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侵略戦争 昭和天皇 自己弁護と「反省」(2019年8月21日配信『しんぶん赤旗』)

初代宮内庁長官の手記 公開
首相の反対で「封印」


 戦後約5年半にわたり初代宮内庁長官などを務めた田島道治氏が、昭和天皇とのやりとりを記録した手記が公開されました。計18冊の手帳やノートに書き込まれた文書の中には、昭和天皇が戦争への「反省」の気持ちを表明したいとの意向を明らかにしていたことや、再軍備の必要性を繰り返し発言していたことなどがつづられています。

 田島氏は1948年から宮内庁の前身の宮内府や同庁のトップを務め、在任中、600回を超える昭和天皇との対話を詳細に記録。手帳には「拝謁記」と記されており、遺族から提供を受けたNHKが一部を公開しました。

 手記には、昭和天皇が1952年5月、サンフランシスコ講和条約を受けた日本の独立回復を祝う式典での「おことば」で「反省」の気持ちを表明したいと田島氏に伝えたものの、当時の吉田茂首相の反対で削除されたとのやりとりが記録されています。昭和天皇は「どうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」(同年1月11日)、「私ハ反省といふのは私ニも沢山(たくさん)あるといへばある」(同2月20日)などと強く希望したとされます。昭和天皇が戦争への「反省」を述べようとしたこと、それが首相の反対で「封印」されたことを示す史料です。

 一方で、戦争の開始については「平和を念じながら止められなかった」「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早(もはや)どうすることも出来ぬといふ事になつてた」(51年12月14日)などと繰り返し自己弁護を展開。陸海軍の統帥者として侵略戦争に直接の責任を負っていたことへの自覚はまったくみられません。

 また、南京虐殺事件(1937年)について「支那事変で南京でひどい事が行ハれてるといふ事をひくい其筋(そのすじ)でないものからウスウス聞いてはゐたが別ニ表だつて誰れもいはず従つて私は此事(このこと)を注意もしなかつた」と述べるなど、日本軍の蛮行を当初から知っていたことが記されています。

 さらに、終戦にかんして「私ハ実ハ無条件降伏は矢張りいやで、どこかいゝ機会を見て早く平和ニ持つて行きたいと念願し、それには一寸(ちょっと)こちらが勝つたような時ニ其(その)時を見付けたいといふ念もあつた」(52年3月14日)という記述もあります。1945年2月に近衛文麿元首相が早期終戦を上奏した際、「もう一度戦果をあげてから」と退けたことは知られていますが、天皇の肉声として「一撃講和論」が明らかになったのは初めてです。ここには、体制維持(天皇制護持)を優先し、東京大空襲や沖縄戦、広島・長崎への原爆投下など筆舌に尽くし難い惨禍を招いたことへの反省はみじんもみられません。

 昭和天皇は生涯、公には戦争への「反省」を口にしませんでした。しかし、今回、きわめて不十分であっても自ら「反省」をのべていたことが明らかになった以上、侵略戦争の責任がどこにあったのか、天皇の役割と責任はどうだったのか、国民的な検討と議論が求められます。




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