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(論)ハンセン病に関する論説(2020年11月15・20・24・12月1・2日・2021年1月18・28・30・2月18日・4月21日・5月4・10・11日)

ハンセン病判決20年 「人間回復」へ確かな軌跡(2021年5月11日配信『熊本日日新聞』-「社説」)

 「私たちの上にも青空が広がった」-。ハンセン病国賠訴訟全国原告団協議会の会長だった曽我野一美さん=故人=はその日、「人間回復」と称された判決を受け止める気持ちを、雲一つない熊本の空に重ね、晴れ晴れとした表情で語った。

 同訴訟で国の強制隔離政策を違憲と断じた熊本地裁判決が言い渡されたのは、2001年の5月11日。判決が扉を開いたハンセン病元患者らの「人間回復」は、それからの20年で確かな軌跡を描き、日本の人権政策に大きな影響を与え続けている。

広がった支援の輪

 判決は、原告の被害をあらゆる領域に及ぶ「人生被害」と表現。強制隔離政策を規定した「らい予防法」を違憲とした上で、国とともに、法を廃止しなかった国会の立法不作為の責任も認めるという踏み込んだ判断も示した。

 1998年に国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(合志市)などの入所者13人が最初に提訴した訴訟は、その後、原告の増加とともに、一般市民の支援の輪も急速に広がった。当時の小泉純一郎首相による異例の控訴断念も、世論の後押しがもたらしたものだ。

 支援活動は判決後も継続され、2005年には専門家以外も広く参加する「ハンセン病市民学会」が熊本市で発足。09年に施行された「ハンセン病問題基本法」は、同学会の提言が基盤となった。

 また、旧植民地の入所者に対する補償開始(06年)、元患者の家族への補償法成立(19年)など、その後の訴訟を経て、さらに広範囲な救済も図られた。厚生労働省が02年に設置した「ハンセン病問題検証会議」は、日本での第三者機関による本格的な政策検証の先駆けだった。

 日本の人権政策史上、一つの判決が、これだけ大きな社会的影響力を示した例は他にあるまい。

道のりはまだ途上

 ただ、熊本地裁判決後の軌跡には曲折もあった。03年には南小国町のホテルによる恵楓園入所者に対する宿泊拒否事件が発生。事件に加え、同園に多くの誹謗[ひぼう]中傷の声が寄せられたことで、なお、社会が差別意識を払拭[ふっしょく]できていないことが、あらわとなった。

 そうした状況を反映して、熊本地裁で審理された家族訴訟(16~19年)では、原告のほとんどが匿名を選択。訴訟参加したことで離婚を余儀なくされた人もいた。患者が非公開の場で裁かれた「特別法廷」の問題についても、最高裁が謝罪(16年)、熊本地裁の違憲判決が確定(20年)したものの、同法廷で裁かれた「菊池事件」の再審の扉は依然、閉ざされたままだ。「人間回復」の道のりはまだ途上にある。

 一方、全国の国立療養所で暮らす入所者の平均年齢は86歳を超えた。高齢化が進んだことで総数も約千人と、ピーク時の1割以下にまで減少している。

 全国最多の恵楓園でさえ入所者数が164人(10日現在)となり、自治会活動の維持も危ぶまれている中で、入所者の生活環境をどう守り、その経験を引き継いでいくか。社会の側が当事者として考えていくべき課題である。

今こそ教訓に学ぶ


 昨年来の新型コロナウイルス禍により、私たちは改めて感染症の差別、隔離の問題に直面した。

 感染者とその家族、そして医療従事者らへの理不尽な誹謗中傷が、時計の針を逆回ししたかのように、繰り返された。さらに今年2月の感染症法改正では、入院命令を拒んだ人に過料を科すという強制措置が、多くの反対の声も押して盛り込まれた。

 感染症に向き合うとき、何よりも肝要な冷静な対応について、今こそハンセン病問題の教訓に学ぶことが必要ではないか。

 コロナの問題と重ね、社会啓発や学校教育にハンセン病問題を取り入れる動きが、全国で広がり始めている。しかし、熊本はハンセン病啓発の先進県でありながら、その蓄積を現在、県行政が十分に生かしているとは言い難い。県が設置した識者でつくる「ハンセン病問題啓発推進委員会」(委員長・内田博文九州大名誉教授)は、昨年1月に報告書を蒲島郁夫知事に提出した後、事実上の休止状態となっている。コロナを巡る問題についても、県は改めて提言を受けるべきだ。

 人間の尊厳こそが、人権の第一の命題であることを示した熊本地裁判決、そしてその命題を現実に反映させるために多くの県民が関わってきた実践活動は、熊本が築き上げてきた無形の社会的財産である。この20年の「人間回復」の軌跡の意義をかみしめながら、さらに次世代へと引き継ぐよう着実に歩みを進めたい。



ハンセン病判決20年 差別許さぬ決意 今一度(2021年5月11日配信『沖縄タイムス』-「社説」)

 ハンセン病元患者に対する国の隔離政策を違憲と断罪した国家賠償請求訴訟の熊本地裁判決から、きょうで20年になる。

 誤った政策が根付かせた差別や偏見により人間としての尊厳が踏みにじられた歴史に、私たちはこの間どう向き合ってきたのか。

 1907年に始まった強制隔離政策は、96年に「らい予防法」が廃止されるまで約90年間もの長期にわたり続いた。

 40年代以降は薬で治るようになり、60年に世界保健機関(WHO)が外来治療を勧告していたにもかかわらずである。

 家族や古里から引き離された療養所での生活は、結婚しても子どもを持つことが許されず、妊娠中絶や断種が強制された。家族に偏見が及ばないよう偽名を使うことも余儀なくされた。人間らしい生き方ができなかった苦しみは想像を絶する。

 だが、政府は「らい予防法」廃止の遅れを陳謝したものの施策の責任はうやむやにした。そのことへの怒りが国賠訴訟の提訴へ突き動かした。

 熊本地裁判決は旧厚生省の責任に加え、長らく法を廃止しなかった国会の立法不作為も認定した。元患者らの勇気ある訴えが画期的な判決を勝ち取り、当時の小泉純一郎首相の謝罪につながった。

 その後の家族訴訟では、地域から排除されたり就職や結婚で差別を受けたりするなど、元患者と同様に苦しんできた家族への被害も認められたのである。

■    ■

 ただ、社会に潜む差別や偏見は依然としてなくならない。内閣府の2017年の世論調査では、回答者の3割近くが元患者や家族への差別的な言動があると答えている。

 元患者の家族に対する補償の申請が伸び悩んでいる現状もその表れだとみられる。手続きがきっかけで周囲に知られるのを恐れているのだ。

 一方で若者らが積極的にハンセン病問題を学ぼうとする動きがある。元患者の高齢化が進む中、県内では、15年に開館した資料館「愛楽園交流会館」が、沖縄のハンセン病の歴史を継承する大きな役割を果たしている。

 会館創設の中心となったのが愛楽園自治会長を長年務め今年3月亡くなった金城雅春さんだ。国賠訴訟で愛楽園原告団長を務め、啓発活動にも精力的に取り組んでいた。

 事実を「知らなければ同じことを繰り返す可能性がある」と指摘した金城さんの言葉を、私たちは重く受け止めなければならない。

■    ■

 病気への理解不足が偏見を生むことは、コロナ禍でも明らかになった。感染者や医療従事者らへのバッシングが各地でみられるからだ。

 コロナ対応を強化するため改正感染症法は入院拒否者らに過料が科せるようになった。寄り添うべき患者に対し強権を認めることに、強制隔離の過去が重なる。

 ハンセン病の二つの判決で補償する法律はできたが、差別解消の歩みは道半ばだ。変わるべきは私たちの社会であり、差別と偏見のない社会を実現させる責務が私たちにはある。





違憲判決20年 ハンセン病の教訓、今こそ(2021年5月10日配信『西日本新聞』-「社説」)

 「病より差別はつらい」

 ハンセン病の元患者の言葉を今こそかみしめたい。

 国のハンセン病隔離政策を憲法違反と断罪した熊本地裁判決から、明日で20年になる。約90年にわたる患者・元患者への人権侵害は今日に多くの教訓を残した。病者への差別を繰り返さないためにも、ハンセン病問題を学び直す機会にしたい。

 <二〇〇一年五月十一日は、私の「人間回復」の忘れることのできない誕生日です。ひとことではとても語ることのできない、闇の中の生活から脱皮した記念の日です>

 原告の一人で、鹿児島県鹿屋市の国立ハンセン病療養所・星塚敬愛園で暮らす上野正子さんは、著書「人間回復の瞬間(とき)」に勝訴の感慨をつづった。「人間回復」は、人としての尊厳をひどく傷つけられた体験がなければ表せない言葉だろう。

■教育・啓発は道半ば

 ハンセン病はらい菌により、皮膚や末梢(まっしょう)神経が侵される感染症である。国は明治以来、患者を療養所に強制収容し、社会から切り離した。

 戦後、基本的人権を保障した新憲法が制定されても、治療薬の普及で「治る病気」になっても見直されることはなかった。この隔離政策は、根拠法のらい予防法を廃止する1996年まで続いた。それほど遠い昔の出来事ではない。

 絶対隔離の療養所生活はあまりにも非人道的だった。

 入所すると、解剖承諾書に署名させられ、偽名(園名)を使うように指示された。夫婦は断種や堕胎を強いられ、子どもを産み、育てることはできない。傷んだ体で重病者の介助、火葬などの作業を強制された。懲罰の監禁室も存在した。

 警察を使った患者の収容、患者宅が真っ白になる消毒は「恐ろしい病気」の偏見を社会に植え付け、患者の多くが家族や古里との縁を絶たれた。

 こうした長きにわたる被害の実態が、入所者が起こした裁判で原告の証言により明らかになった。裁判の意義の一つだ。その結果、熊本地裁は国と国会の責任を明確にし、損害賠償を命じる歴史的判決を下した。

 判決は療養所が社会に開かれる転機となった。療養所を訪ねる人が増え、入所者が園外で体験を語る機会ができ、熊本県合志市の菊池恵楓園には保育施設が開設された。ハンセン病差別の認知度は一定程度高まった。

■「コロナ」も同じ構図

 それでも、差別や偏見をなくす教育、啓発は今なお道半ばにあると言わざるを得ない。

 2003年11月、熊本県のホテルが菊池恵楓園の入所者の宿泊を拒否する事件が起きた。知事が公表すると、入所者を誹謗(ひぼう)中傷する手紙やファクスが菊池恵楓園に次々と届いた。社会に潜在する差別意識をなくすために学校教育や社会教育、啓発の役割は重要だ。検証を重ねて継続してこそ、効果が表れる。

 その担い手は、国だけではない。かつて「無らい県運動」を推し進めた地方自治体の責務であり、市民の一人一人も当事者である。その取り組みは地域格差がないようにすべきだ。

 ハンセン病差別は病気への誤った認識や過度な恐れにより助長された。折しも、感染症である新型コロナの患者や医療者も差別や偏見にさらされている。ハンセン病と同じ構図だと元患者がいみじくも指摘している。

 新型コロナ対策では、感染症法に入院を拒否した患者への罰則を盛り込むことが検討され、ハンセン病元患者らが撤回を求める一幕があった。

 感染症法はハンセン病やエイズなどに対する差別、偏見の教訓を踏まえて制定された。その経緯を考えると、国の感染症対策には危うさが残る。

 ハンセン病問題から、私たちはまだまだ多くのことを学ぶ必要がある。





ハンセン病 差別の歴史を風化させるな(2021年5月4日配信『読売新聞』-「社説」)

 ハンセン病患者への国の隔離政策を「違憲」とした司法判断が示されてから20年になる。差別と偏見の歴史を再び繰り返すことがないよう、改めて考える機会にしたい。

 国立ハンセン病療養所の元患者ら127人が、国の隔離政策で人権を侵害されたと訴えた裁判で、熊本地裁は2001年5月11日、国に計18億円の賠償を命じた。

 元患者らが受けた苦難に初めて光があてられ、政府や国会による謝罪と、被害実態の解明につながった意義は大きかった。

 ハンセン病は、らい菌により末梢まっしょう神経や皮膚が侵される感染症だ。感染力は弱く、薬で治癒するようになった後も、らい予防法が廃止される1996年まで約90年間、隔離政策は続けられた。

 隔離を徹底したことで、恐ろしい伝染病だという誤った認識が固定化した。療養所では偽名を使うことを余儀なくされ、断種や妊娠中絶を強要された人もいた。国の政策が、患者やその家族に深刻な被害をもたらした事実は重い。

 隔離政策が終わった後も、多くの元患者は療養所に残らざるを得なかった。根強い差別で故郷に戻れない人や、病気の後遺症で介助が欠かせない人がいたためだ。

 療養所に暮らす入所者の平均年齢は現在、86歳を超え、高齢化が進む。多い時で1万人を超えていた入所者数は、約1000人にまで減っている。入所者を孤立させず、安心して生活できる環境を今後も守っていく必要がある。

 入所者で組織する自治会は、高齢化で活動を休止するところも出ている。処遇改善などを求める入所者の声を、施設側に届ける態勢づくりが急務だと言えよう。

 隔離政策の実態を語り継ぎ、どのように後世に伝えていくかも考えなければならない。自らの経験を語れる人は減りつつある。当事者と交流してきた地域住民を語り部として育成するなど、被害を風化させないことが大切だ。

 療養所の敷地内に保育園を誘致したり、医療施設を一般の人も受診できるようにしたりして、地域との共生を模索しているところもある。国や自治体は、こうした動きを後押ししてもらいたい。

 感染症に対する無知は、偏見につながる。コロナ禍では、感染した患者へのバッシングやいじめが問題になっている。

 政府は、ハンセン病に関するこれまでの啓発活動を検証する有識者会議を設けるという。長く差別を生んできた原因を見極め、効果的な対策を打ち出してほしい。



韓台のハンセン病 戦後補償解決のモデルに(2021年5月4日配信『熊本日日新聞』-「社説」)

 国の誤った強制隔離政策によって、差別に苦しむハンセン病元患者の家族に対する補償法に基づいて、戦前、戦中の日本統治下で過ごした韓国と台湾の元患者の家族が、厚生労働省に補償請求を行った。

 2019年に施行された家族補償法は、当初から旧植民地も対象にしている。その背景には、被害者救済に向けた元患者や弁護団、支援者らの長年の国際連携があった。今回の請求はそれが実を結んだ形で、ハンセン病問題のみならず、いまだに多くの事例で合意が得られていない旧植民地に対する戦後補償問題解決のモデルとしても評価したい。

 強制隔離政策を巡っては、01年5月のハンセン病国家賠償請求訴訟熊本地裁判決で、憲法違反の判断が確定。これを受けて成立した元患者への補償法は当初、運用面で旧植民地の療養所入所者を排除していた。

 このため、韓国、台湾の入所者が補償を求め提訴。05年の東京地裁判決では、両原告の勝訴、敗訴が分かれたが、超党派議員による06年の補償法改正で旧植民地も対象に。こうした経緯から家族補償法も、終戦前の生まれなどを条件に、在外者を含めた。

 日本統治下での韓国のハンセン病療養所「小鹿島[ソロクト]更生園」では、懲罰の手段として断種が行われるなど、日本国内以上に差別的な処遇がなされていた。

 その実態を調査してきた歴史研究者の滝尾英二さん=故人=の「旧植民地の被害が置き去りにされている」との指摘を受け、日本の国賠訴訟の弁護団らが初めて小鹿島を訪問したのは03年。以後、台湾の療養所「楽生院」入所者や、現地弁護士らとの交流も進め、補償請求にまで至った。日本側から働き掛けた一連の活動は、戦後の隔離政策についての韓国政府による謝罪や被害救済にもつながったという。

キャプチャ

 国際支援の輪は、元患者同士や市民にも広がり、熊本では05年の「ハンセン病市民学会」設立総会などに、韓国、台湾の入所者らが参加。こうした分厚い交流が、問題解決促進の原動力となった。

 旧植民地に対する戦後補償を巡っては、特に韓国との間で従軍慰安婦や徴用工の問題などであつれきが続いている。日本の政府は日韓請求権協定で戦後補償は法的には解決済みとの立場だ。ただ一方で、道義的、人道的問題として、当事者が自発的に解決に取り組むことまで拒むものではない-との姿勢も示していた。

 ハンセン病家族補償の韓国、台湾からの請求に至るまでの経緯は、その自発的取り組みの数少ない成功例と言えるのではないか。

 むろんハンセン病家族への補償を、慰安婦、徴用工の問題に単純に当てはめることはできないが、民間主導で対話を重ね、信頼関係を築き、当事者が納得する解決にまで導いた筋道に学ぶべき点は多い。このような事例の存在を両国間で広く共有し、他の戦後補償問題解決の糸口にもしたいと思う。





[ハンセン病家族補償]旧植民地も広く救済を(2021年4月21日配信『沖縄タイムス』-「社説」)

 日本が戦前、植民地支配していた台湾と韓国のハンセン病元患者の家族が、救済を求め動きだしている。

 国の誤った隔離政策によって差別に苦しむ家族に対する補償法に基づき、台湾の家族6人は既に申請を済ませた。韓国の家族約60人も近く申請するという。関係機関が連携し、速やかに補償を実施すべきだ。

 ハンセン病を巡っては、2019年に熊本地裁が家族への差別被害を認め、国に賠償を命じる判決を言い渡した。これを受け施行された家族補償法は、旧植民地の元患者家族も対象としている。

 家族訴訟の弁護団がその被害に本格的に向き合ったのは判決後。現地の法律家が韓国の療養所「小鹿島(ソロクト)更生園」や台湾の「楽生院」に関する被害聞き取りや陳述書の作成を担った。

 両療養所は日本のハンセン病患者隔離政策に基づいて開設されたもので、強制的に収容し重労働や断種手術、神社参拝などを強要した。感染症問題と民族差別で、「国内をはるかに上回る二重の人権侵害があった」とされる。

 隔離が助長した偏見によって家族というだけで地域から排除され、結婚や就職などの場面で差別を受け、家族の離散や分断を強いられたといった被害は想像に難くない。

 終戦前、韓国では約6千人、台湾では約700人が療養所に収容されていた。家族であることの証明など申請に必要な資料集めでは相互の協力が必要だ。広く迅速に被害を救済するためにも特別な配慮を求めたい。

■    ■

 01年、元患者本人による国家賠償請求訴訟で熊本地裁は隔離政策を違憲とし、原告が全面勝訴した。しかし同年施行されたハンセン病補償法は、当初、運用面で旧植民地の療養所を含んでいなかった。韓国、台湾の元患者らが提訴し、06年の法改正によって対象となった経緯がある。

 家族補償では当初から旧植民地も含むが、安心して法律の適用を受けられるかは、また別の問題だ。

 家族補償法の施行から約1年半、全体でも申請は6980件、認定は6699件にとどまっている。対象とされる約2万4千人の3割にも届いていない。

 家族が患者だったことを周囲に打ち明けていない人も多く、二の足を踏んでいるのだろう。

 海外に住む対象者の場合、言葉の壁もある。情報が届いていない可能性も高い。平等な補償の実現には、申請を促す仕組みが必要だ。

■    ■

 ハンセン病問題は、補償の契機となった01年の熊本地裁判決から来月で20年となる。

 補償金申請が伸び悩んでいることが示すように、差別を恐れる状況は大きく変わっていない。

 図らずもコロナ禍で露呈したのが感染者への偏見差別である。官民で患者を地域から排除した「無らい県運動」と、「自粛警察」に象徴される同調圧力は重なり合うところがある。

 偏見と差別をなくす国の取り組みが不十分なことは明らかだ。





小浜の「人権桜」(2021年2月18日配信『福井新聞』-「論説」)

交流に学ぶ思いやりの心

 小浜市の若狭東高正門近くに、約15年前に植えられた1本のシダレザクラがある。それは福井県出身のハンセン病回復者と同校生との交流を縁に、差別のない社会を願い「人権桜」と命名された。小浜市社協が中心になって取り組んできたハンセン病回復者との交流は昨秋で30周年を迎え、人権桜のそばに記念標を設置する計画が進む。人権桜に込められた思いに多くの人が触れてほしい。

 人権桜は、高浜町出身のハンセン病回復者、高瀬重二郎さん(故人)と同校生が2005年11月に植えた。講演会で真剣に話に聞き入る生徒の姿に高瀬さんが感銘し、実現した。

 「この桜の木を心の支え、拠点としたい。桜が大樹となって自由と平等の花が咲き、日本の排他的差別がなくなることを願う」。当時の植樹式での高瀬さんの言葉だ。それから15年後の今。新型コロナウイルスの感染が収まらず、感染者や家族、医療関係者への誹謗(ひぼう)中傷が各地で相次ぎ、高瀬さんの思い描く社会の実現はまだ道半ばだ。

 だからこそ、人権への関心を高めたいと、市社協は30周年記念事業を企画した。若狭東高のほか、国立ハンセン病療養所「邑久(おく)光明園」(岡山県瀬戸内市)にも記念標を設置。交流の歴史を紹介した市社協ホームページを充実させ、記念標に表示したQRコードを通して人権桜の由来などを発信したい考えだ。

 交流にかかわった関係者ら15人で2月2日、記念事業実行委員会が発足した。記念標のデザインを決め、7月に若狭東高での除幕式開催を目指す。

 市社協とハンセン病回復者との交流の起点は1990年10月にさかのぼる。市社協職員が邑久光明園を訪れたのを機に、間もなく、近くにある別の療養所長島愛生(あいせい)園との交流も始まった。中高生や市民らを巻き込み、毎年両療養所へ訪問。回復者の里帰り運動、小浜市出身の元患者の半生を描いた劇の上演など、ハンセン病への正しい理解を訴え続けてきた。

 若狭東高生も熱心だった。回復者をモデルにしたドキュメンタリー番組を09年に制作。11年には同番組を基にした紙芝居も手掛け、小学校で上演した。

 療養所の訪問も続けている。昨秋はコロナ禍で訪問できなかったが、リモートで近況を報告し、一緒に歌った。「ハンセン病を正しく伝えていくことが私たちの使命」。その思いを代々受け継ぐ同校生らの意見も記念事業に反映されるといい。

 人権桜は古里を離れたハンセン病回復者と若狭をつなぐ象徴だ。交流の歴史に触れ、人を思いやり、寄り添える心の在り方を考えたい。



菊池事件再審拒否 真相解明は司法の責務だ(2021年1月30日配信『新聞』-「社説」)

 特別法廷での審理は「憲法違反」だった。ならば、正当な手続きで裁判をやり直すことは、当然のことではないか。

 ハンセン病患者とされた男性が隔離先の特別法廷で死刑判決を受けた「菊池事件」で、元患者団体などが求めた再審請求について、熊本地検が応じないことを決めた。地検は「慎重に検討して再審請求すべき事由がないと判断した」と理由を説明した。

 男性は1952年に起きた刺殺事件で殺人罪に問われ、国立ハンセン病療養所菊池恵楓園(合志市)内などに設けられた事実上非公開の特別法廷で裁かれた。男性を犯人とする物証や証言には、信用性を疑わせる数々の矛盾点が指摘されているが、男性の無実の訴えは受け止められず、死刑判決が確定。62年に執行された。

 特別法廷の審理は、関係者がゴム手袋をはめ、箸で証拠物を扱うなど、当時の科学的知見からみても根拠のない、極めて差別的な扱いで進められた。

 昨年2月の熊本地裁判決は、こうした審理運営について、国の強制隔離政策を背景に「被告がハンセン病患者であることを理由とした合理性を欠く差別」とし、憲法13、14条に違反することを明確に認め、確定した。また、特別法廷が公開原則を満たさなかった点についても、憲法37、82条に違反する疑いがあるとした。

 憲法違反がただちに再審事由になるとは認めなかったが、それが再審請求を妨げる判断でないことは明らかだ。むしろ、検察の裁量を広く認め、検察自ら再審を求めることを期待した判決とみることもできるのではないか。だが、地検は判決の一部を引用し、再審請求拒否の根拠とした。

 現行制度は、本人死亡後の再審請求を遺族と検察官に限定している。男性の遺族が偏見差別を恐れて再審請求に踏み切れない中、検察による再審請求しか、再び裁判を開く手段はないのが実情だ。検察官は刑事事件で「公益の代表者」とも位置付けられている。今回の地検の判断に対し、元患者団体の弁護団が「公益の代表者としての責務の放棄だ」と批判したのは当然だろう。

 ハンセン病患者の特別法廷は、48~72年に全国で95件設置された。最高裁は2016年にその違憲性を認めて謝罪し、日弁連も反省と謝罪を表明、翌年には最高検が関与について謝罪した。

 にもかかわらず、個別事案の被害回復に手を尽くさないのは、司法の怠慢ではないか。検察が動かないのであれば、新たな立法措置による制度改正も必要だろう。再審請求権者の範囲拡大や、再審請求の事由に憲法違反を明記することも検討すべきだ。

 弁護団は昨年11月、全国から募った1205人の請求人による再審請求書を熊本地裁に提出した。検察や裁判所は、改めて「菊池事件」について、真相解明の責任があることを認識すべきだ。過去の過ちを自らどう正すのか。司法の正義が問われている。





ハンセン病法廷 「真相」を葬ってよいのか(2021年1月28日配信『西日本新聞』-「社説」)

 真相を見極めることなく、違憲とされる「密室の法廷」を歴史の闇に葬っていいのか。

 刑事裁判のやり直しである再審が請求される事件の中で、熊本県で1952年に起きた菊池事件は、冤罪(えんざい)かどうかにとどまらない意味を持つ。被告の男性がハンセン病患者であることを理由に隔離施設内の「特別法廷」で裁いたからだ。

 菊池事件を巡り、元患者団体などが求めた再審請求について熊本地検が応じないことを決めた。地検は理由を「慎重に検討したが再審の事由は認められない」と回答したという。

 極めて疑問の残る判断だ。

 特別法廷は裁判の公開原則に反する密室だっただけでなく、被告以外の関係者はゴム手袋をはめ、箸で証拠物を扱うなどした。当時の科学的知見にもそぐわない差別的な扱いである。

 このような特別法廷の実態と事件の真相を明らかにすることは、今日の社会に課せられた責務ではないのか。

 新型コロナウイルスの感染でも指摘される、患者への差別と偏見が生み出される土壌や、強制入院の是非といった問題を考える材料にもなるだろう。

 国の患者隔離政策と、その一環である特別法廷はともに人権侵害に当たるとして「憲法違反」の司法判断が確定している。

 被告の男性は無実を訴えながら村の元職員を殺した罪で死刑が執行された。男性の遺族は差別や偏見を恐れて再審請求ができず、元患者らが「男性は無実で、検察が再審請求しないのは不当だ」と訴え、さまざまな活動を続けている。

 刑事訴訟法は再審の目的を有罪確定者の「利益のため」と明記している。再審請求できる者の筆頭に検察官を挙げる。刑事事件で「公益の代表者」と位置付けられているからだ。

 現状では検察による再審請求しか、菊池事件の公判を再び開く手段はないとされる。今回の熊本地検の判断に対し、元患者団体の弁護団が「公益の代表者としての責務の放棄で遺憾」とコメントしたのは当然だろう。

 菊池事件を巡り、特別法廷を初めて憲法違反と断じたのは昨年2月の熊本地裁判決(確定)である。画期的な判断と言えたが、再審自体は認めなかった。再審請求に関する検察の裁量を広く認めたことも要因だ。

 最高裁が48~72年に特別法廷設置を認めたのは全国95件に上る。最高裁が謝罪したのは2016年で、続いて日弁連が反省と謝罪を表明し、翌年には最高検が関与したことを謝罪した。

 違憲の法廷で裁かれ、死刑となった菊池事件がこのままでよいのか。問われているのは司法全体の正義である。





コロナ対策の厳罰化 ハンセン病問題を教訓(2021年1月18日配信『熊本日日新聞』-「社説」)

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、政府が対策の実効性を高めるためとして、にわかに関連法の厳罰化を進めようとしている。

 今日召集される通常国会に、ともに罰則を盛り込んだ新型コロナウイルス特別措置法と感染症法の改正案を提出する予定だ。感染症法の改正では、これまでも刑事罰の対象だった危険な病原体をみだりに拡散させ公共に危険を及ぼした場合など以外にも、感染者が入院勧告や保健所の調査に従わなかった場合などに、懲役刑や罰金刑を科す案が浮上している。

 感染症法はその基本理念で、患者らの人権の尊重を掲げている。その背景となったのが、強制隔離政策によって患者らが多大な人権侵害を受け、偏見差別を深刻化させる結果となったハンセン病問題の歴史に対する反省だった。今回の改正は、そうした教訓に照らしても妥当性があるのか。冷静に考える必要がある。

 「らい予防法」以上

 あらかじめ断っておきたいが、ハンセン病は、らい菌による慢性疾患で、感染力は弱く致死率もごく低い。急性の新型コロナウイルス感染症に単純に重ねることはできない。だが現在は容易に完治するハンセン病も、当初は有効な治療法がなく、病気への社会不安が強かった点では共通している。

 ハンセン病の強制隔離政策がエスカレートした一因には、医療自体が隔離され、隔離先の国立療養所長ら一握りの専門家によって政策が左右されたことがある。

 1951年、強制隔離政策を規定した「らい予防法」の改正を検討する国会で、療養所長たちは「手錠でもはめてから、捕まえて強制的に入れればいい」などと証言。これを受け、既に特効薬が導入されていたにもかかわらず、強制収容の規定は強化された。

 ただ、改正後の法律でも、入所を拒んだ人に対し、懲役刑まで科すような規定はなかった。そうした点においては、今回の感染症法改正案は「らい予防法」以上の厳罰化とも捉えられる。

 医学会連合が反対

 このような法改正の内容については、「らい予防法」とは対照的に、多くの専門家から反対の声が上がっている。

 日本医学会連合は緊急声明を出し、「厳罰を恐れるあまり、検査結果を隠すなどかえって感染コントロールが困難になることが想定される」と指摘。さらに「罰則を伴う強制は国民に恐怖や不安・差別を引き起こすことにつながる」とした上で、「偏見・差別を抑止する対策を伴わずに、感染者個人に責任を負わせることは受け入れがたい」と訴えている。

 13日時点で、新型コロナの自宅療養者は全国で3万人を超えた。入院を望む人たちにも十分な受け皿がないのに、入院拒否の厳罰化を進めるのは矛盾していないか。

 政府は今回の感染症法改正で、病床確保のため、医療機関への協力要請を「勧告」に強める方針だが、泥縄的対応だろう。これもまた、感染抑止のための社会防衛策として隔離を強化しながら受け皿の療養所は収容数増加を優先し、医療環境は貧困だったハンセン病政策の過ちの歴史を想起させる。

 正しく恐れるため


 感染症は、抑止と人権のバランスをとるためにも、正しく恐れることが必要だとされる。そのためにも重要なのが、行政から国民に適切な情報を提供して、政策に対する納得と理解を得るリスクコミュニケーションである。

 ハンセン病では、強制隔離政策を進めるために、行政が国民に対して病気への恐怖を一方的にあおり続け、長く是正することなく放置した。

 新型コロナの場合はどうか。最初の緊急事態宣言の解除後は、収束前に「Go To」キャンペーンという抑止とは正反対の政策を実施。感染症法の位置付けでも新型コロナ感染症の危険度分類を緩めることが検討されていた。それが感染拡大に対する対応遅れへの批判が高まったとたん、ワクチン接種も視野に入ったこの時期に厳罰化を持ち出した。国民はその振幅の大きさに振り回されるばかりで、納得と理解を示しているとは思えない。

 政府は厳罰化について、全国知事会からの要請を理由の一つとしているが、知事会は刑事罰まで望んでいるのか。かつて各自治体が「無らい県運動」というハンセン病患者の強制収容を競った歴史も踏まえての要請なのか問いたい。

 国会も、ハンセン病政策の立法措置で過ちを犯した過去を胸に刻み、慎重に審議すべきだ。その審議において、これまで述べた多くの疑念が解消されない限り、法改正による厳罰化、特に刑事罰の対象拡大には賛同しがたい。





多くの悲劇に目をつぶってきた国と私たち社会である(2020年12月2日配信『熊本日日新聞』-「新生面」)

 熊本市の立田山麓にあった「龍田寮」の庭には、大きなユーカリの木が植えられていた。木村チズエさん(88)=合志市=は、親を探して泣き叫ぶ子どもをおんぶして木の周りを一晩中歩いたことを昨日のことのように覚えている

▼寮には、国立ハンセン病療養所菊池恵楓園に強制収容された人の子どもたちが預けられていた。寮の保育士だった木村さんは、親と引き離された子どもたちと寝食を共にし、姉代わりを務めていた

▼寮が閉鎖された後、子どもたちは県内の児童養護施設や親戚に引き取られたが、多くが苦渋に満ちた人生を歩んだという。「もっと抱き締めてあげればよかった」。木村さんは、還暦を過ぎたであろう「ユーカリの子どもたち」のことを今も案じている

▼恵楓園には先月下旬、生まれることを許されなかった子どもたちを悼む慰霊碑が建った。横に入所者の詩が添えられている。〈できることなら あなたとふたり/朝日の光のなかを/青空のもとを/夕焼けのなかを/手をつなぎ 歩きたかった〉

▼おととい違憲判決が下った旧優生保護法は、ハンセン病患者も優生手術の対象とし、男性には不妊手術、女性には中絶手術を強いた。中絶された中には7、8カ月の胎児もいたという

▼〈この涙を/光を見ずに 眠り続ける あなたに捧ぐ〉。そう続く詩は、わが子の強制堕胎に応じてしまった入所者の後悔と悲しみに満ちている。慰霊碑に手を合わせなければならないのは、多くの悲劇に目をつぶってきた国と私たち社会である。

「忘れてはならない」 ハンセン病療養所・菊池恵楓園に胎児慰霊碑を建立➡ここをクリック





ハンセン病家族法1年 差別解消が真の解決だ(2020年12月1日配信『琉球新報』-「社説」)

 国の誤った隔離政策などにより差別に苦しむハンセン病元患者の家族に対する補償法施行から11月で1年がたった。しかし、推計される補償対象者約2万4千人対し、11月13日時点の申請受け付けは6431人、認定は5885人で2割強にとどまる。

 厚生労働省の担当者は新型コロナウイルス禍で必要書類の入手に支障が出ているとの見方を示すが、専門家や当事者は根強い差別や偏見が原因だと指摘する。

 厳しい差別や偏見に遭うのではないかと、申請自体におびえや迷いがある。これは、補償法を作っても根本的解決に至っていないことを物語る。法整備だけではなく社会での差別の解消こそが肝要だ。

 背景には、国と社会が一体となって元患者を差別した歴史がある。国は1996年のらい予防法廃止まで元患者らを療養所に隔離した。2001年、元患者による国家賠償請求訴訟で熊本地裁は隔離政策を違憲と判断、国は控訴を断念し謝罪した。その後、補償と検証は進んだが、家族の問題は取り残された。

 差別に苦しむ家族は16年に集団提訴し、熊本地裁は19年に国の責任を認め賠償を命じた。国は再び控訴を断念し謝罪した。
同年、議員立法で家族補償法が施行された。元患者の親子や配偶者らに1人180万円、きょうだいらに130万円の支給が始まった。
 しかし支給は滞っている。その理由について訴訟の原告弁護士は「身内に元患者がいることを家族にも伝えていない人もいる。

『秘密が明らかになってしまう可能性があるのに、この程度の金額なら』と思い、ためらうケースは多い」と解説する。

 実際、家族訴訟の原告の大半が匿名だ。元患者の存在を隠そうとすることで家族関係は切り裂かれた。家族は「患者予備軍」として就学や結婚、就職を拒まれ、家庭を築くことも難しかった。

 全国13の国立療養所で暮らす元患者は1090人、平均年齢は5月現在で86・3歳だ。被害の回復と家族関係修復に残された時間は少ない。

 市民を対象にした内閣府の世論調査では、回答者の3割近くが2017年時点でも元患者や家族への差別的言動はあると指摘している。補償法の請求期限は24年11月まで。政府や自治体は専門的相談窓口を設けるなど家族が申請しやすい環境をつくるべきだ。

 同時に、ハンセン病の元患者や家族にとどまらず、差別のない社会を目指す啓発活動を一層強化する必要がある。と言うのも、感染症を巡る人々の差別は決して過去の問題ではないからだ。

 新型コロナ感染者やその家族、医療従事者らに強い偏見や差別の目が向けられている現状が、その問題の根深さを証明している。ハンセン病差別の過ちを、教訓として今に生かす必要がある。行政任せにせず社会全体で差別解消に取り組む時だ。





ハンセン病家族 低調な補償に映る深い傷(2020年11月24日配信『山陽新聞』-「社説」)

 国の誤った隔離政策によって、差別に苦しむハンセン病元患者の家族に対する補償法施行から1年が過ぎた。今月13日時点の申請受け付けは6431人、認定は5885人で、国が推計する人の4分の1どまりと低調だ。

 根深い偏見や差別を恐れ、申請に二の足を踏む人がやはり少なくないのだろう。身内に元患者がいることを家族にさえ伝えていない人もいるとされる。

 家族が受けた傷の深さを浮き彫りにしている。申請期限は施行から5年と限られており、申請についての啓発、サポートに力を入れ、一人でも多くが補償を受けられるようにしなければならない。

 ハンセン病は「らい菌」による感染症で感染力は弱いが、国は1996年のらい予防法廃止まで元患者らを療養所に収容する隔離政策を続けた。2001年、元患者による国家賠償請求訴訟で、こうした政策を熊本地裁が違憲と判断し、国は控訴をせず謝罪して、補償と検証が進んだ。

 だが、家族の問題は取り残され、昨年6月にようやく、熊本地裁が国の責任を認めて賠償を命じた。国は再び控訴を断念し、11月22日に議員立法で家族補償法が施行されて、元患者の親や子、配偶者らに180万円、きょうだいや孫、めい、おいに130万円の補償金が支給されることになった。

 申請をためらう人の中には、自らの過酷な体験から「もらって全て決着にしたくない」といった、国などの責任に対する厳しい声もある。判決の確定後、国は原告と共にハンセン病問題の啓発の在り方を検討してきたものの、新型コロナウイルス禍で協議が延期になるなどして、あまり進んでいないという。

 無論、問題を解決済みとすることはできない。自治体とも連携し、実効性のある施策を検討してもらいたい。

 元患者は取り返しのつかない被害を受けたが、隔離によって社会内での差別からは一定の距離が置かれた側面もある。一方、残された家族は地域で偏見差別に直接さらされた。家族訴訟弁護団の共同代表が先日の本紙記事で、そう語っていたことも重く受け止める必要がある。

 大元は国の政策だが、地域で実際に差別したのは、社会の側にいた私たち一人一人だったとの指摘である。

 感染症と偏見差別の問題はコロナ禍で繰り返されている。感染した人を社会にとって危険な、迷惑な存在だと捉え、排除しても構わないとする風潮に胸を痛める元患者や家族は多いに違いない。

 一人一人に問われるのは、そうした偏った声が身近であったとき、誤りと言えるかどうかだろう。瀬戸内市の長島愛生園、邑久光明園と高松市の大島青松園の三つの国立ハンセン病療養所があり、ハンセン病問題啓発の先頭に立たねばならないこの地域だからこそ、特に自覚したい。





写真展「13(サーティーン)」(2020年11月20日配信『南日本新聞』-「南風録」)

 草木にのみ込まれそうな廃屋から煙突が突き出ている。奄美市の国立ハンセン病療養所奄美和光園の火葬場跡を収めたモノクロ写真は、亡くなっても外の世界と隔絶された過酷な歴史を伝える。

 東京都東村山市の国立ハンセン病資料館で開催中の写真展「13(サーティーン)」を訪ねた。撮影者は俳優の石井正則さん。元お笑いコンビ「アリtoキリギリス」で知る人も多かろう。タイトルの由来である全国13カ所の療養所の現在を撮影した。

 ドキュメンタリー番組でハンセン病に関心を持ち、入所者の減少などを背景に変わっていく姿を記録しようと3年かけて巡った。手間はかかるが高画質の大判カメラを使い、自身で現像し焼き付けた。

 入所するとまず入らされた消毒風呂、反抗的な人を拘束した重監房跡…。深く陰影の刻まれた一枚一枚が入所者の苦難や強制隔離政策の過ちを静かに訴える。鹿屋市の星塚敬愛園に一部が残っている逃走防止の「ヒノキの垣根」もある。

 高齢化が進む各療養所の見学や交流活動はコロナ禍で滞っている。昨年、熊本地裁は家族への損害賠償を認める初判断を示した。ようやく高まってきた差別解消の機運がしぼんでしまわないか気掛かりだ。

 写真展は予約が連日いっぱいで会期が延長された。石井さんは「療養所を訪ねるきっかけになれば」と期待する。コロナが明けたら巡回展を開けるといい。




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ハンセン病家族法1年 差別解消へ不断の努力を(2020年11月15日配信『熊本日日新聞』-「社説」)

 ハンセン病元患者の家族の差別被害に対し国が補償金を支払う法律の成立から、今日15日で1年を迎える。厚生労働省が補償対象と認定したのは、10月までに延べ5184人で、対象として推計した約2万4千人の約2割にとどまっている。

 認定の少なさは、申請自体が伸び悩んでいるためで、名乗り出ることによって差別を受けるとの不安を抱いている家族が多いことが要因とみられている。差別解消に向けて、社会の側の不断の努力が必要な現状が、改めて浮き彫りとなったと言えよう。

 ハンセン病元患者の家族への差別被害を巡っては、熊本地裁が昨年6月に国の責任を認め賠償金の支払いを命じる判決を下した。同7月には当時の安倍晋三首相が控訴見送りを表明して、判決は確定。これを受けて、議員立法による家族への補償と名誉回復を図る法律が同11月に成立した。

 補償の申請者は10月14日現在で延べ6285人。月ごとの申請は3月までは800~千人台で推移していたが、その後は大きく減少した。「家族訴訟原告らの請求が続いた後、その他の家族の支援に手が届いていない」と、識者は指摘している。

 熊本県は4月にハンセン病問題相談・支援センター「りんどう」を熊本市に開設。社会復帰した元患者だけでなく家族の相談にも対応し、補償申請などもサポートしているが、ここまできめ細かい相談体制を取っている自治体は全国でもほとんどない。

 同様の窓口を各都道府県に広げて、制度周知と相談に当たることが必要だ。とともに、偏見差別を解消する国や自治体の啓発活動の充実が、元患者家族が安心して暮らせる社会をつくるという救済の本来の目的に不可欠であることを改めて強調しておきたい。

 偏見差別の解消に向けては昨年、家族訴訟の原告・弁護団らと政府との協議が始まったが、新型コロナウイルスの影響で第2回会合を最後に中断している。状況が整い次第、申請伸び悩みの現状も分析し、実効性のある支援の在り方を話し合ってもらいたい。

 また、ハンセン病患者とされた男性が1952年に起きた殺人事件の被告となり、無実を訴えながら死刑執行された「菊池事件」の弁護団が13日、国民から賛同を募った再審請求書を熊本地裁に提出し、再審開始の決定を求めた。これも家族も含めたハンセン病差別が関わる問題である。

 菊池事件を巡っては、事実上非公開だった特別法廷での男性の審理を違憲と認めた熊本地裁判決が今年3月に確定。しかし、刑事訴訟法で定められた再審請求人のうち検察は請求の動きを見せず、遺族も差別が残る中で請求に踏み切れないでいるという。

 弁護団は、今回の手続きを憲法が規定する国民の請願権に基づくものとしており、追加提出も予定している。ハンセン病差別に対する救済の扉が再び熊本の地で開かれるよう、世論が後押ししたい。





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