FC2ブログ

記事一覧

<あきらめない 失語症になった営業マン>(2019年8月22・23日配信『東京新聞』)

(上)復職の道、共に模索 会話訓練、会社が協力(2019年8月22日配信『東京新聞』)

キャプチャ
身ぶり手ぶりを交えながら、営業マン当時の経験を後輩社員の秋本さん(右)に話す池田さん=名古屋市中区で(一部画像処理)

 「もどかし、もどかし、えーと、もどかしこ…」

 7月下旬、名古屋市中区の東京海上日動火災保険。終業後、社内の一室で同社の池田博之さん(50)が社員の秋本卓さん(30)に、失語症で言葉が思うように出ない「もどかしさ」を語っていた。

 単語や短い文は何とか理解できるが、文章が複雑になると聞き取ることも難しい。「だい、ざいぬ、ざいぬぶ…」。秋本さんが「財務部?」と推測し、ホワイトボードに書くと、池田さんが「そうそう」と笑顔でうなずいた。

 毎週1回、終業後にある「池田さんと話そう会」。池田さんのリハビリを支援しようと2年前に始まり、1対1で1時間ほど、業務の悩みや面白さなどについて話す。参加者は会社が社内メールで募集。業務外だが、発症前は優秀な営業マンだった池田さんとの面談を望む社員は多く、これまで100人近くが応じた。

 秋本さんは入社7年目の営業マン。失語症の人と話すのは初めてだ。「言ったことを相手が本当に理解できているのか、相手が何を伝えたいのか。きちんと待つというコミュニケーションの基本をあらためて学んだ」と喜ぶ。

 池田さんが、失語症の原因となった脳梗塞を発症したの2015年11月だ。当時は、名古屋営業第3部でトヨタグループを担当するトヨタ室長。海外出張から帰国した翌日、会社で倒れた。命は助かったが、気がつくと「読む」「書く」「聞く」「話す」が自由にできなくなっていた。

 最初は「そのうち治る」と楽観していた。だが、10カ月後の検査で「雪は何色?」と聞かれ、出てきた言葉は「えーと、冬かな」。入院先に届いた同僚からの励ましの寄せ書きも理解できず、落ち込んだ。

 1992年の入社以降、ほぼ営業畑一筋。人懐こい笑顔で相手の懐に入り、真面目な性格で仕事に向き合い業績を重ねた。好きな言葉は「万策尽きた後の最後の一手がある」。もうだめだ、と思った後の一手で、何度も危機を乗り越えてきた。だから、あきらめなかった。

 営業職への復職を目指してリハビリを重ねる中、「ランチなどで人と話す機会がほしい」と会社に相談。休職中だった2017年の5月に「話そう会」ができた。「本当にありがたかった」と池田さん。翌年2月に、東海・北陸業務支援部担当次長として復職した。

 ただ、復職は、大半の失語症患者にとっていばらの道だ。NPO法人「日本失語症協議会」(東京)が15年に全国の失語症の人を対象に行った調査(回答数約450人)では、正社員として働いていた患者で「元の職場に戻れた」のは12%。さらに、そのうち4割は結局仕事を続けられず、辞めざるを得なかった。

 池田さんの入院先の一つ、鵜飼リハビリテーション病院(名古屋市)の言語聴覚士森田秋子さん(61)は「自ら辞めたり、退職せざるを得ないケースが多い」と指摘、池田さんは「非常に恵まれた例」と話す。

 池田さんの同僚で、東海・北陸業務支援部部長の北岡篤さん(51)によると、同社の幹部が失語症になり、復職を果たすのは初めてだ。これまでのような営業職は難しい。しかし、仕事や病気の経験は業務に何としても生かしたい。「池田さんにしかできない仕事」が見つかったのは、会社として手探りを続ける中だった。
      ◇
 失語症を発症する人は多くが働き盛り。約6割は20~5代という調査結果もある。一流企業のエリート営業マンの挑戦を通じ、再就労に必要な支援を考える。 

<失語症> 脳梗塞や交通事故などで脳の言語中枢が損傷して起きる障害。日本失語症協議会によると、人の話を聞いて理解する、話す、読む、書くなど言葉にかかわる全機能に支障が出る。全国に約50万人いるとされる。

特定非営利活動法人 全国失語症友の会連合会 ホームページ➡ここをクリック(タップ)



(下)笑顔の授業 伝える使命を胸に前へ(2019年8月23日配信『東京新聞』)

キャプチャ
言語聴覚士などを目指す学生らに、自らの経験を語る池田さん(右から2人目)=名古屋市中村区の東海医療科学専門学校で

 わずか2行のメールを打つのに、30分。でも、1年前に比べれば、時間は半分になった。

 脳梗塞の後遺症で失語症になった東京海上日動火災保険の池田博之さん(50)が、同僚と毎日交わす「2行メール」。次長を務める東海・北陸業務支援部の社員たちが交代で送り、池田さんが返信する。

 「読む」「書く」「聞く」「話す」の全てが不自由な池田さんのリハビリの助けになればと、2018年5月から始まった。発症前は優秀な営業マンだった池田さんが職場に復帰して3カ月が過ぎたころだ。メールの内容は仕事や家庭のことなど何でもいい。

 「私は、学習教材をきちんとやらない不真面目(ふまじめ)な子供でした。小学校(しょうがっこう)の時は、田んぼで泥(どろ)まみれになったり、いろんな遊びをやりました。。」(ママ)

 子育て真っ最中の社員が学習教材について書いてきたメールへの返信だ。ルビを振るのは漢字の読みを忘れないためという。

 「病気はつらいけど、家族がある。仲間がある。ST(言語聴覚士)がいる。だから希望がある」

 7月初旬、名古屋市中村区の東海医療科学専門学校。池田さんは、だんだん早く打てるようになってきたメールのこと、回復への手応え、支えてくれる人への感謝などを、言葉に詰まりながらも、熱っぽく語った。失語症について広く知ってもらおうと、同社が始めた講演会「笑顔の授業」の一コマだ。

 受講生は、失語症を含め言葉が不自由な人のリハビリを担うSTなどを目指す学生たち。池田さんは講演の中で、リハビリに粘り強く寄り添ってくれるSTを「戦友」と呼んだ。参加した国分鉄平さん(37)=名古屋市守山区=は「つらい経験もさらけだしてくれて、STを目指す意欲を新たにした」と力を込めた。

 7月にスタートした「笑顔の授業」は、月に2回が目安。日本言語聴覚士協会(東京都)などと連携し、依頼があれば全国どこにでも行く。同社では障害への理解を深め、障害があっても働きやすい環境づくりを進めるこうした活動を、企業が果たすべき社会的使命と考える。池田さんは会社の姿勢を伝える、いわば「広報大使」だ。上司の東海・北陸業務支援部長の流石巌さん(54)は「池田さんだからこそ、できること」と話す。

 どうしたら社員として活躍できるか。池田さんの復帰後、本人も会社も模索してきた。書類を機械的に分類する仕事や社内でのチラシ配り。時には会議に出席することもあったが、ついていくことができなかった。しかし、営業マン時代同様、決してあきらめず、どんな小さな仕事にも徹底的に取り組んだ。

 そうやって活動の幅を広げていく中で見つかったのが「笑顔の授業」だ。きっかけは昨年10月、入院先の一つ、鵜飼リハビリテーション病院(同市)の依頼で、職員向けに行った講演だ。前向きに生きる池田さんの姿に涙を流す人も。同行した流石さんの発案を受け、池田さんは人権啓発・ダイバーシティ推進室の参事を兼務。笑顔の授業を担当することになった。

 倒れて4年近く。患者会の活動などを通じ、再就労の厳しい現実を日々実感する池田さんは、少しでも状況を変えたいと願う。そのために、会社の高い知名度を生かし、失語症の「伝道師」になることを目指す。一歩ずつ進んでいけば、その先にはきっと、再び営業マンとして輝ける日があると信じて。 

キャプチャ2
池田さんの名刺の裏には会話への配慮をお願いする文章が書かれている








スポンサーサイト



プロフィール

gogotamu2019

Author:gogotamu2019
障害福祉・政治・平和問題の最新ニュース・論説紹介

最新記事

カテゴリ