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多くの人がまだまだ知らない「小池百合子の正体」(2021年1月12日配信『現代ビジネス』)

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「その人はひどくおびえ、絶対に自分の名が特定されないようにしてくれと、何度も私に訴えた」――。
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 被取材者からの「命乞い」とさえ思えるこの一節で始まる『女帝 小池百合子』は、2020年、最も売れた本のひとつだった。

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 都知事選挙の直前に出版され、コロナ禍で都知事としての露出も増えていたこともあってか、ノンフィクション作品としては異例の20万部を超えるヒットとなっている。

 小池氏の政治手法に疑問を持ったり、学歴問題について納得がいかない人々にとってはまさに「我が意を得たり」の内容だったのだろう。

 一方で、文芸評論家の斎藤美奈子氏は「Webちくま」ほかでこの本について書評をし、多くの「左派リベラル系男性論客」がこぞって激賞している事実に「絶望的な気持ち」になったとし、「この本を褒めた人は、(1)じつはきちんと読んでいない、(2)都知事選前の時流に流された(リベラル陣営に忖度した・選挙で彼女を落選させたかった)、(3)そもそも本を読む力がない、(4)そもそも性差別主義者である、のどれかではないかと思います」と指摘している。『女帝』に著書が引用されている筆者も同様の感想を持った。

 大下英治氏の『挑戦 小池百合子伝』(河出書房新社)と読み比べると、大下氏お得意の「提灯持ち」部分を削っても内容の厚みの差は歴然としている。

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 しかし『挑戦』はさして話題にもならず、『女帝』は人々を興奮させた。「小池百合子」という同じ人物の評伝にもかかわらず、この差はなぜか。

 『女帝』とは何だったのか。「ポスト菅義偉」として、2021年の総選挙で国政へと戻るのではないかとの噂が絶えない「小池百合子」とは何者なのか。新年に当たり、もう一度読み直してみよう。

「稀代の女詐欺師」として


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〔PHOTO〕gettyimages

 文学好きなら、冒頭に紹介した書き出し、「その人はひどくおびえ――」の一文を読んですぐにピンと来るはずだ。

 『女帝』での小池百合子の描き方は、ふた昔前、19世紀のアメリカで一世を風靡した文学ジャンルの「女詐欺師たち」=「コンフィデンス・ウーマン」を描く際に使われた手法と重なるのだ。

 詳しくは『女詐欺師たちのアメリカ―19世紀女性作家とジャーナリズム』(山口ヨシ子著・彩流社)に譲るが、家父長制の中で自由を獲得しようと奮闘する女主人公たちは、不平等な社会の中で反撃の唯一の手段となる「詐欺」を梃子に反撃していく物語は、社会に広く受け入れられるともに、女性作家たちにも活躍の舞台を広げていくのである。

 「稀代の女詐欺師」としての小池百合子は、芦屋に、カイロに、東京にと舞台を移しながら、メディア、政界と次々に権力を握る男を「騙して」台頭する。

 一方で女たちとも相いれず、「女としての幸せ」とも距離を置きながら生きる孤高と一抹の寂寥感。

 『女帝』には、女性による男性社会(「学歴」はその象徴)に対して一泡食わせる活劇と、そのために切り捨てた人々からの捨て身の告発によって、巧妙に仕組んだ穴に、今度は自らが落とされそうになるといったミステリー仕立てのドキドキ感がふんだんにまぶされている。

 本に巻かれた「救世主か? “怪物”か? 彼女の真実の姿。」という帯は、まさに小池百合子が現代に生きる「コンフィデンス・ウーマン」であることを示している。

 冒頭の一文には読者に「呪い」をかけ、「物語の目撃者」としての位置を固定するという意図も見え隠れする。

 小池氏が活動していた兵庫県の政界では、小池氏の悪口を言う政治家はたくさんいたし、自民党関係者も「彼女を語ること」を特には怖れていなかった。県連内での発言権がさほどなかったからである。

 しかし、多くの読者はそんなことは知らない。取材に応じた人々が「上ずる声」で「憑かれたように」語るにはそれなりの理由があるはずと思うのも当然だろう。

 読者も本を通じてアンタッチャブルな秘密に触れてしまった以上、何らかの形で告発しないと、小池氏と「共犯」となるのではないかと追い詰められる。だからこそ、読者は最初の一文で引き込まれるのである。

 一方で、この本は覗き見的な興味や、これまでの社会のありように対して不満を持っている人の潜在的な欲求も満たした。

 また、世の中のほとんどの人は学歴エリートではなく、むしろその不利を覆して、弱者を搾取し、うまい汁を吸うエリートたちに一泡食わせる小池百合子の姿に痛快さを感じたという人もいるに違いない。

 『女帝』で展開される小池氏の学歴に対する疑念は本が指摘する通りかもしれないが、だからこそ、あえて「カイロ大学を選んだ」だろう小池氏の狡猾さについても、政治家として必要な資質と肯定的にみている人も少なくないだろう。

 『女帝』がヒットしたのは、小池氏の政治手法に対して反対する人々にとっては学歴詐称に関して告発が、小池百合子氏を成敗するために必要なストーリーだったということに加えて、コロナ禍で「STAY HOME」を余儀なくされた者たちにとっても、記者会見で日々登場する都知事と、その本当の姿のギャップも含めて、現実と虚構、過去と現在が交差する「物語」が求められていたという側面もあるかもしれない。

 石井氏は小池氏について、

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「何をしてでも有名になれという父、手に職を持ち、ひとりで生き抜いていかなくてはいけないと語った母。(顔にアザがあり・筆者注)女の子なのにかわいそうにと憐れむように、蔑むように向けられた視線。彼女は宿命に抗った。そのためには「物語」が必要だったのだろう。」
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 としているが、しかし、小池氏が得た人生最大で最高の「物語」はこの『女帝』だったとも言える。

早川玲子氏とは何者か?

 この本は、小池氏の2度目の都知事選の直前にぶつけるかのように出版され、既に報じられていたカイロ大学卒業への学歴詐称疑惑について、またはその他の「嘘」についてさらなる決定的な証言を示して、小池氏の政治家としての資質を問うといった内容である。新たに証言するのは小池氏と同居していたという早川玲子(仮名)氏だ。

 著者の石井妙子氏は早川氏と運命的な出会いをし、さほど興味のなかった小池氏の取材を引き受ける。

 石井氏が全幅の信頼を置く早川氏だが、『女帝』の記述から浮かび上がるのは、むしろ奇妙な人物像ではないだろうか。

 早川氏と小池氏は若い頃、日本の地を離れて異文化の中で勉強するという共通項を持っていたものの、徐々に小池氏に依存され、振り回されていく。

 どう考えてもいやな思い出で、もう付き合うのもこりごりかと思いきや、一方で、早川氏は小池氏がヒルトンホテルからくすねてきたコーヒーカップほかをいまだに持っているという粘着ぶりだ。

 権力を持つ小池氏を批判することを「身の安全を考慮して」できかねていたというが、次のようにも言う。

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「今からでも遅くないと思うんです」
「百合子さんに人生をやり直して欲しい。本当の人生にして欲しい。このアパートからカイロ大学に通ってもいい。私が一緒に行ってもいい」
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 一時期小池氏に振り回されたとは言え、40年以上前の話だ。また早川氏は小池氏より年上で、年齢は10ほど離れているというから、70代後半だと推測される。

 小池氏と過ごした数年以降、接触はないから、その後の小池氏の人生についての知識は報道ベースで語られるものだけだろう。起点となる学歴詐称の確信を持っているからとは言え、他人が生きた人生の一点を「やり直してほしい」とまで言う。

 70歳目前の小池氏がアラビア語をもう一度学び直しを行うこと望むと、本気で思っているのだろうか。しかも、やり直すそばには自分いるというのはどう捉えたら良いのであろう。これは親切からなのだろうか? 傲慢からなのだろうか? なぜそこまでして小池氏の人生にコミットしたい理由はなんなのだろうか? 

 早川氏の言葉にも、石井氏の筆にも、マウンティングを感じるのは私だけだろうか。

 勉強が嫌いな小池氏がアラブ語もろくに書けないのに、男性のアイドル的位置に座ったり、早川氏には報告せずに観光ガイドのアルバイトをしていた等々、小池氏が、早川氏の設定した規範から抜け出ることを許さない。

 ここでの「上から目線」の源泉は「アラビア語ができない」である。できないのに「できる」と偽って、やりがいのある仕事に就いたり、豊富な人間関係を築くことは絶対に許さない。

 早川氏は、学歴詐称の決定的証拠により明らかになれば、小池氏は政界を追われ、自分のもとに戻ってくると信じているようだ。歴史に対しての責任感から証言を決意したという早川氏だが、本当にほしいのは、自らを捨てて違う世界へ飛び立った小池氏からの心からの後悔と謝罪だとも取れる。

 『女帝』の中で唯一性的な匂いを感じた場面は、小池氏が引っ越しの晩、「ひとりで寝れるのは怖いから早川さんの隣で寝かせて」と言って、早川氏のもとにやって来る場面だ。早川氏はそんな小池氏をいとおしいと思い、日本の母宛の手紙にも綴っている。このエピソードを差し込んだ意図はなんなのだろうか。

 小池に出会ったばっかりに、人生が変わり、思い通りに生きることが不可能だったとさえ見える。自分のような被害者を作ってはいけないという強烈な使命感は、むしろ、断ち切れぬ愛情にさえ思える。

 一方で、石井氏は「女性初」という称号を小池氏が使うことに、違和感を持っていることを『女帝』について答えた各種のインタビューで知った。「女性初」がそれほど大事なのだろうか。

 もちろんそれぞれ活動してきた人にとってはそれぞれの思いはあろうが、道を拓く人と果実を得る人は違うというのは男女にかかわらず歴史の必然でもある。しかし、「女」を武器に「嘘」によってのし上がった(とされる)小池氏だけはダメなのだ。

 石井氏が毎日新聞で語っている内容から読み取れば、『女帝』の隠れたテーマは、まさにそこにあるのだ。これまで女性たちが培ってきた努力の結晶を、かすめ取るのではないかという恐怖を持っているのだ。

 ちなみに現役の女性政治家で、最も権力に近い位置にあり、「女性初」の称号をもっているのは山東昭子氏である。女性として初めて自民党の派閥領袖となり、参議院でも正副議長の経験者である。しかし「女性初」として話題にならないところが、むしろ「謎の怪物」たるゆえんであると語る自民党関係者もいる。

 小池氏は、山東氏や扇千景氏たちのような前の世代、また、野田聖子氏や高市早苗氏、稲田朋美氏や小渕優子氏といった次世代と比較しても、政治信条以前にまず「女としての来し方」を問われている。そこにミソジニーの問題が吹き上がるのである。

いくらなんでも予断がすぎる

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〔PHOTO〕gettyimages

 斎藤美奈子氏は『女帝』について、「いくらなんでも予断がすぎる」として以下のように評している。

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 「私は小池百合子の政策も思想も支持していないし、『挑戦』がいうほど彼女が卓越した政治家だとも思っていない。しかし、であればこそネガティブな証言だけを集めてモンスターのような小池百合子像に仕立て上げていく『女帝』の手法はフェアとはいえず、ノンフィクションとしての質が高いとも思えない。
 とりわけ問題なのは、この本がきわめて質の悪い予断に添ってストーリーを組み立てている点だ。著者がことさらこだわるのは小池の頬のアザである。冒頭近くでいわく。〈彼女は重い宿命を生まれた時から背負わされていた。右頬の赤いアザ――〉。」
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 「質の悪い予断」は「アザ」だけではない。

 『女帝』のまず持っての違和感は、阪神文化への過剰なデフォルメによる読者へのある種の威嚇と刷り込みである。

 兵庫県の政界関係者は小池氏の過去も含めて、陰口を「当たり前」のように叩いていたことはすでに書いた。

 些末なことかもしれないが、初期の小池氏の前半生を綴ったところでは、小池氏の出身校の甲南女子高校を、同校の複数の元教師も含んだ被取材者たちが「甲南」と呼んでいる段階で、この本への信頼は揺らぐ。

 甲南女子は地元では「なんじょ」と呼ばれ、「甲南(こうなん)」は近隣にある男女共学の大学、もしくはその付属の男子校の中・高校を指すので、甲南女子(なんじょ)の先生が、甲南女子を甲南(こうなん)と言うことはあり得ない。それが会話文に出てくる段階で、取材に対する信頼性に疑問符がついてしまうのである。

 また、出身校を甲南と書いたり、甲南女子と書いてあるところも見受けられ、『女帝』自体が暴こうとした学歴詐称なのに、一方の学歴については、なぜこのような基本的なことすらチェックできなかったのか、不思議に思うところでもある。

 芦屋や、政治業界、小池氏の選挙区事情も知っている者が読めば、失笑を誘う場面はひとつふたつではない。扉のボードレールの『悪の華』も含めて、いずれも「大げさ」に書く必要がどこにあったのだろうか。逆に言えば、細かい取材をしていたら、こうは書けないのである。

 また、後半は引用多用というのも気になるところだった。

 小池氏の本質にせまりたいと思ったのであれば、たとえば筆者の『候補者たちの闘争』から引用されている、希望の党の候補者たちに小池氏が送ったファックスがどんなものだったのか、手書きなのか、パソコンなのか、行間はどのぐらい空いているのか、誰かが代筆したものなのか等々、確かめたくはならなかったのだろうか。

 筆者であれば「現物を見せてくれ」と頼むだろう。それが直接作品に反映させずとも、小池氏の息遣いを感じたい、もしくは、いざという時のために一次資料にあたっておく、そのコピーを持っておきたいと思うのはノンフィクション作家としての性であり、自衛本能でもある。

 ちなみに、拙著を引用したり、そこから発想を得て小説やノンフィクション作品で展開させたいと、作家本人やもしくはその代理として編集者からの取材を受けることがままある。彼らの質問の微細は、対象と向き合う真摯さ、必死さを毎度感じさせるものである。

 『女帝』は3年半の時間をかけて100人を超える人々にインタビューしたという。その割には、小池氏本人を含む「肝心な人」へのアクセスを逃している。小池氏の実相に迫るためのキーパーソンとの接触を、意図的に避けているのではないかとさえ思えるのだ。

 大事なところは『挑戦 小池百合子伝』ほかの引用に始終している。

 斎藤氏が「いくらなんでも予断がすぎる」と指摘するが、その予断は小池氏が虚構の人生を歩むきっかけとなったのは顔の「アザ」であり、従姉妹へのコンプレックスに矮小化している。それを証明するために、必要なピースを拡大してはめ込んでいった印象である。

 たとえば、最後、小池氏と同居していた水田昌宏氏の行方がわかり、これまで明かされなかったふたりの関係が解明されたのであれば、「小池百合子とは何者なのか?」という謎の回収につながったかもしれない。しかし、それもなく、水田氏の生地を訪れただけである。

 また、政治家としての小池百合子氏の資質を問う部分については、小池氏に批判的な人々の一方的な意見しか聞いていない。側近だった野田数氏にはインタビューしているものの、時期が早すぎて今回の『女帝』で使える部分はほぼない。

 石井氏はたぶん、小池氏の前半生には興味はあるが、まさに政治家としての小池氏にはほぼ興味がなかったのか、もしくは都知事選挙に合わせての出版で取材の時間が間に合わなかったのであろう。

 こうしてみると、『女帝』は小池百合子氏に関するノンフィクションの体を取ってはいるが、実は、小池氏の過去を知っている早川氏と、経歴を疑う石井氏という「最強の追っ手」から、誰が見てもほぼ「黒」とわかっているのに、それでもすり抜けていく「『女詐欺師・百合子』の捕物帳」というエンターテイメント作品なのだ。

 もし、ノンフィクションとして読むのであれば、著者の石井妙子氏がなぜこの時代、このとき、『稀代の女詐欺師・百合子』の物語を日本社会に送り込んだかという視点からとなる。

井戸 まさえ




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Author:gogotamu2019
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