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車いすバスケ男子代表 元東電社員の主将 震災に翻弄も二度のパラリンピック出場 「みんなを笑顔に」東京大会にかける思い(2021年3月1日配信『東京新聞』)

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2019年8月の国際試合で得点を決める豊島英選手(手前)=武蔵野の森総合スポーツプラザで

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震災から10年になるのを前に、オンラインで取材に応じる豊島英選手

 車いすバスケットボール男子日本代表の主将、豊島英選手(32)は10年前のあの日、東京電力福島第一原発にいた。故郷の福島を襲った震災。コロナ禍で1年延期になった東京パラリンピック。天災と感染症。自らの意思とは関係なく競技から離れざるを得なかった時間を経て、東日本大震災から10年となるいま、思う。「福島や東北の代表としてみんなに笑顔になってもらいたい」(中川耕平)
 2011年3月11日。福島県いわき市の高校を卒業して就職した東電で、いつも通り経理の仕事をしていた。揺れ始めても「何日か前にも大きな揺れがあったので、同じかなと」。だが揺れは収まることなく大きくなる。慌てて車いすから降り、机の下に隠れた。天井パネルは落下し、自力での移動は困難に。同僚におんぶされて避難した。

 当時の記憶はあいまいだ。翌日に一号機が水素爆発。同県双葉町の社員寮に帰れず、免震重要棟に身を寄せた。対応に追われ、何がどうなっているかよく分からないまま過ぎた数日のうちに、日常は一変した。

◆遠ざかるバスケ


 中学2年で出合った車いすバスケとの距離は遠くなった。4月に茨城県内へ異動。今も所属するチーム「宮城MAX」の拠点の仙台に通いづらくなった。夏には痛めていた右手首も手術。東電社員として、胸中も複雑だった。「避難生活を余儀なくされ、元の生活ができなくなっている人がたくさんいる中、自分が好きなことをやっていいのか」

 気持ちの整理がつかないまま、季節は秋へ。コートに戻る決意を固めたのは翌年に迫っていたロンドン・パラリンピックの存在が大きかった。当時、日本代表に手が届きかけていた。アスリートとして4年に1度の祭典に出場したいという純粋な欲求。会社の先輩や同僚に打ち明けると「応援する」と背中を押された。震災から半年後の9月、東電を退社。仙台に移り、公務員として働きながら競技に没頭し、日本代表の主力に成長。ロンドンと16年リオデジャネイロ・パラリンピックの切符をつかんだ。

◆やるべきとは言い切れない・・・東京大会に複雑な思いもメダル届けたい

 昨年12月。日本車いすバスケットボール連盟はオンラインでファンミーティングを開いた。コロナ禍で代表戦はおろか国内大会もできない中、ファンとの交流を通じ、「僕たちのプレーや試合を待ち望んでくれている」と感じた。東京パラリンピックの開催は不透明だ。「来られない国があれば、世界最大級の大会ではなくなってしまう。絶対やるべきだと僕は言い切れない」。一方、車いすバスケの魅力を伝えるには貴重な機会。思いは揺れる。

 自身にとっても、特別な大会になる。9位だった前回のリオ大会以降「選手としてここが最終ゴールかなと思いながら過ごしてきた」。東京大会の後のキャリアは白紙だ。集大成になるかもしれない自国の大舞台に懸ける思いは強い。

 「自分が歩んできた道に震災があって、それを乗り越えてパラリンピックに出場してきた。コロナもそう。それでも前に進み続けてきた姿を見てもらえるきっかけに東京はなると思う。メダルを地元に、応援してくれる人に届けたい」

 豊島 英(とよしま・あきら) 1989年2月16日、福島県いわき市生まれ。生後4カ月で髄膜炎を発症し、両下肢機能全廃。2009年から宮城MAXでプレー。日本選手権は11連覇中でMVPには3度選ばれた。ポジションは司令塔のガード。15年にWOWOW入社。




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Author:gogotamu2019
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