FC2ブログ

記事一覧

平和の土壌があってこそ木は育つ(2019年8月21日配信『信濃毎日新聞』ー「斜面」)

 人材の育成に並々ならぬ情熱を傾けていた。戦後、初代の宮内庁長官を務めた田島道治(みちじ)である。1937(昭和12)年、銀行の頭取を退任した後に私財を投じ、都内の自宅の隣に学生寮を建設。10人の学生をわずかな寮費で住まわせた
   ◆
 月1回、政官界のトップを講師に招いて夕食会を開いた。自らも「論語」を教えた。<生涯中で一番快心なこと>と振り返る学生との生活は、45年4月の空襲で自宅と学生寮が焼失して終わる。無念だったのだろう。<戦争はうらめしい>と後に記した
   ◆
 田島は48年6月、宮内府(後の宮内庁)の長官に任命される。誕生したばかりの象徴天皇制を育てる使命を担う。戦争の悔恨と反省を表明したい昭和天皇の意を受け吉田茂首相と直談判を重ねた。加藤恭子著「昭和天皇と田島道治と吉田茂」は田島の日記や文書をひもといている
   ◆
 <朕(ちん)ノ不徳ナル、深ク天下ニ愧(は)ヅ>。田島が48年秋に書いたとみられる詔書の草案の一文だ。日の目を見ることなく埋もれていた。52年5月の講和条約発効の記念式典に際したお言葉も、退位論を警戒する吉田の意向で悔恨と謝罪の表現が削られている
   ◆
 この前後、天皇は改憲による再軍備を唱えた。田島は政治に天皇は関与できないといさめている。吉田を説得し皇太子の教育担当参与に慶応義塾塾長の小泉信三を据えたのも田島だ。退官後には学生寮を復活させ人材を輩出した。平和の土壌があってこそ木は育つとその人生が語っている。



スポンサーサイト



プロフィール

gogotamu2019

Author:gogotamu2019
障害福祉・政治・平和問題の最新ニュース・論説紹介

最新記事

カテゴリ