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欧州は「複雑怪奇」(2019年9月2日配信『徳島新聞』ー「鳴潮」)

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 言うまでもなく「下手」である。近現代史を振り返れば、その証拠はごまんと集まる。そんな日本外交のあまりに象徴的な出来事が1939(昭和14)年、平沼騏一郎内閣の時に起きた

 この年の8月23日、独ソ不可侵条約が結ばれたのに衝撃を受け、右翼の巨頭でもあった平沼は、「複雑怪奇」の一言を残して政権を投げ出した。米国からは日米通商航海条約の破棄も通告されていた。世界情勢の急激な展開に、ついて行けなかったのである

 ノモンハン事件で軍事衝突したソ連と、同盟関係を模索していたドイツ。日本にとって敵味方の両国が手を握るとは、夢想だにしていなかったに違いない

 片やソ連は反ファシズムを掲げていたし、片やナチスの党是は反共産主義だった。抱えるイデオロギーは水と油。普通なら絶対に相いれない。しかし、歴史の悪魔が、その間に共通の利害を置くことがある

 「独ソ」には、秘密議定書が付属していた。そこには両国による領土の分割などが記されていた。東方の懸念がなくなったヒトラーが、ポーランドに攻め入ったのは80年前のきのう。第2次大戦はこうして始まった

 国際政治は、リアリズムが支配する世界である。主張が正当なら、それだけで認められるほど甘くはない。「複雑怪奇」な情勢に、あらゆる備えが必要だと歴史は告げている



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解説

 平沼 騏一郎(ひらぬま きいちろう、慶応3年9月28日(1867年10月25日)~1952年(昭和27年)8月22日。享年86(満84歳没)。

 父は津山藩士。明治21年(1888)東京帝国大学法科大学卒業。東京控訴院部長、大審院検事、司法省民刑局長等をへて44年司法次官。大正元年(1912)検事総長。8年臨時法制審議会副総裁。10年に大審院長に就任。12年第2次山本内閣司法相となる。翌年貴族院議員に勅選、枢密顧問官に任命される。また同年から復古的日本主義を唱え、国本社を主宰。のち枢密院副議長、議長を歴任。昭和14年(1939)首相。戦後A級戦犯として終身禁錮刑となった。



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