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被爆体験、手話で語り継ぐ ろう者の表情まで再現(2019年7月31日配信『日本経済新聞』)

「生の熱」を後世に伝える 仲川文江

 1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された。被爆者の中には耳が聞こえない人もいた。私は、ろう者の被爆体験を聞き取って本にまとめたり、代わりに手話で伝えたりする活動を40年ほど続けてきた。

 広島県手話通訳問題研究会を立ち上げて間もなく、親団体からろう者の戦争体験を集めたいので協力してほしいと要請を受けた。私は反対だった。手話での語りを、書き言葉として残すことが、正確な体験を伝えることになるのか疑問だった。

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 ろう者の被爆体験を伝える活動を続けてきた(2017年7月、「平和と手話通訳を考える集い」)

 そう感じたのは、私の生い立ちに関係がある。私は健常者だが、両親は耳が聞こえなかったため、物心がつくころには自然と手話を使っていた。父の会社の社宅に住んでいたので周囲にろう者もおり、通訳を頼まれることも多かった。音声言語と手話は全く違うものだという感覚が経験を通してあった。

 それでも断り切れず、参考になるものがあればと調べてみたが、聞こえない人の生活を記した文献は見つからなかった。昔はろう者は読み書きを学ぶ機会はほとんどなく気持ちを文章にできなかったのだ。記録に残っていないなら、存在を否定しているのと同じではないか。自分にできることをやろうと決意した。

 被爆体験のつらさは健常者もろう者も変わりない。大きな違いは戦後の情報障害ともいえる苦難だ。聞こえないだけでなく、読み書きも困難となると、何の情報もないまま焼け野原で生きなければならなかった。

ろう者の被爆体験 手話で語り継ぐ

 広島原爆投下から74年。ろう者の両親のもとに生まれ育った手話通訳者の仲川文江さんは、ほとんど語られてこなかったろう者の被爆体験を手話で語り継ぐ。

 原爆が特殊爆弾であることを長年知らなかった人もいた。なぜ髪が抜けるのか、なぜこんなに体がだるいのか――。健常者が人づてや新聞・ラジオなどで得られる情報も届かない。自身の身に起こったことを理解するのに10年、20年かかった人もいたのだ。

 書き言葉にするのは想像以上に難しかった。手話は単に手のサインではない。表情も使うし、動作のスピード、強弱などたくさんの要素がある。その人固有の癖もある。例えば「この人は本当につらいときは右目を閉じるんだな」ということが分からなければ、相手を本当に理解できない。何度も通って、手話で雑談しながら関係を深めた。

 赤ん坊とともに被爆した耳の聞こえない女性は、自身も重症を負った。3日目に赤ん坊は亡くなった。抱きしめたかったが、体が動かなかったという。一つの手話の中に彼女の無念さ、申し訳なさ、悔しさが込められていた。悩み、何度も書き直したが「3日目に亡くなりました」と書くのがやっとだった。

 証言をまとめた本への反響は大きかったが、限界も感じた。体験を後世にそのまま伝えたいと、2016年「手話で語り継ぐ被爆体験伝承者の会」を立ち上げた。手話通訳者が被爆したろう者になりきり、表情や手話、動きをコピーしようという試みだ。映像には映らない、生の熱というものが確かにある。

 私は、もう79歳なので、指導役に回っている。17歳で被爆した村田ヨシエさんの場合は1年以上かけ、ようやく彼女に近い再現ができるようになった。私と村田さんとは幼いころからの知り合いだった。おととし、村田さんになりきった手話通訳者の映像を見せると「しっかり伝えて」と涙を流して喜んでくれた。村田さんが亡くなったのはその半月後だった。

 もっと早く活動を始めれば多くの人の伝承ができたのにとの後悔もある。それでも、喜んでくれた村田さんのためにも、一人でも多くのろう者の記憶をつなぎたいと思っている。

(なかがわ・ふみえ=手話通訳者)

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