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父親は炭坑で働いていた。夕方、真っ黒な顔をして帰ってくる(2020年12月29日配信『東京新聞』-「筆洗」)

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1985年、ヤンキースで通算300勝を達成したフィル・ニークロさん=トロントで(ロイター・共同)

 父親は炭坑で働いていた。夕方、真っ黒な顔をして帰ってくる

▼子どもは毎日、父親の帰りを家の前で待ち、キャッチボールをねだった。父親はどんなに疲れていても裏庭で付き合ってくれたそうだ。そして、その子が八歳の時、「魔球」を教えた

▼「魔球」とはナックルボール。球を爪で引っかけ、そのまま放り出すように投げると打者の前でゆらゆらと不規則な変化を見せる。ナックルボールで積み上げた勝ち星は318。ブレーブスなどで活躍した名投手フィル・ニークロさんが亡くなった。81一歳。古い野球ファンには「はしでゼリーをつかむように打つのが難しい」と言われた不思議な球が懐かしかろう

▼48歳まで現役を続けた。今でこそ40代の投手は珍しくないが、驚かされるのは40歳以降の勝利数である。121勝。一概に比較はできないが、50歳で引退した元ドラゴンズの山本昌さんでさえ50勝に届かないというから老いても実力を発揮し続けた投手である

▼長持ちの秘密もナックルにある。球速は100キロ前後。全力で投げないから肩への負担も少ない

▼炭坑で働いた父親はセミプロの選手でもあったが、肩を壊した。再起のため負担の少ないナックルを覚えたが、やがてそれが息子の身も助けることになった。家族のボールと呼びたくなる。裏庭でキャッチボールをする二つの人影が見える。

ナックルボール=野球における球種の1つ。限りなくボールの回転を抑えた形(ほぼ無回転)で投じられ、捕手に届くまでの間に不規則に変化しながら落ちる変化球である。ボールの縫い目が空気抵抗を受けて、ボールが不規則な変化をする変化球の一種。
 わずかに回転するボールの縫い目に空気がぶつかり、不規則な空気抵抗を生むためであり、その変化は投げる本人ですら予測不可能で、また風向きや風速、湿度、天候などの影響も受けやすいためナックルボールを武器とする投手の殆どはナックルボールだけで打者を抑えることができるという。
 ただし、投げるのが難しい変化球であるため緻密なコントロールが不可能であること、失投がただのスローボールとなり長打の危険性を孕んでいることなどが欠点といわれる。








40歳で44先発23完投、21勝20敗。日本でも”魔球”を披露したフィル・ニークロ逝く…(2020年12月29日配信『Yahooニュース』)

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野球殿堂入りし、伝家の宝刀ナックルボールの握りを披露するニークロ(写真:ロイター/アフロ)

 メジャーリーグで通算318勝を挙げ、1997年に米野球殿堂入りしたフィル・ニークロが死去したと、現役時代に在籍したアトランタ・ブレーブスが発表した。享年81歳。発表によれば、長年にわたってがんとの闘病を続けていたという。

デビューは25歳、初の2ケタ勝利は28歳の“遅咲き”

 ニークロは、まだミルウォーキーを本拠地としていた当時のブレーブスに高卒で入団すると、25歳になった1964年に初めてメジャー昇格。救援から先発に回ってようやくブレイクしたのは1967年のことで、28歳にして初の2ケタ勝利となる11勝をマークし、防御率1.87でナ・リーグの最優秀防御率に輝いた。

 ブレーブス時代はこの年から14年連続を含む16回の2ケタ勝利をマークするなど、大黒柱として投手陣を牽引。ニューヨーク・ヤンキース移籍後の1985年には、46歳で通算300勝を達成した。その後はクリーブランド・インディアンス、トロント・ブルージェイズと渡り歩き、古巣のブレーブスに1試合だけの契約で復帰して現役を引退したのは1987年。48歳の時だった。

 24年におよぶメジャーリーグでのキャリアの中でも、忘れることができないのが1979年である。この年で40歳という年齢ながら、チームの全試合数の4分の1強に当たる44試合に先発。21勝20敗、防御率3.39の成績で、自身5年ぶり2回目のナ・リーグ最多勝に輝いたのだが、それだけではない。

 敗戦数もリーグ1位なら、先発44、完投23、投球回342、被安打311、被本塁打41、与四球113、与死球11もリーグトップ。とにかくよく投げ、よく打たれもしたが、それは誰よりも投げていたからでもある。

40歳にして中3日での先発が39試合!

 当時のブレーブスはこれで4年連続のナ・リーグ西地区最下位と、とにかく弱かった。特に1977年からはニークロ以外に2ケタ勝利を挙げた投手は皆無で、不惑のエースが孤軍奮闘するしかなかったのである。

 ちなみにこの年は開幕戦を除く先発43試合のうち、中3日が39試合で、残りは中4日が3試合と中5日が1試合。両リーグでニークロに次ぐ先発登板数を記録したのはその3年前にナ・リーグのサイ・ヤング賞を獲得した左腕のランディ・ジョーンズ(当時サンディエゴ・パドレス、29歳)と、ニカラグア出身の右腕、デニス・マルティネス(当時ボルティモア・オリオールズ、25歳)の39試合だったが、中3日はジョーンズが20試合、マルティネスでも21試合だったことからも、ニークロのタフネスぶりが分かる。

 しかも、ニークロがリーグ最多先発を記録したのは、この年だけではない。38歳で開幕を迎えた1977年から43、42、44、38という先発数で、4年連続リーグトップ。初めて開幕から先発に定着した1968年以降では、選手会のストによりシーズンが大幅に短縮された1981年と、現役最後の年となった1987年を除けば、先発数が30試合を下回った年は1度もなかった。

 なぜ、それだけの長いキャリアで大きな故障もなく、短い登板間隔で先発として投げ続けることができたのか? それは彼の投球の大半を占めていたのが、あまり肩やヒジに負担のかからないナックルボールだったからだと言われている。

「ナックルは握り方で5種類あるんだ」

 21勝を挙げてナ・リーグの最多勝投手となった1979年、ニークロはシーズンオフに日本で行われた「大リーグ・オールスター戦」に出場。来日中に取材陣に対し、人差し指と中指を立て、薬指を縫い目にかけたナックルの握りを披露している。もっとも当時の記事によれば、その握りは1種類ではなかったという。

「ナックルは握り方で5種類あるんだ。投法を変えることでいろいろ変化させ自分でもどう落ちるかわからない時もある。シーズン中も10球中8球がナックル。日本でももちろんナックル勝負だ」(出典:スポーツニッポン(1979年11月6日付紙面))

 ニークロはこの来日で全日本相手の「日米オールスター戦」も含め、全10試合中4試合に先発し、最終第7戦では122球を投げて1安打完投勝利を記録している。まだ中学生だった筆者も、その第7戦を横浜スタジアムで観戦した。

 スタンドから見ていると山なりのスローボールのような球で、ポール・モリター(ミルウォーキー・ブリュワーズ)、ウィリー・ウイルソン(カンザスシティ・ロイヤルズ)、チェット・レモン(シカゴ・ホワイトソックス)、セシル・クーパー(ブリュワーズ)といったこのシーズンの3割バッターたちをきりきり舞いさせる「おじさん」のピッチングは、実に痛快だった。

ニークロのナックルこそが「リアル大リーグボール」

 これは余談だが、試合後に東京・銀座のソニービルに立ち寄った際、当時はまだ一般には普及していなかったビデオデッキでこの試合の中継を再生しているところに出くわした。画面に映し出されたナックルボールは、時にバットの軌道からわざと逃げていくようで、まるで『巨人の星』に出てくる魔球・大リーグボール3号に見えた。

 いや、メジャーリーグ通算318勝を生み出したニークロのナックルこそが「リアル大リーグボール」だったのだろう。

 この1979年にナ・リーグ最多勝の座を分け合った実弟のジョー・ニークロ(当時ヒューストン・アストロズ)や、通算216勝のチャーリー・ハフ(テキサス・レンジャーズほか)、通算200勝のティム・ウェイクフィールド(ボストン・レッドソックスほか)などのナックルもすごかった。だが、筆者がリアルタイムで見てきた中でいえば、やはりフィル・ニークロのナックルボールがナンバーワンだった。




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