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「僕はゲイ」性と信仰どちらも大事に生きる 日本初 同性愛を公表し牧師になった男性(2021年1月12日配信『沖縄タイムス』)

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信仰とセクシュアリティー。「どちらも大事にしたい」と語った沖縄出身の牧師、平良愛香さん=昨年12月26日、横浜市・日本基督教団川和教会

 男性同性愛者であることを公表し、日本で初めて牧師になった沖縄出身者がいる。横浜市のキリスト教会を拠点に活動する平良愛香さん(52)がその人だ。よく女性に間違われたという名前は、聖書にある「哀歌」の音はそのままに、平和を願って付けられた。キリスト教では主流とされてきた「同性愛は罪」との解釈を超えて、大学や講演で自らをさらけ出す。「人と違うことはかっこいい」と言い切る、ちょっと型破りな両親の存在も、前に進む支えになったと回顧。誰もが安心して暮らせる社会をつくろうと呼び掛ける。(東京報道部・吉川毅、学芸部・新垣綾子)

 ■両親のメッセージ

 ベトナム戦争真っただ中の1968年8月、愛香さんは生まれた。沖縄の米軍基地から爆撃機が飛んでいく現状を悲しんだ父修さん(89)と母悦美さん(86)は、平和への祈りとともに「男でも女でも使えるから」と命名したという。「この時点で変わった両親。まさにジェンダーフリーですよね」と愛香さんは笑う。

 幼少期は名前や容姿から女の子に間違われ、からかわれて嫌な思いもしたが、両親はあっけらかんと繰り返した。「あなたはあなたらしく、生きなさい」

 同性が好きだと自覚して、初めてカミングアウトしたのは高校2年の時。仲の良かった男友達に相談すると「愛香は愛香だよ」と言ってくれた。兄弟に打ち明け受け入れてもらった後、意を決して両親に告げたのは、牧師になろうと決意した24歳の頃。「セクシュアリティーと信仰と、どっちも大事だと言ってくれる存在が必要」と考えたからだ。しかし2人は、ひどく困惑した様子で息子を見つめた。

 母は聞き返した。「私の育て方に問題があったの?」。絶句したまま考え込んだ父は翌日、問い掛けた。「愛香がまだ、素晴らしい女性に出会っていないから、そう思うんじゃないか」

 ■同性愛者としての決断

「僕はゲイなんだ」

 24歳だった平良愛香さん(52)=横浜市=の突然の告白に、両親はあぜんとした。「育て方の問題なの?」と尋ねる母悦美さん(86)に愛香さんは答えた。「『自分らしく』と言われて育ったおかげで、同性愛者として生きていく決断ができたと思うよ」

 悦美さんは「あの時代は性的マイノリティーについて十分な情報がないし、私の中にも準備されていない事柄だったからね」と振り返る。だがすぐに「愛香を応援する」と切り替えた。

 思春期以降の愛香さんに感じていた「つかみどころのない、死を選んでしまうような空気」は何だったのか。さまざまな資料を読み、当事者と交流するうち「いっぺんに霧が晴れていく気がした。性的マイノリティーの多くが差別や偏見を恐れて、本当の自分を必死で隠し、苦しんでいる。心を寄せれば、たくさんのことが見えてきた」と実感を込める。人間はその数だけ違いがあることを、今度は息子に教えられた。

 父修さん(89)は、受け入れるまでに時間がかかった。沖縄が米軍統治下にあった1966年、沖縄キリスト教短期大学学長に就任し、米高等弁務官の就任式で米軍支配を批判する祈りの言葉を述べたことで知られる聖職者だ。思いがけない息子のカミングアウトに「聖書が示す『男女』の理解に対して、新しい挑戦を受けた気持ちになった。親子の問題を超えた事態の大きさに打ちひしがれた」とその時の衝撃を語る。

 同性愛者を牧師と認めるのか。日本キリスト教団内でも議論が起きた。愛香さん自身、キリスト教は同性愛を禁止していると信じ込んでいたが、欧米の論文を読み「どちらかを捨てないといけないというわけではない。どちらも大事にしていけるんだ」と確信。葛藤を超えて、父と同じ牧師の道を選んだ。

 修さんは今では、息子の選択や活動に深くうなずく。苦悩しながら聖書をめくり、海外の教会の多様な価値観を学ぶ中で「キリストのゆるしは、私たちが考えるほど狭く小さなものではない」との境地にたどり着いたという。「私たちは愛香のやり方に賛成し、大いに支持しています」

 ■愛香ちゃんの辺野古髪

 愛香さんは現在、牧師としての活動のほか、大学での講義や講演も行う。LGBTなど性的マイノリティーに対してだけでなく、周囲の誤解や偏見、無知などから生きづらさを感じている人たちの思いに寄り添おうと語り掛ける。時にはユーモアたっぷりに、時には優しく。「困っている人が困っていると言える社会」に向け、共に考えてほしいと願う。

 「愛香ちゃんの辺野古髪」。大好きな故郷の話題になれば、一部を伸ばしている前髪が行きつけのゲイバーでそう呼ばれているエピソードを明かす。名護市辺野古の新基地建設に反対し、2004年から「辺野古の座り込みが終わるまで、1秒も忘れないために何ができるかな」と考えての願掛けだという。

 来年、日本復帰50年になる沖縄のさまざまな課題に触れ「誰もが安心して生きていける沖縄、安心して子育てできる沖縄になったら、めっちゃいいですよね。そうしましょう」と笑顔を見せた。



「人と違うことはかっこいい」同性愛者を公表して牧師になった平良愛香さんインタビュー(2021年1月12日配信『沖縄タイムス』)

  日本で初めて、男性同性愛者であることを公表した上でキリスト教の牧師になった沖縄出身者がいる。横浜市の教会を拠点に活動する平良愛香さん(52)がその人だ。よく女性に間違われたという名前は、聖書にある「哀歌」の音はそのままに平和を願って付けられた。「同性愛は罪」とするキリスト教の主流的な解釈を超えて、大学や講演で自らをさらけ出す。「人と違うことはかっこいい」と言い切る、ちょっと型破りな両親の存在も、前に進む支えになったと振り返り、誰もが安心して暮らせる社会をつくろうと呼び掛ける。昨年12月、横浜市内の愛香さんと沖縄市に住む両親に、それぞれ話を聞いた。 こちらは愛香さん本人編。(聞き手=東京支社・吉川毅、学芸部・新垣綾子)

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男性カップルの「結婚式」に立ち会う牧師の平良愛香さん=2013年11月23日、東京都内のホテル(提供)

■「愛香」と名付けられて

 ―「愛香」さんの名前について。珍しいお名前ですね。

 愛香さん「生まれた時はベトナム戦争の真っただ中で、両親は平和への祈りを込めて『愛香』と付けてくれました。沖縄の人は米軍基地があることで被害も受けていますが、沖縄から爆撃機がベトナムに飛んでいく現状に、両親は『加害者にもなっているんだ』とすごく感じていたそうです。聖書の中の平和を叫び求める歌『哀歌』の言葉を引きながら平和は実現するんだという確信を持って愛香にしたそうです。男の子でも女の子でも使える名前だと思ったんですって。その時点で、変わった親だなと思います。まさにジェンダーフリーですね」

 ―どんな子どもだったのですか。

 「髪の毛も長めで、声も甲高かったです。説明しない限り、女の子に間違われていました。あとは、愛香という名前ですね。女みたいだなとからかわれたこともありましたが、両親から『あなたはあなたらしく、自分らしく生きなさい』と言われて育ちました」

 ー名前のことで悩んだこともあったのですか。

 「『女みたいだな』と言われると傷つきました。『この名前は好きじゃない』と母に伝えたら、『じゃあ、変えたら?』と言われて拍子抜けしたのを覚えています。それではと、1度、名前を捨てて、あらためて別の名前をリストアップしてみましたが、最終的に選び取ったのは『愛香』でした」

 「教会に訪れる人たちの中にも、自分の名前が嫌いで、何十年も我慢して生きている人もいますが、『自分の名前なんだから、押しつけられたものではなく、自分で選び取っていい。権利はあなたにあるんですよと』と話しています。自分の人生なんだから自分がどう生きたいかということを探し続けることが良いことなんですよ。僕にとっては名前にまつわる『自分で選び取る』という経験が、その後のセクシュアリティーについて悩んだときに生かされました」

 ー心引かれるのは女性ではなく男性と気付いたのはいつごろですか。

 「気付いていたのは幼い頃からですが、人と違うということに気付いたのは中学校に入ってからです。周りの男子生徒が女子を意識するようになったのですが、僕は何も感じなかった。ただの友達としか思えませんでした。僕は異性ではなく同性が好きなんだと自覚してましたが、高校2年生の時に誰にも相談できないのに耐えられなくなって、仲の良かった男友だちに、初めてカミングアウトしました。彼は『愛香は愛香だよ』と言ってくれました。中学高校と良い友人に恵まれたと思います。今もそうですが、『困っている』と言える関係をすごく大事にしてきた気がします」

■両親へのカミングアウト

ー両親にはどのようにカミングアウトしたのですか。

 愛香さん「群馬の短大を卒業して、牧師になろうと決意した時にカミングアウトしました。24歳の時だったと思います。沖縄に帰って話をする前に両親に電話して、『うれしい報告とショッキングな報告があります』と伝えました。いざ実家に帰ると、牧師の父も母も報告する前からニヤニヤ。牧師になることを伝えると、父は『そうだってね~』とうれしそうでした」

 「2つ目の報告で『ゲイです』と伝え、『カミングアウトして牧師になろうと思います』と言った時、両親は絶句しました。そこには『そうだってね~』とは返ってきませんでした。僕はこの頃までに何人かにカミングアウトしていましたが、みんな丁寧に受け止めてくれました。両親は僕がゲイであることをまったく気付いていなかったようです」

 「母からは『質問が2つあります』と言われました。『それは育て方に原因があるの?』と聞いてきたので、僕は『なかったと思うよ』と答えました。『もし育て方に影響を受けたとしたら、自分らしく生きなさいと言われていたから、自分が同性愛者だと気付いた時に同性愛者として生きていこうと決断ができたと思うよ』と話しました。次に『それは治らない?』と聞かれたので、僕は『治る・治らないと言われると、異性愛が正常で、同性愛が異常となるので、その質問には答えられません。ただ、異性愛に変わる可能性はないのかとの質問には答えられる』と話しました」

 「母は質問を訂正して『異性愛に変わる可能性はないの?』と聞いてきたので、『無いと思うよ。もう25年近く同性愛者で生きてきたから。いまさら変えられるとしても、これは僕の大事な部分だから、変えたくない』と言いました。母は当時の話をされると嫌がると思いますが、『あなたがカミングアウトして牧師をするんだったら、これ以上苦しむのは見たくないから、私が死んでからにして』と言いました。その後すぐ『やっぱり今の撤回!』と続けたんです。たぶん、そんなことを言うべきではないと、とっさに思ったのでしょうね。『あなたがそうやって生きていこうっていうんだったら、親として応援したいから勉強させてほしい』と言われて、この日は遅くまで母と2人で話し込みました」

 ーカミングアウトして、すぐその日でそうなったんですか。お母さんすごいですね。

 「母は、すごく切り替えが早かったです。その時に受け入れたかどうかは分かりませんが、応援したいと言われたことがうれしかった。母は一瞬のうちに、いろんなことが駆け巡ったみたいです。それから随分と後のことになりますが、母は『うちの子どもたちの中で、愛香が一番何考えているかわからなかった。一番遠くに感じていたけど、愛香からカミングアウトされて、いろんなことを知っていく中で、全部つじつまが合ってきた。だから今までで一番、愛香を近くに感じる』って言われました。母は『私は嬉しいの』って言って、あのTシャツを作ったんですよ。黒地に銀色の文字で『わたしの自慢の息子はゲイです』と書かれたTシャツです」

■父の理解

 ーお父さんは理解されたのですか。

 愛香さん「父は時間がかかったんですよ。丁寧な人なので、ゲイであることを頭ごなしに否定する人ではないんですけど。カミングアウトした夜は、僕と母が一通り話したことを、じっと横で静かに聞いていました。もう遅いので寝ましょうとなった時、父は何のコメントもないまま寝室に入っていきました。その夜、父が何を考えていたかは全然知りません。翌日、2人で家の近くの佐敷の海辺を散歩したんです。子どもの頃いつも、ちんぼーらー(貝)を捕っていた場所です。父は歩きながら『昨日、愛香があまりにもびっくりするようなことを言ったので、神学校に行くと言ったことに対する応答すらできなかった。あらためてオメデトウと言いたい』と祝福はしてくれました」

 「でもその後、『愛香がね、自分のことをゲイだというのは、まだ素晴らしい女性に出会っていないから、そういう風に自分のことを思っているんじゃないかなと父親としては受け止めたい。なので、素晴らしい女性に出会えるように祈ろうと思う』と言われました。僕は『どうぞどうぞご自由にお祈り下さい』と思ったのを覚えています。父を変えたのは、母でしょうね。父が『愛香はいつすてきなお嬢さんと出会えるのかな』みたいなことを言おうものなら、母は『愛香はゲイなのよ。いつまでそんなこと言ってるの』と諭していました」

 ーそんなすてきな両親について。

 「母には、いろんな本を送ってあげました。あんなTシャツをつくって、やりすぎ~と思いながら、ものすごい味方が近くにいて、とても心強いです。僕は神学生になると同時に、人権団体『動くゲイとレズビアンの会(現在はNPO法人アカー)』のメンバーになりましたが、ほどなく母も会員になりました。特に誘った覚えもないんだけどね。父は最初から味方だったというわけではなかったけれど、だんだん味方になったんでしょうね。いまではよき理解者です」

■カミングアウトして牧師に

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LGBTなど性的マイノリティーへの理解を深めるプライドパレードに参加した時の平良愛香さん(提供)

 ーカミングアウトして牧師になったのは、愛香さんが初めてなんですか。

 「そうらしいですね。カミングアウトしていない牧師はそれまでもいたので、厳密に言えば、僕は同性愛者で初めての牧師ではないんです。また、僕がカミングアウトして牧師をする3カ月くらい前に、すでに牧師になっていた友人の堀江有里さんが、レズビアンということをカミングアウトしていました。カミングアウトした牧師は堀江さんが第1号。僕の場合は、カミングアウトして牧師になった第1号ですね」

 ーどのような牧師になりたいと思ったのでしょうか。

 「キリスト教は同性愛を禁止していると信じ込まされていました。でもある時期、それに対して必ずしもそうとも言えないという論文などが欧米で発表されるようになりました。キリスト教の信仰と同性愛者というセクシュアリティーのどちらかを捨てなければいけないと長く悩んでいたのですが、そういう論文を読む中で、どちらも自分の中で大事だってあらためて思いました。どちらかを捨てないといけないというわけではない。両方大事にしていけるんだということに気付きました。どっちか捨てないといけないと思っている人に、それを伝えたいと思いました」

 「子どもの頃から父の仕事を見ていたので、実は牧師にはなるまいと思っていたんですよ。一生懸命丁寧にやっても伝わらない相手もいるし、誹謗中傷を受ける時もある。どう喝されることもあるし、365日働きっぱなし。そんな職業と知っていたので僕には無理だと思っていましたが、セクシュアリティーと信仰とどっちも大事だと言ってくれる牧師が必要だと決意したんです。せっかく自分が悩んできたのだから、僕がなってもいいのかなと」

■異性愛が正しい?

 ー牧師以外にもなりたい職業があったのですか。


 愛香さん「短大は音楽教育学専攻でした。実はやりたい仕事もあったんです。それは、NHKの番組『おかあさんといっしょ』の歌のお兄さんになることでした。オーディションを受けたのですが、書類審査で落ちました。これは牧師になりなさいという神さまからのお告げかなという感じで、牧師養成校の一つである農村伝道神学校に入学したんです。神学校卒業と同時に、しばらく幼稚園でも働きました。テレビの歌のお兄さんにはなれませんでしたが、幼稚園では子どもたちにせがまれて即興で絵本にメロディーつけて歌う。まるでミュージカルですよね」

 「ある時、女の子たちから『私がお姫様やるから、先生が王子様になって迎えに来て』って言われたので、『あぁ僕も王子様に迎えに来てほしい』と言いました。すると『愛香先生は男の人が好きなんだよね~。でも今は我慢して私たちを迎えに来て』と。子どもの方が、そういう会話ができる。おかしいとか言い始めるのは小学校に入って、異性愛が正しいというような刷り込みが強くなってからでしょうね。幼稚園で働いてる時は、意識的に男らしく、女らしくではなくて、自分らしく生きることが大事だと伝えました。ままごとで、男の子がドレスを着たがると、『似合うね、とってもすてきだね』と褒めてあげました。『それを変という友達や大人がいるかもしれないけど、愛香先生は変とは思わない』と、1対1ではなく、みんなが聞いている前で話していました。子どもたちが成長する中で、そうである必要はないと愛香先生は言っていたなと思い出してほしくて。当事者が少しでも傷つかないでいるために、また、そうじゃない子も当事者を傷つけないためにとすごく意識しました」

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日本キリスト教団三・一教会(神奈川県相模原市)の牧師だった頃のサマーバイブルキャンプで、参加者に歌や遊びを教える平良愛香さん(中央)=2004年夏、静岡県御殿場市内(提供)

■LGBT教育とは 

 ―LGBTなど性的マイノリティーについて、教員向けの講演も行っているそうですが、学校現場の取り組みの現状について感じることはありますか

 「LGBTの子どもたちを傷つけてはいけないということを頭では知っていますが、じゃあどうすれば良いのかということを知らない先生たちもいます。例えば、ある小学校の先生から、体育着に着替える時に女の子と男の子の部屋を分けて着替える場合、LGBTの子どもたちの子はどうすればいいかと質問がありました。どの子がLGBTかって、見てわかるものではありません。『もし、みんなと一緒に着替えるのが嫌だという人がいたら先生に相談してね』と言えば、全部解決する。それはLGBTだけじゃない。体にけがの痕があって人前で着替えたくない子もいる。先生が何々しましょうと有無を言わさずに指示するのではなく、それをやりたくない子が相談できる先生がいるということが大事だということです」

 「LGBTの子が安心できる学校は、LGBTではない子たちも安心できる学校。要は一人ひとりに寄り添えるかどうかです。ただ、そのマニュアルはありません。困っていると言える環境になっているかどうかなんです。子どもたちが困っていると言った時に、本気で一緒に考えてくれる人がいるかどうかなんです。『人に迷惑を掛けてはいけません』と習うのは、日本だけなんですね。具体的には僕の友だちに視覚障害の友人がいますが、子どもの頃から人に迷惑を掛けないで生きていける大人になりなさいと徹底的に言われているので、本当に何でもできる人になっている。結婚して子育てもして、パソコン教室の講師もしている。でも、彼女の経験を聞くと、相当我慢して生きてきたようです。迷惑をかけてはいけないという教育が浸透しているために、困っていても『助けて』と言えない人が障害の有無に関係なく、あまりにも多いんです」

 ー日本社会全体に言えることですね。


 「政府がやたら自己責任論を振り回すから、自己責任だと思って人に頼ってはいけないと思っている人が多いのではないでしょうか。時々、大学の授業でも話しますが、自立するということは人の手を借りないことではなくて、借りられる手をどれだけたくさん持っているかということなんですよね。上手に迷惑を掛けることを学ばなければいけない。かけられる側も、私も他の人も迷惑をかけて寄り添ってもらおうという感じで。『困ったら何でも相談してね』と言える学校、社会だと良いですよね」

■苦難は必ず終わると信じて

 ー大学でも非常勤講師をしているようですが、若者たちと接する中で感じることを教えてください。

 愛香さん「大学では毎週授業があります。新型コロナウイルスの影響でオンライン授業ですが、オンラインって、やりにく~い。対面で授業すると、息遣いが伝わるし、学生の反応も違う。カミングアウトして授業をするには、いくら慣れているからと言ってもやっぱり緊張する。対面だと、その緊張をしっかり学生が受け止めてくれる。それがオンラインの授業だと、ほとんどの学生は顔を出していないので、どう受け止めてくれたか僕には分からないんですよ」

 ーコロナ禍で若者のメンタルも心配されていますね。

 「一つ言えるのは、苦難は必ず終わるということ。例えば、いじめられている人に対して言う3つの言葉の一つが『必ず終わるから』という言葉なんですよ。ずっといじめられている人は、これが普通なんだと思ってしまう。これが続くんだと思ってしんどくなるが、今の状態は普通じゃないんだよ。異常事態なんだよと伝える。今、簡単に乗り越えられなかったとしても、必ず終わるからという思いがあります。コロナ禍で、このままストレスがたまっていくばかりで、これが一生続くんだと思っている人には『これは異常事態であって、必ず終わるから』と。少なくとも僕は、必ず終わると信じています」

 ーコロナ禍で格差や差別が広がっている問題もあります。

 「大学の授業で差別の問題も取り上げますが、割と多くの学生が『私は差別をしません』という反応です。でも授業を丁寧にやっていく中で、私は差別をしていたんだと気付かされていく。そうすると、学生がしんどくなるんです。本気で社会のさまざまな問題に向き合っていくとね。自分が楽な社会であっても、ある人にとってはものすごく苦痛な社会かもしれないと感じ始める。相手にとって自分は苦痛な社会を温存する側にいるんだということに気付いた時に、向き合うのをためらう学生も出てきます。社会を変えていきたいという学生がいる半面、私は社会を変えていく勇気はありませんという反応も出てきます。でも、私にはできませんという反応もすごく大事だと思います。あ、この学生は向き合ったんだなと感じます。今気がついたことが、あと5年、10年たって、いろんなことに気がつく要素を学んでいるはずです」

 ー沖縄の現状について思うことはありますか。

 「沖縄ではカミングアウトしている同性愛者が、すごく少ない感じがしています。沖縄出身者同士、あるいは片方が沖縄出身者の同性カップルは、人前で手をつなげない。あるカップルはデートするために、わざわざ飛行機に乗って東京まで来る。一昔前の話かもしれませんが、ある人は一緒に航空チケットを取ると、どこからバレるか分からないので、別々にチケットを取って席も離して飛行機に乗ると言っていました。地方特有のバレては生きてけないという恐怖感。それに輪を掛けて、沖縄の人はみんな知り合いみたいな小さな島の意識から、バレたくない、カミングアウトしたくないという気持ちなんだろうなと感じます。僕が沖縄にいる間、一人も同性愛者は知りませんでしたから。僕も命がけで隠していました。今でこそ、僕はカミングアウトして活動しているので、昔の友だちが実は僕もそうだよと言ってくることもあります。すごくカミングアウトしにくい地域なんでしょうね」

 「かといって、沖縄は同性愛者が他の都道府県より少ないというわけではない。カミングアウトはしていないが、同性同士の恋愛はある。沖縄はHIV感染者やエイズ患者も人口の割合で見れば、全国でも多い地域。啓発がしにくい場所で、みんな人ごとだと思っているかもしれないです」

■新基地建設への抗議に参加

 ー名護市辺野古の新基地建設に反対して、官邸前で抗議行動などにも参加しているようですね。

 「防衛省や官邸前では毎月の行動に参加してますが、それとは別に国が辺野古沖でのボーリング調査に乗り出した2004年4月から、前髪の一部分を伸ばしています。辺野古の座り込みが終わるまでは1秒も忘れないために何ができるかな、と考えて。行きつけのゲイバーでは、愛香ちゃんの“辺野古髪”と言われています。面白いことに、店の常連客の皆さんは辺野古のことがニュースに出ると、僕の髪を思い出し『人ごとじゃなくなった』って感じるそうです。親しい友人が辺野古のことで苦しんでいることを思い出してくれるそうです。ちょっと面白いアピールになっていますね。僕の前髪を見て辺野古を思い出す。辺野古を見て僕を思い出す」

 ー来年は沖縄が日本復帰して50年になります。今、愛香さんの名前の由来にある平和な沖縄になっていると思いますか。

 「施政権が返還して50年になっても小さな島に米軍基地が集中しています。辺野古の埋め立ても多くの県民が反対しているのに、国が強行している。一緒に抗議行動するヤマトの人たちの中には、『日本全体で民主主義が残っているのは沖縄だけ』って言う人もいます。沖縄が独立したら、日本は完全に民主主義を失うので、沖縄は日本を見捨てないで欲しいという人がいました。沖縄を踏みにじっている側からすれば、沖縄なんて独りで生きていけないだろうとみている人もいるかもしれないですが。沖縄が日本や米国の植民地であってはいけない。今も変わらない状況を見ると、南極みたいにどこの国でもない沖縄として生き残る方法はないかなと思ってしまいます」

 「沖縄の経済や雇用問題をはじめ、子どもの貧困など全国ワーストって言われる課題もまだまだ多いですよね。離婚率も高いですが、それに関してはワーストとは言いたくない。たまたま、高いとしても、ベストでいいのではないかと思います。離婚したくてもできない人がたくさんいる社会の中で、ある意味健全なことだと思っています。子どもの貧困は別要素として考えないといけませんが、1人で生きるということが選べる沖縄、1人でも安心して生きていける沖縄、1人でも安心して子育てができる沖縄になったら、めっちゃいいですよね。そうしましょう。安心して生きていける沖縄を目指しましょう」

【プロフィル】たいら・あいか 1968年8月、那覇市生まれ。日本キリスト教団川和教会(横浜市)牧師。農村伝道神学校(東京)を卒業後、日本で初めて男性同性愛者であることをカミングアウトした上で、牧師として正式任用される。立教大や桜美林大の非常勤講師のほか、セクシュアル・マイノリティ・クリスチャンの集い「キリストの風」集会代表、カトリック・HIV/エイズデスク委員、平和を実現するキリスト者ネット事務局代表などを務める。




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