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中村哲医師死亡 平和貢献の信念貫いた(2019年12月8日配信『茨城新聞』ー「論説」)

アフガニスタンで医療や農業の支援活動を続けてきた福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表、中村哲医師が銃撃され、死亡した。市民による丸腰の支援こそが平和に貢献するという信念を貫き、危険と隣り合わせのアフガン支援に大きな足跡を残した。

その命を奪った理不尽な事件に憤りと悔しさを禁じ得ない。長年の経験を踏まえ、軍事行動でなく「信頼が安全保障」と訴えた中村さんの思いを、今こそ胸に刻みたい。

誰がどういった狙いで銃撃したのか詳細は明らかでないが、中村さんは活動拠点を置く東部ナンガルハル州で、宿舎からかんがい作業の現場に向かう途中、乗っていた車が武装集団の銃撃を受け、運転手らとともに犠牲になったという。反政府武装勢力タリバンに加え、過激派組織「イスラム国」(IS)も活動する治安の悪い地域だ。

中村さんは1984年にパキスタン北西部ペシャワルで医療活動を始め、内戦下のアフガンから国境を越えて来る難民を治療し、91年にアフガンのナンガルハル州に診療所を開いた。2000年の干ばつで感染症が広がると、井戸掘りや用水路建設なども始めた。アフガン政府から18年に勲章を授与され、今年10月には名誉市民権を与えられた。アジアのノーベル賞といわれる「マグサイサイ賞」も受賞した。

アフガンでは01年9月11日の米中枢同時テロ後に、米軍などの攻撃でタリバン政権が崩壊したが、混迷が続く。今年9月に大統領選が実施されたが、開票作業を巡る対立などで暫定結果の発表さえできていない。

和平の実現に意欲を燃やすトランプ米大統領は11月に就任後初めてアフガンを予告なしに訪問し、タリバンとの和平協議再開を明らかにしたが、協議が順調に進むか予断を許さない上、和平をにらむ各勢力の動き次第で、情勢が流動化する可能性もある。

医療にとどまらず、紛争の背景にある水不足や貧困をなくそうとした中村さんの視野の広さと行動力は特筆に値する。干ばつ対策では「平和を取り戻すためには水が必要」と土木工学を独学し、機械を使わず人力による工法を試みた。貧困層の子供のためにマドラサ(イスラム神学校)の建設に乗り出した。

そうした貴重な経験を踏まえた著作は多くの読者を得ており、農業農村工学会(旧農業土木学会)の学会賞や、城山三郎賞などに選ばれた著書もある。

危険地帯で支援団体が身の安全をどう確保するかは難しい問題だ。活動を継続するか撤退するか。銃を持った警備を付けるか。判断が分かれることも少なくない。

ペシャワール会では08年、用水路建設に携わっていた伊藤和也さんが武装勢力に銃撃され、死亡した。それ以降、日本人の現地入りは制限してきたが、中村さんは現場に立ち続けたという。

中村さんは国会参考人などさまざまな場で、軍事的手段は市民の活動の危険をむしろ高めると説いた。「前は、日本は国連以上に信頼されていた。日本の旗をつけていれば、武装集団に襲われることはなかった。9・11以降は日の丸を揚げていると逆に危なくなった」。安全保障や平和構築を、市民レベルで語り続けた中村さんの言葉をかみしめたい。



平和を願う遺志をどう継いでいけばいいのか(2019年12月8日配信『茨城新聞』ー「いばらき春秋」)

きょうはビートルズの元メンバー、ジョン・レノンが米ニューヨークの自宅前で凶弾に倒れた日だ。来年は没後40年になるが、生きていれば80歳。どんな曲を作り続けたか想像するだけで本当に惜しい人を亡くしたと思う

▼来年はビートルズ解散から半世紀でもある。今年はメンバー4人が横断歩道を渡るジャケット写真の人気アルバム「アビー・ロード」発売50周年の記念盤が全英チャートで再びトップに立った。人気はいまだ衰えない

▼ソニーの音楽子会社がビートルズの関連グッズを北米市場向けに販売する権利を取得するなど商売熱は高まる一方。来年は解散50年で新企画もめじろ押しとなりそうで商魂たくましい

▼解散後、ジョン・レノンは反戦運動に没頭し、平和な世界を願った「イマジン」などの名曲を残した。お忍びで何度か来日しており、俳句の美しさにほれ込み、「イマジン」も俳句の影響を受けていたとされる

▼だが平和への願いは届かず、世界は約40年にわたって続いた東西冷戦後も湾岸戦争やイラク戦争と平和な世界にはほど遠い

▼アフガニスタンで非政府組織の日本人医師が武装した男らに銃撃され、死亡したのは衝撃的な事件だった。平和を願う遺志をどう継いでいけばいいのか。



北九州市若松区の高塔山にこんな詩碑がある…(2019年12月7日配信『西日本新聞』ー「春秋」)

 北九州市若松区の高塔山にこんな詩碑がある。<泥によごれし背嚢(はいのう)に/さす一輪の菊の香や>。作者は若松出身の芥川賞作家、火野葦平である

▼日中戦争に出征した葦平。弾薬が詰まった背嚢を背負い、大陸を泥にまみれ行軍した。その体験を記した兵隊3部作のヒットで国民的作家となるが、戦後は「戦犯」の烙印(らくいん)に苦悩した

▼3部作の一つ「土と兵隊」にこんなシーンが。中国軍とにらみ合う闇夜の陣地に赤ん坊の泣き声が響く。戦闘の巻き添えになった母子だった。葦平は銃弾が飛び交う下をはって母子の元へ。虫の息の母親に布団を掛け、赤ん坊は凍えぬよう布団でぐるぐる巻きにした

▼戦場での真実の物語は米国のノーベル文学賞受賞者に感銘を与えた。中国を舞台に大河小説「大地」を著したパール・バックである。同じ米国出身で2月に亡くなったドナルド・キーン氏も「感動的で、人間味溢(あふ)れる事件に打たれた」と記した

▼そんな人間味あふれる現場主義者、葦平の血脈を持つ人が帰らぬ人となった。葦平のおいの中村哲さん。危険なアフガニスタンでかんがい事業に突き進む姿に、兵隊と苦楽を共に死地インパールまで赴いた葦平の姿を重ねていたが…

▼民の生活が改善すると困る勢力でも現地にいるのか。疑問と憤怒が渦巻く頭に葦平の詩が浮かぶ。<兵隊なれば、兵隊はかなしきかなや>。悲しくて悔しくてやりきれない。必ず真相解明を。



「信頼が安全保障」継承を/中村哲医師銃撃死(2019年12月6日配信『東奥日報』ー「時論」)

 アフガニスタンで医療や農業の支援活動を続けてきた福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表、中村哲医師が銃撃され、死亡した。市民による丸腰の支援こそが平和に貢献するという信念を貫き、危険と隣り合わせのアフガン支援に大きな足跡を残した。

 その命を奪った理不尽な事件に憤りと悔しさを禁じ得ない。長年の経験を踏まえ、軍事行動でなく「信頼が安全保障」と訴えた中村さんの思いを、今こそ胸に刻みたい。

 誰がどういった狙いで銃撃したのか詳細は明らかでないが、中村さんは活動拠点を置く東部ナンガルハル州で、宿舎からかんがい作業の現場に向かう途中、乗っていた車が武装集団の銃撃を受け、運転手らとともに犠牲になったという。反政府武装勢力タリバンに加え、過激派組織「イスラム国」(IS)も活動する治安の悪い地域だ。

 中村さんは1984年にパキスタン北西部ペシャワルで医療活動を始め、内戦下のアフガンから国境を越えて来る難民を治療し、91年にアフガンのナンガルハル州に診療所を開いた。2000年の干ばつで感染症が広がると、井戸掘りや用水路建設なども始めた。アフガン政府から18年に勲章を授与され、今年10月には名誉市民権を与えられた。アジアのノーベル賞といわれる「マグサイサイ賞」も受賞した。

 アフガンでは01年9月11日の米中枢同時テロ後に、米軍などの攻撃でタリバン政権が崩壊したが、混迷が続く。今年9月に大統領選が実施されたが、開票作業を巡る対立などで暫定結果の発表さえできていない。

 和平の実現に意欲を燃やすトランプ米大統領は11月に就任後初めてアフガンを予告なしに訪問し、タリバンとの和平協議再開を明らかにしたが、協議が順調に進むか予断を許さない上、和平をにらむ各勢力の動き次第で、情勢が流動化する可能性もある。

 医療にとどまらず、紛争の背景にある水不足や貧困をなくそうとした中村さんの視野の広さと行動力は特筆に値する。干ばつ対策では「平和を取り戻すためには水が必要」と土木工学を独学し、機械を使わず人力による工法を試みた。貧困層の子供のためにマドラサ(イスラム神学校)の建設に乗り出した。

 貴重な経験を踏まえた著作は多くの読者を得ており、農業農村工学会(旧農業土木学会)の学会賞や、城山三郎賞などに選ばれた著書もある。

 危険地帯で支援団体が身の安全をどう確保するかは難しい問題だ。活動を継続するか撤退するか。銃を持った警備を付けるか。判断が分かれることも少なくない。ペシャワール会では08年、用水路建設に携わっていた伊藤和也さんが武装勢力に銃撃され、死亡した。それ以降、日本人の現地入りは制限してきたが、中村さんは現場に立ち続けたという。

 中村さんは国会参考人などさまざまな場で、軍事的手段は市民の活動の危険をむしろ高めると説いた。「前は、日本は国連以上に信頼されていた。日本の旗をつけていれば、武装集団に襲われることはなかった。9.11以降は日の丸を揚げていると逆に危なくなった」。安全保障や平和構築を、市民レベルで語り続けた中村さんの言葉をかみしめたい。




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