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「原発ムラ」と闘った元官僚 バイオジェットで描くエコな未来とは(2021年2月14日配信『毎日新聞』)

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グリーンアースインスティテュートの伊原智人社長。奥は国産バイオジェット燃料を使った国内初飛行に臨む日本航空の旅客機=羽田空港で2021年2月4日午後0時17分、丸山博撮影

 冬晴れの青空が広がった2021年2月4日。日本航空(JAL)のジェット機が羽田空港を飛び立ち、ぐんぐん高度を上げていった。機体は普段と同じだが、実は燃料には、古着を利用した国産初のバイオ燃料が混入されていた。燃料製造に協力したベンチャー企業を経営するのは伊原智人さん(52)。かつて国家公務員として脱原発政策を進め、「原発ムラ」から繰り返し反発を買った人物だ。日本のエネルギー政策の変革は、今もあきらめておらず、再生エネルギーを利用した新たな挑戦に乗り出した。【岡大介/統合デジタル取材センター】

 「大きな一歩になると思います」。2月4日午後1時前、羽田空港の福岡行きの定期便搭乗口で、伊原さんは笑顔を見せた。

 国産バイオ燃料を利用した初の飛行は、伊原さんが社長を務めるバイオベンチャー「グリーンアースインスティテュート(GEI)」(東京都)など複数社がJALに協力して実現した。全国から不要になった古着25万着を回収し、その綿から作ったバイオ燃料を製造。既存のジェット燃料と混合した。新型コロナウイルス感染拡大で航空業界が大打撃を受ける中、フライトの日程はなかなか決まらなかったが、ついに定期便に使われた。

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国産バイオジェット燃料の旅客機への給油作業を見守るグリーンアースインスティテュートの伊原智人社長(右から2人目)=羽田空港で2021年2月4日午後0時25分、丸山博撮影

 現在はベンチャー企業を営む伊原さんだが、かつてはキャリア官僚だった。それも異例の2度にわたり……。

若手官僚時代、原発ムラに突きつけた「怪文書」

 伊原さんは、父親が転勤族だったため香川、宮城、愛知県を転々とした後、東京大に入学。中高大とハンドボールに打ち込んだ。

 バブル真っ盛りの1990年春、大手都銀と通産省(現在の経済産業省)の内定を得たが、「幅広い行政課題にかかわれそう」と官僚の道を選んだ。

 主に情報関連の部署を歩み、同じく情報・通信行政を担った旧郵政省との間で折衝や権限の奪い合いに追われた。比較的順調に官僚街道を歩んでいたが、「性に合わない」と当時始まったばかりの官民の人事交流に手を挙げ、01年にリクルートへ出向した。

 2年後の03年6月経産省に戻り、エネルギー関連の部署に就き、そこで運命が大きく変わった。業界について勉強する中、「核燃料サイクル政策」に疑問がわいた。原発での発電に用いた使用済み核燃料を「再処理」してウランやプルトニウムを回収し、再び核燃料として利用する計画のことだ。56年に「原子力長期開発計画」の中で位置づけられ、エネルギー資源の乏しい日本にとっては切り札になると期待されたが、着手から数十年過ぎても実現のめどが全く付いていなかった。

 核燃料サイクルは、技術やコスト面の問題から欧米の多くの国が90年代には見切りを付けていた。国内の大手電力会社も経産省も、実は止めたがっているのではないか、と伊原さんは感じていた。事実上、政策は破綻しているのに、「どちら側も責任を取るのがいやで言い出せない状態だった」

 日本の原子力行政は、国がレールを敷く一方で、表向きには大手電力会社が自主的に取り組む形の「国策民営」で進められてきた。責任の所在があいまいになり、後ろ向きの決定が取りにくい構造になっていた。それでも、青森県六ケ所村にある再処理工場の建設に巨費がつぎ込まれていた。

 「これでは後世につけが回るだけだ」。意見を同じくする経産省の若手官僚6人で、夜な夜なファミリーレストランに集まり、議論を重ねた。2カ月がかりで、A4で25ページにわたる文書を作成。タイトルは「19兆円の請求書」とした。再処理工場の建設を続ければ、関連経費が膨らみ、19兆円もの国民負担が将来生じる、と試算したものだった。03年秋ごろから、伊原さんら有志は、この文書をもとに、理解を示してくれそうな与野党の政治家、メディアの記者を一人ずつ訪ね、考えを訴えた。

返り討ちに遭うも、原発事故を機に2度目の国家公務員に

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核燃料サイクルを継続すれば19兆円もの費用が無駄にかかると指摘する全25ページの「19兆円の請求書」=東京都内で2021年2月4日午後11時43分、岡大介撮影

 伊原さんら有志の訴えは当初、あまり注目されることはなかったが、やがて電力業界の怒りを買うことになる。04年春、大手経済紙の論説委員などが集まる場で「19兆円の請求書」を配って解説したところ、これがすぐに業界の知るところになった。

 電力業界団体「電気事業連合会」の職員が「請求書」を手に経産省に乗り込んだ。「おたくの若いのがこんな紙を配って『核燃料サイクルは不要』と言っている。どうなっているんだ」

 有志6人の活動が省内で批判の的となり、この年の夏、伊原さんは電力担当を外された。2~3年での異動が多いキャリア官僚では異例の人事だった。伊原さんは「もともと人事交流で民間のスピード感にひかれていた」こともあり、翌05年、経産省を退職して出向先だったリクルートに転職。大学の特許技術を企業とのライセンス契約に結びつける仕事に就いた。

 いったんエネルギー政策の仕事から離れたが、再び転機が訪れる。11年3月11日、東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故だ。

 当時、経産省と電力業界は「原子力ルネサンス」と称し、温室効果ガスを出さないクリーンな電源だと評価し、民主党政権下も含めて原発推進路線をひた走っていた。「事故が起きる前に、頑張って原発ムラを止めていれば……」。悔やしさがあふれた。

 そんな時、伊原さんの過去を知る民主党(当時)の国会議員から、エネルギー政策の見直しを担う政府の国家戦略室への任用を打診された。

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警戒区域に設定されるのを前に、福島第1原発の20キロ圏内を出入りする車(一部画像を処理しています)=福島県南相馬市で2011年4月21日午後1時42分、須賀川理撮影

 エネルギー業界を変える難しさは身にしみている。しかし、「原発事故をきっかけに、皆がエネルギー政策について考える今こそ、見直しのチャンスだ」と考え、2度目の国家公務員となった。

 伊原さんが手がけた大きな仕事の一つが、各電源のコスト計算方法の見直しだ。当時は「原発は圧倒的に安価」というのが常識だったが、原発を受け入れた自治体に支払う国からの交付金や、福島で起きたような事故発生時の賠償金も「コスト」に参入するよう改めた。すると、原発の発電コストは1キロワット時あたり8・9円になり、04年に経産省が試算した値(同5・9円)の1・5倍に膨らみ、石炭火力(同9・5円)との差が縮まった。

原発巡る「国民的議論」へのこだわり

 伊原さんは当時、原発不要論に傾いてはいたが、「国民的な議論を経た上で、ぶれないエネルギー政策を定めることがより重要だ」と考えていた。

 そこで試行したのが「討論型世論調査」だ。不作為に電話をかけて原発への賛否を問うまでは通常の世論調査と同じだが、同意を得られれば資料を送り、1泊2日で原発を含めた国内エネルギー事情について勉強し、グループ討論する「合宿」も実施した。討論の前後での意見の変化も分析した。

 調査での選択肢には、30年の原発の電源構成比が「ゼロ」「15%」「20~25%」の三つを用意した。資源に乏しい経済大国の日本で、コストや安定供給、温室効果ガス抑制など、さまざまな要因が絡むエネルギー政策を考えることは難しい。伊原さんは、国民が学ぶうちに中間の「15%」に支持が集まるのではないかと予想していたが、意外にも「ゼロ」が増えていった。

 他にもパブリックコメントを募ったり全国各地で意見聴取会を開いたりし、その結果をもとに12年9月に「革新的エネルギー・環境戦略」をまとめ、「2030年代原発ゼロ」と踏み込んだ。

 ただ、そのころすでに民主党政権は下り坂に入っていた。解散・総選挙をすれば政権が自民党に戻ることが確実視され、今後の実効性も不安視された。

 伊原さんは、古川元久・国家戦略担当相の指示を受け、宿願である核燃料サイクル撤退についても検討していた。しかし、六ケ所村議会が12年9月、核燃料サイクルから撤退するなら、すべての核のごみの受け入れを拒否するとの意見書を提出した。撤退を強行すれば、英国に再処理を委託し、返還される予定の高レベル放射性廃棄物が搬入できなくなり、国際問題になりかねない。

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国産バイオジェット燃料を使った国内初飛行に臨む旅客機。燃料全体に占める割合はわずかだが、ドラム缶2缶分の400リットルのバイオ燃料が混合された=羽田空港で2021年2月4日午前11時45分、丸山博撮影

 結局、核燃料サイクル打ち切りには踏み込めなかった。「民主党政権が長続きしそうだったら、英国と腰を据えて保管の延期を交渉できたかもしれない。時間が足りなかった」。伊原さんは悔やんだ。

2回目の敗北、ベンチャーで再起


 12年12月の衆院選で、予想通り、民主党政権は終止符を打たれた。発足した安倍晋三政権は、早々と「原発ゼロ」目標を見直す方針を示した。活躍の場を失った伊原さんは13年1月、国家戦略室をひっそりと退職。役所から出向していた同僚が次々と古巣に戻っていった。

 伊原さんはさらなる転身を図る。ベンチャーファンド「東京大学エッジキャピタルパートナーズ(UTEC)」社長で経産省出身の郷治友孝社長に声をかけられ、GEIに就職した。

 植物の茎や葉などを使ったバイオ燃料の研究開発をする会社で、「国際ビジネスに育て、やがては経営者として関わりたい」と夢を持っていたが、来てみれば、現実は社員7、8人。すぐに売り上げにつながる技術はまだ無く、資金は、成長を見込んでくれるファンド頼みだった。

 経営は厳しい時期が続いたが、軸足をコスト面でまだ化石燃料に対抗できないバイオ燃料から、植物の茎などを利用したバイオ由来の化学品の製造技術の開発に移した。18年にバイオ由来のアミノ酸の製造について中国企業との大口のライセンス契約が決まり、事業が好転。売り上げも数億円規模に伸びた。

 一方、JALなどと協力し、18年には古着を活用したバイオ燃料を開発し、航空機を飛ばすプロジェクトも始めた。

 新型コロナによる混乱、JALの経営悪化もあり、20年内という当初の予定からは遅れたが、なんとか実現にこぎつけた。「ベンチャーでも、業界初の純国産バイオ燃料を作れるということを示せた。意義はある」

今も官民もたれ合い、エネルギー政策は停滞


 伊原さんが霞が関を離れた後、日本のエネルギー政策は、再び官民とも軸が定まらず、漂流しているように見える。

 安倍晋三政権は再稼働や老朽原発の稼働延長を容認したが、新増設の可否など、より踏み込んだ議論は封印してきた。一方で再生可能エネルギーの利用も他の先進国ほど進まない。依存度を高めていた石炭火力は、温室効果ガスの排出が多いため、近年国際社会から批判されるようになった。

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国産バイオジェット燃料を使った国内初飛行に臨む旅客機=羽田空港で2021年2月4日午前11時49分、丸山博撮影

 核燃料サイクル政策も迷走が続く。再処理した燃料を消費する高速増殖炉「もんじゅ」は94年の初臨界から、ほとんど稼働することなく、16年に廃炉が決まった。一方、六ケ所村の再処理工場は20年に原子力規制委の安全審査に合格し、今も稼働を目指している。

 難局にあるにもかかわらず、数年おきに見直される政府の「エネルギー基本計画」は、経産省が開く有識者会議で決められ、民意は十分に反映されているとは言いがたい。

 伊原さんは語る。「原発事故以来、国民の間には、原子力を含むエネルギー政策について、不信が残っている。今のままでは、国が上から長期的な方針を示そうとしても、国民は信用して受け入れてくれない。もっと幅広く意見を聞き、議論を徹底すべきだ」

 伊原さんは希望も持っている。経産省で情報通信業界を担当していた90年代、NTT分割・再編を目の当たりにした。政財界で賛否が割れた分割で、調整に相当な労力を払ったが、結局、当時傍流扱いだったNTTドコモが手がける携帯電話が普及し、固定電話そのものを圧倒した。「既存の勢力が抵抗しても、一つの新しい技術によって、変わっていくことがある。行政や政治が強制的に変えるのではなく、技術革新による競争によって良いものが生まれ変化していくのがあるべき姿だ」と熱っぽく語る。

 政府は昨秋、2050年に温室効果ガスの排出量実質ゼロを目指すと掲げたが、実現に向けてカギを握るのは、エネルギー業界を筆頭にした各企業や個人だ。

 伊原さんは、この目標実現にも、バイオ燃料が大きく寄与する可能性があると考える。「コストや品質面で自然と選ばれる存在になれば、きっと社会を変えられる」。経営者の立場から変革への挑戦が続く。




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