(論)カンヌ同時受賞に関する社説・コラム(2023年5月30日・6月2・7・11日)
- 2023/06/11
- 10:28

カンヌ映画祭で役所さん男優賞「パーフェクトデイズ」誕生の裏側 ...

カンヌ映画祭公式上映前にレッドカーペットに立った映画「怪物」の、左から是枝裕和監督、安藤サクラ、黒川想矢、柊木陽太、永山瑛太、坂元裕二氏
(2023年6月11日配信『しんぶん赤旗』-「潮流」)
昔から「複眼」という言葉をよく耳にしました。複眼のすすめとか、複眼的思考とか。いろいろな立場や角度からものごとを見て考える大事さを説いた本もありました
▼「単一のせまい範囲内に限定されたものの考えかたや価値観を越えて、もっと広い視野で自分や世界を多元的にとらえる能力」。以前、作家の片岡義男さんは「複眼とはなにか」にそうつづっていました
▼歴史や世界をとらえるときに欠かせない複眼。それは日常の出来事にも必要ではないか。公開中の映画「怪物」はそんなことを問いかけてきます。小学校で起きたトラブルをシングルマザーや教師、子どもたちの視点から描いていきます
▼見えない怪物というものを、映画を見た人たちがどこに見つけていくのか。是枝裕和監督は、言葉にできないことについての映画なので、簡単に言葉にできないという感想が一番うれしいと話しています
▼複雑な社会のありようや人間の内面を映し出してきた是枝監督。ものごとを単純化する傾向にある今のメディアに苦言を呈しています。「本来は事件や事故が起きたときに、どういう社会的な背景があるのか考えていくのが報道の役割だと思うんですが、社会的制裁をメディアが一緒になって加えていく」状況が一般的になってしまったと
▼自分にとっての正しさや価値観が他者への押しつけになってはいないか。人間同士が理解するためにはどうすればいいのか。複眼がいっそう求められる時代の中にあって考えさせられる作品です。
カンヌで脚本賞 映画「怪物」からの警告(2023年6月7日配信『東京新聞』-「社説」)

フランスのカンヌ国際映画祭で役所広司さんが男優賞を受賞し、脚本賞は是枝裕和監督=写真=の「怪物」を担当した坂元裕二さんが受賞した。是枝作品の受賞は、2018年の「万引き家族」での最高賞パルムドールなど5度目であり、今回ももちろん慶事だが、この作品が、痛々しい現実の反映である点にも留意したい。
2日から公開された「怪物」のあらすじで、一つの鍵となるのは学校での「体罰」だ。作中では、それが実際にあったのかが焦点になるが、そもそもこの国の学校や家庭などに体罰が全くなければ、生まれ得なかった作品であろう。
本来は自分たちを守り、育てるはずの大人の暴力で傷つき、命を失う子が多くいる。この映画は、体罰を根絶できない現状が前提であることを、まず心に留めたい。
さらに本作では、体罰の告発を巡って、人々の間に起きる断絶が描かれる。人々が自分の信じたい情報だけ信じ、都合の悪い情報は排除しがちな欠点を突くのだ。
そうした現代社会の傾向を助長するのが、ネットの普及だろう。人は、ものごとを判断する材料をかつてなく多く得る一方で、真偽不明の情報に踊らされてもいる。
以前は「民主主義のお手本」のように見なされていた米国でも、大統領選で敗北したトランプ氏が「選挙結果は盗まれた」と主張。それをうのみにした人々が、連邦議会議事堂を襲撃した信じがたい事件は、記憶になお新しい。
情報の過多と人々の断絶を巡る混迷は米国に限らず、日本でも、世界の各国でも起きている。その現実を深く憂える映画人の真剣な問いかけが映画「怪物」であり、またそれに共鳴した映画人からの応答が今回の贈賞であったろう。五輪か何かのように、「日本人の快挙!」と手放しで喜んでばかりではいられないゆえんだ。
洋の東西を問わず、怪物とは、昔から人間に何かを告げる役目を果たしてきた。怪物を指す英語の「モンスター」は「警告」を意味するラテン語が語源だという。
映画「怪物」が私たちに発する警告−。まずはじっくりと作品を観賞し、それを考えてみたい。
(2023年6月2日配信『山形新報』-「談話室」)
▼▽日本映画界の巨匠小津安二郎監督(1903~63年)の作品に欠かせない俳優といえば笠智衆(りゅうちしゅう)さん(04~93年)が浮かぶ。若い世代にはなじみが薄いか。「日本のお父さん」を連想する往年の映画ファンは多いだろう。
▼▽個人的に「秋刀魚(さんま)の味」(62年)が印象深い。妻に先立たれた父親を笠さんが演じた。家事全般は年頃の長女に任せきり。結婚話の中でわが子の本心に思いが至らないことを認め、詫(わ)びる。その娘が嫁いだ夜は千鳥足で帰宅。寂しさを押し殺すように独り、椅子に腰かける。
▼▽自然体と評された演技から人間味や素朴さが伝わってくる。笠さんに引かれるのは、何も日本のファンばかりとは限らない。小津作品に深く傾倒するビム・ベンダース監督は、俳優役所広司さんを「僕の笠智衆」と呼び、自らの新作「パーフェクトデイズ」の主演に据えた。
▼▽カンヌ国際映画祭で役所さんが男優賞を射止めた。ベンダース作品で台詞(せりふ)がほとんどないトイレ清掃員を演じ、高い評価を受けた。名演技は国境を超えて心を打つ。活躍の舞台はさらに広がるだろう。映画祭は同時に、笠さんという往年の名優に再び光が当たる場となった。
役所さん男優賞 高い演技力が世界を魅了した(2023年5月30日配信『読売新聞』-「社説」)
寡黙な主人公の心情を繊細に表現した高い演技力が世界に認められた。日本を代表する俳優の快挙を 称たた えたい。
カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で、東京を舞台にした「パーフェクト・デイズ」に主演した役所広司さん(67)が男優賞を受賞した。
日本人の男優賞は、是枝裕和監督の作品「誰も知らない」の柳楽優弥さん(33)以来、19年ぶりだ。役所さんは、「やっと柳楽君に追いついたかな。賞に恥じないように頑張らなければ」と喜んだ。
ベテランの快挙は、後進の励みとなるはずだ。
「パーフェクト・デイズ」は、東京都渋谷区に快適な公共トイレの設置を進める財団などのプロジェクトに関連して制作された。役所さんが演じる寡黙な公共トイレ清掃員の暮らしを描く内容だ。
ドイツの著名映画監督ヴィム・ヴェンダースさんがメガホンを取った。プロジェクトの趣旨に賛同したほか、役所さんと仕事をすることを熱望していたという。
役所さんは、実際にトイレ清掃を学ぶなど 真摯しんし に作品と向き合った。平凡な日常の中で小さな出来事に幸せを感じて生きる主人公を淡々と演じ、見る人を感動させたことが評価されたのだろう。
東京・千代田区役所に勤めていた役所さんは、1978年に俳優の仲代達矢さんが主宰する「無名塾」に入り、俳優業を始めた。96年には映画「Shall we ダンス?」など話題作に次々と主演し、演技賞を総なめにした。
97年には、カンヌで最高賞パルムドールに輝いた今村昌平監督の「うなぎ」で主演を務めたほか、ハリウッド映画にも出演し、国際的に高い評価を得ている。
どんな役もこなせる幅広い演技力に定評があり、受賞は遅かったとも言える。さらに活躍の場を広げてもらいたい。
今回のコンペティション部門では、是枝監督の新作「怪物」の脚本を担当した坂元裕二さん(56)も脚本賞を受賞した。この部門で日本人のダブル受賞は初めてだ。脚本賞は一昨年の「ドライブ・マイ・カー」以来、2度目となる。
海外では日本のアニメ映画が人気を集めることが多いが、今回の結果は実写映画でも日本の作品の質が高いことを証明した。役所さんのように、海外で認められる日本人俳優も徐々に増えている。
ベテランの偉業を喜ぶとともに、若い世代が積極的に映画作りに挑戦する契機とし、映画界の活性化につなげることが重要だ。
カンヌ同時受賞 日本を盛り上げる快挙だ(2023年5月30日配信『産経新聞』-「主張」)
世界最高峰の映画祭の一つ、フランスのカンヌ国際映画祭で日本の2作品が男優賞と脚本賞に輝いた。主要賞を同時受賞するのは初めてで、邦画のレベルの高さを示す快挙だ。日本映画界のさらなる隆盛につなげることを期待したい。
男優賞を射止めたのは、東京を舞台にした「パーフェクトデイズ」(ヴィム・ヴェンダース監督)主演の役所広司さんである。日本の俳優としては、2004年の「誰も知らない」(是枝裕和監督)で、当時14歳の最年少で受賞した柳(やぎ)楽(ら)優弥さん以来2人目、19年ぶりだ。
役所さんは1997年に同映画祭の最高賞を受賞した「うなぎ」(今村昌平監督)で主演するなど海外での知名度も高く、現代日本を代表する俳優の一人だ。今回演じたのは影のある寡黙な公共トイレの清掃員で、せりふがほとんどない難役を魅力たっぷりに演じた。辛口で有名な仏紙も「磁石のように人を引き付ける」と高く評価した。
一方、脚本賞を受賞したのは「怪物」(是枝監督)の坂元裕二さんだ。一昨年の「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督と大江崇(たか)允(まさ)さん以来2度目である。
坂元さんは「東京ラブストーリー」などトレンディードラマの旗手で、テレビ業界の第一線で活躍してきた人気脚本家である。最近では社会派ドラマも手掛け、「Mother」で橋田賞を受賞している。
両者の栄誉は、日本の映画界の実力を世界が評価した結果といえるだろう。またその背後にわが国が誇る巨匠たちの存在を感じさせるのも興味深い。
ドイツ出身のヴェンダース監督は小津安二郎監督を師と仰ぐ親日家で、昨年、第33回高松宮殿下記念世界文化賞(演劇・映像部門)を受賞した。今作品では日本の社会の片隅で生きる男の質素な日常とささやかな喜びを描いた。
仏メディアが黒澤明監督の「羅生門」に由来する手法であると指摘したのが坂元さんの手掛けた「怪物」だ。学校で起きた出来事を母親や教師、子供らそれぞれの立場から描き、その見え方が異なるという構成である。
日本で実績を重ねた俳優と脚本家が世界を舞台に実力を示した。最近ではスポーツ界の話題が多いが、映画でも日本全体を盛り上げてくれる快事である。
週に二、三度パンを買いにくる男がいる。買っていくのは古びた…(2023年5月30日配信『東京新聞』-「筆洗」)
週に二、三度パンを買いにくる男がいる。買っていくのは古びた安いパンだけ。裕福には見えない
▼パン屋の女主人はこの男がだんだん好きになる。ある日、男の古いパンにバターをこっそり塗って渡す。しばらくして男が店に戻ってくる。「なんてことを」。怒っている。男は設計士。古いパンを消しゴム代わりに使っていた。バターのせいで設計図は…。オー・ヘンリーの『魔女のパン』である
▼小学生のときに読み、こんな物語が書きたいと思ったそうだ。映画『怪物』でカンヌ国際映画祭の脚本賞に選ばれた脚本家の坂元裕二さん
▼おせっかいが引き起こす騒動は滑稽かもしれないが、物語をかみしめれば、女主人の孤独やわかり合えぬ人間同士のもどかしさがにじみ出てくる。人の悲しさを静かに見つめる坂元作品と同じにおいがする
▼脚本を書くにあたってプロット(筋立て)をあらかじめ作らず、代わりに登場人物の細かい「履歴書」をまずこしらえるそうだ。どんな子ども時代だったか。どんなことが嫌いでどんな癖があるのか。魅力的で奥行きのある人物を描く秘訣(ひけつ)だろう
▼「泣きながらご飯食べたことある人は、生きていけます」(『カルテット』)。坂元ファンには有名なせりふである。19歳でデビュー。が、一時、脚本から離れている。快挙の裏にこの人自身の「泣きながらご飯」の「履歴書」を想像する。
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