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中村哲氏死去 その志は暴力に屈しない(2019年12月6日配信『西日本新聞』ー「社説」)

 あまりに突然で痛ましい知らせに、悲憤と悔しさがこみ上げて仕方がない。その活動は、世界にも類例のない草の根の国際貢献だった。

 戦火と干ばつによって荒廃したアフガニスタンの大地で、人々の暮らしを支え続けた福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表、中村哲医師(73)=同市出身=がきのう、現地で凶弾に倒れた。

 車で移動中に武装した男らに襲われ、中村さんを含む計6人が死亡した。事件が起きたのはイスラム過激派組織などが活動し、治安が悪化している東部のナンガルハル州である。

 誰が、どんな目的で、襲ったのか。詳しい事実関係や背景は不明だが、決して正当化されることのない愚かな行為だ。

 ▼義と情からの国際貢献

 困っている人を見捨てられない‐。「義」と「情」に突き動かされた活動だった。かつて北九州・若松で港湾荷役を取り仕切った玉井金五郎を祖父に持つ人らしい、気概であろう。

 1984年、アフガン国境に近いパキスタンのペシャワルを拠点にハンセン病患者らの治療活動を始めた。そこで知ったアフガン難民の窮状が、地域を再建していく壮大な支援へと中村さんを駆り立てた。

 ペシャワール会の支援で、アフガンの無医地区に診療所を開設する一方、干ばつに苦しみ飲料水の確保もままならない人々のために自ら井戸を掘り、農作物の作り方を教え、現地の人々と手を携えて、幾多の水路を完成させた。すると、大干ばつで無人となった村々に住民が戻り始めた。赤茶けた荒れ地が緑の農地としてよみがえった。

 政治的な背景を伴いがちな国際社会のアフガン支援とは距離を取り、独立独歩を貫いた。

 ペシャワール会の活動を国際協力というより「九州‐アフガン東部の地域間協力」と表現したこともある。

 国家に頼らない。あくまで人と人の「泥くさい義理人情や素朴な共感」に支えられ、アフガンの大地に立ってきた。

 その志を30年以上にわたり持続した。生半可な覚悟でできることではない。

 ▼戦では何も解決しない

 中村さんが最初に現地に入ったのは、旧ソ連の介入で深刻化したアフガニスタン紛争のまっただ中だった。2001年に米中枢同時テロが起きると、米軍はアフガンの首都カブールへの空爆を開始した。長期にわたる政情不安の始まりだった。

 08年には、中村さんと一緒に活動していた伊藤和也さん=当時(31)=が武装グループに拉致、殺害される痛ましい事件も起きた。この憤りと悲しみを友好と平和への意志に変える。そう誓った中村さんまでが、不法な暴力に命を奪われた。

 中村さんの活動は、戦争や内戦がもたらす恐怖と悲惨のすぐ傍らで続けられてきた。文字通り命懸けの「丸腰の途上国支援」だった。今、深い悲しみとともに、そう実感するばかりだ。

 アフガニスタンの人々は日本に親密な感情を抱いている。中村さんは自信を持って、そう繰り返してきた。「戦争をしない平和な国」というイメージが友好関係の下地にあるとも話していた。それだけに、安倍晋三首相による安全保障政策の転換には強い懸念を示してきた。

 中村さんは、武力や軍事力で自分を守ることができるという考えを「迷信だ」と一蹴していた。「暴力に対して暴力で報復するのではなく、人が餓死するような状態を解消しなければテロは根絶できない」と強い口調で語り、アフガン復興に全てをささげて取り組んだ。

 「平和の維持には戦争より勇気と忍耐がいる」

 非業の死を前に、私たちは中村さんから託された、このメッセージを決して手放してはならない。



なぜ生きるか(2019年12月5日配信『佐賀新聞』ー「有明抄」)

 自殺しようとした患者から、こう尋ねられて言葉に詰まった。「生きることに意味感がないのです。先生はなぜ生きているのですか」

◆1973(昭和48)年、東脊振村の国立肥前療養所(当時)に赴任した中村哲さんの思い出である。山歩きが好きで昆虫学者ファーブルのような暮らしを夢想していた若き精神科医に突きつけられた深い問いだった

◆アフガニスタンで地道に用水路を築いてきたペシャワール会の活動が知られるようになると、多くの若者が現地へ支援に向かった。最初はボランティアの意義や国際問題を熱く語る彼らだが、溝を掘るにもショベル一つ満足に使えない。大国意識が根付いた日本に育った若い世代が「役に立たない自分」を発見することこそ大切なのだ、と中村さんは説いた

◆〈私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足る〉。アフガンから世界の抱える矛盾と苦悩について、平和と地球温暖化の問題について、警鐘を鳴らし続けた中村さんが凶弾に倒れた

◆東西冷戦が産み落とした難民への医療支援から、90年代以降のグローバル化を遠因とした「テロ戦争」の焦土の緑化へ。中村さんの歩みは現代史の暗がりを照らしてきたように見える。冷戦終結から30年、世界はなお寛容さを失っている。中村さんも、その犠牲者である。



人道の最先端でまたも犠牲(2019年12月5日配信『宮崎日日本新聞』ー「くろしお」)

 悪夢がよみがえった。2003年11月、イラクで復興支援の会議へ車で移動中に襲撃されて殺害された日本人外交官2人。その1人都城市出身の井ノ上正盛書記官=当時(30)=は幼い長男と身重の妻がいた。

 そしてまた、人道支援の最先端で活動する希少な人材が失われた。アフガニスタンで長年、農業用水路の建設など復興に携わってきた医師の中村哲さん。車で移動中に銃撃されて死亡した。戦火で荒廃した地を復興させることの困難に挑んだ意志を思うと胸が痛む。

 本紙の取材で、中村さんは「現地の病気は9割以上が清潔な飲料水と十分な食べ物があればかからない」としてかんがい工事の必要性を強調。「今は医師の白衣を着るより工事現場監督」と笑っていた。記者によると「少年のようにとても澄んだ目が印象的だった」という。

 多額の経費はほとんどが募金。理解を得るため本県でも度々講演した。「旧タリバンは独裁国家ではなく地域の自治を尊重する統治方式だった。崩壊後の方が最悪の状態」と語り「悪のタリバン、正義のアメリカ」という一般的な見方に対し現地では違う見方があることを知った県民は多いはずだ。

 「正直、活動をやめたいと思ったことは」。記者の問いに中村さんは「何度もある」と答えた。「でも目の前に患者がいれば逃げ出すわけにはいかない」とも。人道支援の犠牲を無駄にしないために何ができるか。平和な場所にあっても重い問いを考えていたい。



<蛇籠(じゃかご)積み雪解水(ゆきどけみず)を沙漠まで>(2019年12月5日配信『信濃毎日新聞』ー「斜面」)

松本市の俳人宮坂静生さんは2010年秋、北九州でアフガニスタンから帰国中の中村哲さんを招き、講演を聴いた。高山の万年雪が解け地中に染み込んだ水を井戸を掘ってくみ上げる。砂漠をかんがいする活動に胸が詰まったという
   ◆
用水路の岸に日本古来の工法を採り入れたことにも心動かされたのだろう。<蛇籠(じゃかご)積み雪解水(ゆきどけみず)を沙漠まで>と詠んだ。本紙に掲載された宮坂さんのエッセー「命の根源『水』」にある。中村さんが現地で銃撃に遭い亡くなったとの報道を受け読み返した
   ◆
中村さんは15年「梅棹(うめさお)忠夫・山と探検文学賞」授賞式で長野市の信毎本社を訪れた。受賞作「天、共に在り」は医療から、かんがいに転じた半生を記している。「一木一草もなかった地域に緑が戻り農民が戻った。自然と和解すれば大きな恵みがある」。授賞式の言葉は奥が深い
   ◆
この年、国会では集団的自衛権行使を認める安保法制が論議されていた。本紙記者に語っている。軍事力を使わない日本人だから命拾いをしたことがある。最近の安倍晋三首相の言動には肝が冷える。日本はいま、自分から敵をつくろうとしている、と
   ◆
誰が何のために中村さんに銃口を向け引き金を引いたのか。胸が煮える。アフガンには季節の花を囲み即興詩を吟ずる伝統がある。戦乱などで廃れていた。再生した名産のオレンジ畑で花が咲き香りが漂う早春、歌会の復活を期待する住民が多い。中村さんも心待ちにしていたに違いない。





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