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政府分科会「尾身会長」傘下の病院、コロナ患者受け入れに消極的 医療逼迫を叫ぶ裏側で(2021年1月20日配信『デイリー新潮』)

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管総理に決断を迫った中川会長と尾身会長

 コロナ患者はほとんど受け入れない「開業医」の代弁者たる日本医師会の中川俊男会長(69)。自分の傘下病院ではコロナ患者の受け入れに消極的な「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の尾身茂会長(71)。緊急事態宣言を再発令させた二人の、知られざる履歴書。

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 急激な感染拡大にも怯むことなくコロナ治療の過酷な最前線で奮闘する医療従事者たち。記者会見の場で、

「すでに医療崩壊」

「必要な時に適切な医療を提供できない」

 そう危機を煽る日本医師会(日医)の中川俊男会長は、現場の医療従事者たちの思いを代弁しているつもりなのだろうか。しかし、日医の会員の半数を占める開業医はこれまで積極的にコロナ患者を受け入れてきたわけではない。

「日医というのは会員数こそ開業医と勤務医がほぼ同数ずつですが、執行部の大半は開業医ですし、勤務医の意見はなかなか尊重されないのです」

 と、医療関係者。

「そして、日医が開業医の既得権益を守っている結果、今、コロナの負担が大病院に集中してしまっている。開業医の中にもコロナ対応を頑張っている病院はあるので一概には言えませんが、現状、軽症でもコロナや発熱患者を受け入れない開業医がほとんどです」

 オンライン診療を導入して開業医もコロナ対応に関わるべきではないか、との声に対しては、

「中川さんはオンライン診療について『かかりつけ医を軸にすべき』と言うなど積極的ではない。これも開業医の既得権益を守るためです。自身で『医療崩壊』と言いながら実態がこれですから、大病院は医師会をかなり冷ややかな目で見ています」(同)

 中川会長を「医師の代表」ではなく「開業医の代表」と見ると、その言葉の“響き方”も変わってくる、というわけだ。

「中川会長は本来であれば、『医療崩壊の危機だから自粛しましょう』と言うのではなく、『医療崩壊の危機だから開業医もコロナやグレーの患者を受け入れましょう』と表明すべき局面だと思います」

 さる病院関係者はそう苦言を呈す。

「でもそれを言うと会員から文句が来るから言わないのでしょうし、後々医療が大変なことになった時に責任を回避するため今のうちに“警鐘”を鳴らしておきたいのでしょう」

 記者会見で“民間病院ではコロナ患者の受け入れが少ない”との指摘が出ていることについて聞かれ、

「コロナ患者をみる医療機関と通常の医療機関が役割分担をした結果だ。民間病院は面として地域医療を支えている」

 と、苦しい言い訳を展開した中川会長自身も開業医である。

 昨年6月の日医会長選挙で横倉義武前会長を破って初当選した中川会長は1951年に北海道旭川市で生まれている。函館ラ・サール高校から札幌医科大学医学部に進み、

〈学生時代、脳神経外科医が登場する米国のテレビドラマ「ベン・ケーシー」を見て、「一般内科や一般外科ではなくスペシャリストの時代が来」』と脳外科を選んだ〉(7月24日付毎日新聞朝刊より)

「新さっぽろ脳神経外科病院」を開設したのは1988年、36歳の時。

〈日本で初めて脳卒中や認知症予防のための検診をする脳ドックを始めた。脳ドックの研究を推進するため、日本脳ドック学会を作った〉(同記事より)

 相当なやり手なのである。

 開業とともに入会した日医においても当初から目立っていたようで、

「中川会長は日医の若手が集まる委員会の委員長になった時、『日医は若返るべきだ』として『役員70歳定年制』を提言したこともありました。私もその提言書を読みましたが、かなりインパクトがあって驚いた記憶がある。本気で日医の体制を変えたいという思いがあったのでしょう」(日医に詳しいジャーナリストの辰濃哲郎氏)

 2010年から10年の長きに亘って中川会長は日医の副会長として横倉前会長を支えてきた。

「横倉前会長が『調整型』なら中川会長は『直球型』。理論家で、歯に衣着せぬ物言いではっきりと自分の意見を言うタイプです。厚労省をはじめとした役人との交渉においても、横倉前会長は落としどころを見つけるやり方でしたが、中川会長は妥協をしない。“まあまあまあ”というのが通用しないのです」(同)

 実際、霞が関では、日医のトップに中川会長が就任したことについて怨嗟の声が渦巻いており、

「中川さんは独自の主張をお持ちの方で、自分の意志を曲げないので省庁との衝突は多かった」

 と、厚労省関係者。

「中川さんは2年前くらいから『会長になりたい』と周囲に言い、権力志向を隠さなくなっていた。彼が会長になって省庁の人間はみんながっかりしている。能力が高い人というのは皆認めているのですが、とにかく調整ができない。横倉会長時代であれば、副会長だった中川さんと折り合いがつかない時は横倉さんに調整を頼めた。でも今は中川さん自身が会長なので誰も調整することができない」

 そんな中川会長は緊急事態宣言の再発令にどう関わったのか。それがよく分かるのが、毎日新聞のネット版の記事である。

〈存在感増す日本医師会長 政府との距離感手探り一転、電話で首相に決断迫る〉(1月9日掲載)

 記事では中川会長と菅首相のやり取りが“完全再現”されており、例えば1月2日には電話で次のようなやり取りがあったという。

〈中川氏が「軽症、中等症の患者が半日で亡くなるケースも出てきている。一刻の猶予もありませんよ」と新たな対応を促すと、菅首相は「わかりました」と引き取った〉

 中川会長か菅首相本人に聞かないと書けない記事だが……。ちなみにこれは2人の記者の署名記事で、そのうち一人は先に紹介した中川会長の経歴に関する記事を書いた記者だった。

数字が物語る消極性

 菅首相が緊急事態宣言の再発令を決断した際、中川会長と同等かそれ以上の役割を果たしたのは、「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の尾身茂会長である。我が国のコロナ対策の「顔」だが、その尾身氏が理事長を務める独立行政法人「地域医療機能推進機構」が東京都内で運営する主な病院のコロナ患者専用の「確保病床数」と、1月6日時点での受け入れ患者数が分かる表を掲載した。それを見ると、総病床数520床の「東京新宿メディカルセンター」の確保病床は35床、受け入れ患者数は31名。総病床数247の「東京高輪病院」の確保病床は20床で、受け入れ患者数は7名。総病床数230床の「東京蒲田医療センター」の確保病床は29床で、受け入れ患者数は8名。総病床数418床の「東京山手メディカルセンター」はコロナ重点医療機関に指定されていないので、確保病床数はゼロ。が、何らかの事情により、11名の患者を受け入れている。東京城東病院の確保病床もゼロである。

「これはコロナ患者受け入れに非協力的であることを示す数字です。“首都圏は感染爆発相当”などと国民の不安を煽っている彼は、実はコロナ患者受け入れに消極的なのです」

 そう話す厚労省周辺関係者によると、例えばがんの専門病院である「がん研有明病院」はこれまでコロナ患者は受け入れないという方針を貫いてきたが、昨年末、40床をコロナ病床とする決断を下したといい、

「この病院は全686床ですから、5・8%のコロナ病床を確保したことになる。一方、尾身氏傘下の5病院のコロナ病床は全病床の5・5%で、がん専門病院であるがん研有明病院以下の数しか確保していないのです」

 入院患者らをすべて他へ転院させた上、全99病床をコロナ病床とした東海大付属東京病院のようなケースもある。尾身氏も傘下病院で積極的にコロナ患者を受け入れてこそ、その発言の説得力が増すはずだが、そうはなっていないのが現状なのだ。

 東京出身で1949年生まれの尾身氏。東京教育大附属駒場高校(現筑波大附属駒場高校)から慶応大法学部に進むも、在学中に医学の道を志し、新設開学した自治医大の1期生となったという、一風変わった経歴の持ち主である。

「彼は大学時代から人をまとめる能力に長けていた」

 そう語るのは、尾身氏の自治医大生時代の同級生。

「自治医大は全寮制なのですが、入寮して間もなくの頃、寮のルールを決める話し合いがあり、その時に議論の中心に立ってリーダーシップを発揮していたのが彼だった。自己主張型ではなく聞き上手で、それでも最後には彼の意見に皆がまとまっていく感じでした」

 別の同級生は尾身氏の最初の自己紹介を今でも覚えているという。

「自治医大の1期生に女性は1人だけだったのですが、彼は『僕は紅一点を守る会の会長になります』と宣言して皆の笑いを取っていました。高校時代にアメリカに留学していたからなのか、そういう紳士的というかユーモアのあることをよく言っていましたね」

権力や権威と共に


 卒業後、医師としての進路に悩んでいる時にアメリカ留学時代の友人に「WHO(世界保健機関)で働いたら」と言われた尾身氏は医系技官として当時の厚生省に入省。尾身氏の自著には、その後の彼の“原点”のような姿が描かれている。

〈(厚生省時代に)役立ったのは、医学部学生時代に入れ込んだマージャンである。人数合わせに駆り出されることがしばしばあった。「リーチ」をかける度に、幹部に「WHOに派遣してください」と訴えた〉

 それが奏功したのか、WHOの選抜試験に合格。常に権力や権威と共にあった尾身氏の半生はしかし、「敗北の連続」でもある。98年、WHOの西太平洋事務局長選挙に勝ったまでは良かったが、06年にはWHO本体の事務局長選挙に出馬するも、中国が擁立した候補に敗北。その後、出身校の自治医大に戻ったが、学者としての実績に乏しく、学長選に負ける。そして14年、厚労省が用意した「地域医療機能推進機構」の理事長に就任した。

「『GoToトラベルは問題ない』と言っていたのに、急に『GoToは止めたほうがいい』と主張するなど、尾身さんの発言はなぜ変転するのか。それは彼が『風見鶏』だから。国の意向が変わればすぐにそれに従う人なのです」

 と、国のコロナ対策を取材してきた記者。

「尾身さんは感染症の専門家というより、“交通整理の人”、つまり議論の場を円滑にまわすことに長けた人です。議論の中で厚労省や内閣の意向に反対する意見が出ると、尾身さんはその場では必ず反対意見にじっくりと耳を傾けます。だから反対意見を主張したほうも聞き入れてもらったと思ってしまうのですが、結局、結論は厚労省などの意向通りに決まるのです」

 何やら自治医大生時代にリーダーシップを発揮していた頃の姿と重なるが、言うまでもなく、今の彼は「寮のルール」を話し合っているわけではない。

 そんな尾身氏の傘下病院の「コロナ病床」が決して多くないことについて、医療ガバナンス研究所の上昌広理事長はこう批判する。

「自分の病院で200人、300人のコロナ患者を受け入れて、『東京は私が面倒を見る』と言えばいいのに、それができないから彼は信頼されない」

 本当の意味でのリーダーシップがあれば、今からでも決断は可能なはずである。

「週刊新潮」2021年1月21日号 掲載



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