指導され、精神的苦痛から不登校になったという。

 判決は、校則について「正当な教育目的で定められた合理的なもの」、学校の「裁量の範囲内」とした。頭髪指導についても、学校側が元生徒の髪の色が黒だと認識していたなどとして、「違法とはいえない」とした。元生徒の地毛が茶色かどうかについては、なぜか判断しなかった。

 一方で、元生徒が不登校になった後、学校が名簿から名前を削るなどした対応は違法とし、府に33万円の賠償を命じた。

 頭髪指導を巡る最高裁の判決では、パーマを禁じる校則を「不合理なものとは言えない」とした例や、強制的に黒く染めさせる指導を「教育的指導の範囲内」とした例がある。学校の裁量を広く認める司法判断が定着しているようだ。

 だが、そもそも身体的特徴は人それぞれである。多様性を学ぶべき学校で、同じ格好をみんなに強制する指導の在り方は差別にもつながりかねず、人権侵害に当たるとの指摘もある。

 グローバル化が進み、多様な文化の下で育った児童生徒も少なくない。外国籍の子や性的少数者、ジェンダーなどへの理解も少しずつだが進んでいる。校則でも配慮すべきではないか。

 今回の訴訟が社会に一石を投じたことは間違いないだろう。下着の色や髪形まで細かく定める、理不尽な「ブラック校則」や指導の問題が広く認識されるきっかけにもなった。

 府教育庁はこの訴訟が提起された2017年、校則の点検などを指示。一部の高校では、頭髪を染めるなどした場合、帰宅させた上で染め直させる「再登校指導」といったルールが廃止されている。

 子どもの権利を守る観点は欠かせまい。千葉県立高では生徒の髪に黒染めスプレーを吹きかけた指導が問題となり、弁護士会が「体罰に準ずる人権侵害に当たる」として警告書を出している。佐賀弁護士会は、県内の公立中の校則を検証し、合理的でないものについて見直すよう県教委に提言した。

 学校生活を送る上で規則を設け、順守を指導することは一定に必要だろう。しかし、管理する側の視点を一方的に押し付ける校則や、人権を尊重しない指導があってはならない。

 その校則は何のためなのか、理にかなっているか―。子どもや保護者も含め、議論につなげていく必要がある。





何のため、誰のための校則か(2021年2月20日配信『秋田魁新報』-「北斗星」)

 先生にはあだ名があった。例えば「まま粒」。頭や顔の形が炊きたてのご飯粒のようでかわいらしい。親しみを込めてそう呼んでいた。昭和の後半、県南の高校の話だ

▼「〇〇パト」というのもあった。〇〇に先生の名が入る。パトはパトカーのことだったのか。登下校時、男子は制帽着用が原則だった気がする。先生は車で学校周辺を巡回。「△△君、帽子をかぶりなさい」と拡声器で呼び掛けていた

▼そうまでして指導していた姿を思い出すたび噴き出す。ただ、その情熱に脱帽する。不思議と嫌な思い出になっていない。厳しさの半面、生徒への愛情が底流に感じられたからか

▼現代の中国では先生にあだ名を付けるのを校則で禁じている所があるらしい。「〇〇パト」も違反となりかねない。日本の校則に戻ると先日、一つの判決が下された。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強要され、不登校になったと大阪の元女子高生が府を訴えていた

▼判決は学校の指導に違法性なしとした。問題なのは地毛が茶色かどうか肝心の判断を避けた点だ。髪の根元が黒いのを学校側は直接見て確認していた―と一方的に認めたのもすっきりしない

▼社会と同様、学校にも一定の規則は必要だろう。おかしいのは、前髪の長さや下着の色までこまごまと決めた校則が各地にあることだ。さほど説明もせず、子供に押し付けてはいないか。一人一人の個性を重んずるこの時代、何のため、誰のための校則かとの疑問は消えない。



校則、鋳型から多様性へ(2021年2月20日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 スカートの長さや髪形、靴下の色などを定めた校則。「ハイソックスは禁止」「左右の長さの違う髪形はだめ」。規定は事細かい。「こんなことまで」と首をひねりたくなるような校則もある

▼「学校は軍隊みたいだ」という嘆きを中学生から聞く。校則の必要性を問われ、答えられる教員はどれぐらいいるだろうか。生徒を管理しようという学校側の意思の表れであろう。根底にあるのは古くて画一的な生徒観

▼髪を黒く染めるよう教師に強要されたとして大阪府立高の元女子生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決があった。大阪地裁は頭髪指導の違法性は認めなかったが、不登校時の学校の対応を違法として一部賠償を命じた

▼元女子生徒は大人になって提訴した。判決を受け、名古屋大の内田良准教授は校則について「(何が良くて何が悪いかを)自分で考えて選べるようにするのが教育の使命だ」と時代の変化に沿った見直しを促す

▼糸満市立西崎中の生徒会が校則の改定案をPTAや住民でつくる学校運営協議会に提案した。男子のスカート着用、腕まくりや登下校時のマフラーなどを認めるよう盛り込んだ。多様性を重んじる感性がうかがえる

▼生徒を鋳型にはめる校則から多様性を尊重する校則へ。学校は社会の縮図。この中で生徒が提起し、教員と共に校則を変えていく。この試みは社会を変える力にもなる。





頭髪指導訴訟 子供の多様性認めたい(2021年2月18日配信『北海道新聞』-「社説」)

 学校の校則や指導のあり方に一石を投じた訴訟となった。

 通学していた大阪府立高校で、生来の茶色い髪を黒く染めるよう強要され不登校になったとして、元生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は校則や頭髪指導は適法との判断を示した。

 判決は学校側の裁量の範囲を幅広く認め、髪の黒染めも強要ではないとした。だが争点の一つだった元生徒の地毛が茶色だったかについては判断しなかった。

 学校側の指導が妥当だったのか疑問を残したと言えよう。

 今回の訴訟を契機に、髪形などを厳しく定める「ブラック校則」の問題点が広く認識された。

 ルールの順守を教える重要性は言うまでもない。同時に児童生徒が自ら考え、個人として判断できる力を育むのも教育の大切な役割だ。その積み重ねが多様性を尊重する学校の実現につながろう。

 訴状などによると、元生徒は髪の色が薄く、入学時に配慮を求めたが、教諭らは髪の染色や脱色を禁じた校則に基づき、黒く染めるよう指導を繰り返した。

 判決は、元生徒が不登校になった後に名簿の氏名を削るなどした対応は違法とし、府に33万円の賠償を命じた。学校側は教育的配慮を欠いており当然の判断だろう。

 一方、校則については社会通念に照らして合理的であり、頭髪指導も学校側が元生徒の髪の根元が黒かったことを確認していたとして、いずれも違法性を否定した。

 元生徒側は何度も髪染めしたため頭皮などを損傷したと主張したが、判決は証拠がないと退けた。

 元生徒の代理人弁護士が「乱暴な事実認定」と述べた通り、学校側の主張をあまりに重視した判断ではないか。元生徒が受けた人権侵害や心身の苦痛について、検討を尽くしたとは見えない。

 過度な校則は子供に大きなストレスとなる。

 日本も批准した子どもの権利条約は「子どもに影響を及ぼす全ての事項について、自由に自己の意見を表明する権利を確保する」と定める。この理念を教育の場で生かしたい。

 今や外国人が身近に増え、LGBTなど性的少数者もいる。多様性の必要が言われるゆえんだ。

 児童生徒が教育の主人公という基本に立ち返る必要がある。生徒が主体的に考える力を育もうと校則を作らない学校も増えている。

 管理する側の都合を押しつけるようなブラック校則や不合理な指導は廃すべきである。





学校の羊飼い(2021年2月17日配信『北海道新聞』-「卓上四季」)

 教師が閉めた校門の門扉に挟まれ生徒が亡くなるという痛ましい出来事があった。1990年の神戸高塚高校校門圧死事件だ。「遅刻を許さない」という狭い目的意識が異様に特化し、世界をバランス良く見る視野が失われた。そう指摘したのは、村上春樹さんである(「職業としての小説家」新潮文庫)

▼「共同体の役に立つ犬的人格を、ときには団体まるごと目的地まで導かれる羊的人格をつくることを目的にしている」。日本の教育についての村上さんの考察には、憤怒すら漂う

▼行き過ぎた生徒指導で精神的苦痛を受けたとして、大阪府立高校の生徒だった女性が府に損害賠償を求めた訴訟の判決がきのう、大阪地裁で言い渡された。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強制され、不登校に追い込まれたと訴えたが、判決はこれを退けた

▼校則や生徒指導の在り方が争われる裁判は近年増えており、下着の色まで指定するような事例は「ブラック校則」として見直しの対象となっている

▼そもそも校則に明確な法的根拠はなく、合理的な範囲で学校長の裁量に委ねられているにすぎない。なぜ必要なのか。明快な説明が不可欠だろう

▼昨年当欄で紹介した帯広南商業高校のように校則廃止で主体性や自律性を高めた例もある。求められるのは、自ら考え判断する「人的人格」形成を目的とする意識ではないか。学校に羊飼いは必要あるまい。



たかが茶髪、されど茶髪(2021年2月17日配信『中国新聞』-「天風録」)

 20年近く前、カンボジアの農村地帯にある小学校を訪ねると、子どもたちがとびきりの笑顔で迎えてくれた。茶髪が目立つ。「おしゃれだな」とつぶやくと、現地の教師は首を振った。「栄養失調で髪の色が抜けるんです」。わが不明を思い切り恥じた

▲生まれつき茶髪なのに、校則を盾に、教師から何度も黒染めを強要されて不登校になった―。そんな元女子高生の訴えを一部認め、大阪地裁は府に賠償を命じた。ただ、頭髪の染色を禁じた校則は違法ではないとした

▲さて、この司法判断を世間はどう受け止めるだろう。わが国では栄養失調による茶髪はまれだとしても、貧困ゆえに髪を染めたくてもかなわない子もいるだろう。コロナ禍により、貧富の格差はいっそう広がっている

▲一方、厳格な校則を押しつければ非行は防げるという時代でもないだろう。元首相による女性蔑視発言の直後でもある。やっぱり人権尊重に疎い国なのかと、海外にも反響は広がりそう

▲あのカンボジアの子たちは黒髪を取り戻しただろうか。今では思い思いの色に染めているだろうか。個性や多様性を尊重しつつ、公平で公正な社会を築く。たかが髪の色だが、考えることは多い。





学校の「当たり前」を見直してみる(2020年11月14日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 来春に向け、大型スーパーの陳列台でランドセルを見掛ける季節になった。赤と黒に加えうす紫、こはく色、空色など多彩な色が目を引く。一昔前、色の種類は少なく、男子は「黒色」、女子は「赤色」という暗黙のルールもあった

▼性別にとらわれず好きな色を選べるようになったのはいい。通学路でカラフルなランドセルを背負う小学生を見掛けると実感する

▼県内の中学校では性別に関係なく自由に制服を選べる「制服選択制」が広がっている。県教育庁の調査と琉球新報のまとめでは今年4月時点で、2020年度から選択制を導入予定の公立中学校は36校に上り、制服のある144校の4分の1を占めた

▼選択制の広がりは、心と体の性が一致しない性同一性障害の当事者の服装に関する悩みを和らげるだろう。性の多様性を伝えるメッセージになる

▼県による男女共同参画社会づくりに関する県民意識調査で、自分の体の性や心の性、性的指向に悩んだことがあるとの回答は全体で4・6%。若年層ほど多く20代で8・5%、30代は10・4%に上り、一定割合いた

▼調査では性に基づく差別や偏見を解消するために必要なこととして、56%が「幼少期からの教育」と答えた。子どもたちが「男らしさ」「女らしさ」をすり込まれ生きづらさを抱えないために、学校の中にある「当たり前」を見直してみる。それが第一歩になる。







 昭和のテレビアニメ「一休さん」に登場する「どちて坊や」は、愛らしいのに煙たがられる。次々に疑問が湧き起こり、「どちて(どうして)?」を連発して周りの人を困らせるからだ。

 子どもの質問に悩まされるのは珍しくない。校則問題を取り上げた先月の本紙オセモコ面にもあった。「ランドセルは何色でも良いのに、ヘアゴムの色はなぜ決まっているの」。確かになぜ、である。

 学校という集団行動の場でルールが必要なことは理解できる。それでも校則への疑問の声が上がるのは、非行防止といった名目で、理不尽に感じるものがあったからだろう。

 細かすぎる、厳しすぎるといった指摘を踏まえ、校則は全国的に見直されつつある。鹿児島市内の公立小中学校では、「下着は白色限定」の決まりが姿を消した。南さつま市の金峰中学校は、性的少数者(LGBT)に配慮して性別を問わず制服を選べるようにした。

 県内には髪形などの規則見直しを生徒たちが話し合う学校も出てきた。教師側も対立せず、主権者教育の一環と背中を押しているという。自分の意見をルールに反映させる取り組みは責任の大きさを知る大切な学びとなろう。

 新年度が始まって2週間、進学先で納得できない決まりに気付いた子もいるかもしれない。疑問は友達や先生に話して一緒に考えてみよう。少しでも減らしたい校則の「どちて」である。





「ブラック校則」だ。およそ人権侵害のレベル(2021年4月8日配信『日本経済新聞』ー「春秋」)

 1969年秋、北海道小樽市の高校で生徒数人が制帽を焼き払う騒ぎが起きた。大学紛争が高校にも波及し、政治的な訴えと並んで服装自由化や校則見直しが叫ばれた時代である。それを象徴する衝撃的な事件だった(小林哲夫著「高校紛争 1969-1970」)。

▼若者たちのこうした反乱を経て、改革が進んだ学校は少なくない。しかし紛争に手を焼いた経験から、逆に管理教育に走るケースも目立った。のちに校内暴力が社会問題になると生徒への締めつけは厳しさを増し、いまも理不尽な決まりごとが横行している。いわゆる「ブラック校則」だ。およそ人権侵害のレベルである。

▼生まれつき黒以外の髪や、くせ毛を持つ生徒に「地毛証明」を提出させる東京都立高は昨年夏の時点で4割強にのぼった。染髪やパーマをかたくなに禁止するから、こんなルールがまかり通るわけだ。下着の色は白、という校則も珍しくない。教員がチェックに及ぶ学校もあるという。それを異常と思わぬ感覚が恐ろしい。

▼ここにきて批判が強まり、改善の動きが伝えられる。しかし、そもそも髪形も髪の色も服装も、どこまで規則で縛るべきものだろう。往年の高校紛争が残した変化のひとつは、かの制帽の廃止だった。制服とともに必須のはずだった学生帽が、いまや大半の学校から消えた。消えて久しいが、なにも不都合は生じていない。





ブラック校則 各校で開かれた対話を(2021年4月2日配信『東京新聞』-「社説」)

 下着の色を指定するなど、いわゆる「ブラック校則」を見直す機運が生まれている。人権を侵害したり、理不尽だったりする校則も依然残る。各校で生徒を交えた対話が始まることを期待したい。

 「学校に制服強制の権限があるか否かを明らかに」「人権侵害・健康を害する校則は即刻廃止と通知」。現職教員や若者団体の代表らは3月下旬、こんな要望書を約1万9千筆の署名とともに萩生田光一文部科学相に提出した。

 萩生田文科相は記者会見などで、校則や指導は各校の判断に委ねられているとした上で「下着の色までというのは、どういう根拠なのか個人的には不思議」「民主的に皆さんが話し合って変えていくことについて異論はない」と述べている。

 「ブラック校則」は、2017年に大阪府立高校の元生徒が地毛の黒染めを強要され不登校になったとして、府に損害賠償を求めて提訴したことが一つの契機となり注目された。NPO有志によるネット上での情報提供の呼びかけに「登山での水飲み禁止」など健康にかかわる校則も報告された。

 今年2月の大阪地裁判決は違法性を認めなかったが、一石が投じられたことで、校則を見直す動きも出ている。

 文科省の19年度調査で、校則など「学校の決まりなどをめぐる問題」で不登校になった児童生徒は小中高合わせて五千五百人以上に上る。この数字の意味は重い。

 下着の色の指定や検査など、子どもの人権を侵害しかねない校則の見直しを求める通知を出した教育委員会もある。校則をHPで公開する自治体も出てきている。

 新型コロナウイルスの感染防止策として洗濯しやすい私服も選択できるようにした学校もあり、制服の存在意義も見直されている。

 前時代的な校則が存続してきたことは学校の閉鎖性と無縁ではない。現行の校則が、そもそもどんな目的で存在しているのか。教育目的を達成する手段だったはずの校則が目的そのものになってしまっていないか。細かな校則を定めている学校は一度、自らを問い直してみてはどうだろう。

 その上で、それぞれの学校で生徒らも交えて、開かれた対話を始めてほしい。性的少数者(LGBT)への配慮や、教員の働き方改革など社会的な要請もある。

 生徒らが自らが通う学校のルール作りに参画することは、これからの民主主義の担い手にとって、貴重な第一歩になるはずだ。





それぞれのペースで(2021年3月24日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 「気をつけ、前にならえ。全体前に進め」―。両手両足をそろえ、隣の人と歩調を合わせて行進する。運動会でよく見られる光景だ。子どもたちが整列する姿をこれまで無頓着に眺めていた

▼日本ラグビーフットボール協会理事の谷口真由美さんは、運動会の整列を「明治時代の修練の名残で、軍隊の文化が今も体育に残っている」と指摘する。規律を重んじる教育は、学校内に行き過ぎた校則として残る

▼肌着の色は白と規定されている娘の中学校は、制服検査でブラウスのボタンを開けて肌着の色をチェックされるという。人権よりも、優先される校則とは何か、考えさせられる

▼以前に比べ、かなり校則は変わってはきている。県内でも1990年代に中学男子の丸刈りは廃止され、ここ数年は男女の区別なく制服が選べる制服選択制も広がりを見せる

▼髪の色が明るい人に地毛証明書を求めるといった、度を越える校則の見直しの議論は以前からある。多くの人が「おかしい」と思いながら残り続ける背景には、髪質は一部の生徒の問題とされ、制服検査は一時的な我慢で見過ごされてきたからだろう

▼グローバル化が進み、多様な価値観が尊重される世の中だ。規律重視によって一つの形にはめ込む教育では、創造性や自立した考えを育めない。一斉に「全体前に進め」ではなく、それぞれのペースで進む方がいい。





[ブラック校則]不合理なルール見直せ(2021年3月17日配信『沖縄タイムス』-「社説」)

 合理性に乏しい規則を強いる「ブラック校則」が近年、全国で問題になっている。

 大阪府立高校の元女子生徒が髪の黒染めを強要され、不登校になったとして損害賠償を求めた訴訟は、海外メディアでも注目された。

 県内でも、那覇市議会2020年2月定例会で、女子生徒の肌着の色指定や服装検査の問題が取り上げられ、「人権侵害とも言える行き過ぎた校則だ」と指摘された。

 肌着の色を「白」や白に近い色に限定している市立中学が多く、生徒から「ブラジャーが透けて見えやすい」と不満の声が上がっている。人前で肌着を見られたり、触られたりする服装検査も「気持ち悪い」と反発がある。

 肌着の色指定や服装検査は全国で問題になっており、見直す動きが出ている。

 長崎県教育委員会は人権侵害になりかねないとして市町村教委や学校に見直しを通知。岐阜県の県立高校はそうした校則を廃止した。

 那覇市教委も子どもの人権を侵害するような校則を見直すよう各学校に求めているがことし1月までに肌着の色指定を変更した学校はない。

 ブラック校則と目されるものには他に、黒髪や直毛でない生徒に「地毛証明書」を提出させたり、社会に定着している、耳の上や襟足を刈り上げる髪形「ツーブロック」を禁止するものがある。

 ただ「校則だから」という理由では生徒は納得しない。合理的な理由の説明とともに、時代に合った規則かどうか検証する必要がある。

■    ■

 「ブラック校則」問題は今に始まったものではない。古くて新しい問題だ。

 例えば県内では1980年代、男子生徒の丸刈り校則が社会問題になった。生徒や保護者から「人権侵害」との批判が高まり、今日ではほとんど姿を消した。

 本年度は新型コロナウイルスの影響による変化も見られる。

 文部科学省は換気に伴う寒さ対策として、防寒着着用に柔軟な対応を取るよう、全国の教育委員会に通知した。

 県内でもタイツ着用などを認める学校が増えている。一時的なものにせず、これを機に校則を見直してほしいという声が上がっている。

 LGBT(性的少数者)への理解の深まりで、制服選択制を導入する学校も急増している。

 校則は変化してきたし、これからも時代の要請に応じて変えていくべきだ。

■    ■

 学校という集団生活の場で一定のルールを守ることは必要だ。社会に出たときの訓練にもなる。

 だがそれが、管理する側の都合に合わせた理不尽なルールの強要や、子の尊厳を傷つけるものになっているなら、変えるべきだ。

 大人に一方的に決められたものでなく、生徒が主体的にルールづくりに関われば、守る意識も高まるだろう。

 校則の見直しを、生徒が自ら考え、決め、変える機会にできたらいい。

 教育行政や学校現場のトップには、そうした場づくりに挑戦してほしい。





校則裁判(2021年3月4日配信『福井新聞』-「論説」)
「在り方」を考える契機に

 大阪府立高の元女子生徒が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らに強要され不登校になったとして府に慰謝料を求めた訴訟で、大阪地裁は「教員らの頭髪指導は違法ではなく、黒染めを強要したとは評価できない」との判断を示した。

 この訴訟は、不合理な「ブラック校則」が社会問題化するきっかけとなっただけに注目された。生徒側に厳しい判決となったが、どんな校則も認められるとしたわけではない。むしろ生徒のためにはどんな校則が望ましいのか、生徒とともに校則の在り方を考えるきっかけとしたい。

 裁判で、元生徒は生まれつき髪が茶色だと主張したのに対し、教員らは生来の髪は黒色で茶色に染めた髪を元に戻すよう指導したと指摘。裁判長は元生徒の地毛が茶色かどうかの判断は示さず、教育的指導の裁量の範囲を逸脱した違法性はなかったとした。同校の校則についても「正当な教育目的であり、社会通念に照らし合理的」と判断した。

 その一方、元生徒が進級したのに席を教室に置かなかったり、生徒名簿に掲載しなかったりしたことを違法として、33万円の賠償を命じた。

 今回の訴訟を機に、人権感覚とずれた校則の見直しを求める声が全国で上がった。大阪府教委は2017年、全府立高に校則の点検を指示し、18年に4割以上で校則や内規を見直した。4年前には国会でも取り上げられ「外国人留学生のみならず国際結婚の増加で日本人でも髪の色や肌の色が多様な生徒が増加し、身体的な特徴を変えさせる校則は時代錯誤」との指摘もあった。

 だが、今も頭髪をはじめ学校の細かな決まりは多い。東京都立高の約4割で、生まれつきの髪の色などを証明させる「地毛証明書」を提出させていた。都教委は「事実誤認による頭髪の指導を防ぐためで、任意」と説明しているが、事実上の強制との受け止め方もあるようだ。こうした証明書が生徒たちを精神的に追い詰めることがないのか、疑問が残る。

 都内の公立中では校長のリーダーシップで議論を重ね、校則をなくした学校がある。千代田区立麹町中では頭髪や服装のルールづくりはPTAに権限を移譲し、頭髪や服装の指導は一切しない。制服などの在り方については生徒会もPTAに協力して主体的に検討した。いずれの学校でも特に問題は起きず、生徒が自分たちのことは自分たちで考えるようになったという。

 社会が多様化する中で「みんな違っていい。しかし、同時に、誰もが大切にされるべきだ。この両立を考えることが重要」と、校則を見直した麹町中校長(当時)は著書で語っている。





髪染め強要判決 不条理校則見直す契機に(2021年2月23日配信『山陽新聞』-「社説」)

 社会の変化に合わない不条理な校則や生徒指導を見直す契機としたい。

 生来の茶色っぽい髪を黒く染めるよう教員らに強要され不登校になったとして、大阪府立高校の元女子生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決が大阪地裁であった。判決は元生徒の訴えを一部認めたが、髪の染色などを禁じる校則と学校の頭髪指導に違法性はないと判断した。

 校則は社会通念に照らして合理的とみられる範囲内で各学校長が制定する。裁判では校則が合法か、指導は適切だったか、元生徒が不登校となった後の対応は妥当だったかの3点で争われた。

 訴状などによると元生徒は生まれつき髪の色素が薄く、教員らの指導で髪を黒く染めたものの「不十分」だとして執拗(しつよう)に染髪を迫られたという。頭皮の痛みや精神的苦痛で2年生の2016年秋から登校できなくなり、翌年に提訴した。学校側は元生徒の髪は元来黒色だとの認識に基づいて指導したと主張した。

 判決は校則や指導は「学校教育の裁量の範囲を逸脱したとは認められない」と指摘。元生徒の地毛の色の判断は示さず、髪色に多様性を認めるべきかどうかに踏み込まなかった。校則を巡る学校側の裁量権を幅広く認めてきた過去の司法判断を踏襲した形と言えよう。元生徒側は控訴を検討するとしている。

 一方、元生徒が進級したのに教室に席を置かなかったりクラス名簿に氏名を載せなかったりしたことは「教育環境を整えるべき義務」を怠っていると批判した。集団生活に一定の決まりは欠かせない。だが指導によって元生徒は不登校となり、学習機会を奪われている。もっと寄り添った対応をすべきだった。

 今回の訴訟は各地で校則のあり方を議論する発端となった。市民団体や弁護士会が調査に乗りだし、下着の色を指定するといった行動を過度に縛る校則や、生徒会で校則について議論することを止められたケースなど理不尽な指導が広がっている実態が次々と明らかになっている。

 見直しの動きも本格化している。大阪府教委が提訴後に全府立高で実施した頭髪指導調査では、82%が染色や脱色を禁じていたが、一部の学校では地毛の色に戻すまで登校させないなどの行き過ぎた指導を廃止。全校が校則をホームページに掲載し、透明性を高めた。

 近年は外国にルーツを持つ子どものほか、さまざまな身体的特徴や文化的背景の人が学校にも増えている。多様性の尊重が進む中で、染髪禁止といった校則が児童生徒の成長に資するものになっているか議論を深めたい。

 まずはルールそのものが何を意図しているのかを学校側が丁寧に説明し、対話することが重要だ。校則が時代や地域に合っているか、子どもたちや保護者を含め、常に見直していく必要がある。



校則見直し 欠かせない子どもの視点(2021年2月23日配信『熊本日日新聞』-「社説」)

 子どもの人権を損ねる理不尽な校則を見直そうという動きが全国の学校などで広がっている。児童生徒の学校生活を制約する校則とは、いったい誰のための、何を目的としたルールなのか、社会全体で検証する好機としたい。

 大阪府立高の元女子生徒が、学校から髪を黒く染めるよう強要されたとして損害賠償を求めた訴訟。大阪地裁は判決で、校則は「正当な教育目的で、社会通念に照らし合理的」とし、校則と頭髪指導の違法性を認めなかった。

 この判決に対し、識者らは「時代錯誤で残念」「人権感覚がずれている」などと批判した。一方で、学校生活の中で一定の制約を設けることは教育上認められ、我慢や禁欲、自制についての指導も必要との指摘もあった。

 文部科学省によると、校則に明確な法的根拠はない。内容が理にかなっていれば、校長の裁量で制定できるとされる。ただ、実際には、子どもたちの意見が反映されず、学校側のお仕着せになっているケースが多いのではないか。

 校則は、学校という閉鎖的な疑似社会における“法律”だ。個人の多様性や自主性の尊重と、集団生活を維持する上で必要な私権の制約との間で、合理的、論理的なバランスが保たれた内容でなければなるまい。

 ある専門家は、理不尽な校則が容認されている原因の一つに「学校依存社会」を挙げる。確かに、地域や保護者が学校に対して、学習面だけでなく、生活上のしつけや社会的なマナーの指導まで期待してきた側面は否めない。

 だが、生来の茶髪を黒く染めさせたり、下着の色まで指定するような規則は人権侵害にほかならない。こうした校則は直ちに見直すべきであり、見直す際は、子どもを中心に学校や保護者、地域が一体となって知恵を絞るべきだ。

 福岡や佐賀の弁護士会は校則を検証し、「下着は白」など不合理な校則や生徒指導の見直しを提言した。名古屋市ではすべての市立中で、生徒手帳の内容の見直しが始まったという。

 熊本市教育委員会は市立小中学校の校則について、「人権や社会通念に照らして見直す」との方針を示した。見直しのガイドラインを策定する際は、(1)児童生徒が自ら考えて決める仕組みづくり(2)必要かつ合理的な範囲内(3)内容の公開-の3点を踏まえるという。昨年12月の市議会一般質問では、遠藤洋路教育長が「どんな校則が人権侵害に当たるかも基準に明示する」とも答弁している。児童生徒の視点に立った内容となるよう努めてほしい。

 学校が集団生活の場である以上、何らかのルールは必要だ。だが、校則の意義や意味さえ伝えず、唯々諾々と従わせるような指導が続けば、世の不条理に対する正当な抵抗力や批判精神も損なわれてしまう。校則による過剰な管理によって、子どもたちの自由な思考力や発想を奪うことがあってはならない。





黒染め強要、賠償判決 人権守る議論広げよう(2021年2月21日配信『中国新聞』-「社説」)

 大阪府立高に通っていた元生徒が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らに無理強いされ不登校になったとして、損害賠償を求めた訴訟の判決が下った。大阪地裁は、元生徒が不登校になった後の学校の対応に問題があったとして府に賠償を命じたものの、頭髪指導については「違法とは言えない」との判断を示した。

 学校の定める校則に明確な法的根拠はなく、校長の裁量に委ねられている。今回の判決はその裁量を広く認めた内容といえるが、子どもの人格や多様性を尊重する時代の流れに逆行していないだろうか。原告側は控訴を検討するという。

 訴状などによると、元生徒は生まれつき髪の色が薄く、保護者も入学時に配慮を求めた。しかし髪の染色や脱色を禁じた校則に基づき、教員から黒く染めるよう再三指導され、精神的苦痛から不登校になったという。

 判決は、校則について「正当な教育目的で定められた合理的なもの」、学校の「裁量の範囲内」とした。頭髪指導についても、学校側が元生徒の髪の色が黒だと認識していたなどとして、「違法とはいえない」とした。元生徒の地毛が茶色かどうかについては、なぜか判断しなかった。

 一方で、元生徒が不登校になった後、学校が名簿から名前を削るなどした対応は違法とし、府に33万円の賠償を命じた。

 頭髪指導を巡る最高裁の判決では、パーマを禁じる校則を「不合理なものとは言えない」とした例や、強制的に黒く染めさせる指導を「教育的指導の範囲内」とした例がある。学校の裁量を広く認める司法判断が定着しているようだ。

 だが、そもそも身体的特徴は人それぞれである。多様性を学ぶべき学校で、同じ格好をみんなに強制する指導の在り方は差別にもつながりかねず、人権侵害に当たるとの指摘もある。

 グローバル化が進み、多様な文化の下で育った児童生徒も少なくない。外国籍の子や性的少数者、ジェンダーなどへの理解も少しずつだが進んでいる。校則でも配慮すべきではないか。

 今回の訴訟が社会に一石を投じたことは間違いないだろう。下着の色や髪形まで細かく定める、理不尽な「ブラック校則」や指導の問題が広く認識されるきっかけにもなった。

 府教育庁はこの訴訟が提起された2017年、校則の点検などを指示。一部の高校では、頭髪を染めるなどした場合、帰宅させた上で染め直させる「再登校指導」といったルールが廃止されている。

 子どもの権利を守る観点は欠かせまい。千葉県立高では生徒の髪に黒染めスプレーを吹きかけた指導が問題となり、弁護士会が「体罰に準ずる人権侵害に当たる」として警告書を出している。佐賀弁護士会は、県内の公立中の校則を検証し、合理的でないものについて見直すよう県教委に提言した。

 学校生活を送る上で規則を設け、順守を指導することは一定に必要だろう。しかし、管理する側の視点を一方的に押し付ける校則や、人権を尊重しない指導があってはならない。

 その校則は何のためなのか、理にかなっているか―。子どもや保護者も含め、議論につなげていく必要がある。





何のため、誰のための校則か(2021年2月20日配信『秋田魁新報』-「北斗星」)

 先生にはあだ名があった。例えば「まま粒」。頭や顔の形が炊きたてのご飯粒のようでかわいらしい。親しみを込めてそう呼んでいた。昭和の後半、県南の高校の話だ

▼「〇〇パト」というのもあった。〇〇に先生の名が入る。パトはパトカーのことだったのか。登下校時、男子は制帽着用が原則だった気がする。先生は車で学校周辺を巡回。「△△君、帽子をかぶりなさい」と拡声器で呼び掛けていた

▼そうまでして指導していた姿を思い出すたび噴き出す。ただ、その情熱に脱帽する。不思議と嫌な思い出になっていない。厳しさの半面、生徒への愛情が底流に感じられたからか

▼現代の中国では先生にあだ名を付けるのを校則で禁じている所があるらしい。「〇〇パト」も違反となりかねない。日本の校則に戻ると先日、一つの判決が下された。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強要され、不登校になったと大阪の元女子高生が府を訴えていた

▼判決は学校の指導に違法性なしとした。問題なのは地毛が茶色かどうか肝心の判断を避けた点だ。髪の根元が黒いのを学校側は直接見て確認していた―と一方的に認めたのもすっきりしない

▼社会と同様、学校にも一定の規則は必要だろう。おかしいのは、前髪の長さや下着の色までこまごまと決めた校則が各地にあることだ。さほど説明もせず、子供に押し付けてはいないか。一人一人の個性を重んずるこの時代、何のため、誰のための校則かとの疑問は消えない。



校則、鋳型から多様性へ(2021年2月20日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 スカートの長さや髪形、靴下の色などを定めた校則。「ハイソックスは禁止」「左右の長さの違う髪形はだめ」。規定は事細かい。「こんなことまで」と首をひねりたくなるような校則もある

▼「学校は軍隊みたいだ」という嘆きを中学生から聞く。校則の必要性を問われ、答えられる教員はどれぐらいいるだろうか。生徒を管理しようという学校側の意思の表れであろう。根底にあるのは古くて画一的な生徒観

▼髪を黒く染めるよう教師に強要されたとして大阪府立高の元女子生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決があった。大阪地裁は頭髪指導の違法性は認めなかったが、不登校時の学校の対応を違法として一部賠償を命じた

▼元女子生徒は大人になって提訴した。判決を受け、名古屋大の内田良准教授は校則について「(何が良くて何が悪いかを)自分で考えて選べるようにするのが教育の使命だ」と時代の変化に沿った見直しを促す

▼糸満市立西崎中の生徒会が校則の改定案をPTAや住民でつくる学校運営協議会に提案した。男子のスカート着用、腕まくりや登下校時のマフラーなどを認めるよう盛り込んだ。多様性を重んじる感性がうかがえる

▼生徒を鋳型にはめる校則から多様性を尊重する校則へ。学校は社会の縮図。この中で生徒が提起し、教員と共に校則を変えていく。この試みは社会を変える力にもなる。





頭髪指導訴訟 子供の多様性認めたい(2021年2月18日配信『北海道新聞』-「社説」)

 学校の校則や指導のあり方に一石を投じた訴訟となった。

 通学していた大阪府立高校で、生来の茶色い髪を黒く染めるよう強要され不登校になったとして、元生徒が府に損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は校則や頭髪指導は適法との判断を示した。

 判決は学校側の裁量の範囲を幅広く認め、髪の黒染めも強要ではないとした。だが争点の一つだった元生徒の地毛が茶色だったかについては判断しなかった。

 学校側の指導が妥当だったのか疑問を残したと言えよう。

 今回の訴訟を契機に、髪形などを厳しく定める「ブラック校則」の問題点が広く認識された。

 ルールの順守を教える重要性は言うまでもない。同時に児童生徒が自ら考え、個人として判断できる力を育むのも教育の大切な役割だ。その積み重ねが多様性を尊重する学校の実現につながろう。

 訴状などによると、元生徒は髪の色が薄く、入学時に配慮を求めたが、教諭らは髪の染色や脱色を禁じた校則に基づき、黒く染めるよう指導を繰り返した。

 判決は、元生徒が不登校になった後に名簿の氏名を削るなどした対応は違法とし、府に33万円の賠償を命じた。学校側は教育的配慮を欠いており当然の判断だろう。

 一方、校則については社会通念に照らして合理的であり、頭髪指導も学校側が元生徒の髪の根元が黒かったことを確認していたとして、いずれも違法性を否定した。

 元生徒側は何度も髪染めしたため頭皮などを損傷したと主張したが、判決は証拠がないと退けた。

 元生徒の代理人弁護士が「乱暴な事実認定」と述べた通り、学校側の主張をあまりに重視した判断ではないか。元生徒が受けた人権侵害や心身の苦痛について、検討を尽くしたとは見えない。

 過度な校則は子供に大きなストレスとなる。

 日本も批准した子どもの権利条約は「子どもに影響を及ぼす全ての事項について、自由に自己の意見を表明する権利を確保する」と定める。この理念を教育の場で生かしたい。

 今や外国人が身近に増え、LGBTなど性的少数者もいる。多様性の必要が言われるゆえんだ。

 児童生徒が教育の主人公という基本に立ち返る必要がある。生徒が主体的に考える力を育もうと校則を作らない学校も増えている。

 管理する側の都合を押しつけるようなブラック校則や不合理な指導は廃すべきである。





学校の羊飼い(2021年2月17日配信『北海道新聞』-「卓上四季」)

 教師が閉めた校門の門扉に挟まれ生徒が亡くなるという痛ましい出来事があった。1990年の神戸高塚高校校門圧死事件だ。「遅刻を許さない」という狭い目的意識が異様に特化し、世界をバランス良く見る視野が失われた。そう指摘したのは、村上春樹さんである(「職業としての小説家」新潮文庫)

▼「共同体の役に立つ犬的人格を、ときには団体まるごと目的地まで導かれる羊的人格をつくることを目的にしている」。日本の教育についての村上さんの考察には、憤怒すら漂う

▼行き過ぎた生徒指導で精神的苦痛を受けたとして、大阪府立高校の生徒だった女性が府に損害賠償を求めた訴訟の判決がきのう、大阪地裁で言い渡された。生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強制され、不登校に追い込まれたと訴えたが、判決はこれを退けた

▼校則や生徒指導の在り方が争われる裁判は近年増えており、下着の色まで指定するような事例は「ブラック校則」として見直しの対象となっている

▼そもそも校則に明確な法的根拠はなく、合理的な範囲で学校長の裁量に委ねられているにすぎない。なぜ必要なのか。明快な説明が不可欠だろう

▼昨年当欄で紹介した帯広南商業高校のように校則廃止で主体性や自律性を高めた例もある。求められるのは、自ら考え判断する「人的人格」形成を目的とする意識ではないか。学校に羊飼いは必要あるまい。



たかが茶髪、されど茶髪(2021年2月17日配信『中国新聞』-「天風録」)

 20年近く前、カンボジアの農村地帯にある小学校を訪ねると、子どもたちがとびきりの笑顔で迎えてくれた。茶髪が目立つ。「おしゃれだな」とつぶやくと、現地の教師は首を振った。「栄養失調で髪の色が抜けるんです」。わが不明を思い切り恥じた

▲生まれつき茶髪なのに、校則を盾に、教師から何度も黒染めを強要されて不登校になった―。そんな元女子高生の訴えを一部認め、大阪地裁は府に賠償を命じた。ただ、頭髪の染色を禁じた校則は違法ではないとした

▲さて、この司法判断を世間はどう受け止めるだろう。わが国では栄養失調による茶髪はまれだとしても、貧困ゆえに髪を染めたくてもかなわない子もいるだろう。コロナ禍により、貧富の格差はいっそう広がっている

▲一方、厳格な校則を押しつければ非行は防げるという時代でもないだろう。元首相による女性蔑視発言の直後でもある。やっぱり人権尊重に疎い国なのかと、海外にも反響は広がりそう

▲あのカンボジアの子たちは黒髪を取り戻しただろうか。今では思い思いの色に染めているだろうか。個性や多様性を尊重しつつ、公平で公正な社会を築く。たかが髪の色だが、考えることは多い。





学校の「当たり前」を見直してみる(2020年11月14日配信『琉球新報』-「金口木舌」)

 来春に向け、大型スーパーの陳列台でランドセルを見掛ける季節になった。赤と黒に加えうす紫、こはく色、空色など多彩な色が目を引く。一昔前、色の種類は少なく、男子は「黒色」、女子は「赤色」という暗黙のルールもあった

▼性別にとらわれず好きな色を選べるようになったのはいい。通学路でカラフルなランドセルを背負う小学生を見掛けると実感する

▼県内の中学校では性別に関係なく自由に制服を選べる「制服選択制」が広がっている。県教育庁の調査と琉球新報のまとめでは今年4月時点で、2020年度から選択制を導入予定の公立中学校は36校に上り、制服のある144校の4分の1を占めた

▼選択制の広がりは、心と体の性が一致しない性同一性障害の当事者の服装に関する悩みを和らげるだろう。性の多様性を伝えるメッセージになる

▼県による男女共同参画社会づくりに関する県民意識調査で、自分の体の性や心の性、性的指向に悩んだことがあるとの回答は全体で4・6%。若年層ほど多く20代で8・5%、30代は10・4%に上り、一定割合いた

▼調査では性に基づく差別や偏見を解消するために必要なこととして、56%が「幼少期からの教育」と答えた。子どもたちが「男らしさ」「女らしさ」をすり込まれ生きづらさを抱えないために、学校の中にある「当たり前」を見直してみる。それが第一歩になる。




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