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「井戸を掘った人」(2019年12月11日配信『西日本新聞』ー「春秋」)


 昭和から平成へと元号が変わった1989年に92歳で亡くなった彼は日中間の「井戸を掘った人」だ。岡崎嘉平太(かへいた)。72年の国交正常化に先立ち、日中間の民間貿易を主導した実業家

▼当時の周恩来首相と深い信頼関係を築き、田中角栄首相が訪中する環境を整えた。元全日空社長としても知られる

▼水を飲む時には井戸を掘った人のことを忘れてはならない|。中国で伝わるこの言葉になぞらえ、周は岡崎を「井戸を掘った人」とたたえたと言われる

▼平成から令和へと元号が変わった今年、非政府組織(NGO)ペシャワール会の現地代表、中村哲さん(73)がアフガニスタンで命を奪われた。こちらは文字通り、井戸を掘り続けてきた人である

▼戦乱と干ばつで荒廃したアフガンで、現地の人々とともに掘った井戸は1600本。用水路建設も進め、緑の大地を蘇(よみがえ)らせてきた。命の源は水であり、農業の再興にも欠かせない。そして非軍事分野での支援こそが日本の国際貢献の道であると語ってきた

▼首都カブールの空港でガニ大統領に送られた柩(ひつぎ)はきのう、福岡に着いた。九州在住のアフガンの人々も集まり、感謝と哀悼の涙に包まれた。中村さんの名は決して忘れない、と。きょうは国際人権デー。国連で世界人権宣言が採択された日だ。中村さんの非業の死は悔しくてならない。しかし、彼の遺志をいかに受け継いでいくか。私たちもまた問われている。



国づくり(2019年12月11日配信『佐賀新聞』ー「有明抄」)

 つらい気持ちになった。凶弾に倒れた医師中村哲さんの棺ひつぎである。アフガニスタンのガニ大統領自ら先頭で担いでいたが、日本に到着した時の政府関係者は外務副大臣ら数人が出迎えただけだったからだ。この差はどこからくるのだろうか

◆無言の帰国。ニュースを見ようとNHKにすると臨時国会閉幕を受けて記者会見する安倍晋三首相が映し出されていた。2カ月余りの会期で不祥事や疑念が続出し、その説明をする機会だったろうが、明確な回答はないまま。延々と続く中継に正直、辟易へきえきした

◆会見で彼はこんなことを言っていた。「国のかたちに関わる大改革に挑戦し、新たな国造りを力強く進めていく」「必ずや私の手で成し遂げたい」。都合の悪いデータは出し渋り、詭弁きべんを弄して逃げ回る。国会軽視ともいえる政権のトップが強調する「新たな国」とはどんな姿なのか

◆この日、政府の2020年度予算案の一般会計総額が100兆円を超えて過去最大を更新すると報じられた。「桜を見る会」のようなお金の使い方をしていては財政再建などできるはずもない。消費税を上げても、歳出拡大が止まらないようでは将来に負担を強いるだけだ

◆ことに防衛費は8年連続で増え最大を更新する。「平和に武器はいらない」。中村さんのアフガンでの活動を支えた信念に思いをはせたい。



中村哲さんが貫いた「支援」とは(2019年12月11日配信『日刊スポーツ』―「政界地獄耳」)

★積極的平和主義という言葉が政治の世界で使われたのは15年8月14日、首相・安倍晋三が出した「終戦70周年談話」でだが、その前の民主党の首相・野田佳彦の下に開かれた国家戦略室フロンティア分科会の報告書には「能動的な平和主義」という言葉が使われている。13年に安倍政権の下、国家安全保障会議(NSC)が設置され、国家安全保障戦略第11章1項には「我が国の平和と安全は我が国一国では確保できず、国際社会もまた、我が国がその国力にふさわしい形で、国際社会の平和と安定のため一層積極的な役割を果たすことを期待している」と記される。

★それは「日本が軍事的活動を行わない事が国際平和に寄与する」とした考えを「消極的平和主義」と認定し戦後の平和主義は受け身であり、能動的に平和への関与をすべきという世界の要請に応えるものと定義づけられているが、それがすべて正しいとは言い難い。この考えに沿えば人道支援も結構だが、軍事的関与の方がより平和的だという理屈になる。本当にそうだろうか。

★4日、アフガニスタン東部で銃撃され死亡した非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表で医師の中村哲は、07年に東洋経済に「『殺しながら助ける』支援というものがありうるのか。干渉せず、生命を尊ぶ協力こそが、対立を和らげ、武力以上の現実的な『安全保障』になることがある。これまで現地が親日的であった歴史的根拠の一つは、戦後日本が他国の紛争に軍事介入しなかったことにあった」と寄稿している。

★8日午後、成田空港に到着した中村の亡きがらは外務副大臣・鈴木馨祐が迎えた。9日午後、衆院本会議場では同議長・大島理森が「犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の方々に衷心より哀悼の意を表する」と述べ中村ら犠牲者に黙とうをささげた。政府には人道支援についても中村の遺志を継ぐ積極的評価をしてもらいたい。



「飲水思源(いんすいしげん)」(2019年12月10日配信『福井新聞』ー「越山若水」)

 「飲水思源(いんすいしげん)」。中国に昔から伝わる故事成語である。物事の根源の大切さを歌った漢詩から引用され、その後「水を飲むとき、井戸を掘った人を忘れるな」ということわざが生まれた

▼困ったときに受けた恩義には感謝すべしと説いた教訓は、すべての人間に通じる普遍的な真理だろう。日本では1972年の日中国交正常化の際、当時の周恩来首相が訪中した田中角栄首相を迎えた席で敬意を示した言葉として伝えられ、広く知られるようになった

▼「井戸を掘った人」にこの人物ほどピッタリする人はいなかった。アフガニスタンで銃弾に倒れたNGO「ペシャワール会」現地代表の医師、中村哲さんである。戦火と干ばつと貧困に苦しむアフガンの大地で、水不足や農地整備の人道支援活動を長らく続けてきた

▼掘った井戸は1600本以上。建設した用水路は25キロに及び、1万6500ヘクタールの乾いた土地が緑の農地に生まれ変わった。和平実現には貧困解消が先決と、文字通り粉骨砕身で取り組んだ。その献身ぶりは中村さんの棺(ひつぎ)をガニ大統領自身が担いだことでも明らかだ

▼「あなたは私たちのヒーローです!」。まさに信念の人、しかし道半ばで倒れた中村さんの遺体が地元福岡空港に到着した。九州在住のアフガニスタン人も大勢哀悼に訪れ、弔意と感謝の気持ちを口にした。井戸を掘った人を絶対に忘れない―と。



「私たちのヒーローです」「守れなくて申し訳ない」(2019年12月10日配信『東京新聞』ー「筆洗」)

 ある少年がこんなことを思いつく。1人が3人に対して何か善いことをする。同時にこんなルールを置く。善いことをしてもらった人は別の3人に対し、何か善いことをしてあげる。これが実現すれば、ひどい世界も少しはましにならないか。米映画の「ペイ・フォワード 可能の王国」(2000年)はこんな物語である

▼映画の中で、少年は不幸にして亡くなるが、その晩、少年の死を悼み、国中から大勢の人間が少年の家へと集まりだす。家に向かう車のヘッドライトがどこまでもどこまでも続く。美しいラストシーンを思い出している

▼アフガニスタンの復興に尽力しながら同国東部で殺害された医師の中村哲さんの遺体が帰国した。空港に在日アフガニスタン人が集まって「私たちのヒーローです」「守れなくて申し訳ない」の横断幕を掲げる。冥福を祈っている

▼「裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる」。中村さんの言葉だ。手を差し伸べた現地で、殺害されるという理不尽な事件と、その言葉はあまりにかけ離れている。事件当初はそう感じたが、間違っている

▼その死を心から悼む姿を見れば、中村さんの誠実さは、中村さんの起こした奇跡は、あの言葉通り、アフガニスタンの人の心に深く触れたのだ。そう信じる

▼中村さんが人々の心に残したもの。それは生き続ける。広がっていく。



昭和から平成へと元号が変わった1989年に92歳で亡くなった彼は…(2019年12月10日配信『西日本新聞』ー「春秋」)


 昭和から平成へと元号が変わった1989年に92歳で亡くなった彼は日中間の「井戸を掘った人」だ。岡崎嘉平太(かへいた)。72年の国交正常化に先立ち、日中間の民間貿易を主導した実業家

▼当時の周恩来首相と深い信頼関係を築き、田中角栄首相が訪中する環境を整えた。元全日空社長としても知られる

▼水を飲む時には井戸を掘った人のことを忘れてはならない|。中国で伝わるこの言葉になぞらえ、周は岡崎を「井戸を掘った人」とたたえたと言われる

▼平成から令和へと元号が変わった今年、非政府組織(NGO)ペシャワール会の現地代表、中村哲さん(73)がアフガニスタンで命を奪われた。こちらは文字通り、井戸を掘り続けてきた人である

▼戦乱と干ばつで荒廃したアフガンで、現地の人々とともに掘った井戸は1600本。用水路建設も進め、緑の大地を蘇(よみがえ)らせてきた。命の源は水であり、農業の再興にも欠かせない。そして非軍事分野での支援こそが日本の国際貢献の道であると語ってきた

▼首都カブールの空港でガニ大統領に送られた柩(ひつぎ)はきのう、福岡に着いた。九州在住のアフガンの人々も集まり、感謝と哀悼の涙に包まれた。中村さんの名は決して忘れない、と。きょうは国際人権デー。国連で世界人権宣言が採択された日だ。中村さんの非業の死は悔しくてならない。しかし、彼の遺志をいかに受け継いでいくか。私たちもまた問われている。



「不治の病」である暴力の連鎖(2019年12月10日配信『熊本日日新聞』ー「新生面」)

「治らない病気を前にして、医師は何ができるか」。水俣病研究の第一人者であった故原田正純さんが、自身の活動の原点として繰り返し語っていた

▼「今まで何回も診てもろうたけど、治らんからいい」。診察を断る患者の言葉を、「深い問い掛け」と受け止めた原田さんは、社会の病理に目を向ける。「水俣病の根本的な原因は人を人と思わない差別の構造だ」と

▼この人もまた、「治らない病気」を前にして、深く思いを巡らせた医師ではなかったか。アフガニスタンで支援活動中に殺害された中村哲さんである

▼赤痢などの腸感染症によって乳幼児が次々と亡くなる修羅場を経験して、その原因が飲料水の欠乏にあることを知る。さらにその根本には戦乱と貧困があることも。軍隊に守られるような活動をかたくなに拒んだのは、アフガンの「不治の病」である暴力の連鎖を、自ら断ち切るという覚悟であったのだろう

▼2001年の米中枢同時テロ後、米軍による報復爆撃が迫り、一時撤退を余儀なくされた時。中村さんは現地スタッフらに「必ず帰ってくる」と約束した後、次のように語りかけたという。「死を恐れてはなりません。しかし、私たちの死は他の人々のいのちのために意味を持つべきです」

▼思えば、中村さんも原田さんも、その痛烈な社会批判の訴えとは裏腹に、声高には語らない人だった。中村さんの遺体が帰国したのは12月8日。太平洋戦争開戦から78年の節目の日であったのも、無言のメッセージであったように思える。



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