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【2020年に旅立った著名人】死刑確定者初の再審無罪「免田栄」さん、本誌に語った「拘留生活は無駄ではなかった」(2020年12月30日配信『デイリー新潮』)

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免田栄さん(Denis from Paris, France/Wikimedia Commons)

 事件は、1948年12月29日深夜から翌30日未明の間に起きた。熊本県人吉市で祈祷師の夫婦が殺害され、娘ふたりが重傷を負った。(「週刊新潮」2020年12月17日号掲載の内容です)

 強盗、怨恨の線から捜査が進められたが、難航。翌年1月13日、当時23歳の免田栄さんは警察に連行され、別件の窃盗容疑で逮捕された。熊本県球磨郡免田町(現・あさぎり町)生まれ。敗戦後は農業や馬の売買などに携わっていた免田さん。殺傷事件について満足な睡眠も与えられず、取り調べを受ける。強盗殺人容疑で再逮捕され、犯行を自白したとして起訴された。

 一審の第3回公判から、アリバイを主張して犯行を否認する。警察の拷問により自白を強要されたと唱えるが、52年に死刑が確定した。

 冤罪を訴え続け、日本弁護士連合会も動き出す。6度目の再審請求で、80年に再審開始が確定。83年に熊本地裁八代支部は、事件当夜のアリバイを認め、自白は信用できないとして無罪を言い渡した。

 無罪判決を出した裁判長の河上元康さんは振り返る。

「物的証拠、客観的な証拠がアリバイを裏付けていました。審理を尽くし、自信を持って判決しました」

 検察側は控訴を断念。日本の刑事裁判史上初めて死刑確定者が再審無罪となる。逮捕から34年が経ち、免田さんは57歳になっていた。拘置所で見送った死刑囚は70人を超える。

 父はすでに他界しており、弟の家族らが無罪を祝った。免田さんは本誌(「週刊新潮」)の取材に故郷に戻った時の様子を、〈地元では無罪判決を訝る人が多かった。知った顔を見かけても、私だとわかると目をそらすとです。長い獄中生活で相手の目を見て話す習慣が身につきましたから、目を見れば町の人がどう思っているか分るとです〉と語っている。落ちついて暮らすことができず、半月ほどで故郷を離れた。

 無罪を勝ち取り自由な社会に戻ってきたはずが、苦悩は続いたのだ。

 刑事補償金9千万円余りが支払われたが、支援グループへの寄付などに消え、1千万円ほどしか残らなかったようだ。お酒とカラオケが好きで、寄ってきた知らない人の分まで気前よく払った時期もある。

 福岡県の大牟田で炭鉱事故の被災者救援活動を続けていた、11歳年下の堤玉枝さんと84年に結ばれた。大牟田に暮らし、請われれば講演に出かけた。東大の五月祭に呼ばれたこともある。

 川上洋さんは大牟田市の職員時代から約35年間、免田さんを支えてきた親友だ。

「無罪なのに報道などで元死刑囚と表されるのを無念がっていました。大牟田にはなじんでいました。子供達にコーチができるほどソフトボールが上手。畑仕事も土作りから始めて立派な野菜や花を育てて配っていました。どちらも拘置所で身につけたと話してくれました」

 2007年には国連本部で死刑廃止を目指すパネルディスカッションに参加。

 前出の河上さんは言う。

「裁判官を退官後、免田さんとの座談会などに誘われましたが、判決が全てですからお断りしてきました。それでも活動を知り、しっかりしておられるなと思っていました。テレビなどで姿を見て、穏やかな目に変わってきたと感じておりました」

 先の川上さんも言うのだ。

「芯が強く精いっぱい生きた人です。冤罪の国家賠償訴訟も考えていました」

 昨年は保管していた裁判資料を熊本大学に寄贈、講演も行っている。

「高齢者の施設で暮らしていましたが、今年の初めは食事やカラオケに行けました。ところがコロナの影響で外出が難しくなり、弱ってきたのです」(川上さん)

 12月5日、老衰のため、95歳で逝去。

 かつて本誌に〈拘留生活を振り返ると、時代に巻き込まれたという思いがします。でも死刑囚の再審への道が開けたことで、無駄ではなかったわけですよ〉と語った。




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