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ハンセン病法廷 司法の差別に向き合え(2019年11月22日配信『信濃毎日新聞』ー「社説」)

 ハンセン病元患者家族への補償法が成立した。家族にも深刻な差別が及んだ責任を国が認め、被害の回復を図ることは大きな一歩だが、これですべてが解決するわけではない。

 見落とせないことの一つが隔離施設内に設けた「特別法廷」の問題だ。裁判としての公正さを欠く上、不当な刑罰を科された疑いがある。1950年代に熊本で起きた菊池事件はそれを象徴する。

 検察が再審を請求しないのは違法だとして、元患者らが国に賠償を求めた訴訟が熊本地裁で結審した。「冤罪(えんざい)が晴らされない限り、私たちも人としての尊厳を回復できない」。原告の一人、志村康(やすし)さんは最終弁論で訴えた。

 ハンセン病患者とされた男性が殺人罪に問われた事件である。一貫して無実を主張したが、死刑が確定し、62年に執行された。

 特別法廷では、裁判官、検察官、弁護人がいずれも白衣と手袋を着け、証拠物を火箸や割り箸で扱ったという。国選弁護人は検察が提出した証拠にすべて同意し、弁護らしい弁護をしなかった。

 冤罪の可能性はかねて指摘されてきた。凶器とされた短刀や男性の着衣に血痕はなく、関係者の証言にも不自然さが目立つ。

 差別を恐れて遺族が再審を請求できないことを踏まえ、元患者らは2012年に、検察による再審請求を要請した。公益の代表として検察にはその権限がある。

 けれども最高検は、理由がないとして応じなかった。今回の裁判でも国側は、検察官による再審請求の目的は社会の秩序維持という公益であり、個別の国民の利益保護ではないと述べている。

 耳を疑う主張だ。不公正な裁判によって刑罰を科されることがあってはならないし、冤罪は重大な人権侵害である。ましてこの事件では、死刑によって命が奪われている。個人の尊厳や生命をないがしろにして成り立つ「社会の秩序」や「公益」とは何なのか。

 特別法廷は、憲法が定める「公開の法廷」とは言いがたい。患者であることを理由にした差別は、法の下の平等にも反する。

 特別法廷は70年代までに95件開かれた。菊池事件をめぐる今回の裁判は、元患者や家族ら差別被害を受けた人たちすべての尊厳の回復に関わっている。

 明治期から90年に及んだ患者の強制隔離政策によって、社会に染み込んだ差別意識の根は深い。その克服に向け、司法、検察が自らも差別に加担してきた責任にどう向き合うかが問われている。




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