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<東京2020 彩る人々>(2)ボッチャ 草加出身の有力選手・高橋和樹さん(2020年1月3日配信『東京新聞』)

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鋭い表情で投球する高橋さん(右)と峠田さん。東京パラで「頂点を目指します」と意気込む=東京都品川区で

 黒く艶めくマッシュルームヘアがひときわ目立つ。職場の女性をまねたという草加市出身のボッチャ選手・高橋和樹さん(39)。2016年に準優勝した世界選手権では「マッシュルームジャパン、コングラチュレーション」と歓声が飛んだ。有志の応援会が、この髪形の似顔絵を描いた缶バッジを用意し「もう変えられない」と笑う。

 穏やかな表情は、試合になると一変する。鋭い目で的の白いボールを捉え、投球の角度や飛距離をミリ単位で判断。練習で蓄積されたデータだけでなく、会場の湿度や床のわずかな傾きまで考慮するという。

 小学校から高校までは、全国大会出場経験もある柔道少年で「年間361日、柔道漬けだった」。高校2年時の練習試合で首を骨折して1年半入院。以来、鎖骨から下の体は感覚がなく、睡眠時以外は生活介助を受ける。

 16歳で訪れた車椅子生活。だが、「けがしたくらいで人生つまんなくなるのが嫌」と、いつも前を向いていた。「40歳をワクワクしている自分で迎えたい」と思い描く中、ちょうど40歳になる20年に東京パラリンピックの開催が決まった。重度の障害でも出場できる可能性があると、14年に始めたのがボッチャだった。

 わずか1年9カ月後の15年日本選手権で優勝し、翌16年の世界選手権で準優勝。同年リオデジャネイロパラで一勝を挙げた。鮮烈なデビューを飾ったが、競技アシスタントの峠田(たおだ)佑志郎さん(32)は「センスはない、努力の人」と評す。

 東京パラに全てを注ぐため、18年2月から練習環境が整う企業フォーバルに所属。昨年4月からは、峠田さんが生活介助者となり、練習以外の時間も共に過ごしている。「練習は地味でつらい。でも勝つためなので、好きですよ」。そう話す目は、思い描いた通りにワクワクしていた。 

◆埼玉ボッチャクラブコーチ・吉川博史さん

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小堀選手(右)と練習に励む吉川さん。「東京パラでボッチャの面白さが知られてくれれば」と期待する=春日部市で

 「青の球を飛ばそうか。そうすれば、赤球は1個残るしね」

 昨年12月上旬、春日部市内の体育館。埼玉ボッチャクラブのコーチ吉川博史(ひろし)さん(64)=越谷市=は、小堀逸也(いつや)選手(40)=同=に話し掛けた。練習にもかかわらず、コート上の球を見つめる2人の表情は真剣そのものだ。

 吉川さんは、選手自身が投球できない重度障害のクラス「BC3」の競技アシスタントだ。「ランプ」と呼ばれる滑り台のような投球用具を選手の意思の通りに調整する。これまでアテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロのパラリンピックを経験。リオでは高橋和樹選手の担当コーチを務め、BC3では日本初のパラ大会一勝に貢献した。

 ボッチャに出合ったのは1996年のこと。特別支援学校の教員としてローリングバレーや車いすダンスなど、さまざまな障害者スポーツに関わった。中でもボッチャは「体を動かすことができない生徒でも主体的にプレーできる」と感じ、のめり込んだ。

 東京パラが近づき、障害者スポーツへの関心はますます高まっている-との見方もあるが、「イメージが先行しているだけで、大きな変化はない」と冷静な受け止めだ。トップ選手が企業からアスリートとして雇用され、競技生活の基盤が整えられる一方、「選手にアシスタントが同行できない。アシスタントの勤務先が許可してくれない」と現状を憂える。

 もちろん、期待感はある。「観客が競技の面白さを知り、本当にいいプレーがあった時に拍手が湧き起こる。東京パラがそんな大会であってくれたら」 

<ボッチャ> 四肢まひなど重い障害がある人のために欧州で考案されたスポーツで、イタリア語で「ボール」の意味。最初に投げる白いボールを的とし、先攻と後攻に分かれてボールを6個ずつ投げ、的にいかに近づけるかを競う。カーリングと似ているが、的のボールを動かせるため一発逆転もあるのが見どころ。障害の程度ごとにクラス分けされ、個人戦、ペア戦、3人の団体戦がある。ボールを手で投げることが難しい選手は、滑り台(ランプ)に載せて転がしたり、アシスタントをつけたりすることなどが認められている。




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