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児童虐待~連鎖の軛 第3部(1) 心の傷 暗闇の日々 幼少期の暴力、母も被害者だった(2020年11月27日配信『産経新聞』)

連鎖の軛(くびき)

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 「10分間やるから漢字を覚えろ」。父はそう言って隣に腰を下ろし、必死で字を書き写す小学生の私の手元を見つめた。「また殴られる」。耳元で感じる父の息遣い。ちょっとした動きにも恐怖が膨らみ、気持ちは乱れた。「さあテストだ」。恐る恐る書いた字は間違っていた。

 「お前はばかだ。ばかな子だ」。父が何度も振り下ろした金属製のハンガーは太ももに食い込み、みみずばれが浮かんだ。私はおえつを漏らしながら痛みに耐えるしかなかった-。

厳しい「しつけ」

 子供時代を兵庫県で過ごした羽馬(はば)千恵さん(37)=札幌市=の辛い日々が始まったのは5歳の時。母の再婚で、2人きりの貧しくも温かな生活に「父」が加わってからだ。

 父は昼から酒を飲んで家にいることが多かったが、「しつけ」は厳しかった。食事のマナーが悪いといっては殴られ、熱い風呂に気を失いそうになるまで入らされた。

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幼少期の羽馬千恵さん(手前)と祖母。5歳までは母と2人で貧しくも温かな生活を送り、祖父母にもよく遊んでもらった(羽馬さん提供)

 パートを掛け持ちして生活費を稼いでいた母も、妹が生まれ、子育てが忙しくなると、きつく当たるようになった。実の娘が殴られても、母は興味を失ったように反応しなくなった。「もうお母さんは守ってくれないの?」。心のなかで最後のとりでが崩れた気がした。大人への不信。毎日がただただ苦しかった。

その後も母は離婚と再婚を繰り返した。羽馬さんは学校を休みがちになり、高校は中退。それでも家を離れたい一心で勉強し直し、奨学金をもらい、北海道の大学へ進学した。

「暗闇」の始まり

 震えるほどの解放感に浸ったのもつかの間、すぐに現実に引き戻された。虐待は家から抜け出したら全てが終わるわけではなかった。むしろ、ここから本当の「暗闇」が始まった。

 突然気持ちが落ち込み、寝込んで大学に行けないことが増えた。人間関係もうまく作れなかった。子供の頃に手に入らなかった「父親的な愛情」を求めて年上男性への依存を繰り返し、期待通りの反応がないと、人格が変わったように怒鳴った。自らをコントロールできず、暴走した。理由は分からなかった。

 当然、友人を失い、大学院を出たものの仕事は長続きせず何度も転職し、一時は生活保護に頼った。精神科では「病気ではなく性格の問題だ」と冷たくあしらわれたこともあった。

 やっと少し前に進めたのは、何が起きたかを理解できたからだった。本を読みあさり、30代になると症状を客観的にみられるようになってきた。平成30年には、虐待など長期に続くトラウマ体験が引き起こす「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」が国際的に認められ、診断された。苦しんできた原因は虐待の「後遺症」。家庭環境はそれほどの傷を心に刻みつけていたのだ。

自分と重なる母の姿


 児童虐待の「後遺症」への理解を社会にも広めたい。羽馬さんは平成30年、インターネットのブログで体験を発信し始めると、自分と同じような、逆境を生き抜いた「サバイバー」(生存者)とつながった。誰にも手を差し伸べられないまま大人になった人、児童相談所(児相)に保護されケアされた経験はある人。境遇は皆違ったが、虐待が影を落としていたのは同じ。後遺症に苦しみ、貧困にあえぐ人も多かった。

 昨年、自らの体験を著書「わたし、虐待サバイバー」(ブックマン社)にまとめた。その際、還暦間近の母と初めて向き合った。母が育ったのも暴力が絶えない家庭。「千恵は私よりましだ」と聞かされて育ったが、改めて母の生い立ちについても聞いた。

 母が子供だった昭和30~50年代、祖父が祖母を殴るのは日常茶飯事で、矛先が娘の母に向くこともあった。母は非行に走り、23歳で羽馬さんを出産して結婚。しかし、すぐに離婚した。

依存先を探して

 出版前、原稿を読んだ母は泣いて謝った。「千恵にはずっと愛情があった。でも上手に表現できなかった。自分を責めて胸が焼かれる気持ちだった」。孤独だったからこそ、理想の家庭、理想の男性、幸せを求めて結婚と離婚を繰り返した母。その姿は依存先を探し続けた自分と重なった。

「虐待が連鎖してしまうのは、心の傷や貧困といった『苦境』を受け継いでいる場合。せめて大人になってからでも母に支援があれば、親子でもっと普通の生活ができたはず」。今はそう思う。

「国家的利益に」

 平成12年の児童虐待防止法施行以来、「虐待」はその定義を子供の体と心を傷つけ得る子育て中のあらゆる問題にまで広げ、網を張るようになった。法改正を重ね、日本でも、児相が家庭に強制的に介入し子供の命を守れるようになった。

 しかし、虐待で傷ついた子供が苦しみ続けないようケアする「受け皿」の整備までは手が回っていない。

 国の事業として虐待対応の人材育成を行う拠点「子どもの虹情報研修センター」の増沢高(たかし)研究部長によると、例えば、日本の児童養護施設では時間帯によって、職員1人が10人前後もの子供の面倒をみる場合もあるが、欧米では最低でも常時1対1でのケアが基本。「里親や児童養護施設といった社会的養護の予算や人手が、日本は圧倒的に足りていない」と訴える。

 ただ、欧米は「子供がかわいそう」という感情論だけで、手厚い支援を行っているわけではないという。

 米国の国立研究機関が約20年前に発表した研究では、虐待や夫婦間暴力などの「逆境」家庭で育った子供は将来、貧困や精神疾患などの病気に苦しんだり、犯罪を起こしたりする割合が、そうではない子供よりも高いという結果が出た。

つまり、虐待は大人になってからの社会保障費や医療費などの増大に跳ね返ることになり、米国では年間12兆円、日本でも少なくとも年間1・6兆円の損失につながっているとの試算もある。逆に、家庭支援に手を尽くせば「連鎖」は減り、社会の負担も少なくなるといえ、増沢氏は「欧米は虐待の深刻さを理解しているからこそ、『子供の支援は国家的な利益につながる』という考えで動いている」と指摘する。

 「子供の愛し方が分からない私たちの声を聞いてください」。産経新聞の取材班にも、複数のサバイバーから切実な便りが寄せられた。よりよい社会を作るため、そして何より当事者のため。トラウマから抜け出せない羽馬さん自身も、心の病と付き合いながら生活し、願っている。

 「子供のケアを充実させ、さらに置き去りのサバイバーにも支援を広げてほしい。数世代かかるとしても、それが連鎖を断つかぎになる」

 児童虐待防止法施行から今月で20年。関心は高まり対策は進んだが、虐待は今も起こり、後遺症は果てしなく付きまとう。社会は孤立しがちな被害者に寄り添い、連鎖を断てるか。当事者たちの声を聴いた。

 羽馬さんは、虐待の後遺症に苦しむ「サバイバー」が負担なくトラウマ治療を受けられる制度などを求め、インターネット上で署名活動を行っている。サバイバーの中でも、子供時代に虐待を発見されなかった人は、これまで注目すらされていなかったといい、「全てのサバイバーが支援を受けられるようにしたい」と訴える。詳細は羽馬さんによる特設ページ。

 【児童虐待防止法】 議員立法で成立し、平成12年11月に施行。身体的虐待▽性的虐待▽育児放棄(ネグレクト)▽心理的虐待-の4種類を虐待と定義して禁止し、虐待が疑われる子供を発見した場合の通告義務を国民に課す。改正を重ね、児童相談所の権限を強化するなどしてきた。




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