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五輪「侮蔑演出」の辞任劇が違和感だらけのワケ 広がる波紋、個人の辞任で終わらせていいのか(2021年3月19日配信『東洋経済オンライン』)

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不適切であったことは間違いありませんが、人々の間には漠然とした違和感が残ります(写真:アフロスポーツ)

 東京オリンピック・パラリンピック開閉会式で演出の統括役を務めるクリエーティブディレクターの佐々木宏氏が「渡辺直美さんの容姿を侮辱するようなメッセージをチーム内のLINEで送っていた」と文春オンラインが報じた問題が波紋を広げ続けています。

 報道の翌3月18日、佐々木氏が謝罪文を公表したほか、大会組織委員会の橋本聖子会長も辞任の意向を受け入れました。まさに電光石火の辞任劇であり、テレビやネットメディアはこの話題で持ち切り。その多くは、「佐々木氏への批判」「殊勝なコメントを寄せた渡辺直美さんへの称賛」「東京オリンピック・パラリンピック開催への不安」の3点でした。

 しかし、佐々木氏は自らの非を認めて辞任しましたが、騒動はこれで収まりそうにありません。人々の間に漠然とした違和感が残り、ネット上にはジワジワと疑問の声が上がりはじめているのです。

ガバナンスが機能したはずだったが…

 最大の違和感は、演出に関わるグループや、ひいては組織委員会を含めた関係者全体のガバナンス。もちろん差別を想起させる佐々木氏の提案が適切なものではなかったことは間違いありません。ただ、グループLINEの段階でこの提案は否定され、撤回されました。「地位と実績のある佐々木氏の提案でも不適切であれば一蹴できる」という点でガバナンスが機能していたのです。

 ただ一方で、「グループLINEというクローズドな場での発言であり、しかも否決されたものが流出してしまった」ことはガバナンスの弱さにほかなりません。さらに、この点について「もしリークした人間がグループの一員だったら……」「何らかの対価を得て内部情報をリークしたのなら……」という違和感が拭えないというスタンスの人が多いのです

 仮にそうだとしたら背任行為に近く、真偽がどちらであっても、世間の人々に「信用しづらい組織」という印象を与えてしまいました。しかも知る必要のなかった渡辺直美さんにわざわざ伝えてしまった罪もあり、もしリークした人が現在も演出にかかわっているとしたら、佐々木氏の提案以上に問題視されるべきなのかもしれません。

 「佐々木氏だけ批判され、辞任したらこの件はおしまい」なら、ガバナンスとしては正常とは思えず、組織として真相を究明しなければなりません。佐々木氏への批判を繰り返す人々も、それをあおるような報道をするメディアも、「木を見て森を見ず」の感が否めないのです。

渡辺直美さん不在で勝手に批判する人々

 2つ目の違和感は、渡辺直美さんに対する一方的な目線。

 渡辺さんは3月18日、所属事務所の吉本興業を通じて、「表に出る立場の渡辺直美として、体が大きいと言われる事も事実ですし、見た目を揶揄されることも重々理解した上でお仕事をさせていただいております。実際、私自身は、この体型で幸せです。なので今まで通り太っている事だけにこだわらず、『渡辺直美』として表現していきたい所存でございます。しかし、ひとりの人間として思うのは、それぞれの個性や考え方を尊重し、認め合える、楽しく豊かな世界になれる事を心より願っております」などとコメントしました。

 このコメントをメディアはこぞって称賛。とりわけ情報番組のコメンテーターたちは、人間性の素晴らしさを称えるなど、絶賛の言葉を繰り返していますが、ここまで本質を突いた意見はほとんど見られません。

 今回は最初の報道から一気に批判が広がるところまで、渡辺さん不在で勝手に事が進み、本人はほぼ置き去り状態のまま、佐々木氏はアッという間に辞任。はたして渡辺さんは佐々木氏のグループLINEをどう思っているのか。世間の人々に批判してほしいのか。最重要人物であるにもかかわらず、勝手に報じられ、批判が一気に過熱したことで、コメントしづらい心理状況になり、殊勝な言葉に終始するしかなかったように思えてならないのです。

 渡辺さんほどの芸人なら、もしかしたら笑いを交えたコメントをしてくれたかもしれないし、ネガティブなムードを断つことができるとしたら彼女だけでしょう。しかし、アッという間に批判が広がり、その中には渡辺さんのことを思って発言している人もいるほか、渡辺さん個人を超えてぽっちゃり体形の女性全般を含めた話に飛躍していることもあって、単純に「批判はやめて」と言ったり、笑いを交えたりしづらい状況になっていました。

 渡辺さんにしてみれば、批判が過熱するほど芸がやりづらくなるし、共演者を戸惑わせてしまう。さらに、オファーを出すほうもリスクを恐れて敬遠されかねない。今回の件をリークした人も、批判的なメディアと世間の人々も、渡辺さんのことを思っているように見せかけて、実はほとんど考えていないのです。

 もし今回の件で渡辺さんの仕事が減ってしまったら誰が責任を取るのか。もし損害賠償を求めるとしたら佐々木氏ではなく、リークした人でしょうし、さらに言えば、あおるように報じたメディアなのかもしれません。

 そもそも、体形や自虐ネタを売りにしたい芸人がいてもいいし、一般人の中にも「腫れ物に触るような扱いをされると困るし、むしろふれてもらって構わない」というスタンスの人もいるでしょう。各種ハラスメントと同じで、あくまで個人の問題だけに、やはり今回の件は渡辺さんの声を聞いてから「批判するのか、しないのか」を決めるのが適切だったのです。

五輪開催の是非に関連づける強引さ

 3つ目の違和感として挙げておきたいのは、佐々木氏への批判から「オリンピック開催なんてけしからん」「中止すべき」という流れにつなげようとする強引なムード。「もうオリンピックなんてやめろ」という声を上げる人も、「呪われた五輪」「また女性差別か」などと報じるメディアも短絡的かつ示唆的なものを感じてしまうのです。

 佐々木氏の発言と、開催の是非はまったく別の話であり、もっと真剣に議論を進めるべきことは多々あるはず。しかも今回のグループLINEは、1年以上前の昨年3月5日に送信されたものでした。告発者が本当に「問題アリ」と思ったのなら1年前に言うこともできたはずですし、「クローズドな場の発言」「すぐ撤回した」からスルーしたのではないでしょうか。

 もともと「過去の話を持ち出してわざわざ問題視する」のは、政治家から芸能人まで、権力者や成功者を引きずり下ろしたいとき、あるいは、組織にダメージを与えたいときの常套手段。やはり、「森喜朗氏の騒動に便乗した個人的な恨み辛みか」、それとも「オリンピック開催を阻もうとする人々によるものなのか」という疑念を抱いてしまう人がいるのは当然なのです。

 また、森喜朗氏の騒動時から、「オリンピック絡みだからこの発言はNG」「それが世界のスタンダードで日本は遅れている」という声が、もはや当たり前のように飛び交っていますが、今回の件は該当しづらいところがあります。

 「オリンピックではNG」で「バラエティならOK」というダブルスタンダードが本当に正しいのか。それは本当に世界のスタンダードであり、合わせていくことが本当に進んでいるのか。これらの違和感を抱く人々が声を上げづらい世の中になってしまっているのです。

 さらに違和感を抱かせているのは、佐々木氏の発言が公式の会議でもコメントでもないうえに、「アイデアを出し、よくないものを削ぎ落していく」という初期段階だったこと。佐々木氏のケースはさておき、クリエイティブ系の現場では、新たなものを生み出すために、間違いや批判を恐れずに発言することが推奨されているのです。

 これは間違いや批判を恐れていたら、どこかで見たことがあるような無難なものばかりになってしまうから。佐々木氏以外のメンバーも間違った提案をしていた可能性はありますし、「この段階だから許し合いましょう」という了解のうえに成立している場なのです。

 はたして、アイデアを出し合ったグループLINEでの発言を猛批判し、個人を辞任に追い込むことが世界のスタンダードなのでしょうか。もしそんな窮屈なスタンダードだとしたら、日本は本当に追随すべきなのか疑わしいのです。

超不寛容社会への進行が止まらない

 最後にふれておきたいのは、「超不寛容社会への進行が止まらない」という厳しい現実。

 すぐに撤回し、謝罪、反省しても許されない。それが過去のことであったとしても許されない。そんな超不寛容社会が進むほど、失われるのはクリエイティビティーだけではありません。「失言を恐れて同僚と軽口すら叩けない」「友人ですら警戒して気楽に話せない」など、人間のコミュニケーション自体が減っていくでしょう。

 そうなってしまうと、距離感が縮まらず孤独感を覚えやすくなるとともに、小さな失言がより気になるようになり、互いをますます攻撃し合うようになっていきます。個人の軽率なミスを寄ってたかって責める社会でいいのか。撤回、謝罪、反省を受け入れない社会でいいのか。そろそろ本気で考えなければいけない時期に来ているような気がしてならないのです。




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