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競技か「女性」か― 選ばなくていい環境づくりを ホッケー女子元日本代表・小林真由美(2021年3月8日配信『東京新聞』)

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ジャカルタ・アジア大会ホッケー女子決勝のインド戦でパスを出す小林真由美(左)=2018年8月(共同)

 8日は国際女性デー。日本では、東京五輪・パラリンピック組織委員会前会長の森喜朗氏による女性蔑視の発言をきっかけに、スポーツ界で女性が活躍する環境が整っていないとの批判が起きた。ホッケー女子で2度の五輪に出場した小林(旧姓小野)真由美(36)=東京ヴェルディ=に、日本の女性アスリートを取り巻く現状、これから目指すべき未来を聞いた。

◆一度は「女性」を諦めた

 競技を取るか、女性としての人生を取るか―。岐路に立つ時、ホッケー女子元日本代表の小林は、常に自分にそう問い掛けてきた。「子どもを産んで復帰できる場所は、今の日本のホッケー界にはない。だから『結婚・出産=辞める』だった。でも、そうじゃない選択肢がもっと増えていい」。2月に代表引退を表明した後も社会人チームで選手を続け、女性が輝けるホッケーの環境づくりを模索する。
 「あのときは“女性”を諦めた」。29歳だった2014年。16年リオデジャネイロ五輪を目指すか迷っていた。「30歳までに結婚したい」という夢はかなえられそうにない。もし代表に入るなら、「先発で必要とされる絶対的な存在でありたい」。選手として後悔しない道をと考え、身も心も競技一本に切り替えた。「どちらかを諦めるしかなかった」。リオ五輪は最年長ながら本番も主力で活躍したものの予選敗退。16年の暮れ、「限界までやり切った」と一度は引退を発表した。
 オーストラリア留学やアルバイトなどを経験し、1年後に現役復帰。「東京五輪を選手として迎えたい」との思いが込み上げたからだった。代表候補として一回り年下の後輩らとしのぎを削る日々は、苦しくも充実していた。

◆夫の後押しでリハビリ、代表復帰

 しかし、20年3月。コロナ禍に見舞われる。折しも、右でん部の慢性的な痛みに悩まされ、寝返りでも目が覚めるほど悪化していた。五輪は1年延期。すぐに目指そうとは思えなかった。

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オンライン取材で、女性アスリートとしての悩みを振り返る小林真由美

 35歳。結婚や出産を考え、焦りもあった。「健康な子どもを産むなら、早くしないとリスクが上がってしまう。今辞めて、女性としての道を歩んだ方がいいのでは」。結婚を控えていた夫に相談すると、「子どもは授かり物。今、自分がしたいことを選んだ方がいい」と優しく諭された。

 けがや出産を言い訳にして、競技から逃げようとしていた自分。ここで諦めたら後悔する。懸命にリハビリに励み、今年1月には46人の代表候補に入った。だが、下旬の強化合宿でスタッフに「今後は厳しい」と告げられ、代表引退を決意。「旦那さんがいなかったら、(五輪延期が決まった)あのとき辞めてしまっていた。最高の終わり方ではないかもしれないが、やり切ったので後悔はない」

◆女性の声をもっと届けられるようなホッケー界に

 今後は、ホッケーが縁で入社した介護事業を手掛けるSOMPOケアで働きつつ、昨年11月に加入した東京ヴェルディでプレーを続ける。結成2年の社会人チームで、選手の多くはフルタイム勤務と両立している。「女性スタッフも多く、支える体制があるから、もし出産しても復帰できる。働きながらホッケーできる環境を確立させたい」。大学でホッケーに打ち込んだ女子選手の多くが卒業とともに引退する現状をまずは変え、競技人口を広げたいという。

 ゆくゆくはコーチとしてフィールドに立つ夢も抱く。国内ではまだ女性指導者は少ないが、海外の強豪国では女性が監督を務めているところもある。「自分も男性にしか教わったことがない。でも、男性しか活躍できないわけじゃない」。女性の声をもっと届けられるように―。一歩ずつ、できることを続けていく。(兼村優希)

 こばやし・まゆみ 旧姓小野。小学生でホッケーを始め、高校生で日本代表としてアジア大会に出場。2008年北京五輪はMF、16年リオデジャネイロ五輪はDFとして活躍。18年ジャカルタ・アジア大会で日本初の金メダル獲得に貢献した。昨年5月にスポーツトレーナーと結婚。SOMPOケア広報部で勤務する傍ら、東京ヴェルディでプレーする。富山県小矢部市出身。




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