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高橋まつり(電通過労死)

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【電通過労死から4年】高橋まつりさん母が今も後悔する「娘との最後の電話」(2019年12月26日配信『アエラドットコム』)

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高橋まつりさん。学生時代には「週刊朝日」のインターネット放送に出演していた

「娘を失った悲しみはどんなに時が過ぎても癒えることはありません」

 大手広告会社、電通の社員だった高橋まつりさん(当時24)が長時間労働などを苦に自殺して4年になる。まつりさんの命日となる25日、母の幸美さん(56)が手記を公表した。

 まつりさんは2015年12月25日に自らの命を絶った。当時の残業時間は認定されただけでも月に100時間を超え、長時間労働が常態化していた。まつりさんの過労自殺を受け、2017年1月に石井直社長(当時)は引責辞任。電通は労働基準法違反の罪で起訴され、同年10月に罰金50万円の有罪判決が言い渡された。労働環境は改善すると思われたが、今年9月、電通は残業時間の上限を定める労使協定を違法に延長させていたなどとして、労働基準監督署から是正勧告を受けた。

 幸美さんは手記で「ひとりの社員が死んだくらいでは変わらないだろうという私の予想通りでした」と怒りをあらわにした。AERA dot.の取材に対し、幸美さんが現在の思いを語った。

――高橋まつりさんが亡くなって4年がたちました。

 4年前の今日、まつりと電話した朝に戻れたら……。今も後悔しています。その思いは一度も変わりません。ずっとそのことばかり考えています。

――電話ではどのようなお話しをされたのですか?

 朝、まつりから「お母さんありがとう。さようなら。仕事も全てが辛いです。今までありがとう。お母さん、自分を責めないでね。最高のお母さんだったからね」とLINEが送られてきたんです。すぐに電話して「死ぬぐらいなら会社を辞めればいいんだからね」と声をかけましたが、まつりは「わかった」と力なく答えるだけでした。

――まつりさんは、お母さんに楽をさせてあげたいという思いから給与の高い広告業界に就職したそうですね。

 離婚して近くに頼れる親戚もいないなか、娘と息子と私で「3人で力を合わせて生きていこうね」と助け合ってきました。まつりはいつも家事を手伝ってくれたし「私がいっぱい働いてお母さんを支えないと」「お母さん、私がいくらお金をあげたら会社を辞められる?」と言っていました。女手一人で育ててきましたが、私が残業で帰りが遅いと、「労基署に訴えようよ」と、いつも私を心配してくれる娘でした。

――広告業界は激務だと言われています。

 本人も覚悟はしていました。それでも物おじしない性格で体力的にも精神的にもストレス耐性に自信があると。「官僚で死ぬほど働くより、電通で死ぬほど働く方がまだマシ」なんてことも言っていました。それでも、寝る時間もないくらい忙しい日々が続いて、精神的に疲弊してしまったのです。

――「就職に反対していれば」という思いはありますか?

 就職には反対しましたが、聞き入れませんでした。私の力では止められなかったと思います。都会での働き方やキャリアの知識もなく、アドバイスもできませんでした。私が頼りないばかりに、と悔やんでいます。

――まつりさんの様子に異変を感じたのはいつごろからですか?

 10月ごろ、まつりがチケットを用意してくれてディズニーランドに2人で行ったんです。アトラクションに並んでいる最中に、「仕事が辛い」とこぼしていました。「こんなに辛いとは思わなかった。もう限界だから、休職か退職するからね。お母さんは口出ししないでね」と。私も「死ぬくらいなら絶対に辞めてね」と言っていました。なんとか解決してくれると思っていたので、見守るしかないと。会社や上司には相談していたのですが、うやむやになってしまい、ずるずると仕事を続けていました。

――仲のよい親子だったんですね。

 亡くなる5日前の週末にも会っていました。まつりが住んでいる社員寮に行って、掃除や洗濯をしてあげたんです。「明日はランチに行こうね」と前の晩に話していたのですが、よほど疲れていたのでしょう。まつりは昼まで起きられず、結局行けませんでした。正月は静岡の実家に帰ってくるとのことで、「あと一週間したら実家に帰るね」とまつりが話していました。それが最後の会話になってしまいました。

 振り返れば、当時は激務に加えて、忘年会の準備も重なっていました。私が東京に行くと、忘年会で流すためのVTRの撮影を日曜日にしていました。まつりの同期の方もいたのですが、撮影が終わると、「まだ仕事があるから会社に戻るね」といってその同期は会社に戻っていました。日曜の夜にですよ?

「会社近くのイルミネーションがきれいだから見てきなよ」とまつりに言われたこともありました。ライトアップが夜10時までなのですが、「仕事が終わらなくて、私は見たことがないんだけどね…」という娘の言葉や、「わたしたちの深夜の仕事が東京の夜景を作っているんだよ」と言ったことは今でも忘れられません。

――現在はどのような毎日を過ごされていますか?

 過労死防止の啓発イベントや講演会のため動き回っています。このままでは娘の死が無駄になってしまう。当事者になって、報道されている以上に多くの若者が過労で亡くなっていることを知りました。社会が変わらないのは、そうした現状が知られていないからではないかと思ったのです。手記を公表したのは、この問題を風化させないため。仮にマスコミに取り上げられなくても、SNSを利用して声をあげようと思いました。

――まつりさんに伝えたい言葉はありますか?

 「帰ってきて」って言いたいです…。まつりに会いたい。会いたいです…。いつもみたいに、抱きしめたい。あの日、すぐにそばに行ってあげられなくてごめんねと伝えたいです。母さんはまつりを救えなかったけど、まつりはたくさんの人を救っているんだよ。

(聞き手・AERA dot.編集部・井上啓太)




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